長期連休中は、空き巣に用心しましょう

 Kyle Staron記者による2015-9-17記事「The Airpower Partisans Get it Wrong Again」。
  この記者は現役の米陸軍大尉である。
 湾岸戦争の航空作戦を調査したエリオット・コーエンいわく。エアパワーは軍事力の中では特別に魅惑的である。なぜなら、自己の発言の実現には一切責任を負わずに、ただ喜びや満足を与えましょうと相手に請けあう、求愛行動と似ているからだ。
 しかしながら、エアパワーが万能薬のようなものであるとか、地上作戦よりも優越したものであると考えるのは間違いである。
 先月、「War on the Rocks」上に、2人の幹部級の空軍将校(Mike Pietrucha と Jeremy Renken)が連名で、「空軍だけでは戦争に勝てないかもしれぬが、戦争に負けないことも確実だ(Airpower May Not Win Wars, But It Sure Doesn’t Lose Them)」との意見論文を公表した。
 彼らの主張。
 ――ポスト・ベトナム戦争式の、うまくいっていたパターン、すなわち、限定目標に対して航空攻撃に依存するアプローチから、米国指導層は離反してしまった――。
 ――かわりに米国は、地上戦を中心に考えるアプローチを誤って採用した。そのおかげで、アフガニスタンとイラクにおける米国の最終目標の達成に失敗している――。
 しかしこの2人は、自説を補強するために、過去の戦史をねじまげている。特に、ベトナム戦争と、NATOの旧ユーゴスラヴィア介入について。
 この2人がやっていることは、典型的な「ある1軍による他の3軍に対する予算牽制」運動である。これから米国が、アジア太平洋と中東にいかにして国力を展開していくのがベストなのかを考えねばならん時に、何というくだらない言説を垂れ流す連中だ。
 この2人は、ベトナム戦争は、地上作戦など非力であるという実例であるという。
 そしてこの2人は、ベトナムにおける1965~68の「ローリングサンダー」大空襲作戦については、わずか1センテンスのみしか言及をしないで、スルーしようとしている。それには理由があるだろう。
 ベトナム戦争は、地上作戦中心の戦争になった。なぜなら、エアパワーが限定されていたからである。
 彼らいわく。ベトナム戦争の初期の段階で、エアパワーが米国の目標達成に失敗した。だから、地上介入が逐次にエスカレートすることになった、と。
 1965-2-7にベトコンは南ベトナムのプレイク空軍基地を攻撃した。米兵8人が殺された。
 その時点で、すでに南ベトナムの地上部隊を、米軍の顧問が地上から、また、米軍の固定翼機とヘリコプターが上空から、支援していた。
 2日後、顧問団指揮官だったウェストモランド将軍は、航空基地をベトコンから防護するための地上部隊を派遣してくれと米本国に要請した。
 他方、プレイク基地襲撃のあと、米軍は「フレイミングダート」作戦を発起した。それは北ベトナムに対する限定的な空爆作戦であった。
 しかし1ヵ月経過しても「フレイミングダート」は効果がないように見えた。
 そこで、米軍は「ローリングサンダー」空爆作戦を発令したのだ。
 それは北ベトナム政府をしてゲリラ攻撃をやめさせるためのエスカレーションだったが、まったく失敗した。
 空軍参謀総長のカーティス・ルメイは、徹底的な猛爆をやらせてくれれば地上軍の必要はないと主張した。
 他の三軍はルメイに同意できなかったが、その時点で使える余計な地上戦力はほとんど存在してなかったので、空軍にやらせるしかなかったのである。
 往々、空爆作戦は、米国の国家目標を最低コストで実現してくれる魔法の弾丸であるかのように、政策立案者によって錯覚された。しかしそれはアヘンでラリっているのと変わりがない非現実的な夢想にすぎないということは今では理解されている。
 北ベトナムは防空壕の達人となり、SAMを増強し、米機をたくさん撃墜した。今の上院議員のジョン・マケインも、このとき撃墜されて捕虜になったのである。マケイン氏はその後、航空戦力だけですべてが解決するなどというたわごとは主張してない。
 空軍だけでは戦争に勝てないし、米軍が航空機のみによって友邦軍(この場合は南ベトナム政府軍)を支援しても、やはり戦争には勝てなかった。これが「ローリンクサンダー」の教訓だ。だから2人はこの戦例をスルーしようとするのだ。
 次の例。
 なぜセルビア政府(ミロシェビッチ)は、コソヴォでの虐殺を止めたか。
 一見これは、2人の空軍野郎が主張するように、NATO空軍が、市民を傷つけずにセルビア軍を破壊し、それでミロシェビッチが両手を挙げたかのように見える。
 だが違う。決め手は、ロシア政府がミロシェビッチを説得したことだったのだ。
 しからばなにゆえロシア政府はそのようなマネをしたか。1998にロシア農業は大凶作で、とうじ金欠だったモスクワ政府はピンチに陥っていた。それを、米国農務省が、格安穀物の供与により、救ってやったのだ。ロシア政府は、セルビアには食料を援助する立場だったのだが、それが不可能になったのである。
 NATOが空爆を開始したのは、1999-3-24だった。そして78日間も爆撃し続けた。
 6-3、つまり空爆開始から71日後に、ロシアはミロシェビッチに勧降した。
 1週間後、ミロシェビッチは投了した。
 ロシアの勧告が決定打であったことは、コソヴォ介入の総指揮をとったマイケル・ジャクソン将軍が認めている。
 結論。国家指導層は、限定的な空爆作戦などというものに、いかなる幻想も抱くな。
 ※おしらせ。
 勉誠出版(株)から『アジア遊学 189 喧嘩から戦争へ』ISBN978-4-585-22655-0 C1330 の見本が届きました。奥付には2015-9-25発行とあり。
 この6ページから14ページにかけて兵頭が「喧嘩と戦争はどこまで同じ暴力か?」という一文を寄稿しております。
 すべての格闘技道場において、真の「必殺技」はコモンな知識とはさせないように情報を閉じ込めています。そうなっている深い理由は、「それが今日の戦場では何の役にも立たず、ただ平時の所属社会を不安定で高コストにしてしまうだけだから」、といったお話を展開しています。
 たとえばフロントチョークからの脱出法について興味がある劇画原作者さんは、ご購読されると、物の見方が深まるかもしれません。