昭和17年の10ドルは、今の1万5000円にも相当した。

 ?記者による記事「During World War II, Sex Was a National-Security Threat」。
 さいきんも米軍は、性病が軍隊破壊活動の筆頭だと認めているが、かつてもそうだった。
 第二次大戦に米国が参戦して大動員が本格化した1942年前半、連邦政府は、全米の陸軍基地が所在する自治体で、計数百人の娼婦を、性病保菌者であるという理由で強制隔離した。この娼婦たちは「カーキー・ワッキーズ」「グッドタイム・シャーロッテス」「キャンプ・フォロワーズ」「パトリオチューツ」と呼ばれた。※最後のは造語で、辞書には見えない。
 ペニシリンは1943年から実用になったが、軍隊に優先的にまわされたので、銃後の国民は古くからある砒素系薬物の静脈注射が頼りだった。これは毎週1回、1年間も続ける必要があった。
 ※映画の『第三の男』には闇ペニシリンが出てきた。
 淋病は当時から、錠剤だけで症状を抑制できた。しかし投薬インターバルは注意深く守らないと利かなかった。
 兵士が性病に罹患して軍隊の機能を低下させてしまうという大損失をなくするべく、1941年、FDR政権は社会防衛局を創設した。目的は、軍事基地周辺での売春を撲滅すること。その長には、エリオット・ネスが就任した。アル・カポネを禁酒法違反で刑務所送りにした辣腕である。
 ※ピンク産業もイタリア系マフィアが仕切っていたことと関係があるのか。
 同年、「メイ法」が議会を通過・成立。軍事基地近くで売春婦が客を誘うことは爾後は連邦法違反だということにされた。
 この法に基づき、ヘルス・ワーカーたちが酒場を夜な夜な探索し、セクシーすぎる外観の女が混じっていないか、目を光らせた。
 軍隊の近くにキャンプフォロワーがいるのはあたりまえだと黙認してきた伝統は、米国では、1941~42年をもって、全面的に終了したのである。それは性病対策が理由であった。
 ネスは全米に、「迅速治療センター」を開設させた。梅毒にかかっている街娼を強制収容しては、数週間、治療薬を静脈注射する。
 『米国梅毒史』の著者、パラスカンドラいわく。監視役人たちは当初、軍隊の門前町や軍需工場近くの盛り場を重点捜査してプロの女を見張ったが、戦争が進展するにつれて、アマチュアの、ただし貞淑謹厳ではないと見える女をしょっぴくようになった。
 取り締りの場所は、バーからダンスホール、しまいには繁華街近くのバス停に移り、バスから降りてくる女を待ち構えていて訊問するに至った。
 性病チェックを拒否しても、取り締まり役人が強く疑った女については、裁判所は強制収容隔離命令を気軽に出した。
 駐屯地のまわりをうろついていたという理由だけで、役人は女を拘留できた。理由は、浮浪罪。その上で、性病検査か強制収容かを迫る。
 隔離というのは、医者でない役人にも可能な行政なのだが、梅毒治療の場合、そのうえで静脈注射が必要である。それは外科的医療行為なので、法的にうるさいことを言うなら、役人が市井人に強制することはできないはずのものであった。
 しかし役人が、静注による治療を受けなければ無期限に隔離収容を続ける、と通告すれば、女たちはその治療に合意したのである。
 迅速治療センターでは、街娼たちに社会更生を促すこともした。具体的には、治癒後に軍需工場に就職させてやるのだ。それもまた、米軍の最大の敵、性病を遠ざける良法だと彼らは信じていた。
 米軍の駐屯地内ではコンドームは手に入った。他方、WACについては、禁欲生活が当然だという内規が適用されていた。
 次。
 ?記者の記事「Gary Sinise to Receive 2015 Sylvanus Thayer Award」。
  ウェストポイントの卒業者でつくっている同窓会は、俳優のゲイリー・シニーズに「シルヴェイナス・セイヤー賞」を与えた。
 理由は要するに、彼が演じてきた米軍軍人・退役軍人たちの姿が、兵役の愛国性について全米を感化するところ大であったから。
 ちなみにウェストポイントのモットーは「義務、名誉、祖国」である。
 プレス・リリースによると、この人はとことん米軍に入れ込んでいるのである。
 早くも1980年代にベトナム復員兵たちを励ます催しをシカゴのステッペンウルフ劇場で主宰していた。
 その後、「ダン中尉バンド」というパフォーミング・チームを作って内外の米軍基地の慰問までやってきた。
 また「Gary Sinise Foundation」という基金を創設し、軍人の援護に貢献している。