Kim Tong-Hyung and Foster Klug記者による2016-4-19記事「South Korea covered up mass abuse, killings of ‘vagrants’」。
※日本の糞メディアと違って、『星条旗新聞』や『AP』は、真剣に他国民が直面する不正義や不幸を報道する。これもそうした調査報道。
1988年の京城五輪の準備として韓国政府は1982から数千人のホームレス狩りを実施。多くは少年だった。収容所に禁錮された当時14歳の少年が32年後の今、「毎晩看守たちにレイプされました」「五年間奴隷労働をさせられました」「看守に殴り殺された男女の死体がゴミのように荷車で運び出されていました」と証言している。ただしこの男は背中全体に刺青のあるヤクザで、警察官襲撃事件で刑務所にも居たことあり。
そもそも施設はパクチョンヒ政権時代に造られ始め、トータル36箇所。1986年時点で収容者数は1万6000人になっていた。
うち、釜山の施設には4000人。
大きな孤児収容所で、内部に20もの工房があり、木工、金属細工、衣料、靴などが無給労働によって生産された。回りは高い壁で囲繞され、大型警備犬と、棍棒を手にした看守が見回っていた。
塀の上には割れたガラスが植えられていた。
収容所には矯正室があり、死ぬほど殴打される。
だいたい四日か五日に1人のペースで、殴り殺されていた。
釜山では、死体は施設の裏手にある丘陵地帯に埋められた。
強い収容者も弱い収容者をレイプし、食い物を奪った。
強制労働は朝5時半過ぎから日没までであった。無給。
成人収容者は、塀の外での土工に使役されることもあった。
児童は、ボールペン作りや、釣り針作り。
高級品っぽいドレスが縫製され、それは欧州や米国に輸出されていた。それは「Daewoo」社の商売であり、同社から指導員が派遣されていた。
1970年代には、釣り針にテグスを結びつけたものが日本向けに製造されていた。
この不良品が日本から返品されてきたことがあり、そのため2人の児童が酷く殴られた。
欧米向けのスニーカーの靴底も製造されていた。
過去に判明しただけでも1975から1986までに513人、収容所内で死んでいる。実数はもっと多いのは確実。
釜山の施設は1988に閉鎖された。90年代に再開発のため近辺が掘り起こされたとき、100体前後の骨が出土。いずれも毛布でくるまれていた。土饅頭も墓標も無し。すなわち闇埋葬と思われる。
その跡地は今、高層マンション街になっている。
しかしまだ数百体は埋まったままのはずである。
※中共がTHAADの半島展開に反対する理由は、それに付随する高性能レーダーについてである。このことは、「北鮮には核ミサイルなど無い」という事実を中共が公的に認めていると白状しているにも等しいだろう。