司令官が穏健を行動原則とすれば、敵をして歩み寄らすことはできず、味方が士気を阻喪する。/バナスター・タールトン中佐

 Mike Benitez 記者による2016-6-29記事「How Afghanistan Distorted Close Air Support and Why it Matters」。
   昨年、A-10はCAS機として必要であるのでその維持費を都合するためにF-35整備が遅れてもよい……かどうかの論争があり、空軍参謀総長のウェルシュ大将は、「空軍はアフガンで毎年平均2万ソーティのCASを実施している」と数値を出した。
 だがこの数字を真に受けてはいけない。爆弾を投下せずに帰投しても、やはり「CAS任務をしてきた」ということにカウントされているだろうし、そもそもCASでない攻撃を上層部はCASに数えていることが疑われるのだ。CASパイロットなら、皆、知っていることだ。
 地上部隊からの要請をうけて、その要請されたターゲットにすぐに爆弾を落としてやる。これがCASミッションだと思われているが、違う。
 CAS任務は定義されている。固定翼機だけでなく回転翼機による近接対地支援もCASである。ただし敵地上部隊が味方地上部隊から近いところに位置していないならば、それをいくら精密に空爆してもCASではない。そしてもうひとつ。地上の味方部隊の火力発揮や前進(または後退)と、その爆撃が、細部まで緊密に融合連繋していなければならない。
 この定義は1948年まで遡る。そこでは、敵は地上軍だけでなく海軍艦艇の場合もあるとしていた。もちろん味方部隊(または艦艇)からごく近いところに敵が位置していなければならない。その敵を、味方部隊(または艦艇)の火力発揮や運動と緊密一体に連繋するように航空攻撃を加えることが、CASなのである、と。
 今日の論議では「緊密一体の連携」というコンセプトが忘れ去られている。
 アフガン戦争は15年。アメリカ最長の戦争となった。
 アフガンへの大増強が実行された2010年、同地には400箇所の味方軍基地と、10万人の米兵がいた。
 2009年までにJTAC(joint terminal air controller)の人数は、2001年のときより2倍に増えていた。しかしアフガン作戦は、さらにその2倍のJTAC要員を必要としたのだ。
 JTACの人手不足は、アフガンでどんな現象を引き起こしたか。ほんらい、地上の一線部隊に同行してその部隊長のすぐ橫に居るべきJTAC員は、皆、後方の作戦〔航空?〕基地にとどめおかれて、自分自身の目や耳によって敵情を観測することができなくなってしまった。
 衛星リンクでビデオ映像を見ていれば、JTACが最前線に出る必要はないというわけだ。しからば、「緊密な空地一体の連繋」は、それで可能か?
 地上部隊の側も、楽をしたがる。敵ゲリラと間近に対峙する前に、はやめに航空爆撃を要請して、敵ゲリラ(の疑いがある目標)をできるだけ遠くの位置でやっつけてもらおうと考える。「ゲリラに対する予防的な爆撃」が要請されるようになっているのだ。これも、泥沼のアフガン戦争でいつしか定着してしまった米軍の癖である。
 さいげんなしに空爆要請が増えて、空軍のCAS資産は枯渇した。
 記者(F-15Eパイロットの現役少佐である)の2009~2011のアフガンでの体験によれば、CASに飛び立つ固定翼機は、ほとんどアフガンじゅうを飛びまわって3~4箇所にCAS爆撃を加えねばならず、そのため、1箇所の上空にとどまれるのは1~2時間にすぎなかった。
 爆撃要請が多すぎるために、CAS資産が薄く分散されすぎていた。
 2009年から2010年のアフガン大増強期間のCASはひどいものだった。飛行士たちが出撃する前のブリーフィングで、彼らは数箇所の空爆点を割り振られて指定された。ところが、それが実施されることは決してなかった。ブリーフィングのさいちゅうに、任務空爆点の変更が何度もあるのだ。のみならず、待機所から航空機に乗り込もうと歩いている間、座席に座ってこれから離陸しようとしている間、離陸して任務空爆点へ飛行しているさなかにも、任務空爆点の再三の変更が追加で伝達されてきた。そんな有様であった。
 急にCASに呼ばれて現場上空に到着すると、たいてい、眼下には、味方のヘリが飛び交っている。
 そのヘリは、偶然に現場を通り過ぎているだけのこともあれば、我がCAS機と同じ目標を攻撃するヘリである場合もある。ところが周波数が違うので、その味方のヘリとは交信ができない。JATCも、ヘリと固定翼機では別な周波数で統制しているのである。
 空軍と陸軍は、互いに連絡将校を協同部隊に送り込むべきである。
 アフガン北西部のCASは、バグラム基地が担当。南東部のCASは、カンダハール基地と海軍機で分担している。
 米軍は、2002年から2010年のあいだに、無人機の数を40倍にした。主に陸軍が小型無人機を多数使うので。
 いま、陸軍は7000機の無人機を使っている。空軍は300機である。
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 David Cenciotti記者による2016-6-27記事「F-15E Strike Eagles unable to shoot down the F-35s in 8 dogfights during simulated deployment」。
 米国内で、F-35とF-15Eで空戦させてみて、8対0でF-35が勝ったらしいという。
 このF-15Eは、レーダーはAN/APG-82、つまりAESAで、ターゲティングポッドはSniperだったはず。
 しかし「模擬戦」の詳細はまったく不明である。
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 Ed Friedrich記者による2016-6-29記事「At Washington shipyard, subs for recycling stacking up」。
    太平洋岸のワシントン州にあるPSNS(ピュージェットサウンド海軍工廠)。
 ロサンゼルス級SSNの解隊は、米国でも、ここ一箇所でしかできない。
 まず燃料棒を抜き、除籍し、それから解隊となる。
 1971から1996まで62隻のロサンゼルス級SSNが建造された。いまも現役なのは39隻である。完全にスクラップ化が終わったのは9隻だ。
 ロサンゼルス級は、ヴァジニア級での更新が進んでいる。年に1隻のペースで。ヴァジニア級は48隻建造が計画されていて、すでに20隻完成した。
 使用済み燃料は、鉄道によって、アイダホナショナル研究所へ輸送される。そこで特殊コンテナに封入して保管される。
 燃料を抜かれたリアクターの部品は、ハートフォード核貯蔵地へ輸送される。
 この解体工場には、除籍された『Narwhal』という実験的原潜も置かれている。この艦は1969に就役し、数々の秘密ミッションをこなした。当時最も静かな原潜だった。同型艦は無い。
 記念艦にしようという動きがあるので、解体できないでいる。しかし資金は集まらないようだ。
 『NR-1』もここに置かれている。乗員わずか13人の原潜。しかし原潜としては深度記録を持っている。海底に着いたあと、車輪で動きまわることができた。やはり同型艦はつくられていない。
 この艦も1969年に進水し、いらい、さまざまな極秘ミッションを遂行してきた。公式には「就役」したことはなく、したがって海軍の公式艦名もついてはいない。
 2008年に燃料を抜かれ、このPSNSにやってきた。
 ※「けっして引用してはいけない」とAPの支局長が部下に注意喚起したことのある「聯合通信」の与太記事によれば、北鮮艇が12.7ミリ×3バレルのGE製ガトリング銃を装備しはじめたのだと。