先任中尉が「自衛戦闘」の開始決断を迫られる時。

 Tara Copp記者による2016-6-30記事「’I didn’t want to start a war’
Navy: Poor leadership, training led to capture of 10 sailors by Iran」。
  やっと全容の発表がなされた。イラン革命防衛隊にイランの領海内で米海軍のリバーボート×2隻が拿捕されたという2016-1の恥ずべき椿事の顛末だ。
 1隻のエンジンは、出港前から故障していた。乗員たちは、直近の航法実務試験に皆落第していた。無線機はことごとく機能しなかった。2隻の乗員のうち10人は、外洋でのこれほどの距離の航海が初めてであった。
 しかし彼らは送り出され、そして乗員たちは、戦闘を堪える精神力をもっていないことを証明してしまったのであった。
 2隻は、クウェートの港からバーレインに行くはずだった。が、なぜかイランのファルシ島の沖1.5浬で停船。8人の男の乗員と1人の女の乗員が逮捕されて1晩を訊問所で過ごし、いろいろな秘密をイランに与えた。間抜け過ぎる。
 すでにこの事件に責任ありとして、モーゼス大佐(コモドアー=艦隊司令官)とラッシュ中佐(艇長)は、ポストを外されている。
 クウェート軍港のもうひとりの将校(姓名等未公表)も、ポストを外された。
 他に6人の海軍軍人も、処分を待っている。そのうちひとりは、先任兵曹長だ。彼は艇長に抗命した。
 1月12日から13日まで続いたこの事件、米国とイランが核開発問題で外交協議を詰めているさなかであった。
 艇の将校たちはイランのテレビカメラに向かって「お詫び」を語った。
 詳細な数百ページの報告書は6月30日に海軍から公表された。
 それによると……。
 リバーラインコマンドボート802号艇と805号艇は、計画より4時間送れてクウェートを出航した。無線機の調子が悪くてそれを直せなかったからだ。
 その前夜、802号艇は、エンジン故障も起こしており、やはり直っていなかった。
 そこで1月11日夜から12日朝まで徹夜でエンジンを整備し、それから250浬のミッションに出発した。
 ふつうはこの距離の航海をする前には数時間の休憩が求められるが、2人の艇長は一睡もできなかった。
 両艇長とも、海軍が課す「航海科」の最近の試験には落ちていた。そして乗員の誰も、搭載されているナビゲーションシステムについて、2時間を超える教習は受けていなかった。
 805号艇は、航程ログ記入〔コンピュータへの航程入力か?〕をしなかった。どちらの艇長も、紙の海図を事前に確認していない。
 乗員たちは、この準備状態ではダメだと言い合っていた。誰もこれだけの距離を航海した者はなく、しかも、途中で1回必要な夜間の洋上給油も、これまで誰も体験していなかった。
 まして無線が無反応なので、洋上給油を受けられるか、甚だ心配された。
 先任艇は802号である。802号艇長は、日没後の給油ではなく、日没前の給油を受けたいと考え、給油艦の『USCGC モノミー』との邂逅点に、本来の航路ではなくて、ショートカットして行こうと考えた。その決心は上司の許可を受けておらず、しかも、乗員にも知らせなかった。
 この結果、かれらは一直線にイランの革命防衛隊の根拠地、ファルシ島に向けて突き進んだのである。阿呆過ぎる……。
 拘禁される1時間前、島がハッキリと見えて来たのに、彼らはそこがイランの領海だとはまるで思わなかった。
 その瞬間、ナビシステムは、そこはイランのファルシ島で、イランの領海内だと表示していた。
 しかし総勢10人の乗員のうち誰もその情報に注目はしなかった。ディスプレイ上で島をズームさせれば詳細情報が出てくるのだが。
 だれひとり、海図室の予備海図を確認しようとはせず、まただれひとり、米海軍の海洋オペレーションセンターに無線で問い合わせようともしなかった。
 ひとりの乗員は、私物のスマホを見てみた。アプリケーションが、長いアラビア語の名詞(島の名)を表示した。情報はそれだけだった。
 そのとき802艇のエンジンの油圧が危険レベルに低下し、行き脚が落ちた。805艇は、艇長が減速させて、橫に並んだ。
 ナビシステムの記録によれば、802艇は4時12分に行き足がなくなり、805艇は4時13分に行き足がなくなっている。
 802艇はエンストしたわけではない。微速で航行を続けながら修理することはできた。しかし、そこにとどまって修理することが選択された。
 そしてその時点でも彼らは、目の前の島について何も確かめようとしていない。
 両艇長とも、ガナーに対して、エンジン修理中に接近してくる敵を警戒せよとも命じていない。
 かれらは修理は20分で終わると思っていたところ、停止後数分にして、2隻の小型艇がこちらに近づいてきた。
 その小型艇が1000ヤードまで来たところで、802号艇長は、相手船が武装していることを視認した。しかるに艇長は部下に、防衛のための準備をせよとは、なんら指示していない。艇長は、その武装艇はサウジのものだと思い込んでいた。
 武装艇2隻が100ヤードまで迫ったときに、ようやく米海軍の2艇は、ガナーたちに戦闘配備を命じた。
 彼らは、イラン革命防衛隊の青旗を認めたからだ。
 乗員たちは、レンチを高くかかげ、今エンジン故障で修理中であることを、イラン人たちに分からせようと、いろいろ叫んだ。
 そこへ、さらにイラン艇が2隻、やってくる。
 802艇長の若い中尉は、急いで海面から離れようとして全速前進を命じた。が、先任兵曹が抗命した。先任兵曹のみるところ、こちらの針路をイラン艇はブロックできる位置関係であり、かつまた、イラン艇乗員のAK-47の銃口が皆、至近距離からこちらのガナーたちに指向されていたからである。
 802号艇長は、射たれてもいいからすぐに前進しろと先任兵曹に命じた。しかし先任兵曹はエンジンを動かさなかった。動かせばこちらのガナーが射殺されるのは必至だというのが先任兵曹長の抗命の理由である。
 しかたなく、その場の最先任者である802号艇の若い中尉が、イラン人と交渉を始めた。
 中尉は、ここでイランと戦争を始めたくないと判断する。
 乗員たちは両手を上げ、膝まずいた。
 イラン人たちが乗り込んできた。
 そして米国旗を引き毟り、イラン国旗を掲げた。
 このあと、ガナーの一人であった女性乗員が、縛られた状態であったが、遭難信号(緊急ビーコン)のスイッチを入れることに成功した。しかしイラン人がすぐそれを見つけ、ビーコンを没収した。※オレンジ色の投下ブイのことか?
 乗員がもっていた武器、コンピューター、携帯電話は、すべて没収された。
 翌日、昼食後に彼らは解放された。このへんのことはすでに報道が詳しくされている。
 米国防総省のコードオブコンダクト集には、非戦争時下における将校の「降伏」の判断については、明確な規定がない。
 802艇長は、イラン人たちに、部下乗員を動画撮影しないでくれと要求した。しかし彼自身がイラン製作のフィルムの中で謝罪した行為は、コードオブコンダクトに明瞭に反している。
 イラン人は、艇長が動画で謝罪することだけが乗員の解放につながる道だと艇長を説いた。この場合でも、艇長の行為は、米軍のコードオブコンダクトに反するのである。
 ※海軍はこの事件の第一報をケリーよりも早くスーザン・ライスに報告した。そのことから、ライス特命の特殊任務だったのかと、わたしはいままで疑っていたが、そうではなかった。オバマ政権の「世評」維持係であるライスは、このぶざまな事件の詳細を半年間、議員やマスコミに対して隠し抜くことで、なんとかみずからの任務を完遂したようである。ぱちぱちぱち……。