Jamela Alindogan記者によるアルジャズィーラ記事「Inside Abu Sayyaf: Blood, drugs and conspiracies」。
アブサヤフの頸切り人は自分の顔さえ隠していない。
スル諸島は東南アジアの誘拐首都になっている。
スル諸島の住民の七割は貧困。
水道もなく学校もない。道路は未舗装。
食料も自給できない。サンボアンガ市や、マレーシアのサバ州から輸入している。地味は肥えているのだが、農業が成立しない。
農園を開墾しても、すぐアブサヤフに強奪されてしまうのだ。
この地域は過去40年、暴力ゆえに中央政府から放置されてきた。他方で人口だけは増えている。
フィリピンで「スル」といえば「テロ」と同義語である。
人質の頸切りビデオがユーチューブにUpされたときだけ、この地域は世界の関心を引く。
組織としてのアブ・サヤフは15年くらい前にバシラン島(ミンダナオ島の南隣)で生まれた。名称は、剣を取る者、という意味である。
創始者はアブバカール・アブドゥラジャク・ジャンジャラニ。イスラム自治国を築こうとしたが、すでに比軍によって殺されている。
※これについてこれまででいちばんわかりやすかった解説は「ヒストリーチャンネル」のアブサヤフ壊滅作戦だ。百の記事よりもよく分かった。たぶんネイヴィシールズ/SOCOM/CIAはあのドキュメンタリーよりは深く作戦に関与しており、また、公表されていない「発信器」が別に仕掛けられていただろうとはと思うが……。
しかし共同創始者のラドュラン・サヒロンはまだ生きている。
この男はかつて、「モロ族自由戦線」という分離主義グループに属していたが、MNLFが比島政府と手打ちをしたのでそこから飛び出した。
アブサヤフはスタート時点ではイデオロギーを標榜したが、すぐに組織存続の必要から、カネだけが目的のギャング団になった。
今日では誘拐ビジネスだけでなく、麻薬や武器の密輸にも関与している。
アブサヤフは緩い広域組織で、統制の利くヒエラルキー構造にはなっていない。スル諸島にいくつもの「小ボス」に率いられたグループが蟠踞する。
アブサヤフは金銭を得るとすべて武器の購入に当てる。スル諸島では、豪邸を建てようなどと誰も思わない。
頸切り動画はスマホを使ってアップロードされている。
アブサヤフの若いメンバーは15歳くらい。一度も学校には行っていない。両親は武装闘争にまきこまれて死んでいることが多い。
スル諸島ではこうした少年のことをアナク・イトゥ=「戦争孤児」と呼ぶ。
地元の警察官や政治家がアブサヤフのメンバーの血縁であるということはよくある。血縁は、協力する。ゆえにラドュラン・サヒロンも捕まらない。
孤立した貧乏農家はアブサヤフに脅迫されてその土地を売らされ、その金を奪われる。
アブサヤフは血縁主義で、族内近親婚が多い。戦死したメンバーの寡婦は近親婚によって救済される。
アブサヤフは遠隔地の情報屋とも通信している。だから、パラワン島、ダバオ湾(ミンダナオ島南東部)、マレーシアのサバ州(ボルネオ北端)も観光地としては安全ではない。そこで情報屋に目をつけられた観光客は、夜中にバシラン島などスル諸島から船でやってきたアブサヤフに拉致されてしまうのである。
※ドゥアルテがかつて市長であったダバオ市は、ドゥアルテが「射殺警察隊」を巡邏させて容疑者を裁判なしで即路上射殺する方針を堅持した結果、1000人の犯罪者が撃ち殺され、いらいダバオ市は安全になり、犯罪組織と結託した政治家らの腐敗も一掃されたとされる。しかしこの記事によれば、まだ油断はならないようだ。
フィリピン軍によると、アブサヤフの若いメンバーは、比島軍との交戦の前日に覚醒剤を与えられている。それは一般に「シャブ」または「クリスタルメス」と呼ばれているメタンフェタミン・ハイドロクロライドである。
バシラン島でアブサヤフと交戦したことのあるフィリピン陸軍大佐の証言。14歳のアブサヤフメンバーが銃撃戦で負傷して捕虜になった。少年は戦闘前に覚醒剤を投与されたと言っていた。たしかにそれが利いている間は野獣のようであった。
ドゥアルテ新大統領がもしスル諸島の廓清をしたいのであれば、現地の政治家たち全員をまず隔離する必要があるだろう。
現地警察も腐敗しているので、警察力はスル諸島の外側から投入しなくてはならない。
ドゥアルテから新たに任命された軍の長官、リカルド・ヴィサヤいわく。スルでは知事、副知事から村長までが、すべて誘拐ビジネスの一味徒党なのである、と。
大統領は、スル全域に戒厳令を敷こうと考えている。軍はそれを支持している。
1970年代にマルコス大統領はスル諸島に戒厳令を敷き、手荒く住民を鎮圧したものである。