スタコラスイッチ

 初版1万2000部で絶賛発売中。この部数だと地方書店の店頭にも間違いなく出るので、アマゾンを使っていない方々は今から書店へGO! 今回の『日本の武器で滅びる中華人民共和国』は、ずっと前に『日支宗教戦争』で展開した儒教圏の反近代性を掘り下げる内容ともなっています。前回(2年前)の+α新書では、増刷が何度かかかったおかげでわたくし、人生ではじめて「カード」というものを最寄の信金で作ることができ、晴れて昨年末からAmazonユーザーになることができましただよ。いや~、便利なものですね。こんなに便利とは知りませんでした。
 次。
 Matthew Cox and Hope Hodge Seck 記者による2017-1-19記事「Army Picks Sig Sauer’s P320 Handgun to Replace M9 Service Pistol」。
  米陸軍は、いまのM9を更新する次期モジュラー式ハンドガン(MHS)としてSigザウエル社製の「P320」を選定した。
 ライバルのグロック社、FNアメリカ社、ベレッタUSA社の試作品は、斥けられた。
 SIGの工場はニューハンプシャー州にある。サイレンサーが簡単に取り付けられること、エクステンデド容量マガジンもそのまま使えること、などの条件もクリアされている。
 グリップは、手の小さい女性兵でも握りやすいように、厚さを変えられるか、もしくは、別寸バージョンが製造される。
 この競争試作は「XM17」の名で2015-8から繰り広げられてきた。
 ところがひとつ、ハッキリしないところがある。使用する実包だ。陸軍は、これが9ミリだとは言っていない。ということは1985にM9を採用する以前の.45に戻すのか?
 9mmと、「.357SIG」実包と、「.40SGW」実包の3種類からどれでも選べるようになる可能性がある。「.45ACP」だけはあり得ない。それに変更できるようなグリップは無理だから。
 さる事情通によると、Sig社としては「.40」口径を推していた。しかし陸軍は、かれこれ考えた結果、結局9ミリとするつもりである、と。
 「グロック17」および「グロック19」でエントリーしたGlock社は、12月にSigとともにコンペ勝ち残りを宣告されていた。おそらくグロック社はこれからペンタゴン相手に訴訟を起こしてこの最終決定に不服を鳴らすだろう。
 ベレッタ社は、30年保持しつづけた米陸軍という買い手をこれで失った。
 ベレッタ社は2014-12に、レールなどをゴテゴテと増設した「M9A3」をまとめた。が陸軍から全く不評と知れたので、急遽ハンマーを廃してストライカー式に変えた「APX」を設計してコンペに突っ込んでいた。
 陸軍のMHSプロジェクトは2013前半からスタート。
 メーカーは50万梃を納品できると見込んでいる。
 最新の陸軍の購入計画では、とりあえず28万梃。
 次。
 ストラテジーペイジの2017-1-20記事。
  ロシア海軍は2016後半に、グラチャノク型の港湾警備艇を2隻、調達した。
 139トン。全長31m。これが、いまのロシアで国産できる軍艦である。
 特徴は、フロッグマンや水中ロボットを探知できるソナーをもっていること。
 最高速力41km/時。補給なしで連続5日間活動できる。8人乗りだが、さらに6人分の船室がある。
 固定火器としては14.5ミリ重機関銃×1。
 「DP-65A」という10連装のグレネードランチャー。これは径55mmのグレネードを500m飛ばし、水中のフロッグマンを殺す。
 RPG類似だが、フレアが燃えるので、どこにフロッグマンがいるのか、水兵全員が理解できる。
 着水すると、プリセットした深度で爆発。
 殺害半径16m。
 他に、肩射ち式SAMのSA-18を4基。
 それらとは別に、「DP-64」という手持ち上下2連の45ミリ・グレネードランチャーが何梃か備えられている。重さ10kgで、射程が400m。
 発射するグレネードは径45ミリ、重さ650グラム。
 これも深度40mまでプリセットでき、半径14mのダイバーを殺す。
 ※フロッグマンといえば、元シールズ隊員のリチャード・マコウィッツ氏の訃報が1-3に報じられていた。本人が癌だと知ったのは2015年秋で、進度4の脳腫瘍だったという。その事実は2016-2に本人により公表されていた。彼は2002年には『内なる戦士を解き放て』という本を書いているそうだ。これが生涯唯一の著作だったようだ。そして2012年を以て、テレビには出なくなった。以下は私の想像だが、もっと早くから病気の自覚をしていた本人が2012を以て、ステロイド剤の使用を止めたんだろう。ステロイドは免疫を抑制するので、正常細胞の癌化も止められなくなるからだ。それでたちまち、テレビでは見せたくない体つきになったのだろう。本人の自覚は「フューチャーウェポン」の撮影中からもうあったのではないか。なんだか心配事があって悩んでいるように見える回が、数回ある。彼は家族のために寿命を縮める究極の選択をしていたのかもしれない。それにしても感心するのは、彼が生まれた年は判明するのに、月日はどこにも公表されていない。さすが。特殊部隊員はこうでなくては。
 次。
 Dave Majumdar 記者による2017-1-19記事「XB-70 Valkyrie: Why Didn’t America Build This Mach 3 Monster Bomber?」。
  ※この記事は2015-11に初出だが、LSBについて考えるよすがとして再掲された。
 なぜ「XB-70」ヴァルキリーは量産されなかったか。単価が高すぎるのに加えて、低空侵入爆撃や低烈度ミッション用には重宝しそうになかったからである。
 エンジン6基でマッハ3を出すことができた。
 試作機1機だけが残っており、オハイオ州デイトンの博物館に展示されている。
 XB-70の開発は、1950年代にまだ防空兵器としてSAM(SA-2)が実用域に無く、高射砲が届かず、局地戦闘機も振り切れるような高空&高速ならば迎撃は受けまいと信じられたところから始まった。
 ところがじつはソ連のSAMがかなり完成しているという情報はペンタゴンには早くから入っていた。にもかかわらず空軍一派はそうした敵の新防空兵器の性能をいっかな正当に認識しようとはしなかった。ゲイリー・パワーズのU-2が1960-5-1にSA-2で撃墜されても、それはソ連のSAMなどではなくて時限爆弾工作もしくはパワーズの裏切りだったと、自分たちで自分たちに言い聞かせた。こうして、最初から開発するのが無駄である役立たずな高額機体が、ずるずると、試作まで持っていかれたのである。
 JFK政権が1961-3-28にXB-70計画をキャンセルするまでに、ペンタゴンはSAM脅威を正当に評価して、侵攻爆撃は低空に限るという指針を固めていた。低空侵攻ならば地形がレーダーを届かなくしてくれるので、敵防空軍側のリスポンスタイムは極端に短くされ、敵には対処のいとまがないだろうと計算された。
 そしてもうひとつ。この時点では米国もICBMを揃えられるようになっていた。何も高額な有人爆撃機に頼らずとも核報復はいくらでも可能となったのだ。
 しかし、ヴァルキリーの試作だけは、淡々と継続された。1964-9-21、加州のパルマデール基地からエドワーズ空軍基地への初飛行。
 試作1号機は、この飛行機はマッハ2.5以上になると、方向安定性がなくなることを教えてくれた。そのため、けっきょく、たった一度だけ、マッハ3を出しただけである。
 試作2号機は1965-7-17に飛んだ。主翼には上反角5度を付し、超音速飛行時の安定性を高めようとした機体だった。
 1966-6-8に、試作2号機は、随伴飛行していたF-104Nと空中接触して、クラッシュ。2名死亡、1名重傷。
 1号機ではなく、改善された2号機が失われたことは、メーカーのノースアメリカンにとって大打撃だった。
 試作1号機の試験はそれでも1969-2-4まで続けられた。83回、のべ160時間飛行。ちなみに2号機は92時間て終わった。
 ※ソ連にミグ25の開発を強いたのがせめてもの功徳か。