中共の工作部局は拙著を直接引用できないので苦悩中。なにしろ「放伐」のし方を書いてますからね。天安門!

 Michael Peck 記者による2017-1-21記事「This Tiny U.S. Navy Warship Sank the Most Submarines in History」。
   パールハーバーで戦死した海軍軍人の名にちなむ、米海軍の小型駆逐艦(DE)『イングランド』は1944-5だけで6隻の日本の潜水艦を沈めた。この記録はいつ破られるのだろうか。
 『バックリー』級DEは1400トンで186人乗り。一等駆逐艦『フレッチャー』級のざっと四分の三だった。主砲も5インチではなく3インチ。それでも発射管×3は残されていた。
 対潜装備が充実していた。爆雷を転がし落とす艦尾ラック×2、K字状爆雷投射腕×8(射程150ヤード)の他、最も威力のあったヘッジホッグを積んでいた。
 英国が開発した24連対潜臼砲ヘッジホッグは、ポテトマッシャー形の対潜弾を発射した。ただし信管は、敵潜水艦の堅い外殻にぶつからない限り、起爆しない。おかげで、駆逐艦のソナーが邪魔されないのだ。
 『イングランド』号の活躍は、米海大の『ネイバル・プロシーディングス』誌の1980-3月号に出ている。
 まずソロモン海で1944-5-19に初戦果を挙げた。
 『伊16』潜水艦を血祭りにあげたのだ。
 『イ16』潜は駆逐艦の航跡を慕うことで探知を逃れようとした。しかし運が尽きた。
 ヘッジホッグの4~6発が爆発した。
 1944-5に日本の大本営は「あ号」作戦を発令していた。
 アドミラルティ諸島およびニューギニアの北東海域に、漸減作戦の最前縁として7隻の潜水艦が派遣され哨線についた。
 ところが暗号が解読されていたので、日本の潜水艦の哨戒位置は丸わかりであった。
 5月22日、米艦『ジョージ』のレーダーが浮航中の『呂106』を探知。サーチライトを向けると、呂号は潜航した。
 だがその先には『イングランド』が待っていた。ヘッジホッグの3発が直撃した。
 5月23日、『イングランド』は『呂104』も撃沈した。24日には『呂116』を屠り、補給のためマヌス港へ向かう途中の28日には、『呂108』も片付ける。
 5隻目の『呂105』は、5月30日から30時間、複数の米艦に追いかけ回され21回爆雷攻撃されながら、粘り続けた。2隻の米艦の中間に一度浮上して空気を入れてまた潜ったりもした。しかし最後に『イングランド』がかけつけ、ヘッジホッグで仕留めた。
 哨戒線の残り2隻の潜水艦は、命令によってすでにその海域から引き払っていた。日本の潜水艦には、1艦につき40名から80名が乗り組んでいたと思われる。
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