坊さんを乗せたタクシー運転士が脳血管障害を突発。行く道が思い出せないのに体面を気にして言い出せず、葬式に大遅刻。

 ……という実話を田舎のタクシーの乗務員さんから数年前に聞かされたのを思い出した。山村地帯だった。けっきょくそのベテラン運転手氏はすぐ引退したそうである。もし飛行機のベテラン機長に同じ症状が起きたとしたら、副操縦士には何ができるだろうか……?
 キングエアー350は、C-130の次に世界で多用されている輸送機だ。1960年代から6000機以上が製造され、老成・円熟している。米軍もC-12、RC-12、MC-12などとしてイラクでもアフガニスタンでも重い装備を積んで運用中。最初は1970年代に米陸軍で採用したが、今では無人のプレデターを重用したくない空軍が大贔屓だ。もちろん、空中で突然分解したなどという話は聞かれないのである。
 次。
 Keith Nightingale 記者による2017-5-21記事「The Higgins Boat: Wood, Steel, and Purpose」。
    ノルマンディー海岸に着達した大発みたいな舟艇は「ヒギンズ艇」と呼ばれる。
 1艇には25人から35人の重装備の兵隊がギュウ詰め。
 ニューオリンズにある工場で発明された、積層合板製の平底上陸用舟艇であった。
 これを設計したアンドリュー・ジャクソン・ヒギンズはアイルランド系で大酒飲みだった。
 1920年代から30年代にかけ、ヒギンズはメキシコ湾岸(ルイジアナ低湿地)の石油掘削業者のために舟艇で物資を届ける零細事業主だった。その商売上の必要から、2フィート未満の吃水の物資搬送艇をいくつも自作していた。
 平底。舳先の落とし倒し扉は、当初から備わっていた。エンジンは強力でなくてはならなかった。動力系は、水中植物がまきつかず、泥や砂をもろともせず、後進も自在なものでなくてはならなかった。
 WWIIが近づくと、ヒギンズは商機を嗅ぎ取った。1939年に比島で伐採されたすべてのマホガニーを彼は私費で買占め、それをじぶんの造船所にストックした。
 政府からの最初の発注はPTボートだった。これには主材としてマホガニーが必要だった。
 真珠湾の直後、彼は米海軍に、自分の設計した舟艇は「突撃艇」にできる、として文書で提案した。米海軍省は、自組織の艦政局が考えたものではないという理由から部外者のヒギンズの提案は採り上げなかった。
 海軍は老舗の造船所に上陸用舟艇を製造させている。しかしそれは欠陥品であることが初期太平洋で証明される。船底断面がV形では、すぐにリーフにひっかかり、海兵隊員たちははるか沖合いから泳いで敵前上陸しなくてはならないのだ。
 ヒギンズは連邦議員に熱心に働きかけ続け、とうとう大統領の注意を惹くことに成功した。1942年である。
 ※FDRは三選を狙っていたから南部の政治家たちを無視できない。
 ヒギンズは複数の試作品、LCA(ランディング・クラフト、アソールト)としてのヒギンズ・ボートを海兵隊の前ですでにデモンストレーションしていた。それについて絶賛した海兵隊指揮官の手紙が、ヒギンズのプレゼンには添えられていて、ついにFDRをも動かしたのだ。
 ※FDRの長男がマキン挺進作戦に従軍していることも少しは関係あるのだろう。そのときは潜水艦とゴムボートだったが。
 FDRは海軍に、ヒギンズと契約せよと命じた。
 最初の量産型ヒギンズ艇はガダルカナルで有用性を立証。海兵隊のヴァンデグリフトも海軍のニミッツも太鼓判を押したので、ヒギンズはさらなる大量発注を米海軍から受けた。
 ヒギンズはミシシッピ・デルタ地区で工場を大拡張させた。
 そのさい、南部の文化とはそぐわない、厳密な掟も創っている。
 まず、白人工員と黒人工員を同じ製造ラインで協働させ、決して分離を許さなかった。
 給与は米国平均より高くし、遠くから優秀な工員が集るようにした。
 男女工員の賃金格差はなかった。しかし労働者が示した能力のみを基準に昇進させた。
 工場内には育児所までも完備させ、子持ちの労働者が仕事に集中できるようにした。もちろん、黒人も分けない。工場内診療所も同様であった。
 ルイジアナの大湿地帯に彼は18ヶ月で8つの工場を新設している。
 大型のLCT(ランディング・クラフト、タンク)から小型の平底艇まで、そこから送り出された。
 1943末までにヒギンズのデザインが、世界各地の沿岸戦場でのスタンダードになった。
 アイゼンハワーは、これらの兵器のおかげで連合軍は戦争に勝てたとして戦後に例示したものの一つに「ヒギンズ氏のボート」を含めた。
 ヒギンズ艇は基本的に木製だが、舳先の起倒式ランプドアだけは、金属板であった。
 そのランプは航走時に閉じた状態では舷側高よりさらに1フィート高くなっており、その部分にはスリットがあって、兵員が岸方を見ることができた。
 ランプは倒して斜板にしたときに車両のタイヤ等が滑らないように表面に畝があった。