マカオのオカマ

  Michael J. Hennelly 記者による2018-2-8記事「Fire One, Fire Ten: Implications of the Torpedo Scandal of World War II」。
         1943-7-23に独航していたタンカー『図南丸』を狙った米潜『ティノサ』(SS-283)。
 魚雷15本を発射。12本が命中。ただし爆発したのは1本のみ。
 タンカーは沈まずに逃げ、若いティノサ艦長はパールに戻って潜水隊司令部に怒鳴り込んだ。
 「マーク14」魚雷には3つの欠陥があったのだ。
 しかし本国の兵器本部は、問題は欠陥魚雷にはなく、艦長や水兵の無能にあるのだと主張。
 米海軍艦艇のうちたった2%だけが潜水艦だった。しかし太平洋戦域では日本の艦船の半分以上をその2%の潜水艦が沈めたのだ。
 「マーク14」には、深度調定器、磁気爆発尖、触接爆発尖が備わっていた。そのすべてが欠陥品だった。
 対日開戦するまで誰もその欠陥たる事実を認識していなかった。
 WWII前の世界は大恐慌時代である。そんな超デフレ時代に、「マーク14」は1本1万ドル以上もした。当時、新車の値段が700ドルである。
 必然的に兵器局は、魚雷の試験を非消耗的な流儀とさせた。同じ練習魚雷を何回も利用するのだ。
 潜水艦長は実用魚雷による発射訓練は一度もさせてもらえなかった。
 真珠湾攻撃から5時間以内に、米海軍作戦部長は「無制限潜水艦戦」を発令した。日本の商船も容赦なく沈めろというもの。
 じつは米海軍は戦間期、潜水艦隊によって日本列島をブロケイドするという想定は研究したことがなかった。
 水上艦隊の前衛哨戒をさせることばかりを考えていた。
 開戦してみてわかったこと。平時に勤務評定の高評価な艦長が戦時に有能とは限っていないこと。そこで最初の1年のうちに3割の潜水艦長たちが無能の故をもって交替させられた。
 1942の1年間で米潜は100隻以上の日本商船を沈めたが、魚雷の欠陥もあきらかになった。
 1942の夏に太平洋艦隊では、本国の兵器本部の異議を無視して独自に魚雷の徹底試験を開始。1943には、件の三箇所が欠陥なのであることをつきとめ、独自にそこに修正を施した。
 1943-9-30に出撃した米潜『バーブ』は、改善された触接爆発尖をマーク14に取り付けていた。これ以降、米潜の撃沈成績はうなぎのぼり。
 教訓。潜水艦用の魚雷の欠陥修正については、米海軍の中央集権機構は役に立たなかった。
 WWIIでは、米国には三艦隊があった。大西洋艦隊、太平洋艦隊、南西大西洋艦隊である。それぞれが司令部を有す。
 潜水隊司令部はその三艦隊司令部に分属し、最高位の潜水艦指揮官はワシントンには所在しなかった。これが潜水艦に関する諸改革を遅らせた。三つの潜水艦隊相互の情報共有もできなかった。
 次。
  Hans Ruhle 記者による2018-2-8記事「The New U.S. Nuclear Posture Review: Return to Realism」。
      もし米本土の原発にサイバーテロをやられたら、その報復として核攻撃することもあり得る。これがこんどのNPR。
 フランス政府もすでに、国家が後援するテロ攻撃を受けたときには核で反撃することもあると宣言をしている。
 なぜB-61を近代化(ダイヤルで低威力化したり地中貫徹もできるようにしたり)すると核戦争が起き易くなるという者がいるのか。航空機から投下する爆弾であるB-61は開戦奇襲に使えるようなシロモノではない。
 大規模なテロ攻撃等に対して、巨大水爆ミサイルと通常兵器の間にもうひとつかふたつの反撃や懲罰のオプションがありますよと平時から強調しておくことにより、敵は大規模なテロ攻撃や、周到に準備した通常兵力侵略戦争をしかけようとは思わなくなるのだ。