◎読書余論 2008-11-25配信 の前宣伝です。

▼新井白石著『折たく柴の木』村松明・校注、岩波文庫1999
 「大君」というのはシナでは王子の嫡子に授けられる称なのに、官学の腐儒一家が徳川将軍を大君と号させてしまったのだ。
 己が欲せざることを施す朝鮮人のやることは悉く無礼である(p.203)。
 幕府内の官僚どもが「それでは日朝の戦争が近い」などと騒ぎ出すが、白石はつっぱり、ついに、朝鮮側の文書の「光」の文字を変更させた。この騒ぎを大きくしたのはけっきょく朝鮮人ではなくて、白石を妬む日本人どもであった(p.204)。
 貞享・元禄の頃から、長崎の外国人を大事にしろという政府方針ができた。奉行所の下級役人が唐人から陵轢されんとし、刀を抜いて少し傷つけたことがあった。その役人はただちに追却(解雇)になった。こうして長崎では外国人はほしきままになり、オランダ船が密貿易や沿岸略奪を平気で働くようになった(pp.396-7)。
 営利誘拐されるような成人は、もちろん「下愚」なのである。犯人側は口達者である。だから頭の良い「お上」が捜査究明して救ってやらなかったなら、被害者は自力では何もできず、法廷でも埒が開かないのである。
▼防研史料 第二水雷戦隊司令部『特型駆逐艦長必携』S10末
 原速より急停止 後進一杯 は、1分40秒かかる。その間に360m進む。
▼防研史料 『伊号第25潜水艦 北米西岸焼夷攻撃 並に 艦船攻撃に関する調査報告』(1947-3の調べ)
 こちらから発射した魚雷が距離300mで誘爆し、そのため艦の鋲が200本も緩んだ。
▼『仏軍航空戦史』大14、陸軍航空本部ed. 恵藤第四郎・要訳
 トランプのエースを仏語でAS[アス]という。新聞がこれを、5機以上おとした者に用いはじめた。
 対空布板は、砲煙で見えなくなるので、ベンガル火(信号煙火)が多用された。
 5500mでは肉眼偵察は無理で、写真偵察が必要である。
▼神田伯竜『五郎正宗』M32、大川屋書店
 ※講談速記本。
▼『宝蔵院覚禅(片鎌槍の達人)』立川文明堂、M44
▼防研史料 『機関関係雑綴』S14年度、イ-52
 水中では、3ノットで70浬(23h)、最大8ノットで8浬(1h)。
▼防研史料 『潜水艦一般講義案』S19-12 by海軍水雷学校
 電池年令というものがある。4年半で容量は半減する。
▼『工兵』第152号/陸軍工兵学校 S19-10
 「100式火焔発射機」を89式戦車に対して実験したら、エンジンが酸欠で止まった。
▼中村彰彦『保科正之』中公新書#1227、1995刊
 江戸に大風が吹き、屋敷がつぶれるかと思われるようなときには、長持ちを2棹ならべて、その間に幼君を置く。
 なぜ保科正之は『名将言行録』に載っていないのか。またその続編『徳川名君名臣言行録』に田中三郎兵衛正玄がないのはなぜか。
▼マイケル・ハワード著、奥村房夫・他tr.『戦争と知識人』1982、原1978
 カントの見解は短い文章では公平に扱えない。彼は、自然状態は戦争状態であり、平和状態は意識的に樹立されなければならない、とした。他方、戦争それ自体が長期的には平和状態の確立という目的に役立つとも信じていた。なぜなら、人々が諸国家による連盟を支持するようになるから。
 コブデンは死ぬまで、ポーランドでの不正は英国が傍観していても神の摂理で正されると信じていた。しかし、自由放任主義は、経済においてだけでなく、政治外交でも支持を失う。ミルは1874に、人民が専制と戦っているとき、その弾圧主体の政府が外国の武力で援助されているのならば、英国は人民の側に立って武力介入してもいいと述べた。
 野党指導者となっていたグラッドストンははっきりと、イギリス国民は東欧の従属民族に対して人類兄弟愛から生じる道徳的責任を有すると述べた。1877、彼はブルガリアに対するトルコの暴虐を公然と非難した。そして武力も用いたブルガリア救済を訴えた。彼は1854にはオスマン帝国防衛のためにロシアと戦争した内閣の閣僚だったのだが。
 英艦隊がアレキサンドリアを砲撃し、エジプトを占領した。1882、グラドストンは説明した。いわく。エジプトの平和と秩序のため、文明ヨーロッパ諸国の協力を求めるべきだが、それが得られないときは、その任務は英国一国だけによって行なわれよう、と。ジョン・ブライトが抗議すると、グラドストンは答えた。アラブの暴力に対して武力が用いられる場合、それが文明世界を代表するヨーロッパ諸国によって認可される武力であるように、最大の努力をした、と。ブライトは満足せず、内閣を辞任した。
 コブデンの平和的国際主義は、尚武の倫理の復活の前にも影が薄くなった。すなわち、英国ではパブリック・スクールが設立されて、中流階級の子弟に規律と愛国の美徳を教え込んだのだ。
 フィリップ・ノエル・ベイカーらに対する1937時点でのキングズリー・マーティン(急進主義者)の疑問。平和主義者は侵略に対して戦う意思があるかどうかという問題をなぜ注意深く回避するのか。
▼色川大吉『明治精神史』上・下 講談社学術文庫1976、原S43
 小楠ら実学党の命題:「明尭舜孔子之道。尽西洋器械之術。何止富国、何止強兵、布大義於四海而已。」
 蘇峰の「将来之日本」は、小楠の世界平和思想と、スペンサーの進化説、ミルの功利説、コブデン&ブライトのマンチェスター派の非干渉主義ならびに自由放任主義を混ぜている。
 M18頃、川口村には天然理心流の免許皆伝をうけた、近藤勇と同門の楠重次郎正重の道場があった。
 秋山国三郎は選挙運動用に大量の仕込み杖を造らせていた。
 M20の『三酔人経綸問答』で豪傑君は反論する。英仏独露がアジアにたくさんの軍隊と艦隊を送り込んでくるのに、自由平等だとか四海兄弟だとか言うのは学士にありがちな愚の至り。「愚に非ざれば狂」だと。そして豪傑君いわく、今ならまだ間に合うから、アジアのある大国を侵伐して、その三分の一を割きとり、わが国を大国(強兵富国)とする以外に、欧米帝国主義に対抗する道はない、と。
 明治10年前後に米価が高騰した。これが地方の豪農層に自信を持たせた。
 M17~19に全国で抵当流れとなった土地は全耕地の八分の一にのぼり、没落した農民は数十万人。
 M19~22が、企業熱勃興の時代。これを背景に蘇峰は、カントリー・ジェントルメンが日本に現れると早合点した。
 だがM25-11に蘇峰は、日本の中等階級は堕落していると結論した。
 福沢はM24年に、中等種族は、いまの殖産社会に身を立て家を起こすのは極めて難しいと判断。
▼久保尚之『満州の誕生 ――日米摩擦のはじまり』平成8年刊
 ハリマンは1906と1908にも日本政府に満鉄買収を打診している。あきらめていなかったのだ。ところが1906秋から米国に恐慌のきざし。1907-3にNY株市場で大暴落。
 手元流動性選好のためハリマンは満州中央銀行への出資を見送った。つまり資本参加しようと思えばできたのだ。
 ウラジオに日本人娼婦があらわれたのは明治16年。明治30年までに、バイカル以東の全域に進出した。
 M24、サンフランシスコでは日本の女といえばほとんど売女のこと。M23-6時点で80人いた。
▼和田秀穂『海軍航空史話』S19
 ファルマン大型で青島を空襲に行ったとき、海軍機が日本機として初めて日の丸を描いた。
▼アントニー・フォッカー『わが征空記』白木茂&山本実tr.、文林堂双魚房pub.
▼秋山紋次郎『陸軍航空概史』航空自衛隊S39pub.
 陸軍は、満ソ国境の近距離目標を設想していたので、爆弾搭載量を多くするより、むしろ出撃回数を増やしたほうが、衆敵に対処できると考えていた。
 4式戦は空戦中、プロペラピッチを変えねばならないのが不都合だった。計器の操作は面倒すぎた。
▼佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』2008-9
▼『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』太田出版2002
▼佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』2008-5
    ◆ ◆ ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘録によって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 普通の人にとって、あまりに多い過去の情報ストックの中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 東京都内の大きな図書館や、軍事系の充実した専門図書館に、毎日通えない人にも、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ふだんはミリタリーの専門の本しか読まぬという方に、他ジャンルの一般書籍等の中に埋もれていた軍事情報をピックアップしてご案内します。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は200円です。
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縁日商人炎熱ひより

 ときたま、「新しい歴史教科書をつくる会」発行の『【ふみ】』という隔月誌を頂戴します。最新の「11月号」(通巻71号)をいただいたので拝見したところ、なんと元谷外志雄氏が「リレー随想」という連載の第50回を寄稿しているのを確認しました。
 「リレー随想」は、毎回違う人が寄稿するページなのでしょうか?
 それとも、元谷氏が第1回からずっと連載しているのでしょうか?
 隔月刊行ですから、50回をさかのぼりますと、ざっと8年ちょっとくらいも前だ。
 いまから8年前といえば西暦2000年ですか。
 ネット検索してみると、元谷氏が「小松基地金沢友の会」の発会式を行なったのが平成11年10月7日。これは西暦1999年ですよね。
 (「航空自衛隊小松基地が誕生して以来30年」に、「発足する運びとなりました」……という発足時の元谷会長のあいさつがアパグループのHP上で読めたのですけれども、兵頭の手元にあります豪華写真集『JASDF TODAY 航空自衛隊●半世紀』の289頁によりますと、小松基地は、1957年2月に「小松派遣隊」が設置され、1959年6月に「小松分屯基地」が設置され、1961年に「小松基地」が発足し、同年5月に千歳および浜松から一部部隊が引っ越してきて、同年7月に第6航空団が編成された、とあります。1961に30を足すと1991になるような気がするのですが、……あるいは兵頭の筆算が間違っているのかもしれません。)
 おそらくわたしがかつて頂戴したことのある『【ふみ】』には、常にか稀にか、元谷氏の寄稿が載っていたのかもしれません。されども失礼乍ら、これまで元谷さんというライターがいたことは小生の意識にはまったく刻まれなかった。(わたしがマンションを買うような男であったなら、歴史教科書問題とは別な件で注目する機会もこれまでにあったかもしれないのですが……。)
 しかし、今回の騒ぎは、すくなくとも兵頭の脳内に関しては、元谷氏を一挙に有名人にしました。
 今回、元谷氏寄稿の「リレー随想 50」のタイトルは「先の大戦を総括し、戦争の歴史を再構築せよ」となっています。わたしは一見、〈田母神論文の1ページ要約〉なのかと錯覚をしてしまいました。
 元谷氏と田母神氏が西暦2000年以降、「二人三脚」状態なことは、もうあきらかじゃないでしょうか。おそらく「ポン友」だったんでしょう。それは、このお二人に限っては、多幸な奇遇だったと思いますよ。
 基地司令として、ここまでサポートをやってくれる地元の大金持ちのパトロン、それも、世代も価値観も近似した人がつくなんてことは、滅多にないでしょう。
 元谷氏も、田母神氏はプッシュし甲斐のある制服軍人だと惚れ込んだんでしょう。
 天の引き合わせだと、互いに思ったでしょう。
 とするなら、元谷氏の次の責務は、いかにして田母神さんを政治家として育てるか、ではないでしょうか。国会は無理でも地方議会に送り込むのは楽勝ではないですか。来週の参議院軍事外交委員会が、議会デビューの下馴らしですよ。
 拝察しますに、元谷氏も国政の場で「なんでもコミンテルン悪玉史観」もしくは「ナベショー史観」を喋りたくてたまらないのではないでしょうか? このさい一緒にお呼びして、マンションの話などもイレギュラーに織り交ぜていただきながら、思う存分開陳してもらった上で、国会議員諸氏が、なにが正であり、何が邪であるのか、指摘できるだけの素養を持っているのかどうかを、満天下に示してもらうというのはどうでしょうか。この二人が「同志」であることはもう確かなのだから、そうすべきなのは自然ですよね?


つか・みどり

 指先で押すとスムースに半回転する、旧式のクレセント錠がサッシ窓についている皆様へ。
 近年のドロボーは、このような旧式錠前を、窓を破壊せずに外部から簡単に開錠する技法を有しているだ――という結論に兵頭は達しました。(ストッパー・ボタンも、スムースに上下するものは、敵にとってほとんど無意味であろうと思われます。)
 緊急対策として、クレセントの受け金具をペンチで締め付け、嵌合状態での圧着摩擦抵抗を実用限度のギリギリに最大化すること、ストッパー・ボタンを強靭なテープで固縛すること……、などが考えられるでしょう。
 また、貼り付け式等の補助錠(予備錠)が有意義でしょう。特に、一回侵入されている窓では、上下2個の装着が必要でしょう。敵は必ず前回の成功を念頭していますから、その窓に関しては、「やりすぎ」な位の対策をとるべきです。
 アラームも、二段構え、三段構えで配備しましょう。(今回は、これが侵入を防いだと思われます。)
 網戸などは、接着剤で動かないようにすると良いかもしれません。
 長期的には、(特に借家ではなく自宅の方の場合、)窓そのものを最新型に取り替えるのが良いのでしょう。


 たとえば青系の上下のサッパリした作業服、無帽、無眼鏡、黒髪、中肉中背の東洋人男性がモニターに不審人物の一人として映じていた—という夢を見た。


美原地区の皆様へ

 7月にウチに入った泥棒が、また近くを物色して歩いている気配あり。(前に侵入された窓がいつの間にか開いていた。ウチの面倒臭がりの馬鹿女房が予備錠と警報装置を解除していた。)
 敵は旧タイプのクレセント錠を外から簡単にはずす熟練の技倆を持っているらしい。そしておそらく、冬季の厳重戸締りシーズン入りを前に、本年最後の稼ぎを狙っている可能性があるでしょう。くれぐれもお気を付け下さい。
 以下、あんまり興味のない余談。
 アパグループの元谷外志雄氏は、ネットで検索すると小松市の出身で、「小松基地金沢友の会」の会長でもあるらしい。
 そして同氏が実質主宰する雑誌『アップルタウン』の平成11年4月号では、当時小松基地司令であった田母神俊雄・空将補との対談を載せているようだ。
 要するに両者は古くから懇意の関係だ。
 元谷氏の発言のいくつかがネットでヒットしたが、田母神氏のトホホな論説の数倍、人の耳を傾けさせる内容だと思った。この人がサンケイ系人士から支持されてきたのには理由があるだろう。この点では疑問はなくなった。なお、兵頭は過去一回も接触をうけたこと無し。
 田母神氏が第6航空団司令として小松に赴任していたのは、「おき軍事」さんのメルマガによれば平成10年7月からで、平成11年12月に航空幕僚監部装備部長に栄転した。
 田母神氏は、元谷氏の意気や好意に感応したのだろう。
 余計な心配かもしれないが、田母神氏は、再就職先は決まっていたのだろうか? 今回のメディア露出で、国会議員等の目も出てきたかもしれない。閣下ご本人もそれを意識なさっているのではないか。
 ところで、〈同じ会社が同一人物にダブルで懸賞品を進呈することはできない〉とかいう公正取引法(?)の規則があったような気がするのだが、今回の「公募」はそうした「公正」の道徳には抵触しないのであろうか。また、『公募ガイド』には掲載していなかったようだと聞いたが、だとしたら、その理由は何だろうか。これだけが疑問として残った。
 元谷氏は、あの耐震偽装スキャンダルとさえ関わっていなければ、これから5年の不況を利用して、和製「コンラッド・ヒルトン」になれるチャンスがあるように思う。
 ニューメキシコ出身でテキサスで売り出したコンラッドが、サンフランシスコ、シカゴ、そしてニューヨークで有名ホテルを次々と買収・改装して全米ホテル・ネットを構築したのも、1929年のクラッシュから復活する5~6年間に於いてであった。
 コンラッドにも学は無かった。しかし人を感動させる演説を、たくさん残している。彼には母親譲りの篤い信仰心があった。ほとんど毎日、祈っていた。
 欧州の王族が渡米のさいの定宿にしていたニューヨークのWaldorf-Astoriaホテルをコンラッドがついに買収したとき、南西部出身の移民の息子がこの格式の高いホテル文化を継承できるわけがないとバッシングされもしたが、コンラッドはその資格があることを証明した。
 というわけで日本に足りないのはまともな「宗教」だと思うので今、そっち方面の著述に没頭しているところであります。井上哲次郎の日露戦争前の指向は正しかったのではないだろうか。


◎読書余論 2008-10-25配信分 コンテンツ前広告

▼ヴォルテール著、中川信tr.『カラス事件』冨山房百科文庫22、S53
 ※不寛容な宗教は聖典に遡って疑うべし、という近代初期の合理主義精神と人道的義憤が混交している好見本。
▼ルソー著、今野一雄tr.『エミール』岩波文庫、上中下、原“EMILE OU DE L’EDUCATION”,1762
 ※子育てをまじめに考える現代人の必読資料といわれていながら、なにしろ長すぎますので、読み通せた人は少ないでしょう。5分で要点吸収できるよう、抜き書きしました。
 もしそれを金のためにやるとすれば、たちまちその職業にふさわしくない人間となってしまう職業が二つある。軍人と教師だ。
 12ないし15歳までは、天才は別として、2つの国語は学べぬ。
 「ある国の人間はもはやほかの国の人間にはなれない」。
 統治者または国家が祖国への奉仕をきみに要請しているなら、すべてを捨て、あたえられる地位に就き、市民の名誉あるつとめを果たせ。そのつとめがやっかいなら、それをまぬがれる正当・確実な方法は、つとめをできるだけ公正に果たして、そのつとめが長いあいだ君にまかされることにならないようにすることだ。
▼今岡十一郎『欧州文明に於ける洪牙利の位置』S19?
▼青野義雄、金性烈ed.『朝鮮ノ墓地及墓地規則ノ研究』大12
▼岩瀬治兵衛ed.『昭和大典記念 自治業界発達誌』S3-6
 ※昭和元年に壮丁検査したときの統計データ。学歴分布が判明する。日本兵が米兵の何倍も死んでいるのは、単純に頭が悪いからだったと理解できよう。
▼(社)ジャパン・ツーリスト・ビューローed.『旅程と費用概算』S5
 上野~青森は16時間強かかった。
▼マックス・ウェーバー著、深沢宏tr.『ヒンドゥー教と仏教』2002、原1921
▼三浦周行『明治維新と現代支那』S6-12
 S6-4に北平朝陽大学で講演し、ペリーの白旗二旒プレゼントの話をした。
▼土屋元作『内外交際心得』M32-11
 たしかに西洋人は貪欲だが、代りに、懶惰放逸、年中人の懐をアテにする若者はいない。
 この当時、米国では、平生の食事に絶対にアルコールは出てこない。晩すらも!
▼檜山鋭『頭脳明快 記憶力増進法』M45-4
▼河合榮治郎『自由主義の擁護』S21-10
 自然権とか、最大多数の最大幸福の名において追求されてきたものとは、個人の人格権の確立および自我実現である。
 英フェビアン社会主義こそ最良である。経済的な自由主義はダメだ。
 南阿戦争は、危険なリベラル・イムペリアリストが起こした。WWI指導者も同類。
 英ではここから自由党→労働党の雪崩が起きた。
 国のために死んでもいいと判断するのもしょせん個人。やはり人格の成長が結論するところ。
 「平等とは決して同視することと同じではない」
 自由主義が戦争に反対するのは、それが人格成長の目的に反するから。が、他国の支配の下では人格はのびないから、独立戦争はOKである。
 ゲーテいわく、自由と平等とを併せ与へんとするものは夢想家か山師かである、と。
▼防研史料 応用地雷設置の参考』S20-6
 ※日本版のブービートラップ集。
▼防研史料 『爆薬戦闘の参考』S20-3
 ※日本軍も本土決戦用に路側爆弾を研究している。貴重な陸軍用砲弾データを抜き書き。
▼東方籌『非常食糧の研究』S17-9
 難民小屋をどう維持するか。
 マタタビは人間も食べられる。
 藁は、根元地面から4~5寸の部分に、コメと同じ性分の澱粉を多分に含む。
▼牧野英一『非常時立法考』S18-4
 営団とは何か。重役を国家が選任する株式会社である。株主には配当をもらう権利だけがある。ただし肝心の配当率は制限されるのだ。
▼武藤当次郎『北支戦線陣中手記』S12-10
 シナ人は巧弁者である。
 か弱しと視れば、嬲り殺しにして楽しむ。
▼菊池寛『航空対談』S19、文藝春秋社pub.
 戦闘機は敵の前線の向こうへ深く入るものではないというのがWWIの判決だ。※日本陸軍航空隊がまったく仏式発想であることの貴重な証言。
▼原田慶吉『ローマ法の原理』S25
 国家の保障は武力及び法力である。
 キケロが軍事についていわく。我々の祖先は、勇気によっても遥かに強くなったが、それにもまして、訓練においても強くなった、と。
▼ヘンリー・サムナー・メイン著、安西文夫tr.『古代法』S23、原1861
▼吉野悟『ローマ法とその社会』1976
 自己の法を定めてこれを適用することのできない者は、それ故、他人の意見に従わざるを得ない。
 外人にだけ二重の市民権を与えたのは、ローマの支配者が決して道徳的でなかったけれども、確かに政治的であったことを示す。
 「財産を最も多く所有する貴族が、戦闘においても最も先んじて能く戦う者であり、それ故に平時の投票においても決定する者である」
 「パクタ・スント・セルヴァンダ」=契約はまもられなければならない。
▼長谷川春子『北支蒙疆戦線』S14-5
 山東の人間は他のシナ人と違い侠。津浦線は今でも襲撃され、奥地の村は、部落同士で襲い合う。日本軍が通ってもひっこんでいないで、見下すように見物している。
▼元機動砲兵第三聯隊第五中隊・野砲第三十三聯隊第一中隊『砲煙』1988
 討伐のため営門を出るときは、部隊に一ツ星(二等兵)が混ざっているとスパイの報告でナメられ、嵩にかかって攻められることになるため、2つ星(一等兵)に臨時に付け替える。
 アメーバ赤痢にビールが効くことがある。
▼「蛇と鳩」『丹羽文雄文学全集 第24巻』1975
 ※終戦直後、新興宗教で儲けようとした男の話。小説としてはつまらないが、取材した裏面の記述が面白い。
 築地の河岸をへだてて、もとの海軍病院がある。いまは占領軍が使っている。S21のこと、宴会から抜け出してその病院をながめていたら、米兵の患者が窓から空き瓶やコップを投げつけてきた。敗戦国人が宴会を開いているのが癇にさわったのだ。
 新興宗教の教祖には、マッサージ師や指圧療法士の出が多い。やってることは同じでも、宗教法人にすれば、脱税できるから。
 ヘロインなどの「麻薬を持ち込むのは、主に中国人らしいが、一種の中核自衛隊ができ上っているという」「卸までは、主に中国人」「港にはいってから、患者の手にはいるまでの時間が、短い。それほどこの組織は優秀だ。早く現金化することだ。たとえ少しでも持っていると、処罰されてしまうからね」
▼チャーリー・ベックウィズ、ドナルド・ノックス『対テロ特殊部隊を作った男』佐藤、草野tr. 原1983“DELTA FORCE”
 SASいわく、体は洗うな。髭を剃るな。虫刺されの可能性がそれだけ減るから。
 銃には負い紐をつけるな。肩から手に持ち直す間にやられてしまう。
 着衣で100m泳ぐには、犬掻きしかない。
▼ジェトロpub.『アフガニスタンの現況』S30
▼防研史料 『各種迫撃砲関係資料綴』
 97式iH(81.4ミリ)は、信管は100式2働(迫)である。
▼防研史料 『九七式曲射歩兵砲射表』
▼防研史料 『九七式曲射歩兵砲取扱法案』
▼防研史料 『九七式曲射歩兵砲取扱法』S16-7
▼防研史料『九七式曲射歩兵法 試製曲射大隊砲 説明書』S14-8
▼日本工業協会ed.『戦争と労働』S14-4
▼佐藤庄太『大統領マッキンレー』M34-10
 マッキンレーのハワイ併合はモンロー主義の変更であった。
 さらに、ニカラガ運河をつくって専有しようと図っていたところで殺される。
 次がテディ・ローズヴェルト。彼は大卒後、渡欧し、ハンニバルとナポレオンの戦跡ばかり廻って帰って来た。
▼川上徹『非常時、何を食べるか』1983
 S19の「決戦食生活工夫集」の紹介。
▼水野映男『ミサイルの話』S35
 著者は元海軍技術大尉。
 エリコン-56 および エリコンRSE(SAM)の話。
▼服部兵次郎『戦跡を顧みて 第一巻』S9-12
 旭川の混成第14旅団長による満州回顧。
 鮮農は一般に性格が満州人のように朗らかでない。
 不逞鮮人は学力がある。その排日の執拗さはシナ人以上。
 満州(西豊県)の回々教徒には日本贔屓がいる。
▼服部兵次郎『戦跡を顧みて 第二巻』S9-12
▼服部兵次郎『戦跡を顧みて 第三巻』S9-12
▼防研史料 呉海軍工廠砲熕部『艦砲射撃と砲術』S15-7
 ※水中弾の発見者は米海軍であり、1920から公知であることが窺われる。
◆ ◆ ◆
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15日の座談会、どうもお疲れ様でした。

 魚来亭の皆様、近江幸雄様、長川清悦様、片桐保昭様、川崎裕幸様、島根日日新聞の菊池幸介様、石原倫理様、函館新聞社の山崎純一様、その他札幌のスタッフの方等、どうもありがとうございました。思いがけず勉強になりました。
 来年1月の『日本主義』通巻vol.5号の仕上がりも楽しみです。


おしらせ

 季刊『日本主義』の凾館収録座談会の参加申し込みは締め切られました。
 ありがとうございました。


バンカラ・バンカーのブンカといふもの

 徳富蘇峰は明治18~20年に『新日本之青年』を書き、〈西洋人は青年からしてもう日本人にはありえない自活・自営の精神がある。しかし彼らの人生は決してカネ儲けだけで終始しているのじゃない。その脳内、たとえば宗教的・人道的な精神生活も、俺たちは学ばなきゃだめなんだよ〉、と強調していました。〔※国会図書館のOPAC検索のついでにその全文をPDF式に読むことができます。便利になったもんですね。古本で買えば9000円もするそうです。〕
 ところがさすがの博識の蘇峰大先生もツイ軽視してしまったと思われることがあります。それは、彼ら西洋青年の独立活計は、全面的に熱血青年流のスタイルで保たれているわけではない、という、当たり前の一面です。
 ちゃんと上司や商売相手のお髭のチリを払う作法というものが磨かれ、近代社会人として鍛錬されているのです。単独のビジネスでできることなど高が知れています。大きく稼ぐためには、たくさんの人を動かさなくてはならない。あるいは人に動いてもらわなくてはならない。そのために必要な、青年の熱血をとっくに通過した、温血的な大人の任侠道が出来ていました。
 このたびのノーベル賞授賞四連発は、ヨーロッパの金融財務指導部が、日本人の髭のチリを払った所作と考えて良いのではないでしょうか。
 これから「円」の支援が必要なので、ひとつヨロシク――と、彼ららしいクールな仁義を切っているのでしょう。
 また、〈どうです、これからはアメリカ抜き、『欧・日』で世界を仕切りませんか〉とも水を向けている。
 味なマネですよ。
 これを韓国指導部と比べてみると面白い。前回のIMF危機のとき、彼らは日本政府に大金を醵出させておいた上で何をしたか。思い出すのも馬鹿々々しいですね。大人の仁義が皆無なわけです。
 円も秋空並に高まりそうだし、江藤淳先生に今の有様を見せてやりたいです。


ケニー爺

謹告。
 『属国の防衛革命』の198頁で、三四三空を描いた東宝映画を「太平洋の嵐」と書きましたが、それは「太平洋の翼」の間違いだろうという指摘を頂戴いたしました。信頼している方からのご教示なので、確認してないですけどたぶん小生の間違いであります。
 どうも申し訳ないです。2版で訂正できるように頑張ります。