御礼・米田富彦さま

 『軍事情報』さまから、ご連絡を頂戴しました。
 このたびは「軍事図書情報の総合環境改善について(提案)」をお寄せくださり、洵に嬉しう存じました。
 さらに、より多くの皆様から、わたしなどが思いもつかぬような多種の制度提案が寄せられますことを、強く期待いたしております。
 多品種少量商品である書籍を、再販価格制度がある日本国内で商おうとする場合の構造的な諸問題は、米田さまのおっしゃる通りです。新刊書店、古書店、ネット通販業者をはじめとし、関係する企業人は、人智を尽くして最適なシステムを構築しようと努めています。その成果が、「特別な理由がない限り、消費者は、読みたい本をネット通販で買う」という現況なのではないでしょうか?
 儲からないことが初めからわかっているような店舗形態を、経営者さんにリクエストするという考えは、小生には無いのであります。(すでにミリタリー・コーナーを充実させていらっしゃる新刊書店の棚の担当者さんには、いくらでも個人的にご協力するつもりですが……。)
 どういう新機軸があれば、経営者も儲かり(=棚の地積が不要で、在庫も不要で、万引きや汚損を心配しなくてよく、返本作業もなくなる)、消費者も便利で(=サーチ・コストが極小になる)、しかも貴重な軍事図書情報が万人によってフル活用されるようになるのか――を皆様とともに考えて参りたいのであります。
 ところで、古書店の中には、店頭販売は一切せず、「目録販売」だけにしているところが、昔からありますよね。
 インターネット時代の今、「目録」をオンライン化し、しかも、あたかも大規模(新刊/古)書店の店頭の専門分野コーナーで、手にとってブラウジング(原義は「頁をパラパラとめくってみる」)しているかのような感覚で、ビジュアルに品定めができる、その上で宅配/店頭渡しの注文ができる、――そんなシステムは可能であろうと想像します。
 このようなオンライン・サービスと「場の提供」をセットにして、ごく狭い店舗面積で、「時間と場所を売る」営利を成り立たせることは、可能かもしれませんね。
 ブレーン・ストーミングを呼びかけております小生と致しましては、何か、中央集権的な機構(図書館など)を立ち上げる、という発想も、ないのであります。
 もうそういう時代ではなくなっているという認識です。広く分散的に貴重な情報を保存し、世界のどこからでも必要な情報にアクセスできるようなシステムが、できるはずです。
 インターネット上にこそ、資料庫/レファレンス・ルームを構築できる、とわたしは思っています。その実験として、すでにわたくしは「読書余論」という有料メルマガを作成しています。
 新刊と古書をあわせると数十万冊になるであろう軍事関係の図書。そのひとつひとつについて、めいめいが、「読んで役に立つのか」を手っ取り早く把握したいと思っていることでございましょう。
 また、多くの人は、1冊の資料を読破するために週末の2日間を費消したり、似たような情報の本を2冊読んでる暇などはないと思いますから、「この図書の、他の図書には無い価値とは何か。それは、どの辺に、どのように書いてあるか」をかいつまんで整理紹介してくれる係には、きっと需要があるでしょう。
 ただし――、「読んで面白いのか」だけは、いかなる紹介者にも断言はできますまい。読者によって、関心や感受性は、まるっきり異なるからです。たとえばわたしは、日本製の巨大ロボット・アニメのどこが面白いのか分かりません。また、ハリウッドの大ヒットSF映画よりも、フィリップ・K・ディックの小説の方が10倍面白いんじゃないかとも思います。でも、こうした価値観をわたしと共有しない人が、日本の安全保障に貢献しないとは言えません。そんなことは、誰にも予断できないことなのです。
 ですので、わたしの「読書余論」のような試みを、わたしとは違う視点からやってくれる人が、できるだけ多数、あらわれてくれることを、待ち望んでいるという次第であります。
 (「読書余論」を購読されていない方は、過去の「武道通信かわら版」バックナンバーの「今週の古本」か、もしくは、過去の「放送形式」の中の「摘録とコメント」を献策すれば、概ね、どんなスタイルなのかを把握できるかと存じます。)
 (なお、これは、有料にしませんと、作業の手間との関係で、到底、モチベーションが維持できません。ご理解ください。)
 ところでいったい、今日の日本人にとって、軍事図書とは「実用書」なのでしょうか、「趣味書」なのでしょうか?
 ざんねんながら、日本政府が、唯、米国に対してのみ、外交と安全保障の責任を負う「属国」((c)太田述正氏)である以上、日本では、実用書としての軍事図書の需要は、ほぼゼロ。
 それを読んでお利口になったところで、何の役にも立たない。実益が伴ってこない。メシが食えることにならぬわけです。
 たとえば、1998年に訳刊されたサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』の内容を覚えている人は、日本にはもうほとんどいないように思います。これほど「実用」的な本は無いであろうにもかかわらずです。
 邦訳479頁で、ハンチントン教授はこう主張していました。〈ロシアを、正教会文明圏の中核国家として、アメリカは認めよ。ロシアはその南側の国境線の安全について正当な利害関係をもつ。それをアメリカは認めよ。それがイスラムの世界的な暴力を抑制してくれるからアメリカは安全になる〉。
 プーチンは、ブッシュ(子)政権とその後継政権スタッフもこのハンチントン・ドクトリンを疾うから承認しているのだろう――と踏んで、グルジア方面へ強気の行動に出たのに違いありますまい。
 ハンチントンは、米国のベトナム戦争はなぜいけなかったかについて、〈シナとベトナムは同じ宗教で同じ文明だった。その同じ文明の中の揉め事に、異文明に属する異教徒として介入したのが、アメリカの大損につながったのだ。すなわちアメリカはインドシナをシナから救おうなどと考えるべきではなかったのだ。今後も、このベトナム戦争のような余計な介入を、アメリカは避けるべきである〉(邦訳 p.486)とも示唆しています。
 それでプーチンは、「ロシアとグルジアは同じ文明圏。だから異文明に属するアメリカは、同地域への本格介入には二の足を踏むに違いない」と見切った。
 他方、チェイニー氏は、「石油というアメリカにとっての最大の安保要素が関係している以上、文明圏の違いを乗り越えてでも介入するのがアメリカ政府の責務」と心得ているのでしょう。
 けれども、外交と安保を米国に丸投げしている日本に住んでいる限り、そんなことはどうでもいいでしょう? マック偽憲法の下、外交権と国防権がそもそも日本国には無いのだから、有権者がなにか良い国策を提案しても、マック偽憲法を否認することすらしたがらない属国政府が、それを検討するわけもないからです。
 もちろんまた、日本では、試験に合格して高級官僚になったり、あるいは選挙に当選して政治家になるということが、世界経営に参加するということを少しも意味しないですね。
 世界の心配はアメリカがすればいい。日本はアメリカに「お願い」することができるだけなのです。
 となったら、そんな方面の知識を身につけたって、日本人は誰も、得をしないと考えるのが当然です。カネや出世に関心の強いパワー・エリートほど、そう判断するでしょう。
 したがいまして、日本では、国防の話は「実用」ではなく「趣味」なのです。江戸時代の知識人サークルにおける「オランダ天文学」みたいなものですよ。
 しかし、「暦法」限定とはいえ、蘭学の素養がまるっきり無いと、幕末のような真の混乱期に突入したときに、あわてて西洋の技芸を真似することもできなくなるんです。リテラシー人材の供給源が、有事の際に、残っている必要があるのです。
 だから今、軍事を「趣味」と認識した上で、これをあくまで存続させ流行させ、リテラシーを有する人材のプールを継承させていくようわたしたちがサポートすることには、偉大な意義があります。
 さいごに一つ、また提案をします。
 旧漢字や旧かなを含む日本文の活字を数十万冊もPDF化したすべてのファイルの中から、十分な精度でキーワードを即座に探り当ててくれて、「○○という本の××頁にそのキーワードが載っています」と教えてくれるソフトを、誰か開発して公開してください。
 この「アクティヴ索引ソフト」があれば、数万冊の貴重な戦前の軍事文献(ただし活字で組んであるもの)をPDFで画像データ化して、インターネット上の会員制図書館にアップロードしたものを、誰もが効率的に利用できるようになります。
 この画像文字解析ソフトがないと、日本の研究者は「地獄めくり」(最初から1頁づつめくって探す)を強いられることになりますので、将来、ウェブ上のPDF図書館が構築されたとしたところで、活用率は抑制されてしまうでしょう。つまり、必要な情報を即座に確かめることができない。それでは戦争にも外交にもプロパガンダ工作にも、負けてしまうのです。
 日本の図書は、外国に比べて安価なのは結構なのですが、一般書ですとまず「索引」はついていません。(中には、学術研究書であるにもかかわらず、索引がついていない本すらある。)日本文は、斜め読み捜索が比較的に容易なため、それに甘えてきたわけです。
 しかし、新刊の発行点数が年に7万冊にもなった今、新刊でも、消費者が関心のあるキーワードのある無しを、買う前にオンラインの索引で確かめられるようになっていることが、望まれるはずです。


レノンに腕押し

 「なっちゃんReRa」がファースト・シーズンでいきなり航路廃止になると聞きました。
 言っちゃ悪いが、あのHPでは仕方無いなと思った。
 兎にかく、肝心な情報がちっとも取れないんだから。(これは函館の他の観光施設のHPも同様です。)
 たとえば、出航時刻の何分前(または何十分前)に埠頭のどこに車をつけたらいいのか? そういう、外来利用者にはいちばん心配になることが、HPのどこを探しても、書いてないわけです。(けっきょく、電話で訊ねるしかありませんでした。だったら、古い旅館みたいに、予約手続き一切が電話口で済むようにしてくれよ!)
 また、〈車1台に4人が乗って乗船する場合に割引になる〉という予約申し込み者特典が夏休み前まであったんですが、その4人の中に乳幼児が1人とか2人混ざっていても、普通に4人分にカウントしてくれるのかどうか、いくら見ても分からない。書いてないのです。(船内座席の申し込み画面で2歳児の年齢を入力すると、その名前の入力がはねられてしまう。つまり乳幼児は手荷物扱いになっているのです。とすれば割引の適用も……? と不安になるでしょう。)
 イチゲンで利用する客が何を不安に思うか、それについての想像力が一向に働いていないようでした。わたしが10年前に『ヤーボー丼』で指摘せねばならなかった、日本語でマニュアルを書く能力は、ここでは依然として、自省されていないように見えた。
 乗船予約のときに、車検証書に基づいて、自動車の3サイズだとか、面倒な入力をしなければならないのですけれども、そもそも3サイズに上限のある軽自動車に、そんなの必要? ナンバーの申告だけでじゅうぶんなはずだ。もし国交省の規制でそういうシキタリになっているのだとしたら、これも官製不況です。
 あたかもローカル鉄道の駅でも利用するような感覚で、通りすがりや思いつきでフラリと利用できるようになっていなかったら、既存のフェリー航路が新しい利用者を発掘することは至難だった。そんな予想が、3年前に船を建造しようというときに、できなかったようです。
 たとえば、デスクトップPCからの、面倒で時間のかかる入力(および、予約暗号の印刷出力!)を前提とするのではなく、あくまで電話からイージーに予約できるようにするべきだったでしょう。コンビニ等で料金を前納するまでは、その予約はフィックス/コンファームされないのですから、電話予約でも何の問題もありはしますまい。構造不況の業界の側で楽して儲けようとしたら、もう営業は失敗が約束されていたでしょう。
 ところで余談なんだがなぜ函館市の産業道路沿いにやたらに新しい巨大大型電器店が建つのだろう? 高松城攻めの一夜城のようにケーズデンキの新店舗が立ち上がってきたし、テックランドは規模が当初計画よりおとなしくなったみたいだとはいえ市内最大規模でしょ。過当競争が辛くない業界なんて、無いはずなんだが……。JRの五稜郭駅前も、巨大電器店が2店向かい合ってすごいことになっています……。もしかして銀行は、サブプライムの余波で、貸せるところが少なくなっちゃっていて、何らかの安全基準の判断の上に、電器の巨大小売店に対して集中豪雨式に貸し込むことに決めているのだろうか? だとしたら、これも将来の反動が怖いですね。
 確かに石油高でクルマが売れなくなっているらしいので、もう今後の消費は地デジ頼みの電器くらいしかないっ――と銀行でも見ているのかもしれません。地デジがコケれば、すぐにインターネットでテレビニュースを視る時代に変わるでしょうしね。
 そしてそれと前後して、「電気的に旅行する」時代になるでしょう。客が、旅行代理店で、従来のツアコンではなくて、「動画リポーター」を一人雇う。そのLIVEの動画を、客は、巨大液晶モニターで鑑賞するわけです。


◎「読書余論」 2008年8月25日配信 の内容予告

▼Douglad Christie著、矢内原忠雄tr.『奉天三十年』岩波新書1992、原題“Thirty Years in Moukden”, London, 1914.
 戦前のシナ人の宗教観、正義観、対外人観、対朝鮮観についての優れたリポートです。どう考えても原著者はスパイなのですが……。
 シナ人はあるきっかけでものすごく興奮し、3分の間に体温が4度(華氏)上がった男をみたことがある。怒りのあまり物が言えなくなる――とか書いてあります。
 日清戦争の平壌戦で明らかに22年式村田連発小銃が使われたと考えられる証言が出ています。回教徒の左宝貴はそれで死んだらしい。
 官製暴動は昔から御家芸であること。「外国人が井戸に毒を……」という風説も、そもそもシナ政府が流布させているのではないかという疑いも示唆されています。
▼長野朗『支那読本』S3-4
 著者はシナ学に関しては定評があります。
▼井東憲『支那の秘密』S14-7
 幕末の日本の街道ヤクザは、じつは明代のシナ・ヤクザの見習のようなものだと分かります。
▼小林宗一『支那の戎克[ジャンク]』S17-6
 シナ人は朝食を摂らぬ。コメは日本のコメとタイプが違うので、粥にされる。
▼小島昌太郎『支那最近大事年表』S17-5
 1840~1941までの年表。対外人テロや武器輸入を記載。
▼『歴史公論』第6巻第7号(S12年6月)
 支那事変が起きた1937年時点で、シナのあちこちに、まだ「投げ棄て葬」が残っていること。さらに、各種の残虐な刑罰も、昭和12年にも残っていたこと。たとえば「流行」という姦通罪に対応した刑では、女子は○○に○を○○され、その傍らに男子の生首をのせた戸板が、三峡間の江上に下される。銃殺は必ず跪坐姿勢であること。などなど。
▼萍[ひょう]葉登『支那侵略者英米財閥』S16-11
 ユダヤ系 Sassoon 財閥や、怡和(EWO)洋行=Jardine Matheson & Co., Ltd.について詳しい。ドイツのハンブルクの Carlowitz(礼和) & Co. は1846に上海進出した。
▼響堂新『飛行機に乗ってくる病原体』2001
 著者は元医師。
 ウィルス性出血熱が渡り鳥のダニについていると、水際阻止は不可能であること、などなど。クレゾールは細菌にのみ効くが、エタノール、ヨードはウィルスにも効くこと。
▼甲斐克則『海上交通犯罪の研究』2001
 S63-7-23の『なだしお』事故をふりかえった、わかりやすい総括。
▼加藤繁『支那学雑草』S19-11
 城郭の話が満載。
 長江マフィアの出発点は、旅人の護衛および財物護送を商売とした「標局」であることも。
▼東浦庄太郎ed.『西伯利戦時写真帖』上・下 大8-4(哈爾賓)北満州社pub.
 国会図書館が昭和13年に受け入れている激レアな写真集です。
▼黛治夫『海軍砲戦史談』
 筆者は、麻式機銃、3年式機銃、「一番型拳銃」、陸式拳銃(南部式)も教えられた。1916~1919のハナシ。※「一番型」とは海軍の呼称だったのかと分かるでしょう。
 砲身に敵弾が当たるとくの字になる。たとえば『吾妻』。竹輪をちぎったようなのは腔発。
 40サンチ91式徹甲弾には「毒ガスのスペース」がしつらえてあったこと。
 日本海海戦の敵前回頭には危険はなかった、と、既にこの本で書かれていたのです。
▼『帝国海軍機関史』復刻版
 幕末から昭和5年までをフォロー。
▼〔補遺〕『核兵器と外交政策』1958年訳版、原“Nuclear Weapons and Foreign Policy”by Henry A. Kissinger, 1957
 ※以前にUPした摘録は8章以下。今回のは7章以前の部分。以って〔補遺〕とす。
▼ペティ『政治算術』大内兵衛・松川七郎tr. イワブンS30-8、原1690
 訳者のあとがきによれば、労働が富の父である、と最初に言ったのがペティ(W.Petty, 1623~87)。また本書は、近代の経済統計学のオリジンの一つ。※時の英国の最大の課題は、急に力をつけてきたオランダとどう戦い、かつ、付き合うか。すなわち今の日本の立場と重なるでしょう。
▼トーマス・ペイン『コモン・センス 他三篇』小松春雄tr. イワブン1976、原1776-1
 コッカスパニエルの spaniel には、「追従者」という意味がある。※だから、ディズニーの『わんわん物語』の Lady のキャラにふさわしいのだ。どうして江藤淳氏はそんなブームに乗ってしまったのだろう?
▼(財)史料調査会ed.『太平洋戦争と富岡定俊』S46-12
 『陸奥』が沈んだブイ、あそこに『長門』があって、海軍省への直通電話があった。
 新造のDDとDEは、艦首を強化して対潜用衝角とした。これはWWIいらい英米がやっていることを、日本として初めて真似したのである。
 英士官は、全員が偵察の着眼をもっている。だから短時間の儀礼訪問でも、甲板厚、外板厚、鋲ピッチなどを目測して覚えて帰るのである。
▼宝文館pub.『郷土の地理 2』S35
 チベット問題が浮上する中、「日本のチベット」といわれた岩手県以北の昔の農業を偲びたい。ヒエ作について詳しい。
▼中島武『機械化の発展は土臺から』国防同志会pub. 初版S15、再販S16
 序文は陸軍技術本部部長の原乙未生少将。
▼加藤弁三郎『機械科学の驚異』偕成社 S16-5
 プラット&ホイットニー社の航空用ギア・グラインダーは、精度は「40,000分の1」インチ。約0.0006ミリ。
▼チェスター・ニミッツ&エルマー・B・ポッター『ニミッツの太平洋戦史』実松譲&冨永謙吾tr. 1992、原1960“The Great Sea War”
 MIに成功すればアリューシャンは失われるが、その逆は無意味だったのだから、日本は愚かだった(pp.66-7)。※はたしてそうだろうか?
▼防研史料『事変ノ教訓 第四号 砲兵訓練ノ部』S13-6
 F.O.で使えるのはペリ型の光学器材だけだ。それ以外は敵眼に対して暴露してしまって、やれたもんじゃない。
▼防研史料『戦法戦術等よりの教訓綴』
 日本軍の手榴弾は安全栓を抜くときに被帽も落ちてしまうことあり。そのついでに撃針も脱落し、不発となるものが多い。※だから沖縄で民間人の自決し損ないが多かったのです。
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が紹介し、他では読めないコメントを附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 東京都内の大きな図書館や、軍事系の充実した専門図書館に、毎日通うわけにはいかない人。しかし過去の軍事知識の cream をどうしても舐め取りたい……そんなシブい意欲のある貴男のために、「ここが特に珍しいポイントですぜ」とわたしが摘録したノートを作成しました。
 お忙しい貴男は、ご自分の時間を有効にご活用ください。1号200円で、スペシャルな知識のための時間を買ってください。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は200円です。
 バックナンバーも1号分が200円で、1号分のみでも講読ができます。
 2008年6月25日号以前のバックナンバーのコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net
 の「告知板」をスクロールすれば、確認ができます。
 ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
sugiyama@budotusin.net
 へどうぞ。
 以下は雑談です。
 いま、年間になんと7万点もの和書が、新しく出てくるそうですね。
 この内容を全部把握するなんて、どんな本好きな日本人にだって無理でしょう。ぜんぶに目を通すことすら、不可能だ。
 それなのに、分厚い新刊本の書評が、単行本の発売直後に月刊誌に載るなんて、もうインチキ以外にあり得ないと思いませんか? その通り。それは「良書」として書評者や編集者が7万点のなかからピックアップしたのではなくて、書籍の版元と結託した雑誌社サイドが、プロモーション活動そのものとして書評担当ライターに対して「これを書いてやって!」と指定をしているのです。
 もし良書を選別してからライターに書評原稿が発注されて、それが掲載されるとすれば、刊行から3ヶ月とか半年くらい後になるのが自然でしょう。しかし1ヶ月以上も経てば、書店側では売れない本を棚から撤去して返本作業にかかりますから、それじゃ版元の営業の間に合わぬわけです。
 わたしは、良著は、刊行されてから1年以上してからその真価が評定されると考えています。書店に出てから1年以内に印刷されている書評なんて、自分が書いたものを含めて、信用しません(w)。
 たとえば拙著『逆説・北朝鮮に学ぼう!』は、週刊『朝雲新聞』を除けばどこにも新刊紹介も書評もされていないと思いますが、1年、2年と経つほどに予言の的確性が知れ渡り、やがて古典の殿堂入りが果たせるかも知れないと思っています。


まめのまめちしき

 小さい子供がいる家庭だと、「常夜灯」が必要です。
 「常夜灯=豆電球」という定義は、そもそも無かったろうと疑うものですが、今日では、5ワットで「ダイダイ色」に光る白熱灯――いわゆる「ナツメ球」――が、イコール「常夜灯」と、照明器具業界では呼ばれているらしい。
 ところで、このナツメ球の明るさが、ひょっとして子供の深い眠りをさまたげているのではないかと思うことが、子育てをしていますと、ときどきあるわけです。
 吊り下げ式照明器具の近傍では、けっこうまぶしいかもしれない。
 それが瞼を透過して網膜と視神経を刺激し続けている蓋然性があります。
 ナツメ球は、5ワットとはいえ、発熱しています。それゆえ、たとえば黒いビニールテープで「ドット」を切り抜き、球の下端に貼り付けるといった、素人流の簡単な「遮光」は講じ難い。いろいろと、不便を感じている親御さんも多いのではないでしょうか。
 それでわたしは以前、「LEDを使って、ナツメ球よりもちょっと暗めの100V豆電球をメーカーはつくってくれないだろうか」とどこかで希望表明した覚えがあります。そのことはすっかり忘れていたんですが、この前、寿命が尽きたナツメ球を買い換えるため、ホームセンターの電気器具売り場に出掛けたら、あの(株)オーム電機さんが、消費電力 0.7Wで、「E12」型口金に嵌合する「常夜灯(黄)」を、390円ぐらいで売っていた!
 この単価は、白熱灯タイプの旧来型の常夜灯のほぼ4倍弱、といったところでしょうか。
 常夜灯はとにかく夜はつけっぱなしなので、旧来の白熱灯タイプのものは、1年ちょっとでもう寿命が来てしまいます(ウチの場合)。LEDならばフィラメントが燃え尽きることもないし、その4倍の寿命は軽くあるでしょう。
 また、消費電力0.7ワットというのは、メーカーの効能書きによれば、毎日8時間点灯しても、1年で¥50円也の電気代にも達しないという。
 なにより、発光ダイオード×3ヶだから発熱が無いに等しい。真下での直視を妨げるような遮光の措置も工夫しやすいだろうと直感しました。
 じっさいにとりつけてみましたら、明るさは、旧来の5ワット常夜灯よりも、やや暗めになっていると思しく、そのまんまでもOKでした。
 さて、豆知識の本題は、これからなんです。
 OHM電機では、この「3LED常夜灯」のラインナップとして、黄色ではない、白色のものも出していました。これが、イイ! 市販の最も明るいタイプのソーラーライトに匹敵する白色光線を、たしかに出してくれやがるのです。
 発熱が無く、電気代をほぼ無視できるということは、真夏でも、自宅を何日間か留守にしなければならないようなときに、この0.7Wの常夜灯を屋内の要所々々で昼夜を通じて点けっ放しにしておいていい――ということではないですか。
 つまり、夜分に窓や戸の隙間から光を漏らして「なかに人がいますよ」と演出してくれる防犯の灯火として、使い勝手がいい。(注意:リモコン式や人感センサー連動の照明器具には、LEDは使えないそうです。なぜそうなるのか、誰かわたしに分かりやすく説明してください。実験したところ、たしかに、「自動的には消えてくれない」という現象が起こるようでした。薄暗くなるだけなのです。初めから最後までつけっぱなしとするならば、問題はありません。)
 げんざい、防犯に関心のあるすべての人に、これをご紹介したいと思いました。


のっぺらぼうの十円玉

 「ネット・ゲリラ」さま。
 たびたび拙著をウェブサイト上でお取りあげ下さいまして、どうも有り難う存じます。御サイトは毎朝、愛読しております。いつも、目覚まし時計無しで朝の4時台に起きまして、回線をつなぎまして最初にPC画面に出てくるのが、ニュース更新の早い「東京新聞」のサイト。次にその日のローカル天気情報を確認したあと、「池田信夫」さんのブログを読んでスカッと眠気を覚まし、次に「泥酔」さんの日経の解説を読んで新聞を読んだつもりになり、次に御サイトに目を通すというパターンで、40分前後のあいだに、だんだんに血圧が仕事モードに突入していくわけであります。たいへんおもしろく拝読いたしております。
 以下、本日の余談(怪談)。69歳で死んだ親父(元・消防士)が、現役中、世にも珍しいコインを見せてくれたことがあった。10円玉と同じ材質・サイズなのだが、裏表ともに、のっぺらぼう。なにも刻印されてなくて、ツルツルだった。縁のギザギザ等もなかったと思う。エッジの角は、丸みを帯びるまでにとれていた。表面の錆びっぷりは、真に使い古された10円玉と同じ色合いであった。
 親父いわく、これは職務中、火事場の連絡で公衆電話を使わなければならないときのために、消防士が持たされている代用硬貨なのであるという。それならば、1人で何枚も所持しているのかといえば、なぜか、たった1枚だけであり、それも、財布に入れているようではなく、どこかの引き出しの中に忘れ去られたように放置されていたのだった。
 当時の10円玉は、使いでがあった。運輸会社の社員向けに設置されている自動販売機などをよく探しせば、350ミリリットル入りのファンタ・グレープを、50円かそこらで買うことができたような気がする。
 しかし、いったい、このような「一部の公務員に対して公的に支給された擬似10円玉」なるものは、本当に正式な制度として、かつて存在したのだろうか? あれから何十年もたった今頃、気になる。なにしろ、それ以後、わたしは他所では、一度として、そんな硬貨を見かけたこともなければ、話として聞いたこともないのだ。わたしの私的なミステリーである。


さすがに火薬の発明を強調はし辛いので、ひたすら花火でサジェストかい

 「バグダッド空襲」北京版は、こんな感じになるのか……と思って拝見しました。
 偶感。
 なぜ「北京原人」が登場してこないのか。さいしょから文明人だったと言いたいわけか。
 粘土板に文字を書くことを発明したのはメソポタミアの住民。シナ人は数千年遅れてその刺激を蒙った。
 粘土板に印章を捺すことを始めたのもメソポタミアの住民。ここから「活字」が発案されるのは時間の問題だろう。
 鄭和はインド洋を渡ってシナ沿岸に住み着いたアラブ系イスラム教徒の子孫ではないか。つまりインド洋と南支那海の航路は羅針盤の発明に先行してアラブ人によって冒険的に開拓されていたのだ。とすれば羅針盤を需要したのは誰だったのか?
 「軍事情報」さま。拙著をご紹介くださり、ありがとう存じます。
 またすばらしいご提案をしてくださいましたこと、併せて感謝いたしております。
 さっそく、新たに作画家さんや原作シナリオを募って、シリーズ展開を検討します。
 ※このプロジェクトに関しての原作シナリオの公募は、特別に間接的な方法を採用します。まず、各自のブログで、その原作シナリオを公開してください。「これは!」と思ったものに、わたしの方からコンタクトを取ります(ブログにこの件での連絡先を表示してくださるようにお願いします)。ちょくせつにわたしのところへ持ち込み/売り込みをしても相手にしませんのでご注意ください。
 劇画の原作の書き方が分からない人は、「読書余論」2008年6月25日配信の、『やっぱり有り得なかった南京大虐殺』の日本語オリジナル脚本を参考にしてください。
 どういうテーマでどんなテイストの作品を書いたら良いか分からぬ人は、最初からホワイト・プロパガンダ活動に不向きだと思いますので、どうぞお時間を無駄になされぬよう、お気をつけ下さい。


「ステルス住宅」高騰の予感!

 なぜかグーグルのストリートビューの日本版の最初の12都市の中に函館市が入っているというので、「手前のウチはあるか?」と捜索してみました。
 なんと、家から数十mのところにある生活道路まではバッチリ、フォローされています。そのある地点から90度横を見れば、ヒゲ道の数十m先のどんづまりのちょっと手前に、我が家の軒先のソーラーライトが1個見える……はずなんですが、写真の解像度が低いようで、それは確認することはできませんでした。
 でも、これはぜったいに普通乗用車の天井につけたカメラじゃないですね。視点が、人の身長よりはずっと高い。通常は覗けない高い塀ごしに、ひとんちの庭の様子が少し見えちゃってるんですから。いやこれは泥棒に下調べの情報を与えているようなもので、ますます次の本を書くときに、一章をまるまる「空き巣防犯対策」に充てる必要を痛感しました。
 だって普通は、用もないのに路地に立ち止まって、道路からちょっとばかりひっこんだところにある他人の家の窓などのディテールをしげしげと眺めたり、周辺情報を撮影したりは、しないですよね。「ストリートビュー」のおかげで、以後はそれが、誰にも怪しまれることもなく、こころゆくまで観察できるようになってしまったのですよ。えらい時代だ。
 そこで予測します!
 これからは「ストリート」に面した地所、「ストリート」から直視可能な住宅は、個人の住居としては「価値」は下がるでしょう。
 つまり、「個人情報」に続いて、「個人用住居情報」=家屋のプライバシーが、これからは高い価値を獲得するに違いない。
 個人庭園も、「表の庭」の時代は終りますね。地中海式邸宅のような「中庭」こそが最高の贅沢となるでしょう。それに次ぐのが「裏庭」か。
 「目隠し用」の背の高い植木も、需要が伸びるでしょうね。しかし、「目隠し板」などをめぐらしては、防犯と両立しませんから、けっきょく、「中庭」こそが新たな理想となるはずです。
 そしておそらく、江戸時代の武家屋敷街がそうであったように、玄関にも門にも「表札」は付かなくなる時代が、再びやって来るでしょう。
 少なくとも、ストリートビューの解像度の写真に写るような大きな文字では、家人の姓などは表示されなくなるのではありますまいか。
 逆に、店舗や事務所にとっては、ストリートビューの解像度の写真でハッキリと読めるような分かりやすい看板を、ストリートに向けて掲示しておくことが、必須となるでしょう。
 そうそう、以前、「正直へたばった庄司山」の登山リポートでスナップ写真をご紹介したことのある石川町の「ニート・ハウス」も、グーグルのストリートビューで確認することができました。が……、あの写真ほどのインパクトは無いですね。こういうところは「流し撮り」の限界でしょう。
 それと関係はないのですけども、昨日(8月6日夜)、陸自の函館駐屯地内の盆踊りに出かけてみました。地元のイベント情報サイトをみても、これに関する情報は載っていません。わたしは、『MAMOR』という(拙宅には只で送られてくる)雑誌を見て知ったわけです。(ちなみに8-1の港祭りの花火大会での海自基地一般開放というのは、「見物人のために打ち上げ場所から最も近い一等地の座り場所を夕方から貸します」というだけです。掃海艇などを公開するわけじゃないようです。)
 駐屯地は駐車場に余裕がありますから、遠くからでも参加できるのが有り難いんですよね。それと、あらためて感心しましたのは、テキヤが入り込めない空間ですから、夜店がぜんぶ「自前」です。
 ただ一点、感心しかねましたのが、「イカ踊り」という、じつにしょーもない「ご当地エレクトリック盆踊り」を採用していたことです。市内には、これを積極的にパワープレイする盆踊り会場と、「こんなものは盆踊りじゃねえ!」と顰斥する会場とがあります。古くからのコミュニティならば排除するのが当然だ。歌詞に風情は皆無で、これいじょう味わい薄く軽躁な、まるで観光客相手の魚市場で金髪ニイチャンが連呼しているだけみたいな音曲ってのも、全国的に珍しい。これに市が税金を投じたのだとすれば幾重にも情けないはずなんだが、それを恥ずかしいとも悔しいとも感じられないのが、まあ、無気力公務員の仕切る地方の現実なんでしょう。自分の子供の幼少時代の記憶にこんなノイズィな盆踊りを刷り込んいて、彼らは平気でいられるのかな? こういう地方の頽廃っぷり、無神経ぶりが、いまや逆に国政レベルにも波及し、模倣されようとしているんでしょうか。
 以前噂に聞いた話では、あの北島三郎氏が一貫して出身地イベントに冷たいのも、有名になったあとで函館市当局から受けた対応が酷いものだったから、といういきさつがあるのだと。さもありそうなことだと、この頃では考えるようになりました。とにかく地方は無気力すぎるぜよ。
 ところで皆様、マンガ『やっぱり有り得なかった南京大虐殺』の英語版 : ” Out of Drawings of Scenes of War; From Shanhai (August, 1937) to Nanking (December, 1937) ” (c)Hyodo Nisohachi & Kosaki Takeshi には、ざっと目を通していただけたでしょうか?
 ちょっと見ただけでもまだミススペリングが残ってますね(テキストファイルじゃないのでもう修正はできません。あしからず)。わたしが大学生時代に習った話では、スペル間違いが1個でもあると、英米のビジネス界では、その男の信用はゼロになってしまうから気をつけろ、と。
 しかしこういう脅かしにビクビクしていれば、けっきょく日本人が英文で真実を訴える機会も縮小して限りなくゼロになってしまうでしょう。それではシナの「腐らせソフト・パワー」に負けてしまう。もっと大胆になりましょう。
 「アウト・オブ・ドローイング」にはもちろんシャレも含まれています。


“From Shanghai (August, 1937) to Nanking (December, 1937)”  (c)Hyodo Nisohachi & Kosaki Takeshi, 2008 が、ウェブ上でついにリリース!

 英文版です。なお、日本語版は書籍(¥1,000-)だけです。
 英文版は、「資料庫」にUPされています。
 こんなに読みやすくできるのだとは意外でした。管理人さんの技量は凄すぎる。
 それにしても、まさかこのわたしが、英語でマンガを発表する日が来ようとは、思いませんでしたね(作画はもちろん小崎氏ですけども……)。
 オレに出来るのだから、キミにもできるぜ! チャレンジせよ!
 草の根「ホワイト・プロパガンダ」戦士のみなさんは、世界中に情報リンクを張ってください。戦いはこれから始まります。
 この英文公開版のデータの一部または全部をコピーして利用するときのご注意は、冒頭の挨拶文で書いておきました(日本語)。ご参照ください。
 さて、また「空き巣にやられた後日談」の続きをしようか。
 玄関の旧式のピンポン・ブザーを、最新のTVカメラ付きのドア・ホンに取り替えた。これほど容易に自分でできるとは思わなかった。ホーマック石川店の技術指導員のおじさんが親切にレクチャーしてくれた話を受け売りすれば、技術革新により、もはや映像信号を同軸ケーブルで送る必要がなくなって、ブザー用の既設の信号コードをそのまま転用できるようになったおかげである。もちろん、天井近くにあるブザーから信号コードを延長しなければならず、その結線部分の接触を確実にするための小部品が必要なのだが、その2点のささやかな買い増しを除くと、あとは、プラスとマイナスの安物ではない螺子回し、小型すぎないペンチ、あたらしい螺子孔のガイドを最初につくるためのキリだけで、作業は完了した。もっと具体的なことは次の単行本で一節を割いて詳説したい。そのころには、ますます多彩な防犯器材について、いささか知見を得ているであろう。またこのモニター画像が素晴らしい。夜でも街灯の明かりで人物の顔がちゃんと見える。ウチの場合は夜はセンサー・ライトも作動するから、警察の取調室状態だ。こんご、いままでチラシを片手に時折訪れていた営業マンが、1年くらいも現れなくなったら、わたしはそのサラリーマン風の人物もサスペクトすることになるだろう。これが「第二の仮説」だ。第三以降も、いずれ語りましょう。でもみんな、「人の心の闇」についての想像力が、足りないと思うよ。わたしはじつは今回の空き巣でむしろ緊張が緩んだ。こんな用意周到で、インターネットではおそらくない情報伝達慣行を保持する犯人グループが身近な町内に棲息しているうちは、当地の事態はまだ「平和」だと思えるからだ。つまり、まだここは、新宿や秋葉原やバグダッドには、なってはいないのだ。そこまでアノミーにはなっていないのだ。あるいは犯人は誰とでも普通の会話のできる男女で、しかも現行犯逮捕された場合に失うものが、世間の常識では驚くぐらいあったりするのかもしれぬ。そして動機が「生活苦」ではなく「心の闇」だとするならば、いつか、ダイスの目当てが外れ、ウォータールーの日はやってくる。そしてわたしはそのニュースを聞いて、ひょっとしたら残念に思うかもしれない。
 ともあれ、すべての家庭はカメラ付きドアホンを装備すべきじゃないか? そうすれば町内の1ブロック全体が、空き巣を排除するオーラを発するであろう。
 さて、他方、防犯効果はおそらくゼロではなかったにしろ、わが家に関しては事実として無力であったことを証明してしまったソーラーライトの電池交換情報につき、かつての熱烈推薦者の責任として、ここにリポートを残しておこう。
 輸入品であるソーラーライト・マルチムーン・イエローの製品に最初からついていたオリジナルのバッテリーは、メーカー不明の、緑色の、単四ニッケル水素電池(Ni-Mh)AAA 1.2ボルト 650mAh ×2本である。これの寿命が来たので、Panasonic HHR-4SPS/2B ニッケル水素単4(typ.800mAh、min.750mAh)電池×2本(\600-)に交換してみた。動作はいまのところ良好です。つまり、互換性があるように思われる。不具合が認められたら、またリポートしましょう。
 感心したのは、雨水シールドが完全で、虫類はもちろん、埃の内部侵入も認められなかったこと。しかも、手の力だけで螺子蓋を外すことができた。やはり、高いだけのことは、あるのだ。
 ただ不思議なのは、最初に買ったやつはまだ電池に寿命が来ていなくて、あとから買った方が、先にダウンしたことである。


はるまげ半魚どん ふたたび

 『やっぱり有り得なかった南京大虐殺』の英文ハメコミ作業を小崎さんにしてもらっていた。その仕事がもうじき完了しそうだ。
 このあと、データを、管理人さんにお渡しする。管理人さんも忙しい人だから、アップロード作業がどのくらいかかるのかはちょっと読めないけれども、北京五輪の開会式(8月8日)より前には、なんとか間に合って欲しい。
 日本には、作家・評論家はたくさんいる。マンガ家もたくさんいる。特亜叩きが大好きな暇人もたくさんいる。英語でメシを食っている職人もたくさんいる。しかし、英文で戦前の日支関係史を説明するマンガを作って北京との国際宣伝戦の第一線に立とうという者は1人もいなかった。1億2600万人も人口があったって、これじゃダメだろ? 日本国が今落ち目になってきているのは、国民が高齢化しているからではありません。各人にヤル気がなさすぎるからである。
 小生は、神奈川大学外国語学部英語英文学科卒という、吹けば飛ぶようなケチな英文学士様である。23歳の元自衛隊上等兵の新入生として、最初の1年は、これ以上はやれないというくらいに語学漬けの日々を送ったが、1年次の成績表は惨憺たるもので、自信があったのに落とした単位がいくつもあってガックリ来た。そのレベルの不適格者、自他共にゆるす劣等生である小生が信じ続けたモットーが、「一生、何の役にも立たないのが、真の教養だ」という、どなたかの格言であった。
 今、わたしはこのマンガの英文をでっちあげることで、錆び付きまくりのこの「教養」を実用に役立てようというわけだ。四半世紀近くも昔の学生時代に書籍や雑誌から「将来使えるかもしれない語句」として抜き書きして保存しておいたメモ帳を、今回、ダンボール箱から取り出し、埃を掃って活用し、とうとう使い切り、廃品回収に出してやった。スッキリしたぜ。
 それにしても参ったのは、単純な単語のスペリングや過去形や単複の処理も全部忘れてしまっていることで、一語一語、辞書で確認せねばならなかった。疲れた。わがPCにはスペルチェッカーは入っていない。
 なお、書籍にある自己解題や写真などは、当然ながら、英文版には附録されない。
 日本語版のマンガにご興味のある方は、書籍(ISBN 978-4-89644-673-9、(株)マガジン・マガジン発行、税込定価一千円)をご購入くだされ度い。
 最寄の図書館に「購入希望リクエスト」をしてくださるのも大歓迎。
 オリジナルの日本語脚本(ト書き指定から全部入ったもの)にご興味のある方は、「読書余論」の2008年6月25日配信分(有料:¥200-)で、全文を確認できるようにしてある。このメルマガは、バックナンバーも単発で購読可能だ。詳しくは、メルマガ配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net
でどうぞ。
 さて、泥棒リポートの続きだ。犯人像がとても興味深いために、この事件に関連するいろいろな想像を止めることができない。
 いろいろと地域情報を整理してみると、わが家から半径100m以内でも、毎年1軒は、かならず空き巣狙いの被害があることが分かった。道理で、町じゅう、どこでも、犬を飼っている家の密度が高いわけである。(ちなみに、室外に番犬をつないでいた家も、空き巣にやられていた。防犯のために犬を飼うならば、室内で飼わないと、役には立たないのだろう。室内飼いならば、小型の犬でも十分に役に立つそうだ。)
 確認したわけではないが、北海道では積雪期には、空き巣狙いも活動を停止しているのではないか? なにしろ、道路でも宅地でも、足跡がつきまくりだからね。やっぱり、稼ぎ時は、窓の施錠も緩くなりがちな、初夏から始まるのであろう。逆に言うなら、初夏に防犯警戒ボルテージをピークにもってこなければ、北海道でのホーム・ディフェンスは不可能である。
 最大の謎。
 いったい犯人は、どうして、たまたまその日だけ留守にしている家を、みつけることができるのだろうか?
 たまたまその日だけ留守にしていて、なおかつ用心が悪い家は、夏季の宵の19時以降なら、歩行者は、通りすがりに容易に識別することができるのである。家庭の電燈が、玄関灯も室内灯も、真っ暗だからだ。(ウチもそうでした。トホホ……間抜け過ぎ……)
 ところが問題は、空き巣狙いのプロがそういう家に運良くヒットする確率は、1人で夕方6時台から市内を自転車で行脚するとしても、そうそう高くはないんじゃないかということなのだ。深夜12時過ぎまで行脚を続ければ、なにしろ地方都市は、繁華街を除くと夜の街路などさびしい限りだから、誰かに見咎められてしまう確率が高まるであろう。
 犬連れの散歩にかこつける偵察も、あり得そうにない。逆にそこらじゅうの飼い犬から吠えつかれるだけだろう。袋小路にも入って行けないはずだ。
 わたしを納得させる第一の仮説を以下に述べる。(「第二」以降の仮説は、後日に。)
 犯人は、本番の深夜の侵入実行と、昼頃から宵にかけての「市内偵察係」とが、協働しているのであろう。
 つまり、純然たる単独犯ではない。最低2人で、チームを組んでいるのだろう。
 たまたま留守であることを悟られることがない家とは、常に周囲の家と「様子」が際立って異なるようなことのない家であろう。それとほとんど同様に、「空き巣狙いのための市内偵察係」であることを一般住民に悟られぬ方法としては、「日常的に徘徊していて怪しまれない者」となりおおせていることが、肝要ではないのか?
 だから、もしもわたしがこのような「空き巣狙いビジネス」のアントレプレナーになるとすれば、「市内偵察係」には、老人を雇うだろう。田舎では、老人が昼ひなか、あるいは夕暮れに、自転車で至極ゆっくりと、行く先も定めずにフラフラと街中を横行していても、誰も怪しんでそれを眺める者は居るまい。理想的には、婆さんだとベターかもしれない。世間の一般常識では、「老婆」と「空き巣」は、けっしてイメージ上で結びつくことがないであろうから、人々の「猜疑心」「警戒心」はそれだけ低下させられるに違いない。ときおり、安物の自転車を駐めて、徒歩で「うっかり」と他人の家の庭先に迷い込んでしまう、そんな行動を日常的に繰り返していれば、袋小路の中にあって、泥棒に対する警戒意識の低い家を、重点的に見回ることが可能になるだろう。外見がボケていて、しかしながら、住民から声をかけられたときの会話はちゃんと普通にいなせるばあちゃんならば、あなたは犯罪者だと疑いますか?
 こうした老人もしくは特殊な疑われないキャラクターの「相棒」である偵察係氏が帰宅後に、侵入実行犯に対し、彼が得てきた情報を伝える。その情報には、「留守らしい」というものの他に、「最近引っ越してきたばかりの世帯ハケーン!」というものもあるだろう。そのような家庭は、現地の犯罪情報に疎いから、泥棒に対してノーガードである場合があり得よう。
 こうした情報を、外出せずに得ることのできる相棒の実行犯氏は、どれほど効率的に、且つ、安全に、仕事ができることになるだろうか?
 ゴミ出しケージを体重で歪めてしまうくらいの体格をもった男子である彼は、昼間や夕暮れに町内の袋小路を徘徊して、住民から疑われたりするリスクを、まったくゼロにできるのだ。しかも、最も人通りのない深夜の最適な時間帯に、ターゲット・ハウスに直行して、素早く仕事を終わらせ、薄明の前にアジトに戻ることができる。このような協働体制ができていると仮りに考えれば、何年も逮捕をまぬがれて棲息できている事実にもわたしなどは納得ができるのである。単独犯ならば、とっくに「偶然」の「骰の目」の悪い方が出て、掴まってしまっているだろう。彼は、決して偶然に身を任せてはいないのだ。
 わたしは幸運な被害者かもしれない。現地に居住し、同じ市内での空き巣狙いを長年ビジネスにしているこのようなプロ・チームにやられたおかげで、現金「数万円」以外の損害は微少であったからだ。
 山本有氏によれば、もしシナ人など外国人が犯人だったならば、現金どころか手当たり次第の根こそぎに持ち去られたであろうということだ。
 幸い、この侵入実行犯氏は、わたしのもっかのプロファイリングによれば、余計なリスクは冒そうとはせぬ慎重居士である。だから、この犯人チームに関しては、「装置」やステッカーによる防犯は可能だとわたしは思う。つまり、「装置」の存在誇示によって、屋内に侵入しようという企図そのものを自主的に撤回させるに至らしめることも可能であると思っている。
 ちなみに後藤よしのり氏によると、空き巣狙いを「防犯装置」だけで防ぐことなどできず、「町内のそのブロック全体が、余所者に対してガードが固い」と犯人に思わせるのが理想的な防犯になるのだという。江戸時代の長屋は、だから安全だったわけだ。後藤氏いわく、具体的には、常に隣近所が声を掛け合っている関係を築いていなければならない、と。
 ところが、これは実行しにくい。現代の地方都市では、どのブロックにも安アパートや高級アパートがあり、わが家のような貸家も少なくない。つまり「ご近所」の半数くらいは、面子が頻繁に入れ替わり続けるためだ。
 それに、わが家のケースに限って言えば、ひとめで「この一軒は留守だ」と判ってしまうような、夜間の「真っ暗」状態を、袋小路のどんづまりであることに油断して、間抜けにも放置したのが、毎日町内を巡回している敵の偵察係に眼を着けられた端緒だということは自明なのだ。「留守ではないと思わせるような光学的な演出ができる家庭照明システム」さえ準備ができていたら、今回の賊に目をつけられることはなかったであろう。
 そこで以下、いくつかの「装置」について語りたい。今回の経験により、「装置」をいろいろと検討した結果、わたしはまず、日本の家電メーカーに対し、いくつかの不満を持った。
 まず、コンセントなしのつくりつけ(直結配線)で、直管の蛍光管を光らせる玄関灯(戸外)を、電気工事を一切しないで、即座に、タイマー付き、または「薄暮~暗闇センサー付き」に変更することができるような、気の利いた蛍光管商品が無い。これを誰か、すぐにも発明して売り出すべきだと思う。
 本当は、玄関灯の点灯と消灯を屋内から操作する「ON/OFF」スイッチを、タイマー付きに取り替えるのがベストなのである。ところが、それにはタイマースイッチ盤の部品代(1万円台だと思う)だけでなく、電気工事士を呼んで交換作業をしてもらう必要がある。人一人を呼びつけて労働させるのだから、5000円前後は最低でもかかってしまうだろう。しかも借家の場合、引っ越すときに、それらの投資は「置き土産」とするしかないわけだ。
 まあ、家族の安全のためだから、掛け捨て保険だと思って、この工事はいずれしてもらうつもりだが、慾を言えば、蛍光管をとりかえるだけで、タイマーをつけたのと同じことになる、そんな便利グッズがあれば嬉しい。
 つまり蛍光管それ自体の中に、「12時間タイマー」を内臓したものだ。
 このような商品の設計は面倒だろうが、不可能ではないだろう。需要は、かなりあるだろうと思いますよ。
 留守である屋内に、夕方から深夜にかけ、あたかも人が暮らして居るかのようにみせかける装置としては、白熱灯スタンドに普通のタイマーを接続したり、あるいはフカダック(株)の「光センサーコンセント」(受光部に130~170ルクスの、昼間の窓明かりレベルの光が入らなくなれば通電する、中間スイッチ)をつなげば良いであろう。
 リモコン・タイマーでON/OFF予約ができる天井灯は、どれもサイズ(直径)がでかすぎる。かつまた、消費電力が60ワット以上とか、不必要に大きなものばかりだ。メーカーは、もっと小型で省エネの商品を揃えるべきだろう。また「引掛シーリング」でない、旧いバルブ電球用ソケットしかない天井にもとりつけられるような、アタッチメントがあると、ますます可。これも、絶対に需要がある筈だ。
 「人感センサー」とバルブ電球ソケットが一体になった商品がある。これをもう少し改良すれば、トイレや風呂場や玄関内部などにつける「防犯電球」になると思う。
 すなわち、ソケット側の切り替えスイッチで「留守番モード」にできるようにするのだ。このモードの時に、もし、下を動く人の赤外線を感知したときは、通常の電球と、赤色LEDや青色LEDの強烈な点滅が、交互に、いつまでも続くようにするのだ。戸外からは、どうみてもそのトイレや風呂場や廊下で、何か異常事態が起きているように、眺められるであろう。
 その光のハラスメントによって、トイレの窓などから侵入しようとした犯人を、無音裡に、退散させることができるであろう。(当然、バルブは2球、必要だ。が、同時に2灯を点けるわけではない。警報用バルブの中に人感センサーを埋め込んでしまっても良いだろう。)
 なお、後藤よしのり氏によれば、警報装置などものともしない、ヤル気満々な泥棒は、早めに配電盤のブレーカーを落としてしまうという。そこで、もし、このバルブへの通電が断たれた場合には、内臓のボタン電池により、警報音が鳴り響くようになっていれば、一層宜しかろう。犯人は、電球を破壊しても、ソケットをとりはずしても、この音を消すことはできない。廊下や他の室内にもこの「防犯電球」がついていると思えば、もうそれ以上の侵入には嫌気がさすであろう。
 もうひとつ、これは「100均」商品のメーカーさんに対してご提案をしたい。それは、玄関の、いちばん安いドア・チャイム(ピンポン・ブザー)の上から、フタを被せるように接着するだけで、あたかも、「カメラ付きドア・ホーン」であるかのようにみせかけることができる、ダミー・カメラ商品の一種だ。通りすがりに遠くから見て、「あの家の玄関には監視カメラがついているらしい」と気が付けば、おそらく慎重な犯人は、その家の回りをうろつきはしないだろう。
 なおわたしは今回の一件で、ソーラーライトの評価を変更した。これもご報告しなければならぬ。
 暖色のなごみ系のソーラー・ライトは、街灯が無くて薄暗い壁面についている窓から侵入しようと図る盗犯に対しては、威嚇&抑止効果がほとんど無い。これを抑止するには、むしろ、OHMの電池式(単2×4本)センサー・ライト「MS-15S」や、同じように電池で光らせるセンサー・ライトを配置した方がずっといい。このような結論を得た。
 注意点は、常夜灯にしている玄関外部の蛍光灯が、センサー・ライトの昼夜センサーに当たると、「今は昼間である」と認識してしまって、人の動きを感知しても発光してくれないことだ。「MS-15S」は、センサーの向きと、照射する方向を、それぞれ独立に変更できるので、この点、便利(センサーに玄関の蛍光灯がじかに当たらないように向きを調節すればよい)。ただし、人感センサーが斜め下を向いているために、低いところに設置しにくいような気がする。他のセンサー・ライトと混合する必要があると思った。追々、実験をします。
 ソーラー・ライトで防犯しようと思ったら、工事現場用の、多色のLEDが点滅するものがベターかもしれない。(これから試す予定はありません。これからは、センサー・ライトその他に投資するつもりです。)
 つまり、ご近所や通行人の視線と注意を、おのずからその暗がりにひきつけるような「警報色」のソーラー・ライトでなかったら、防犯の意味は、あまり無いだろう。
 要は、夕方から夜にかけて巡回してきた「偵察係」をひるませるようなものでなければダメなのだ。そのために必要なまぶしさを、小面積のソーラー発電パネルでは、とうてい得ることはできない。


ギャラ4万円なら東京に「出張」仕事ができます!

 またしても「チャンネル桜」への出演(7/30収録)を見送らねばならならず、残念です。
 こんどはギックリ腰が原因ではありません。単純に、旅費だけでギャラをオーバーしてしまうのです。
 何ヶ月も前から分かっている場合は、格安旅行企画に便乗して途中脱落するなどのいろいろな方法が講じられると思うのですが、10日前、それも観光ハイシーズンでは、万事休す!
 たとえば青森駅と東京駅を結ぶ夜行バス(どちらも出発時刻は夜20時台、到着時刻が朝7時前後)の切符が、絶対にとれません。若い旅行者のひとたちがとっくに全部、おさえてしまっているからです。
 この切符は片道10000円前後で、貧乏出張者の命綱です。いかなる鉄道よりも安い。特に帰り道でこれを利用することによって、東京で一泊せずに済ませることができるのです。
 また往路で利用すれば、収録が今回のように朝10時からと早いときも、余裕で青山の「子供の国」の近くのスタジオまで辿り着けます(羽田からですとそこまで移動するのにも1時間前後かかりますので、函館発の朝一番の航空便で出かけても10時には遅刻してしまいそうです。つまり飛行機を使うなら前泊するしかなくなるのです)。
 往復ともに夜行バスというのは、かなりくたびれる旅ですが、地方在住の頭脳日雇い人夫の分際として、そんな文句は言っていられない。だが、今回は、その頼みのバス切符が、はじめから空席無し。ソールドアウトなのであります。
 青森と函館の間を、人だけなら運賃5000円也の連絡船「なっちゃんRera/World」で移動するか、5500円以上のJR特急で移動するかは、悩むところです。というのは函館駅から自宅までは、昼間であれば、路面電車と徒歩でなんとかなるが、フェリー埠頭から自宅までは、そうはいかない。千数百円か二千数百円のタクシー代がかかると考えると、やはりJRを利用することになるでしょう。
 また、帰宅が深夜になる場合には、二千円台のタクシー代も計上せねばなりません。
 というわけで、まったく飲まず食わずのゼロ泊でとんぼ帰りするだけの東京出張にも、交通費だけで¥3万3,500円くらいは、かかります。今回の「チャンネル桜」のオファーは三万円ですから、それを請けると「勤労奉仕」となる。(ハイシーズンの片道航空券だけで3万円くらい? それに前泊ホテル代。帰路は新幹線で八戸まで行って、特急で青森まで行って、青森港フェリー埠頭まで駅から深夜3km以上の道を歩いて、夜10時発のなっちゃんか、深夜2時台発の旧型連絡線に乗って、函館埠頭からはタクシー利用しかないとすれば、やはり軽く3万円overでしょう。もう、とても無理ですわ。)
 勤労奉仕も事と場合によっては請けなければなりませんけれども、今は予定外の奉仕をしていられる余裕が遺憾乍ら無いので、お断りすることにしました。申し訳ないです。
 空いた2日間は、「読書余論」の入力作業に充てようと思っております。