今日のご報告

 暫定の活動趣意書をおととい書いてみたのですが、翻訳会社さんの方でそのままでは満足できないようで、そちらで「検討」が続いています。どこが問題なのかはまだわたくしは承知しておりません。


またおお(ry

 新大阪から関西国際空港に向かう途中で、時間を潰すと面白いところがあったら、ご存知の方、ご教示くださいまし。


カウンタープロパガンダ事業に関する連絡方法について

 対抗宣伝文献英訳会(仮称)に電子メールで連絡をとられたい方は、このファン・サイトの「掲示板」に投稿するという形でお願いします。
 会独自のHPも未だ無いので、過渡的な措置です。
 兵頭の代わりに「LO-01」氏が参ります。よろしくお願い申し上げます。
 活動の趣意書のようなものがないのもおかしいので、近々、書いてみます。


嗚呼、一冊数百万円もかかるとは……!

 月刊誌『正論』12月号はそろそろ九州地方でも店頭発売されたでしょうか?
 そこで呼びかけている翻訳英文ホワイトプロパガンダ事業の立ち上げについてですが、1冊の本をまるまる英訳すると、翻訳の実費だけで数百万円(税込み)かかることが判明しました。
 じつはわたくしはせいぜいこの経費は壱ヒャクマン未満で済むんだろうと思っていまして、個人レベルの力を糾合すればどうにでもなるじゃないかと甘く考えていたのですが、やはり将来はNPOにしないと無理なのかもしれません。しばらく、読者の皆さんからの反応を聞こうと思います。
 和文英訳の三つのグレードについて現在わたくしの知っていることをお話しします。
●ランクA:ネイティヴが日本語から直接下訳し、それをベテランの日本人チェッカー(翻訳会社の筆頭レベル)が読んで校正意見を付け加えて、それを元に再びネイティヴが最終英文に仕上げる。
●ランクB:日本人訳者(翻訳会社の雇われ人レベル)が下訳し、ネイティヴがプルーフ・リーディングし、ベテランの日本人チェッカーが最終校閲して仕上げる。
●ランクC:ランクBの手順だが、訳者のスキルの程度を気にせず、修整も略式で済ませてしまうもの。
 ──で、ランクAは400字につき1万円程度。ランクBはそれが5000円程度となるのが料金の相場であるようです。(ランクCはバイトの時給に色がつく程度なのでしょう。昔わたくしもドクターの論文を英訳する事務所で雑用係のバイトをしていたことがありますが時給は1200円以上だったと思います。もちろん翻訳会社によってバラバラでしょう。)
 スピーチ、契約書、論文などになりますと、現在、400字につき、¥12,000円から\18,000円はザラだそうです。プレゼン資料、一般文書等では、\9,000円から\12,000円が多いようです。
 したがいまして、いちばん愛国的な料金の翻訳会社さんに頼んでも、一般的な書籍(400字×500枚)を説得力のある英文に直そうとすれば、ざっと500万円かかるわけです。これは個人が出せる額ではないですね。
 わたくしは個人がこういう事業に出す気になる金額とはせいぜい100万円が上限であろうと漠然と思っていますので、「五分の一以下の抄訳指定」をしていただくのが現実的なのだろうなと考えます。
 つまり醵金をする人が「この本のここからここまでを訳せ」と指定するわけです。
 この事業をNPOにすれば、以下のようなメリットがあることは確かです。
○特定寄付金控除の対象になる.
○零細翻訳会社のスタッフなどがメインになっているよりも社会的な信頼感が出る.
○したがって支出する法人の会計係は後難を心配せずにハンコをつける.
○したがって1冊まるごと翻訳のラインナップが増やせるだろう.
 その代わりに面倒なこともあります。信頼できる有名人を「長」に据えなければいけません。これまで財団等の理事にもなったこともない、プータローの兵頭ではダメなんですね。誰かになって貰わなければいけないでしょう。
 そしてそういう相談や根回しを延々とやっている時間が兵頭は惜しいのです。「敵」の攻撃は今すでにたけなわなのですからね。


モノがあっても真似られないモノ

 91年の『戦車マガジン』を持っている人は、モスクワ郊外のクビンカ博物館の見学コースから外れたガレージに、英軍の「チーフテン」戦車が1台置かれてあるのを覗き見たことに触れている、わたくしのリポートを探してみてください。
 当時のわたくしは愚かにも、これは英ソ間で秘密の連絡があって、英国がソ連から何かを得るための代価としてチーフテンをくれてやったのだと想像をしていました。たとえばボービントンの倉庫にバーター品のT-80が1台あるのではないかと……。
 今は、これは、当時、表向きではソ連を反宗教だとして非難していた革命イラン政権が、こっそり引き渡していたものだと断言できます。彼らはF-14すらサンプル提供していたという疑いがあるのですから、チーフテンぐらい、もう何でもなかったでしょう。
 ということは「チョバムアーマー」の秘密なんてバレバレだったということですが、これをソ連が真似したかというとその気配は無いんですね。
 目に見えない技術の壁というのがあって、モノが目の前にあってもコピーが不可能なものは現代ではたくさんあります。
 たとえばクリントン政権がアフリカ、アフガンその他に撃ちまくった巡行ミサイルの不発弾をロシアとシナは入手しているはずですが、このコピー品は出ていません。ユーゴで落ちたF-117の残骸も同じです。海南島に着陸したP-3Cの電子ソフトも同じです。だから平気で着陸できるのです。
 ところで昨日のCBSニュースを見たらカーター元大統領が「イランと戦争すべきではない」などと語っていました。そういう内容の本を書いたそうです。ということは米国内ではイランと戦争するのじゃないかという雰囲気が、相当リアルになってきたんですね。
 イランを今のようにしてしまったのは、カーター氏の「人権外交」でした。
 ほんらい啓蒙思想に則るなら、一人の人命は二人の人命より軽い。1000万人の人権問題は、1億人の人権問題より重くはなりません。
 ところが米国民主党の政治家は、口では格好をつけながら、手強い相手の弾圧的政権はマトとしてこれを撰ばず、干渉し易い弱い立場の政権を叩いて自国の大衆から喝采をうけようとすることがしばしばあります。
 イランのパーレビ政権は、それでやられてしまったのです。もし近い将来、米国とイランと戦争になったら、その淵源はカーター氏のスタンドプレイにあったとされねばなりませんから、彼も自己弁護に必死になる道理です。(しかしルックスが宮沢喜一氏に似てきたと思ったのは俺だけ……?)
 さいきんの米国TVは、ジンバブエをよくとりあげているようです。人口1200万ぽっちの国の騒ぎがなぜ北鮮やシナその他の数千万、数億の非人道的状況よりも問題にされなきゃならんのか?(英国は旧宗主国ですから旧ローデシアに無関心でいられないのは尤もです。)
 これもカーター時代のイラン叩きと似ていますでしょう。
 かつての英連邦だった国々は、APはじめ英語系の報道網が発達し、その遺産が現在も活きているため、ニュース・フッテージがとても得やすい地域です。
 ニュース・フッテージが得やすいということは、西側の民放テレビ局でも報道番組を組みやすいということで、それがひいては「遠い他国のことなのに政治家や評論家がコメントしたくなる」ことに直結します。
 映像がないものにコメントをつけても大衆は何のイメージも抱きません。刺激がゼロなのです。したがって民放にも政治家にも何の得にもならない。だからわたくしは、拉致被害者をとりかえしたくば、在米の日本人がこぞってワシントンの日本大使館前に英語プラカードを持ってデモをかけなさい、と言うのです。それなら厭でも米国内のTVニュースの素材になるでしょう。
 ところでアフリカはあれだけの広さがありながら、全部の人口がシナ一国、インド一国にも遥かに及びません。
 この人口密度の低さは何を意味するかと申しますと、欧米の軍隊が介入すればどこでも必勝なのです。(ただし死者ゼロというわけにはまいりませんので、腰抜け政権だと「ブラックホークダウン」だけで撤退ですが。)
 よって、米国大統領や閣僚が「気軽な非難」「強気の発言」もできる。旧南アの現政権などは皆、怒っています。G7首脳がアフリカについていい気な指導的な発言をしていると。まったくその通りで、G7はその前にシナや旧ソ連や北鮮をなんとかするのがまっとうな順序というものでしょう。
 そかしそうはできないのは、ニュース・フッテージこそが世論だからです。
 ニュース・フッテージが得にくく、よって西側の国内で批難しても政治家の宣伝になりにくく、しかも敵の人口が多いので軍隊の介入の敷居が高く、脅しが効かない。こんな条件が北鮮やシナに関してある以上は、日本人は自分たちの安全保障をアメリカ政府に任せきっているわけにはいかないでしょう。6カ国協議では拉致被害者は帰ってきません。いま単独経済制裁に踏み切らない限り、日本人の将来の安全保障が危いのです。
 ラスト・マンであるシナ人の若者に朝鮮戦争式、対ベトナム戦争式の人海突撃をさせるには、シナの政権としても、歴史を捏造したり靖国を攻撃して、その敵愾心とエスノセントリズムを常に高揚させるお膳立てが欠かせません。米国と対抗していく必要の上からも、シナ政権が今のような反日宣伝を将来止めることは決してないのです。
 宣伝に屈するのではなく、わたくしたちが逆に宣伝し返すことが、シナ人のためにもなります。
 と申しますのは、新しい政治権力者が常に過去の「正史」を捏造していくシナ文化圏では、「ヘーゲル的歴史」は、最初から終わっているのです。つまり、リベラル民主主義の存否とは関係なく、シナ人民は「ラスト・マン」でしかあり得ない。しかもおそろしいことには、政治的支配者すら近代的自我を持ち得ないのです。それが証拠に、政争に敗れたシナ・朝鮮の政治家が、内外に説得力ある自己主張をしたためしがありません。シナに歴史はなく、シナ人に実存は無いのでしょう。
 フクヤマ論文を見れば見当がつきますように、このことは西洋人には分かりません。シナ人を正気に返せるのは、今のところは日本発のホワイト・プロパガンダだけかもしれません。


9.11後にクラウゼヴィッツは有効か?

 リデル・ハートの権威の失墜は彼の死後十年くらいから始まり、二十年で定着したと思われます。もちろん、彼も多数の弟子を持ちました。
 マーチン・ファン・クレヴェルトは1991年に『戦争のトランスフォーメーション』なる一書を米国で上梓し、その中で、ざっと次のような主張をしたそうです。──冷戦後の戦争は、国民国家システムや「国境」とは無関係なものになる。だから「非クラウゼヴィツィアン」の思考法を探求せねばならない、と。
 すでに米国ではこのクレヴェルト、彼の師匠のリデル・ハートのクラウゼヴィッツに関する勘違いをそっくり引き継いでいる、との批判を受けているようです。すなわち、単純な「国民根こそぎ動員戦争」の提唱者こそクラウゼヴィッツの正体だったと思い込んでいる、というわけです。
 (かつてフラーとハートはクラウゼヴィッツを、ナポレオンの“high-priest”=ユダヤ教の司祭長、唱道者だと呼びました。本当は「聖パウロ」と言いたかったのかもしれませんが、モンゴメリー将軍のような熱心なキリスト教徒の反発を顧慮したでしょう。)
 先にも書きましたように、クラウゼヴィッツは、すでにルソーが「戦争のイデア」たる「同胞絶滅」戦争を明言してくれていましたのに、敢えてそれは採らず、ナポレオンの戦いぶりこそ「戦争のイデア」に限りなく近いのだと思い定めようとしております。
 地下鉄サリンと9.11以後によく分かってまいりましたのは、現代の宗教テロリストたちは、その手段さえあるならば、「同胞絶滅」攻撃を国民国家の内外で仕掛けることをためらいません。
 この事実だけに注目をいたしますと、クラウゼヴィッツはもう古いと断ずるクレヴェルトの主張は当たっているように見えましょう。
 ところが、米国が「イスラム教徒絶滅戦争」の手段を有しながらそれを対テロの最終解決方法として実行まではできぬ理由は何かといったら、やはり啓蒙的近代以降の「政治」がブレーキをかけているのです。クラウゼヴィッツの最も重要な洞察は、西側先進国については妥当しますでしょう(ユーゴスラヴィアではルソーの戦争のイデアの正しさも実証されかかったように見えます)。
 やはり冷戦時代にも「クラウゼヴィッツはもう古い」と語る軽薄な評論子が涌いて出たものでした。が、米国がロシアを絶滅させる手段を有していながら、それを行使しなかったのは、「政治」以外の何であったと言えるでしょうか?
 もしも敵の絶滅が完了できそうなのであるならば、勝利とともに戦争のケリがつくというそのメリットは極大です。加えてもし第二番の敵をまったく心配しなくて良いのならば、もう最後の一兵が残るだけだという状態まで、自国の戦争資源を「賭け」てしまってもよいでしょう。しかし、一国の政治指導者はそれをしない。それこそが、ルソーが最初に指摘し、クラウゼヴィッツが「政治」の作用だと見抜いた機序なのです。
 ベトナムの反省からあわててクラウゼヴィッツを読み返した米国の指導的エリート(その中には今のライス国務長官まで含まれている)は、冷戦とは期間無限の消耗戦的な競争であり、人命の負担に関して「現地化」を図りつつ、敵を長期的に弱めていくしかないと覚ったのです。
 すると、資本体力の総合補給力と、敵が応じざるを得ず、しかもついてはこられないハイテク兵備の開発&整備競争の展開が、重要な課題になりました。西側がソ連をこの冷戦を通じて崩壊させ得たのは、核戦力と通常戦力の攻防能力双方における効率競争と資本競争の勝利です。かくしてついにゴルバチョフが米国に対する勝利という大目標を捨てて、それまでのスタイルの競争を投了したのも、「政治」以外の何者だったでしょう?
 またここで余談に耽りますと、敵による即興的な絶滅攻撃が成功しない(戦争をしかければ必ず消耗戦になる)ことをあらかじめ悟らせることは安全・安価・有利です。ゆえに、日本政府が日本の大都市に平時から地下公共駐車場を無数に整備しておく行政は、「ミサイル防衛」よりも安全・安価・有利です。
 対テロ戦争も、長期無限の冷戦だと考えることです。そして敵の絶滅が政治的にできない以上は、経済的に彼らの体力を弱めるのが上策です。
 すなわち、石油利権やパチンコ利権やODAや国連拠出金を、絶対に彼らのカネづるにしてやってはいけないのです。テロリストへのカネの流れを放置することこそが西側先進国にとって最大の下策となるでしょう。
 この観点から、現米政権のイラク全土占領の決断は合理的だと言えるのです。問題は、米国がその政策を他のイスラミックの産油国に適用していない「政治」です。そのためにテロリストへのカネの流れがまだ止まっていません。
 また日本政府もパチンコという賭博行為を取り締まらず、北鮮のテロリストへのカネの流れを放置する「政治」を続けているどころか、朝鮮系の銀行に日本国民の税金を投入して1兆円以上をテロ体制に貢ぎました。さらに国会議員の中に、日鮮国交を強化しようと策動する「政治」がまだあります。核を持った侵略的国家・シナに関しては、商社と外務省が率先して、もっと大規模な資本的な加担をしている。このいずれも、リベラル民本主義という人類のよりよい価値に対する、恥ずべき叛逆です。
 中曽根康弘さんが大勲位を貰った直後に頓死していたならさぞハッピーだったでしょう。今、彼は生きているうちから「名誉」に関してはボロボロです。彼はシナとの戦争に負けました。戦後の日本をわざわざ「敗戦」させた、愚かな政治家の一人だったのだと、国民に理解されつつあるのです。
 北鮮やシナに肩入れしてテロリストの親玉から頭をなでてもらっても、歴史はその日本の政治家に、長い名誉を与えることはありません。


北の天気予報

 はじめに概況です。
 米国とシナはお互いを、今世紀の最大の敵国と看做しており、この両国が半島問題のような大きなテーマで利害が一致する可能性は僅少でしょう。
 ちなみにその僅少の可能性とは、半島の核武装の可能性を物理的に艾除[がいじょ]するため、シナ軍が北鮮全土を軍事占領してしまうことです。ただしそれには前提があり、米軍が韓国から撤収していなくてはなりません。北京は米軍と接壌国境で対峙する状況を望みませんし、「バックを嵩に着る」朝鮮人の性向も熟知しています。
 駐韓米軍というバック抜きの韓国人と対峙することならば、北京は何とも思いません。
 また米国もシナ陸軍と陸上国境で対峙したいとは思っていません。米国の理想は、韓国が北を呑みこんで、半島全部が親米的な緩衝地域となることですが、これは北京が理屈(すなわちクラウゼヴィッツ的合理性)抜きで猛反対する事態だということも、米国は知っています。
 たまたま米国は韓国が嫌いになりつつあり、次期大統領の4年間で半島からの撤収(すなわちベトナム化ならぬ朝鮮化)が加速される可能性はないわけではありません。しかしそれにもまた前提があります。韓国軍の穴を日本軍が埋められることです。すなわち日本国防軍が全地球的に米軍と共同作戦ができるようになっていなくてはなりません。
 その場合は、半島全域が北京の走狗化、すなわち反米テロの手先化しても、米国は苦しくありません。前衛には日本軍があたるからです。
 このような稀有な諸条件が揃ったとき、半島は非核で安定するでしょう。
 北朝鮮が「暴発」したとき、北鮮内の日本人拉致被害者の安全を確保することは覚束ないことです(そもそも拉致されて放置している段階で日本政府は彼らの身体を見捨てているのですから「今更…」なんですが)。
 というのは、暴発しますと在韓米軍により北鮮の軍事力は「瞬殺」され、いかなる公的秩序も消滅するからです。ホッブズ的自然状態が一瞬ですが現出します。その一瞬に誰の身に何が起こるかはわからない。
 このことは北の政権指導部にはよく分かっていますので暴発そのものがあり得ません。「弱いから暴発する」などというのは戦前の日本政府にしかありえぬ発想です。
 早く経済制裁を発動し、パチンコ賭博を違法化して、彼らを弱めることです。弱まればスリスリするのが朝鮮人です。
 半島で戦争または内乱が起きたときには、日本政府は直ちに短波ラジオ放送、中波ラジオ放送、インターネット、携帯電話のメール一斉送信等を通じて「日本人を殺した者は軍事法廷で裁く」と警告することが必要です。


また、お(ry

11月中旬に大阪に出ることになりました。2日間です。
 考えて見ますと、雑誌時代に何かの取材で交通博物館に入ったのが唯一の「俺の大阪観光経歴」でございまして、あとは「素通り」を何度かしているばかりでした。神戸は地震前にバス観光してるんですけどね……。
 というわけで「ここは是非見ておけ」という名所がございましたら、お知らせください。今のところ、淀川の水上バスには乗ってみるつもりで居ります。
 ついでに何かファンサービスができると良いのですが……。

 



シナ版コミンテルンは上手にやっているな

 アダム・スミスの大著『国富論』は英本国では1776年に出たのですが、なんと翌年にはドイツ語訳されています。7年戦争でプロイセン軍の給養を担任した英帝国の力の源泉に人々は興味があったんですね。
 スミスは火器の発明と発達について、文明にとって有害のようにも見えようが、けっきょくこれは文明の拡大に貢献している、と評価しました。同時にまた、戦争技術がこのように高度化する中で、国家や人民が好戦的にならないで単に富裕化すれば、必然的に隣国の侵略を誘発すると考えました。ちなみにルソー(1712〜78)も、国家間の相互依存が逆に戦争の可能性を増すと、早くから見抜いています。
 スミスの論述は、読者の頭にすぐ入るでしょう。たとえばこんな感じです。郷土軍のパフォーマンスはとうていプロフェッショナル・アーミーには勝てない。→英国がガチで防衛するとしたら民兵には頼れず、国軍が必要だ。→しかし常備軍は専制政府の道具になりやすい。→不自由な政治は英国の風土にはなじまない。→ではどうするか……?
 要するに、筆者の「整理された連想」が順繰りに提示されていきます。その整理っぷりは念入りです。有名な、ピンの製造工程の分業についての例示もビジュアルですね。しかも全体のボリュームが、人をうんざりさせるような長さではない。この本は、産業革命以後の英国人の理論著作の「読みやすさ」のスタンダードです。
 世の中の複雑な現象を16進法や8進法でいきなりグリップしようとはせず、2進法で説明できないかと考えさせる。しかも無駄なく……。そんな相性が英語にはあって、それゆえコンピュータの世界は英語にこそ向いていたのではないかと兵頭は感じております。
 たぶんその逆がドイツ語でした。1830年代に出版されたクラウゼヴィッツの『戦争論』は1942年まで英語には完訳されず、仏語に完訳されたのは1955年であったようです。他言語に訳す前にそもそも「要約」すらしにくい構成で、それが『国富論』より大部であり、さりとて全体が「草稿」だよと著者が言い訳を述べているのですから、訳者もいいかげん投げ出したくなるのが自然だったでしょう。
 もちろん、軍事は経済よりも数学的に説明し辛いという弁護はあります。なぜなら軍人の決心は政治と混然一体だからです。
 その軍事をあえて数学的(幾何的)に語ってみようとしたのがジョミニです。
 米国のウェストポイント士官学校は万事フランス式で始まり、初期の教科書がジョミニであったのは有名な話です。1861〜65年の南北戦争では、どちら側の将軍も、自分の作戦の参考書として、英訳されたジョミニの“The Art of War”(原初版1836、英語抄訳1846、1854、1862年。英語完訳1865年?)を使いました。ジョミニはクラウゼヴィッツが論及しなかった海軍作戦や兵站線についても詳しく書き遺していました。それゆえ、マハンの諸著作がジョミニからインスパイアされたことはよく知られています。
 何をすればよいのか役割分担を示してくれというのが米人だと橋爪先生が指摘していますが、ジョミニの教科書はそういう向きにぴったりでした。
 しかしジョミニの考え方の底には、あたかも「和文と英文は機械的な自動翻訳が可能である」と言っているかのような、歴史や人為の複雑さをなめたところがあったんです。
 17世紀にデカルトは、数式によって現実世界を把握するいくつかの方法を示しました。フランスを中心に、少なからぬインテリが大きな刺激を受け、数学的記述の可能性追求こそが啓蒙だと熱中をします。ジョミニもフランス語圏のスイス人でした。
 解析数学は、たしかに経済現象の把握にはなじむ部分があると分かってきます。が、人間意志の衝突である戦争や政治は「非線形的」な世界でした。自由な意志を簡便に数式では記述できないことを、クラウゼヴィッツは実体験から得心していました。
 ところがクラウゼヴィッツの同時代のライバルであったジョミニ──1803年に軍事著述家として先行デビューし、しかも長生きをし、クラウゼヴィッツの没後刊行された遺稿集を見て自著を直し、なぜかその経緯が英語圏の読者には悟られることなく、20世紀まで戦争理論の泰斗と思われ続けた──は、デカルトの線形理性が非線形問題である軍事に適用できると、フランス式啓蒙精神に燃えて敢えてそれを試みたのです。
 なんとナポレオン本人が「そうかジョミニの本によれば、余の判断の正しさは合理的に証明されるのであるか」と感心した……と申します。
 初期啓蒙主義では人間を機械だと見たのですが、人間の感情は数学的には記述できないと啓蒙時代の真っ只中で主張したのが天才ルソーで、クラウゼヴィッツはむしろルソーに忠実だといえます。
 戦争も政治もいわば「自然言語」であって、エスペラントのような人工言語ではない。ルソーより文才の無いクラウゼヴィッツが苦労してそれを言わんとしていたのだということが、没後140年以上経って、ようやく西側で理解が進んできました。
 西側で、と申しますのは、ソ連共産党内ではエンゲルスとレーニンの遺訓により、クラウゼヴィッツ研究は一貫して深く進行していたからです。原著者死没から100年後の1931年に日本で『戦争論』を完訳した馬込さんも、本名を淡[だん]徳三郎といって、戦後の清水さんと同様にバリバリの共産主義支持者でした。余談ながら、数カ国語を翻訳できた淡氏の戦前のクラウゼヴィッツ翻訳草稿を検閲なしでもしどこかで出版してくれたなら、きっと現代の研究家にとって参照価値が高いだろうと、兵頭は勝手に想像しております。
 冷戦中、以下のような馬鹿げたクラウゼヴィッツの曲解が横行していたのを、ご記憶の方もおられるでしょう。
 いわく、「戦争が政治の継続だとすると、核時代の人類は破滅するしかない。だからクラウゼヴィッツを否定すべきだ/クラウゼヴィッツはもう古い」。
 またいわく、ハーグ条約、国際連盟、国際連合などはクラウゼヴィッツへの訣別であると。
 それを言うなら、ウェストファリア条約も含め、すべてマキャベリ時代への訣別でしょう。
 政治にも目的があるわけで、その目的をみさだめていないと、戦争も何の目的でするのか分かりません。政治の目的は「権力」です。(では権力とはなにか。その考察は兵頭の数冊の旧著に譲りましょう。)
 政治の中に道徳の好みが入っていますから、戦争とは道徳の領域の外にある活動でもありません。誰が反近代のシナや朝鮮とよろこんで合作できるか、という話です。
 フラーも英国内の戦間期の輿論を気にしました。人心がすでに「根こそぎ動員」の徴兵制に反対でしたから、プロフェッショナル・アーミーを唱えたのです。そこでも「政治」が軍事合理性に優先していたでしょう。
 クラウゼヴィッツの「絶対戦争」はドイツの男子国民を根こそぎ動員しろというアジテーションでしたから、リデルハートはそれはイギリス的ではない、人命を使い捨てにしがちな考え方だと、レトリックとして叩いて利用したまでです。
 ジョミニは、決定的な「ポイント」(=「点」)に、優越した兵力を結集しろ──と言いました。これは戦術に関して不易の金言です。
 すでにシナ・朝鮮との新冷戦に巻き込まれている日本にとり、決定的なポイントとは、どこでしょうか?
 それは、西側主要国の有権者向けの情報が集散する媒体です。すなわち、教育機関と報道機関です。新聞であり、雑誌であり、ラジオであり、テレビであり、インターネットでしょう。
 政治宣伝の戦いで負ければ、軍事技術の優劣は関係がありません。これは、ベトナム後にクラウゼヴィッツを初めて学んだ米国人がやっと気づいたことでしたが、レーニンや蒋介石はクラウゼヴィッツを読む前からそんなことは承知でした。
 現在、北京の工作員は全世界に展開しおわっており、その数は圧倒的です。彼らは巧みに現地の教育機関、文化機関に浸透し、各国の報道機関や言論関係者へ英語の反日宣伝文書を精力的・機動的に送りつけています。それはいずれも、そのまま三流記者が自分の記事として売れるような、コピーではないテキストです。
 内容たるや、いずれも現代の「田中上奏文」というべき怪文書の類です。けれども、それに日本外務省が何の反論も行なわないため、ブラックプロパガンダとして成功してしまうというパターンです。戦前から何も変わりません。
 そこで、わたしたちが民間ベースで、政府に一切頼らない反撃宣伝に立ち上がる必要に迫られています。
 シナ人のブラックプロパガンダが嘘八百であることが、外国人でもちょっと調べればすぐに判明するような、英文によるアーカイヴが、インターネット空間内に常に整備されている必要があるのです。
 ブラックプロパガンダへの反撃の弾丸は、もちろん英語でなくてはなりません。日本語で何を語っても、空砲を発射しているようなものです。それはマスターベーションです。これは戦争なのです。
 クラウゼヴィッツはドイツ語で長すぎる本を書いたために、英米人に正しく理解されるまでに1世紀半かかりました。その真似をしている時間は、わたしたちには持たされてはいません。敵はもう水爆ミサイルを保有しています。
 このホワイトプロパガンダは、誰が仕切るのでもありません。民間ベース、採算ベースで展開します。NPOにすることも考えません。
 たしかにNPOにすると「税金のかからない寄付行為」が可能になるのですが、同時に「誰かが仕切る運動」になってしまいます。それでは敵の圧倒的な工作員の数に太刀打ちはできないと考えます。
 日本国内を見ますと、なんと「支那事変は蒋介石の侵略だった」「真珠湾攻撃はパリ不戦条約違反だった」といったごく基本的な諸事実に関してすら、保守系言論人のほとんどが認識が一致しないという情けない有様です。したがって高名なフィギュアヘッドを押し立てての運動、コミンテルンのような統一指揮は、とうてい不可能です。いや、むしろそれで良いのです。
 わたくしが「2ちゃんねる」を眺めていて常に感心しますのは、世の中のあらゆる問題について「A氏より正確な事実を指摘できるB氏」が存在しているのだなぁ、ということなのです。しかもそのB氏は、たまたまその問題にだけ詳しいので、他の問題に関しては、B氏より正確な情報を有するC氏がいる蓋然性があると想像されるのです。
 歴史の叙述にも100点満点はあり得ません。A論文にも瑕疵があり、B論文にも瑕疵があり、C論文にも瑕疵があるのです。しかし、いずれも正確な情報を提供しようとしているA、B、C論文の全文がネット上で参照比較できるのならば、世間は真相について推定ができます。
 ホワイトプロパガンダは、ソースの充実でこそ勝負するべきなので、それには「Aのどこが正しくどこがおかしい」などとコメントを加えたり、A、B、Cの順位や配列を仕切る人などは不要です。
 また、ソースの英文を掲載するHPを無理に一つにまとめることもありません。正確で参照価値の高い資料は、草の根のユーザーが勝手に探し当てて、勝手に世界中に紹介をするのが望ましい。わざわざ米国の歴史系諸学会のHPにリンクを張る必要などもないでしょう。和文英訳はできないが、引用カキコぐらいはできる、という日本人は、たくさんいるはずです。
 翻訳料を出す人、翻訳する人、掲載する人、引用紹介カキコする人、これらの役割を草の根で分業して、シナ工作員の反日ブラックプロパガンダに活発に対抗していく。そのようなスキームが、もうじきできてくると思います。とりあえず月刊『正論』の12月号をご覧ください。


『孫子』にはなぜ「宣伝篇」が無いか考えろ

 広範な分散と高速機動で敵の備えを撹乱し、敵がテンポラルに手薄になったところに敵より早く戦闘資源を集中していけば、局地的な数的優勢を利して我が軍が好きなことができる……というのは、19世紀のジョミニを「ポストWWI」に新解したフラーの所論でした。
 この「分散 – 集中」マヌーバーによるイニシアチブを、反日宣伝工作に応用しているのが、最近のシナでしょう。
 かれらの目下のターゲットは靖国神社境内にある遊就館のようです。
 遊就館は戦前からおのぼりさんが見物して楽しむ軍事アミューズメント博物館です。お客をよろこばせてナンボという施設です。お客の多くはどだいシナ人や朝鮮人が嫌いですし、1940年代のアメリカも大嫌いです。そういうお客がカネを払って見物するアミューズメント施設の内部のパネル展示にちかごろ「バカ右翼」っぽい文章がいっぱいだというので、反日工作員たちが内外一斉に騒ぎ出した。かつてのコミンテルン並に統制された命令指示っぷりです。
 それじゃあ日本人が抗議したら「南京大屠殺宣伝館」は展示内容を改めるのか? ありえないですね。
 靖国神社境内に巨大な電光掲示板があって、往来を通る一般人が一党独裁政府の宣伝をいやでも見せられる—というのとは別なのです。
 GHQによって政府が保護する別格官幣社ではなくされてからの靖国神社は、年間20億ともいわれる維持運営費用を独立採算で賄っていかなくちゃならないんですよ。この靖国神社を政府は資金面でまったく扶けていないのですから、口を出すことはできません。口を出すならそれなりのカネを出すべきで、そうでないのなら、「お参りさせていただく」ことができるだけでしょう。靖国神社には、好きな営業を展開する自由があります。(ただし明治天皇から引き継がれている儀式の場である以上、「かしこきあたり」からの注文には従う義務がありましょう。)
 ところで日本の評論家の中にもそろそろ、この遊就館の展示についてコメントを発表する人士をチラホラと見受けるようになりました。あえて2ちゃん用語を使わせてもらいます。「もうね、アホかと。バカかと……」。
 この人たちは、欧米の新聞がこの問題をとりあげているから、それに反応して、コメントする気になっているわけです。
 いったい、欧米の新聞が独自の問題意識から、外からは分からない、また、日本語が読めなければ理解もできないパネル解説文にいちゃもんをつける気になるとでも思っているのでしょうか?
 欧米の新聞にそのような記事を書かせているのは、欧米に展開している無数のシナの工作員なのです。彼らが北京の大まかな、しかしタイムリーな指図に沿って、英文で様々なバリエーションの工夫をこらした「サンプル論説」をしたためては、各国のメディア編集者や三下記者に機動的に送りつけているから、何発かは奏功して、こんな記事が出ることになるのです。「分散 – 集中」のマヌーバーですよ。それを日本のメディアが即座に報じるのも、北京からの指示によるものなのです。昔のコミンテルンの真似ですよ。これにものの見事に翻弄されているということが分からないのですから、日本人は相変わらずおめでたい。
 さいわい小泉総理の側近にはシナの宣伝工作と戦う方法をかなり心得たつわものがいるらしくて、この前の総理参拝でも、「二礼二拍一礼」などの形式を明瞭に排除させ、内殿にも進ませず、文字通り「ポケット」からジャラ銭を放らせるところをしっかりTVカメラに撮らせ、そのかわり黙祷時間は長めにさせた。これでも非難してくる北京はますますキチガイなんだなと広く印象づけることができる、上手な作戦勝ちでした。(神道の参拝形式はほんらい自由なものです。何礼何拍だろうと、不潔な格好でなければ良いのです。)
 アカの雑誌に寄稿した人はその時点でアカかといえばそんなことはない。遊就館の中に何があろうと、靖国神社に参拝する者の心の中とは無関係です。
 人の心の中まで独裁者が踏み込んで支配しようとするのが大昔からのシナ式であり朝鮮式の「反近代」政治でした。
 そんな不自由な特種アジア文明からの訣別を、一身の生命の保存よりも優先し、捨て石となって前進させたのが維新の「草莽」でした。つまりは日本では武士道がヘーゲルの「自由」を担保したと言えます。
 自由民主主義がほんとうに実現したら、大衆は「ラスト・マン」になる—とニーチェは警告しました。ところがシナ・朝鮮を見てください。自由民主主義がすこしも実現していないうちから、特定アジアには「ラスト・マン」しかいないのです。シナ人や朝鮮人の世界では、人としての歴史はとっくの昔に終わっているでしょう。独裁者が交代するたびに書き換えられる「歴史宣伝マニュアル」しかないということは、歴史そのものが無い、奴隷や家畜の博物誌しかないということでしょう。
 シナ人の人生とはすなわち宣伝政治とイコールですので、「プロパガンダの指南書」はあり得ません。成人するまでに厭でも自得できるものですから、需要はなかったのです。そのような指南書が先秦時代にも漢代にも唐代にもなかったという事実の重みを、近代日本人ならば自由に考えられるでしょう。