訂正

 いやー北海道も暑くなってきた。7月にストーブをつけた日もあったくらいなのに……。
 07-8-6の本欄で、十五榴=実測152ミリと書いたが、それは英国&ソ連規格で、旧日本軍の15Hおよび15加はイタリア規格の実測149mmでした。
 武器オタ系の著作から遠ざかってあまりに久しいため、こんな誤記を平気で書いてしまう。皆さん、活字とWEBとに異なったことが書いてあったら、「著者校正」のチェック段階が入っている活字の方を信用しましょう。
 ついでの余談。これも活字じゃないから頭から信用しないでくれ!
 どうも日本の家庭とオフィスへの通信可能PC普及率はざっと5割だ。そのPCで毎日インターネットを利用する人が3割だ。つまりざっと、有権者の15%がインターネットの常連訪問者総数だ。
 そのうち掲示板にカキコするようなヒマ人は2割と考える。つまり有権者の3%ぐらいが掲示板にカキコしている物好きだろう。
 以上が正しいとすれば、インターネットの掲示板が、ある政党のマンセーカキコだけで埋め尽くされたとしても、それはせいぜい有権者の3%未満の嗜好が知れるにすぎない。
 じっさいには、掲示板にカキコする全ヒマ人のうち1割が、カキコの9割を投稿しているのかもしれない。とすれば、有権者の0.3%未満か。
 いわんや、支持政党が掲示板の中で割れているなら、そこから第三者は、いかなる趨勢も読み取ることなどできはせぬ。
 地上波テレビが、いかに悪魔の道具か、わかるだろう。
 とりあえず総務省か民間調査会社はインターネットの利用実態調査をしとかないと、ネット工作の仕方の見当もつかないだろうね。


防衛省はさっさと「英語宣伝チーム」を創っとかないと、外交官に潰されるぜ

 毛沢東時代のシナは、ほとんど鎖国状態の独裁国家だった。このシナとの貿易を日本が始めるとすれば、極端な統制貿易からスタートするはずだった。
 統制貿易の初期の利潤はベラボーなものであり、それを許認可する権限のある者は、莫大な賄賂を、表向き合法的に、特定関係団体から、得ることができる。戦中の統制経済を知る官僚にとっても企業人にとっても、それは経験的な常識だった。
 左右を問わず、戦後日本の売国的政治家の誰もが、最後の巨額利権源を開拓し、手中にした資金力で、日本の中央政界に君臨したいと欲望していた。
 そして田中角栄グループが、とうとうその勝負に勝つ。
 田中氏の勝利に貢献したのは、外務省の中堅高級官僚の売国的アイディアだった。まず、朝日系文人らとコラボして、「対支侵略史」を捏造する。日本国内に「日本は戦時中シナ人民に一方的に迷惑をかけたのであり、1970年代の今日、蒋介石ではなく北京の中共にこそ日本から金一封を送り届けるのが当然だ」という、まったく理屈に合っていない「空気」をみなぎらせる。
 北京はもちろん、その工作のすべてを大歓迎し、田中氏を引き立てることに決める。
 田中グループは、ODAを象徴とする賠償代わりの諸便益を合法的に半永久にシナに向けて供出する財政慣行を固定した。そのマージンの一部が、田中グループに、表向き合法的に、還流するのだ。このプロットに協力し、田中氏を儲けさせ、北京をも悦こばせるアイディアを出す中堅官僚たちには、堅い出世が約束される。
 「日中友好」関係の、官営/半官営/ヒモつき民営の機関が次々に新設され、そのおいしいポストがまた、田中派から官僚に与えられる餌となった。(たぶん金丸信氏は、似たような権益構築パターンを、対北鮮で再現しようと試みて、失敗したのだろう。)
 こうした売国的工作、否、国家叛逆の記録を、げんざいの中共は、もちろんすべて保管していることであろう。したがって、いまごろになって、たとえば安倍総理から「シナの慰安婦プロパガンダに対抗してカウンタープロパガンダを米国で打て」と外務省が命令されても、外務省は、それを実行できるわけはない。もし本気でそんな動きをすれば、北京は田中時代いらいの秘密を、小出しにバラしていくだけだ。うしろぐらい日本外務省は、自国の政府に対して、一貫して面従腹背のサボタージュを続けるしかないのだろう。
 この外務省の売国的工作には、防衛庁を除く多くの省庁が合法的に加担をし、あまりにも多くの与野党の現役政治家が、関与してきた。
 それらを廓清することなく、「スパイ罪」を制定するのは難しいだろう。なにしろいちどスパイになったら、足抜けは絶対にできない。相手国が、それを許しはしない。だから、スパイ罪などが制定されたら、過去にスパイを働いた官僚氏や政治家氏は、まちがいなく、やがて刑務所にいくか、さらにスパイを続けて日本を売り続け、それを別な有力な利害国から指摘をされて社会的に抹殺されるか、道は二つ、ゴールは一つしか、なくなってしまう。
 マック偽憲法を戴いている戦後の日本ほど、スパイ罪や国家叛逆罪が定着しそうにない国家もないであろう。朝鮮総連に破防法が適用できぬのも、総連から逆襲的に過去をバラされると困ることになる人士が、日本には多すぎるせいだろう。
 ところが、日米が航空宇宙および核戦備関連の先端軍事技術で協力するためには、スパイ罪はどうしても必要なのである。それについて、防衛省にはなんの異存もない。しかし、外務省には、異存があることだろう。
 シナは「米空軍恐怖症」に罹っており、F-22のライセンスを日本に供与させないためなら、なんでもやる気だ。おそらく日本外務省も、その工作の手先になれと、はたらきかけられている最中だろう。
 この局面で、外務省の唯一の「抵抗の武器」は、英語になっているのだろう。
 アメリカの権力エリート層はイギリスの権力エリート層と違って、外国語の習得にまったく不熱心だ。国務省すら然り。大統領府は、さらに然り。英語が話せる外国人の使者は、それだけで好感され、優待される。
 これにいち早く着目したのが、シナ人であり、韓国人であり、それに続いていま、日本外務省も、気付きつつあるのだろう。英語でそれらしく要求しただけで、米国務省の下僚や連邦下院議員は、腰軽に動いてくれる。
 北京だけがいくら「F-22を日本に置くな」と叫んでも、アメリカには馬耳東風だったろうが、もしも日本の外交官の口から「F-22を航空自衛隊が持つことは、近隣アジア諸国を刺激し、アジアを不安定化させる」とか「防衛省と自衛隊にはF-22の軍事機密を守る能力はない」と英語で吹き込まれたら、効果はおのずから別だろう。
 おなじく、北京だけがいくら「大東亜戦争についての田中時代の捏造侵略史観を撤回するな」と叫んでも、アメリカには何のことか分からぬだろうが、もしも日本の外交官の口から国務省の小者に対して、「東京裁判史観をくつがえそうという勢力が日本国内にあり、首相までがそれに乗ろうとしているが、この動きは日米関係にとっても米国のアジア外交にとっても、致命的になりましょう。というのは国内に余計な論争をひきおこし、政権を短命にし、アメリカが求めている構造改革が遅れるからです」との警告を吹き込まれたなら、それは国務省の上の方へ、さらには大統領府にまで通じ、「安倍は靖国神社に二度と肩入れするな」との厳命が、ワシントンから下されることにもなるだろう。
 日本外務省は、大本営の対米開戦奇襲に最高幹部が協力した過去を抱えている。その外務省のパリ不戦条約違反をアメリカがおめこぼししてくれた東京裁判を、シナといっしょにマンセーし続けなければならない立場にも置かれている。そんな過去を呼び醒まされる靖国神社には、彼らは関わりたくはないのだ。
 いよいよ防衛省には、覚悟が必要だ。


GSOMIA締結で逆にMDは空中分解するだろう。F-22はありえない

 GHQが、日本の裁判で有罪になって刑務所に送られていた共産党員を強制釈放した問題がサンフランシスコ講和後も不問に付されたまんまであった、そのおかげで、戦後の日本には「国家反逆罪」の概念そのものが、無くなった。
 このため、野党議員のほとんどと与党議員の一部が、戦後のひじょうに早い段階から、堂々と国家反逆に手を染めるようになった。マスコミもそれを咎めなかった。
 田中内閣以降となると、もう高級官僚まで、国家反逆に手を貸すようになった。古い例では外務省による「対支侵略史観」の捏造があり、ややあたらしいところでは、大蔵省による金日成への兆単位の贈賄などが記憶される。それでも、誰も罰せられた者はいない。
 国家反逆罪の概念がないと、スパイ罪というのも、あり得ない。
 ところが、GSOMIAは、軍人だけでなく、民間人も例外なしに、その国の政府がスパイ罪で摘発したり加罰することを、大前提としている。
 これが締結されたのは、すごいことじゃないか。マック偽憲法下では、日本にはスパイ罪など、事実上、ありえないのだから、MDやイージスに関して「スパイ」を働いた者たちは、アメリカの国家反逆罪の慣習法的基準で、時のアメリカ政府の要請によって、訴追されたり、罰せられることに、必ずや、なっていくしかないだろう。
 日本政府は、これから慌てて日本製の独自のスパイ罪をちゃんと整備できるのか?
 できるわけがない。マック偽憲法などがてっぺんにあっては、国家反逆罪のコンセンサスがつくれるわけはない。したがってスパイ罪を無理にこしらえても、誰も訴追できず、誰も裁けず、誰も罰することもできない。不公平にしか運用されない悪法の見本となり、国民が法曹を蔑視するようになる。
 マック偽憲法の無効が即時に確認されない限り、こんご何十年も、マック偽憲法が支配する空間、すなわち、小沢的世界が続くのである。それが、こんどの参議院選挙で、アメリカにも分かったことだ。
 それなのにGSOMIAが結ばれた。もはや、MDは終わった。日本のメーカーの従業員は、これで金縛りだ。アメリカ国防総省の奴隷になるのだ。
 三菱と防衛省は24時間もまたずに決意を発表した。「神心」((c)北条氏長)を自力開発するぜと、東京新聞のなじみの記者を使ってアドバルーンを揚げた。もうそれしかないのだ。マック偽憲法+GSOMIAの法的環境の下で、F-22のライセンスなどをもしもコントラクトしたがさいご、三菱重工と電機の従業員は、完全にアメリカの奴隷にされるばかりだ。日本企業の最後のプライドをかけて、彼らはそれには従えない。
 朗報だ。ついに日本が戦闘機を自主開発する日が来た。
 これから、あたらしいケインズ主義が実験される。「軍事ハイテク一点かけながし」の財政出動による、景気の回復と、国税の増収と、国内産業構造の自律的メタモルフォーゼスが誘導される。将来型戦闘機のキモはソフトウェアである。金融事業の勝負のキモもソフトウェアである。
 MDとイージスの提携事業の故障が確実となった以上は、あとは日本の頼みの綱は核武装だけである。核抑止のキモもハードウェアではない。ソフトウェアである。
 夏休みなので武器オタクの中学生のために解説しておく。飛行機は経験技術のカタマリである。ロケットは飛ばない方がおかしいのだが、飛行機は飛んでいる方がおかしいのだ。だから技術後進国は巡航ミサイルではなく弾道弾に賭けるのが正解になるわけだ。日本独自のハードウェア・システムは、ざんねんながら、アメリカ製の飛行機には、これから逆立ちしても追いつけないだろう。細々したノウハウの蓄積が、もう桁違いに違いすぎるのだ。戦前も追いつけはしなかった。その理由は製造技術ではない。そもそもそのハードを撰んで良いかどうかを判定するという、開発のためのソフトの力の差なのだ。ひらたくいうと、理工系の文化の浸透度の落差である。戦前から戦後まで一貫して、日本がアメリカに負けてきた理由は、ソフトウェアなのだ。「何かをうまく開発する方法」のソフトウェアがあるのだ。それは理性への態度、学術の文化の違いに根ざす。そこにおいて、日本人は劣っているのだ。
 しかし幸いなことに、「無人機」を本気で開発するのならば、このハンデは、わずかだが、縮まる。もちろんアメリカのメーカーもF-22の次を見越し、無人機開発を始動させている。追いつくチャンスは、今しかない。今を逃したら、未来永劫、追いつけなくなろう。
 シナのおかげで石油の値段がいまの百倍になる時代も近い。そうなれば、航空用エンジンの経験のハンデも、チャラになるのだ。千載一遇のチャンスとはこのことだ。三菱にも、そこはよく分かっているだろう。


外務省工作局が逆に国務省を操りだしているのではないか。反防衛省の目的で。

 『voice』の9月号を拝読しての偶懐。
 マッカーサーが日本の「セルフディフェンス」を認めたことなど一度もなかったのではないかという『正論』8月号での兵頭の質問に渡部教授は、『正論』9月号だけでなく『voice』の連載においても、お答えになる気はおありにはならないのだと拝見をいたしました。
 いかにも「自衛」の解釈権は各国にあるのでしたが、それを列国に説得する義務もまた各国に課せられていたのです。スターリンは、日本は侵略者であるとまず演説し、それに対して自衛するという論法で、自国も批准しているパリ不戦条約を尊重する姿勢を世界に示し、その上で対日開戦しました。やっていることは野性の熊と同じでも、言葉の上で、「近代」というものが分かっていたわけです。
 ところが対照的に昭和16年の日本は、その説得に失敗している……というより、12月8日の大本営発表が端的にあらわしているように、これが自衛戦争であるという自己説明の努力などまるっきり最初からしなくてもよいのだという態度でした。その、言葉を軽視する精神が、あまりにも不逞なのです。インドなどとは違ってレッキとした大国でありながら、その不逞精神を表出した。そこが、グロチウスいらいの近代啓蒙精神を大きく後退させるものだとして米国の法律家から顰蹙され、日本人は約束を破ることを恥じぬ反道徳的国民だとも判断され、市街地を焼き払う作戦までもが正当化されてしまったのです。帝国陸軍参謀本部がソ連に対して、また帝国海軍軍令部がアメリカに対して、それぞれ奇襲開戦による国防しか考えるつもりがなかったのが戦前の日本。ならば、統帥大権を名目的に有する近代天皇の名においてパリ不戦条約を批准すべきではありませんでした。大国が公的に約束したことは、外見的に尊重しなければ、シナなどの中小国はますます条約を尊重せず、世界の秩序と安全は減るばかりでしょう。渡部教授らには、ここがわからない。おそらく一生、おわかりにはなりますまい。イスラエルのオシラク原発爆撃は自衛であるとイスラエル政府によって説明されました。多くの日本人はそれには説得力があると感じました。12月8日の中立国民の立場になってみて、開戦詔勅の「自存自衛」に、誰が説得力を感じたでしょうか。誰がまず日本もしくは日本の同盟国を侵略したのか。誰がまず東京を毒ガス空襲しようとしていたのか。
 鳥居民氏の雑誌対談は、自著新刊のダイジェストにもなっているようですので、いつも有り難い企画です。今回、鳥居氏は、「本来なら、たとえば英国は海軍が強くて陸軍は付けたり。米国も第二次世界大戦前までは同じです」(p.120)と発言しておられますね。
 「戦争大臣」は英国では戦前から陸相のことを指し、海相ではありませんでした。「戦争長官」は米国では戦前から陸軍長官のことを指し、米西戦争やメキシコ戦争の前後でも、海軍長官は閣内で遥かに格下の若輩者用ポストでした。考えてみましょう。イギリス海軍だけでどうしてナポレオンの間接侵略を防げたはずがあるでしょうか。アメリカ海軍だけでどうして大英帝国から独立し、領土を何倍にも拡大できたはずがあるでしょうか。残念ながら鳥居氏もまた、統帥一元の本義を掴んではおられず、日本海軍だけがあまりに異常で特殊であったことを、掴んでおられないのです。日本海軍の宣伝に、旧陸軍がやられたように、鳥居氏も、やられているのです。
 またこれは鳥居氏が既著でも書かれていたことだと記憶いたしますが、昭和16年11月30日の時点で海軍(永野)の本心は対米戦をしたくなかったのだと鳥居氏は確信しているご様子。そして、木戸が、その避戦のチャンスを潰したのである、と。この見方を現在でも鳥居氏は、維持しておられることが今回の対談で分かります。兵頭の見方は逆です。高松宮は永野の口先に騙されたか、あるいは何かのアリバイ工作の必要を感じて、昭和天皇を混乱させたのでしょう。児玉源太郎の子孫である木戸は、永野の本心(=対米開戦奇襲をすぐやるべし)を完全に承知し、同意していたでしょう。
 昭和16年時点で、陸軍も海軍も、パリ不戦条約を無視する奇襲開戦戦争しか頭になかったこと、しかも、統帥二元制度のおかげで海軍が陸軍の対ソ戦争プランの発動を頭から拒否できるために、陸軍としてはまず海軍の対米戦争プランに協力してやる必要があったこと。これをいまだに掴めない歴史整理の典型が、猪瀬直樹氏の新刊『空気と戦争』でしょうか。もちろん、各雑誌の新刊紹介文だけで、わたしは現物は読んじゃいないのですが。
 他誌の新刊紹介文によれば、猪瀬氏は、支那駐屯軍や支那派遣軍は不良資産だったと言っているようです。兵頭は、満州国こそが不良資産だったと考える。日本海海戦でロシア海軍が消滅し、またポーツマス条約で南樺太を獲得できた時点で、ロシア軍が北の樺太と南の朝鮮半島から日本本土をうかがうという、幕末いらいの日本の防衛不能の最悪事態は、やっと避けられることになりました。その時点で、満州の確保も、朝鮮半島の確保も、日本にとっては必要ではなくなったのです。しかし極度に労働集約的な日本式水稲作の農村から兵隊を動員してしまった以上は、その銃後への大損害の埋め合わせとして、政治家は、外国の領土と資源を分捕ってトータルで得をしたのだという国内向けの宣伝の配慮が必要でした。また帝国陸軍は、対ソ奇襲開戦のために満鉄を日常支配している必要があったので、満州事変も起こされた。ところが満州国の後背にはシナがある。ソ連としては、満州の日本軍を「近-近」でトポロジカルに挟み撃ちすべく、北支を反日化orソ連化させようと、とうぜん努力します。日本陸軍は、そのソ連に対抗して満州を確保しつづけるために、北支分離工作をせにゃらならなくなった。これは空気なんかじゃなく、リアルな要請があったんです。東條が「防共駐兵」と叫んだのは、それをしないと満州が南北から挟み撃ちされ、逆に満州と北支の日本軍が外蒙経由でソ連軍から背面奇襲をくらい、包囲殲滅される立場に陥るという危機意識でした。しかし、かりに北支を「明朗化」できたとしても、そのさらに後背には南支がありますから、こんどはソ連は南支工作や西域工作を続けたことでしょう。オセロゲームのように際限がなかった。しかもWWI以降は、奇襲は鉄道より先に飛行機でするものになっていました。関東軍がシベリアのソ連空軍基地に奇襲をかけようと大々的に準備を整えれば、一瞬はやく、ソ連はそれを察して逆に先手をとって航空奇襲を満州の陸軍基地へ、かけてこられる。梅津が見るところ、ソ連には、それほど隙がなかった。満鉄も空から爆撃されてしまうでしょう。関東軍がいくら満鉄を確保していようと、対ソ奇襲開戦などはできなくなった。だから関特演も対ソ戦にはつなげられなかった。もう、満州そのものが、日本の国防にとっての不良資産になったのです。海軍は、それに海南島をつけくわえてくれた。日米交渉で、海南島からは絶対に出て行かないとゴネて、日米交渉がまとまらないようにしています。海南島には防共の意味もなく、誰が見ても「領土的野心」ですよ。阿呆なシベリア干渉の代わりに、北樺太に傀儡ロシア政権を樹てておけば、それは良い資産になったはずでしたが……。
 かくして、陸軍の対ソ航空奇襲はとうてい不可能になったものの、海軍の対米奇襲(それは航空奇襲と潜水艦奇襲からなる)は、ひきつづき、容易と見られました。ですから、ドイツと連合しての対ソ戦をやってみたくてたまらない陸軍は、まず海軍に対米奇襲してもらうことを歓迎したのです。
 ところで防衛省は、このままでは国務省と結託した外務省によって潰されるから、逆襲しなければダメだ。省内に、勝手に「スパイ調査班」をつくり、「○○党の××代議士はシナからカネを貰っているスパイだ」「△△省の▼▼課長は国務省と結託して日本を売った」と勝手に天下にバラしていくことだ。そこまでやって、はじめて米国防総省は、日本にもっと秘密を知らせてもよいだろう、と考え直してくれるだろう。


シーファー事件を風化させるな

 米下院決議は米行政府とは無関係ゆえ、日本の衆議院議員が何の反論もしないというなら、これは日本の有権者が招致した自業自得としか言えず、いまさら評論家風情が騒いでもとりかえしのつかぬことだが、その前の「シーファー発言」だけは看過してはならない。あれこそ「事件」でありスキャンダルでもあって、日本の行政府は、キッチリと落とし前をつけて行かなければならない。安倍氏はそれを片付けてから辞任すべきだ。
 そもそもコーノ談話を踏襲しろなどという大それた内政干渉をどうして小者のシーファー氏などに出来たか。これは御本人の発案/決心ではもちろんあり得ぬ。肱を曳き、背中を押した反日プロッター一味が存在する。
 いやしくも駐日大使に特種な発言をなさしめ得る者は、本国政府(大統領府・国務省)か、日本外務省以外にない。
 殊にシーファー発言のような驚くべき内政干渉は、この両筋が同意しなければ出されない。
 つまり、日本外務省が、これより参院選を戦わんとしていた安倍内閣を、裏切ったのだとしか推理はできないであろう。
 ではなんの理由で裏切ったのか? 外務省と関係がない日本人の有志が全米の一流紙に大きなカウンタープロパガンダ広告を打ったのが、彼ら無能役人のナワバリを冒す行為と受けとめられ、反感されたのも、一つの背景ではあろう。しかしそれは、理由としてはケチなものであろう。米国の一部政治グループとの、将来を計算した結託が進んでいるのか? 真相は深い霧に覆われている。
 1924年に駐米大使が上院に送った書簡の一形容詞を、ハースト系新聞と反日議員が〈これは脅迫だ。米国は威嚇された〉とフレームアップし、排日移民法の成立阻止のために、ぜんぜんならなかったことがある。
 こんかいの決議前に駐米大使館から米下院に送ったとかいうメッセージの文言を、仔細に検討してみるといい。どうせ、1924年の二の轍を避けるどころか、むしろ1924年の二の舞になることを密かに欲するかのように、意図的に下院を焚き付け、燃料を提供する、巧妙に挑発的な手抜き文章だろう。わたしは直感する。外務省の総意として、反安倍のサボタージュをやっているのだ。そして安倍氏は、それを厭でも知らされつつも、外務省を懲罰することはできなかった。ヘタレである。知らなかったとしたなら、タラズ(北陸方言)である。
 さすがに米国下院も大正時代よりはずいぶん体裁づくりが進化していて、駐米大使からのメッセージの言葉尻を捉えて、怒り狂ってみせるなどという稚拙なパフォーマンスは誰も演じなかったのみか、決議を参院選の後まで延期したのであった。大人である。これよりしてみても、いよいよもって、シーファー発言の異常性が、際立ってくるではないか。「事件」がたくらまれたのだ。そして戦犯グループは、誰一人、指さされてもいない。


なぜシーファー氏にペルソナノングラタを突きつけられないか

 慰安婦プロパガンダに反対する新聞広告の主旨に真っ向から反対する声明を駐日大使が出した以上、安倍内閣は直ちにシーファー大使に真意を公式に問い詰め、公式の撤回がなければ、すぐに続いて「好ましからざる人物」を宣告すべきであった。この小者級の大使が東京から消えたところで、日米関係が破壊されることなどなかったのは言うまでもないことであろう。
 そして次の駐日大使候補者に日本国政府としてアグレマンを出すかどうかは、このたびの慰安婦プロパガンダに反対するわれわれの新聞広告の主旨をその候補者が事前に公式に受け入れるのかどうかで判定する――とすべきであった。
 米国連邦議会の議員がカネまみれであることや、特にその下院が日本に関してイカレた決議を出す癖があるのは大正時代からのことで、こんなことに驚いていたら外交はできないはずだ。不愉快な決議が遂に出されてしまったのは、シナの工作に夙にドライブがかかっていることを1年前からさんざん警告されておきながら、なにゆえか安倍内閣が、内外の民間人にそのカウンタープロパガンダ工作を依頼せず、さいしょから対外宣伝は絶対にできない公務員組織であることが知れている、脛に大きな傷を持った外務省などに、全対応を丸投げし続けたせいである。こんどの選挙の負けっぷりを見ても、安倍氏は小沢民主党に対するネガティヴキャンペーンすら打てていない。安倍氏の戦闘的宣伝指揮官としての無能はいよいよ証明されてしまったのであり、彼の賞味期限はもう終わった。
 米国の行政府と議会は憲法上、完全に独立である。だから、日本政府から、対連邦議会工作を表立って大統領府に要求するのは、筋が違う。相手国の憲法を軽視しているとすらとられかねない。
 米下院の決議に真っ先に対抗する責任のあるのは、日本の内閣ではなく、日本の国会の下院たる衆議院なのだ。然るをわが衆院は、日本にとって不名誉な米下院の決議を聞きながら、何の対抗決議も、抗議行動もしなかった。その役に立たない衆議院議員たちは、民主的な選挙で選ばれているのだ。つまり今回の不祥事は、日本の有権者のヘタレが引き起こしている自業自得と言って過言ではない。
 日本国民の直接抗議の手紙攻勢やデモ攻勢が、アメリカ大使館に対してあるべきであった。しかしこれはあきれるほどに僅かなものであった。ヘタレ衆議院議員に仕事をさせている日本のヘタレ有権者が、米大使館に対する直接抗議など、するわけもない。
 米国の「五ヵ年計画」は、陸上自衛隊をシナ周辺地域に派兵して、シナ軍にバックアップされた敵勢力と戦闘させることが一つの目標である。この「五ヵ年計画」を呑んだ自民党リーダーは、米国政権から有形無形の長期のサポートがうけられ、参院選で大敗しても辞任しなくて済むのだが、そのかわり、今回のシーファー氏のような非理非道の干渉をこれからも受け続けると覚悟しなければならない。
 ユーラシア大陸での陸戦は、「歩兵の数×居座り時間」が勝負である。昭和十年代、100万の日本軍が永久にシナ大陸に居座るだろうと見られ、シナ大陸から一人の日本兵もいなくなるとは夢想すらもできなかった頃には、あの蒋介石すら、何度も屈服しかけた。しかし戦後の日本軍に、永久居座り戦争は戦えない。米軍が苦しんでいるイラクの軍政の肩代わりのようなマネは、したくともできないのだ。
 したがって、いくら装備や訓練がシナ軍よりも優れていようが、最後の敗北は日本軍の側にあるだろう。哀れな武器オタクと空自がこだわるF-22など、あってもなくてもこの結果を左右しない。
 海上紛争はどうか? シナの海軍兵器はいかにも天下のボロである。しかしシナ側には核兵器がある。飛行機や船で負けても、核の発射までエスカレートして行けるのだ。どうじに民衆暴動をいくらでも煽動できるのだ。日本軍には北京の天井なしのエスカレーションを日本のイニシアチブで抑止すべき、自前の核兵備がない。したがって、エスカレーションの最初の段階で、敗北の結果を予測して、投了するしかない。
 アメリカは、日本に核武装をさせずに、日本の陸海軍にシナ軍と戦闘させようと考えているのだが、これに応ずることは、日本の必敗であって、国益に反する。
 シナに関しては、日米同盟はどうやっても機能しない。「五ヵ年計画」で日本の憲法をどう変えても、ユーラシアでの陸戦および核エスカレーションのリアリティ、日本とアメリカのシナからの距離の不均等を、変更させることはできない。
 シナに関して日米同盟が機能するとしたら、それは日本が核武装したときだけである。これを米国の「五ヵ年計画」に書き込ませることのできる政治家が、兵頭の支持できる政治家である。


校正根性

 東中野修道氏著の8月の最新刊『再現 南京戦』の中に誤記を見出したので、2刷で修正されることを期し、以下に指摘したい。
 49頁。「R」や「i」などの軍隊符号が「英語表記」だとしてあるが、これは独語表記である。英語と独語の頭文字が偶然合致することもあけれども、当然、異なることもあります。
 たとえば「加農」は英語では頭文字がCになるが独語ではKだ。「騎兵」もまったく同様の違いが生ずる。
 本書79頁の「10K」は「独立野戦重砲兵第十五連隊のこと」ではない。これは「十糎加農」、すなわち105mmのカノン砲のバッテリーを示している。
 野戦重砲の火砲装備には、十五糎=152ミリ榴弾砲(十五榴、もしくは15H)と105ミリ加農(十加、もしくは10K)の二種類があったのです。
 砲兵部隊も、輜重と同様、自衛の小火器をほとんどもっていませんでしたから、それを知っていたシナ兵は、好んで襲い掛かってきたのです。それで、一部の砲兵隊も、しかたなく「竹槍」を装備していました。
 しかし最近の草思社は良い仕事してますね。惜しむらくは、南京の単行本は、タイトルがみな、類似品のようなものになってしまうため、ここ1~2年のあいだに、じつは「なかった派」「幻派」こそが正確であったのだという真相解明に近づいていることが、世間に伝わりにくいことでしょう。「ああまたか」と思われてしまっています。
 ところで今度の選挙にシナ政府はどんな干渉をしたのだろうか?
 2005の郵政選挙のときは、胡錦濤が投票日の2日前に、軍艦3隻をガス田に派遣し、小泉氏を金縛りにして靖国参拝を阻止しましたよね。もし参拝すれば北京とNYTと民主党(岡田党首)がコラボして大騒ぎにする手筈だった。では、果たして今回は、陰でいかなる術策を弄したのか。そろそろ、どこかから、リークが聞こえてきても良い頃だと思いますが……。


惨文

 まずオレが福田和也氏の文章を読むにあたって、他人の棚卸しをする公正さを維持できているかどうかは10日発売の文春文庫『乃木希典』の巻末解説を一読してもらおう。
 ついでに告白するがオレは福田氏の他の雑誌掲載記事は、もうまったくといっていいほど、読んでいない。理由は、最近はどこが面白いのか分からんからである。〈それは、兵頭が無能なのだろう〉と思う人、あなたは正しいかもしれない。
 できれば週刊新潮だったか週刊文春であったかの氏の時事系の連載コラムぐらいは目を通したいとかつては念じていたが、あいにくこうした週刊誌は、常連寄稿者でもないオレの家には、タダでは郵送されて来やがらないのだ。書店で買えば、北海道では東京よりも3日遅れくらいになるゆえ、このインターネット時代には、カネを出す気にならんのである。悪くとらんで欲しい。
 で、どうしてもこの欄で表明しておくべきことがあるので、以下に書きたい。
 『文藝春秋』『諸君!』『voice』『正論』の4つの保守系と分類される月刊誌に軒並み、福田氏の連載評伝小説が同時連載されている姿、これは異常であり、且つまたどうみても、現下の日本の出版業界の恥である。
 というのはオレのあくまで下司なグリーンな僻目であるが、福田氏は司馬や清張と互角の小説家とは評し難いのだ。日本に他に、もっと読んで楽しい文章が書ける、あるいはもっと驚くようなオリジナルな見解を抱懐する書き手はいないのか、という疑問を、中正の立場の読者も持っているのじゃないか。特に『諸君!』の「山本五十六」はひどいものだ。オレは『東京裁判の謎を解く』で最新の日本海軍悪玉論を呈示しているのに、それが全然スルーされっ放しで、えらい昔のオレの本から、何度も長い引用がなされている(と、一読者の人から知らされた。スイマセン、読んでなくて)。これは正直言って、迷惑だ。
 数ヶ月前に、『諸君!』の編集長が、内田さんという人に代わった。オレの若惚けの記憶にまだ間違いがなくば、内田さんは昔の「地ひらく」の担当もやっていた。「地ひらく」と「山本五十六」のあまりの段差(と想像で言うが、たいへん申し訳ないことに、オレは『地ひらく』も後半は読み通せなかった)に、あきれかえった内田さんは、目下、連載を休止させて、福田氏に強談判中なのではないか。つまり手抜きをやめてくれるか、さもなくば、連載を早期に切り上げると。
 『諸君!』の8月号を拝見すると、ナナメ読みで申し訳ないが、編集長が、情報のオリジナリティを重視しているのが窺え、好感できる。かなりハイブラウの読者層に照準を合わせ直していると感じた。
 連載の途中切り上げの前例としては、今の中瀬さんが、『新潮45』の編集長に就いた直後に、一本のじつにイライラするような海軍小説の連載を打ち切ったためしがある。
 評論を小説形式で世に問おうとするスタイルは、今のおちつかない世相には、マッチしなくなっているとオレは考える。妄想家の松本清張氏にとっては、小説形式と評論は、たぶん不可分であった。分析家の司馬遼太郎氏は、最後には小説形式など、わずらわしくてたまらなくなった。
 いまの世相にマッチするのは、読者の自由時間を拘束することの過度でない、短いオリジナルな評論だろう。すこぶるオリジナリティが高いのであれば、延々と続く雑誌連載としても、読者は、飽きないでついてきてくれるだろう。だが、オリジナリティが薄いものならば、それに合わせて全体の長さを縮めるべきである。オレはそのことをハードカバーの『乃木希典』の書評でも示唆したつもりだったが、福田氏にそれが伝わらなかったとしたなら、甚だ残念だ。が、分かっていて、稿料のために長い評伝形式を選んでいるのならば、オレが言うべきことは、ここで述べた以上には、もう無い。


歴史の進め方

 前々回の参院選で、いまはない徳田さんの自由連合が、個人としてはおそろしく潤沢な資金を突っ込んで、一挙に多数のタレント/無名候補を擁立して大バクチに打って出たものだ。(今にして思えば、徳田氏は自分の健康について予感があったかもしれない。)
 このときの選挙では、一水会が徳田氏に賭けて、文字通り粉骨の応援に出た。比較しては双方に悪いかもしれぬけれども、今回の選挙で瀬戸氏のよびかけた「新風連」が、維新政党・新風の応援を買って出たコラボの先蹤だ。
 プロレス系では、佐山聡氏(落選)の他に、前田日明氏にも徳田氏から誘いが行った。が、前田氏(被選挙権は既に有り)は固辞したので、懇意の週プロ元編集長の杉山さんが面白ずくの代打で立候補することになったのである。とうぜん、『武道通信』の仲間であるわたしは、政権放送原稿書き、マイクを握っての首都圏駅頭演説、桃太郎までをも含む、さまざまな応援をした。(ちなみにわたしが武通にかかわるようになったのも、一水会に呼ばれて講演したのが縁である。)
 開票の結果は1600票台ではなかったかと記憶する。
 杉山さんには申し訳ないが、「頴男」なんていう、週プロ/格通の平均的読者だって読めもしないし、もちろん書けもしないと思われる名前表記を、意固地にひらがなにすることを拒否し通した、わからず屋の真正泡沫候補者が、当時は今ほども注目されていなかった「武士道」だけを訴えて、全国の1600人以上の、たぶんは会ったこともない有権者に、おそらくは一度も聞いたことがない自分の名前を書かせたという事実が、たいへん印象的で、忘れられぬ。
 この前々回の参院選につきあってみて、わたしが学べたこと、考えを深めることができたことは、甚だ多い。それは、いまだに整理し切れぬほどである。
 まず、強力な集票マシーンたる特殊な組織にいっさい所属していない無名候補は、地上波のテレビ映像を味方につけない限り、万単位で票をあつめることは、できるわけがないのだと実感できた。(当時すでにインターネットはあったが、反朝鮮を露骨に打ち出さない右翼系に関してはインターネット宣伝の手応えはゼロであった。)
 したがって、「電波利権」構造のために東京のキーTV局数がごく限られている日本では、テレビが、国政選挙や地方選挙を簡単に左右できる。
 そのテレビを利用できるかどうかが、泡沫タレント候補の当落の分かれ目になるが、当選するタレントと落選するタレントの違いは、やはり「語力」である。
 ここぞという場面で、ちゃんとした日本語の演説ができない人は、テレビにもとりあげてもらえないのだ。やはり、面白くないのだ。
 思想がどうこうの前に、語る言葉に安定感があるかどうか、である。現に国会議員になっている「タレント議員」には、平均的日本人以上の日本語力が、やはり、ある。タレント議員/知事等を馬鹿にしている人こそ世間知らずである。タレント議員は、自分の語っている言葉が、視聴者にどのような感覚を発生させているか、語りながらモニターし、フィードバックできているのだ。確かにタレント=才能だ。テレビも、有権者も、そこでまず安心ができるのだ。
 次に、選挙カーに同乗して駅前から駅前と飛び回れば、誰にもじきに分かってくることは、わけのわからぬイヤガラセを仕掛けてくるのがたいてい、公明党か共産党、そのどちらかの組織構成員だということだ。これが、当該2党をのぞく、自民党以下のすべての議員および選挙スタッフの体験的心象だろう。
 であるから、苟くもじっさいに自分で選挙を戦って議会に席を得た者であるならば、この2党とのコラボなど、まったく考えられもしないのである。理屈の上ではあり得ても、感情の上で、そんなことは不可能なのだ。(共産党はワサビになる、などと好感している甘チャンは、選挙活動を自分でやったことのない万年アウトサイダーだけに違いない。)その心情は、政治的には、理性にも近いのだ。思想統制集団の非国体的・非日本的なおそろしさの一端に、体感が警告しているのである。
 ところがその不可能なはずのコラボを、小沢氏は始めてしまった。
 禁断の侵襲が加えられ、公明党の増殖が励起され、ついに異物は自民党に転移し、自民党を変異させようとしている。今回の参院選での自民党の低調の原因には、公明党という異物に全身を冒された自民党の活力低下もあるのだろう。早く切除して自力回復を計る良い潮だろう。公明党といっしょに改正する憲法なんて、誰が歓迎するものか。いいかげんにしてもらおう。
 維新政党・新風は、前々回の乱立選挙の前から参院選に参戦しており、今回の参議院選挙がチャレンジ4回目。全国に地方組織ができているから、次回の参院選の前に消えてしまうようなこともなかろう。
 新風は、過去3回は、テレビ局にもテレビ視聴者にもまったく無視された。(わたしも最初の2回は、聞いた覚えすらない。)政見放送は誰の印象にも残らず、注目区で候補者が他候補と対等の扱いを受けたこともないだろう。が、今回は、テレビ局には「無視」という逆の形で注目された。破られたポスターは、一番多いだろう。
 これは、瀬戸氏のキャラクターおよび、瀬戸氏が勝手連として呼びかけたインターネット活動の「新風連」のおかげである。「新風連」にとっては、今回が最初の参院選だったことに注目すべきである。新風の若手党員が、新風連と提携し、それが、魚谷氏ら幹部を動かしたものと思う。
 以下は兵頭の邪推だが、過去3回の新風(の謎のスポンサー氏たち)のスタンスは、次のようなものだったに違いない。
 ――議席なんかどうでもいい。票なんか増えなくてもいいんだ。三年に一度、全国放送のNHK-TVでオレたちの熱い思いを込めた政見放送の原稿を読み上げることができさえすれば、それが無上の価値である。そのために、三年に一度、比例区のある参院選に必要な一億円くらいはつくろうじゃないか――。
 おそらく、このように考える者が資金を担っていればこそ、新風のビラやポスターや宣伝カーのテープは、どうしようもない出来栄えのまま恒久不変なのであり、新風の綱領はアナクロのままで良いのである。外野の兵頭の提案など聞かれないのである。カネを出す者が、広宣する。それで文句はないはずだ。
 国会に議席を有していない新風は、衆議院選挙では、全国向けの政見放送をNHK-TVでする政党の権利が与えられないから、衆院選挙はスルー。また、参院選に使うくらいの資金を地方議会選挙に固めて投入すれば、1議席はとれるだろうが、それではやはり全国向けの熱い思いの宣伝ができないから、やはりスルー。
 つまり、過去3回は、議席を取ろうなんて気がなかった。議席を得ての「政治」ではなく、「政治運動」こそが最終目的だったのだ。
 ところが瀬戸氏の「語力」が絶妙にネット右翼にアピールし、ひょっとすると比例で1議席行けるんじゃないかという気運が若い党員にみなぎった。それが新風の幹部も動かして、今回、はじめて、本当に議席を取りにいく気で、参院選が戦われた。
 よくぞ「アノニマスのスポンサー」氏たちが同意したものだと思う。なにしろ、数千万円を賭けたNHKの政見放送で、瀬戸氏に半分しゃべらせようというんだから。
 だが、この路線変更はあまりに倉卒であった。新風連を組み込んだ選挙戦の準備時間がとれず、必要な票数には到達しなかった。たぶん、瀬戸氏とタッグを組んで3年準備していれば、結果はまったく違い、楽に1議席を決めることができたかもしれない。
 いかに党の方針転換が倉卒で素人臭かったか。わたしは瀬戸氏とは一面識もないので、もし以下のわたしの認識ならびに推定が間違っていたら、ただちに訂正しなければならぬが、魚谷氏以下の党の幹部は、瀬戸氏にすすめられて、例のT女史を新風から立候補させる気だったらしい。
 T女史は、それにいったん同意をした後、当初は納得していたはずの、維新政党・新風の党名や主張を変えてくれとか、いろいろな難題を要求してきたらしい。と同時に、この噂を聴きつけた、旧軍人系の支持者が、東條氏と松井大将系の旧軍将校との悶着のある事実も、魚谷党首に注進した。(わたしは同党のインサイダーではなく、T女史をかつぐという話は、決裂後に知らされた。)
 伊豆半島にある「興亜観音」は、松井石根未亡人らが出資した基本財産の金利で運営されている。松井未亡人が数百万を寄付し、別な方が数百万を寄付し、トータルで1200万円くらいだろうか。平成6年に「興亜観音を守る会」になっている。A級死刑7人のうち、他の6人の遺族は関係をもっていなかったのだが、そこに岩波女史があらわれ、山の中に福祉施設をつくるので出資がどうのという話になり……。
 まあ、詳しい事情は「興亜観音を守る会」に尋ねたら、裁判のことも含めてすべて説明してくれるのだが、T女史はわたしの僻目では、「東條英機」で世渡りをなさっている御方のように印象せられる。
 このT女史かつぎ出し案がポシャッたので、急遽、瀬戸氏みずからが出馬と決まったのである。なんという慌しさ。もちろんわたしは、新風が候補を立てるなら、勝てるのは瀬戸氏だけだと確信し、このニュースを歓迎した。
 議席を取りにいく選挙とするならば、次の点がただちに変更されるべきであった。
1.政見放送は100回くらいリハーサルすること。(かの有名な外山候補は、おびただしくカメリハを重ねてから収録に臨んだらしいぞ。)
2.ポスターは、特にキャラ立ちしている一部の候補を除いては、顔写真は使わせず、文字だけか、顔イラストにさしかえること。徹底してバーチャルイメージで勝負させるため。
3.比例区のポスターは、運動員の数からして、貼れる枚数はたかが知れているのだから、許されるいちばん大きなサイズとし、且つ、政策を文字でビッシリ表示しておくこと。
4.街宣テープは兵頭案を採用すること。(いや、もっとすごい原稿があれば、そちらでも良いのですよ。)
5・ビラのデザインや内容も一新すること。
 ……しかし、準備時間がまったく取れないために、けっきょく、議席を狙わない前回の宣伝選挙の諸道具のまま、告示を迎えてしまった。
 それでも、これまでの政治運動団体が、議席を取りに行く政党に、一瞬にして脱皮できたことは、愉快ではないか。
 その脱皮をさせたのは、瀬戸氏と、新風連と、維新政党・新風の若い党員たちの働きである。
 安倍氏はもうダメだろう。安倍氏の顔では、こんごのどんな選挙も戦えまい。自民党に「隠し玉」の後継人材がないのだとすれば、これから国政は大いに混乱するだろう。
 思想統制組織が、きょうびは、流行らないことも確認できたと思う。テレビによる国民衆愚化にもかかわらず、近代的自我は、まだ朽ちてはいないのだ。自由ばんざい。


そらだま注意報!

 支持部に箸立てを利用する場合。基部と筒部をつなぐ螺子の部分の緊度が弱いものは、強風で筒部から上が飛ばされます。接着剤で、螺子部分をスポット接着することで、この事故は防止できるでしょう。
 白票や無効票は、無意味なのか?
 いいえ。大いに意味があります。
 特に地方区における白票は、「好める候補者はないが、投票日にわざわざ投票場に出向いて自分の一票を投ずるだけの元気なモチベーションとフットワークを保持している有権者が、ここに一人いたぞ」という事実の、強烈なPRになるでしょう。
 その票数は、動かしがたい記録として残されて、選挙後の各党の国会での行動を、微妙に変更させる力を持ち続けます。
 なぜなら彼/彼女は、怒っているのか、不満であるかのどちらかに違いないからです。
 次の衆院選でその怒りの蒸気圧を解放する政党/候補者があらわれれば、その政治的エネルギーはまったくあなどれない――と考えられるからです。
 申すまでもなく、白票をわざわざ投じた有権者が、「組織票頼み」として世に知られている複数の古い政治団体の忠実な構成員などではないことは、特殊な選挙区でなかった場合、自明ですよね。つまり、組織票を頼まない or 頼めない諸政党としては、その数字を見て、「もっかの路線では、これだけの白票投票者の歓心を得られなかった」との反省が生まれなければなりません。
 逆に、組織票頼みの古い政治団体としましても、「この白票が次の衆議院選挙でライバル党の方に吸い上げられたら、どういうことになるのか」と気を回すはずです。
 ですから、あまり非常識な法律が、選挙後についたはずみでいきおいよく次々成立……というような流れになることは、防ぐことができるのです。
 かりにもし、「無効票にするのは損な気がするから、気乗りはしないのだが、どこかへ一票をいれておくか」という行動をすべての有権者がとり、白票がゼロだったとしましょう。選挙後の各政党は、次の国政選挙までの間、何を考えるでしょうか?
 党の既成路線について、自省をしてみるでしょうか? 日本国内の怒りと不満の蒸気圧の潜在について、なにか想像をするでしょうか? まったく新しい政策を創始しなくてはならないと覚らされ、工夫を凝らしてみるでしょうか? 
 また、「この白票の怒りと不満を代表できるのは、自分しかいない」と、未来の救国の大政治家をして、次の国政選挙にはじめて立候補しようという決心をさせることが、できるでしょうか。
 ヒキコモリの皆さん。今日は、テレビやモニターの前にいちにちじゅう座っていてはいてはいけません。
 選管から届いたハガキを失くしてしまった場合でも、最寄りの投票場に足を運びさえすれば、その場で有権者名簿と照合してくれ、投票ができる場合もあります。