兵頭二十八先生より皆様への「虫のよい無償調査発注」

(2003年頃に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』へUPされたものです)

(兵頭二十八先生より)
 いつもお世話になっております。前回ちょっとお尋ねした「排水量換算表」の件では、改めて、このサイトの底知れぬ深さを認識させられたように思っております。
(尤も直接読んでないので甚だ恐縮なのですが…。管理人様、いつもすまないねえ…。それは言わない約束? おお、そうじゃった!)
 そこで、図に乗りまして第二の「発注」を致します。皆様には是非、下記についての書き込みをしていただけますと誠に幸いでございます。
 これらは無論、本来であれば兵頭本人が図書館を回って調べねばならないのですが、現在、兵頭には複数の雑誌原稿の入稿〆切が切迫しておりますため、多少時間を「巻き上げ」たいのであります。勝手ですが、「軍事関係の蔵書ほとんどゼロなのにオピニオン誌の編集者たちからは立派な『軍事評論家』だと思われている軍学者」の生計のため、ひとつ「特急」で宜しくお願い申し上げます。
 薄謝として、管理人様が保管する「写真」のうち、「最もくだらない一枚」が貴男の自宅へ直送される……かもしれません。これはあまり期待しないで下さい。


(管理人より)
 下記全ての「御下問」について何か御存知の方は是非掲示板に御投稿下さい~。ええ、住所と御本名をメールで御教え下されば、各設問に対して無条件で先着5名様に焼き増ししたのを喜んで送らせていただきます!よろしくお願いしま~す!

※2020年現在、掲示板は当サイトには存在しません。


長期募集

 日米戦争中、米軍から日本兵に投降を呼びかけたビラ(伝単)で、「白旗を持って出てきなさい」と書いたものが、あったか否か?
 これについて些細な事でも御存知の方は、是非、情報を掲示板へお書き込みください。
 なぜ兵頭がこんなことに関心があるのかは、月刊『発言者』をずっと愛読されて
いる方にはお分りですね。けっこう見逃されている部分なのであります。

これまでに寄せられた御投稿

No.2

http://www.iwojima.jp/data/handbill.html

http://www.city.yokohama.jp/me/soumu/sisi/war-colect2.html

http://village.infoweb.ne.jp/~pms/Tenji/dentan.htm

http://asao20.hp.infoseek.co.jp/dentan.htm

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2002/0318.html

http://history.independence.co.jp/ww2/phtop.html

書籍
「紙の戦争 伝単」平和博物館を創る会・編 エミール社

御投稿者:水 様
2003/02/15(Sat) 20:13


No.1
 某有名プラモデル雑誌上でミリタリー関連のインターネットHPを紹介するコラムを長年書いてこられている大先達の三貴雅智様から、次のような貴重な情報を、別ルートにて頂戴致しましたので、謹んで皆様にお知らせし度いと思います。
http://members.aol.com/RLobinske//Saipan.html に、“Military Life on Saipan 1944-1945”という頁があり、1枚の「生命を助けるビラ」の写真が載っています。
 太平洋戦線で米軍が撒いた勧降伝単の実物だ。
 これです!
 こういう情報を求めているのです!
 ちなみにこれを見る限り、米軍は日本兵に「白旗」を要求していなかったことが分る。この例外のリーフレットは、どこかに残ってないか?
 あるいは、記録文中で言及されてないか?
 ビルマ戦線では?
 引き続き、幅広く情報をお寄せください。お待ちしております。
 三貴様、どうもありがとうございました。サ・ス・ガ……です。
 久々に「ハヒャッ」とうならされてしまいました(楽屋落ち・1)。
 ぜひ『軍事新潮』、略して「ぐんしん」の秘密メンバーになってください(楽屋落ち・2)。

兵頭 二十八 先生 より

※管理人注  リンク先にコンテンツがもう存在しないものはURLの記載だけしております。


聴取期間終了
(兵頭二十八先生より)
 お世話になっております。
 北朝鮮工作員と在日米軍関係の質問は、雑誌の締め切りが過ぎたので、打ち切ります。
 ご協力ありがとうこざいました。


(管理人より)
1:掲載媒体はクローズドな雑誌である。
2:情報を提供した方でどうしても読みたいという方は、「管理人」の手に渡されたコピーをfax(或いは別の方法)します。

御下問:四

想定状況:
 あなたは北朝鮮のトップ・リーダーである。朝鮮半島で戦争が起きることが確実となった。さあ、あなたは工作員または正規軍その他に、日本国内にある米軍基地または米軍関連施設を、どのような優先順位でどのように攻撃するよう、命令を出すか?その理由は?

--聴取期間は、2月中旬まで。みんな、相手の身になって考えよう!

これまでに寄せられた御投稿

No.4
私は、どこに基地があってどこに施設があるのか全然把握してないので具体的な場所は言えませんが

ただ、私でも言える事はおそらく真っ先に米軍の通信施設・通信関連施設は破壊するでしょう

チェ・ゲバラもボー・グェン・ザップも共通して指摘するように「敵の通信を切断する」ことが劣勢にあるゲリラ側を勝利に導きました。だから、何よりも米軍の通信施設・アンテナ・ケーブルを切断・使用不可能にすると思います。

御投稿者:谷口公一 様
2003/02/06(Thu) 22:03


No.3
横田基地を最優先目標に選定しました。その理由として、
①在日米軍の元締(=自衛隊の元請)がいる
②最大の空輸拠点である
③弾道弾で狙った場合、たとえ逸れたとしても周辺の町に被害を与える(嘉手納だと海)
④関東一円の交通(=物流)を遮断できる

基地や軍関連施設以外ならば、東京電力の給電制御所(システム)でしょうか。
停電に続いて発生する混沌で「日本」を長期間無力化できるかと。

あと、さしでがましいことを申し上げるならば、家族住宅やアメリカンスクールを
狙うのは逆効果だと思います。昔どこぞの国が行った奇襲攻撃のように、
兵士および国民の士気を沸点まで上昇させ、無差別報復の許可証にサインしたことになると思われます。

御投稿者:カミノクレッセ 様
2003/02/03(Mon) 23:36


No.2
やっぱ「家族住宅」でしょうか。

理由は「米国民の厭戦意識の喚起」と「つぎは日本!!」ってメッセージを送ることで「日米分断」を図るってことで…

「日本国法令でこの施設の中に入ることは禁止されています」
みたいな看板を見ると血圧があがります。

御投稿者:横浜市民 様
投稿日:2003/02/01(Sat) 15:06


No.1
 今晩は、手持ちの資料に米軍基地の所在地を示しているものがないことに気づき、途方にくれているバッタンバンでございます。
 そうゆう訳ですので、単なる思い付き程度の意見ですが書かせていただきます。正規軍が採るべく方策は、横須賀軍港もしくは岩国基地への弾道弾の集中攻撃だと思います。その理由は、
 ①前者は基地面積が広く、敷地内のどこかに落ちる可能性が高い、後者は北朝鮮本国から近いため弾頭重量の大きいものを攻撃に使える。
 ②周辺海域の水深が浅く、交通量も多いため、海に落ちた、不発弾を無視できない。
 などです。
 工作員には、米軍基地周辺の歓楽街に時限爆弾を仕掛けたり、米軍基地当てに、白い粉の入った封筒を送りつけたりして基地の警戒レベルを上げさせることが良いかと思います。
 役に立つのかはなはだ疑問ですが、僕はこう考えました。御投稿者:バッタンバン 様
投稿日:2003/01/29(Wed) 23:30


(兵頭二十八先生より)
 某雑誌原稿の〆切が過ぎましたので、「着弾」と「国内全般テロ」の情報募集も打ち切ります。有益な御書き込みを戴いた皆様、誠に有難うございました。某雑誌ですが、2月中旬に全国書店に並ぶと思います。

要聴取情報・其の三

 あなたが日本国内に潜伏中の北朝鮮工作員であったとして、本国から「法律を一切無視して何でもいいから日本国内に最大最悪の混乱を起こせ。それも5日以内に!
 最後にはおまえも死ね」と極秘に厳命されたら、あなたはどこ/誰をどのように攻撃または工作するか? あるいはそれとも、その命令の実行は他の仲間に任せることにして、あなたは何かをしたフリだけで済ませ、引き続き日本住民としての自由なライフを延長しようと画策するか?

これまでに寄せられた御投稿

No.10
まあまず気になったのは、北朝鮮工作員ということをわかるように事を起こすのかそうではないのか。「死ね」という命令は死が確実にあるような工作をしろということなのかそれともどんな工作をして例え生き残っても死ねということなのか。継続的なテロは認められないのか。
などなど。まあ実際そういう命令が来たら、こんな風に聞くことは出来ず、ただ従うしかないのでしょうけど(苦笑)
自分はインフラを狙うテロ(水道、電気施設の破壊もしくは無力化)を考えたりもしましたが、食品に毒(細菌)を盛るのも面白いかなぁとも思いました。まあ、せこいですが(苦笑)
あと、他の仲間に任せて自分はエンジョイは難しそうですね。効率的な工作を行うには工作員同士のネットワークの確立が不可欠だと思います。ということは、各々がそれぞれの所在地を知り、そうでなくても工作員同士の情報交換で自分のことがばれる可能性もある。そうなれば自分は味方を裏切った(首領様のために死ななかった)奴として狙われるかも知れませんしね。
ただ、何か行うとして、全て自分で調達するのか、それとも本国から送ってくれるのか。これによっても自分が出来る範囲は変わってくるので、一概にはいえませんが・・・
後は、混乱を起こす目的でしょうか・・・
首領様のお心は知れない、といったところなのでしょうけど。

御投稿者:楠 様
投稿日:2003/01/28(Tue) 17:58


No.9
朝鮮総連工作員 張 龍雲 小学館文庫のp21-p23から引用

非公然活動が最近下火になっているというのは大きな誤解である。事態はかえって深刻になっている。なぜなら1990年代に入って、ことに1998、99年の二年間に、北朝鮮の工作員の任務対象が大きく変わったのである。ひとことでいうと、今までの対韓国(対南)工作活動中心から対日工作活動へと比重が大きく移ったのである。軍事面から見て、韓国と日本が同等の敵国となったのである。今までは韓国潜入のための経由点、あるいは資金面の工作対象に過ぎなかった日本が、軍事的攻撃目標、あるいはテロの対象に格上げになった。
情報筋によると、行動のための日本国内調査や下調べは完了しているという。「テロならいつでもできる」ということだ。対象は横須賀や沖縄など米軍基地の所在地を筆頭に、都市の生命線である電力供給施設にも及ぶ。
私の知らない別系列の非公然組織が、この種のテロ活動をテストケースで行っているらしい。そうした事件が、この何年か徐々に増えてきている。たとえば愛媛県の松山や兵庫県の淡路島で起こった、高圧送電線の鉄柱のボルトが何者かによって緩められた事件が、それである。このようなきわめて反社会的なテロ活動が、普通の日本人によってなされる事件ではないことは明白である。
何の犯行声明もない。愉快犯とも思えない。この種の不可思議な事件は、北朝鮮の破壊工作のシミュレーションもしくは訓練と見たほうが妥当であろう。現に日本の公安筋もそう考え、私に確認を求めてきた。
電気、交通など日本経済の動脈を寸断し、社会を混乱させることを狙った犯行である。挑発行動か、進行中の交渉への威嚇かもしれない。 略

なにも警備の厳しい原子力発電所やそのほかの発電所、ダムなどをわざわざ大量の爆薬で破壊する必要はない。送電線の数本を切るなり倒してしまえば、都市機能を停止させるには十分なのだ。
北朝鮮はそんな愚策を弄するより、スパナや電動工具を使って日本民衆の厭戦感を助長する工作だけで、目的を達成できる。
この点、日本では北朝鮮のこの種のテロ活動には全く無防備というほかない。北朝鮮側にとっては、特別な装備も武器もいらない、このような作戦がより実用性が高いのである。

引用終わり

確かに、元工作員の証言だけあって、鋭い。

読売新聞1999年11月23日の報道に拠れば空自のT-33ジェット練習機が墜落し、高圧線を切断し、東京都内や埼玉県の80万世帯が停電を起こし、鉄道も一時ストップし、信号、自動券売機、銀行・郵便局のATMが止まった。東京証券取引所で、国際証券先物オプション取引で一部会員の銀行、証券会社の端末が動かなくなり、約30分間取引を中断したと報道されし、
送電線を攻撃する事はリスクが少なく効果が意外に高い。
 その他に1986年3月23日、雪の重みで鉄塔が倒れ、神奈川県、静岡県などで133万世帯が停電したという事件もあるし、送電線を攻撃するのはかなりの混乱を起こせるのではなかろうか?。

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/25(Sat) 00:08


No.8
(管理人注:No.4に対してのレス)

 国土地理院の2万5千分の一「興津」
http://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/nph-mm.cgi?mesh=5238443&res=0)をごらんいただければお分かりいただけるように,若干両者には距離があります。ですからトンネルを通行不能にするよりも、興津川の橋梁を破壊することを考えたんです。ま、この方法を採るなら、大河川(多摩川天竜川など)のダム堰堤を破壊するのがよいでしょうが・・・。
 あくまでも軍師殿の設問は実行可能な方法を考えろ。という、知的実験(っていうか頭の体操)と私は考えたんですが、見解の相違があるようですね.確かにダダ龍様の挙げられた施設に対する警備手段は貧寒としたものです。有事法制が無い以上、警察力に拠って守備せざるをえませんし,警察力自体手が回らないでしょう。テロ実行のイニシアティヴは相手方にあるわけですし。

御投稿者:螺鈿 様
投稿日:2003/01/22(Wed) 19:51


No.7
もし、私が北朝鮮の工作員なら、
素手ならば、火炎瓶を大量に作って警察・消防署に投擲する

武器を使えるなら、AK47・RPGを持ってNTT・放送局(NHK・民放)に乱入して抵抗する警備員・職員を処断して手当たり次第
放送設備に手榴弾を投げ、RPGを撃ち出来る限り破壊する。

こんな事にならなければいいと思うが、戦争になれば
向うは、「殺る」だろうなぁと考えます。

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/22(Wed)


No.6
駅前や繁華街の広場にある噴水の水源に培養したサルモネラ菌や真菌類を混入するのが良いと思います。こういった場所では人通りも多く、汚染された水も飛まつとなって飛び散るので効率よく多くの人間に感染させられると思います。問題は、通常の風邪の感染対策で予防できてしまうということでしょうか。

御投稿者:バッタンバン 様
投稿日:2003/01/20(Mon) 23:31


No.5
 北朝鮮工作員として我国を混乱に落とす事を第一とするならば今上帝並びに直系の皇太子殿下二名の暗殺が最も効果が有ると思います。
 永続すると疑わぬ「日本」の象徴としての皇統を断たれるという事態は人々の心に必ずや大きな混乱を引き起こすのではないかと考えます。

御投稿者:枯山 様
投稿日:2003/01/20(Mon) 20:23


No4
(管理人注:No.3へのレス) 

>  ①回線のバックアップルートが存在すれば、無意味となるのでは無いでしょうか。

回線ではなく、中枢、すなわちホストコンピュータと、そのバックアップが対象です。

> ②大規模な土石流を起こすことが可能な方法はあるのでしょうか?

新幹線と東名高速は、それぞれ興津トンネルを通行不能にすればいい。土石流は不要でしょう。

→ま、いろいろ方法はありましょうが、わたしが示唆したいのは、これらの施設が他の重要施設ほど厳重な管理下にないという点です。破壊活動に対する早急な対策が必要です。

御投稿者:ダダ龍 様
投稿日:2003/01/20(Mon) 15:48


No.3
(管理人注:No.2へのレス) 

 ①回線のバックアップルートが存在すれば、無意味となるのでは無いでしょうか。マイクロ波回線なら割り込むことも不可能ではないでしょうが・・・。
②大規模な土石流を起こすことが可能な方法はあるのでしょうか?新幹線は東名高速より1キロほど山の手をトンネルで抜けていますし・・・。4つのルートが地上で近接している地点としては、由比町由比地区付近が挙げられますが、それでも一キロ少し離れています。(手元の「マックスマップル東日本道路地図」による)この地区を流れる河川に大規模な土石流を起こす方法があるならいいんですけどね。核兵器をここで使用してもコストとベネフィットがつりあわないのではないでしょうか?
 どうせ核兵器を使用するなら、万景峰号で持ち込み、大型トラックで任意の原発、柏崎刈羽でも志賀でも、あるいは状況が許せば東海でも構いませんが、そこで爆発すれば、首都圏にパニックを引き起こすこともできるのではないのでしょうか?
 なんにせよ権力行使者を狙う必要がありますのでやはり、首都圏で行う必要があるでしょう。また大マスコミ関係者に生命の危険を認識させないと大規模なパニックをある程度長期に渡って、起こさせねばなりません。
 麻生幾の小説ではありませんが1000人単位の草に伝染性と致死性が高く、免疫をもつ人が少ないウイルス(小説では天然痘だったと思いますが)に罹患させ、都内に徘徊させるのがいいと思います。軍師様が「お前も死ね」と設問されているのですから・・・。しかし、北鮮は今何かやろうとしても「意在っても力なし」の状態でしょうね。
 はい、自己訂正です。F-16が飛来したのは関西空港でした。恐らく、極東有事の際には米軍が使うのでしょうね。

御投稿者:らでん 様
投稿日:2003/01/20(Mon) 12:00


No.2
 最大最悪かどうかはわかりませんが、①日銀ネット(金融機関と日本銀行との資金決済につかうネットワーク・システム)および全銀ネット(銀行間の資金決済につかうネットワークシステム)の中枢を破壊したら、カネのながれがとまり、②由比から興津にかけての隘路(興津トンネルなど)に障害をもうければ国道1号線、東名高速道、東海道新幹線、東海道線がとまり物流が麻痺するでしょう。

御投稿者:ダダ龍 様
投稿日:2003/01/20(Mon) 11:22


No.1
 恐らく北鮮中枢はわが国の中枢に対し、ある程度時間的な幅を持って混乱を惹起させたいと望むでしょう。しかしながら、必死の決意を持ち、テロを行うには、高い志操を持ち、体制に殉じる確信がなければなりません。もしそうでないならば、現今の朝鮮総連の運動家や北鮮シンパがそうであるように日本国内における法の下の平等を否定し他の在留外国人に絶した特権を要求し続けるほうが安全安価であると思います。だってねえ、草だって日本の安楽な生活の方が快適でしょうしねえ・・・。うんで、適当にこう、営業開始前の新幹線の線路に置石したりして・・・、偉大なる戦果を挙げたとやる気のなさ全開で行動したりして・・・。

御投稿者:らでん=螺鈿 様
投稿日:2003/01/19(Sun) 22:54


要聴取情報・其の二

 過去の実戦で、長距離砲弾またはSSMの1発の着弾で、平均して何人の軍人や民間人が死んでいるか? あらゆる時と場所、建物毎に、できるだけ多くの「実例報告」も、出典明記の上、求む。

これまでに寄せられた御投稿

No.10
ジャワ攻略戦とガダルカナル玉砕戦 共栄書房のp307から引用

十月二十四日(土)雨 山形戦死⑦
朝、五時十五分射撃開始。敵砲火益々盛ン。本日ハ総攻撃ノ日、是非共成功セシメ度。一同元気旺盛頑張ル。夕刻ヨリ雨トナリ、砲撃止マズ。十七時攻撃開始、二十一時飛行場占領ノ通報アリ。喜ビタルモ後誤報ト判明ス。雨は夜半迄降ル。本夜ノ攻撃成功セズ。山形菊衛戦死。鈴木三郎負傷(戦闘支障ナシ)。

引用終わり

1942年10月24日のアメリカ軍の砲撃により
日本軍兵士1人戦死。1人負傷。しかし、10日後の11月3日に鈴木一等兵戦死。 
アメリカ軍の砲撃により日本軍兵士に2人戦死。

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/28(Tue)


No.9
ジャワ攻略戦とガダルカナル玉砕戦 木村竹治 庭野静三 共栄書房の第Ⅱ部 飢餓の戦場、ガダルカナルの死闘 p308から引用

十月三十日(金)晴一時雨
四時三十分頃敵巡洋艦三、駆逐艦三現ハレ、二時間半ニ亘り射撃ス。陸砲兵ノ死角ヲ海上ヨリ射撃スルヲ以テ困ルナリ。マルデ機関銃ノ如シ。陣地ノ近所ニ四発落下破裂ス。一同無事、夕刻ヨリ雨降リ壕中溢レル。

引用終わり。

当時第二師団野砲兵第二連隊第一大隊第三中隊の庭野静三陸軍大尉の日記に拠ると
1942年10月30日4時30分頃に巡洋艦3、駆逐艦3による2時間半の艦砲射撃を受けた
日本軍砲兵陣地の近くに4発落下したが、陣地に居た日本軍は無事。

ルソンの砲弾 第八師団玉砕戦記 河合武郎のp233から引用

十五榴の殺傷効力半径は五十メートルです。

引用終わり。

日本軍の15センチ榴弾砲の殺傷効力半径は50メートル。

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/28(Tue)


No.8
ルソンの砲弾 第八師団玉砕戦記 河合武郎 光人社のp190から引用

四月二十三日、敵の第一波は、まず砲兵の集中射に始まった。午前十時ごろだったと思う。敵の息もつかせぬ砲撃が開始された。 略

米軍の射撃思想は一発必中ではない。弾幕をもって、大網を打つように撃ってくる。同じ山にいても、直距離も余り離れていない河合中隊には、弾着の地響きが、自分が被弾しているようにはっきりと伝わってくる。長い長い恐怖の時間だった。砲撃はやっと止んだ。そこに伝令が壕に飛び込んで来た。大隊本部が大変だという。とっさに、私は壕を飛びだした。まるで軍艦のブリッジのように、整然とこしらえてあった大隊本部は、足の踏み場もない泥と、喧噪の真っ只中にあった。直撃は受けていないが落盤である。上を見上げると不気味にえぐられたその下に、こんもり盛り上がった土の山があった。その山にむかって無数の人が取り組んでいた。手に手に道具を持って、それもない人は自分の鉄帽を脱いで、一生懸命に泥を払いのけている。泥の下には五、六人の人が埋まっているという。

引用終わり

昭和二十年四月二十三日フィリピン・ルソン戦時
アメリカ軍の砲撃により山岳地帯に作った日本軍陣地が
崩れ日本軍側に5・6人の死亡者がでたと

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/26(Sun)


No.7
ノモンハンの夏 半藤一利 文春文庫のp266から引用

須見部隊第七中隊の大高豊治上等兵の日記に、その後のことが印象深く記されている。

「七月十六日 晴
穴ぐら生活も大分慣れて来た。飛行機の爆音によって、敵機か友軍機か判読もつく様になった。朝から砲撃の大試合が始まった。一尺五寸位の大きな破片がとんで来る。聞き馴れるとなんでもない。穴ぐら生活も今日で二日目。水には一番苦しむ。(略)食う物とても、ささやかなものだ。(略)

「七月十七日 晴
穴ぐら生活第三日目、砲の音はどんどん聞えてくる。付近に二、三発当たった。物凄いスリルだ、恐怖にかられる音だ。小林、宮岸に逢えた。平田は負傷したそうだ。二十日の総攻撃まであと三日、元気で嬉しい。前方五百位の所に敵が来襲して来たので眠らずに警戒す」

引用終わり

大高豊治上等兵が篭ったタコツボ?に7月16日、砲弾の破片が飛んで来たが無事

7月17日に付近に2、3発当たったが無事。

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/26(Sun)


No.6
グアム島玉砕戦記 佐藤和正 光人社NF文庫 p255-p256から引用

ようやく迫撃砲の射程外に出てほっとした軍医は、立ち止まって部下に休息を命じた。そのとき、十メートルほど横の椰子林に艦砲が落下した。椰子の木は裂けて吹っ飛び、強烈な爆風が軍医を地面に叩きつけた。
「みんな、だいじょうぶか!」
倒れ伏した部下を見回して軍医は叫んだ。両脇に伏せていた二人の兵が頼りない声をあげた。
「やられました、軍医殿・・・・・・」
「よし、見せろ」
いそいで傷口を見ると、太股に小さな破片が当たっていた。二人とも盲管だった。いまは破片を摘出している暇はない。
「軽傷だ、命に別状はない。どうだ、歩けるか?」
「痛いですが、何とか歩けます」
「よし、我慢して歩け、そのうち直る」
艦砲が落下する場所に、おちおち休んでいるわけにもゆかず、一行はもう少し先まで進むことにした。

引用終わり

吉田軍医中尉と十三人の負傷した衛生兵が、グアム島中部の折田・オルドットから北部の高原・サンタロサへ移動中にアメリカ軍の艦砲射撃を受け日本軍兵士に2人負傷

同 p302-p303から引用

(グアム島中部)品川へ出ると、そこに一軒の島民の家があったので中へ入ってみると、及川という海軍の兵と、佐藤という青森出身の陸兵がいて、三人でボソボソ話しながら休憩してたんです。そこへ艦砲が至近距離に落下しちゃった。ドーンと音がしたかと思ったら、うなりをあげて破片が飛んできて、目の前に座っていた佐藤さんの首をスッポリ切り落として柱にバサッと突き刺さった。ワッ!という声が上がっただけで、佐藤さんの頭がゴロッと足元に転がっちゃった。ギロリと目を剥いた無念の形相のまま、頭が床の上で天井を睨んでいるんです。ゾッとしましたねえ。私はあわてて及川と二人でそこを飛び出して一目散に折田へ撤退したんです。

引用終わり

谷島昌一技手は、零戦の計器テストを専門とする整備技術者
証言によると、アメリカ軍の艦砲が至近距離で落下し
日本軍兵士に1人即死 とのことです。

大本営参謀の情報戦記 堀 栄三 文春文庫のp125から引用

巡洋艦と駆逐艦では大砲の大きさが違うが、平均して一発は八十キロと仮定する。 略

一発の有効破壊半径は百メートルある

引用終わり

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/25(Sat)  


No.5
(株)国際出版「Gun」昭和51年4月号の記事によりますと、第二次世界大戦中のドイツによるV-1(Fi103)による初攻撃(1944年6月13日)では、ロンドン、ベスナル・グリーン地区に着弾したV-1により6名が死亡。1944年6月30日にはV-1がイギリス空軍省ビルに着弾し、198名が死亡。

また、朝日ソノラマ「報復兵器V2」(野木恵一)によると、一発のV-1による最大の被害は1944年末にアントワープ市内の映画館に命中したときのもので、観覧中のイギリス兵269名死亡、192名負傷。1944年9月8日のV-2による初攻撃ではロンドン西部チズウィックに着弾し、3名が死亡、18名が重軽傷。

引用開始~
(V-1による)最初の一週間の攻撃による死者は22人重傷者は68人で、平均すると一発当たり死者2.7人、重傷者8.5人となる。この数字はそれまでのFi103による被害、一発当たり死者2.7人、重傷者9.1人とほぼ一致している。
~引用終了。

御投稿者:読書公社 様
投稿日:2003/01/22(Wed) 21:31


No.4
確か、1991年の湾岸戦争時にイラク軍が空爆の報復として発射したスカッドミサイルがサウジアラビアの米軍基地に?着弾してアメリカ軍兵士に約20人前後が死亡した云々
って昔NHK教育で放映されたドキュメント番組のナレーション
を覚えていますが、録画してなかったのでどこが製作したのか正確に指摘できないのが歯がゆい。

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/21(Tue) 04:15


No.3
(管理人注:No.2を指して)

↓下のレイテ戦の砲撃戦が書かれている部隊は
第一師団の重砲の部隊です。場所はリモン峠の後方
のカナンガ=ロノイ間の街道付近の叢林から撃ったようです。

闘魂ビルマ戦記 サムライ重機分隊員の死闘 石井貞彦 光人社NF文庫のp368-p370から引用

突如として、はるか東北方でドドーンと砲の連続発射音がした。つづいて、ヒューンと中空高く弾道音がこちらに向かって、まるで弾丸が見えるような感じで飛んできた。私たちは、あわてて西側の路側にとびこんだ。道はかなり高くかさあげしてあった。その急斜面にメザシのように私たちはならんで伏せた。顔をあげて弾道音の方向をうかがうと、星明かりに黒く浮きでて見える、富士山のような山容をもつポパ山の三合目あたりの上空をこえ、私たちの方に飛んでくる。
十センチ加農砲の遠距離砲撃である。
やがて、それらの弾丸は、斜め上方から急角度で私たちの方へ落下してきた。ガガーンと初弾群が炸裂したのは、後方、さきほどまで待機していた谷間付近であった。つづいて四門、四門と八発の砲声が起こるとともに、弾丸が二段になって飛んでくるや、すこし距離をちぢめて炸裂した。弾着はだんだんと近づいてきて、ついには破片が周囲に落下しはじめ、不運にも最後の集弾が、私たちのいる位置から路面にかけて落下してきた。そのなかの一弾が、うつぶせになって両足をすこしひろげていた私の股間ちかくに落下した。激しい炸裂音が全身をつらぬいたような衝撃で、腰がファッと爆風でもちあげられたとたん、サクッと男の急所に激痛がはしった—-やられた!しかも男の急所ときては、いよいよオレも終わりだな。おもえば昭和十七年二月、ビルマ進攻作戦いらい十八年、十九年はアラカン戦線、そしてこの二十年と三年間を激戦の渦中をくぐり、編成いらいの戦友はつぎつぎと姿を消し、中隊にはもう数えるほどしか残っていない。略

片キンとは情けなや
砲撃が終わるやいなや、戦友たちは起き上がってバタバタと路上を走って行く。その足音を聞きながらも、私は起き上がれなかった。傷口はしびれ、痛みも出血も感じないが、力がすっかりぬけていた。と、路上の向こう側で、「片岡、やられた」という声を一瞬聞いていたのだ。片岡(政市)一等兵は指揮班に最近きた補充兵だ。見てやろうと私は、痛みをこらえて道にはい上がり、黒い影にちかづいた。「片岡、しっかりせい!」と声をかけたが、もう言葉もない虫の息だった。右大腿部に砲弾が直撃して片足がふっとんでいた。私一人では手当てのしようもない。 略

その月の光で谷のなかを歩いてくる兵のなかに、大隊本部の菊地伍長をみとめて呼びとめた。彼は崖をはいのぼってくると、私のたのみで、路上の片岡を見に上がっていった。まもなく、「ダメだった」といいながら、私のところへやってくると   

引用終わり。

昭和二十年四月十九日頃
ビルマ西部の第二十八軍干城兵団第二梯団の歩兵百十二連隊の第一(細川)大隊の一兵士の証言

英軍の10センチ加農砲による砲撃八発?で日本軍兵士1人戦死、1人負傷

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/21(Tue)


No.2
われソロモンに死すとも ガタルカナル戦記 光人社1992 の中の鈴木正光氏の遺書となった日記 p282-p283から引用

(1942年)十一月四日。

海岸道、とくに前方に進出なしありし砲兵は、後退をかさねつつあり。前にあれば、後退しつつあるわが歩兵の第一線にたいして、援護射撃をなしえざるなり。 略

ついに一日、前進砲列救援のため観測所を下りしより、いまだに観測所に登らず。中間点-待機所間の往復なり。 略

昨三日、第一中間点においてまた通信手一名戦死せしむ。
その通信手、玄蕃を中にはさみて、右に通信手、左に余と三名寝ありしに、付近に砲弾集中落達。玄蕃の頭部に破片命中せしなり。もし玄蕃あらざりせば、余に命中するところなりしならんも、運なりというか、命なりというか、心に黙しつつ葬る。

ガダルカナル島戦時、
アメリカ軍の砲弾が集中して日本軍側に一人死亡した。 と

レイテ戦記 下 大岡昇平 中公文庫のp45-p46から引用

突然日本軍の105ミリカノン砲一門が反撃した。これは地形上の便宜からこの陣地に配置されていた野砲第二大隊(早尾猛大尉)の10センチ榴弾砲か第四大隊の15センチ榴弾砲一門かである。十一月十七日クラシアンの米砲兵陣地に日本軍唯一の有効な遠距離砲撃を加えた砲であった。この頃は早尾大隊長はじめ幹部将校はことごとく戦死していたが、残った砲二門(他の一門は恐らく10センチ榴弾砲)はちょうど米軍の二個大隊の間隙に巧みに隠されていたのであった。
砲撃は600ヤード東南の米砲兵観測所に指向され、戦死一、負傷十五の損害を与えた。米小火器班の重迫撃砲と二七一野砲大隊の射撃が集中し、対戦車自走砲一個小隊がこの砲を破壊するために前進した。日本軍の砲はまもなく射撃を止めたが、30分後第二大隊が進撃を始めると、再び300ヤードの距離から三発発射した。戦死三、負傷十五。G中隊と対戦車自走砲が側面から攻撃して四人の砲手を殺し、陣地の破壊に成功した。斥候はさらに一門の105ミリ砲を発見したが、夕闇が迫ったし、砲は二五フィート(米公刊戦史)の距離から発射を続けるので、攻略を諦めた。二七一野砲大隊は夜通しこの砲兵陣地とカナンガ=ロノイ間の街道を砲撃した。この砲撃が遂に日本軍の最後の10センチ砲を破壊した。
これは諫山少尉と第五中隊の三木泰蔵少尉、清水幹部候補生らほか兵十五の抵抗であった。第五中隊は中隊長今村孝雄中尉戦死、砲弾を射ち尽していたので、まだ砲弾50発を持っていた第六中隊の位置に移動して、戦い続けたのであった。しかし結局十九日夜の砲撃で大半は戦死、三木少尉と原田准尉は敵陣に斬り込んで戦死した。これは砲撃によって重傷を負い、捕虜となったある上等兵の証言である。 略

この陣地の十榴がクラシアンの敵砲兵陣地に数発の有効弾を送ったにすぎなかった。しかしその最後の戦闘は見事というほかはない。

引用終わり。

1944年12月19日レイテ戦時

日本軍砲兵が撃った砲弾でアメリカ砲兵観測所に戦死1人、負傷15人の損害を与えたとアメリカ軍の重迫と野砲が反撃したので日本軍砲兵は射撃を止めたがアメリカ軍の第二大隊が前進すると日本軍砲兵が砲弾三発発射して、アメリカ兵に戦死3人、負傷15人与えたと。

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/21(Tue) 01:08


No.1
陸軍めしたき゛どぶ長゛奮戦記 光人社1992のp64-p65から引用

ノモンハン事件時の砲撃戦で富岡観測手の証言に拠ると

七月下旬のある日、大隊観測所ふきんにさかんに敵砲弾が落下し、その一弾がついに観測所の真ん中に命中した。そして、その炸裂で召集の観測手一名が即死し、三中隊現役の茶山上等兵も負傷した。私たちも爆風で一瞬、息がつまるような気がしたが、このとき、私たちの一年先輩で召集の野呂上等兵は、私たちのところへ飛んでくるなり、「茶山の首が飛んだ!」と大声でさけんだ。見ると野呂上等兵も爆風に吹かれて真っ黒な顔をしている。ところが首が飛んだと思われた茶山上等兵は、頭ではなく鉄帽がペチャンコになって吹き飛んだもので、彼は負傷しただけですんだのである。 略

即死した召集の観測手には、三中隊の中島軍曹が末期の水を飲ませたが、背骨が折れているとみえ体がぐにゃぐにゃで、あらためて砲弾の恐ろしさを知った。砲弾をうけはじめてから時間はいくらもたっていない。ほんの数十秒の間の出来事である。

と 引用終わり

ノモンハン事件時

ソ連軍の砲弾一発で、日本軍兵士に即死が一名。 一名負傷との事です。
御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/20(Mon) 05:36


要聴取情報・其の一

 北朝鮮の持っているSSM(地対地ミサイル)は、日本各地の大都市や港や基地や飛行場へ、それぞれ何分何秒で届くのか?

これまでに寄せられた御投稿

No.3
ノドンの飛翔時間は7-8分と言うことで、調査打ち切りとありますが、ミサイルの弾道計算に関するページがありますので、ご紹介しておきます。

http://village.infoweb.ne.jp/~kubota01/index.htm

御投稿者:富士見町 様
投稿日:2003/01/25(Sat) 22:01


No.2
『自由』昭和六十一年九月号の「核シェルターの有効性」という記事に地対地ミサイルのパーシングⅡが最大射程千八百キロ飛ぶのに十三分かかるそうです。一つの目安として参考にしてください。

御投稿者:枯山 様
投稿日:2003/01/20(Mon) 20:23


No.1
諸君! 1999年3月号 麻生 幾 99「春の危機」のp42から引用

警察庁警備企画課

アラートは、防災無線を使用することからして問題が多い。アラートが市町村の住民に伝達されるまでには最低でも一時間が必要だ。何しろ、防災無線はハード的にも、国→都道府県→市町村とダイレクトに繋がっていない。
ノドンミサイルは発射されてから、遅くとも二十分以内で日本の国土に着弾する。
現状の防災無線システムでは到底間に合わない。しかも、アラートするにはしたが、受け取った国民はいったい何をすればいいのかが分からず混乱するだけだ。その対策も考えておかなければならない。 と 引用終わり

ノドンミサイルは発射されてから遅くとも二十分以内で日本の国土に着弾する。 そうです。

御投稿者:谷口公一 様
投稿日:2003/01/20(Mon) 05:36