救荒植物改良のための荒地基礎観察 2015年度報告

(2015年11月14日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

 政府は、ますます少ない労働者が、ますます多い老人を養う近未来が待っていることを危惧し、コーホート人口の少ない青年層~壮年者男女の生産効率をせめて最大限化するべく、「1億総活躍社会」などとブチ上げている。
 しかし蟻の巣の観察をしたことがある者なら、その方向では、まずうまくいかぬであろうことはピンと来る。
 むしろ、「国民の1割は超活躍することが可能で、国民の9割は働かなくとも食べていけるアルティメット蟻社会」を目指さなければならないだろう。
 わたしはそのためのブレイクスルーは「山林の豊饒化」にあると目をつけ、「寒冷地の山野で放任増殖する有用植物のかけあわせ候補」を絞り込むために、わが借家の近辺の荒地を利用してさまざまな植物観察を続けている。
 しかしなにしろ相手は「宿根草」や潅木だから、簡単な結果成績を記録するためだけであっても、最低3年は観察をしなければならない。
 それでも、このようなリポートを公表しておくことによって、同憂同好の士が各地に増えれば、「クラウド実験」となり、話は速まってくれるであろう。
 以下には、既に1回以上、函館周辺で越冬している株の一部をご紹介して行きたい。
 日本の寒冷地レベルで越冬できない植物を救荒植物として研究しても、無駄であろう。地球は数万年のサイクルで、公転軌道が太陽から離れたり近付いたりを繰返す。今は離れ始めているときにあたっているので、これから1万年以上も、地球は確実に寒冷化する。
 短期的に予想外に暑い年がやってきても農業の実害は少ないだろうが、その逆は惨憺たる結果を招くはずだ。
 来年は、さらに今回に倍する種類の結果報告ができる予定である。たとえば、秋に実をつけ、それが冬の野鳥の餌となるような低木だけで「木の実パーラーの森」をつくる「トリパラ」(鳥のパラダイス)実験。アキグミ、ウメモドキ、サワフタギ、ムラサキシキブ、マユミ、ハマナス、ズミ、クロマメノキ、ガマズミ、白ヤマブキ……etc。いずれも植えるのは簡単でも、1年目は移植苗はすぐに実をつけてはくれぬ。2年目か3年目の様子を見なければ、なんとも言えない。しかし唯一の例外は早くも発見された。植えたその年から雌木一本で多量に結実してくれるベニシタン(コトネアスター)である。

エニシダ

 この株は熊本のショップから取り寄せてこれで2年目。花後に刈り込んで、ポプラ樹のように姿を整えておくと、そのまま常緑樹が雪中に屹立しているような風情で越冬して面白い。バーネット女史作『シークレット・ガーデン』にもエニシダがあることになっていた。ところでバーネット研究家のアンジェリカ・シーリー・カーペンターによれば、バーネットは二度目の夫ステフェンから虐待を受けていたそうで、それが『ザ・シャトル』の姉の描写に反映されているんだと。だが待て。その前に、『シークレット・ガーデン』に出てくる監禁状態の男の子こそ、バーネットが受けた虐待とやらに近かったんじゃ……? まあその真相はともかくとして、辛い実人生を歩んだ著者が、あくまで作中では「他者」たちの幸福のために脳髄を絞る、その姿勢が偉いのだ。わたしはもし『次郎物語』とか『路傍の石』が児童文学全集に入っていたなら、その巻はまずゴミ箱へ叩き込んでから、わが子に全集を与えるつもりである。

ベロニカジョージアブルー

 とにかく耐寒性のあるGCP(グラウンドカバープラント)であることは、この目で確かめさせてもらった。春先に早々と満開になるのも嬉しい。ただ、花期はすぐに終わってしまって、その後、領地を旺盛に拡げ、周辺の他のGCPを葉で覆い尽くそうとする。おかげで頑健なシバザクラも半滅。ピンクのマツバギクも、完全日蔭から至急救出移植せねばならなかった。

ヒューケラ

 このヒューケラには驚かされた。前年は木陰の地面でくすぶっていたので、築山の東斜面に移植しておいたところ、爆発的に成長。花期も滅法長いものなのだと知った。「IEDエクスプロージョン」と勝手に命名したいほどである。手前の細葉の株はラッキョウで、これも放置しておけば秋に花をつける。

ローンデイジー

 タンポポよりはさすがに遅れるが、球根ではないGCPとして春一番に開花する。たとえば左上隅のシランは、まだ地面から葉が出たばかりという段階である。ゆえに、ごく小さいのにもかかわらず、庭で目立つこと、この上なし。写真右上の小株(3輪)は、昨年のこぼれ種による増殖だ。メヒシバがはびこりまくりの、小石混じりの地面でも、この通りである。

ユーフォルビアキパリッシアス

 放任増殖力という点からは、ユーフォルビアの中では、こいつが一番強いんじゃないかと思っている。この地面は、これまでいくつもの植物の苗をあっけなく死滅させてきた、とびきりの悪土。北海道では宅地の造成に産廃土を使っているようなところがいくらでもあるようで、ここも、ちょっと掘ると、ゴムホースだとかガラス瓶の破片だとかネジ・釘類が、次々に出てくる。しかしキパリッシアス君は、御覧のようにここで越冬した上、勝手にこぼれ種で増殖しているのだ。

リナリアプルプレア白

 写真のいちばん左端の株を2013年春に苗で購入。それが、こぼれ種によって、2015年春にはこんなに増えた。こいつの種シーズンの卓越風は、南西風なんだということもわかってしまう。なお、写真中のピンク~赤の花は、いずれも実生のヒゲナデシコが増殖したもの。本年初登場の野生のヒメマツヨイグサも生やかしてある(ロゼットの外観を写真で覚えて、保護するように努めたのだ)。

プルモナリア

 大手通販ショップにて2013年秋に買い求めたプルモナリア。耐寒性・耐陰性はすばらしく、年々株が大きくなってくれるのもうれしいのだが、高勢ではな いゆえ、まだ花が終わらぬうちから、周囲のヒゲナデシコの密林中に埋没してしまう。ヒゲナデシコは、早い株は前年秋から写真のようなロゼット姿で次の春を 待っており、それが春とともにロケットのように高速成長するのだ。なお、プルモナリアが球根より早く開花すると書いてある書物があるが、それは北海道の データだとは思えない。すくなくともここでは5月にならないと咲きません。

ホタルブクロ

 日蔭でくすぶっていたものを昨年秋に日なたへ移植しておいた。それを忘れていたので、幼葉が出てきたときは、何だか分からずに、判定に悩んだ。この写真の中央には、実生のシャボンソウも写っている。ジフィーを1箱使って、たった1株の実生が得られたものだ。左手前にはリアトリスの実生越冬株が見える。右手前には赤花除虫菊。白花は、野生のフランスギク。

セイヨウノコギリソウ

 2年目の株だが、今年は巨大化・高勢化したので驚いた。テラコッタ色の花色がつき始めている。写真とは別な場所に、赤色の西洋ノコギリソウもあり、そっちは、ここまで高勢化せぬかわりに、花後に切り戻せばまた咲く元気を見せる。しかるにこっちの方は、日蔭をなくそうと、強剪定をしすぎて、切り戻されたまんま、冬休み態勢に入っちまった。左手前はコモンセージ。いちばん奥の青いのは実生のオレガノ。

ユキザサ

 毎年土手に勝手に生えてくる。春の食用になるらしいのだが、地下茎による増殖を阻害してはいかんと思い、まだ一度も試食してない。

ヤナギラン 咲き始め
ヤナギラン 咲き進み
ヤナギラン 花後

 昨年は高勢化もせず開花もしなかったヤナギランは、今春は地下茎によって多数の芽を出し、次々と高勢化して開花し、にぎやかであった。種は綿毛で飛散するらしい。けれども、このように放置しておくと、冬が来ててもまだそのままくっついて残っている。飛散を焦らないのだ。漠然と想像をするに、このタネを晩夏に即座に強制的に地面へ撒いたとしても、その実生は翌年は開花しないだろう。もし自然放任であったならば、実生の次世代株が開花するまでには最速でも3年かかるのではないかと思う。寒冷地の宿根草は、最短でも2年計画でライフサイクルを考えていて、実生は、栄養生殖できない場合の保険の位置付けなのだろう。春に地面に出てきたヤナギランの芽を人為的に他所へ移植した場合も、その株はその年内には高勢化しない。冬までずっと、地下茎の充実にだけ、エネルギーを使い続けているように観察される。

クリムソンクローバー

 実生でしかも一年草のはずなのだが、この株だけ、毎年同じ場所に蘇る。しかも大株である。どうも「多年草化」しているのではないかと疑われるのだが……。

ラムズイヤー

 この巨大草本が、じかまきのタネから2年で開花株になるのだとは、想像もできなかった。というか、そもそも播いた覚えもないので、何かのミックス袋に入っていたのだろう。1年目は、モウズイカのロゼットのようなものができて、その姿で越冬。そして2年目にこうなる。茎の先にやがて小さい赤い花が多数付く。葉がビロード状であるのに比して、茎は硬くて「メイス」を印象させる。左の白花はリクニスホワイトロビン。こぼれ種の実生で、花期は短い。右のセントーレアモンタナは、多年草ながらやはり実生。花期は長い。中央にはシャボンソウが埋没している。奥の黄色いのは「センダイハギ」といい、マメ科なのだが、牛や馬はこれを嫌うゆえに放牧場はこいつの天下になるという。毒はないように見えるが、人の腕力で茎や地下茎を引き切ろうとしても無理なぐらいに頑丈。そしてまた地下茎は2m以上も拡がる。日蔭が出来てこまるので、花後には地際から刈る。それでも来春には復活する。

バーベナハスタータ青

 前年、木陰で元気がなかったのを、日なたへ移植してやったら、のびのびと育った。手前の黄色いのは、宿根+タネでパンデミック的に増えるダイヤーズカモミール。これにくらべたら野生のコレオプシスの方がずっとゆっくりしているように見えてしまう(実生新株は僅かだし、しかも開花まで2年くらいかけている)。右手の球状ピンク物体はやたら元気なシレネファイアーフライで、今年は「株分け」を試みたので、来年は、その調子の如何も報告できるだろう。

セントジョーンズワート

 「聖ヨハネの薬草」という名前がついているのは、古来、西洋の教会が薬草園内にこいつを植えていたためのようだ。「野生化して困る」というほどの増え方は、いまのところは、見せていない。後方のラムズイヤーには、花が付いている。その奥はスイセンノウ=フランネルソウのよくある赤。植えて1年目は咲かず、2年目に咲いた。こぼれダネで増えるのかどうかは、来年に確かめられよう。

シャボンソウ

 一重咲きで高勢のソープワートは、かなりタフで、株もどんどん拡がる――とは聞いていたが、この寒冷地では、ちょっと日蔭になるともう調子は悪い。1ダース以上の株を植えて試してみた結果、ほぼ消滅してしまった株が3つくらいある。咲き始めは夏。そのかわり11月までも僅かづつながらしぶとく開花し続ける。その下の青いのはゲラニウムのジョンソンズブルー。これは春から、降雪するまでの長期間咲き続ける。ゲラニウム/フウロソウは、北海道にはよほど適しているのではないかと、3年くらいもしてやっとわたしは理解するようになった。ゲラニウムのロザンネイは、たまたま場所が良いと盛るが、場所が悪いと、消滅してしまう。

チコリー

 チコリーは、超高勢になってくれるのは面白いのだが、周辺に高勢の雑草が繁茂していない土地では、やがて強風で横に寝てしまう。青花は2日間くらいで次々にしおれ、そのひとつひとつが多数のタネをつくる。このタネを人工的に撒布したらどのくらいはびこるものか、実験結果は来年以降に判明するであろう。左手の黄色いのはリナリアブルガリスで、宿根草ながら実生によってその年のうちに子株をつくってしまう。日なたでさえあるなら、どこまでも支配面積を拡げて行く。ただしチコリーと違ってこっちは食べられない。

ヤブカンゾウ

 ノカンゾウなのかヤブカンゾウなのか、わたしには判定ができない。夏になると、土手のあちこちに勝手に生えてくる。残念ながら、ユリの親戚らしくて有毒。手前の下草は、バーズフットトレフォイル(セイヨウミヤコグサ)で、実生。日蔭だとこの程度で、開花もしないが、日なただと開花し、しかも延びまくった茎があたかも「刺のない鉄条網」のように、足のつまさきにひっかかる。その茎を引き切るには相当の力が必要である。
※追記:これは「ノカンゾウ」で、毒は無いだろうという指摘を受けた。

宿根アマ

 冬に地際から刈ってしまうべきかどうか迷ったので放置しておいたら、古い茎の先からも春に新芽が出る場合のあることが分かった。衣料用の繊維が採れるのは一年生の亜麻であって、こっちではないと聞いている。

ナワシロイチゴ

 野生の雑草。いちどその実を賞味してみよう、と念じてはいるのだが、行って見るとすでに野鳥が食べつくしたのか何も残ってない……ということが多い。

クズとアピオ

 今年も花期が重ならず、自然交配実験は失敗した。というか、葛の方が開花してくれないのだ。写真のアピオスの手前には、「クコ」の裸になった細枝が見えている。クコはその実だけでなく葉までが食用になるというので試しにこの春に植えてみた。しかし北海道は寒すぎると見え、たちまち落葉してしまった。それでも地際に新しい葉が出ていて、しぶとく生きてはいる。越冬できたなら、またご報告するであろう。そのさらに手前、越冬はするものの株は衰弱するばかりのバーベナボナリエンシス(三尺バーベナ)の集合花が見える。こいつは来年は消滅するかもしれない。

宿根ヒマワリ

 正式にはヘリアンツス・ムルティフロルスというのかもしれない。こうした八重の花はタネをつくらないのだろうと思い込んでいた。大違いであった。地面が最悪の産廃土壌であるにもかかわらず、今年の春に、親株の周辺に実生の幼葉が多数出てきて、わたしはすっかり感心した。たった1株だったのが、2年目にして、はやくも群生状態だ。右手は、ジフィーを地面に定植してみたチコリー。

ミヤギノハギ

 熊本のショップから買った苗が、これまた絶好調。毎年冬に、地際から刈ってしまっても、来春には、地面からまた生えてくる。「生えてくる木」なので「ハエギ」→「ハギ(萩)」と転訛したそうだ。とにかく管理がめんどうくさくなくていい。マメ科なので肥料もいらない。借家の庭にはうってつけではないか。

白ボルトニア

 昨年夏、親切な方からいただいた株。おそらく日本では諏訪郡の富士見町グリーンコテージガーデンというショップでしか通販されていないものではないかと思う。一般的な(ただし当今はおそらく何かくだらぬ理由によって流通してない)青花ではなくて、白花。しかもやたら高勢に育つ。「Boltonia asteroides var. latisquama」で英文検索したら、商品名は「スノーバンク」、俗称は「偽アスター」だと。自生地は北米メイン州までとある。耐寒性は十分だろう。向こうでは湿地に野生しているそうだが。ちなみにボルトニアという名は18世紀の英人植物学者のジェイムズ・ボルトンに由来。3地点に植えてみた。当年のインパクトは、さほどでもなかった。が、すべて越冬し、しかも株の広がりがすばらしい。そして本年は、いちばん陽当たりの良い場所の株が早々と人間の身長を越えた。開花は青花種よりも遅く始まる。そのかわり11月になっても一部は咲き残る。開花後は支柱(または吊り縄)は絶対に必要であろう。写真株元のチョウジソウと比べてみてください。米国では高さ1mにしかならぬと英文ネットに書いてあるのは、嘘ではないか? 花後にはタネがバラバラと落下する。しかし実生で増えるのかどうかは来年にならぬと分からない。ところでわたしは、人が何も手助けもしないのに、道南の山の中にもオムニプレゼンスにちゃんと生えている宿根野草の「ノコンギク」(タネは綿毛で広範囲に飛散する)を見るにつけ、こういうのこそが真の放任増殖植物の手本であり、これに比べたらば同じキク科の青ボルトニアなど、北海道で野生をちっともみかけぬ以上は、気候激動時の生き残りポテンシャルだってずいぶんと劣るはずだと思うようになった。いつか、比較観察もできるであろう。


(管理人 より)

 こんにちは。2012年より始まるこの企画。草花である。
 私は練馬区に住んでいる。23区でも屈指の緑の多さだと思うのだが、食べられる草花が生えているようには見えない。
 函館でも食べられる草花が育つのなら、それより南の庭はまさに豊穣の地ではないか。庭に食べられる植物が本当に生え続けるなら、こんなに心強い事はない。


兵頭二十八先生の御仕事(ワークリスト)

(旧兵頭二十八ファンサイトで公開したワークリストです。 2008年4月2日が最後の更新日です)

(管理人 より)

 このワークリストは上述のように2008年4月2日を最後に更新されていません。『up date』・『TKLIST』、そして『お知らせ』『兵頭二十八の放送形式』を併せると、これ以後の記事等も含めて殆ど(全てではないです)網羅できるとは思います。『兵頭二十八』の足跡を追う人のために中途半端なリストですが残します。


特に指定の無いものは《掲載年/掲載月/掲載日:『雑誌名』 タイトル》

齊藤 浩 名義 時代
19??/?:ロッキング・オン:『ロッキング・オン』(未確認)
 ※高校時代に投稿して、掲載されたらしい。

1983/3/10:文藝春秋『週刊文春』
 《P46》『ここまで解けた「防衛産業」のタブー』文中
”六四式小銃に致命的な欠点”

1984/7/30/7面:世界日報社『世界日報』
 制空権の確保が上策(斎藤 浩 名義)
※1984~1988にかけて御本名名義の他、多数の筆名にて多くの投稿をされているそうです。

1985/5:自由社『自由』
 《P55~58》『貧困社会』を考える 

1985/9:自由社『自由』
 《P82~84》アフリカ援助に見る北側の失敗 

1985/10/3:新潮社『週刊新潮』
 《P164》『いくら増しても三日保たない「防衛費」の革命的発想』文中の”陸上自衛隊第二戦車大隊を一昨年除隊した元隊員の話”

19??/?/?:我が”国防学”の勧め
 ※ミニコミ雑誌に掲載されたらしい。

1985/11:自由社『自由』
《P81~82》新レスキュー体制建白書 

1985/12:現代展望『現代展望』
 《P36~44》軍事真論〈ベトナム戦争───十年遅れの教訓〉
※『現代展望』は新年・新春・夏季号などがあります。1987/3・5月号は現在確認できていません。
全て『斉藤 浩』名義?筆名有り?

1986/1:自由社『自由』
 《P90~91》大衆報道に見る日欧民度の逆転 

1986/1(新年号):現代展望『現代展望』
 《P40~47》軍事真論〈ベトナム戦争───十年遅れの教訓〉

1986/2(新春号):現代展望『現代展望』
 《P32~40》軍事真論〈スパイ防止法の危険面〉

1986/2:自由社『自由』
 《P85》SDI………どちらがゴールに近いのか

1986/4:現代展望『現代展望』
 《P28~32》軍事真論〈核戦争は何時に起きるか?〉

1986/5:現代展望『現代展望』
 《P24~34》軍事真論〈理・乱のことわり〉

1986/6:自由社『自由』
 《P85》太平洋戦争遂行の謎 

1986/6:現代展望『現代展望』
 《P24~30》年功序列の『年功』

1986/7:自由社『自由』
《P85~86》国家後援テロ

1986/7(夏季号):現代展望『現代展望』
 《P32~42》フィアネス・ギャップを認識せよ!

1986/7:読売新聞『THIS IS』(未確認)

1986/7:日本評論社『法学セミナー』
 《P157》「国家後援テロ」に対する新しい宣戦の概念

1986/7:現代展望『現代展望』
 《P32~39》「削減論」まで出始めた陸上自衛隊を透視する

????/6:月刊誌『ラジオライフ』(未確認)
※以下”?”の箇所御存知の方は御一報下さい!

1986/10:海人社『世界の艦船』
《P188》”ソ連の指導層は米ソの核決戦はないと考えている”という主張(斉藤 浩名義)

1986/10:自由社『自由』
《P98~100》NHK受信料は「捨て金」か

1986/10:現代展望『現代展望』
 《P42~47》太平洋戦争計画の謎

1986/11:海人社『世界の艦船』
《P171》”災害救助用の大型救難艦を作るべき”という主張(斉藤 浩名義)

1986/11:現代展望『現代展望』
 《P52~60》フィアネス・ギャップを認識せよ

1986/12:自由社『自由』
《P84》政府が一銭も使わずに内需拡大する法

1986/12:現代展望『現代展望』
 《P32~42》文民の為の軍事科学(上)

1987/1(新年号):現代展望『現代展望』
 《P30~46》文民の為の軍事科学(下)

1987/2(新春号):現代展望『現代展望』
 《P32~38》軍事予算の歯止めと政治家
 《P48~50》ラクラクできる教育改革(入船 光 名義)
 《P52~60》米ソ首脳に教えたい日本人の発想(愛林 久允 名義)

1987/3:読売新聞『THIS IS』(未確認)

1987/6:自由社『自由』
《P84~85》国体を保障するものはなにか

1987/11:現代展望『現代展望』
 《P58~62》ドクトリンと費用(上)

1987/12:現代展望『現代展望』
 《P46~49》ドクトリンと費用(下)

1987/?:神奈川大学人文学会学生部会刊『世代 24号』
 《P29~36》装軌車両引離しによる地球的軍縮は可能だ

1988/2:神奈川大学国際関係論セミナー『最近国際関係論叢』
 《P49~87》民族と理性
 《P88~97》戦争哲学の諸前提を疑う
 《p98~105》『戦車』の引き離し───中欧軍縮のもう一つの可能性

1988/1(新年号):現代展望『現代展望』
 《P50~64》『戦車』の引き離し───中欧軍縮のもう一つの可能性

1988/2:現代展望『現代展望』
 《P44~51》戦争哲学の諸前提を疑う(上)

1988/3:現代展望『現代展望』
 《P24~34》戦争哲学の諸前提を疑う(下)

1988/5:現代展望『現代展望』
 《P46~52》文民のための軍事科学(1)

1988/6:現代展望『現代展望』
 《P32~40》文民のための軍事科学(2)

1989/1:読売新聞『THIS IS』
 《P323~324》日本製フォーミュラの時代だ

1989/2:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』
《P22》文明と地理的幸運

1989/3:内外出版社『オート・メカニック』
 《P200~201》軽のATの出足を良くするための簡易過給器のコンセプト

1989/3:月刊誌『BE-PAL』
《P90》”理想のATVを考えてみると……”

1989/5:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』
《P76》『五輪書』にあらわれた日本語的軍事理性を見直す

1989/6:海人社 『世界の艦船』
《P172》”DASHの多目的「飛行ロボット」としての復活を願っている”…という内容(齋藤 浩名義)

1989/8:ホビージャパン『ARMS MAGAZINE』(未確認)
《P134》銃床組み込み式の擲弾発射器の提案

1989/9:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』(未確認)
《P41》東西二大軍事古典の旧解釈と新解釈

1989/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 エイブラムス バトルタンクはすごかった!!!(Jimmy 名義)

1989/12:運輸省公報『トランスポート』
《P90》『運輸広報月間記念論文 大臣賞、受賞決まる』
”政務次官賞(優秀賞) 「ふるさと創生と交通」”

1990/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 286上のHETZERは速かった(狩野多門 名義)
 
1990/3:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 中部ヨーロッパAFV軍縮の可能性(Jimmy 名義)
 GUNSHIPにボードゲームの終焉を見た(Jimmy 名義)
 温故知新シリーズ(1)クリミア戦争関係エピソード(云竹斎 名義)

1990/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 F-15ストライクイーグルⅡ」(Jimmy 名義)
 温故知新シリーズ(2)パナマ運河と工兵隊エピソード(云竹斎 名義)

1990/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 今日のオーストラリア国防軍  (兵頭ニ十八名義)
 強いものには理由あり(云竹斎名義)
 インディージョーンズ『燃える大空』篇は泣かせます(Jimmy 名義)

1990/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 沈黙を拒否した艦隊(Jimmy 名義)
 慟哭悲史シリーズ其二『HOW Much人命?』(云竹斎 名義)

1990/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 リアリスティック・パソコン・ゲーム・リポート⑨(Jimmy 名義)
 驚愕伝説ストーリー・バカ空手一代男之巻(※兵頭先生のか判断できる方はご連絡を!)

1990/9:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 攻撃ヘリを震撼させる双角のビヒーモス87式自走高射機関砲(無名義)
 「リーダーズ・ブートキャンプ(1)」出演 馬頭竜五里羅・鬼婿一等卒

1990/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 「リーダーズ・ブートキャンプ[3]」出演 壇田段・運野勉

1990/12:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 「リーダーズ・ブートキャンプ」出演 播謙寺左洲男・無良利平(ピョン)

1991/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 TMコラム(マグナム珊粍名義)
 驚愕伝説ストーリー・Gorillas(無名義)

1991/2:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
ペイトリオットへの道(兵藤二十八名義)

1991/3:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 MICVの後を継ぐ「重PAC」構想とは?(アル・シン名義)

1991/4:新人物往来社『戦記シリーズ 別冊歴史読本 特別増刊』
 《P234~245》日本陸軍主要戦車の解説
   
1991/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 湾岸特集2(齊藤浩名義)
 「リーダーズ・ブートキャンプ」出演 春間毛反魚ドン・堀孟是
    
1991/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 地上戦のいろは(無名義)

1991/6:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 すぺしゃるりぽーと『鋼鉄の騎士』(Jimmy名義)

1991/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 陸軍技術本部第四研究所(齊藤浩名義)

1991/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 この目で見た90式戦車と89式FV(H・SAITO名義)
 国産兵器開発拾遺[2](斉藤 浩名義)

1991/10:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 ポスト湾岸型戦車を考える(H・SAITO名義)
 ホークの一族(無記名(?))
 国産兵器開発拾遺[2](国産兵器開発拾遺[4])

1991/10/25:『FOCUS 506号』
《P24》”「一両4億円」が「12億円」になった自衛隊最新鋭戦車の性能”文中の「専門家」(?)

1991/11:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
 陸上自衛隊車両装備史;1950~1991

1991/12:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 最近陸上RPV技術の動向(斎藤浩名義)

1992/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 絵はがきは語る(兵頭ニ十八名義)

1992/1:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
 ドイツ連邦軍の陸軍装備車両;1955~1991(未確認)

1992/2:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 絵はがきは語る(兵藤二十八名義)

1992/4:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
 帝国陸海軍の戦闘用車両

1992/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 ON GUN エキゾチック戦車砲に関する研究ノート(斉藤浩名義)
 造兵-武器生産の科学(云竹斎名義)
 
1992/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 口径13mm級歩兵銃の再登場(H・SAITO名義)
  騎兵戦闘車はどんな教訓を得たか(アル・シン)

1992/6:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)

1992/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 対地上用レーダー射統装置の可能性(H・SAITO名義)

1992/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 クビンカ:新たなる聖地への旅(斉藤浩名義)
 公開展示された陸自の新型個人装具(H・SAITO名義)

1992/7:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
 第二次大戦のイギリス・アメリカ軍戦車

1992/8:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)

1992/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 小型AFVの今日的意義(斉藤浩名義)
 ゲームリポート「番外編」(Jimmy名義)

1992/9:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 ビック対談・自衛隊リクルートはこうすれば改善される・・・カモシレナイ
(熊&八名義)
 TM流スマート写真塾(特攻カメラマンS名義)
 故・小林善氏を悼む(特攻カメラマンS名義)

1992/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 日米戦の化石を見た(斉藤浩名義)
 TM流写真塾

1992/12:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)

1993/9~1994/1(?):株式会社 シリエズ総研『シリエズ』
※掲載年月日全てが謎。編集者として関与された筈である。
全国のライブラリに、保管されている可能性極薄。


兵頭 二十八 名義 時代

1995/10:セガ・エンタープライゼス(アスペクト発行)『ワールドアドバンスト大戦略~鋼鉄の戦風~世界新秩序建設マニュアル』
《P51》士官たちは熱狂的に“戦争”を求めた!(兵頭 二十八名義)

?/?/?:テレビ番組『スーパーモーニング』出演(?)
※出演番組は[めざましテレビ/走れ!めざまし調査隊]という情報を頂いた。その方が本当のような気がする。いつか私の目で確認しなければ……。

1995/5:銀河出版『日本の陸軍歩兵兵器』

1995/6:銀河出版:『陸軍機械化兵器』
(共著:宗像和弘)

1995/8:銀河出版『日本の海軍兵備再考』
(共著:宗像和弘)

1995/12:銀河出版『日本の防衛力再考』

1996/5:『戦記が語る日本陸軍』(著者:宗像和弘)
※コラムを寄稿。

1996/6/26:小学館『SAPIO』
 「アメリカを仮想敵国とせよ!」
その意味が分からない日本人は“おバカさん”である

1996/8/23/深夜:朝まで生テレビ
 ”激論!沖縄の怒りと日米安保 第2弾”パネリストとして出演

1996/8/28:小学館『SAPIO』
 日本が成人国家になるためには「核兵備」論は避けて通れない!

1996/10:文藝春秋『諸君!』
 日本列島核兵備計画
───我々は如何にして くよくよするのを止め
               核ミサイルを持つに至るか

1996/11:文藝春秋『諸君!』
 「日本列島核兵備計画」ソフト編
───まだくよくよしている安保崇拝論者に告ぐ

1996/11:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
 ”日本核兵備四ヵ年計画”について

1996/11/27:小学館『SAPIO』
 日本は首都を北海道東部に移転し、沖縄を自衛隊の要塞に再整備せよ

1996/12:文藝春秋『諸君!』
 「日本列島核兵備計画」完結編
          ───空想的平和論者を矯正しよう

1996/12:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第1信:最後の100兆円税収源
                
1997/1/6/朝刊:『産経新聞』(未確認)
 なぜアメリカと一緒にやっていけると思うのか

1997/1/21:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
 ストック情報はこれでいいのか

1997/1:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第2信:『助っ人弁護人』の新設で人権を守れ!

1997/2:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第3信:なぜ死球に本塁を与えないのか

1997/3:文藝春秋『諸君!』
 韓国軍が38度線を突破する日

1997/3:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第4信:「黄門の辻斬り」を止めろ

1997/3/23:新聞『WASHINGTON TIMES』(未確認)

1997/4:銀河出版
『ヤーボー丼───
  いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか』

1997/4:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第5信:男は十ぺん路頭に迷え

1997/5:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第6信:日本に高校はいらない!

1997/6:文藝春秋『諸君!』
 ワインバーガー    「次の」戦争には失望した

1997/6:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第7信:パソコン戦争に勝つ方法 

1997/6:文藝春秋『ヘクトパスカルズ』
 (画:板橋 しゅうほう)

1997/7:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第8信:人形の愛に突っ走れ!

1997/7:銀河出版『並べてみりゃ分かる第二次大戦の空軍戦略』
(共著:宗像 和広/三貴 雅智/小松 直之)

1997/8:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第9信:司馬遼太郎の自虐史観

1997/8:文藝春秋『諸君!』
 「歴史教科書」写真図版のでたらめ

1997/8:文藝春秋『本の話』
 知られざる日本のミリタリー出版界

1997/9:『東大オタク学講座』(著者:岡田 斗司夫)
11講ゲスト講師

1997/9:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第10信:日米「若がえり」競争の行方

1997/10:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第11信:土方と沖仲仕について

1997/11:文藝春秋『諸君!』
 橋本総理よ!柳条湖よりまず「靖国」に行け

1997/11:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第12信:地蔵のひろば

1998/1:四谷ラウンド
 『たんたんたたた───機関銃と近代日本』

1998/1:リイド社
 『ゴルゴ13 105巻 バスク・空白の依頼』(著者:さいとうたかを)
 ”北緯九〇度のハッティ”のシナリオを担当

1998/2:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
 二十一世紀のマスコミメディア考

1998/3:四谷ラウンド
 『有坂銃───日露戦争の本当の勝因』

1998/4:リイド社
 『ゴルゴ13 106巻 オフサイド・トラップ』(著者:さいとうたかを)
 ”直線と曲線の荒野”のシナリオを担当

1998/5/3/夕刊:『東京新聞』
 『「有坂銃」著者に聞く』

1998/6:『新潮』
 琵琶・テニソン・手鞠歌(『南洲残影』書評)

1998/7:文藝春秋『文学界』
 耳学問と情報ストック

1998/7:新潮社『新潮45』
 一億総キチガイ時代のナイスな刑罰「島流し」

1998/8:新潮社『新潮45』
 もう誰にも止められない「核戦争」

1998/9:西部邁事務所『発言者』
 座談会:「日本軍」の光と影
 連載コラム”ひょーどー漫言”はじまり(2002年10月現在継続中)
 ひょーどー漫言 1:「専門家」に仕切らせない政治システムとは?

1998/9/25/夕刊:『東京新聞』
 戦後政治という不良資産

1998/10:並木書房『ざっくばらん』

1998/10:四谷ラウンド
 『イッテイ───13年式村田歩兵銃の創製』(劇画:小松直之)

1998/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 2:今あるモノで通信戦争に勝たんかい!

1998/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 3:日本に普通乗用車はいらない

1998/11:PHP研究所『voice』
 ”日本敗戦”研究のすすめ

1998/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 4:「スープ化作戦」にひっかかるな!

1998/12/8:『東京新聞』
「プライベ-ト・ライアン」にアメリカの「現在」を観る

1999/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 5:忠誠心を競わせよ!

1999/2:文藝春秋『諸君!』
 信長の長篠「鉄砲三段撃ち」なんて出来っこない

1999/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 6:せめて「大本」を掴んでから新しいことをやれ

1999/2:PHP研究所『voice』
 プライベート・ライアンを嗤う

1999/3:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 7:「公活」はどうした

1999/3:文藝春秋『諸君!』
 自衛隊の指揮権、日米いずれにありや

1999/4/14/夕刊:『東京新聞』
 何が古く何が新しいか「工作船侵入事件」寸観

1999/4:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 8:「大上段」の国語力を回復せよ

1999/4:『新潮45』
 七月四日 米朝戦争勃発!どないする

1999/5:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 9:高度成長血涙小説 恐るべき野望の程

1999/5:PHP研究所『voice』
 日本改造のための準備体操(兵頭 二十八×福田和也) 

1999/5/12:小学館『SAPIO』
 「戦闘歌」が欲しくば「今様」の「第二国歌」を新作したらよい

1999/5:四谷ラウンド『日本海軍の爆弾』

1999/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 10:技術予測のボン・サンス         

1999/6:産経新聞『正論』
 報道されなかった───北朝鮮「工作船」事件の裏側

1999/6:『新潮45』
 超御機嫌「小渕内閣」

1999/7:『新潮45』
 「ユーゴ空爆」ナンジャラホイ

1999/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 11:kはキテン

1999/8:PHP研究所『voice』
 NATO空爆の「正」と「奇」

1999/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 12:お化けTV塔は『未開都市』のモニュメント
 座談会:「戦後」の転覆は可能か

1999/8/25:小学館『SAPIO』
 これが日本人の命を守る 自衛隊「国軍化計画」私案だ

1999/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 13:梅に後れる桜の女々しさ

1999/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 14:「火牛計」考

1999/11:文藝春秋社『日本の論点2000』
 自衛隊は優秀な戦闘集団だが、戦争の指揮を100%依存している

1999/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 15:とっくに西洋近代化に対抗できていた男

1999/11:『新潮45』
 コジキとでも何とでも呼んでくれ

1999/11:四谷ラウンド
 『日本の高塔写真&イラスト』

1999/11/14/朝刊:『東京新聞』
軍人たちの心事をたぐる労作(『昭和陸軍の研究』書評)

1999/11:杉山穎男事務所『武道通信 七ノ巻』
 「多対一」で勝つ:中学生でも分る兵法」其ノ一
※隔月刊誌ですが、もっと間が開く時もあります。

1999/11:『あぶない28号』第5巻
テロvsカウンターテロに関するいとも高位なる御方からのコレクトコール

1999/12:並木書房『日本陸軍兵器資料集』
 (宗像和弘氏の原稿を補綴)

1999/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 16:途中で戦いを止める「戦数」

1999/12:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
※現役警察官しか買えない雑誌との事です。

1999/?:講演会『一水会』

2000/?/?:『週刊ポスト』(未確認)
※『タミヤ模型全仕事』の書評です。 

2000/1:杉山穎男事務所『武道通信 八ノ巻』
 人はなぜ競争(戦争)するのか
 集団戦のコツと「部隊」の作り方:中学生でも分る兵法 其ノニ

2000/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 17:世界とは情報であり、情報とは世界である

2000/1/26:小学館『SAPIO』
 「核ミサイルと潜水艦12セットがあれば抑止力は万全」がいよいよ現実となってきた

2000/2:四谷ラウンド
 『武侠都市宣言!戦後「腐れ史観」を束にして斬る』

2000/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 18:げん担ぎ、あらたまのドサ日記

2000/2:PHP研究所
 『「日本有事」って何だ 「超カゲキ」vs「常識」問答』

2000/2:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)

2000/3:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)

2000/3:PHP研究所『voice』
 『シュリ』は面白い(兵頭 二十八×ながい・みちのり)

2000/3:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 19:いつか返される飛行場、返されない飛行場

2000/3:杉山穎男事務所『武道通信 九ノ巻』
 和歌文化への対抗 空前絶後の孤立峰     
 場所の決定方向の決定:中学生でも分る兵法 其ノ三

2000/3/20:小学館『SAPIO』
 「政治指導部」「民心」で劣るも「指揮官」「兵隊」で中国に伍する

2000/4:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)

2000/4:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 20:短距離/近郊交通こそ「超特急」化すべし

2000/5:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)

2000/5:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 21:その「Can」に I can’t stand…

2000/5/10:小学館『SAPIO』
 「ロシアが北海道に侵攻」───
日本はいまだこのフィクションから抜け出せないでいる

2000/5:杉山穎男事務所『武道通信 十ノ巻』
 「勝つ」とは?最終的な「勝利」とは?:中学生でも分る兵法 其ノ四

2000/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 22:人間は目的ではない

2000/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 23:「投資&回収」のパターンで生きていないモーダルの人々

2000/7/22:講演会『軍事フォーラム』(未確認)
※NiftyのFDR

2000/7/28:自由主義史観研究会講演会
 『兵器が語る近代日本史』
※講演ビデオの印税払え!

2000/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 24:神妙にケータイをチョーダイしろ!

2000/9:杉山穎男事務所『武道通信 十二ノ巻』
 死を恐れる者がいるから奴隷も生まれる:中学生でも分る兵法 其ノ五
 平和日本で見た徒手格闘技(兵頭ニ十八×小松直之)

2000/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 25:頼もう!この看板は貰って往く

2000/10:中央公論新社『軍学考』

2000/10/23:『産経新聞』
 親を語る

2000/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 26:格闘技系公務員に最後の期待をかけてもいいか?

2000/11:教育システム 
 『日本のロープウェイと湖沼遊覧船
 Japanese Ropeways and Excursion Lake-boat』

2000/11:産経新聞『正論』
 誰も知らない遊覧船のヒミツ

2000/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 27:人が増えるとどんな遊びも不自由になるわけ

2000/12:杉山穎男事務所『武道通信 十三ノ巻』
 急所を勉強しよう:中学生でも分る兵法 其ノ六
 原潜クルスクの沈没報道───この”無分別”は何事

2000/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 28:説得の究極根拠は何か

2001/1:文藝春秋『諸君!』
 アメリカもやった「奇襲・特攻」

2001/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 29:読み切れぬ講談「ブチギレ奉行」の巻

2001/1:杉山穎男事務所『武道通信十四巻』
 言葉遣いがヨロイ:中学生でも分る兵法 其ノ七

2001/2:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
 特集対談:井沢元彦×兵頭二十八

2001/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 30:なぜ負けたか分からないという感覚失調から治せ

2001/2:草思社『草思』(未確認)
※草思社PR誌です。

2001/3:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 31:米人は自らを真に解する者を悪む

2001/3/5:『産経新聞』
私の一冊『クルミ割り人形とネズミの王様/E・T・A・ホフマン 著』書評

2001/?:講演会
※サバゲー野郎に囲まれて

2001/4:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 32:空母では対中国作戦の自由度は増さない

2001/5:PHP研究所『voice』
 平和ボケを醒ます「七箇条」
                  
2001/5:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 33:家単位の権力競争ある限り「日本敗戦」は続く

2001/5/20/8面:『東京新聞』
 そこまでやるか…『保護』と『掠知』
(「暗号解読戦争/吉田 一彦 著」書評)

2001/6:杉山穎男事務所『武道通信十五ノ巻』
 「絶滅を考える……」:中学生でも分る兵法 其ノ八
 元寇の戦い 勝利は神風にあらず

2001/6:PHP研究所『voice』
 日本は武器輸出を解禁せよ

2001/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 34:慢性危機の「政治的好奇心」

2001/6/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』(未確認)
※2002年10月現在まで寄稿が続いていまるそうです。

2001/7:草思社『草思』(未確認)

2001/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 35:ミサイルの人間臭さとTMDのアンチ歴史性

2001/7:『歴史読本』
 少子化?大歓迎!

2001/9:杉山穎男事務所『武道通信十六ノ巻』
 遅れてきた格闘技ファン
 対談:前田日明×兵頭二十八
 街宣車から見えた日本(杉山穎男×兵頭二十八)

2001/7:文藝春秋『諸君!』
 識者100人アンケート 近現代史を知る500の良書
”合衆国戦略爆撃調査団報告”を推薦

2001/7:PHP研究所『パールハーバーの真実』

2001/8/4:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第2回:タブーと階級の終焉論

2001/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 36:衆愚から独裁に向う夏には涼しい話を

2001/9/16/8面:『東京新聞』
 海中作業の過酷さ 迫真のドキュメント
(「海底からの生還/江畑 謙介 訳」書評)

2001/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 37:無敵玉を逃すしかない金縛り結社に死を!

2001/9:産経新聞『正論』
 「ムルデカ」は「パールハーバー」に対抗しえたか

2001/12:四谷ラウンド
 『地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法』
2001/10:『小説新潮』
 ”腹立ち日記” 出直して参れ!

2001/10/5:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第3回:タブーと階級の終焉論

2001/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 38:「一任期」&「無名人」の志士とは

2001/11:筑摩書房
 『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』

2001/11:文藝春秋『諸君!』
 偉大な国の「宿命」

2001/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 39:悪魔の川下り

2001/12:ビジネス社
 『One Plus Book   疫病最終戦争』(本書中の一章を担当)

2001/12:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)

2001/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 40:オサマにやられた
 座談会:アルカイーダ・テロルの思想的衝撃

2001/12:草思社『草思』(未確認)

2002/1:杉山穎男事務所『武道通信十七ノ巻』
 爆弾テロの史的考察
 キミは今「大きな判断」をしているか?それとも「小さな判断」?:中学生でもわかる兵法:其の九

2002/1:文藝春秋『諸君!』
 新・アフガン地政学(兵頭二十八×福田和也)

2002/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 41:今年は真菌が新聞社の輪転機に撒かれるだろう

2002/1/13/8面:『東京新聞』
 印パ関係も占う情報の重い集積体
(「誰がタリバンを育てたか/マイケル・グリフィン 著」書評

2002/1/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第4回:タブーと階級の終焉論

2002/1:マガジンマガジン社『カリスマ・ムック 石原慎太郎』(未確認)

2002/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 42:世の中の半分

2002/2:文藝春秋『諸君!』
 後方支援

2002/3:産経新聞『正論』
 軍学者が看た「東シナ海海戦」

2002/3:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 43:ゲリラ狩りは王道を進め

2002/3/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第5回:タブーと階級の終焉論

2002/4/10:武道通信かわら版 
 vol.46 軍師の閑談《一》

2002/4:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 44:狭まる市場に視野を合わせるな

2002/4/25:武道通信かわら版 
 vol.47 軍師の閑談《二》

2002/4:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』(未確認)

2002/5:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 45:成田市があまりに田舎なので仰天した話

2002/5:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』(未確認)

2002/5/10:武道通信かわら版 
 vol.48 軍師の閑談《三》

2002/6:産経新聞『正論』
 「幇間医」の復権を
※連載コラム『CROSS LINE』はじまり。

2002/6:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』
 日本をとりまく”新しい戦争”の”常識”

2002/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 46:通信カルチャーの落差を最高所から意識せよ

2002/6:杉山穎男事務所『武道通信十八ノ巻』
 対談:田中光四郎×兵頭二十八
 人生における「対抗不能性」:中学生でもわかる兵法:其の十

2002/7:産経新聞『正論』
 国民国家の常識

2002/7/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第6回:タブーと階級の終焉論

2002/7/25:武道通信かわら版 
 vol.53 軍師のたわごと《一》

2002/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 47:またやっちまったか八街の住人

2002/8/10:武道通信かわら版 
  vol.54 軍師のたわごと《ニ》

2002/8:四谷ラウンド
  『日本人のスポーツ戦略───各種競技におけるデカ/チビ問題』

2002/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 48:好きぶすき

2002/8:産経新聞『正論』
 愚の甚だしきものは

2002/8/25:武道通信かわら版 
 vol.55 軍師のたわごと《三》

2002/9:産経新聞『正論』
 国の弥栄を祈るならば

2002/9/8/12面:『東京新聞』
 ”世界的通信傍受の怪 欧州議会報告書を全訳”
(「エシュロン/小倉 利丸 編」の書評)

2002/9/10:武道通信かわら版 
 vol.56 軍師のたわごと《四》

2002/9:PHP エディターズグループ
 『軍学者が語る!沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』

2002/9/25:武道通信かわら版 
 vol.57 軍師のたわごと《五》

2002/10:産経新聞『正論』
 国家の超然安定装置

2002/10/30:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第7回:タブーと階級の終焉論

2002/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 49:また「反核・反米・中立」ですかい、旦那?

2002/10:並木書房
 『学校で教えない 現代戦争学』

2002/10/10:武道通信かわら版 
 vol.58 軍師のたわごと《六》

2002/10:杉山穎男事務所『武道通信十九ノ巻』
 なぜ軍学者と名乗るのか
 武士道と宗教と靖国
 対談:「葉隠」を読む(兵頭二十八×嘉村孝)

2002/10/31:武道通信かわら版 
 vol.59 軍師のたわごと《七》

2002/10/31:武道通信かわら版 臨時増刊号
 師弟問答

2002/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 50:降伏しない「ロボ・ゾンビ」

2002/11:産経新聞『正論』
 “心の自由”の代価

2002/11:杉山穎男事務所『ヤーボー丼───いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか』(電子ブック)

2002/11/10:武道通信かわら版 
 vol.61 軍師のたわごと《八》

2002/11/12:講演会「:「君は戦争を見たか───会津戦争からテロ戦争まで───」(加藤健二郎氏との合同講演会

2002/11/25:武道通信かわら版 
 vol.62 軍師のたわごと《九》

2002/11:西部邁事務所『発言者』
  ひょーどー漫言 51:なぜ国家公務員は自由市民であってはいけないか

2002/12:産経新聞『正論』
 多目的ダムの効用

2002/12:杉山穎男事務所『 日本の防衛力再考』(電子ブック)

2002/12/10:武道通信かわら版 
 vol.63 軍師のたわごと《十》

2002/12/25:武道通信かわら版 
 vol.64 軍師のたわごと《十一》

2002/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 52:指導者の精神力をコンテストさせよ

2003/1/8:PHP研究所 
 「戦争と経済」のカラクリがわかる本───アングロサクソン「常勝」のヒミツ

2003/1:産経新聞『正論』
 「司馬法」をかみしめる日

2003/1:教育システム社『TOP JOURNAL』
 2003年、起こるかもしれない戦争と使われるかもしれない兵器

2003/1/10:武道通信かわら版 
 vol.65 軍師のたわごと《十三》
※”軍師のたわごと《十二》”は存在しない。

2003/1/25:武道通信かわら版 
 vol.66 軍師のたわごと《十四》

2003/1/26:講演会「日本の歴史教育について───軍学者による次世代育成論───」(未確認)

2003/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 53:スケープゴート注意報

2003/2:産経新聞『正論』
 テレビという大衆麻薬

2003/2:杉山穎男事務所『武道通信二十ノ巻』
 会津戦争の今日的戦訓

2003/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 54:ハゲタカが来る前にこっちでバラバラにすればいい

2003/2/28:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第8回:タブーと階級の終焉論

2003/2/25:武道通信かわら版 
 vol.68 軍師のたわごと《十五》

2003/3:産経新聞『正論』
 TMD幻想から覚めよ!日本の「核武装」放棄で笑うのは誰か
 地方活性化に妙手あり

2003/3:PHP研究所『voice』
 対談:ノドンなんか怖くない(兵頭二十八×福田和也)
 
2003/3:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 55:やる事やらずに口だけの腐った精神を退治せよ
 アメリカがイラクで妄動せば

2003/3:新潮社『新潮45』
 徹底検証!ニッポンの「自衛力」

2003/3/1/23:00~24:00:d-NAVI STATION(ch.400=総合放送)「四人組」(デジタルラジオ)(未確認)

2003/3/8/23:00~24:00:d-NAVI STATION(ch.400=総合放送)「四人組」(デジタルラジオ)(未確認)
.
2003/3/10:武道通信かわら版 
 vol.69 軍師のたわごと《十六》

2003/3:杉山穎男事務所『日本の海軍兵備再考』(電子ブック)

2003/3/10:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第9回:タブーと階級の終焉論

2003/3/25:武道通信かわら版 
 vol.70 軍師のたわごと《十七》

2003/3/29:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第10回:タブーと階級の終焉論

2003/4:産経新聞『正論』
 アメリカが「中国化」する時

2003/4/5・12・19・26/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』
(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)(4/5・12分未確認)
兵頭二十八×河上和代

2003/4:新潮社『新潮45』
 徹底検証!ニッポンの「攻撃力」

2003/4:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 56:「マハンの設計図」はいつまで有効か?

2003/4:教育システム社『TOP JOURNAL』
 日本にある米軍基地の軍事力

2003/4:PHP研究所(PHP エディターズ・グループ)
 ニュースではわからない 戦争の論理

2003/4/25:武道通信かわら版 
 vol.72 軍師のたわごと《十九》

2003/4/10:武道通信かわら版 
 vol.71 軍師のたわごと《十八》

2003/5:産経新聞『正論』
 都道府県は要らない

2003/5:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 57:「かきあつめの原則」と政治の拙速要求とのギャップ

2003/5/3・10・17・24・31/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代

2003/5/10:武道通信かわら版 
 vol.73 軍師のたわごと《二十》

2003/5:杉山穎男事務所『武道通信二十一ノ巻』
 スポーツ道場の経営戦略

2003/5/25:武道通信かわら版 
 vol.74 軍師のたわごと《二十一》

2003/5/27:経済界『経済界』
 BOOKS REVIEW『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』著者インタビュー

2003/6:産経新聞『正論』
 ラチェットとノッチ
 イラク戦争で「国連」は終わった国家としての日本が復権する日

2003/6:杉山穎男事務所『修士論文』(電子ブック)

2003/6:杉山穎男事務所『陸軍機械化兵器』(電子ブック)

2003/6:文藝春秋『諸君!』
 ラムズフェルド改革の正体を見た!

2003/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 58:ラムズフェルド氏の正体

2003/6/7・14・21・28/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
6/14:ゲスト:小松直之
6/28:ゲスト:加藤健二郎

2003/6/10:武道通信かわら版 
 vol.75 軍師のたわごと《二十二》

2003/6/12:兵頭二十八講演会「核武装の理解のために」(未確認)
 主催:早稲田大学國策研究會

2003/6/25:武道通信かわら版 
 vol.76 軍師のたわごと《二十三》

2003/7:並木書房『戦争の正しい始め方、終わり方』
 兵頭二十八:別宮暖朗 共著

2003/7:産経新聞『正論』
 意外な見つけ物

2003/7:文藝春秋『諸君!』
 「北朝鮮後」の大混乱に備えよ!

2003/7/5・12・19・26/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
7/12:ゲスト:京野一郎(ながい・みちのり)
7/26:ゲスト:高城正士(漢字が違うかもしれない)

2003/7/10:武道通信かわら版 
 vol.77 軍師のたわごと《二十四》

2003/7/14:エヌピー通信社『納税通信』
 日本の税制再考 

2003/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 59:たいこもち 宗旨ばかりは負けて居ず

2003/7/22:『THE NEW YORK TIMES』
 JAPAN Confronting a Burden;Its Own Defence

2003/7/25:武道通信かわら版  vol.78
 軍師のたわごと《二十五》
 軍事史からみた「南京事件の真実」――推薦文にかえて「なぜ第一次大戦がポイントなのか」 

2003/8:産経新聞『正論』
 役立たずの老犬
 夜間航海
 
2003/8/2・9・16・23/19:00~20:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
8/23:ゲスト:日高 克

2003/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言60:「単一戦場燃料」で北海道経済が変わる

2003/8:黙出版『MOKU』
 有事法制の先にあるもの
 対談:兵頭二十八:別宮暖朗

2003/8/25:武道通信かわら版  vol.80
 軍師のたわごと《二十六》

2003/8/20・9/3:小学館『SAPIO』
 帝国陸海軍の二の舞を避けるためにも「軍学」の復権を提唱する

2003/9/6・13・20・27/19:00~20:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
9/6:ゲスト:新藤 保
9/13:ゲスト:井上 公司
9/27:ゲスト:タダ リュウヘイ

2003/9:産経新聞『正論』
 核軍備をめぐる”バカの壁”

2003/9:杉山穎男事務所『陸軍歩兵兵器』(電子ブック)

2003/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 61:一洗して尽く「耳タコ」惑問選

2003/9/10:武道通信かわら版  vol.81
 軍師のたわごと《二十七》

2003/9:杉山穎男事務所『武道通信 二十二ノ巻』
 藍は情報をネットした 
 失われた古流刀法

2003/9/25:武道通信かわら版  vol.82
 軍師のたわごと《二十八》

2003/10:産経新聞『正論』
 近代日本の真の課題

2003/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 62:世襲議員は増やしてよい

2003/10:杉山穎男事務所『軍事史からみた「南京事件」の真実』(冊子)
著者:別宮 暖朗
 解説:一軍学者から観た「本書の眼目」(兵頭二十八)

2003/10/10:武道通信かわら版  vol.83
 軍師のたわごと《二十九》

2003/10:杉山穎男事務所『「日本有事」って何だ――超過激 VS常識問答』(電子ブック)

2003/10/25:武道通信かわら版  vol.84
 軍師のたわごと《三十》

2003/11:産経新聞『正論』
 猫に小判の「新幹線」

2003/11/10:武道通信かわら版  vol.85
 軍師のたわごと《三十一》

2003/11/10:新聞 『Le Figaro』
 Le pcifisme japonais a des etats d’ame

2003/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 63:倫理支配か法律支配か行政支配か

2003/11/25:武道通信かわら版  vol.86
 軍師のたわごと《三十二》

2003/12:産経新聞『正論』
 「民主党」とは如何なる名乗りか

2003/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 64:PKF用の車両の選択を誤るな

2003/12/10:武道通信かわら版  vol.87
 軍師のたわごと《三十三》

2003/12/15/4面:エヌピー通信社『納税通信』
 住基ネットが描く未来 

2003/12:『新潮45』
 海外派兵大賛成論

2003/12/25:武道通信かわら版  vol.88
 軍師のたわごと《三十四》

2004/1:産経新聞『正論』
 非礼を承知の用心を

2004/1/5/9面:エヌピー通信社『納税通信』
 ここが変だよ確定申告 

2004/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 65:寒冷地域を中央のお荷物にするな

2004/1:並木書房
 『ニッポン核武装再論』

2004/1/25:武道通信かわら版  vol.89
 軍師のたわごと《三十五》

2004/2:産経新聞『正論』
 案じること、安んじること

2004/2:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 66:長期戦争中の米国にどうつきあえるか

2004/2:教育システム社『BAN』(旧:TOP JOURNAL)
 緊急レポート 自衛隊派遣[自衛隊はイラクで何をするのか、自衛隊は何ができるのか]

2004/2/10:武道通信かわら版  vol.90
 軍師のたわごと《三十六》

2004/2/16:近代出版社『自治特報』(no.555)
 地方分権のあり方を問う───世界経済に挑む本丸は東京

2004/2/25:武道通信かわら版  vol.91
 軍師のたわごと《三十七》

2004/3/10:武道通信かわら版  vol.92
 軍師のたわごと《三十八》

2004/3:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 67:捕虜および捕虜の家族の心得

2004/3:杉山穎男事務所『武道通信 二十三ノ巻』
 対談:天皇制武士道(兵頭 二十八×佐山 聡)
 鼎談:戦争をもっと語ろう(別宮 暖朗×兵頭 二十八×佐山 聡)

2004/3:産経新聞『正論』
 「雪まつり」は誰のおかげ
 能天気なのは日本だけ 中国「宇宙戦略」の脅威

2004/3/25:武道通信かわら版  vol.93
 軍師のたわごと《三十九》

2004/3:新潮社『新潮45』
 悪徳大国・中国の「宇宙軍拡」シナリオ

2004/3:並木書房『「坂の上の雲」では分からない 旅順攻防戦』(別宮 暖朗 著)
 ※1章で兵頭 二十八×別宮 暖朗 対談

2004/4/10:武道通信かわら版  vol.94
 軍師のたわごと《四十》

2004/4:産経新聞『正論』
 海上保安庁の独立を望む

2004/4:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 68:弾薬の問題

2004/4/25:武道通信かわら版  vol.95
 軍師のたわごと《四十一》

2004/5:産経新聞『正論』
 タイガーマスクの嘆息
 書評:「坂の上の雲」では分からない 旅順攻防戦

2004/5/10:武道通信かわら版  vol.96
 軍師のたわごと《四十二》

2004/5:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 69:資源安保という課題・ディーゼル乗用車という解答

2004/5/17:エヌピー通信社『納税通信』
 老けこみ知らずの鍛錬術
※10連載の最終回

2004/5/25:武道通信かわら版  vol.97
 軍師のたわごと《四十三》

2004/5:中央公論新社『三略』
 眞鍋 呉夫 訳/兵頭 二十八 解説

2004/6:産経新聞『正論』
 汝自身を知れ

2004/6/10:武道通信かわら版  vol.98
 軍師のたわごと《四十四》

2004/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 70:いつでも撃てるようになった自衛隊

2004/6:文藝春秋社『文藝春秋』
 有坂成章「世界最優秀小銃」の威力

2004/6/25:武道通信かわら版  vol.99
 軍師のたわごと《四十五》

2004/7:産経新聞『正論』
 善意が呼び寄せる危機

2004/7:新潮社『新潮45』
 ジェイキンズ軍曹にみる「脱走兵」の研究

2004/7:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 71:よい首脳が得られる選挙制度はありますか

2004/7:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第一回

2004/7/10:武道通信かわら版  vol.100
 軍師のたわごと《四十六》

2004/7/27:武道通信かわら版  vol.101
 軍師のたわごと《四十七》 

2004/8:産経新聞『正論』
 近世日本語文化の伝統知

2004/8:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第二回

2004/8/11:武道通信かわら版  vol.102
 軍師のたわごと《四十八》

2004/8/1面:経営者漁火会『漁火新聞』(第133号)
 乃木さんは見ている

2004/8:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 72:レーダーと日本人は相性が悪いのか?

2004/8/23/10面:エヌピー通信社『納税通信』
 今こそ宇宙開発に税金投入を

2004/8/25:武道通信かわら版  vol.103
 軍師のたわごと《四十九》

2004/9:産経新聞『正論』
 プロ野球一リーグ化の暁

2004/9:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 73:尖閣沖油田とメジャーの関係を誤解するな

2004/9:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第三回

2004/9/10:武道通信かわら版  vol.104
 軍師のたわごと《五十》

2004/9/20/4面:エヌピー通信社『納税通信』
 「開かれた社会」の派兵責任

2004/9:杉山穎男事務所『日本海軍の爆弾』(電子ブック)
※発売年月に確証が無い。

2004/9/25:武道通信かわら版  vol.105
 軍師のたわごと《五十一》

2004/10:産経新聞『正論』
 あらためて核の傘を

2004/10:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 74:自衛隊の三菱ジープが燃えない理由

2004/10/10:武道通信かわら版  vol.106
 軍師のたわごと《五十二》

2004/10:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第四回

2004/10/25:武道通信かわら版  vol.107
 軍師のたわごと《五十三》

2004/11:産経新聞『正論』
 小人国家の運命

2004/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 75:自衛隊不良装備の切り捨てが始まった

2004/11/10:武道通信かわら版  vol.108
 軍師のたわごと《五十四》

2004/11:文藝春秋『諸君!』
 乃木と明治帝を結ぶ「近代の覚悟」:『乃木希典/福田和也 著』書評

2004/11/25:武道通信かわら版  vol.109
 軍師のたわごと《五十五》

2004/11:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第五回

2004/12:新紀元社『あたらしい武士道───軍学者の町人改造論』

2004/12:産経新聞『正論』
 シナと呼ばない稀有な国

2004/12/10:武道通信かわら版  vol.110
 軍師のたわごと《五十六》

2004/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 76:なぜ社会監視手段としてインターネットは重宝か

2004/12/20:武道通信かわら版  vol.111
 軍師のたわごと《五十七》

2004/12:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第六回(最終回)

2004/12/30:武道通信かわら版  vol.112
 軍師のたわごと《五十八》

2004/12/31/20:00~24:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
 日本よ、今...「日本の核武装」

2005/1:産経新聞『正論』
 ボルテージが低いぞ

2005/1:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 77:護身の百聞は一験に如かず

2005/1:教育システム社『BAN』
  「漢級」原子力潜水艦の領海侵犯事件───その真相と背景を探る!!

2005/1/10:武道通信かわら版  vol.113
 軍師のたわごと《五十九》

2005/1/3/9面:エヌピー通信社『納税通信』
 日本の防衛力と税金を再考する 

2005/1:新潮社『新潮45』
  シナ原潜、何しにきた?

2005/1/24:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 1:ワナメーカーの非常識

2005/1/30:武道通信かわら版  vol.115
 軍師のたわごと《六十》

2005/1:杉山穎男事務所『武侠都市宣言!――戦後「腐れ史観」を束にして斬る』(電子ブック)
※発売年月に確証が持てない。

2005/2:産経新聞『正論』
 素手で熊と戦えと?
 中国原潜事件───お家芸の”恫喝”で露呈した張り子の虎の実力

2005/2/7:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 2:「安宅丸」と「お台場」

2005/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 78(終):八重山に反日感情は無いが、台湾を警戒す

2005/2/10:武道通信かわら版  vol.116
 軍師のたわごと《六十一》

2005/2/14:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 3:飛行艇の定期旅客便はなぜ困難か

2005/2/21:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 4:農業で農耕機械は買えたか?

2005/2/26/18:00~21:00:軍事学セミナー2月例会(未確認)
  戦後における旧軍兵器の再評価/講師: 兵頭二十八

2005/3:産経新聞『正論』
 「新タワー」は要らない
 ”眼下の脅威”にどう対応する 「数値」から読み解く二〇〇五年の日中・米中角逐

2005/3/3/19:00~20:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
 『日本の息吹』
 ゲスト:兵頭 二十八:佐山 聡

2005/3/7:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 5:エジソンの直流電気事業

2005/3:ダイヤモンド社『Kei』
 日本の核武装はいつまでタブーか?

2005/3/14:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 6:空冷が得な場合、損な場合

2005/3:西部邁事務所『北の発言 第12号』
 北海道防衛の〈かつて〉と〈いま〉 [1]:標津・羅臼に共産軍は来なかった
 (連載開始)

2005/3/21:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 7:ヨーロッパの「ドリル」の意味

2005/3:草思社『ある歩兵の日露戦争従軍日記』
 著 茂沢祐作:解説 兵頭 二十八

2005/3:杉山穎男事務所『武道通信 二十四ノ巻』
 対談:古代ギリシャ人の「勇気」に学べ───それは儒教道徳とどう違ったのか?
 兵頭二十八:鎌田雅年
 対談:近代に悩むとも「幸田露伴」になるな 
 兵頭二十八;武道通信編集部
 目潰し考───サムライのオーラを発するための平素の心得

2005/4/4:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 8:日本人のパンクチュアリティ

2005/4/10:武道通信かわら版  vol.122
 軍師のたわごと《六十二》

2005/4:産経新聞『正論』
 我に売るものあり

2005/4/11:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 9:涼しいことはいいことだ

2005/4/18:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 10:列強を狂わせたインド植民地

2005/5:新潮社『新潮45』
 「沖ノ鳥島」を改造せよ!

2005/5/9:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 12:デカルトのグラフ

2005/5:産経新聞『正論』
 陸海軍を巡る大きな謎

2005/5/16:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 13:産業と自然保護の両立

2005/5:草思社『草思』(未確認)
 銀シャリの呪い

2005/5/30:武道通信かわら版  vol.127
 軍師のたわごと《六十三》

2005/6:産経新聞『正論』
 「ご禁制」の島でいいのか

2005/6:新紀元社
 『精解 五輪書 ───宮本武蔵の戦闘マニュアル』
宮本武蔵 著:兵頭二十八 解説

2005/6/6:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 14:字体と活字と視力

2005/6/10:武道通信かわら版  vol.128
 軍師のたわごと《六十四》

2005/6/13:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 15:風を利用しやすい土地、しにくい土地

2005/6:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 1:上原勇作
 ※雑誌『発言者』の後継
 隔月間・偶数月16日 発行

2005/6/20:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 16:英語の何が有利だったか(前編)

2005/6/30:武道通信かわら版  vol.131
 軍師のたわごと《六十五》

2005/7:産経新聞『正論』
 吉川英治とX氏

2005/7/4:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 17:英語の何が有利だったか(後編)

2005/7/11:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 18: 「縁起が良い墓」にこだわった人たち

2005/7/18:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 19:大きな秘密を簡単に管理する方法

2005/7/27:小学館『SAPIO』
 北朝鮮との真の決戦場はわが国の「国会」にあり

2005/7/25:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 20:絶滅しにくい害獣と、しやすい生物資源

2005/7/30:武道通信かわら版  vol.134
 軍師のたわごと《六十六》

2005/8:産経新聞『正論』
 靖国神社の本務とは
 1937年の真実 日支戦争は日本の侵略ではない
 (対談:兵頭 二十八:別宮 暖朗)

2005/8/1:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 21:戦前の日本が真似できなかったテーラー・システム

2005/8:文藝春秋『諸君!』
 『国家の罠』佐藤優の狂えるロシア認識

2005/8/15:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 22:世界的に異色な日本のコミック産業

2005/8/22:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 23:稼げるスポーツと稼げないスポーツ

2005/8/29:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 24:靴の重要性───

2005/8/30:武道通信かわら版  vol.137
 軍師のたわごと《六十八》

2005/9:産経新聞『正論』
 宣伝戦の要諦

2005/9/5:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 25:疲れない椅子はあるか?

2005/9/12:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 26:潜水具と信用

2005/9/13:武道通信かわら版  vol.139
 堀江氏を対抗馬にぶつけたのは総理の芝居

2005/9:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 2:永田鉄山

2005/9/20:武道通信かわら版  vol.140
 軍師のたわごと《六十八》

2005/9/30:武道通信かわら版  vol.141
 軍師のたわごと《六十九》

2005/10:産経新聞『正論』
 小泉「郵政解散」の暗号を読み解く───なぜ私はプロ・コイズミ候補圧勝を期待するか 
現代戦史の奇観

2005/10/10:武道通信かわら版  vol.142
 軍師のたわごと《七十》

2005/10/20:武道通信かわら版  vol.143
 軍師のたわごと《七十一》

2005/10/30:武道通信かわら版  vol.144
 軍師のたわごと《七十二》

2005/10:PHP研究所
 『技術戦としての第二次大戦───日本VS中ソ米英篇』
 兵頭二十八:別宮暖朗 共著

2005/11:産経新聞『正論』
 酔生夢死となるまじき

2005/11/10:武道通信かわら版  vol.145
 軍師のたわごと《七十三》

2005/11/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第1回:ジャンジャック・ルソー『人間不平等起源論』
 ※連載開始

2005/11:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 3:竹下勇

2005/11/20:武道通信かわら版  vol.146
 軍師のたわごと《七十四》

2005/11/20:武道通信かわら版  vol.146(続編)
 軍師のたわごと《七十四》

2005/11/30:武道通信かわら版  vol.147
 軍師のたわごと《七十五》
 連載開始:HG対談《一》:兵頭二十八/後藤よしのり

2005/11:西部邁事務所『北の発言 第16号』(未確認)
 住めば都の奥尻島分屯基地

2005/12:産経新聞『正論』
 法務テロリストの跋扈
 書評:驕れる白人と闘うための日本近代史/松原久子 著:田中敏 訳
 
2005/12:中央公論新社 中公文庫 BIBLIO:クラウゼヴィッツ 『戦争論』の誕生
 ピーター・パレット 著:白須英子 訳 
 兵頭 二十八/郷田 豊 解説

2005/12/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第2回:ジョン・スチュアート・ミル『代議制統治論』

2005/12/10:武道通信かわら版  vol.148
 軍師のたわごと《七十六》
 HG対談《二》:兵頭二十八/後藤よしのり

2005/12/13:兵頭二十八講演会「プロパガンダの時代~如何にして日本の主張を世界に発信するか~」(未確認)
 主催:早稲田大学國策研究會

2005/12/18/15:00~16:00:SKY PARFECT TV『週間 武道通信TV』
(毎週日曜日 15:00~16:00)
 司会:杉山ひでお・高野華恵
 ゲスト:兵頭二十八

2005/12:PHP研究所 PHP文庫
 パールハーバーの真実 技術戦争としての日米海戦

2005/12/20:武道通信かわら版  vol.149
 軍師のたわごと《七十七》
 
2005/12/30:武道通信かわら版  vol.150
 軍師のたわごと《七十八》
 HG対談《三》:兵頭二十八/後藤よしのり

2006/1:産経新聞『正論』
 公務員削減と総背番号制

2006/1:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 4:南部麒次郎

2006/1/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第3回:アレグザンダー・ハミルトン他『ザ・フェデラリスト』

2006/1/10:武道通信かわら版  vol.151
 軍師のたわごと《七十九》

2006/1:産経新聞『別冊正論 1』
 日中国際宣伝戦争───いかにしてシナのプロパガンダを打ち破るか
 米露支三つ巴の有人宇宙計画───彼らは「神舟」によって何をやりたいのか

2006/1/20:武道通信かわら版  vol.152
 軍師のたわごと《八十》

2006/1/25:小学館『SAPIO』
 東京裁判から慰安婦・靖国まで 中国反日プロパガンダの「現在」「過去」「未来」
 
2006/1:日本財団『日本人のちから』
 宣伝戦をどう戦うか

2006/2:産経新聞『正論』
 北京五輪を活用する法

2006/2/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第4回:アダム・スミス『道徳感情論』

2006/2/10:武道通信かわら版  vol.154
 HG対談《四》:兵頭二十八/後藤よしのり

2006/2:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 5:小畑敏四郎

2006/2/27/19:00~20:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
 『人間の杜』
 ゲスト:兵頭 二十八

2006/3:サンラ・ワールド株式会社『力の意思』
 宣伝戦

2006/3/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第5回:ルース・ベネディクト『菊と刀』

2006/3:教育システム社『BAN』
 ブラック・プロパガンダに勝つために

2006/3/30:武道通信かわら版  vol.159
 HG対談《二》:兵頭二十八/後藤よしのり
※多分《五》の間違い

2006/3:並木書房『陸軍戸山流で検証する───日本刀真剣斬り』
 兵頭二十八:籏谷嘉辰 共著

2006/3:産経新聞『正論』
 左巻き弁護士のリストラを

2006/3:文藝春秋『諸君』
 書評:日本の「戦争力」 小川和久 著

2006/4:西部邁事務所『北の発言 第18号』(未確認)
 滑走路4本、40機のF-15が展開する空自最強の拠点

2006/4/10:武道通信かわら版  vol.160
 軍師のたわごと《八十一》

2006/4/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第6回:トマス・ホッブズ『哲学者と法学徒との対話』

2006/4/20:武道通信かわら版  vol.161
 軍師のたわごと《八十二》

2006/4:産経新聞『正論』
 皇室廃絶運動の背景史
 放置しておくのが一番
 
2006/4:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 6:田中静壹

2006/4:文藝春秋『諸君!』
 核武装していない日本など怖くない───と言われたら

2006/5:産経新聞『正論』
 「内なる敵」を知れ
 
2006/5:文藝春秋『諸君』
 鼎談:「北の核」より「中国の核」───「核の選択」を真剣に考える時が来た
 伊藤 貫:兵頭 二十八:平松 茂雄

2006/5:光人社『大東亜戦争の謎を解く───第二次大戦の基礎知識・常識』
 別宮 暖朗:兵頭二十八 共著

2006/5/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第7回:ガリレオ・ガリレイ『天文対話』

2006/5/13/21:00~24:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
 闘論!倒論!討論!2006 日本よ、今…「中国・朝鮮半島外交と核武装」

2006/5/20:武道通信かわら版  vol.164
 軍師のたわごと《八十三》

2006/5/30:武道通信かわら版  vol.165
 軍師のたわごと《八十四》

2006/6:産経新聞『正論』
 セキュリティと景気

2006/6/10:武道通信かわら版  vol.166
 HG対談《六》:兵頭二十八/後藤よしのり

2006/6:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 7:板垣征四郎

2006/6/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第8回:アウレリウス・アウグスチヌス『告白』

2006/7/1:維新政党 新風『新風』
 緊急解説 北朝鮮「弾道ミサイル」を誤解しないために

2006/7/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
対談:北朝鮮へ断固たる制裁を、すべての拉致被害者奪還をめざせ
兵頭二十八×藤吉邦道(会長)

西洋の名著から人権思想を捉え直す 第9回:トマス・モア『ユートピア』

2006/7/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第1回

2006/8:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
座談会:思想としての核
富岡幸一郎(司会):大塚英志×兵頭二十八×西部邁

近代未満の軍人たち 8:田中隆吉

2006/8/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第10回:ジョン・ロック『市民政府論』

2006/8:産経新聞『正論』
 西欧を「人質」にとるシナ

2006/8/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第2回

2006/9:産経新聞『正論』
 蘇峰は乱臣賊子を悪まずや?

2006/9/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第11回:小プリニウス『書簡集』

2006/9/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第3回

2006/10:産経新聞『正論』
 シナにとっての東京裁判

2006/10:宝島社 別冊宝島『栗林忠道───硫黄島の戦い』
検証Part1 日米開戦、そして硫黄島
検証Part2 日米開戦、そして硫黄島
寄稿:兵頭二十八:別宮暖朗 他

2006/10:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 9:畑俊六

2006/10/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第4回

2006/11:産経新聞『正論』
 「義務」を果たした栗林忠道

2006/11/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第5回

2006/12:PHP研究所『日本有事───憲法(マックKEMPOH)を棄て、核武装せよ! 』
 兵頭二十八 著

2006/12:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 10:寺島健

2006/12:産経新聞『正論』
 「戦後市民」の正体

2006/12/7:兵頭二十八講演会「核戦争に備えよ───あなたは愛する人を守れますか?───」
 主催:新風20代の会

2006/12/8:兵頭二十八講演会「とりもどせ!!国家の誇りと日本のくらし───北朝鮮の核ミサイル」(未確認)
 主催:維新政党・新風 和歌山県本部

2006/12/10/15:00~16:00:SKY PARFECT TV『週間 武道通信TV』
(毎週日曜日 15:00~16:00)
 ゲスト:兵頭二十八

2006/12/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第6回

2007/1:産経新聞『正論』
 「千篇二・律」の反日言辞

2007/1/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第7回

2007/2:産経新聞『正論』
 鎖国時代の「最小関与」に学ぶ
 靖国も千鳥ヶ淵も「無名戦士の墓」になりえない理由

2007/2/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第8回

2007/2:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 11:小磯國昭

2007/3:産経新聞『正論』
 真理の敵を見破る方法

2007/3:光人社『東京裁判の謎を解く───極東国際軍事裁判の基礎知識』
 別宮暖朗:兵頭二十八 共著

2007/4:産経新聞『正論』
 電波による選挙干渉を防げ
 新聞では分からない中国衛星破壊実験、ホントの意味

2007/7/16:日本列島勇気倍増計画 行動までのあと一歩について
 勇気と文明と社会(1)

2007/9/1:日本列島勇気倍増計画 行動までのあと一歩について
 勇気と文明と社会(2)

2008/1:光人社『兵頭二十八軍学塾───日本の戦争 Q&A』
 
2008/3:並木書房『逆説・北朝鮮に学ぼう!───ヘタレの日本に明日はない』

2008/3:PHP研究所『【新訳】孫子───ポスト冷戦時代を勝ち抜く13篇の古典兵法』

A:”(未確認)”は、管理人が未確認であるという意味です。
(それ以外の意味に取りようもありませんが……。)
B:根本的な間違い(「そんなコラムは無い」というような)は無いと思いますが小間隔の間違いは必ずあると思います。
C:1つのものに対して複数個情報を頂いた場合、片方が確定的なものでない限り、私が確認するまで併記しています。

 掲示板やメールで情報をくださった総ての方に、改めて感謝。


(2020年2月 記)

 この不完全なワークリストが、当サイトのマスターピースです。当サイトは結局のところ、このワークリストを作るために開設したのだと思います。


2020年2月9日のロフトプラスワンウエスト『マジでタメになる!就活と仕事に関する特殊な話』を観た話/管理人U

 2020年2月9日 ロフトプラスワンウエスト トークライブ『マジでタメになる!就活と仕事に関する特殊な話』を観てきた。

 私が最も興味深かったのはアダルトライブチャット運営のザキ子さん(株式会社リアズ)のお話。美人さんでした。

 アダルトの仕事なので、中々求人媒体に募集を載せられないという話をされていた。他の出演者もいるのであまり踏み込んだ話はできていなかったが、登壇者のお仕事の中で唯一現場を見てみたいと思った。

 本気で求人に応募しようかと、ライムチューハイ片手にライブ終了後30分くらい考えてた。時給1000円からかあ……。けど、向いているのかどうもわからないし、現時点で何を提供できるわけでもないものなあ……。

 私は20代前半から今までずっと、ほぼ同じ仕事に携わっている。イマドキ副業禁止の会社で働く会社員。まずはバイトとして働く……というのは難しい。しかし無給なら問題ない、ような気がする。無給なんだし。……相手側はそれでは問題かもしれないけど。
 もしココを見ている方で『アダルトライブチャットの運営の小間使いを無給でさせてあげるよ』というお話があればメール下さい。私は大阪に住んでます。

 ところで兵頭先生は高校卒業を控えた頃、ある会社からご自宅に『うちに就職しませんか』という電話がかかってきたそうだ。
 その会社は『トルコ』──いまのソープランドである。すげえ大らかな話だ。春に高校卒業する男子にソープで何させる仕事だったのか。スカウト? 経理?

 もうすぐ春です。もしあの時ああしておいたら今頃は……? という空想が頭に浮かびがちな季節ですね。

(管理人U)


荒地実験場2014年前半報告(2014-8-26 記す)

(2014年8月31日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

 地球人口は、増えやすい条件が与えられれば、とめどなく、しかも急速に増える。じっさいに今、爆発的に増えているさいちゅうだ。
 人類のエネルギー消費量は、「人口×経済発展」に比例して増える。消費されるにともない、石油もガスも、掘り出しやすい鉱区から消えていく。
 かたや、石油やガスの採掘技術は、ゆっくりしか進歩しない。それゆえエネルギー需給は逼迫する。エネルギーの生産価格や取引価格は、高騰する。
 地球上の土地(可住地と可耕地)は有限であり所与である。そして今の食料生産は、石油・ガスに決定的に依存する。
 以上から、いつの日かわれわれの入手可能な食糧の売価も高騰してしまうことは必然である。

 では、わたしたち地方住まいの暇人は、近未来の「細民飢餓」を回避するため、何をすべきか?
 もしあなたが、放任で勝手に山野に増殖する有用植物を一つでも発見、もしくは改良することができたなら、あなたは人類全体を救えぬにしても、地域の人々、または家族や知人を、救えるかもしれない。
 すくなくとも世の中は、前よりも明るくなるだろう。

 このような課題意識から、わたしは自宅(借家)と続きの荒地(いつかは宅地開発されるのだろうが…)にて、細々とした「環境美化・兼・実験」をスタートした。それによって判ったことや判らないことを写真でリポートすることで、日本の各地域に居住している同憂の士を鼓舞できたなら、望外の幸せと思う。

 世の中、じつにイライラさせられるニュースが多い。「どいつもこいつも……」と、しじゅう、うめきたくなる。だが、植物の時間は人間のサイクルとはぜんぜん別に流れている。観察のためにそれと付き合っているうちに、人もまたマイペースの落ち着きをとりもどすことができる。

 以下、「4-10」等の数字は撮影月日を示す。すべて2014年である。一帯は函館市内の、標高50m前後のところに位置する。隣接して二級河川の谷があるので、低湿地ではない。

キバナセツブンソウ 4-10

 この荒地実験場で越冬したうえ春最初に咲くのは球根の黄花節分草である。北海道専用の園芸本で、早い早いと定評ある球根、たとえばチオノドクサやクロッカスやプスキニアよりもずっと早い。ただしフクジュソウには確実に負けるはずだ。写真奥の列はシラー。手前のロゼットが実生のヒゲナデシコだとは、ことし、咲いてみるまで分からなかった。

エゾエンゴサク 4-28

 エゾエンゴサクは昔から地下の球根を食べられる植物として知られていたようなのだが、通販で入手した球根はウサギの糞のように小さく、春に生えて来た茎も踏み圧にとても弱く(この荒地は人の出入り自由なため子供が踏むことあり)、こんなものを人が掘りはじめたら瞬時に根絶やしとなるだろうと思われた。自生地も山の南斜面に限られるようで(カタクリと並んで同じ時期に開花する、いわゆるスプリング・エフェメラル)、とても、山林豊饒化の切り札にはならないというのがわたしの見立てだ。

ノラボウナ 5-7

 アブラナ科の菜花が、なんのマルチング(藁とかビニール膜などをぴったりと被せて覆うこと)もしないのに北海道で越冬して多年草であることを証明し、しかも、基部が木化するなんて、信じられますかい? このノラボウナはオランダ人がジャワあたりから長崎に持ち込み、江戸時代の埼玉県で最初に普及し、「三倍体」のためまったく進化(性質変化)せずに今日まで細々と伝わっているという。なぜ南方の植物がこんなにも寒さに強いのか、不思議というほかはない。写真中央の長い根は、川土手に自然に生えている別な植物。その左右の2株が、2013年3月に種をじか播きした、のらぼうな。

ノラボウナ 7-2

 2年目のノラボウナが開花するとこんな感じ。ここはオニグルミの叢林端で、頭上が日蔭なのでこの程度だが、今年、ある人に種をお分けして本式の畑で栽培してもらったところ、初年にしてとてつもない巨大株になった。こいつは園芸植物としてもっと全国に普及させ、山林や荒野を豊饒化させ、近未来の飢饉に備えたらどうかと思う。なお、無農薬だとタイミングが悪ければ紋白蝶の幼虫に葉が食われまくる。が、一回越冬したあとなら、さんざんに食害されても枯れ死ぬことはない。イチオシの奇蹟の植物である。

ノラボウナ 7-16

 野外で自然越冬させたノラボウナは、7月にはタネ化してしまう。このサヤの中に大量の種が詰まっている。食用とするのは葉の部分。必要量だけ切って、短時間、煮る。味には何の癖も無い。

カマシア 5-25
カマシア 6-2

 球根のカマッシアは、北米インディアンが食用にしていたというから、当地での適性を見るために植えてみた。球根は、何年も植えっ放しにしておくと、相当に太るようだ。しかし調理法を工夫しないと毒だそうである。こいつは折鶴のような形状の葉が特徴的だ。そしてその占有面積がけっこうある。花色が薄いのでずいぶん近づかないと目立たない。また、子供はこの花茎を打ち倒したいという欲望を禁じ難いようである。打ち倒されると、二番手の茎は出てこず、その年はもうおしまいだ。4月くらいにさっさと咲いてしまえばいいのに、5月下旬まで開花しないからいけない。葉は8月になると枯れてしまう。
 「子供からの攻撃」という攪乱要因にもじゅうぶんに耐える高勢の耐寒多年草は、「ヘリオプシス・サマーナイト」だと思っている。人の背丈ほどにもなる黄色花だが、茎を10本ばかり途中からヘシ折られてもすぐ新枝を出してそこから再開花。植えて1年目から叢林状を成し、台風でも倒伏しないで、たちまち自力で元の姿を取り戻す。花期も長い。しかし、こぼれ種で増えないから、荒地には広まらない。
 「サマーナイト」に比べると、商品名「宿根ヒマワリ」の類は、花色は類似だがトップヘヴィーで、それほど高勢でもないのに強風一発で茎が折れるか倒れるかする。

シレネ 6-4

 2013年に苗を買って自宅の庭の方に定植したら、春からやたらに花盛りが長く、晩秋までタネを製造し続けたのがシレネ・ウニフロラである。そこからとれたタネをすぐに荒地に播いたらどうなるかと思ってやってみた結果が、コレ。ヒゲナデシコにさきがけて、一斉に開花した。もともと這性のはずなのに、二代目は立体ボリュームがある。野草のミミナグサの親類だけあって生命力は強そうだ。
 まだ越冬力は確かめ得ていないけれども早春に築山の頂上に苗を植えた「シレネ・ファイアフライ」という通販商品の方は、霜にも負けなかったしスタートダッシュが早い上に花期も長くて驚いた。1株で草叢を成す勢いである。

チャイブ 6-6

 2012年にタネを撒布した覚えのあるチャイブ。しかし発芽しなかったように見え、完全に忘れていた。それが、2014年にとつじょ、姿を見せた。葱らしい匂いが爽やかである。

サポナリア 6-10

 サポナリアとはソープワートのことで、これには比較的高勢のものと這性のものがある。写真のピンク花は這性。2013年に苗を買った株のタネをとってすぐ播いたら、それが荒地のあちこちで、この春、開花した。派手色の花は、咲き始めのヒゲナデシコ。
 立ち性のソープワートは、7-3にマレーシア機が東部ウクライナで撃墜されたときに現地で野草として開花していた模様。それは、墜落現場の村人が、満開状態のソープワート(もちろん一重)の花束を手向けていた写真にて、承知ができた。この荒地実験場だと立ち性の一重のサポナリアのいちばん早い開花が7-27であったから、ウクライナよりも函館は寒い(もしくは日照が悪い)ということが分かる。

イブキジャコウソウ 6-11

 イブキジャコウソウは、イチイの木の下に植えると、のびのびとは増えないように思われる。春に郊外でいろいろと観察すると、イチイの葉からしたたり落ちる雨水には、どうみても、スミレなどの野草を抑制する成分(アレロパシー)が含まれているとしか見えない。しかし、当地の気候で越冬することだけは、確かめられた。

Evening Primrose 6-15

 イヴニングプリムローズとは待宵草。ジョンソンズという英国のタネ会社の種(ファーストイヤー・ペレニアル・シリーズ)を2013年3月下旬に地面に直か播きしたところ、その年は無開花で冬となり、すべて無駄になったかと思っていたら、2014年にとつぜんコレですよ。場所は、荒地ではなく庭と私道の境目。「昼咲き月見草(オエノテラ)」は以前、通販の苗で買ったことがあるが、みるみる衰弱して消滅した。ところがこのジョンソンズの実生の方は、越冬した上、勝手にどんどん増殖し続けている。ひとつの花は2日でしぼむが、次から次と開花し続ける。脱帽の品種と思う。
 写真の黄色い花は「ダイコンソウ」で、越冬株。右の白いサルビアも越冬株で、こいつは花期が滅法長い。ちなみに青いサルビア類は、当実験地では一冬で全滅する。

ヤツシロソウ 6-16

 カンパニュラのグロメラータ(九州ではヤツシロソウという)。カタログスペック的には、地下茎でどんどん増えるというところが、いかにも頼もしそうなわけであった。しかし、昨年秋に苗を3株、互いに数十m離して植えて越冬させてみた結果は、しょぼいにも程があるじゃないか、という実感であった。
 だがこれよりもっと期待を外されたのは「ヤナギラン」だ。他の雑草に負けないように急速に高勢化し、地下茎で増えるだけでなく、シュウメイギクやコウリンタンポポのように綿毛の種で広範囲に子孫を増やすというカタログスペックなのだが、結果は、3株のうちひとつも1mにも届かず、花芽もつかなかった。来年は、より詳細にリポートできるだろう。

ジョチュウギク 6-22

 まんなかの赤い花は、越冬した除虫菊。ただ、この場所はオニグルミの葉が繁るにつれ急速に日蔭化するので、増殖ペースが遅い。隣のシャスターテイジーも、越冬して株が大きくなったのに、2014年につけた花芽は開花しないでそのまま夏にすべて枯れてしまった。

オオルリソウ 6-23

 ミックス種袋に入っていたのだと思われるのが、このオオルリソウ。一年草なのに、何もしなくったって、どんどん増え拡がる。こいつが枯死したときにできるタネは「ひっつき虫」の中でも、衣服からひきはがすのが最も手間である。背面通気性の除草用手袋の布部分などは、すぐボロボロにほつれてしまう。

アスチルベ 6-23

 越冬した上、ひなたではびこりだしたアスチルベを、半日蔭に移植した。これで来年どうなるか観察する。このアスチルベの隣に苗を植えたアガスターシェは、一冬でほぼ全滅してしまった。半日蔭でも越冬する上に、ずいぶん旺盛に増殖するとわかったのは、カクトラノオだが、これは食用にならない。
 写真奥の谷際の土手に生えているのはキクイモ。半日蔭でも巨大化する。地下に多数のイモが成り、春に出てくる芽は、一、二度毟ったぐらいでは、じきに復活してくるタフネス。寒冷地の原野山林にも向いた、文句なしの放任救荒植物だろう。右手の黄色いのはカンムリキンバイで、まだ越冬はしてない。

ヒゲナデシコ 6-25

 2013年の早春に、残雪の上から、いろいろな花種がミックスされている袋を、複数、ぶちまけた。このうち、多年草は、その年に開花したものはほとんどない。そして、一部は「謎のローゼット」として越冬した。このロゼットが2014年春からだんだん成長してヒゲ状の花芽が見え、さらに開花が始まって、そこでやっと「これはヒゲナデシコ/ビジョナデシコかもしれない」と見当がついた。
 この植物のすごいのは、冬季、雪の下でも青々とした状態を保っていることである。しかも、ロゼットが見当たらなかった場所からも、ぞくぞくと立ち上がって開花する。湧くが如き出芽現象は、夏になっても継続している。また、花後にできるタネが大粒で量が多い。この調子だと来年はこの多年草で荒地が埋め尽くされるかもしれない。たまたま、種の性質と、土や気象が、ベストマッチしたのであろうけれども……。

ダイヤーズカモマイル 6-25

 ダイヤーズカモマイルのダイヤーとは染物師のこと。この黄色が、かつては染料になったのだという。多年草なのに、こぼれダネでやたらに増える。そして幼葉の姿でも確実に越冬する。手前の黄色い花の草叢は、2013年夏に咲いたダイヤーズカモマイルの種を秋に無造作にバラ播いた結果だ。タンジーもこのようにして初冬に撒布すると実生で無造作に増えるけれども、ダイヤーズカモマイルほど急速に成長はしてくれない。
 これと近縁といわれる矮勢の植物にマトリカリア(フィーバーフュー)がある。2013年に苗を3株植えたが、冬の間に文字通り、消滅してしまった。

クロタネソウ 6-28

 1年草なのに、いちど播いたらあとは全自動で(ただしチシマザサの伐採や、ブタクサ、セイタカアワダチソウ、ダンドボロギクのような雑草の抜き取りは必要だろう)毎年春からはびこってくれて、範囲も逐次に拡がるのが、写真手前のクロタネソウだ。花がなければ一見、背の低いコスモスのようでもある。
 通常タイプのコスモスも、いっぺん生え始めたら、絶えることはまずない、強健そのものの1年草だが、まだこの時期には、出現しない。

マーシュマロウ 6-29

 「マシュマロ」の語源は、マーシュ(沼地)のマロウ。根が子供の喘息止めの薬の原料になったそうだ。その花がコレ。手前の鉄砲ユリと比べて、高勢なのがわかるだろう。こいつは実生なのである。豪雨でよく冠水する地点に2013年に播き、同年は矮小ながら少数の開花を見た。それが2014年にはこんなになった。ここまで、周辺の除草以外は、まるっきり放任である。このあと、2日ほど風雨が続いたら、倒伏してしまった。ひきつづき、放置で観察中。

ブッドレア 7-2

 花が咲いてないので分かりにくいが、やはり未開花のシャスターデイジーの株の奥にブッドレアのボサが立っている(エニシダのような感じで)。2013年春に定植したのに、この夏も開花の兆しがなかった。よほど日照をよくしないとダメなのだろう。函館は、海際であるためか、朝に晴れていても午前中に海霧で曇ることが多く、しかも、真夏になっても北海道の内陸部ほどには高温が立て続かない。だから、この地で「半日蔭」のロケーションにするということは、きわめて日照条件が悪いことになってしまうのかもしれない。

ガウラ 7-3

 2013年に苗を買って定植した白花のガウラの種を取り播きしたのが、この手前の叢。ヒョロヒョロの茎1~2本で越冬し、7月にはもうコレである。このあと一斉に開花して、親株をしのぐ規模となった。ガウラの右奥は、荒地への展開力ではアップルミントなど問題にしないほど旺盛な自然進出を誇る野草の「フランスギク」。自転車置き場(砂利地面)に宿根しているのが毎年邪魔なので、早春に掘り取って無造作に移植したのが、こうして開花している。しかし、わたしが伐開するまでは全面チシマザサに覆われていたこの実験場には、フランスギクはさすがに入り込めてはいなかった。

ベロニカブルーエンペラー 7-13

 2013年早春に種苗店の裏庭みたいなところに並んでいた、前年の売れ残りのベロニカブルーエンペラーとやらの古い休眠株を買ってきて、半日蔭へ定植したところが、少し葉が出ただけでその年は開花どころでなく終了。そこで2014年早春にこんどは場所を、西陽以外はすべて当たる「築山」の東斜面に移してやったら好調であった。手前の白花は、ジョンソンの実生のヒルザキツキミソウ。左手奥は、実生でしかも越冬したコケコッコー花(ホリホック)と、苗で越冬したベルガモット(前年は倒伏したが、今年は支柱なしで倒伏せず)。築山の内部には、荒地の各所で掘り出した石ころと、チシマザサの切断した根が堆積している。その上に、1袋198円のツルハドラッグの土をかけたのである。

バーベナボナリエンシス 7-14

 バーベナボナリエンシスは、別名「三尺バーベナ」。こいつが北海道で越冬しますと確約している園芸本は、1冊もないであろう。しかし、ものはためしで昨秋に苗を定植しておいたら、この通り、開花した。あとは、こいつから実生で拡がって行くかどうかが、注目点である。枯れた茎の上にタネができているのは、苗の位置の目印として輪状に植えておいたアリウムの地上部残骸だ。アリウムは球根だから早春にいちはやく開花して、その下に休眠苗があることを示してくれる。

ガウラのピンク 7-15

 ガウラについては某タネ会社の説明が、耐寒性に不安があるようなことを注記しているために、園芸書もことごとくそれを踏襲しているが、この荒地での実験の結果、ピンク花も白花も、ここでの越冬には何の工夫もいらないことがわかった。このピンク苗は2013年に定植し、接地部は冬までに木質化してずいぶん頑丈になり、難なく越冬した。その右隣は、野生の2年草のモウズイカが生えてきたので、刈らずに残して観察をしているもの。モウズイカの手前は、実生のルピナスである。その右の草叢は、天下無双のしぶといハーブではないかと思われる「アップルミント」。しかし除草を一切止め、チシマザサやススキを伸ばし放題にすれば、日照がなくなって、アップルミントも消える。

ブローディア/トリテレイア 7-15

 一般に北海道の花壇では、球根植物は、そうでない植物よりも早く、4月とか5月に開花してくれるので、いかにも珍重したくなる価値があり、人々は賞翫するわけである。ところがこのブローディア(別名トリテレイア)は、7月中旬に開花する。もうその頃には、どの庭も花だらけで、存在が埋もれる。
 左手のコンクリート塊は、冬の前に顔なじみのハシボソガラスのカラ吉夫婦のためにオニグルミの実をトンカチで割ってやる場所である。「駐車場のクルマに轢かせるなどという手間のかかる真似をするまでもねえ」と手助けをしてやったら、カラスもいろいろなことを教えてくれるようになった。慣れるにつれ、笹刈りなどをしているわたしのすぐ近くで、地中に半分埋もれているオニグルミを掘り出してみせる。「こいつを割ってくださいよ」というわけだ。しかし春は、人間の方が見つけるのが早い(発芽するので)。発芽直後のオニグルミは、地中からゆっくり引き抜いたあと(これはカラスの技能では絶対に無理)、殻に軽いショックを加えるだけで奇麗に二つに割れる。それを石の上に放置すると、カラスが飢えている場合は、ついばむのだけれども、秋の胡桃に比べて、さすがに人気は落ちるように見受ける。
 人にもカラスにも発見されなかったオニグルミは、最終的に野鼠が齧っていると思われるのだが、いまだに野鼠の死体も生体も、この荒地で目撃したことがない。余談だが、烏が上空から地上の人間に挨拶するときは、人間の目の周りに届いている太陽光線を一瞬影で遮るような、巧妙なフライ・パスを為す。

ゲラニウム・ジョンソンズ・ブルー 7-16

 通販で苗を2株買ったものだが、1年目の夏からすごい繁茂であったゲラニウム・ジョンソンズ・ブルー。2年目もたいしたものである。築山左麓のは、2013年に植えたアルストロメリア。これも融雪期冠水にめげず、快調。

コマチリンドウ 7-18

 マルチングなしでは越冬しない可能性が大なのが、小町リンドウ。しかし、非常に条件のわるい場所で、こいつはかろうじて越冬した。だから、築山に移植して、養生することにした。

ソリダスター 7-18

 左端の草叢がソリダスターで、この写真の1週間後に開花した。手前の黄色い花は、「中葉シュンギク」のタネ袋をバラ播いたもの。1年草だが、シュンギクほど安価に、且つ急速に「花畑」を構築できる市販のタネはないだろう。遠方の黄色いのは、ダイヤーズカモマイルである。

South side 7-19

 実験荒地はわが借家の北側に広がっているのだが、南側には狭い庭がある。そこでも植物越冬をいろいろ実験する。とはいえ、この写真に写っている多年草は、ローマンカモミール(白花)を除くと、まだ当地での越冬力は確認できていない。
 左端の「ヤグルマギク」(青花)は、一年草なのに、翌春になると勝手にこぼれ種で再生し、株数が減らない。
 それに比べると「アグロステンマ」「ペインテドセイジ」などは翌春はきれいに消滅してしまう。やはり一年草の「クリムソンクローバー」や「マリーゴールド」は翌春すこし再生はするものの、株数は播いた年よりもぐっと減ってしまうと分かってきた。
 左手中央のモサモサフワフワした絶妙な触感の多年草は「トードフラックス/リナリアブルガリス」。苗のくせにスタートダッシュが遅い気がするが、黄色の花も咲かないうちから周辺に増え始めるという、はかりしれない増殖ポテンシャルを秘めている。
 アキレア(ピンク)の左の株は、実が食べられるワイルドストロベリーなのだが、この苗は残念ながらランナーで野放図に増えていってくれるタイプではなかったようだ。アキレアの手前はカラマツソウの一種。

テウクリウム 7-19

 テウクリウムは、こじんまりしているため、広い荒地ではほとんど目立たない。爆発的に増えるという風でもない。これと相似形の草姿の、ベロニカ・ロンギフォリアの方がずっと高勢で、株も豊かなので、荒地では目立つ。しかしテウクリウムが土のかなり悪い環境で越冬したことは確かである。

シュッコンカスミソウ 7-20

 2013年に市内の苗店で安く買った宿根かすみ草が、越冬して今年は巨大化した。

エロディウムマネスカヴィ 7-20

 ピンク5弁花のこの苗は今年の春に通販で買ったものだから、まだ越冬の実績がない。したがってここでは紹介すべきでもないだろうが、霜の降りる早春にマルチングなしで荒地に定植できたタフさと、開花の早さと、花期の長さを好感した。その背後の叢はセンダイハギ(黄花)で、もう花は終わっている。センダイハギは知らぬ間に長い地下茎を伸ばす。翌年春に、もとの株から1m近くも離れたところから複数の芽が出てくるのである。

チョロギ 7-22

 朝鮮わたりのミニ芋であるチョロギは、種芋を植えたあと放置しておけばよいそうなので、救荒作物としてすぐれているのではないかと思う。こいつは春に種芋を植えたもので、まだ越冬の試練にはさらしていない。リヤトリスのように上下に延びる花穂にご注目。こいつは園芸品種として改造の余地があるんじゃないか? 放置なのに花期もかなり長い。
 園芸家から好まれることは、人為的な拡散につながってくれるので、現代の救荒作物としては、ひとしお高性能だと言えるのである。
 写真の奥は、春に苗を植えたのにとうとう花芽すら見せなかったフランネル草(リクニスの赤で、凝った品種ではない)。どこが「こぼれだねでも増え、強健」なのか。

イヌゴマ 7-31

 種を播いたおぼえのない植物がいつのまにか勝手に生えてくるのは、面白いものだ。ピンクの花を咲かせているのは、多年草のイヌゴマ。事典では雑草扱いなのだが、これは充分に園芸品種化する価値があるんじゃないか? 地下茎でたくましく増殖する。隣の黄色い花の方は、まだ同定できていないのだが、一年草のコウゾリナかもしれない。この黄色い花は、枯れると綿毛化して種を飛散させる。だから来年は、一面に広がっているかもしれない。

チコリ(1)
チコリ(2)
チコリア
チコリー 8-4

 古くからイタリアでサラダ菜とかにされているチコリアを英語でチコリーという。和名ではキクニガナとか呼ぶらしいが、葉を一枚、洗って食べてみれば納得する。この苦さのおかげで、無農薬でもぜんぜん虫に食害されることがない。今年、わたしは3種類のチコリの種を春に荒地にじか播きした。ひとつは「三笠園芸」のチコリーウィトロフ。もうひとつは、玉川園芸の「チコリウムインティビュス」。どちらも通販。もうひとつは地元のホーマックで早春から売っていた「ロッサ・ディ TV」(愛媛県の Life with Green 株式会社がイタリアから輸入している Cicoria Rossa di TV)だ。このうち、ロッサ・ディ・TVがすばやくトウ立ちして開花した。葉の葉脈が白く、その周りの葉表が、赤黒く汚れているかのように見えるタイプだ。
 チコリーの特徴として、同じ袋の中のタネなのに、生えてくるものに、さまざまな個性が発現する。葉の形、茎の出かた、じつに千差万別なのだ。ところが、花だけはどれも同じ形らしい。早朝に青く開き、夕方までには、白くなってしぼむ(宿根亜麻も似たような直径でほぼ同色の一日花を次々に咲かせ続けるのだが、白化はしないで落下する)。
 ただしチコリーには、播いて1年目には、開花しないで葉ばかり繁る、という、観賞を排除して食用専用に改良が進んだ2年草のタイプがあるらしい。どうもロッサディTV以外は、それかもしれないと疑われる。巨大化するのみで、いっこうにトウ立ちしない。つまりタネをつくろうとしない。
 日本の寒冷地の山林を豊饒化してくれるのは、たぶん、畑用に改良されたものよりは、多年草としての野生の特徴を濃く残しているものではないかと愚考する。ひきつづき、観察を続けたい。

バーベナハスタータ 8-5

 バーベナハスタータが北海道で越冬することは、道東の非常に厳しい気候の土地でこれを栽培している人のブログ・リポートがヒットするから、予期できたことであった。予期できなかったのは、いきなりこんなに高勢になるということ。おなじく昨秋にクガイソウの苗も定植したのだったが、そっちは人の背に迫るどころか50cmくらいで開花すらせずに今年は終了しそうである。
 写真の左下には宿根のセントレアが見えている。これは今年の春に苗を植えたものなのだが、まったく離れた場所に、播いた覚えがない実生の宿根セントレアがとつじょとして生えてきて、夏に開花までしたのには驚いた。

カラミンタネペタ 8-6

 2013年に苗を買ったカラミンタネペタの枯れ茎(種付き)を、その秋に離れた場所に投げておいたら、それが2014年にこんなになった。しかし、親の株が青白い花であったのに、こっちはピンク系である。花のつきかたもぜんぜん違って見えるので、カラミンタではないのかもしれない。

アピオス 8-13

 2013年は半日蔭に種芋を植えて、ついに開花しなかったアピオス。今年は西日以外は当たる場所に、別な種芋をあらためて植えて放任したところ、このように開花した。さてここからだ。こんどは同じマメ科の「葛」との交雑に挑む。葛は道南が自生北限なので、そっちを大きく育てるのにまた2年は必要みたいだ。半日蔭で開花しないのでは、おそらくアピオス単体では、山林の豊饒化は無理である。しかし一冬で地下部分までは死滅しないことは確認ができている。

オオマルバノホロシ 8-18

 とつぜん生えてきた野草。ナス科で、オオマルバノホロシという。ホロシとは皮膚病の名だそうで、秋に赤くなったときの実がそれに似るのだそうである。その実は人間には毒だという。おそらく野鳥が糞とともにこの地にもたらしてくれたのであろう。木の実や草の実のなかには、1羽の野鳥に全部をいっぺんに食べ尽くされてしまわぬ戦術として、適度に有毒となって、できるだけ多数の鳥にいろいろな方角へタネを運んでもよらうよう仕組んでいるモノがあるようだ。

クラリーセイジ 8-18

 このシソ科のクラリーセイジが2014年6月に花芽をつけたときは、なんという植物なのか分からずに悩んだ。開花した姿を事典と照合したら、「ジュウニヒトエ」に似ているようだが、こっちのは高さ64cmもあり、しかも野草のジュウニヒトエは北海道には生えていないことになっているではないか。
 全草から爽やかな芳香が立ち上っており、ハーブのクラリーセイジなのだと遂に分かった。そのタネを、2013年3月にこのあたりに4袋もブチまけていたのをすっかり忘れていたのである。1年草だから、来年は再生しないであろう。


(管理人 より)

 こんにちは。前回に引き続き草花である。
 福岡の実家から車で一時間くらいの距離に、古湯温泉という全国的には全く知名度の無い温泉がある。先日帰省した際に浸かっていた。

 本当に山奥にあるので、露天風呂からの景色が素晴らしいのである。山々の緑をじっと眺める事ができるのだ。
 にぎやかさでは別府に及ぶべくもなく、知名度では箱根にかなわず、風情では函館の温泉に比べるべくもないが、景色は本当に美しい。

 都会の喧騒や猥雑さも大好きなのだが、花を、草を、木々を眺めるのは楽しい事だ。私は東京に転居してより強くそう思うようになった。


新造成地に最初に生える謎めいた植物・ビロードモウズイカの野生の写真集

(2012年8月1日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

 キミは、ビロードモウズイカ(びろうど毛蕊花)という雑草を、知っているか?
 おっと、昭和天皇いわく「雑草という草は無い」。

 謹んで訂正いたします。ビロードモウズイカという「身近な植物」をご存知ですかな?

 葉に細毛が生えていない、ただの「モウズイカ」というのもあるみたいで。
 内地では「アレチ(荒地)モウズイカ」とも呼ぶらしい。
 野生は、東北以北で多く見られるそうだ。
 原産はヨーロッパ。明治以降、誰かが園芸用に持ち込み、それが野生化したのだ。
 モウズイカの別名が北海道では「江差草」ともいうらしいので、港町から持ち込まれたんだろう。

 いったんサラ地にされた土地に最初に生えてくる、パイオニア・プランツ(先駆植物)のひとつである。てことはその種は、風に乗って、いつもあたり一帯に飛び散り続けているんだろうか?
 まだ観察開始してから日が浅いため、そこがよくわからん。
 辞典には「こぼれ種で増える」とは書いてある。
 すくなくとも2年草だ。それは写真を見てもらえれば分かる。

 多年草タイプのものもあるという。ただしその寿命は長くないという。
 多年草で、そうとうにでかくなってから立ち枯れすれば、枯れ姿は、不気味なはずだ。

 なにを隠そう、オレもこの植物は、北海道に来て初めて知った。

 川向こうの荒蕪地がみるみる宅地に造成されたのだが、それから1年以上して、サラ地に突如発生する。近寄ると、いかにも謎な草姿だ。

 開花期に遠くから眺めれば、黄色い花のつき具合が、野草の待宵草(マツヨイグサ、月見草)に似る。まあ、似ているか似ていないか、口で説明しても埒が開かんので、ズバリ、並んでいる写真でご紹介したかったが、うまく並んで咲いているのがみつからなかった。

 福島第一原発の近くでこの草が街中にも生えているというんで、あらためてネットで「ビロードモウズイカ」を画像検索してみたんだ。そしたら、ロクなものがない(市販の花辞典と同じ写真だったりする)。

 辞典も園芸種の Verbascum の方は写真を載せてあるが、野草の方は、これはというものがないんだよね。
 たとえば北海道新聞社刊の分厚い『北海道の野の花』は、あきらかにビロードではない葉っぱの方を「ビロードモウズイカ」と間違ったキャプションで紹介している。当てにできねぇ。

 そこで、オレが自分で撮影したホンモノの野生の毛蕊花の写真をUpすることにしましたわ。

 ちなみにウチの前の荒地駐車場には、モウズイカとマツヨイグサとタチアオイは生えていない。そういうのがあれば、残してよく観察したいところであるが、たぶん、草刈りをするとき、他の草と区別がつかないんで、うっかりと絶やしてしまうのだろうと思われる。

待宵草とビロウドモウズイカ

 右がビロウド毛蕊花。左がマツヨイグサ。待宵草も咲くシーズンなのだが、咲いた状態で写真比較できないのは無念。

左ビロードモウズイカ右待宵草

 これのどこが似てるのだとつっこまれると弱るのだが、一斉開花状態になると、似てるんですよ。

毛蕊花

 この黒い点々が何なのかが疑問なんだ。オレは雑草といえども他人の土地から黙って持ってくるようなことはしない。取るのは写真だけだ。

モウズイカのローゼット

 ローゼットというのは、冬越しのため、地面にへばりついた姿で次の春まで生き残っている葉っぱで、身近な例としては、寒冷地のタンポポを見るとよい。真の積雪期間中以外は、あくまで光合成のチャンスを逃がさず、地下の根にエネルギーをたくわえようという戦略だ。このローゼットから、春になると一斉に茎が再生するわけだ。地表の葉っぱのくされ具合から、このビロードモウズイカは1回冬を越していることは間違いねぇ。

毛蕊花のたぶん2年目

 ローゼットから高々と茎が伸びて花が咲く。このビロードモウズイカは2年目だろう。ただし個体によって小さいのと巨大なのがある。その差がどうして生じるのかはワカラン。こいつは小さい。周囲に競争相手はいないように見えるのだが……。

毛蕊花のたぶん一年目

 「ビロード」という名前は、波の表面に短い髭がびっしり生えているから。ラテン語名も「髭」を意味する。バルバロッサ作戦と同語源だろうね。1年目だと、このように、7月下旬でも花は咲かないようだ。

点々と

 こぼれ種で増える、とは、こういう広がりを言うのか。

手前はただのモウズイカ

 毛蕊花には、葉の表面がビロード状にはならないものもある。これがその例なのかどうかは断言ができない。というのは、成長にともなってビロード葉が出てくるものもあるようだからだ。さまざまな「ビロード具合」が、同じ造成地に混在している。

ビロードモウズイカの上部

 この花が出る部分の長さも、個体によってまちまちで、長いやつもいれば短いやつもいる。その差がどうして生ずるのかはワカラン。

基部まで写す

 おなじ個体の基部を見よう。ローゼットの葉っぱは、ビロード状ではないのが分かる。

参考の待宵草

 ご参考まで。この待宵草も園芸種が日本にやってきて、野生化したんだよね。やはり先駆植物に分類されるそうだ。

参考のタチアオイ

 タチアオイもこのような荒地に勝手に生えてくるのだが、その最初の種はどこから来るのだろう? こういう野生種を逆に園芸用に移植すれば、そこからこぼれ種で勝手に増え、庭がタチアオイだらけになりそうなもんであるが、そういう土地も見たことがない。タチアオイは、だいたい梅雨明けと同時に花は咲かなくなるそうだ。北海道には梅雨は無いが、雨ふりがちにはなる。


(管理人 より)

 こんにちは。お花の話です。
 高塔やソーラーパネルに先生がご興味をもたれるのは、なんとなくお仕事の延長かと推察するのだが、花である。兵頭ファン 黒帯の私にも、正直さっぱり理由がわからない。が、小説の伏線のように、いつか判明する意味が何かあるんだろうと想像し、ニヤニヤしながら画像やキャプションを眺めるのが兵頭ファンのたしなみである。
 因みにマーレイン(ビロードモウズイカ)はニワタバコという別名があるが、薬効のあるハーブとしての利用はできる、らしい。ただ、姿がタバコに似てるからこその別名のようです。
(まさか本当にタバコとして吸えるとは思えませんが。できたらすげえと思います)


新企画『兵頭二十八の放送形式 Plus』について/管理人U

 少し前に『こっそり進めている新企画があります』──と私は書きました。
 このたび公開した『兵頭二十八の放送形式 Plus』がそれです。当サイトがお金を払って兵頭先生へ記事を発注しています。

 ところで、やる気も無ければ出来もしないのに憲法改正と言ってみたり。しなくてもいいのに消費税増税してみたり。死んだら閻魔様に舌を抜かれる事が確定していそうな我が国の首相が、今度は習近平を国賓として迎えるそうです。

 習近平氏が国賓来日したからといって私の貯金が減るわけではありません。来日しなかったら増えるわけでもありません。何の関係もありません。だから正直、どうでもいいといえば、どうでもいい事です。

 だけど、2014年12月12日の『兵頭二十八の放送形式』──私はずっとこの投稿が引っかかっていました。2020年になっても、です。

 『今日の我々は、東条と習近平の一致点を、数十個くらい挙げることができる。東条ファンの白痴右翼は、習が来年何をするかを、よく見ていることだ。』……皆さんは、挙げる事ができますか? 私はできません。

 『兵頭二十八の放送形式 Plus』の第一回のオーダーは私のこの疑問に対する回答です。お金が必要な企画なので、二回目の注文がいつできるかはわかりません。請けていただけるのかもわかりません。
 しかし今回、第一回の発注ができた事で、少しスッキリしました。サイトをリニューアルして良かったな、と思います。

(管理人U)


『新解 函館戦争』をいっそう理解するための追加写真_解説

(2012年5月28日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

【ごあいさつ】
 いゃ~、やっと出ましたね『新解 函館戦争――幕末箱館の海陸戦を一日ごとに再現する』……。
 構想から何年もかけた、久々の長期企画となっちまいました(『大日本国防史』のすぐ次に出すつもりだったんですが……)。
 しかも写真取材付きですので、ふつうのテキストだけの書籍の数倍の手間がかかった。でも、それが面白いんですよね。これは文章と図版をセットで構成した人でないと分からない! 文化祭の展示みたいなモンか。
 例によって、本が仕上がる間際になって、挿絵向きの良い写真が撮れたりするんですよ。しかし編集がそうとうに進んでしまったところへ、またゲラを大幅に組みなおしてもらう註文なんか、出せるわけもないので……。昔だったら著者は「惜しい!」と悔しがっただけでしょうな。それが今どきは、インターネットにUpすることで、あとから「増補」もできる次第です。ありがたい世の中ですわ。

 それでは以下に、追加の写真をご紹介して参ります。

南大野の無縁集合墓

 「おほひ神社」からそう遠くない路傍にあります。旧地名は「鍛冶在所」。明治元年旧暦10月24日早朝、大鳥圭介らの部隊を迎撃して戦死した備後福山藩士の千賀猪三郎(20)と松本喜多治(17)は、この集合墓に合葬されています。〔(c)Hyodo〕

福島漁港

 冬季の避泊地によく利用された「福島」村の現況です。手前の海は津軽海峡。左手へ10km強行けば白神岬で、そこより外の海では、船舶は北西風にまともに叩かれます。〔(c)Hyodo〕

矢不来の内陸、向こうは茂辺地

 このあたりは中世の「モベツ(茂別)館[だて]」に近く、断崖を登ると意外にもフラットな農地になっていました。新政府軍には、浸透迂回のコースはいくらでもあったことでしょう。〔(c)Hyodo〕

戸切地解説板

 なぜかここのマトモな写真をストックしておかなかったので、挿絵を入れられませんでした。ぜんたいの「結構」がデカいので、超広角レンズじゃないと規模をお伝えできないんですよね。土手の一部だけアップで写しても悲しいし……。あらためて、平面図だけでもどうぞ。〔(c) Hiura Singo〕

干上がった稲倉石

 たまたまダム湖の水位が低い時節に通りかかると、このような写真も撮れます。ロックフィルダムの片翼を依托している、昔の岩盤質の崖面の一部が分かると思います。松前藩はそこを防塞に利用できると考えた。〔(c) Hiura Singo〕

謎のガトリング銃弾

 『開陽』はガトリング砲を積んでいなかったはずなのに、なぜか『開陽』をサルベージしたら、その実包も数発、出土したのだそうで、復元『開陽』内に摸造のガトリング砲ともども、展示されています。それにしても、よくガトリング砲のだと同定できたなぁ…というのが素人感想です。ガトリング砲の口径はいろいろあったんですよ。スネルが河井に2門売ったガトリング砲の口径だって、じつは分かってないのだ。ガトリングが最初に発明したときは実包は「無起縁」のごく特殊な銅管で、それをホッパーで給弾したことは確か。そして日本にはその初期型に近いものが売り込まれた可能性があるでしょう。他方、スナイドル系の「有起縁」15ミリにも、製造地別の薬莢長バリエーションがあったんじゃないですかね?〔(c) Hiura Singo〕

かもめ島テカエシ台場跡

 現状のご紹介のみですが……。鴎島のこちらと反対側にあるもうひとつの台場跡の方は、「快晴で無風で暑くも寒くもなく、次に行くところもないので時間はやたら余っているし、カラダは運動を欲しているな」という奇特なコンディションでもないと、「ついでに行ってみようぜ!」という気に、どうもならんところでして……。せっかくたまにはるばる江差まで来ても、いつも「あっちはやめとこう」となっちまう。スイマセン。〔(c) Hiura Singo〕

かもめ島の南端をみる

 その「反対側にあるもうひとつの台場跡」を望遠しますれば、こんな感じ。1年のほとんどは、荒涼たるものです。〔(c) Hiura Singo〕

鷲ノ木海岸_北から南を

 この写真が欲しかった! 撮影するためには、非電化の函館本線の線路をまたいで汀線まで歩いて出る……というだけのことなんですけど、どうも単独撮影行ですと「村人から不審人物と思われやしないか?」との危惧が先に立ち、足が止まっちまいます。この日は同好の士のカメラで撮ってもらいました。2人連れなら、わざとらしく高声で「説明的会話」をしながら歩き回れますから、怪しくはないですよね。〔(c) Hiura Singo〕

鷲ノ木海岸_南から北を

 同じ岸ですが、目を左に向けますと、こんな様子。釣り人の背後に、小さい河口があります。榎本はその河口を目印に上陸したはずです。この写真を撮ってからさらに後日、地元の歴史愛好家が、〈上陸したのは此処〉と示す木柱を植立したようです。以前にあった類似の木柱は、腐朽してしまったのです。〔(c) Hiura Singo〕

寒川地区を見下ろす

 函館山稜線道路を歩いていると一箇所だけ、このようにずっと下まで見下ろせる箇所があります。書籍には、類似アングルの別な写真が使用されています。〔(c)Hyodo〕

弁天台場跡の函館どっく

 拡大すると、海保の巡視船を乾ドック内でメンテナンス中なのが見えるかと……。〔(c)Hyodo〕

両入江と五稜郭タワーの位置関係

 タワーはずいぶん左寄りに見えると思いますが、真上からみますれば、五稜郭は、ちょうどふたつの海から等距離に位置しているのであります。〔(c)Hyodo〕

乙部町宮の森公園から上陸点を俯瞰

 画面下に見えています植生、これが「イタドリ」(または「オオイタドリ」)です。日本中に生えてるそうですが、特に北海道では競争相手が少ないのか、繁茂しまくり。春先に根もとを掘ってみれば、その生命力の秘密がわかります。何を言いたいかというと、北方防衛は、住民が厳冬も余裕で越せるような「一次産業」をまず考えてやらないと、成り立ちっこないのですよ。ロシアはもっと北方でそれに成功していた。イタドリのように「拡散して根付き、地下の根を木質化させて越冬し、春にダッシュで伸長する」というサバイバル&征服術をマスターしていたわけです。〔(c) Katagiri Yasuaki〕

元和台の崖と人工海浜プール

 写真は、熊石のある方向を望んでいるわけです。熊石まで行く途次には「柱状節理」が露出した海岸があります。〔(c)Hyodo〕

薬師山から木古内町俯瞰

 木古内の近くの道をとおりすがりますと、低地との堺をなす顕著なピークが目につきまして、それが薬師山(72.9m)。この山は戦場とはならなかったろうと思いますが、両軍ともに、見張りを置くのには格好の高所だったでしょう。合戦は、木古内高校とパークゴルフ場の中間あたりが激しかったそうです。この写真ですとフレームの右外になります。〔(c)Hyodo〕

新解 函館戦争 表1 再校

新解 函館戦争 表4 再校


新解 函館戦争―幕末箱館の海陸戦を一日ごとに再現する


(管理人 より)

 出た。『新解 函館戦争』。私は今回もamazonで注文しました。なんでかわかりませんが、今回は届くのが遅い。でも、良いのです。早く読みたいですが、前作の大傑作兵頭本『日本人が知らない 軍事学の常識』を再読すれば良いのです。


日本人が知らない軍事学の常識


2010-12-1 函館基地と掃海艇『ゆげしま』見学

(2010年12月11日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

ごあいさつ
 小生、2002末から函館市内に暮らしているが、いままで、地元の海上自衛隊の基地を見学したことが一度もなかった。なぜかこの基地は、一般公開のイベントをしないようだった(夏の花火大会のときに敷地公開しているのだけれども、あまりの人ごみなので、ためらってしまっていた)。
 いつも外から掃海艇を眺めるだけだった(掃海隊の埠頭は民間や水産庁などと共用なので艦尾のすぐ近くまで近寄れる)。が、このたび、大湊基地の広報の方々や井上公司先生のおとりはからいによって、2隻所在する同型の掃海艇のうちの1隻、『ゆげしま』の中を見学する機会を得た。
 函館基地隊司令の畑中1佐、第45掃海隊司令の山本2佐、艇長の関1尉、そのほか皆々様のご好意に、深謝もうしあげます。

 さて掃海艇の一般公開が難しい理由は単純であった。いつも訓練で出払っているため、港でゆっくりしている日は稀だからなのである。
 第45掃海隊の受け持ち海域は青森県以北、北方領土の境界までだ。そこを、たった2ハイだけでやりくりせねばならないのだ。(かつては6隻体制であった。朝鮮戦争の浮流機雷が減るとともに、隻数も減らされてきた次第。)

 訓練は年に4回ある。ホンモノの機雷を爆破処理する訓練は、片道1週間かかる硫黄島(同島には港がないので父島で給養。もちろん掃海母艦も同行しないと、艇には造水機が備わってないので3日で干上がってしまう)で年1回。
 その他に、九州近海で、模擬機雷を使った訓練が年に3回あるという。これも、長旅だ。

 写真が少ないことについて、お詫びしなければならない。いつもはこういう見学は複数人でするから、一人だけ「群」から離れ、アルバム構成に必要なあれやこれやの写真を気儘に撮り溜めることもできる。ところが今回は、わたし一人だけの訪問だったから、説明に耳を傾けるのと、写真を撮るのとが、両立すべくもなかったのだ。
 しっかりと送迎されてしまうから、埠頭を怪しくうろついて、艇の全景を収めるチャンスもありゃしなかった。スイマセン。

掃海艇 ゆげしま 乗艇  平成22年12月1日

 『ゆげしま』の武装は、両肩をつけて人力でコントロールする20ミリ・ガトリング×1(小生の背後に隠れてしまっている)と、あとは「機雷処分具」という名の有線水中ロボットが投下する小型爆雷(この諸元は秘密のようであった)だけである。
 昔の掃海艇には、単銃身の20ミリ機銃が載っていた。繋維索を切断して浮上させた機雷を爆破処分するのには、その20ミリの1弾が当たれば十分である(岩国のヘリ隊による掃海の場合は、索を切って浮かせたあとで、ダイバーが吊り降ろされて水面におもむき、機雷に爆薬を貼り付けて処分せねばならないという。掃海ヘリには機関砲がついていないからだ)。
 ではなぜ、単銃身の20ミリでは不足であり、6銃身のガトリング(サイクルレートは450発/分)とする必要があるのだろう?
 長年、不思議に思っていたが、今回、答えを知ることができた。艇が揺れるからなのである。
 490トン程度のコンパクトな木造艦は、けっこうグラグラ揺れる。かつまた機関砲には自動スタビライザもついていない。ために、狙って放ったタマが、思ったより散らばるらしいのだ。それでサイクルレートを大きくする必要があるとのことだった。
 とうぜん、甲板がそんなに揺れるとすれば、対空射撃だって、単銃身では満足に当てられないわけだね。

弁天台場の名の由来

 海自の函館基地の所在地を説明するためには、明治2年の箱館湾海戦の案内からせにゃならぬ。
 ここは市営路面電車の終点「どつく前」の目と鼻の先で、厳島神社という。
 だが、本来は「弁(財)天」社だ。江戸時代前半から続いているのだが、明治政府がとつぜんに神仏分離の命令を出したために、神仏習合時代に弁天さまとは近縁であった厳島の末社に、その名称を変更せざるを得なかったようだ。こういう例は全国にあるだろう。もちろん、明治2年の箱館湾海戦時点では、まだ弁天神社だ。
 箱館港(箱館湾内で最も風波をうけないところ)に出入りした江戸時代の船乗りは、皆、この弁天さまを拝んで通ったはずである。
 たとえばこの鳥居は、天保6年に加賀の廻船業者が寄進したもの。神社の場所は、江戸時代以降、埋め立て工事が逐次的に進んで波打ち際から遠くなってしまったことや、あるいは大火事が何度もあったために、幾度か変わっているようだが、現在地には慶應2年からあるという。すなわち箱館戦争時もここにあった。
 この弁天神社があるがゆえに、この一帯の土地を弁天町あるいは弁天岬といい、その沖に武田斐三郎が築造した近代大要塞を「弁天台場」と呼んだのである(文久3年完成)。

弁天神社の92式7.7ミリ機銃

九二式七粍七機銃

 なぜか境内の古い大きな碇の脇に、旧海軍の92式7・7mm機銃の残骸が……。このあたり、WWII中は函館山要塞の陸軍(重砲兵聯隊)とは別に、海軍が視発機雷などを管制して守備していたようなので、その遺物なのかもしれない。

弥生坂を下から見上げる

 正面に見えるのは函館山で、写真手前側が箱館港の旧「沖ノ口番所」跡である。沖ノ口番所では、箱館港から出港する船舶から税金をとった。そこが、港の外縁という位置付けだったのだ。

咬菜園跡から弥生坂を俯瞰

 弥生坂を登ったところに「咬菜園跡」がある。安政4年に豪商が庭園をひらき、武田斐三郎が「粗食」を意味した「咬菜」の名をつけたのだったが、箱館戦争中にはちょくちょくここで酒食の会が催されているから、名称とは逆に、こじゃれた和風レストランなどが併設されて、「経費族」や大商人たちが贔屓にし、賑わっていたのだろう。
 拡大すれば、海上保安庁の巡視船が見えるだろう。その左側に「函館どつく」がある。「弁天台場」を更地にして、埋め立て地を拡張したものである。海上自衛隊は、画面のフレーム外、ずっと右側にある。

元町公園から基坂を俯瞰

 手前の背中向きの銅像は、ここに上陸したこともある提督ペリー。一帯には、15世紀に松前氏の祖先が「ウスケシ河野館[だて]」を築き、19世紀に幕府直轄となるや箱館奉行所とされた。そこが港の一等地であった証明として、坂道の向かい側は旧英国領事館である(世界中どこへ行っても英国大使館は良い土地を確保している)。
 明治2年に徳川脱籍軍の幹部・永井玄蕃が弁天台場へ籠る直前には、この辺に陣していたと思しい。このすぐ下の土地には、安政3年に「諸術調所」ができて武田斐三郎が教えていた。
 そして坂の突き当りが海上自衛隊の隊舎。昭和40年代に、古い「函館税関(箱館運上所)」の木造ビルを取り壊し、最低予算で味も素っ気もない鉄筋ビルが建った。

旧運上所の遺跡
旧運上所の遺構

 函館税関は近代日本最古の税関の一つで、港の正面、大町の顔として、木造ながら凝った建物であった。壊すのが惜しまれた石製の遺構は、記念に残されている。たとえばこの外柵柱。自衛隊のブロック塀の裏側に、こんなふうに「保存」されているわけだ。またこの駐車場のアスファルトの下には、明治時代の石畳がそのまま埋まっているともいう。

明治天皇上陸地
函館基地から旧地蔵町を望む

 海自の敷地内に、明治天皇が函館行幸のさいに上陸あそばされた斜路が、そっくり保存されている。
 箱館戦争で『回天』が擱座して浮き砲台となったのは、このあたりから左寄りであったはずだ。最後に荒井郁之助と部下たちは、陸側から銃撃されるために大町へは上陸できず、端艇で画面左奥の海岸へ逃れた。その先は千代ヶ岱であり、五稜郭であった。
 画面の右側海面が「内澗」である。

朝鮮戦争時代の浮流機雷

 ソ連軍がウラジオストックから、羅津など北鮮の東海岸にやたらに敷設した機雷の一部は、繋維索が切れて漂流し、裏日本を中心に大量に漂着することになった。その機雷に海岸で子供が手を触れて爆死したという事例もあった。稀には、九州をぐるりと回って関東沖まで流れついた機雷もあった。津軽海峡は2~4ノットで常に太平洋への潮流があるから、青函連絡船も触雷をおそれて夜間は運休を余儀なくされたものだ。
 ところで、もう今日では「水圧」変化に感応する機雷センサーは使われていないのだという事実を、今回の見学で小生は承知した。ふつうの波の変化にも反応してしまうために、けっきょく実用的ではなかったんだそうである。なるほど、それならばヘリコプター掃海も、磁気と音響の再現に集中すれば可いわけだね。

機雷処分具と艇長関一尉
機雷処分具のビデオカメラ
機雷処分具のライト
機雷処分具の前半
機雷処分具の後半

 有線でビデオをモニターしながらリモコンし、ソナーで機雷を見分け、そこに小型爆雷を投下して処分までしてしまうという三菱重工製の水中ロボットである。正面中央下側の目玉がビデオカメラで、両側の2個は照明だ。黒い大きな窓はソナー。

 最新型のFRP製掃海艇(外側サイズは変わらないのだが、資源枯渇の見込まれるアメリカ松材をFRPに換えたことによって部材が薄くでき、内部空間が増え、それで排水量が増したという。じつは小生、2003年版『自衛隊装備年鑑』しかもっとらんため、それ以上は不詳)では機雷処分具は2個載せて行くという。『ゆげしま』が属する490トンの『うわじま』クラスでは1個である。
 掃海艇は、小回りが効かないとどうしようもないので、やたらにデカくはできない。
 機雷探知のためのソナーは、本艇の底にも大きいのが固定されている。本艇の吃水は2m台なのであるが、このソナーは水面下4m台までも突き出しているという。
 機雷探知用のこれらのソナーは、いま流行の低周波ソナーではない。低周波ソナーでは、小さなものの区別がつかないからだ。海底には金属のゴミもたくさん落ちているから、それでは困ってしまう。低周波ソナーは、あくまで浅海域での潜水艦探知用らしい。
 この他、海底地形を詳しく調べるため、水中を曳航できる深度可変式のサイド・スキャン・ソナーも、本艇は運用することができる。
 水中処分員の人にいわせると、水中ロボットがダイバーの仕事をなくしてしまうことは絶対にないそうだ。

 さて余談だ。510トンの『すがしま』級掃海艇にはバウスラスターが装備されている。騒音源や、帯磁スチール部品が増えてしまうという不利を忍んででもバウスラスターをつけた理由は、掃海作業ではピンポイントの精密操縦が必要になるからである。たとえば豪州海軍の掃海艇では、クルージング用には普通の1軸スクリューを使い、掃海作業中は、出し入れ式の首降りスクリューを3基、船底から突き出すことによって、艇のその場旋回すら可能にしているという。
 つまり小さい割にはハイテクと職人芸がてんこもりされているのが掃海艦艇なのだ。シナ海軍には、このような伝統資産や海軍文化は無い。つまりシナ軍の最大の弱点は、機雷戦なのである。彼らには、掃海はできない。ハイテクの沈底機雷少数と、ローテクの係維機雷多数を沿岸に撒かれたら、シナはおしまいなのだ。それは彼らの経済的チョークポイントであり、戦略的ボトルネックなのだ。このへんが「シナ通」の論筆家にはさっぱり分かっておらず、逆の言説すらよく目にする。機雷を撒かれたらお手上げなのはシナ軍の方である。

 ちなみに海自で機雷を撒けるのは潜水艦と、2隻の専用水上艦と、あとはP-3Cだけということになっている。が、じつは機雷を撒こうと思ったら、プラットフォームは何でも可い。国際条約により、機雷は撒いた国が、あとから処分しなければいけないので、撒いた場所の座標を精密に記録しておくためには、専用の艦が望ましいというだけなのだ。そんな手間はしかし、設定時間が過ぎれば自動的に無力化または自爆する機構を機雷にビルトインしておけば、不要である。
 こうしたピンポイント精密作業の大前提になるのは、精密な航法装置である。わたしは今回初めて知ったのだが、海自の掃海作業ではGPSの他に「デッカ」航法装置を使っているという。デッカで「5cm」の精度が得られるのだという。驚くべき話だ。デッカは長波なのに、本当だろうか?
 調べてみると、漁船や商船用に海保が運営していたデッカ・チェーンは日本では2001-3-1をもって廃止されているのだ。
 海自掃海隊のデッカは、そうした民間向けサービスとは別個のものらしい。なんでも、車両でアンテナを陸上運搬し、高さ数十mのアンテナを沿岸に立てて、その近くで掃海艇が掃海作業をするのだという。いや~、しりませんでした。(もちろん2003年度版自衛隊装備年鑑には、ひとっこともそんな紹介は載っとりゃせんw)

曳航して係維索を切断するカッター

 ごく小さいもの。まさに職人芸だと実感させられる。これを使う前には索の長さ(=機雷の浅さ)を正確に見極めねばならない。敵は、目標とするわが艦によって、敷設する機雷の深度を変えてくるのだ。つまり、小型舟艇はやりすごし、大型艦船だけ狙うという手が、よく使われるためだ。
 他にもいろいろな設備を見せていただいたが、説明を拝聴しながら写真を撮ることができなかった。スマソ。
 ちなみに、ブリッヂ内には、衝突防止の見張りをちゃんとやっているかどうかをさらに見張る天井監視ビデオの設備(ふつうの護衛艦には取り付けられている)は、ないようにお見受けした。

ゆげしまの士官食堂

 余市の200トン・ミサイル艇は、激動する艇内での調理をかんぜんに諦めており、すべて港から運び込んだ缶メシのようなもので済ませると聞き及ぶが、490トン掃海艇は、蒸気熱を利用するキッチンを有する。
 そこで敢えて「体験喫食」を申し込んだ次第であった。
 この日は水曜日であったが、わざわざ昼のメニューを変更し、海軍カレーを出してくだすった。しかも、普段とは逆に超甘口で……。かたじけなし。
 若い艇長さんのお子さんは幼稚園だという。恥ずかしながら、オレ50歳っすけど、子供、幼稚園っすから。

巳己役海軍戦死碑

 明治2年の旧暦4月から5月にかけて、箱館湾で、当時としてはスペクタキュラーな本格海戦が展開された。この碑は弥生坂を「咬菜園」よりももっと上の、標高80mくらいまでも登った見晴らしのすぐれたところに明治6年12月以前に建てられたようで、官軍の『甲鉄』『朝陽』『春日』『飛龍丸』の全戦死者の姓名が刻まれていると思しい。
 轟沈させられた『朝陽』を除けば、『甲鉄』の死者が『春日』より多いのが目に付く。これは宮古湾海戦での犠牲者もカウントされているからか?
 一層、意外なのは、この碑を信ずるならば、『丁卯』や『陽春』や『豊安丸』その他は、戦死者ゼロだった可能性があることだ。

官軍海軍墓地の墓
官軍海軍関係の墓碑
鹿児島士族の墓
ある鹿児島藩士の墓

 巨大な巳己役海軍戦死碑の脇に3基の小さい墓石も立っている。いずれも鹿児島士族のようで、この墓地の性格が想像できる。

箱館府在住隊の戦死碑

 同じ官軍海軍墓地内に立つこの碑は、明治元年に徳川脱籍軍が鷲ノ木に上陸してきたのを最初に迎え撃って、小銃の性能の悪さと指揮官(清水谷公考・箱館府知事。ただし薩人の参謀がついていた)の無能から惨敗した、幕末入植者の士族の戦死者名が彫られていると思しい。彼らの多くは「八王子同心」の二・三男の子孫で、もともとは幕臣だった。その緒戦をいっしょに戦っている松前藩士や津軽藩士等の他藩の戦死者は顕彰されていないところも興味深い。

市役所横水天宮の大砲
朝陽からサルベージした大砲

 榎本海軍の『蟠龍』のラッキー・ヒットは『朝陽』を轟沈させた。戊辰戦争を通じ、最初で最後の「撃沈」でもあった。水深は小さかったので『朝陽』は後年にサルベージされ、積まれていた古い大砲などは、広範囲に記念品として分配されたようである(大湊基地には『朝陽』の外板にめりこんでいた散弾や釘が記念品として保存されている)。寺社などに寄贈された『朝陽』の大砲のほとんどはWWII中の金属供出の犠牲となって消滅したというが、1門だけ供出をまぬがれたらしいのがコレ。地元の「銀ぎつね」さんのブログ・ページで紹介されていたおかげで、こうしてわたしも写真に収めることができた。


(管理人 より)

 函館は良いね。一度行ってみたい場所の一つである。
 2010年の12月。現在『兵頭二十八の放送形式』停止中である。
 複数の方々が再稼動、或いはまったく違うカタチでの起動に活動されている。
来年は、ネットでの更なる『兵頭二十八』を見れるよう、兵頭ファンとして祈るばかりである。そして、2011年は更に更にパワーアップした『兵頭二十八』を見れるだろう。
 やはりまだまだ兵頭二十八先生から我々は目が離せない。
※2020年現在、函館には既に行きました。当時なんで『停止中』と書いているのか、理由が思い出せません。10年前の話だもの……。


むつ科学技術館のアメイジングな展示の数々

(2010年10月11日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

 2010-9に大湊基地を訪問したついでに是非立ち寄りたかったのですが、日程的に見送らざるを得なかったディープ・スポットが「むつ科学技術館」です。あの原子力船『むつ』の核心部分が移設され保存されているのです。

 ここに、兵頭の代わりに、井上公司さんが行ってくださいました。今回、ご紹介できるのは、すべて井上先生の撮影された写真です。
 非常に貴重な展示内容であることがお分かりかと思います。これが館側によってインターネットでじゅうぶんに広報されていないのは、遺憾だといわざるを得ません。
 そこで管理人さんに頼んで特設コーナーをつくってもらった次第です。関係各位のご協力に感謝します。

 むつ科学技術館は、青森県の下北半島の北端にあります。
 自動車で行かれる方へのご注意。過疎地だとおもって舐めていると、移動にかなり時間をとられます。「むつはまなすライン」は、急ぐ方にはむいていません。交通が比較的にすいているのは、太平洋側を走る国道338号線の方だそうです。

 以下、おまけ情報。
 むつ科学技術館と下風呂温泉の中間の大畑町、たぶん「塩釜神社」や「二枚橋」というところ辺りだと思うのですが、「大間鉄道の遺跡」(鉄橋とトンネル)が残っているそうです。この大間鉄道というのは、WWII中に函館の「戸井線」と同時に着工された戦略鉄道で、要するに青函連絡航路が長すぎていろいろ効率が悪いというので、津軽海峡の最短部で北海道の石炭を本州へピストン輸送しよう画策した新線です。戸井線も大間鉄道も、鉄橋やトンネルをつくったところで資材不足により計画が放棄されてしまいました。

 また、JR下北駅から、下水浄化センターの方向(南)へ、500mほど行った海岸地区には、「日本特殊鋼管大湊工場跡」が残っているそうです。これは昭和13年に、砂浜に大量にある「砂鉄」から製鉄をしようとしたものでしたが、操業5年で終わったそうです。よほど効率が悪かったのでしょう。ちなみに、太平洋無着陸横断のミスビードル号が淋代海岸から離陸できたのも、砂浜が砂鉄質で堅かったためです。

ケーブルはどうやって通すか
バビル二世の部屋
むつのレイアウト
むつの外鈑
むつの甲板
むつの上甲板
むつの操舵室
むつの二重船殻
鉛ガラス越しに
機関制御盤
原子炉ハッチカバー
原子炉室説明
原子炉制御盤
主蒸気元弁
重コンクリート入り遮蔽体
小型原子炉
昔のモニター奥が深い
船首側隔壁
電源制御盤
配置図面
舶用格納容器
舶用炉のカッタウェイ
非常給電指令装置
防振ハンガー

撮影/井上公司


(管理人 より)

 青森は良い所らしい。私は行った事がないが。青森の方言の女の子はとても可愛いらしい。と、青森から異動してきた同僚が行っていた。
 青森はとても良い所らしい。良い所らしい。良い所らしい……誰か私を連れて行ってください。


2010-9-23 男爵資料館/2010-9-24 大湊基地

(2010年9月28日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

じんつうと釜臥山

 護衛艦『じんつう』(DE230)の後藤艦長にご案内いただいた。『じんつう』は、ガスタービンとディーゼルの切り替え式で、両方同時に駆動させることはない。またSSMはハープーンである。新しい艦は国産SSMだけを使用し、ちょっと古い艦は国産SSMとハープーンを混用するという。

護衛艦じんつう

 網状の対空レーダーが時代を感じさせますね。主砲塔と艦橋の間のすきまは、RAMという米独合同開発の「対ミサイル・ミサイル」の調達を予期していたのに、その予算をとりそこなった結果らしい。後部甲板にはCIWSがあって、ヘリは着艦できないが、ワイヤーを緊張しつつホバリングさせて給油してやることはできる。

76mm砲のマズル

 オットーメララの76mm自動砲(無人)は、射撃開始前から海水を砲身外套筒中へ圧送し、このスリットからじゃあじゃあと滝が流れ落ちるようになっている。もちろんクーリングのため。マズルには、発射ガスを後ろへ反射させて反動衝撃を2割ほど緩和する機構があり、またエバキュエータで排煙もする。砲塔内は無人なので、薬室のブロアは不要なのだそうです。金属薬莢が砲身下から激しく蹴り出されると、甲板上のペンキがガリッと削られる。それをあとからリタッチするから、砲塔周りの床の塗装には微妙な色ムラがある。

すおう

 多用途支援艦の『すおう』。大湊基地にはFTGといって、ローテーションでドック入り中の軍艦の、艦長から水兵までに対して、プロ中のプロたる叩き上げ将校~下士官たちが、マンツーマンで基本動作を再教育するという部隊のひとつが所在する。陸奥湾内で、たいていの訓練ができてしまうそうで、冬はたいへんだけれども、めぐまれた環境だと思った。

除籍ミサイル艇

 ちょっと遠いんですが、余市にあった『ミサイル艇3号』が見えるでしょうか? すでに除籍されていて、これから解体されるんだそうです。ちなみに余市のフネは、冬になると全艦、この大湊へ「避泊」すると聞いたことがあります。あと、海幕は、どうしてすべての軍艦にバウスラスターをつけないのか、納税者に説明して欲しい。はるかに教育も人事も合理化されるはずじゃないか。

管制塔から

 大湊のヘリ滑走路は、海自でも最大の広さ。ところがその管制塔にはエレベーターがない。111段をいちいち昇り降りする職場なんて想像できやすかい? いちおう外壁には避難梯子あり。滑走路は、3センチ雪がつもったらただちに除雪。さもないと除雪車がスタックする。釜臥山の山頂では、現用レーダーの隣に、新しいガメラ・レーダーが据付け工事のまっさいちゅう。

チャフとフレア

 これはSH-60の対潜バージョンの機体左側についている、チャフ・ディスペンサーとフレア・ディスペンサーである。丸いのはボイスレコーダー。フレアは30連発で機体右側にもある。チャフ装置は機体右側にはない。

HFアンテナと折畳み尾部

 海自では短波(HF)の使用頻度がかなり多いようで、この棒も短波用とのこと。最新のSHのエンジンは前方エアインテイクに金網はない。吸い込んだ空気をまず激しく旋転させ、遠心力でゴミなどをはじき飛ばしてから、空気のみをタービン・エンジンのコンプレッサへ送り込むようになっている。最近流行りの掃除機って、この仕組みを家電品に転用しただけ? そして排気は、有害なタービュランスを殺して整流してから後方に吐き出す。

富士通製の赤外線探知装置

 たとえばこれで擬装漁船をみつけて、そこへヘルファイアを撃ち込む……のかどうかは分かりません。救難用のUH-60が7時間滞空できるのに比して、SH-60の滞空時間は3時間数十分。その代わり、ホバリング状態で護衛艦から給油ホースをホイストで吊り上げ、機内の給油口に結合し、艦側から航空燃料を圧送してもらうことができる。この方法によれば、滞空時間は無制限。ディッピングソナーは500mまで5分で下ろせるそうです。

ESMとミサイル警戒装置

 ESMは電波輻射をパッシヴに受信して怪しい船の存在を探知しようとするものです。大小のアンテナがあるのは、波長の長短と対応するらしい。小さいガラス窓は、艦対空ミサイルの赤外線に反応して、パイロットに回避動作を促すセンサーでしょう。白い円筒状のものは、データリンク用のアンテナです。

留式機銃残骸

 昔の水交社の建物が「北洋館」になっており、その中に、戦後に出土した留式機銃が2艇、展示してあった。外側のジャケットが錆びて失なわれているために、内部のアルミ製の空冷フィンがよく分かる。

ルイスMG復元

 ルイスの7.7ミリを日本海軍が無断でコピーしたのが92式だ。芦崎の周辺は常に浚渫していないと軍港への出入り口に泥が堆積してしまうそうで、そうした作業中にでも掘り出されたのかもしれない。ちなみに水深の関係で、大湊には空母は接岸できない。沖に碇を打つしかない。

空挺用スキー

 手前は、旧海軍の落下傘部隊が、寒冷地作戦用の装備として開発した、折畳みスキーだそうです。しかも軽合金のようだ。

海軍煉炭

 枕ぐらいサイズのある巨大煉炭です。そこで思ったのだが、コメ袋と同じサイズで煉炭をつくれば、精米輸送トラックで家庭まで配給できるんじゃないか? つまり流通インフラを別設計としなくても、米穀用の小改良で済むんじゃないか?

朝陽の散弾

 明治2年の箱館湾海戦で唯一、「轟沈」という目に逢ってしまった官軍の『朝陽』をサルベージしたら、こんな散弾が外板にめりこんでいたそうです。大阪湾でも宮古湾でも、とにかく艦砲の対艦決着率は悪かった。そんななか、『回天』は真後ろからの一弾で水線下の偏芯輪(エクセントリク)を壊された。『朝陽』も、あるいは真後ろからの『蟠龍』の砲弾が後部甲板ハッチ内に飛び込み、中央煙路で跳ね返って、船体後部の集積弾薬に点火させたのであったかもしれません。ちなみに当時の大湊は一漁村にすぎず、官軍艦隊の基地としては三厩と青森が多用されています。

ベルト駆動力の取り出し装置付き

 こちらは大湊の前日に立ち寄った、渡島当別の男爵資料館にあるクレトラック装軌式トラクターです。やっとシリアルを解明できました。Cletrac は Cleveland Tractor Company の略です。同社特許のディファレンシャルのおかげで、誰でも重いトラクターを自在に取り回すことができるようになりました。

エンジンシリアル30141

 WEIDELY MOTORS COMPANY 製で、SERIAL 30141 と読めます。MODEL M というのは多分エンジンの形式であって、車両の形式ではないですね。英文ネット検索情報によれば、ENGINE SERIALが30001~43068のものは、1917年から1919年の間に製造されたクレトラック「H」型だそうです。こりゃ間違いなく現存する日本最古の装軌車ですよ。

当時の履帯技術

 これってルノーFT戦車と同じ頃の履帯なのですよ。眼福、眼福……。

クレトラックの下部

 実物保存というのは貴重ですなぁ。

車体シリアル1015?

 中央部のエンボス刻印は近寄っても判読ができないんですが、左側のは「1015」(上下逆)です。英文ネットによると TRACTOR SERIAL NO. が1001~13755のものは、「H」型です。

ザ・クリーブランド

 The Cleveland とエンジンカバー上にエンボスされています。直列4気筒。始動だけがガソリンで、そのあとは灯油だったでしょうか。

車体後部から

 なお、男爵資料館は、冬季は閉館ですので、ご注意ください。JR渡島当別駅からすぐです。まったく余談ですが、函館と東室蘭の間の国鉄は電化されなかったために、今でも札幌~函館の特急はディーゼルなんだぜ! 早く新幹線をつなげてくれ。


(管理人 より)

 巷ではコントのような対中外交が展開されています。それはそれで、男爵資料館──そして、大湊基地。
 『兵頭二十八の放送形式』は、なぜか兵頭先生から投稿がうまくいかず無期限停止状態ですが、コンテンツのupはありますよ、時々。有難い事です。