裏嵐

 おしらせ。並木書房の『陸軍戸山流で検証する 日本刀真剣斬り』の二刷が出ることになりました。
 この機会に、単純な誤字、ヌケ字、冗字を主としまして、数箇所に微少な修整を施しました。
 ひとつ、大きな間違いがありまして、それは222頁10行目で、戸山学校の剣術科長がずっと「少佐」であったかのように書いてしまいましたけれども、これは「中佐」と書くべきところでしたから、ここに訂正を告知致しまして、既にお買い求めの皆様に深くお詫び申し上げます。
 以下、撃剣余談。
 ウチの3歳の子どもに、ダイソーで100円で買った「忍者刀」をもたせて、柔術の「一本取り」のおさらいをしようかと思ったっけか、裂帛の気合いとともに眼の色変えてふりまわすその太刀風に寸毫のつけいる隙もなく、こちらが一方的にズタズタに切り刻まれて、親父 the end ですた。ワハハハ……。
 余談PART 2
 『館林藩史話』という岡谷繁実の編纂した本を読んでいたら、おそろしい話が出ていました。屠腹の途中で、刀がよく切れないので、自分で研いで、また続きを切った、というのです。そんなすごい話を、なぜいままで他の文献では読んだ覚えがないのだろうか……?
 函館近郊にお住まいの方への呼びかけ。
 『日本主義』という熱い季刊誌がありまして、毎号、明治維新の特集をやっています。で、10月中旬にそのスタッフというかおそらく幹部の方が函館までわざわざいらして、小生と座談会をなさりたいと仰るのです。それは好いのですが、問題は、小生以外の出席者がみつからないんです。なにしろ左翼スタンスの染み着いた北海道で、維新史に造詣が深く、なおかつ「新風」さん好みの話ができる人っていうのは、もう、ないものねだりに近いですよね。でも、もしもいらしたら、ご連絡ください。(ちなみに、原稿料等はほとんど出ないだろうと強烈に予測されます。)


永久学生運動機関

 お詫び。
 『属国の防衛革命』の兵頭担当箇所に、いくつか誤字・錯字が発見されたので、この場を借りまして慎んで訂正を告知いたします。
○42頁 11行目
  装備大系 → 装備体系
○160頁 8行目
  バンチ力 → パンチ力
○196頁 17行目
  大井篤氏、福井静夫ら → 大井篤、福井静夫氏ら
   ……今後も、この種の小修正に努めて参る所存です。


ねこみみにみず (ニャミダのニャン)

 謹告。
 『[新訳]名将言行録』の158ページにミスプリがあります。7行目、「運んだ」の後に句点(。)が入ります。2刷では、ここで改行して貰うつもりです。
 ありえない単純誤植です。深くお詫びします。


さっそく訂正

 『[新訳]名将言行録』の160ページで、〈仙台城の普請を重臣が進言した〉旨の記述は、〈占領した会津黒川城の普請を重臣が進言した〉の誤りではないか、との指摘が読者さんからありました。
 いかにも明白な誤りのように思えますので、1刷をお買い求めの皆様には、この場をお借りしましてお詫びを申し上げ、卒爾乍ら謹んで告知させていただきます。また2刷では当該箇所の記述を訂正したいと存じます。
 訳者兵頭は、読者の皆様からの更なるご叱正をお待ち申し上げます。埼玉県の○○様、どうもありがとうございました。
追伸:田山花袋の『時は過ぎゆく』をおそまきながら読み、原著者繁実の生々しいイメージを得ることができました。さらに調べて、まえがきも充実させて行ければと念じております。


「読書余論」2008-9-25配信の内容一部紹介

▼ビクトル古賀『裸のロシア人』1980
 グルジアは昔の薩摩のようなところで、ソ連時代も統制が及んでいなかった。
 ○○シビリ、とか○○ーゼ、という名前は、グルジア人。スターリンの本名はジュガシビリ。
▼防研史料 箱35(99)『南支ニ於ケル軽迫撃砲ノ用法上ノ参考』S14-10/吉山部隊
 百号は、馬にはほとんど効力なし。吸収罐は透過する。
▼防研史料 箱35 『昭和十二~十三年 支那事変初期 北支における十五榴部隊を中心とする砲兵戦史史料』
 たった2門のラインメタルに、日本陸軍の野砲、4年式15H、96式、ぜんぶ沈黙した。(発砲したもののみに、お返しが来たため。)※どう考えてもドイツ人が砲側で陣頭指揮とってただろ。もしシナ人隊長であったらヒーロー報道されたはず。
▼防研史料『昭和十三年十一月 武漢作戦ニ於テ得タル教訓』by 大橋大尉
 94式山砲の開脚は要らない。41式の脚でよい。
▼浮田和民『ボルシェヴィズムとアメリカニズム』S5-3
 ヨーロッパのプロレタリアは、上層が彼らを世話する義務がある、と思っている。米人の組合には、それはない。
▼三井高陽『町人思想と町人考見録』S16-7
 大名貸にどう対処するか。
▼細川亀市『鎌倉幕府と江戸幕府』S16-1
▼久保田景遠『支那儒道仏交渉史』S18-2
▼防研史料 〔箱35/支那377〕『対支作戦参考資料(教)其ノ七(野戦砲兵将校陣中必携)』S13-10
 自動車主要諸元一覧
▼防研史料 〔箱35/378〕『対支作戦参考(教)其ノ九(重砲兵将校陣中必携)』S13-10 大本営陸軍部pub.
 この巻は、89式15加と45式24榴の部隊を対象とす。
▼防研史料 〔箱35/380〕『事変ノ教訓 第四号 戦車訓練ノ部』S13-7
 ※戦車というのは94式軽装甲車のこと。
 壕内、クリーク内(最大俯角)、屋上の敵(最大仰角)を車内から射撃しなければならない。
▼防研史料〔箱35/379〕『事変ノ教訓 騎兵訓練ノ部 第一号』S12-12 教育総監部
▼防研史料〔箱35/197〕『治安工作経験蒐録』S14-6中旬 by杉山部隊本隊
 投宿代価を一括して村長に払うのは×。すぐ戸主毎に手渡すべし。
▼防研史料〔箱35〕『討匪行動ニ関スル小戦例集』S13-4 by早淵部隊
 匪賊は実際に襲撃するずっと前の日にさかんに襲撃を宣伝し、相手の警備の緩みを見越して、やってくる。
▼アルブレヒト・ハウスホーファー著、森孝三tr.『英国の支那侵入』S15-10、原1940
 広東政府は1857-6、香港のパンに砒素を混入して英人毒殺を計った(p.45)。
▼中山樵夫tr.『苦悶する支那』S16-2
 新兵募集では、整列させて、胸をゲンコで突き、ぐらつかぬ面構えの者のみ採用する。
▼東亜経済調査局『支那ソヴエート運動の研究』S9-12
▼武者金吾「潜水艦の救難設備」S3-11 〔補遺〕
 ※以前の摘録にヌケがあった。それを補う。
▼日比野士朗『呉淞クリーク』S14-7、中央公論社pub.
 日本商品排斥のビラも拾った。「永遠不用日貨」「勵行對日經濟絶交」「誓不與倭奴合作」「永遠對日經濟絶交是殺敵的最大武器」……。
 新聞にはデカデカとしたゴシック体で「日軍殲滅」などと書いてある。
▼竹森一男『満鉄の建設』S49-11
 朝鮮人労務者を働かせるには、一人の朝鮮人を現場監督として、彼に、一定予算で仕事を請け負わせる。すると、日決めの日当では怠ける彼らも、一転して、倒れるまで働く。というのは、短時間に完工すれば、その時点で全額を受領できるから。
 シナ人苦力を多数あつめるのにも、マルチリンガルな朝鮮人監督は大重宝。
▼榛葉英治『夕日に立つ』S51-1
 世銀のブラック総裁いわく。日本の政治家は借金の返済方法について説明することができない。吉田も外交官だそうだがぜんぜんわかってない。こっちは遣い道や建設計画なんかに興味はない。そんな説明は無用だ。利子を添えてちゃんと返してくれるのかどうかを知りたいのだ、と。
 高碕いわく。「国の予算を使って仕事をする政治家や官僚は、金利の恐ろしさというものを知らないのだ」(p.249)。
▼植芝吉祥丸『合気道開祖 植芝盛平伝』S52
 M36の徴兵検査に不合格。身長を増やすため山籠もり。再検査を志願し、合格。※不審あり。M37は日露戦争が勃発しているので、乙種以下も召集されたというだけではないか。
 M38-8に渡満し、鉄嶺~得利寺~奉天へ。そこで、敵のタマがみえるようになった。※不審あり。M38-8なら実質、日露戦争は終わっていた。
▼中野七子『食用魚の常識』S30
▼ジョーダン&スペンサー著、小田海平tr.『アメリカ陸上競技の技術』S45、原1968
 世界記録が生まれるときは、むしろ、楽に感じられる。なぜスタートが勝利につながるのか。その背中をみた他の選手が力み、リラクゼーションを忘れてしまうからである。
▼加藤繁『支那経済史考証 下巻』S27
 「柘」もサツマイモのことである。
▼魯迅著、増田渉tr.『支那小説史』S10-7
 漢末以降、仏教に刺激されて、老子を崇拝するという反動が起こった。
▼防研史料 〔箱35/140〕『対支作戦参考資料(教)其ノ十二(支那共産軍の現況)』S13-10
 迫は2門単位+チェック式軽機×6
▼防研史料 〔141〕『対支作戦参考資料(教)其ノ十八(剿匪戦術訳文)』S14-1、原・民国22年1月
 平原匪は、追われると、みずから「清野ノ法」(青刈り、野焼き)をやる。
▼防研史料 〔箱35/207〕『支那剿共戦略の研究』S16-1-10
 シナ軍は、100尺登るのには25分である。
▼防研史料 〔箱35/402〕『対支作戦参考資料(教)其の二十(砲兵自動車必携)』S14-4
 内地の鉄道貨車。有蓋の最小は「ワ 1」で、10トン荷重。満州の鉄道貨車には有蓋で荷重30トンのものがある。「ヤ」「ヤイ」「ヤニ」「ヤサ」「ヤシ」「ヤナ」。
▼靖国偕行文庫室蔵  奉天駐屯司令部『奉天都市防諜提要』S10-7
▼靖国偕行文庫室蔵  遠藤資料:仮訳『爆薬兵器処理安全規則』by日本兵站司令部兵器部作製 S26-5
 AA用には、一式「瞬曳信管」1kg 、二式高射「瞬曳信管」560gがあった。
▼靖国偕行文庫室蔵  『雨季、炎熱季ニ於ケル作戦ノ参考』関東軍司令部、S11-3
 94式軽装甲車は、80センチの水深の川を渉渡できる。
▼今井嘉幸『支那に於ける列強の競争』大3-12
▼湯沢三千男『支那に在りて思ふ』S15-8
 シナ人いわく、「金」は漢民族に任せ過ぎて短命。元は押さえ過ぎて短命。清は適度に任せて長期政権を保った。
▼佐々木陽子『総力戦と女性兵士』2001
▼田中二郎ed.『カラハリ狩猟採集民』2001
 ツチハンミョウという虫をつぶすと、カンタリジンという毒で、皮膚が不可逆的に爛れる。
▼花田仲之助『支那に与ふる書』S13-2
 南洲いわく。「何程制度方法を論ずるとも、其人に非ざれば行はれ難し。人有て後方法の行はるるものなれば、人は第一の宝なり。己れ其人に成るの精神肝要なり」
▼山名正太郎『世界自殺考』S49
▼安立純夫『現代戦争法規論』S54
 下級者は、受領した命令につき検討する義務を有する。命令服従の事実のみをもっては刑事責任はのがれられない。不法行為責任。
▼小山修三ed.『狩猟と漁労――日本文化の源流をさぐる』1992 
 北九州の弥生人は、身長がとびぬけて高かった。が、古墳時代から、身長は東が高くなる。
▼『歴史公論』第6巻第8号(S12-6臨時増刊)「史前日本人と鹿」by直良信夫
▼『日本史研究』416号(1997-4)「武器からみた中世武士論」by近藤好和
▼『日本史研究』373号(1993-9)「武器からみた内乱期の戦闘――遺品と軍記物語」by近藤好和
 南北朝から、武士にとっての正面が、弓手から馬手へ変わった。
▼パーシー・クナウス『金属器時代の黎明』1977
 人類最初の道具はアフリカで200万年前。
 象の集団猟は、600,000年前に行なわれていた。
 ネアンデルタールのマンモス猟は、60,000年前に行なわれていた。
 1万年前に弓矢が発明された。
 3500年前、シュメールで車輪。
▼三谷康之『事典 英文学の背景――城郭・武具・騎士』1992
 猪や熊を突き止める場合、素槍ではダメで、shaft に cross-bar を設け、刺したあとで狩人との間合いが詰まらないようにしていた。
▼『世界教養全集・21』平凡社1961 「猪・鹿・狸」by早川孝太郎
 ムジナ皮はタヌキ皮の1/10の値段。※だからタヌキの皮算用。
▼戸田芳実『初期中世社会史の研究』1991
 988年の文書で、国司の手先となっている「子弟郎従」は、動物を殺すように民衆を殺した。こうした武士対平民の関係が、仏教普及のベースなのだ。
▼パンジャマン・コンスタン著、大塚成吉tr.『宰相責任論』M16、原1814?
 パリの中央の火薬庫を破烈させる命をうけた士官が公然これを拒否した例がある。
▼原田通實『大日本刀剣史 上巻』S15
 文武天皇の改革で、原則として文官に帯剣を禁ず。
 女院の前では武人も剣を解く。勅使は諸社に於ても剣を解かず。
▼内田疎夫『大日本刀剣新考』S9
▼Noel Barnard『中国古代金属遺物』1975
▼山口昌伴『図説 台所道具の歴史』1978
 江戸時代、実際に魚をさばくのは魚屋で、包丁技は女のたしなみなどではなかった。下女や奥様の及ぶところではないのだ。
▼林巳奈夫『中国殷周時代の武器』
 斧に穴が一個開いているのは、軍用であることを示す。
▼樋口隆康ed.『中国美術 第四巻 銅器・玉』S48
▼菊池寛『評註 名将言行録』上S17-12、中S18-4、下S18-11刊行
 「法華経信者であるために、日蓮宗の方などで、清正を宣伝に利用したゝめに、清正はいよ\/人気者になつたのであらう」。
 明や朝鮮で清正のことを「鬼上官」と云ったというのは怪しい。というのはシナでは「鬼」は幽霊のことだから。
▼山本勝市『計画経済の試行――ロシアに於ける統制経済の研究 其の二』国民精神文化研究所pub. S10-11
 第一次五カ年計画は、米国製のトラクター導入が目玉であった。
▼斉藤逸郎『地代家賃統制令解説』S22-7
▼GHQ著、経済安定本部資源調査会tr.『日本の天然資源』S26
 ※天然資源による賠償が可能かどうか、徹底調査していた。その資料。
▼大塚伴鹿[ばんろく]『靖献遺言の精神と釈義』S19-5
 浅見絅斎を論ずる。
▼維新史料編纂事務局ed.& pub. 『概観維新史』S15-3
 この事務局は、文部省の所管。そこにペリーの白旗の話が(pp.80-81)
▼岸俊光『ペリーの白旗』2002-11
 ハーグ陸戦法規の23条には軍使旗を乱用するな、とあり、軍使旗(おそらく白旗)は前からあったことが分かる。
▼スウェンホー著、箕作麟祥tr.『北支那戦争記』M7-11
 仏は台湾も狙っているという噂があった(p.9)。
 韃人(満州族の清国人のこと)は大砲に自分の脚を繋結して死んでいる者が多かった(pp.167-8)。
▼尾佐竹猛『幕末外交秘史考』S19-7
▼吉田龍英ed.『仏教思想講座 7』S14-11刊所収の、鷲尾順敬「建武中興と仏教」
 寺家の勢力が建武時代に史上最大であった事実を、徳川時代の史学は、なかったことにしようとした。
▼『武藤元信論文集』S4-9
 日本の国史のうち、唯一『大鏡』だけがシナの史体を模擬していない。
▼小林巖雄『祝祭日の本義』S19-3
 12-25は大正天皇祭で休日。「崩御相当日」とする。
▼善波周『真実とともに』S22
 天皇制=悪とする共産党員の中公論文に熱心に反駁す。
▼岩井大慧[ヒロサト]『支那叢報 第一巻~第五巻 解説』S17-2
 シナの大砲はなぜ当たらないか。
▼松下正寿&太平洋協会ed.『アメリカの世界制覇主義解剖』S19-9
 マハンはドイツを「三大チュートン国家」に数え、米英独の3国が協力すべきだとした。チュートン3国至上観は、1890にコロンビア大のジョン・W・バーチェスが唱えた。
▼伏見康治『科学の反省』(再建叢書第一輯)S21-5
 ニールス・ボーアを輸送したモスキートのクルーは、もしも撃墜されたら、ボーアをパラ投下せよと命ぜられていたので、酸素吸入器なしで爆弾庫に押し込めておいた。
▼金子・佐橋共著『ブナ林をはぐくむ真菌』1998
 大発生したバッタをパタリと止めるのも、糸状菌。
▼杜 祖健(Anthony T. Tu)『中毒学概論』H11
 フザリウムという黴がトウモロコシに付き、フモニシン毒を生ずる。
 やはり肝臓に硬変→癌をつくる。
▼稲葉岩吉『前満洲の開国と日本』S11-6
 秀吉の7年戦争があったおかげで、女真、即ち前満洲は興ったのだ。朝鮮は日本を背景とすることで300年間、併合されずに残ったのだ。
 清国政府は初め奉天にあり、ついで北京に移った。このとき、朝鮮国境の部族を引き連れて行ったので空白となり、朝鮮は茂山郡を収めた。
▼高田功&井上正賀『食用鳩飼育法』S3-7
 松葉を敷けばシラミ予防になる。
 なぜ湿った穀粒を与えてはダメか。カビ病になるから。
 陸軍の伝書鳩は広島から東京まで11hで至り、特急より早かった。
▼『アオコ――その出現と毒素』1994
 日本のアオコは無毒。アメ、フィンランド、カナダ、バミューダ、ソ連、英、南ア、シナ、モンゴル、バルト沿岸には有毒アオコがある。
▼『消毒剤』1998
▼宮治誠『人に棲みつくカビの話』1995
 中世ヨーロッパでは麦角菌入りのライ麦パンを食べて死ぬ者多し。アフラトキシン。
 アメ、EUでは、ポストハーベスト農薬を使用中だ。
▼高麗・他『わかりやすい殺菌・抗菌の基礎知識』H12
 黄変米は、マイコトキシン(ペニシリウム)。牛に喰わせば死ぬ。
 カビ毒は、生えている周囲1cmに及ぶ。
▼山崎斌[あきら]『日本の菓子』S17-3
 薩摩の餅は、すべて軍旅用につくられた。
▼中村吉次郎『日本人と魚食』S18-3
▼木村毅『九州風土記』S22-9
 堀内いわく、オランダ語のカーペル(楽隊)が「かっぽれ」の語源だ。
▼尾瀬敬止『日露文化叢談』S16-10
▼潮見俊隆『漁村の構造――漁業権の法社会学的研究』S29
 そもそも沿岸は生産力が低く、外国では沿海水面の独占権など誰にも与えられない。
▼平野義太郎ed.『太平洋圏 民族と文化 上巻』S19-5、所収、上村文郎「日本の染色文化と南方諸島」
 飛鳥いらい、色で身分を表わした。その名残で、現陸軍では、将校の剣の吊り革の裏が、尉官は藍色、佐官以上は赤色。
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が紹介し、他では読めないコメントを附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 「情報ではなく注意が希少な資源になり、無意味な雑音のなかから価値の高い情報を選びだす能力をもつものが力を獲得するようになった。編集者と解説者への需要が高まっており、どこに注目すべきかを教えてくれる人たちが力を得るようになっている」――と、ジョセフ・ナイ氏が書いています(『ソフト・パワー』邦訳p.167)。
 「読書余論」は、兵頭がその〈選びだし〉を試みたものです。
 もう、大部な薄味資料を読むために、週末の2日間を無駄にする必要はありません。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は200円です。
 バックナンバーも1号分が200円で、1号分のみでも講読ができます。
 2008年6月25日号以前のバックナンバーのコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net
 の「告知板」をスクロールすれば、確認ができます。
 ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
sugiyama@budotusin.net
 へどうぞ。


島根日日新聞社さま、資料をありがとうございました。

 東京新聞のウェブ版の「潜水艦の正体はクジラ? 防衛省、結論迷宮入り」には唖然とした。昨日(20日)の読売朝刊はロシアのSLBM実験のニュースを報じたと神浦氏のHPに紹介されているけれども、麻生(=反支)路線を後援するつもり満々だった読売も、この顛末に気づいていてカバーにてんてこ舞いなのじゃないか。


一九二人のリスト公表!

 PHP刊『[新訳]名将言行録』は、本日、書店の店頭で見ることができるはずです。サイズは新書版です。しかし分厚いので、ねだんは¥950-(税別)です。
 グーグル検索される方の便宜のため、192人の名前を列記しておきます。このリストは順不同です。本書では、アイウエオ順に掲載されています。つまり、最初が「青山」で、最後が「渡辺」です。
 名付けは独特なので注意を要します(「信玄」とか「三楽」ではヒットしません)。
●武田信繁
●板垣信形
●原虎胤
●山本晴幸
●甘利晴吉
●馬場信房
●山県昌景
●高坂昌信
●内藤昌豊
●北条長氏
●北条氏康
●北条氏規
●北条綱成
●太田資長
●太田資正
●長野業正
●尼子経久
●山中幸盛
●今川義元
●三好長慶
●竜造寺隆信
●荒木村重
●毛利元就
●毛利秀元
●吉川元春
●吉川元長
●吉川広家
●小早川隆景
●武田晴信
●真田幸隆
●真田昌幸
●真田信幸
●上杉輝虎
●上杉景勝
●宇佐美定行
●本庄繁長
●甘粕景持
●甘粕清長
●杉原親憲
●直江兼続
●藤田信吉
●織田信長
●柴田勝家
●佐々成政
●滝川一益
●丹羽長秀
●丹羽長重
●佐久間信盛
●佐久間盛政
●明智光秀
●明智光春
●細川藤孝
●細川忠興
●前田利家
●前田利長
●前田利常
●堀秀政
●堀直政
●堀直寄
●稲葉貞通
●中川清秀
●前田玄以
●森長康
●山内一豊
●池田輝政
●蒲生氏郷
●竹中重治
●長曾我部元親
●長曾我部盛親
●宇喜田直家
●宇喜田秀家
●島津義久
●島津義弘
●島津家久
●伊達政宗
●戸次鑑連
●高橋鎮種
●立花宗茂
●豊臣秀吉
●黒田孝高
●黒田長政
●蜂須賀家政
●富田知信
●佐野了伯
●鍋島直茂
●加藤嘉明
●中村一氏
●田中吉政
●加藤光泰
●浅野長政
●浅野幸長
●堀尾吉晴
●増田長盛
●渡辺了[おわる]
●大谷吉隆
●長束正家
●福島正則
●可児吉長
●福島治重
●松平定綱
●大崎長行
●吉村宣充
●加藤清正
●石田三成
●島友之
●小西行長
●藤堂高虎
●京極高次
●寺沢広高
●松倉重政
●仙石秀久
●脇坂安治
●片桐貞盛
●木村重成
●後藤基次
●真田幸村
●真田幸昌
●徳川家康
●徳川秀忠
●徳川家光
●徳川秀康
●徳川忠吉
●徳川義直
●徳川頼宣
●徳川頼房
●徳川光圀
●池田光政
●松平正之
●鳥居忠吉
●酒井忠次
●大須賀康高
●内藤正成
●本多重次
●大久保忠世
●天野康景
●鳥居元忠
●本多正信
●平岩親吉
●板倉勝重
●本多忠勝
●榊原康政
●大久保忠隣
●井伊直政
●酒井忠世
●本多正純
●板倉重宗
●安藤直次
●成瀬正成
●中山信吉
●酒井忠利
●安藤重信
●永井直勝
●青山忠俊
●水野勝成
●阿部正次
●久世広宣
●井伊直孝
●土井利勝
●酒井忠勝
●松平信綱
●阿部忠秋
●板倉重昌
●堀田正盛
●秋元泰朝
●久世広之
●土屋数直
●板倉重矩
●阿部重次
●安藤重長
●柳生宗矩
●大久保忠教
●石谷貞清
●北条氏長
●伊丹泰勝
●井上正利
●青山幸利
●戸田忠昌
●堀田正俊
●土屋政直
●北条氏綱
●斎藤利政
●野中止[とどむ]
●津軽為信
●佐竹義宣
●東政義
●大石良雄
●伊達忠宗
●松平忠昌
●熊沢伯継
●本多忠朝
●松平忠次
●水野忠善
 いつもお世話になっている武道通信の杉山さんが、並木書房から『武士の作法』を書き下ろしで出されますね。是非、今回の『[新訳]名将言行録』とあわせて読んでみてください。内容の理解が加速されるはずです。
 も一つ、朗報。やはり並木書房で品切れになっていた『陸軍戸山流で検証する 日本刀真剣斬り』の「二版」の増刷が決まりました! この快著を初版で入手できなかった残念な方は、しばらくお待ち下さい。
 次に、おそらく来週に全国の店頭に出る『属国の防衛革命』(光人社。あの雑誌『丸』の潮書房と同じですから、『丸』やNF文庫が買える書店なら、きっと見つかるでしょう)の章タイトルを列記します。全部で11章あります。
一、日本はみずから望んで米国の属国になっているだけ/太田
二、核武装「後」の日本の防衛/兵頭
三、政権交代が日本の独立を回復させるメカニズム/太田
四、ケネディ政権は日本の核武装を望んだか?/兵頭
五、カナダはいかにして米国に併合されてしまったか/太田
六、「民主主義」インドはアジアの覇権国になれるのか?/太田
七、神功皇后と豊臣秀吉の対支戦略/兵頭
八、イスラム圏諸国はいつ世俗化するのか?/太田
九、移民を大量に受け入れれば良いことがある/太田
十、「北方領土を返せ」という要求は無理筋である/太田
十一、敗戦後のわが国の軍事出版史をふりかえる/兵頭
 太田さんの章は太田さんが御自分で解説されるだろうから、兵頭の書き下ろし箇所についてセルフ解題しておきましょう。
 まず第2章ですが、既存の核武装国と核武装国の間には、表沙汰にはしない「裏軍縮」というものがあるのです。それを論説しました。具体的には、弾道ミサイルの水爆弾頭の1発のイールドを1メガトン以上にはしないこと、もっと理想的には500キロトン以下にすること、都市に対してはお互いに高空爆発モードにすること、などです。米国とシナとの間には、シナのICBMの数量に関する「裏軍縮」は間違いなくありますが、シナは弾頭のスペックを秘密にしていて、それがホワイトハウスの最大の不信を買っているのだと、兵頭は見ます。
 次に第3章。営業保守と2ちゃんバカ右翼はほとんど誤解していると思うのですが、米国民主党は、政権をとったときは「反シナ」です。むしろレーガンとニクソンの共和党政権の方が北京をつけあがらせてきました。米支が蜜月だったからこそ、宮澤官房長官は教科書クレームに勝てなかったんです。わたしは敬愛の念を籠めて片岡鉄哉先生の説に反論します。かつて日本に核武装を呼びかけた唯一の政権は、ケネディ政権です。
 第7章は、「ヤマタイ国はなぜ謎なのか」の謎解きをしたものです。大和政権がもしヒミコのヤマタイ国の存在に公文書上で言及してしまえば、シナは日本列島の支配権を主張することになる。だから「闕史八代」という荒ワザを使ってまで、大和政権はヤマタイ国といっさい関係が無かったことにしたのです。日本の独立のために、大和政権はそのスタート時点から智恵と武力をふりしぼってシナからの間接侵略/直接侵略と戦ってきました。神代から、すでに日本文明とシナ文明は天敵なんです。
 第11章は、ミリヲタの人は立ち読みしないでください。立ち読みし始めると、もう止まらなくなります。店員さんにハタキをかけられますよ。あと、ガンダム世代からの反論をお待ちします。
 オマケで、潜水艦に関する続報。
 スカンクさんが、ロシアの元潜水艦乗りの現役公務員に尋ねたところ「鯨じゃないか?」という返事だったそうです。シャチの背びれと潜望鏡を見間違えたというのなら、これは落語の類ですが、まずありえん。イージス艦のバウ・ソナーからPINGを打つと、併走してきたイルカどもが飛び跳ねて狂い回るという話を、わたしは聞いています。だから鯨類だったら、簡単に確認はできるのです。
 しかし思いましたが、鯨やイルカやアザラシに改造手術を施して大量破壊兵器や対艦水雷を運搬させるのはアリでしょうね。米空母に対抗したいシナならば、なんでもやりかねん。
 オマケのオマケ。関口哲平氏の上手すぎる小説『選挙参謀』の中に出てくる「五十嵐洋次郎」って、河野洋平のことだったんでしょうか。いまさら、気付きました。この小説を読んでない人、特に「新風」の支持者なら、すぐに読んでください。選挙を見る目が一変することを請け合います。


週刊『苦笑』

 防衛省は「防衛報道」のあり方に関しては「改革ごっこ」する気すら無いらしい。防衛記者クラブを通じた大手新聞数社との「共犯」関係を解消する気が無いということは、将来もまた「山田洋行」のようなスキャンダルは記者クラブぐるみで見てみぬ振りを続けましょうねという共同謀議ではないか。じつにふざけている。
 シナ原潜が、「水深500mライン」が北側に張り出している(そしてまた紀伊水道ほど日本側の見張りが厳重ではない)豊後水道に、あとすこしで入るというところまで、米軍は「泳がせ捜査」のようにして静かに監視をしてきた。
 このシナ潜はたぶん沖縄でまたも領海侵犯をやらかしているのだが、その時点では騒がないことにした。というのは、米軍の最大のメリットは、遠洋の原潜と本土の潜水艦隊司令部やシナ海軍上層、あるいは中共の軍事委員会等の間の「通信」がどのように行われるものか、その実態をつぶさに盗聴してデータ集積しておくことにこそあるからである。だから、追尾中であることが敵艦長に明瞭に気取られるP-3Cも、わざと飛ばさないでおいた。
 米海軍は例によってシナ原潜が出港する瞬間を待ち構え、グァムを母港とする攻撃型原潜による密かな尾行をつけた。
 海自と米海軍は対潜情報処理を同じ場所でやっているので、防衛省もニア・リアルタイムで、このシナ潜の動静は教えてもらっていた。
 しかし日本の軍人としては、福田総理がシナの奴隷であることも重々承知之助だから、「たといこのシナ原潜の領海侵犯があったとしても、それはできるだけ遅く官邸に知らせよう」という意思決定を、海幕内で早々にしており、そのことは米側には事前に周到に説明済みで、たぶん、内局には(意趣晴らしの意味もあって)少しも相談はしていない。
 いよいよ調子に乗ったシナ原潜が豊後水道に入ってしまうとさすがに騒ぎが大きくなって福田総理らの余計な怒りを買いかねないので、「もう、いいでしょう」(水戸黄門風)というわけで米海軍は海自の『あたご』をシナ原潜の真上まで誘導した。米海軍としては、MD実験担当艦なのに衝突事故で評判を落としてしまった同艦の名誉が回復されることが利益であるから、親心から、ご指名をしたのだ。
 9月14日、『あたご』の固有ソナー、および同艦載ヘリからのディッピング・ソナーが、アクティヴ・PINGを連打した。シナ原潜は終に屈服して潜望鏡を出し、尻尾を巻いて逃走した。この間、尾行の米原潜は遠くの水底でいちぶしじゅうを低見の見物と洒落込んでいたことは言うまでもない。燃料代が苦しい折なので、『あたご』はすぐに楽屋に引っ込んだ。現在、再び米海軍の攻撃型原潜がシナ原潜を静かに尾行しているところである……。
 ――まあ、真相はこんなところだろう。
 あれは2004年頃だったか、シナ原潜がグァム島を一周したという特ダネを、防衛庁が朝日新聞だけに教えたことがあった。
 今回は、防衛省は、この特ダネを、読売新聞だけに教えることにしたようだ。
 このように、防衛記者クラブに加入している大手新聞社の1社づつに対し、防衛省が、順ぐりに恩恵的に特ダネを「配給」してやるという不健全な報道統制により、いったい誰が利益を得るのだろうか? 納税者たる国民でないことは明らかである。
 防衛省は、1社限定の特ダネ配給の見返りとして、山田洋行のようなド腐れ構造を記者たちが目にし、或いは耳にしても、それを決して活字にはさせないでおくことができる。山田洋行事件では、防衛官僚や防衛族議員が腐敗していたのと同程度に、防衛庁担当記者もすっかり志操を喪っていたのだ。常識で考えて、あれほど大っぴらで長期にわたった利権たかりの具体的事例が、彼らの耳に頻々と入らなかったわけがない。彼らにとって、山田洋行事件とは、ニューズではなくしてオールズだっただろう。しかるに、そのような歴然たる売国の実態を何としてでも国民に知らさねばならぬと自覚した記者は、一人も居やしなかった。十年でも二十年でも平気で黙っていることができたのだ。彼らもまた、日本国の防衛など実はどうでもいいと自分を納得させた高給取りなのであろう。


いよいよ明日18日、発売です。

 岡谷繁実(おかのやしげざね)の『名将言行録』は、明治29年完結の増補まで入れるとオリジナルは全部で71巻にもなり、それを全部収めた(ただし伏字あり)の人物往来社版でも、7分冊もあります。
 このたび兵頭は、その計71巻におさめられた192人のただの一名も省略せずに、エピソードを摘記した『[新訳]名将言行録』をPHPから刊行します(ISBN978-4-569-70266-7)。書店搬入が9月18日予定です。(ちなみに過去の岩波文庫版にも192人は載せていないようです。)
 そもそもわたしが『名将言行録』の存在を知ったのは、学生時代に、明治44年2月刊(文成社)の袖珍版の1冊(第六編、バラ)を神田の古書店で捨て値で買ったときでした。その1冊は今も手元にありますが、奥付には全10冊とある。今にして分かるのですが、これは全冊揃えておく価値があった。
 この文成社版は総ルビ付きである上、伏字がありません。(人物往来社版で□□□となっているところは、被差別地名であったことが、文成社版との対照で確認できます。)ルビというやつは著者のチェックが入らないので、いいかげんな間違いもままあるんですが、明治人の読み方で普通なら何と読むのか、たとえば「御」の字をどう読み分けていたかなど、そういうことが推察できますので、現代人には非常に有り難いんです。
 今回の訳編作業開始にあたり、わたしは菊池寛が戦時中に出した3冊版の『評註 名将言行録』(S17-12~S18-11)を期待して取り寄せてみたところ、大衆小説的に人気のある著名人しか載せていないと分かったので、ガッカリしてすっぽかしていました。これは上巻のみが総ルビ付きで、中巻と下巻はルビがありません。いうまでもなく、対米戦中の出版事情の悪化が反映されているわけです。
 それで、仕事の端境期の今、ようやくその菊池の「評註」の部分を拾い読みしているところです。落ち着いて読めば、さすがに捨て難いものがあります。次の「読書余論」で紹介できれば、と思っております。
 拙著が出ましたら、皆様に注意して読んでいただきたいところが何箇所かあります。
 たとえば井伊直政のところ。火縄銃の二重装填で銃身が破裂したという稀有な事故リポートです。(いわゆる「二ツ玉の強薬」じゃありません。誤装填です。)
 これは出典は忘れましたが、南北戦争かどこかの西洋の古戦場から回収されたマズルローダーに、10発以上の多重装填をしたままのものがあったとか……。つまり、戦場の間断無い轟音のため、自分の銃が不発になっているのにも気が付かずに、次々に装填しては発砲動作だけをひたすら繰り返していた兵隊がいた。それほど、激しい射撃戦の応酬は将兵の精神を動転させたわけです。
 天正時代に、日本人は近代火力戦を初体験していました。だから明治維新=攘夷の人である岡谷繁実は、天正時代の武将の経験に強い関心を抱いたのです。
 次に、大崎長行。最後に女が一人で舟を漕いで去り、行く方知れずになります。すこぶる印象的なエピソードです。わたしは『松本清張全集 26』(火の縄、小説日本芸譚、私説・日本合戦譚)をたまたま古本で買って眺めていまして、松本氏が『名将言行録』を、反発しながらも一通り読み込んでいたことを確信しました。松本さんの有名な推理小説(タイトル忘失)で、女が最後に日本海へ舟を漕ぎ出して自殺同然に姿を消すという作品があったでしょう。あのエンディングのヒントは、きっと、大崎長行なのでしょう。
 石田三成のところで、彼が法華宗であったことを、『名将言行録』は一切、紹介していません。キリシタン大名との関係で、当時は重大な問題だったはずなのですが……。たとえば加藤清正が法華信徒であったために小西行長とはまったくソリが合わなかったということは書いてあるのです。岡谷繁実には何か意図があったのでしょうか。妙に気になりました。
 多くの小説家が「合戦では足軽の槍は突くものではなく、上から叩くものだ」と現代の読者に説教を垂れます。しかし、これは集団が最初に激突するときの、ひとつの脅かしのテクニックなので、三間(5.5m)~三間半(6.3m)の柄の三角穂槍を叩くように振り下ろしても、それで敵兵は殺し難いでしょう。
 足軽の槍全般についての誤解を誘導しかねない非合理的な解説が流行する根拠になっているのかもしれないと思われる記述も『名将言行録』には二、三あります。わたしはそのうちのひとつを、斎藤利政の項で「翻訳」しておきました。
 振り回せば切れそうな平刃の長い穂が附いた、武将用の槍ならば、右前構えにして薙刀のように敵を脅かすこともできるのは勿論ですけどね。
 信長・秀吉・家康の三人がホトトギスについて歌を詠んだというエピソードは『名将言行録』には出てきません。ではその作り話に何か元種はあったのでしょうか? 豊臣秀吉の項目をお読みください。
 徳川家康は、気が長くて慎重なキャラクターだったのでしょうか? あらゆる証言が、彼が短気なキャンペーン・マニアであったことを示唆しています。また豊臣秀吉はスターリンやヒトラー級のおそろしい男かもしれません。(ところで『ざっくばらん』の最新号に、伊藤博文は自身を豊臣秀吉と比べられて悦んでいたという話が出ていて、なるほどなと思いました。)
 西郷隆盛の政治参考書は『春秋左氏伝』しかありませんでした。もし『名将言行録』が明治9年以前に印行されていたなら、征韓論はどうなっただろうか、西南戦争はどうなっただろうか、と思わされます。
追伸:昨日、光人社の『属国の防衛革命』の見本が出来上がったという連絡を頂戴しました。腐り果てた日本の政局に、どうやらギリギリのタイミングで刺激剤を投下することができそうです。いつも拙著の新刊紹介をしていただいている方々には、版元から直接に見本が1冊、郵送されますので、お待ち下さい。活発な議論が起きることを祈願いたしております。


見本出来! 192人ノーカットの『[新訳]名将言行録』by 兵頭 二十八

 ついに完成しました。
 ご好評の『[新訳]孫子』に次ぐ第2弾! 『[新訳]名将言行録――大乱世を生き抜いた192人のサムライたち』(PHP刊)
 ……の見本が、であります。
 じつは訳編者のわたくしも、まだその見本を手にしていない段階です(今日、明日あたりに届くかな~)。しかし宣伝を先行させましょう。店頭発売は、東京都内の最も早い書店様で9月18日だろうと思います。
 192人全員の話をハンディな1冊(新書版型で約290ページ)に押し込むため、兵頭の判断基準で割愛せねばならなかったエピソードが多いのが遺憾ではありますけれども、「岡谷繁実(おかのやしげざね)がまとめたオリジナル版の全64巻なんて、いまさら読んでられるような暇はねえ!」とおっしゃるご繁忙な現代人の皆々様には、まさにぴったりフィット! 
 殊に、これから総選挙に参戦しようという各陣営の中間管理係の方々は、かならずお買い求め下さい。一晩で読み切れるこの1冊の中に、〈足軽の人心掌握法〉が、ぜんぶ書いてあるのですから……。
 また、「『名将言行録』なんて、史料としてほぼ価値無いだろ?」とバカにしつつも、『ある有名なエピソードの元種は、いつどのように発生し、コピーされてきたのか?』を文学的な興味から追跡なさりたいと思っておられる向きには、手掛かり捜索の入り口として、心理的に抵抗なくお役に立てられるヒント集となっております。
 すなわち各将の項目は、読者の便を考えて「あいうえお順」で配列し、そこにいちいち、オリジナル版(明治28~29年版)での掲載巻号を書き添えてありますから、気になった部分は、すぐにオリジナル版に当たって原文をチェックなされば、疑念がすばやく晴れるわけであります。
 編集していて気付いたことひとつ。
 有名な大名の中には、「自分はいかに家臣の過失に対して寛容であったか」を針小棒大に記録させている者が、どうも多かったのであります。
 しかしその大半は、当人の矯激や器量の小ささ、家中の文化がいかに粗略だったかの裏返しの傍証にすぎないように見受けられます。無理な自慢話で飾ろうとして失敗しているのであります。
 そんな中、松平正之に関するそのカテゴリーのエピソードには、臭みが感じられません。円満な教養人が家来を穏当に扱おうとしたらしく思えるハナシが、多いのであります。それだけ、家中の取締りは隙間無く厳重であったのかもしれませんけど……。
 『名将言行録』は、過去あまたのダイジェスト企画ですと、江戸時代の幕臣のほとんどを外してしまっています。けれども、兵頭は、『名将言行録』の真価は、従前のダイジェスト版でネグレクトされている部分にもあった――と見当を付けまして、積極的に、それらのエピソードを拾いました。ですから、あらためて買って損はない筈です。
 ところで、明治42年末からの復刻版の序文で、秋元興朝が、わざわざ〈明治28年の増訂版ができあがったとき、それを伊藤博文にも贈って、伊藤は日夕[にっせき]それを愛読してくれた〉と言及しているのが、すこぶる興味深いように思っております。
 ちょうど、明治41年から翌年にかけ、米国のセオドア・ローズヴェルト大統領は、日露戦争後の日本人に警告を与えるために、「ホワイト・フリート」と称された大艦隊(主力艦を日本の聯合艦隊の約2倍あつめた)を訪日させました。
 その「白船」艦隊は、世界周航の途次、東京湾や大阪湾に立ち寄っております。日本の指導者階級は、必死の報道管制と友好ムードの演出によって、国内世論の反米ヒステリーや恐米パニックを抑圧しながら、内心では著しく緊張したのでありました。米国側でも、「ひょっとしたら日本海軍との海戦になるか……」と身構えていたくらいだったんです。
 「日露戦争」に続く「日米戦争」の予感にひとしお狼狽したのが、日本刀で人を暗殺したことがある歴代ただ一人の総理大臣経験者、伊藤博文その人……。久里浜に現存しますペリーの顕彰碑も、伊藤の撰文で、このとき「空気工作」の一環として建てられたものでした。たぶんは伊藤は、『名将言行録』も、岡谷繁実(おかのやしげざね)が初志として狙っていたような「攘夷の指南書」としてではなく、日本人の無謀や無思慮を戒める教養書として、評価していたのでしょう。