The Case of Mr. K

 日本国内では、銃砲刀剣類所持取締法第22条によって、正当な理由なく刃体の長さが6センチメートル(折りたたみ式の場合8センチメートル)を超える刃物を携帯してはならぬことになっている。
 北関東の某市に住むK氏は元自衛官で、現在は軍事/銃砲/狩猟に関する研究や著述をしている。
 過日、K氏は、2親等の身内家族が交通事故で中部日本の某県の病院の集中治療室に担ぎ込まれたとの電話連絡を受けた。
 自衛隊暮らしが長かったK氏はいつも、リュックザックに救急品袋を付けておく習慣であった。
 その救急品袋の入り組み品として、十徳ナイフのようなものも用意をしていた。
 そして、出かけるときには、リュックザックとも救急品袋とも別なバッグに、ビクトリノックスのツールナイフ(赤い柄で、はさみ、缶切り、ねじ回しなどがついている折りたたみ式ナイフで、刃体は約6センチメートル)を入れて携行するようにしていた。
 これを救急品袋とは別なバッグに収納することにしている理由は、航空機に乗る用事があるときには、刃物類は邪魔になるためである。
 さて、K氏は某県まで急いで列車で移動しようと、自宅を出るにあたり、例によってこのバッグに十徳ナイフを入れた。
 ところが、慌てていたK氏は、外見の酷似した、いつもと異なったナイフを、そのバッグに入れてしまった。そのツール・ナイフは、同じメーカーの製品なのであるが、刃体がひとまわり大きい(8.6センチメートル)のである。
 「つくばエキスプレス」で秋葉原駅に到着したK氏は、JRに乗り換えようと発券機前に立ったところで、警察官から、「ナイフを持っていますか」との質問を受けた。
 K氏は、自分が適法な寸法のナイフを持っているという認識でいたので「持っています、これです」と取り出したところ、そこで、ひと回り大きなナイフを持ってきてしまったことに気が付いた。
 これにより、K氏は、銃刀法違反ということになった。
 行政は、銃砲刀剣類所持等取締法に違反した者が、猟銃の保有者である場合には、その猟銃の「所持許可の取り消し」をすることができる。
 K氏は猟用ライフル銃の所持許可を有するベテランでかつ現役のハンターである。もちろん散弾銃も所持している。(散弾銃暦が10年以上ないと、ライフル銃の所持許可を得られない。)
 K氏は、聴聞において、「ナイフ携帯は錯誤によるものであり、全く犯意のないものである」ことを釈明したものの、許可の取り消しは有罪無罪とは無関係の行政処分である、とされて、「所持許可の取り消し」を申し渡された。
 行政は、所持許可の取り消しを行った場合、あるいは取り消し以前であっても違反行為のあった場合、必要に応じて当該銃砲を仮領置することが、同法第11条の5および6に規定されている。
 が、K氏の所持銃は、仮領置はされなかった。自ら銃砲店等に譲渡する等の処分を行うように、との指示であった。
 K氏は、「災害等の非常の事態において人を救助する目的で適法な寸法のナイフを携帯携行していたつもりが、肉親が死ぬかもしれないという状況において出発準備をしたために誤って数ミリ長いナイフを携行した」ことが、必ずしも「所持許可を取り消さなければ銃砲による危害を発生させる危険性がある」との判断には結びつかないのではないかと思料している。
 すなわち、今回の場合、行政はK氏の猟銃の所持許可の取り消しを行う必要は全くなく、これは法の濫用であるとK氏は思料する。
 この行政処分を不服とする訴えをする道は、ある。
 とはいうものの、K氏も、このような問題に、まともにとりあってくれる弁護士さんがいるとは思ってはいないようだ。
 さて、みなさんはK氏の事件をどう考えますか。
 昨年の佐世保事件をうけて、「取締りを強化して不適切な所持者を摘発し、これだけの処分を行った」という数字を出したいがための行政だ――と推察しますか? これはリアルタイムで進行中のケースである。
 兵頭は、こう考える。いくら気が動転したとはいえ、違法サイズのナイフを自宅外に持ち出した時点で、K氏は、〈銃砲刀剣に関する啓蒙家〉の看板は、日本国内において降ろさなければならなくなった、と。
 プロだからこそ「数ミリ」の違いにも、気が動転したときにこそ、敏感であって欲しかったと思います。
 かのよしのり先生。このたびのご心労、お察し申し上げます。わたくしは先生の御著作やお話により、これまで大いに啓蒙されております。またこれからも愚生の先生に対する尊敬の念にはいささかも変更はありません。
 今回のケースにもしご興味をもたれた法曹家の方がいらっしゃいましたなら、ご連絡ください。


17年前のコンセプト「そのまんま」TK-Xに期待できることとは?

 なぜわたしが「勝手にソーラーライトを愛好する会」のタマランチ会長と呼ばれているのか分からない人。是非、都内特定書店にて、本日中に、最新刊の『逆説 北朝鮮に学ぼう!』(並木書房)を購入しましょう。完膚なきまでに説教されています。
 さて防衛省が08-2-13に、2010年度採用見込みのTK-Xの試作車を、相模原市の防衛省の研究施設で報道陣に公開したと聞き及び、ネットにUPされた映像数点を拝見しました。
 相模原にはたしか三菱重工の戦車量産ラインがあります。そこに、戦中の「四研」(技本のAFVセクション)の戦後版の機関も隣接しているんでしょう。じつは『戦車マガジン』の記者時代から今日まで、なぜかわたしは相模原一帯の見学/取材をしたことがないもんでして、くわしいことは承知しません。
 うたい文句は、報道によりますと、「味方の戦車同士で瞬時に情報を交換、共有」できること、対戦車威力がある120ミリ砲を搭載し、「ゲリラや特殊部隊による攻撃など新たな脅威にも対処でき」て、現用の90式より6トン軽い44トンで、装甲は着脱容易なモジュール式。納入単価は開発費を含まずに7億円におさえられる――と見えます。
 エンジンの報道がないのには困惑します。戦車はエンジンの概略(出力、排気量、過給方式、冷却方式、サイクルなど)がわからないことには、性能や発展性・将来性の想像など、つけ難いものです。
 もし90式と同出力(実装)でより軽量コンパクトなエンジンなら、車体が軽量化したことで、すごい機動力(たとえば対馬のような山岳性離島への投入)を狙っているのかな~とも思っちゃうところなんですが……。
 旧著の『日本の防衛力再考』や『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』をお持ちの方は、ぜひ再読してご確認ください。
 事情は何も変わっていないと思います。すなわち、陸自の国産戦車の開発サイクルは、十数年がかり。
 車体のデザインは数年で完了できても、戦車にしか使えないユニークな新エンジン(800~2000馬力)とパワー・トレイン(クラッチなど)の開発に、10年以上が必要なのです。
 TK-Xが「安い」というのが本当なら、特別な新エンジンは使っていないのかもしれません。
 パワー・パックもモジュール化した方が理想的にきまっているので、それなら朗報でしょう。
 ざんねんですが、TK-Xは、1991~2年の湾岸戦争よりも前から基本コンセプトが固められていることは間違いありません。
 わたしは当時、三菱重工のOBから「次(90式)の次の将来戦車として、逆に軽量化した40トン台の主力戦車を開発中」と教えられました。もう概略図まであり、そのターレット前縁は楔型に尖っていました。今回、あまりに「そのまんま」のカタチに見えますので、感心しています。
 やはりこのTK-X、「古い事態に最新テクノロジーで対応する」、いつものパターンであることに、変わりばえはなさそうです。
 湾岸戦争では「強者の国が世界に投入する戦車は沙漠を何百kmも高速自走できなければならない」と分かり、「味方撃ちの予防」が喫緊課題と分かり、他方また「弱者の国の戦車は、対空疎開運用重視、対空遮蔽物の利用のし易さ重視、対空秘匿性、積極的偽装装備、でき得れば上面防護力がなければならず、固有火器とFCSによる対空自衛交戦力のあることも望ましい」と分かったはずです。もちろんTK-Xには、それらは、少しも反映されてはいないでしょう。
 2001-9-11のあと、アフガン戡定作戦の好調により暫時、ハイテク万歳の時代になりました。「RMA」とか言ってましたわね。(イラク泥沼の今では死語ですか?) 「味方の戦車同士で瞬時に情報を交換、共有」なんてのは、その当時の「軍事革命」路線でしょう。発想は、しごく古いものです。
 携帯電話の時代に「自動車からタクシー無線ではない電話がかけられるんだぜ」と喜んでいる、そんなレベルでないことをひたすら祈りたいと思います。
 9-11以後、「ソ連なきあとは、いよいよシナがヤバそうだ」と見当がつくようになりました。
 そこで、南西諸島に投入しやすいように、C-130や重ヘリコプターで空輸できる、あるいは商用コンテナに入れて輸送して普通のクレーンでも卸下できるような、空挺AFVが必要でしょう――との小生の提言(『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』)は、もちろん考慮されなかったでしょう。
 そこまで根本的に発想が変わると、予算を得るために財務省を説得し直さなければならなくなります。三流官庁の防衛省には、そんな手間をブレークスルーしてくれるような人材は、いやしないのです。
 C-Xでの(分解)空輸は、考えていたことでしょう。
 「ソ連の着上陸侵攻なんて、ありえない」と、背広上層によって陸自の戦車定数を減らす決定が下されたのは平成16年でしょう。もちろんこの決定も、既定であるTK-Xコンセプトを、少しも変えなかった。
 調達数がこんなに劇的に少なくされるのだと、もっと前から分かっていたならば、三菱も四研も「戦艦大和」の発想に切り換えたことでしょう。
 つまり、逆に70トンまで重くした戦車を与那国島などにはじめから配備しておくことで、敵が質的に対抗不能になるように図ったでしょう。
 ロシアやシナには60トン戦車はなく、輸送&揚陸手段もないので、侵攻の敷居は高くなります。
 「北海道はもうどうでもよく、むしろ沖縄方面がヤバイ」と1980年代後半にわかっていたなら、TK-Xには浮航性が与えられたでしょう。
 主火器も、対AFV交戦など二の次とし、人海ゲリラを皆殺しにするのに便利なものへ換装されたでしょう。(無人砲塔で砲塔全部がモジュールだったら、すばらしいのですが。報道は、ただアーマーに触れているだけです。)
 そして安倍内閣倒壊の原因にもなった「陸自をアフガンやイランに出せ」というアメリカの圧力。これもTK-Xには反映されていないのは申すまでもありますまい。
 もし中東に派兵しなければならないのだと分かっていたなら、44トンぽっちにしたわけがない。今の60トン級でも、将来の脅威(新型路肩地雷)に対して不安があるのですからね。
 さて、教訓は何でしょうか?
 「古い事態に最新テクノロジーで対応する」パターンは、1992年以降は、もうやめにしなければ。
 「最新事態に、敵よりも素早く対応する」という方針に、全面的に切り換えないといけない。これは戦車だけでなく、AHもそうですしFXもそうです。
 20年がかりで構築したハイテク・アイテムも、数年で、新戦場・新事態・新防衛構想には適合しなくなる。
 とすれば、「他国を何年もリードできる高度ミリテク」の達成を望むのが間違いです。殊に陸戦兵器では。
 モジュール設計の思想は正しい路線です。ただしそれは初期調達単価を抑えるためでなく、「新事態への瞬時最速の対処」を将来にわたって不断にとり続けるためにこそ、必要なのです。
 自衛隊が使う主な装備の開発サイクルを「20年」から「数年」にまで短縮すべきです。もし、いかほどモジュール化しても「数年」でものにならぬシステムであれば、それをゼロからつくることを止すべきです。既製品(輸入品を含む)の組み合わせや改良で、誰にも予期のできない最新事態に対処して行くべきです。
 汎用パーツや汎用マテリアルを何十年もかけて研究するのは、いっこうに構わないでしょう。
 しかしシステムの「用途」を10年も前に決めてしまってはいけない。
 民間自動車の分野でどうして日本はアメリカに勝てたのでしょうか?
 それは、開発→商品化サイクルを、ビッグ3よりも短くすることに成功したからです。試行錯誤の繰り返しの速さ、回数が、アドバンテージに直結した。
 はんたいに、コンピュータ・ソフトの分野で、どうして日本はアメリカに勝てないか。それは、開発→商品化→改造強化サイクルで、米国の民間企業に太刀打ちできないからです。最初の商品化であけられたリードを埋められない。
 離島防衛や遠征軍用の戦車のデザインは、「ウィルスに強い通信ソフト」の開発・改良と同じだと考え直すことです。脅威は日々、進化しています。年々、新手の戦場が追加されます。20年がかりの設計では、かならず不覚をとることでしょう。
 しかし三流省庁の職員では、このような考え方を財務省の担当者によく説明することは、ちょっとできそうもないでしょう。ざんねんなことです。


もーレつ荒レたろう

 速報! 並木書房の『逆説 北朝鮮に学ぼう!』が、すでに都内の一部書店に置かれているようです。
 また複数の通販機構で、受注が可能な状態になったようです。
 本書で特筆すべきは、書籍のタイトルでしょう。久々に著者じしんが満足をしているタイトルが付いています。
 じつは過去何年も、小生の執筆した単行本のタイトルは、出版社側によって起案・決定され、その大半は、著者として、大いに不満足なものでした。
 なにしろ、書いた本人すら、タイトルから内容を思い出すことができない。
 いや、内容だけではない。タイトルそのものを思い出せぬものがほとんどなのです。
 タイトルによほどのインパクトがなかったら、本なんて大衆相手に売れるわけはないでしょう。わたしは、出版社の正社員である書籍販売のプロたちには、このぐらいのことはよくわかっているのだろうと思って、敢えて、自説を貫くことを控えてきました。
 本書はさいしょに『北朝鮮に学べ!』のタイトルでわたしの方から企画提案をいたしました。
 もちろん書いてあることは北朝鮮の話題ばかりじゃありません。タイトルというのは、中身の要約ではないのです。
 本書は平成19年12月15日に脱稿したものです。


通販で猟銃が買われた場合、売った店の名は分からないのか?

 『諸君!』の記事に追加したい情報があります。
 ある人が知らせてくだすったのですが、通信販売でも猟銃が買えるんだそうです。
 販売元から「譲渡承諾書」などの書類一式を郵送してもらって、警察に行って所持許可の手続きをすませますと、1~2ヵ月後に、許可が出るそうです。その許可証を販売元へ郵送しますと、宅配便で銃が送られて来るそうです。
 それにしましても、通信販売でも「買った店がわからない」ということはありえないように、思われるのですが……。
 またある人のご教示によりますと、バレルとフレーム以外の猟銃パーツは、かなり自由にノーチェックで流通しているそうです。それは〈銃本体〉の扱いではないのだそうで……。
 たとえば「引金ブロック」などを2セット以上購入して所持するのも何の問題もないとのことです。この引金のバネの強さは、実猟とクレーとでは、変えるのが合理的なのだそうです。また故障時の予備にもするそうです。
 商品としての猟銃をどう考えるか。これは、オートバイと似たところがあるでしょうね。
 トライヤル用の小型自動二輪車で、ツーリングはできなくもないが、目的合理的ではないですよね。
 しかし警察が、「おまえはそれで暴走族になって人でも轢く気か」と、違反歴の無いライダーを疑って2台目の中型二輪を購入できなくする行政は、あり得ません。
 また、「買い物なら2台目の400cc.のバイクでもできるだろう」と、3台目の原付保有を邪魔立てすることもありません。
 しかし、ある日、そのライダーの気が狂って、多数の歩行者にぶつかってやりたいと思うことがないとは誰にも断言できないのです。それでも、彼が同時に運転できるのは1台です。
 今日は、クララが立った記念日


こどもをかかえて

おまるにすわらせようとしたら
 2日間ねたきりに……
Yさま
 すいません、諸君の見本誌がまだ郵送されて来てないのと寝たきりなのとで、記事コピーをファックスできません。
ここで余談
 せんじつ、女房の車のエグゾーストパイプと触媒缶のつぎめ溶接が破断して直管マフラー状態に。
 この音でこどもシールをペタペタはってたらヤンキー車としかおもわれぬ。
 ふつうに車間距離とってても前の車が不必要に車線をゆずってくれる。こちらは軽なのだが。


『愛と伝説のチャック・ノリス』

小崎さま
 どうもご苦労さまです。
 脚本家が作画について指南するというのもベラボーな話ですから自制して参りましたが、ご要望とあらば私見を陳べます。
 一般に、次のようなことが言えるかと存じます。
一、「アップ」のコマと「ロング」のコマが妥当な比率で混ぜられていないと、読者は、その場面の臨場感(人物の空間的配列)をリアルに意識することができない。
二、同じ「アップ」にも、変化を加えるべきである。人物一人の正面バストショットばかりが、立て続くのでは、人物の顔の描き分けに非凡な才能あるプロでない限り、幼稚な作風だという印象を与えてしまう。
三、同じ人物のアップでも、アングルを変えることができる。鳥瞰、俯瞰、あおり、ローアングル、背中、後頭部、手首だけ、靴だけ……etc.  モデル人形を使った角度別の見え方写真集も、デザイナー御用達の参考書店に、ありますよね?
四、「はなはだしい前景」と「はなはだしい遠景」をひとつのコマの中に描き込んでしまうことによって、平面の中に、かんたんに奥行きとひろがりを表現することができる。その好個の参考作品は、江戸時代の浮世絵です。
五、たまには「大きなコマ」を使い、その中に3個以上のフキダシを入れることによって、ひとつのコマの中に複数の時制を共存させることができます。台詞量が多いときはこれで流れを圧縮し、メリハリをつけ、スピード感を維持することもできます。アメコミが参考になる。
 以上をお読みになり、ぜんぜんピンと来ないという場合には、いっさいを打ち忘れ、すでにお描きになっているラフのまま、ひたすら作業を進捗させて下さい。
 なお、Google の「画像検索」の方法をご存知なければ、近くで、知っている人に尋ねてください。「湯島聖堂」「関帝廟」「道教」などのキーワードを試してみてください。そこからたぐっていけば、何でも出てくる筈です。
 それから、東京の「船の博物館」とか、大阪の「交通博物館」に行かれますと、たぶん、古い貨物船のカッタウェイ模型などが陳列されているはずです。
 また、大都会の大きな洋書専門店に行き、Ship 関係のコーナーで戦前の輸送船の写真集を捜索されては、いかがでしょうか。模型雑誌、または艦船専門誌に広告の出ているマニア向け洋書店なら、足を運んでみて損はしないはずです。
 以下、余談。
 日本の母船式遠洋捕鯨は「ノルウェー式」なのであって、明治以降の輸入品にすぎず、アイヌ人の鮭とり漁のような日本の「伝統文化」にはあたらない。
 沿岸に迷い込んだ海洋生物を六尺褌の男たちが捕獲するなら「伝統」だし「既得権」でもあろうが、遠洋に出て海洋資源をとりまくる伝統文化などは日本にはなかった。
 他国の庭先の公海でなんらかの権利を主張したいならば、その近場の他国には「どうぞ」と言わせ、他の世界の百九十数カ国(いずれも公海に対して権利をもつ)をも得心させるに足る、有効な道理の裏づけを有しているべきである。
 1850年代にアメリカ合衆国は奴隷制を容認していた。大国が自国内の人間の権利すら責任をもって保全しない、そんなおそるべき時代に、動物福祉は世界的な関心事とはなり得なかった。
 米国で南北戦争が終わると、英国でいちはやく、馬車馬のあまりな酷使のされ様に、都市民が不快感を表明する時代がおとずれた。〈人の次に、動物〉――なのは、人道の自然な進歩である。小説“Black Beauty”が書かれたのは1877であった。
 ちなみに1940の“Lassie Come Home”は米国作品であるが、著者は英国生まれであり、やはり英国での実話に基づいている。
 ヒトは、動物性蛋白質の摂取ゼロだと、健常に成長し活動することが至難に陥る。したがってヒトの生存は、太古から、他の動物を殺すことの上に確立されてきた。
 ノルウェー人アムンゼンは1911年に南極点に到達する。彼らノルウェー隊は、移動手段として犬橇を使った。往復の途中で、弱った犬は次々に屠殺し、他の犬の餌にするのだ。英国人にはこのマネができず、スコット隊は初めエンジン、ついで馬に頼ろうとして、大失敗した(全員凍死)。
 しかし、ノルウェー人であっても、西洋人には「クリーン・キル」の文化があった。人間は、必要があって動物を殺す。……である以上、その動物を殺すときには、なるべく苦しめるべきではないのだ。手際よく殺すべき義務がある。
 同時期に南極大陸に上陸した白瀬隊は、西洋人たちから顰蹙されていた。彼らはペンギンを半殺しにして放置してなんとも思っていない、とリポートされてしまっている。そしてなさけないことに、白瀬隊は、そうした流儀のどこが批判をうけるのか、感づいた様子はない。今の「2ちゃん」バカ右翼と同じ、閉ざされたローカル部族レベルにあったのだ。日本式仏教は動物に対する人道上の無関心をむしろ助長したのだろう。
 山本伊左夫師から教えを賜ったところでは、げんざいの米国各州では「大物猟」のハンターには、ライフル/ショットガンとは別に、ハンドガンの携行が認められる。しかし、ハンドガンでさいしょから大きな動物を狙い射つことは、私領地でもない限り、禁止されているはずである、と。なぜならば、エネルギーの弱い拳銃弾では、大型動物は即倒せず、「クリーン・キル」という人道上の大原則に反するからである。
 先にある都議会議員(民主党)にうかがったところでは、品川の屠場では、このクリーン・キル(対象は豚と牛)は、ほぼ理想的に達成されているようであった。しかし全国の都市と田舎を均したとき、日本の動物福祉の意識レベルが高いと、誰が言い切れるだろうか。西欧では2001年よりも前から、自分が口にしている豚肉が、はたして人道的な肥育を経たものかどうかに、高い関心が喚起されている。豚を主人公にした映画が制作されてきたのも、この運動と無関係ではないのだ。
 日本で飼い犬の扱われ方がマシになってきたとわたしが感ずるのは漸くここ数年にすぎない。以前は全国どこでも、みじめなつながれ方をしている番犬を見かけないことはなかった。(公園に毛を棄てる公共心ゼロな住民もいなかったが。)
 他人が所有し飼っている動物が、同じ社会の中でいかようなコンディションに置かれていようと、自分の目に入らず、また自分の口にする豚肉等が安ければそれで構わぬと、人道を捨象した価値判断を下しているへたれの反社会人たちが、「犬を食ってる奴らよりはマシ」だとか「ミンク鯨が減ればイワシが増えて良い」などと特亜工作員が書き込むのに喜んで便乗し、あたかも、何か勇気ある行為をしたような気になっているのが目下の段階だろう。
 最新のキャッチャーボートから撃ち出す電撃ハープーンが、すべての鯨種に対して必ず「クリーン・キル」になるという自信があるならば、「ハントの方法」についての非難には胸を張っていれば良い。しかしわたしは、この点も疑う。今の爆発開傘銛の装薬が最小限になっているのは、かつて、火薬の匂いで鯨体が広範に汚染されてしまうと、食肉として売れる分量が、それだけ減ってしまうという理由からであった。あくまで商売を優先し、クリーン・キルは二の次にしてきた歴史が、長いのだ。
 おそらく、十分なクリーン・キルを鯨に関して担保しようとすれば、捕鯨は商業ベースには乗らないのではないか。
 豪州人の反発は、人の家の庭先で、外貨に困っていないはずの経済大国がわざわざ政府の資金を投じて野生動物を捕殺させていることにある。
 不必要な、趣味的な殺しに見えるのである。それが自分の家の庭先でなされていることが、我慢ができない。
 いかにも、これが必要なのは、天下り先を減らしたくない水産庁の役人と、その予算(国費)にむらがる利権グループだけだ。
 奴隷制は19世紀の米国の伝統であった。古代ギリシャ人にとっても良き伝統だった。では、その文化を今、世界で復活すべきだと叫ぶことは、説得的に聞こえるだろうか。
 西欧人は、食肉用の牛・豚・鶏の肥育法についてすら、ドラスチックな人道化の措置を講じようとしている。普遍的価値のリーダーシップをとっているのだ。彼らは「高い食肉・卵・乳製品」を、うけいれるつもりだ。「低廉で安全ならば、畜産動物の非人道的な肥育方法は不問に附す」と考えられる日本人よりも、人倫問題のはるか先を進んでいるのだ。日本の仏教界は、21世紀にも、西欧議会よりも劣後していることが判明した。
 日本の熱心すぎる調査捕鯨の結果、商業捕鯨が万一にも認められたりすれば、人口爆発中の複数の後進国が捕鯨に参加させろと言って来る事態が当然に予想される。ことに厄介なのはシナだ。南緯50度より南の海には、貨物船は往来しない。高度の技術をもつ国だけが、軍事的に利用してきた海域なのだ。ここにシナの捕鯨船が常駐するようになったらどうなるか。世界経営に興味のある者なら、その事態のヤバさが分かるだろう。先進国でありながら後進国の先棒を担ぐ日本が先進諸国から顰蹙を買うのは理由があるのだ。
 Quit whaling immediately.


この本をおススメします!

 おととい、かの先生から頂戴した新刊『中国軍 VS 自衛隊』 (並木書房) を、本日、拝読しました。 いや、面白いですね!
 『装備年鑑』のシナ版が欲しいという方にはちょうどよいえあつらえむきな資料です。
 また、日本の核武装を研究しようという人も、これは必読必備でしょう。


先般は皆様、ご苦労さまでした。

 とにかくみなさんがお元気そうで、何よりでございました。未知の人と会うのも楽しいですね。
 向井さま。年賀状をありがとう存じます。
 ――「今年は兵頭から賀状が来ない」とご心配の方々。どうぞご安心ください。ことしは小生、まだ誰にも一枚も出しておりません。いや~、もののみごとに。
 昨年からの無精宣言がひきつづき有効? いちおう50枚も年賀葉書を買ったんですけどね。単行本を同時に何冊も書くは、雑誌記事の締め切りはあるは、子供は乱入してくるはで、暇なかったっす。
 このたびの上京ついでに、某大手雑誌の編集長と話して「やっぱりそうか」と納得したこと。みんな、自分の担当範囲で手一杯いそがしくて、他の雑誌なんかロクに読んじゃいないのですなあ。ははははは……。わたしと同年代なのにウェブもほとんど何も見てる暇がないらしいことも察しられて、ある意味、感動したっすよ。
 情報を消費するだけの人から見ると、情報のつくり手は、気になる定期刊行物は全部目を通し、人並みにテレビも視、ウェブサイトもなめつくしていると錯覚しているかもしれません。そんなことありません。誰しも1日24時間しか使えないのですからな。人と同じ時間潰しをしたが最後、その日は人とちがったものは作れん道理ですわ。
 (あと、新聞を読まないので知らずにいたんですが、シブすぎるラインナップでわたしどもをうならせていたハードカバー専門の某出版社が、店仕舞いですと? あのシリーズは、どうなっちゃうの?)