昔『MAD MAGAZINE』モロパクのあの先生、この先生はどうしてくれるの?

 政令指定都市型の巨大書店からしばらく遠ざかっているせいか、アメコミを読まなくなってしまいました。最後に読んだのが、あの『エイリアンvsプレデター』でしたから、随分以前です。
 しかし、時代の証言をしておきますが、その当時、米国の『マッド・マガジン』誌から4コマ作品のモロパクをしていた日本の作家先生がいたのを覚えています。しかも青年コミック誌で賞をとっていらした。おそらくそういうのが、古くは○塚先生時代からの日本の伝統というか、日本のコミック/カートゥーンのクオリティなんだろうなと漠然と思っていたのです。
 ばれないパクリができるというのは、すごい才能なんですよ。
 ところがさいきんは「洋書からパクる」というレベルの悪知恵すら沸かぬ若い作家が多いらしいのは驚きです。ハバーマス先生の評じゃないですが、自宅でめいめい別々な書籍をたくさん読み込んでいて、その上で特定のメディア空間に参戦する人たちが減り、終始、特定メディア上で情報を仕入れるだけで、そのなかからセレクトしてそっくりコピーをして自分の発信に充当するという大衆式パターンの「作り手・送り手」が増えてしまった。あるメディアを見ていて、世の中が面白くないなと感ずるとしたら、その一因は、そのあたりにありはしないでしょうか。
 とにかく、本を読みましょう。 


許せんユルゲン・ハーバマス(ただ言ってみただけ)

 毎日新聞が未明の3時にシナ潜水艦の「政府がとうぜん知ってはいたが敢えて公表しないでいた悪事」をネットで報道しています。
 その朝(今日です)、首相の靖国参拝のニュース。ネット報道がちょっと早かったのは産経新聞でしたが、他紙も数十分以内に配信してますから、「耳打ち」は同時だったんでしょう。
 日本と米軍はシナ軍に関しては利害が一致することを強調するとともに、シナのスパイたる害務省系の政敵に赤っ恥をかかせる。総連にも手入れをしましたし、政府の宣伝戦は絶好調ですね。持ってるカードはこの際ぜんぶ切ってくるつもりでしょうか。
 あとは任期終了の前に駆け込みで「日朝国交正常化」などといった大地雷のトリップワイヤーをひっかけないように、期待と警戒をするのみです。


監視(Watch)と「検閲(Censor)+Visilantism」の大違い

 市民的勇徳と恐怖政治とは一体だ──と考えたのが、ロベスピエール氏です。
 同氏は、フランス革命のさなか、ルソー氏(フランス人は太古には平等であったが、間違った社会をつくったせいで今は不平等になっていると18世紀中葉に考えた人)の遺した主張とはかけはなれた、恐怖政治の実践に熱中しました。
 ところがこんなロベスピエール氏は、同時に、大真面目なカトリック信者でもあったんです。
 ロ氏にとっては、古代ギリシャ式の市民的勇徳は、それだけでは自分個人の断行の支えになってくれなかった。彼には、絶対者的な何かを狂信している必要があったのです。
 それはなぜでしょうか? すでにルソー氏は説明してくれていました。人は数学や論理学の理性より以前に憐れみの心を有する。「われわれの同胞が滅び、または苦しむのを見ることに、自然な嫌悪を起させる」感性的ななにかを、先立って持っているのです(『人間不平等起源論』岩波文庫版、31ページ)。がゆえに、他者の命(自然権=人権の筆頭)をロ氏のような精力的な人でもなかなか平気では奪えないのです。
 自我ある一般人に、頭から爪先まで「聖」な者などいやしません。その「非聖」でしかない一般人が、他者の思想を偉そうに検閲することがどうしてできましょうか。
 三権分立制度によって、いかなる行動が社会人として違法であるのかを議会が定め、行政が違法行為を訴追し、司法が裁判にかける。これならば、「非聖」の一般人が他者の自然権(人権)をハンドルしても、正義が損なわれるおそれが最も少ない。過去200年間の西洋近代社会の経験は、そのように教えてくれているのです。
 さきごろ鳥取県議会で可決されたと伝えられる思想検閲条例は、法務テロリストによる日本社会破壊工作の一環なのでしょうが、21世紀の日本にゲシュタポを導入し、近代以前の「法の下の不平等」を公然と罷り通らせ、げんざいのシナや朝鮮のような三権分立も有名無実な「内面糾弾社会」にしてしまおうという、じつに大胆不敵な国家叛逆であると評する他ありません。
 そのための下ならしこそ、わたくしが前から「撤回させるべし」と主張している、全国の無数の市区議会による「非核都市宣言」だったのです。
 「自由は彼らが人間たる資格によって自然からさずかる贈り物だから、彼らの両親はそれを彼らから取りあげるなんらの権利をももたなかったのである」(岩波文庫版『人間不平等起源論』p.116)と1754年に揚言したルソー氏の勇徳に、そして古代ギリシャ市民の勇徳にも、日本の地方議会議員は、まるで及んでいない。匿名反日工作員は、日本の町人の無徳(=臆病)の弱点に、もののみごとに乗じているのです。
 人が意志の自由を失えば、もう、おのれの行動に対する善悪の判断もつきません(『社会契約論』のルソー氏の意見)。だから、16世紀カトリックの異端審問官のような、一般住民の内面の検閲は、200年の啓蒙期間を経て、近代国家ではもう誰にも認められないことになったのです。鳥取県はこれを一夜で逆行させようとしているかのようです。これが有権的に施行されるならば、近代日本国にたいする国家叛逆でしょう。
 よく、「日本人は古代ギリシャ人とは違うコミュニティに属しているから、古代ギリシャ人のような勇徳を発揮できないのは当然だ(=日本の町人らしく、戦場で戦うことを回避してもいいのだ)」と言いたげな文化人が目につきます。
 「成人の人格と共同体キャラクターは不可分だ」というのはわたくしも正しいと思いますが、日本の共同体は腑抜けの町人からだけ成っている(/いた)わけではありません。それを証明したのが「明治維新」の事歴です。町人も武技鍛錬によって武士に並ぶことができるのです。そしてそのように志す町人は常に何割かいたのです。
 戦後の公民教育の失敗は、明らかでしょう。
 いきなり「公民」をつくろうとする教育は、しばしば臆病者をつくるだけにおわります。
 勇気のための教育が、公民に必要な何かを付け足してくれるはずですが、その方法論(もっと詳細には、青年の人格を倨傲にも卑屈にもしないような武技のトレーニングメソッド)は確立されていません。
 わたくしが同和関係の機関紙に寄稿をする一方で、武士道の研究を続けていますのも、このような問題意識からなのです。


AISは漁船にも搭載しろ

 国際航海する300トン以上の船舶と、国際航海するすべての客船は、2004年から「AIS」の搭載と運用が義務付けられています。(軍艦は対象外です。)
 オートマティカルに船舶をアイデンティファイするこのシステムは、商船のレーダーや、海保の海上交通センター(これは東北、北海道には無い)の監視レーダーを補完する、頼もしい技術です。
 わたくしは沖ノ鳥島に出かけたときに、ブリッヂでこのシステムを見せてもらいました。肉眼では見えない距離で針路が交差しているコンテナ船から、自動的に信号が入ってきて、その船名、船種、位置、速力、針路、目的港などがディスプレイ上に文字表示されるのです。
 ですからこの前、ニュースをにぎわせていました、釧路の漁船に当て逃げをしたイスラエル船籍のコンテナ船の同定などは、おそらく釧路の漁港近くに泊まっている巡視船のブリッヂにおいて、ほぼリアルタイムでAIS情報から容疑船を絞り込むことができたはずだと思われます。
 このAISは、どうも高額なシステムであるためにGPSのように一挙に普及しないようなのですが、日本の漁船にはすべて(低廉な簡易版を開発して)搭載させるべきでしょう。万一、大型船のレーダースクリーン上で見過ごしてしまいそうな背の低い漁船でも、このAISがトランスポンダになりますから、「いちおう見張っていたが、気付けずに衝突した」といった事故は(当直員の本格的居眠りのケース以外は)ほとんど防止できるはずです。
 ヨットやプレジャーボートや遊漁船は外航船からぶつけられるシチュエーションになりにくいと考えられます。まず、漁船にとりつけることです。
 この措置による副次効果は、北鮮のスパイ船が日本漁船に偽装することを不可能にし、シナや台湾の密漁船も巡視船が遠くから見当をつけることができることです。敵味方識別装置のIFFのような機能を果たすわけです。


捏造鑑定という分野

 わたくしは狩猟民的な性格をしているのか、他の人の選んだ「猟場」にはあまり関心が高まらず、興が乗りません。昔から感服するような仕事ぶりで定評ある方が、今はあるテーマに本腰を入れて取り組んでいる──と聞いたら、それだけで、もうそのビジネスには敢えて足を踏み入れない。本能的にそのようにして参った場合が多いのです。
 誰もやってない仕事だから男一匹やり甲斐も出るじゃないか。なぜ他人とつるむ必要があるのか……と。
 しかし特定アジアのブラック・プロパガンダに対する日本人としてのカウンター・プロパガンダの言論、こればっかりは、そんな余裕たっぷりの敬遠をしていられないのだなーと気づきましたのが、漸く最近です。どうも敵の人数が多すぎて、討匪隊の人手不足だったのですね。わたくしはとっくに人は足りていると思っていまして、これまで東中野修道先生の御著書なども購読をしていませんでした。なにせ貧乏でしたし……。スマンです、正直。
 東中野先生といえば、英語で論文を書き、アメリカの大学で授業もなさっておられた、偉大なご経歴の碩学。この方がシナの捏造写真を仔細に解析され、外国の文献を精査され、虚偽を暴き、存分に日本のための弁駁を展開したと各誌の「書評」欄で承知出来ましたから、わたくしなどはこの件はパスだと思っておりました。
 ところがシナのプロパガンダに対抗する仕事を日本害務省がサボりまくっていた、といいますかそもそも外務省の役人がシナの手先であって贋の「負債」をせっせと北京の口座に積み上げるのが使命と心得ているのですから、カウンター・プロパガンダの仕事はほとんど片付いておらなかったのであります。
 さいきん、ついにわたくしは『南京事件「証拠写真」を検証する』(2005-2草思社)を購入しました。それで、気付きましたことを二、三述べましょう。
 135頁に、ゲートルの男が刀でシナ人を斬っている構図の写真が掲げられています。これにつきまして執筆者である東中野氏のグループは「靴の真下の影」の解析から、「写真の季節は冬ではない」とコメントしています。
 待った! その前に書くべきことがあるんじゃないですかい、ダンナ!
 この写真は、当時のカメラの性能からしておかしいし、「おためし物」、つまり首切り刀術の常識からも外れていますよ。
 まず斬首の瞬間の日本刀は、戦前の普通のフィルム(ASA値が小さい)とレンズ(f値が大きい)じゃ、まず止まっては写らないのですよ。ガラス板とピンホールカメラで撮影した風景は、絞りまくって長時間露光ですから、近くから遠くまで良くピントが合いますが、その代わりに、撮影途中で動いた人は透明人間になります。それと同じです。昔のカメラのシャッヌースピードでは、手元から刀の先まで、しばしば消える。そしてその軌跡の向こう側の風景には「陰り」がかかります。
 検閲でもないにもかかわらず、シャッタースピードが遅くて刀と手元が消えてしまっている斬首写真の例としては、月刊『戦車マガジン』に昔(兵頭の在籍中)、「絵葉書は語る」とかいう私的企画のコーナーがあって、そこに、昭和7年の長春で撮影された「馬賊の斬刑」という写真絵葉書(東京神田千鳥印製の未使用品だが写真サイドに記念スタンプあり、神田の古本屋で入手)を122%の大きさでノートリム掲載しておきましたから、是非、比較のため御覧ください。
 次に、斬首人の右足と、受刑者の首の「水平距離」があまりに離れすぎています。これでは「物打ち」が受刑者の首に当たらないでしょう。
 もう一枚、161頁の銃剣刺突の場面ですが、これは旧軍人が見たらいっぺんでシナ人の演技と分かります。刺殺対象に向かって上体が猫背に前傾しており、右肱は下がりすぎており、既に左腕が伸び切っているのに、右足は曲がっている(まっすぐ伸ばして地面を撞木に踏んでいなければおかしい)。こんなヘロヘロ屁っ放り腰の「直突」は帝国陸軍では新兵さんでもようやりません。
 カウンター・プロパガンダでは「書き過ぎ」に注意しなくてはいけません。合理的な疑いを読者に抱かせたら、そこで止めるべきなのです。書き過ぎが、こちらの説得力をブチ壊しにしてしまうおそれがあるでしょう。
 166頁の斬首写真について「このように撮影者はそのすぐ前で撮せるものだろうか」とコメントしてありますけれども、ロングで撮った紙焼きの天地左右をトリミングしている可能性大ですね。
 また「肘の部分だけを縛り、真後ろから紐が引かれている。これでは上半身が自由になり、首が固定されないため斬首は難しい」とも書いてありますが、逃亡便衣兵はゲリラと違い、諦めの早い者もいるでしょう。


組織の長が昔の組織員を讃える=日本の古俗

日本の内閣総理大臣は自衛隊の最高司令官です。
 軍人に戦死の危険を冒すように命ずる立場の公人は、戦死した昔の軍人に敬意を払わないでは許されません。というのは、軍隊は、文字通り、過去の戦死者とともに戦闘をするからです。敵国は、日本の過去の戦いぶりから現在の強さを判断するからです。すなわち国防は、過去の戦死者とともになされるもの。過去の戦死者たちが、現在の兵隊と指揮官を護り立ててくれているのです。
 民本主義の国民国家では、成人のすべての国民に「国防の義務」があります。したがって日本の内閣総理大臣にも靖国神社に公式参拝する道義的責任が当然にあるでしょう。この道義的責任を当然と感じない内閣総理大臣は、すでに国防軍の最高司令官であることを放棄しているも同然であり、国防の義務を果たしていないどころか、自国軍人の士気を低下させ、日本の国防をまさに危うくしている「スパイ」なのです。
 すなわち「靖国神社に公式参拝しない」と言明する首相がもしいたら、その首相こそ、憲法違反の存在です。西村代議士の口ぶりを借りれば、「狙撃」されても文句は言えないでしょう。
 「国防の義務」はマック憲法に書かれていません。むしろその逆のことが書いてある。このことから、マック憲法そのものが「違憲」なのだということが直感的に把握できない人は、たぶん近代国家の法律家としてのセンスが乏しいのでしょう。それでも試験巧者であれば、法曹人にはなれる仕組みとなっている。日本の法運用は「大陸法」の悪い見本ですね。
 憲法とは紙ペラに書かれた文章ではありません。
 たとえばマック憲法には「日本国民の公式用語は日本語とする」という規定はないでしょう。しかし日本のすべての法律は日本語で書かれていると皆が思っています。これは日本語だと。それを日本人は歴史的に当然だと認めている。
 「日本人の国民名は『日本人』とする」などと紙ペラ憲法で規定する必要もなさそうですね。日本人なら誰も疑義をさしはさみません。それだけ日本は歴史が重い。他所の軽い、蕪雑な国々とは違うわけです。
 歴史に根ざし、紙に書かれるまでもない「不文の憲法」の方が、じつははるかに重いのだという常識が、このような日本語/日本人規定からも再認識できるでしょう。
 大阪その他の高等裁判所に巣食うドアカの判事が、「原告のムチャクチャな訴えはやむをえずして退けるが、自分たち反日マルキストが大いに主張したい工作の宣言はキッチリさせてもらうわい」というテクニックを行使し始めてから、もう何年になるでしょうか?
 これらスパイ判事どもを随時に国民投票によって高裁判事の座から逐えないというのも、じつはレッキとした憲法違反状態です。そういう訴訟をどんどん起こさねばなりません。さもないとアカの反日工作員は休止するところを知りません。
 「確かな右翼」の法律事務所も、日本には必要ですね。

 



お知恵拝借:「良文献」リサーチ中!

 これは前に雑誌でも少し語りました。
 米国内の識字階級向けに、シナの反日謀略宣伝を打ち負かすカウンター・プロパガンダを、堂々と英文HPで展開しなければならぬ、と。
 じつは今、そのプロジェクトが、某翻訳会社の肝煎りにて、立ち上がるきざしがあります。詳細はおって明らかになるだろうと思いますが、現在は予備調査を少々やっておかなければいけない段階です。
 それで皆様のお知恵をお借りし度いと存ずる次第です。
 目下の探し物は、「支那事変の真実を米人に手短に得心させるのに適当な、日本語で書かれた良い文献」です。そのような文献は、どこかにないでしょうか? 単行本、論文、新旧等は問いません。
 情報をお持ちの方は、掲示板に書き込んでください。そのさい、できれば、「解題」付きで推薦していただけると、係りの者がその価値を判断するのに助けになりましょう。
 なお、東中野先生や別宮先生のお仕事はすでにリストにありますので、それ以外で、ご推薦ください。
 書き込まれた文献情報は、逐次、係りの者がリストに加え、これからの「事業」の参考にします。


気どられるなっ

 ベビーカーに子供を乗せて外出すると「外気浴」とか言って、良い気晴らしもになると思うんですが、女というやつは、そこで念入りに「準備」をしてしまうんですよね。
 男だか女だか分からぬ日常のベビー服を他所行き用に着替えさせたり、自分が着替えたり。おまえ、それヤメレと。
 そうやって親が「いそいそ」としだすと、生後1ヵ月の乳幼児といえども、雰囲気の変化を敏感に察して、不安になったりするわけですよ。不安になると、乳幼児は泣く以外に意思表示はできないわけですよ。
 何の準備もせんで、パーっともう出て行ったらいいのですよ。プロはそれができてプロなのですよ。そうしたら子供もアーウーとうるさく泣きはしないのです。何も分からないうちに事が終わる。
 わたくしは中学〜高校と実家の屋内で小型犬(雑種・牝)を飼っていたから、よく知っているんです。犬といえども、「この飼い主は今から自分を散歩に連れ出そうとしているな」と、人間様の心を読み、目を合わさないのにテレパシーで覚るわけです。するともう、寝ていたやつが起きだしてきて、もう玄関の内側のタタキでくるくる回って、ワンワンギャンギャン、わんわんぎゃんぎゃん、わんぎゃん戦争〜! ……みたいなことになってしまうわけです。たいへん手間取るわけです。
 犬が「えっ、まさか今……」とあっけにとられているタイミングで、紐をスパッと装着して、バーッと寝巻きにどてらのまんまで「余に続け!」とドアを開け放ち戸外に飛び出していくのでなければ、これは成功しません。これが出来てプロの飼い主と申せましょう。
 そこでサマワの陸自ですよ。
 彼らにプロらしい撤収はできるか? これには障碍があります。資材など一切は、現地に潔く捨てて、サクッと立ち去らねばなりません。名残を惜しんではいけない。何の事前の準備もやってはいけない。それをやると、犬より敏感なテロリストどもに気取られて、待ち伏せされてあぼーんです。撤収こそ、電撃的、奇襲的、不意急襲的でなければならない。
 「秋の大運動会+カラオケ大会をやりま〜す」みたいな前宣伝をして、その準備をしているフリをして、直前に消える。地元民が弁当もって運動会場に歌詞カードを握り締めつつひしめいて、ステージに目を凝らしているその最中に、ヘリとC-130で離脱。「ハハハハさらばだ諸君」と上空から声……。こうでなくちゃいけません。
 ところが防衛庁も役所だから、資材を捨てるのは会計処理上問題があるとか、そういうことを言い出しかねない。そうなったら、もう撤収はできない。永久に釘付けですよ。
 竹下勇という海軍大将が、ポーツマス会談のときの小村寿太郎を讃えています。とにかく用意周到、いつでも訓電一本で即、会議を切り上げて帰国する準備を整えていたと。洗濯物などはホテルにそのままにして、手荷物はボーイに後送させることにして、パーッと全員で帰国してみせる肚だったと。
 だから女はこういう折衝の全権にはなれない。洗濯物を放置したままチェックアウトできなければダメなのです。
 こんどの六カ国協議でアメリカ代表はそれをやるつもりだったのかもしれませんが、事前にそれを漏らして交渉材料にしようとしたのが愚かです。シナに見事に返し技され、一本負けのようです。小村は偉かったですね。比べて今の外務省は……。
 さて、買ったきりで長い間、積んであるだけの1冊に、中田一郎訳『ハンムラビ「法典」』というのがあるんです。
 この最初の数ページ目(までしか読んでない)で分かったのは、古代バビロニアでは、捕虜を獲得するための「会戦軍」と、捕虜を後送するための「占領管理軍」が別建てになっていたらしい。
 イラクに必要なのは「占領管理軍」でしょう。自衛隊は「会戦軍」です。


この日本にゃ昼間から麻薬吸ってフラフラしている若者は一人もいねえんだ!サイン汁!

 このマスコミ種日照りのタイミング、それも翌朝のワイドショーには間に合うタイミングでハイな元民主議員の逮捕ですか……。
 片岡先生が「どうも小泉氏の政策アドバイザーが謎だ」と前に書いてましたが、超有力な演出家さんが警察方面から来てらっしゃることはもう間違いなさそうですね。ウマすぎる。タイミングが。
 選挙前にパクらせなかったってことは、自民党の敵対派閥にもいるんでしょう。ひょっとして、これで脅そうっていうんでしょう。
 さすがですよ。ショーの続編を期待します。
 ところで昨日は「友引」でしたか? 最近のカレンダーにゃ載ってないもんで……。


まさかF-15はB-2とニアミスしたんじゃ……?

We Won’t Wait! ──俺たちゃ、もう待たねえ!
 ……と民主党所属の国会議員連は叫んでいるようであります。
 ドライブ感ある小泉政権のテレビ演出に対抗するには、のんびりしたことは言ってられなくなった。「5年後では遅すぎる、明日だ、いや、今日からだ!」というわけでしょう。……たいへん結構な心意気です。
 憲法9条改正? 大いにやって貰いましょう、前原さんに。
 兵頭は「廃憲」論者ですから、どのグループが「改正」するという内容にも「激しく同意」はできないんです。残念ながら……。
 そもそも国民国家が民本主義で行くということは、成人国民にはおしなべて「国防の義務」がある。これはもう不文憲法なのです。憲法の精神です。
 具体的には、徴兵されずとも徴用されることは当然にあり得る。
 この「国民の国防の義務」を「改正9条」において盛り込めるのかといったら、やや無理なんじゃないでしょうか?
 しかしそれでも「9条改正」を前原さんがブチ上げることには大賛成です。
 自民党と民主党がもしこの一点で合意できるなら、もう公明党は必要ないですね。
 この改正審議を通じて、前原民主党は、党内のマルキストの追放に成功するでしょう。また、次の安倍氏以降の自民党からは、シナの工作に負ける連中が党を割って出る。やはりこのように分裂するのがスッキリする。
 その残ったパーツ同士、合体して「日本まとも党」が誕生する、という未来コースだってあり得るわけですよ。
 9条改正案と一緒に、防衛庁の国防省への昇格案をブチ上げとけばなお良いでしょうね。
 「庁」にも捨て難い味わいはあったんですが、国内外において、外務省と対等の扱いを受けられない今のままでは、自衛隊の中にインテリジェンス・ピープル(二重の意味で)がさっぱり育ちません。それじゃ、日本国がシナの工作に対抗し、米英に伍して生きることは不可能です。害務省を廃止するためにも、これは必要です。