(2004年12月5日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)
report 4:S/Y 様のレポート

大分県中津市奥平神社の正面に奉納されてる物です。
高い所にあるのでこれで精一杯!
(2004年12月5日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)
report 4:S/Y 様のレポート
大分県中津市奥平神社の正面に奉納されてる物です。
高い所にあるのでこれで精一杯!
(2005年3月21日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)
report 3:Masato-Shit 様のレポ-ト
28cm砲弾(?)の全景(全周同じ状態なので、この一葉のみ)。銅帯の「ど」の字もありません。よ~く見れば、胴体上部には銅帯(溝)の痕跡のようなラインが看て取れますが、弾底部は見事に真っ平らです。表面は全面防錆塗料。背景の建物は、短SAM整備工場(!)
全長測定。メジャーを持つのは、駐屯地の広報担当Y氏。
「画像2」の接写。1m越えてます。ナんぼナんでも、15cm以上も誤差が出るなんてことは考えられませんが(喜久一丸稲荷レポートを参照)・・・。
全周測定。(メジャーを持つ手はY氏)。ドンブリ勘定ですが、28cm砲弾ならば、全周は88cmになるはず。測定誤差を勘案しても、この砲弾、太すぎます。
結論。この砲弾は、旧軍の28cm榴弾砲のものではない。少なくとも、喜久一丸稲荷に在るものや、「日本の大砲」に写真が掲載されているものとは、別種である。
米軍の1t(2000 ポンド GP)爆弾。Y氏によると、守山駐屯地の武器班が処理した不発弾とのこと。原型を留めている貴重な現物資料・・かと思いきや、これほどの大型爆弾は、近隣の被害を考慮して、不発爆処理は行わないそうです(守山の武器班担当氏による)。上部のリングは、Y氏によると、後から取り付けたもの。
12吋砲弾。以上三点は、いずれも守山の部隊が処理したものを、春日井に持ってきたそうです。しかし、その時期等は守山でも把握していないようです。この三点、Y氏によると、駐屯地では誰も関心を持たないどころか、完全な邪魔者扱いだそうです。マスコミも、数年前に、地元紙が終戦関連企画のためにか、取材に訪れただけだそうです。むしろ、基地祭を訪れた戦争体験者が「こんなのあったんか」と驚いた顔をするとか。
爆弾の弾頭部接写。
付記
防衛庁 url: https://www.mod.go.jp/
一応、事前のアポをお忘れなく(一名ならば、当日でも可だそうですが)。尚春日井は、現在隊舎の引越し中とのことで、見学を断られる可能性があります。
wwwサイト「帝國陸海軍 現存兵器一覧」http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/list.html に、若干の記事と画像があります。
(2020年2月 管理人注:当時は防衛庁でした。URLは管理人が変更しています。)
(管理人 より)
これらのレポートをサイトで応募してもらっていたのである。今にして改めて思うがこの方々、凄くね?
28榴弾写真置場──虫のよいお願いシリーズ、其の二[堅鉄榴弾] より継続
(2005年3月12日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)
report 1:Masato-Shit 様のレポート
この面の銅体は、完全に減失していますが、溝部には銅サビ(緑青)がべっとりと付着しています。弾頭のコーン部と円筒部分との境界部には、接合跡(?)があります。溶接跡のようなハッキリした盛り上がりがあり、少なくともワンピース削り出し、あるいは一体鋳造には見えませんでした。
(いずれにせよ旋盤仕上げ加工を行うはずですが・・・)。
なお、胴前部の銅帯溝にある白いものは、鳥のフンです・・・。
こちらは日光が当たる面のためか、赤サビがひどいです。しかし、銅帯が一部現存しているのがわかります。
縁が丸く画取り加工されており、巻尺がうまくかかりませんで、定規と相成りました。中央の穴は信管穴。その上の突起部は、掲示板の投稿で触れた「リング」(左手で隠れている部分にもう一つあり)。
これがホントーに妙なシロモノで、他のものがもげた形跡は無いし、後から取り付けたにしても用途不詳、意図不明です(二つのリングの穴が指し示す方向は、一直線上あるいは平行関係にはない)。吊下用にはそもそも小さすぎるし・・・。
280ミリ以上ということは無さそうです。
防錆のためか、黒い塗料が厚く塗られております・・・?
しかし、銅体がガスシールのためならば、この形状もナゾです。まさか、散弾銃のライフルスラッグではあるまいに・・・。
黒塗料の下に、緑青がうかんでいます。
ねじ山はサビて、蛇腹ホースの内側の如し(?)です。縁の
加工からすると、信管は皿ビス様になっており、ねじこむとツライチになるのでしょうか?
全文は以下のとおり。
奉 納
明 治 三 十 七 八
年 日 露 戦 役 於
旅 順 港 内 敵 艦
バ ー ヤ ン 命 中
我 軍 二 〇 〇 山
高 地 射 砲 二 十
八 珊 砲 丸
呉軍港廻航記念
元海軍○信○兵曹
勳七等矢木野新也
※原文旧字縦書、改行ママ。○は判読できず。なお、「矢」は「大」の、「木」は「水」の可能性あり。)
寸法を計測し忘れました・・・不覚!
欠損が見えますが、たとえ完全でもせいぜいが+10ミリでしょう。パーテーションラインは見当たりません。
計測値は下図のとおりです。(手描きですみません・・・)
スケールはほぼ1/10ですが、あくまで模式図ですので、形状の正確さは
保証できません。また、数値が食い違っている可能性もあります。御了承を。
全長(A-H) 835mm
弾長(A-G) 800mm
弾径(I-M) 274mm
信管穴径(K-L) 38mm
胴部溝幅(C-D) 9mm
弾底溝幅(E-F) 30mm
テーパー部(A-B) 321mm
信管穴加工(J-K) 12mm
付記:ご参考までに。
垂井町 http://www.town.tarui.lg.jp/
タルイピアセンター http://www.town.tarui.lg.jp/docs/2014121200049/
タルイピアセンターは、毎週月曜日及び月最終木曜日休館です。町立図書館が併設されているようです。また、学芸員が在籍しています(但し、電話で話した限りでは、現地を訪れたことは無い様ですが)。
※「垂井の文化財 第23集 (1999)」 p63~64 大岡明臣氏の記事によりますと、奉納譜の末二行は 「元海軍一等信号兵曹 勲七等 水野新也」となるようです(但し、この場合字数が足りませんが)。「矢木野」「水野」ともに地元にはよくある姓のようです(特に、前者は以前町長がでているそうです)。「不破郡史 下巻」によると、日露戦争の出征者に、前者に該当する名前は見出せませんでしたが、後者は、「会原村 歩一 勲八 水野新也」の名がありました(p110)。しかし、この人物は所属も勲位も食い違っております・・・
※管理人注 垂井町・タルイピアセンターのURLが投稿当時とは変わっているようですので、管理人が変更しています。(2020年2月)
(2003年8月22日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)
report 2:読書公社 様のレポ-ト
実測値表
1:820mm
2:30mm
3:30mm
4:14mm
5:364mm
弾底部の外周長は874mm(”2”部分で測定)
1:275mm
2:39mm
1:430?mm
弾底部のリング(腐食変形しているのでおおまかな値です)
1:内径:42mm
2:内径:18mm
奉納
明治三十七八
年日露戦役於
旅順港内敵艦
バーヤ ン命中
我軍二〇〇山
高地射砲二十
八珊砲丸
呉軍港廻航記念
元海軍一等信號兵曹
勳七等矢木野新七
砲弾弾底部の二つの「リング」の謎について────「戦場写真で見る日本軍実戦兵器」(あの悪名名高き「G」出版の本です。)で謎が解けました。日露戦争の旅順攻略戦で活躍中の28センチ榴弾砲の写真が載っていました。そこには、砲弾も写っていました。まさしく神社で撮影した砲弾と同じ物が写っており、「謎のリング」も弾底部に付属しています。と、いうことは神社の砲弾は間違いなく、旅順攻略戦で使用された砲弾だと思われます。写真からは、リングはクレーンで装填する時に使用されているように見えます。ミリオタ的、重箱の隅的な細かい問題でしたが、ご参考までにご報告いたします。
(管理人 より)
このレポートをいただいたのも、もう15年以上も昔の話になりますか……。時間の流れは恐ろしいものです。改めて、ありがとうございました。
2020年2月
(2003年8月9日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)
(兵頭二十八先生 より)
皆様、暑中お見舞申し上げます。
現在わたくしは、帝国陸軍が明治37年に内地から旅順へ持って行った「28cm榴弾砲」から発射された「堅鉄榴弾」についてできるだけ深く広く調べようとしております。
それで岐阜県のお近くの方にお願いがあります。
インターネット情報によれば、不破郡 垂井町 東2丁目 の「喜久一九稲荷神社」の境内に、旅順で鹵獲し日本まで回航してきたロシア軍艦『バヤーン』の船内から2発発見されたという(おそらく不発の)28cm砲弾のうち1発が展示されているとか。
まことに勝手なお願いですが、この砲弾のディテールを、できるだけ鮮明な写真に収め、それをこのサイトの一隅にて公開して戴けないでしょうか?
そのさい、次のリクエストがあります。
一、他の砲弾との間違いでは絶対にないことを確実に承知するため、直径、銅帯のない胴中の外周長、全長を、それぞれ実測してみてください。
二、弾底信管の螺部分の大きさが精密に分るように、そこに巻尺/モノサシを当てた写真も撮影してください。
三、弾頭部分に何かネジこまれていないかどうか、クロースアップもお願いします。
この三つ目のリクエストの意味は、「28cm砲弾」にも数種類があって、弾頭に信管のついているものは、旅順で発射された「堅鉄榴弾」ではないのではないかと疑われるからです。
じつは函館の「船魂神社」にも、函館要塞の重砲連隊が大正時代~昭和前期に奉納した28cm砲弾が現存するのですけれども、これは弾頭に信管のようにも見えるものがネジ止めされています。(ちなみに砲弾の外肌は赤錆びてはおらず、ナマリ色で、これは「一号釜石鼠色銑」、つまり南部鉄の鋳物であったという情報に合致するかもしれません。)
この他、大連の博物館にあるというタマも、インターネットの写真を見るかぎりでは、明治37年に旅順で撃った「堅鉄弾」ではないのではないかという疑問が湧くのです。(日露戦後に旅順要塞の主となった重砲兵部隊が持ってきた、普通の榴弾、あるいは榴霰弾ではないか?)
他にも、「近くの神社に直径28cmの砲弾がある」という情報がございましたなら、この掲示板にご一報くださいますと幸いに存じます。
28榴弾写真置場──岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾のレポート(report 1・2)
28榴弾写真置場──大分県中津市奥平神社の正面に奉納されてる物(report 4)
(2007年3月24日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)
これが現存する旧陸軍の迷彩ペンキだ!
(兵頭二十八先生 より)
ここに掲げる写真は、函館市浜町の戸井高校(浜町717番地)のグラウンドと、公営住宅戸井沢団地(浜町921番地3)の間の雑木林にある、第二次大戦中の旧陸軍のコンクリート要塞の一部である。撮影DATEは、根雪が消えた直後の快晴日、2007年3月22日だ。
2007年5月の函館ツアーでは、この珍しい遺跡にも、皆様をご案内するつもりである。
現地は、汐首岬の、やや恵山寄り(太平洋寄り)に位置する。函館空港からは自動車で片道25分くらいなのだが、現地人の案内人なしでは、到達は至難だろう。
なにしろ日教組最後の牙城とされる北海道では、こうした旧軍施設は教育界の研究保存対象としては意図的にスルーされている。現地に行っても見事に何の案内表示も無いし、観光ガイドブックに紹介されたこともない。
汐首岬は、青森県の大間崎との距離がもっとも近い北海道の陸地だ。ここが、津軽海峡の太平洋側入り口のチョークポイントに当たっていた。そういう場所には、必ず要塞砲が置かれたのである。
現在、この戸井要塞の砲台跡などは残っていないようだ。残されているのは、兵員の棲息部だと考えられる。
とにかく塗装が貴重だ。対米戦争中の旧軍の迷彩塗装がそのまま残っている。しかしこれも、やがては時間とともに失われることは確実。よって小生は奮発してデジカメで撮影した。ツアーご参加の皆さんも、どうか高性能デジタル写真でこの色を永久に保存してやって欲しいと願うものであります。
なお、現地に通ずる国道278号は、有名な「廃線」跡に並行している。
函館市内から戸井要塞まで、旧軍は鉄道を繋げるつもりで、海岸に沿って、トンネルやコンクリート製アーチ橋をいくつも建設したのだ。だがそれは終戦までに間に合わず、けっきょく計画は放棄された。そして、トンネルと鉄道アーチ橋だけが、海岸に沿って、今も点々と残っており、道路から間近に、よく見えるのだ。
例によって函館市は、この旧軍の近代遺産を、観光資源としては宣伝したくないらしく、観光ガイドブックにもほとんど紹介は載っていない。地元民も、それが何だかよく知らないのだ。
ツアー参加者の中に、もしも熱心な廃線マニアがいれば、帰路の途中、その見学のための便宜も図りましょう!
あと、観光名所となっている「元町公民館」を「お約束」として正規コースの中にてご案内致す予定ですが、もし、〈そんなものよりアイヌ人の武器が観たいのだ〉という方がいらっしゃれば、オプションとして、バス駐車場からすぐ近くの「北方民族資料館」を御覧いただけます。離頭銛、弓、矢、各種刀剣、木製制裁棒などの珍しい実物が展示されています。(残念ながら館内は撮影禁止です。)
さらにまた、同じ時間を利用するオプションとして、これまた公民館から近い「船魂神社」の庭にある28センチ榴弾(砲ではなくタマ)に触りたいという方がいらっしゃれば、やはり、ご案内可能です。(北方民族史料館と船魂神社の両方を見学することはできません。方位が逆ですので。)
では、皆様、5月19日にお目にかかりましょう。
☆☆☆平成19年5月19日~20日の函館・江差方面軍事史探訪ツアーの詳細は、下記までお問い合わせ下さい。
日本エアービジョン株式会社 担当:浅田均
〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目3番先 北有楽ビル1階
電話:03-****-****
(2020年2月:管理人の判断で電話番号は伏せています)
(管理人 より)
近代から現代の歴史を丸ごと満喫する北の大地ツアー『歴史パノラマ探訪iin北海道』──かつてこんなイベントが企画されたのである。
一体何人集まったのか、私は知らない。行ってみたかったが行けなかった。
(2020年2月)
(2007年3月頃に最終更新された旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)
(兵頭二十八先生 より)
函館山要塞が残した28cm砲弾
一連の写真は、函館山の麓にある「船魂神社」境内の池の脇に、半没状態で安置されている1発の28cm砲弾を、全周アングルからしつこく写したものである。撮影は、2003年7月の下旬だ。
まさにその1ヵ月ほど前、HTV(北海道テレビ)のスタッフが、物好きにもこれを掘り出して全体を撮影していったらしい。しかし私が訪れたときは、はやこの原状。
1発217kg(もし発射直前状態の堅鉄榴弾であったならばの話)もある砲弾だ。とても「ヨッコラショ」と抱え上げ、弾底などを観察するわけにもいかなかったのであった。
だが、私はこの砲弾を見るや、『これはいかぬ』と内心思ったのである。なぜなら、ご覧の通り、先端に信管のようなものがついている。尖っていない。
これは、アーマー・ピアシング用のタマではない。つまり旧陸軍で「破甲」と称し、海軍では「徹甲」と称した榴弾とは、別物だと知れたからだ。
コンクリートや鋼鈑を貫通しようというAP弾は、弾頭を少しでも頑丈にしておくために、信管のための孔を弾頭に穿ったりはせぬものなのである。もしそんなスキのある構造にしていたら、弾殻が衝突の瞬間に自壊してしまいかねないだろう。
すでに優秀なるインフォーマー君によってUPされている岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾の写真と、よく見比べて欲しい。実際に軍艦に撃ち込んだタマは、先端が尖っていたことが分る。これぞ、私がとことん仔細に調べたい、当時のホンモノの堅鉄破甲榴弾だ。
さて、ならば、破甲榴弾でないならば、船魂神社に置かれてあるこいつは一体何のタマなのだ、と問われると、とても困ってしまう。
それは、目黒の防衛研究所の戦史部図書館に出掛け、タイトル中に「重砲」「弾薬」などとある所蔵史料を片端からめくっていけば、必ず図面付きですべて分ることなのである。
が、その図書館に日参していた頃、この兵頭は、正直、有名すぎるこの28cm砲などに深い興味は抱かなかった。だから、その貴重な記述を見かけても、まったくメモ帳に書き取っておかなかったのだ。
そこで関東在住の奇特な方々に呼びかける。誰か、目黒に行って、それを調べて来て欲しい。そして、そのリポートを当コーナーにUPして欲しいのだ。
たとえば、最大射距離で発射したときの弾道の最高点は、本当に地上5000mくらいだったのかどうか、などだ。
このコーナーは、世界で唯一の「28cm榴弾の写真博物館」にしようと、密かに私は目論んでいるのである。
というわけで、愛知県の陸自の春日井駐屯地内にあるという、先の尖った28cm砲弾も、誰か撮影してきて欲しい。
また、青山墓地などを仔細に探険すれば、きっと28cm砲弾が飾られている墓がある筈である。誰か網羅的に探険してリポートして欲しい。尚、くれぐれも「墓あらし」にはならないように。
大連の戦争記念館にあるという28cm砲弾は、インターネットの公開写真を見れば、どうも先端が尖っておらず、船魂神社と同種の物であるように見える。
つまり、それは古戦場から掘り出したものではなくて、日露戦争後に旅順を守備することとなった、日本軍の重砲兵連隊が、教育用か何かに用いていたタマなのだろう。
ついでだから念を押しておくと、ナントカ群像というムックの舞鶴要塞特集の中
で、28cm榴弾砲をクルップ製であるかのように書いているのは、ヘンな話だ。この大砲がどこ製であったのかは、拙著『有坂銃』をお読みの貴男には今更説明する迄も無かろう。
函館山要塞は、28cm榴弾砲を尾根線にズラリ並べた要塞として、明治31年6月起工、明治35年10月に竣工している。(日清戦争の賠償金を活用したという。)
その放列の跡や弾薬庫などは比較的良好に、今日でも保存されているのだ。(観光ガイドブックに載っていないだけで、ロープウェイ山頂駅から歩けば誰でも苦もなく見物ができる。夏場は雑草もちゃんと刈ってある。さすがに冬の除雪はしていないが、通行は可能。)
ところが、その放列から最も近い対岸となる青森県の大間岬まで、だいたい距離にして30kmもある。28cm榴弾砲は、日露戦争当時から綿火薬を装薬としているが、最大射距離は7650mしかない。(同砲には最短射程限界もあり、それは1500mであった。)
津軽海峡が最も狭くなっている「汐首岬~大間岬」間でも、直線距離で20km近い。
つまり、とうじの要塞の数的主力であったこの榴弾砲を仮りに両岸から射ったとしても、津軽海峡の中央までカバーできなかったわけである。
こんなところからも明らかに、函館山要塞は、「北海道全体の弾薬庫」と位置付けられていた函館地区を、敵(ロシア)の上陸占領の企図から防衛するための備砲陣地であったらしい。
さすがに遠隔地なので、この要塞の榴弾砲が明治37~38年に山東半島や満州に持ち出されることはなかったが、有り余る砲弾を弾庫から取り出して旅順に送っている。
ちなみに、旅順を砲撃した計18門(三度に分けて6門づつ運送された)の28cm榴弾砲は、いずれも東京湾か由良(瀬戸内海)の要塞から外して持って行ったものばかりであった。
28cm砲弾は、旅順戦で少なくとも二千数百発が発射されている。これらは内地で新たに増産したのではなく、すべてありあわせをかきあつめてそのまま送ったタマ。
ただし、弾底の信管だけは交換した。
(日本の要塞内では、28cm榴弾砲の砲弾と信管は、別々な場所に保管してあった。即応分だけが、初めから結合されて置いてあった。)
日本の28cm榴弾には信管が2種類あった。ひとつは遅滞爆発するもので、海峡を通過する軍艦に上から命中させ、当時はまだロクに装甲されていなかった甲板を40度以上の大落角で貫いて、艦底近くで炸裂するように考えたものだ(明治31年刊『砲工学校砲兵要務教程 海防戦之部』)。
この対軍艦用の信管を、陸軍省は、大阪砲兵工廠に集めさせ、そこですべて「遅延装置」を外させてから、旅順に送らせたのだ。この命令書は残っている。
ただし砲弾は、そのまま各地の内地要塞から旅順へ直送させたものと思われる。それは何を意味するかといえば、内部の炸薬(なんと黒色粒薬がタッタの9.5kg、ちなみに2尺玉の花火には黒色粉薬がちょうど80kg使われている)を、たとえば黄色薬(ピクリン酸、海軍の下瀬火薬と同じ)や綿火薬には、敢えて詰め替えしなかったということだ。
そこで改めて弾底信管の直径にご注目である。AP弾は孔は弾底にしか開いていない。(リフティング・アイは、孔にはなっていないだろう。)
この小さな孔から、黄色薬を詰めた紙袋(ピクリン酸は金属に直接触れると変質し、クラッカーボールのように鋭敏化して甚だ危険なので)を詰めるなんて、できなかったことが確かめられるだろう。
ではせめて綿火薬に詰め替えなかった理由は何か?
たぶん、入念に試験をやってみる時間がない以上、技術者(有坂)の良心として、元のままで送り出させることに決めたのだろう。たとえるなら、五輪のマラソンの本番で、いままで一度も履いたことのない新考案のできたての靴を、選手は試せるか、ということだったと思う。大本営では一刻を争っていたのだ。
もちろん、28cm榴弾砲持ち出し作戦のメリットは、「今あるものを利用できるので、内地にあらたな負担はかけない」ということが大きかったから、余計な面倒は極力回避したのである。黒色火薬は長期保存性では綿火薬を凌ぐのだ。それでも信管だけは、遅延装置を外させた。
弾底信管というやつは、遅延装置がなくとも、瞬発とはならぬ。弾底信管のみの砲弾は、基本的に反応は遅れて起こり、インパクトからごく僅かにディレイして炸裂する。
寺内にそのような命令を出させた有坂の意図は不明だが、軍艦よりも、コンクリート・アーチを強く意識していたことは、想像ができよう。
なお、昭和4年刊の『明治工業史 7 火兵編』には、日露開戦するや寺内陸相が大阪砲兵工廠をおとずれ、堅鉄弾はすべてその底部を改正し、弾底信管を塞螺にうえこむよう命じた、との記述があるが、これは28cm砲弾のことではあるまい。
28cm榴弾砲は、最大腔圧が1700kg/平方cmで、あまり高くはなかった。しかし、それが信頼性を高めていた。
WWIの青島要塞砲撃では、新登場の24加の弾底信管が不良で腔発を起こし、けっきょく古手の28cm榴弾砲が安定した活躍をみせたという。また、満州事変では、こんどは24加の弾底信管が発射衝撃で圧壊してしまって、多くが不発弾になったという。
国産信管はそれほど厄介なものだったのだ。特に陸軍はそれを1000発~1万発単位のロットで量産させねばならぬのだから、責任者の有坂の寿命は縮まったのも無理はない。
函館要塞の28cm榴弾砲は、WWI中にロシアに数門が売られた他、昭和9年以降に、1門が旭川(護国神社)、1門が靖国神社、2門が三沢方面に送られて、それぞれ永久展示用とされた(これらはすべて終戦時に消滅したらしい)。
さらに、ノモンハン事件の前後に、関東軍用に送られたものもあったらしい。
そして函館に残された十数門も、すべて終戦時に“消滅”した。いったいどこへ行ってしまったのか、その末路は、地元の郷土史家ですら明らかにできてはいない。
函館山の一角(薬師山)には、旧式な15cm臼砲も並べられていた。これは、港に上陸してきた敵兵を射撃するため使う備砲である。
そしてまた、道南の戸井(汐首岬)や、白神岬(竜飛岬と、もう一対のチョーク点を成す)には、津軽海峡の真ん中まで届く15cm加農が置かれていた。
(戸井には昭和3年から「長30cm榴弾砲」×4門も配備。大間には、『伊吹』からおろした30cmカノン×2も置いたとされる。)
船魂神社に15cmのタマも1発奉納されている理由は、こんなところから説明されるだろう。
もちろん、奉納された段階では、内部の炸薬や信管等の火工品は取り除かれていたのは言うまでもない。教育訓練用のタマだ。
奉納したのは誰か、であるが、函館山要塞に布陣していた「津軽要塞司令部」ならびに「重砲兵連隊」(その前は大隊)だっただろう。
明治33年の『砲兵学教程』によると、破甲弾には、堅鉄弾と鋼鉄弾があったそうである。後者はスチール、それも特殊鋼であって、海軍の砲弾はコレだ。陸軍の28cm榴弾砲のタマは前者であり、それは基本的に鋳物なのであった。
昭和9年の、長谷川正道著『国民講座 兵器大観』によれば、鋳物の砲弾にもいくつかの種類があった。
「鋼製銑」は、鉄の中に鋼屑を少しまぜたもので、強靭だ。
「堅鋳銑」は、銑鉄の冷却の速度を加減して硬さとねばりの中間を出したもの。
「特別銑」は、銑鉄にマンガン、クロム、タングステンなどを混ぜたものだ。
もちろんこんなことをしても、炭素鋼にニッケルを混ぜた特殊鋼よりははるかに強度は劣ったはずである。
それでも明治時代、砲弾を鋳物としていたのは、陸軍の大砲は、重砲といえども、バカスカ弾丸を発射しなければならないと分っていたからである。
他方の海軍は実戦でもそんなにタマをたくさん消費することを予期しない。たとえば『三笠』の30cm砲(の内筒)の寿命はわずかに120発だったという。それ以上を一海戦で撃つつもりが初めから無いのである。だから高価なスチールで贅沢に砲弾をこしらえることが、海軍では昔から許されたのだ。
28cmの堅鉄弾は、御影石を積んだ表層をやすやすと貫き、その下のコンクリートを1.20m貫入できたという。
ここで説明が要るのだが、日清戦争当時の要塞にコンクリート(仏語ではベトン)を用いているところは滅多になかった。アーチ部分も煉瓦製というのがほとんどであった。
これは地雷榴弾(地面に少しめりこんでから遅延信管により炸裂する榴弾)の無かった普仏戦争スタンダードの、瞬発の榴弾の爆発力は簡単に吸収できた。
しかし、直径15cm以上のAP弾は、煉瓦の壁や天井などはいともあっさりと貫徹できたのであった。
日露戦争当時にはコンクリートはやや普及していたが、まだ要塞全部をコンクリートで造ることはなかった。アーチ部分だけがコンクリート。しかも、無筋だった。
鉄骨も鉄筋も、入っていないのだ。
これは、鉄筋コンクリートの工法が、大正5年頃までフランスのアンネビック社が広汎な特許を押えていて、その使用権料がヤケに高かったからだとも言われるが、要はとうじ世界的に未だ信頼されていなかった新技術であったのだ。
それで、ロシアの旅順要塞も、日本の各地の海岸要塞も、弾庫、砲具庫や棲息掩蔽部(砲員が敵の砲撃を凌ぐ空間)の天井は、すべて無筋コンクリートでアーチをつくってあった。
函館要塞だとそのアーチ部の厚さはちょうど1mある。(他の内地要塞ではどうなっているか、手分けして調べてみて欲しい。これらのアーチは端面が垂直外壁の表面まで露出していることが多いので、簡単に厚さが測定できる。)
旅順ではそれは60cmだったらしい(浄法寺による)。
そして、そのバイタル・パートの天井コンクリート・アーチの周りは、単に煉瓦や切り石を積むのみという構造であった。これが日露戦争当時の「永久要塞」なのだ。
明治31年時点で、世界の海岸砲の最大口径は、32cmだった。これのAP弾を近距離から直射されたら、側面にコンクリートを使っていない構造物などひとたまりもない。が、海岸要塞は半地下式が多く、真上から砲弾が落ちてこぬ限り、バイタル・パートは直射はされないはずだった。
函館要塞遺跡の場合、棲息掩蔽部の表面には厚く土が被せてある。これはWWIの戦訓で、土壌の耐弾力が評価されたために後からそうしたのか、あるいは最初からそうだったのか、よく分らない。
ひとつ確かなことは、明治37年のロシア軍は、旅順要塞の掩蔽棲息部にまったく土を被せていなかった。そのため、厚さ60cmの無筋コンクリートは、40度の落角で命中する28cmの堅鉄榴弾の運動エネルギーを、食い止めることができなかったのだ。
9.5kgの黒色火薬の化学的エネルギーは、煉瓦層でも阻止できる程度のものであったろうが、217kgのマスの運動エネルギーが、薄いコンクリート・アーチの裏面を逆漏斗状に高速で剥離させ、その高速コンクリート片が、内部の人員を殺傷し、要塞内に居たたまれないように仕向けたのであろう。
そして、狭い密閉空間内では、発熱量の比較的に小さな黒色火薬といえども、顕著な焼夷&殺傷威力を発揮したものであろう。
函館山 現況写真
28榴弾写真置場──虫のよいお願いシリーズ、其の二[堅鉄榴弾]
(2016年7月24日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)
(兵頭二十八先生 より)
2016年7月13日に室蘭港の岸壁でDDH『いせ』の中を見せていただけるというので朝からやって参りました。
Dというのは駆逐艦デストロイヤーのことで、Hというのはヘリコプター運用艦を意味します。
Dを二つ並べるのは、一つだと聞き間違えがあるので、重ねたまでと思います。
たとえばBBは戦艦バトルシップ、SSは潜水艦サブマリンです。米海軍の流儀です。
軽車両を出し入れできるランプが見えています。
『おおすみ』だと岸壁の高さにアジャストできるのですが、本艦にはその芸当はできません。
アイランド(艦橋)が右寄りにある空母は、岸壁に必ず右舷を接舷すると決まっていますため、左右対称の軍艦よりも入港や碇泊では制約が多くなります。本艦の、左絃へ余計に張り出している飛行甲板を岸壁から撮影することも、したがいまして無理です。
前部の航空機用エレベーターです。
後部の昇降機ですとSH-60のローターを畳む必要がないのですが、こちらはサイズが小さいので、畳まないと載りません。
格納甲板です。
いちどにヘリ10機ぐらい収容できる広さです。見てのとおり「柱」がないために、中央寄りの天井の構造は、上からの荷重に弱い。SH-60の重さにまでは耐えてくれますけれども、チヌークや掃海ヘリは中央部分に降りてはいけません。
前部エレベーター上から艦首方向を見ています。昇降機エリアを囲繞する鉄柱とロープの柵は、機械駆動によって出てきたり引っ込んだりします。この動きがムダに格好良くて惚れ惚れします。
前部エレベーターから艦尾方向を見ています。アイランドが高い。飛び降りたら命に係るでしょう。ちなみに旧海軍の空母『飛龍』(17300トン)は全長227m×飛行甲板幅27m、軽空母『龍驤』(8000トン)は全長180m×飛行甲板幅23mでした。本艦『いせ』はその中間サイズ(13950トン、全長197m、飛行甲板幅不明、船体幅33m)です。『赤城』ですら飛行甲板幅33.5mだったのですから、昔の軍艦の窮屈さに、改めて感じ入りました。
前部エレベーターの深淵を覗きました。本艦には舷外エレベーターというものはありません。耐候性を重視したのか、まだ実験段階だからなのか……。航空機用昇降機の他に、弾薬用や貨物用のそれぞれ専用エレベータも複数、あるようでした。
艦橋から前方を眺めるとこんな感じです。
艦橋から右舷を眺めたら、廃用された「北斗星」の客車が並んでいました。
第二煙突後方の後部アイランドの航空機発着艦管制室内から艦尾を見たところです。ヘリの着艦目標である「逆さ《不》の字」が二つならんでいますが、外舷寄りがオスプレイ専用スポットです。飛行甲板から水面までですら25mぐらいもあるそうで、もはや高飛び込みなんてもんじゃないレベルになってます。正規空母だともう想像したくないですね。
同じく管制塔から艦尾を見ています。軍艦旗の横にVLS(16セル)が見えます。本艦にはRAMがないので、超音速対艦ミサイル迎撃は、このVLSからのスタンダードミサイルを頼りにするのでしょう。遠方の吊橋は「白鳥大橋」でしょう。ついでながら、室蘭の水族館はコンパクトながらいろいろなものがあって、まさにファミリー天国になっていて、感心しました。
見えにくいんですが、右手にボイスレコーダーが4つ、設置されています。この管制塔から同時に4機のヘリと交信しなければなりません。そのすべての交信は、この機械が記録して、万が一の事故等の調査に役立てられます。前方艦橋の発令所と違って、航空管制室内での会話が録音されることはありません。
後部アイランドは、艦首方向の視界も得るためにすこし張り出しています。思ったのですが、アラスカ等の原生林地帯で川岸の空き地を使ったりして自在に短距離離着陸している巨大タイヤの高翼単発レシプロ改造機があるでしょう? あれだったら碇泊中でもこの甲板から運用できますよね。この広さなんだから。
『いせ』食堂のホンの一隅でございます。軍艦の食堂は乗員の三分の一のキャパシティを標準にしているそうですが、そうしますと、将校を除いてざっと100人ぐらい? 鉄柱には、荒天航海中に頭をぶつけても痛くないように、組紐みたいなものが巻いてありました。潜水艦ではないですが、厨房では生火を用いず、スチームと電気のみです。本艦の艦内照明はLED化されていません。大爆発があっても消えにくくて、しかも省エネなのですけどね。予算がもらえなかったそうです。
艦首の近接ミサイル迎撃用の全自動ガトリング砲です。カタログではもう1門どこかにあるはずなんですけど、それがどこなのか、ちょっと見出せませんでした。これ、近寄ってみたら、なんか碇泊中なのに通電していてウィンウィン唸っていまして、『ロボコップ』の誤認射撃シーンを連想して怖かったです。しかし、こいつが旋回するときには、写真でも小さくみえる「21番砲塔旋回警報」というベルが鳴るそうですから、そのときに甲板に伏せたなら、被弾は免れるでしょう。
室蘭港を一望できる「測量山」展望台からの眺めです。レンズのキレの良いカメラなら、左の方に『いせ』が見えるのですが、わがコンパクトカメラでは無理でございます。室蘭は地形的には天然の良港ですけれども、朝に霧が出るのが、軍港としては難があったみたいで、けっきょく北方の軍港としては大湊が栄えました。
その測量山の頂上直下には、こんな旧陸軍要塞の観測所の跡が遺されていました。まだまだあるものなんですね。
(管理人 より)
横須賀に遊びに行った時、自動車の窓から海上自衛隊の艦が見えて『でけえなぁ』と感嘆したものだが、その時見たものよりもたぶん遥かに大きな『いせ』である。
『戦艦大和を引き上げて観光名所にしたら良い』とTVで誰かが言っていた。絵になる艦は観光名所になる。
(とはいえ、私は観光地は中心の『物』ではなく、周辺の飲食店等の配置が重要だと小田原城を見て思ったけれども)
海外旅行や地元福岡、そして関西、今住んでいる関東でも私は軍港に一度も行った事がない。せっかく関東に住んでるので今度自衛隊のイベントにも足を運んでみようかと思った。
(2015年11月14日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)
(兵頭二十八先生 より)
政府は、ますます少ない労働者が、ますます多い老人を養う近未来が待っていることを危惧し、コーホート人口の少ない青年層~壮年者男女の生産効率をせめて最大限化するべく、「1億総活躍社会」などとブチ上げている。
しかし蟻の巣の観察をしたことがある者なら、その方向では、まずうまくいかぬであろうことはピンと来る。
むしろ、「国民の1割は超活躍することが可能で、国民の9割は働かなくとも食べていけるアルティメット蟻社会」を目指さなければならないだろう。
わたしはそのためのブレイクスルーは「山林の豊饒化」にあると目をつけ、「寒冷地の山野で放任増殖する有用植物のかけあわせ候補」を絞り込むために、わが借家の近辺の荒地を利用してさまざまな植物観察を続けている。
しかしなにしろ相手は「宿根草」や潅木だから、簡単な結果成績を記録するためだけであっても、最低3年は観察をしなければならない。
それでも、このようなリポートを公表しておくことによって、同憂同好の士が各地に増えれば、「クラウド実験」となり、話は速まってくれるであろう。
以下には、既に1回以上、函館周辺で越冬している株の一部をご紹介して行きたい。
日本の寒冷地レベルで越冬できない植物を救荒植物として研究しても、無駄であろう。地球は数万年のサイクルで、公転軌道が太陽から離れたり近付いたりを繰返す。今は離れ始めているときにあたっているので、これから1万年以上も、地球は確実に寒冷化する。
短期的に予想外に暑い年がやってきても農業の実害は少ないだろうが、その逆は惨憺たる結果を招くはずだ。
来年は、さらに今回に倍する種類の結果報告ができる予定である。たとえば、秋に実をつけ、それが冬の野鳥の餌となるような低木だけで「木の実パーラーの森」をつくる「トリパラ」(鳥のパラダイス)実験。アキグミ、ウメモドキ、サワフタギ、ムラサキシキブ、マユミ、ハマナス、ズミ、クロマメノキ、ガマズミ、白ヤマブキ……etc。いずれも植えるのは簡単でも、1年目は移植苗はすぐに実をつけてはくれぬ。2年目か3年目の様子を見なければ、なんとも言えない。しかし唯一の例外は早くも発見された。植えたその年から雌木一本で多量に結実してくれるベニシタン(コトネアスター)である。
この株は熊本のショップから取り寄せてこれで2年目。花後に刈り込んで、ポプラ樹のように姿を整えておくと、そのまま常緑樹が雪中に屹立しているような風情で越冬して面白い。バーネット女史作『シークレット・ガーデン』にもエニシダがあることになっていた。ところでバーネット研究家のアンジェリカ・シーリー・カーペンターによれば、バーネットは二度目の夫ステフェンから虐待を受けていたそうで、それが『ザ・シャトル』の姉の描写に反映されているんだと。だが待て。その前に、『シークレット・ガーデン』に出てくる監禁状態の男の子こそ、バーネットが受けた虐待とやらに近かったんじゃ……? まあその真相はともかくとして、辛い実人生を歩んだ著者が、あくまで作中では「他者」たちの幸福のために脳髄を絞る、その姿勢が偉いのだ。わたしはもし『次郎物語』とか『路傍の石』が児童文学全集に入っていたなら、その巻はまずゴミ箱へ叩き込んでから、わが子に全集を与えるつもりである。
とにかく耐寒性のあるGCP(グラウンドカバープラント)であることは、この目で確かめさせてもらった。春先に早々と満開になるのも嬉しい。ただ、花期はすぐに終わってしまって、その後、領地を旺盛に拡げ、周辺の他のGCPを葉で覆い尽くそうとする。おかげで頑健なシバザクラも半滅。ピンクのマツバギクも、完全日蔭から至急救出移植せねばならなかった。
このヒューケラには驚かされた。前年は木陰の地面でくすぶっていたので、築山の東斜面に移植しておいたところ、爆発的に成長。花期も滅法長いものなのだと知った。「IEDエクスプロージョン」と勝手に命名したいほどである。手前の細葉の株はラッキョウで、これも放置しておけば秋に花をつける。
タンポポよりはさすがに遅れるが、球根ではないGCPとして春一番に開花する。たとえば左上隅のシランは、まだ地面から葉が出たばかりという段階である。ゆえに、ごく小さいのにもかかわらず、庭で目立つこと、この上なし。写真右上の小株(3輪)は、昨年のこぼれ種による増殖だ。メヒシバがはびこりまくりの、小石混じりの地面でも、この通りである。
放任増殖力という点からは、ユーフォルビアの中では、こいつが一番強いんじゃないかと思っている。この地面は、これまでいくつもの植物の苗をあっけなく死滅させてきた、とびきりの悪土。北海道では宅地の造成に産廃土を使っているようなところがいくらでもあるようで、ここも、ちょっと掘ると、ゴムホースだとかガラス瓶の破片だとかネジ・釘類が、次々に出てくる。しかしキパリッシアス君は、御覧のようにここで越冬した上、勝手にこぼれ種で増殖しているのだ。
写真のいちばん左端の株を2013年春に苗で購入。それが、こぼれ種によって、2015年春にはこんなに増えた。こいつの種シーズンの卓越風は、南西風なんだということもわかってしまう。なお、写真中のピンク~赤の花は、いずれも実生のヒゲナデシコが増殖したもの。本年初登場の野生のヒメマツヨイグサも生やかしてある(ロゼットの外観を写真で覚えて、保護するように努めたのだ)。
大手通販ショップにて2013年秋に買い求めたプルモナリア。耐寒性・耐陰性はすばらしく、年々株が大きくなってくれるのもうれしいのだが、高勢ではな いゆえ、まだ花が終わらぬうちから、周囲のヒゲナデシコの密林中に埋没してしまう。ヒゲナデシコは、早い株は前年秋から写真のようなロゼット姿で次の春を 待っており、それが春とともにロケットのように高速成長するのだ。なお、プルモナリアが球根より早く開花すると書いてある書物があるが、それは北海道の データだとは思えない。すくなくともここでは5月にならないと咲きません。
日蔭でくすぶっていたものを昨年秋に日なたへ移植しておいた。それを忘れていたので、幼葉が出てきたときは、何だか分からずに、判定に悩んだ。この写真の中央には、実生のシャボンソウも写っている。ジフィーを1箱使って、たった1株の実生が得られたものだ。左手前にはリアトリスの実生越冬株が見える。右手前には赤花除虫菊。白花は、野生のフランスギク。
2年目の株だが、今年は巨大化・高勢化したので驚いた。テラコッタ色の花色がつき始めている。写真とは別な場所に、赤色の西洋ノコギリソウもあり、そっちは、ここまで高勢化せぬかわりに、花後に切り戻せばまた咲く元気を見せる。しかるにこっちの方は、日蔭をなくそうと、強剪定をしすぎて、切り戻されたまんま、冬休み態勢に入っちまった。左手前はコモンセージ。いちばん奥の青いのは実生のオレガノ。
毎年土手に勝手に生えてくる。春の食用になるらしいのだが、地下茎による増殖を阻害してはいかんと思い、まだ一度も試食してない。
昨年は高勢化もせず開花もしなかったヤナギランは、今春は地下茎によって多数の芽を出し、次々と高勢化して開花し、にぎやかであった。種は綿毛で飛散するらしい。けれども、このように放置しておくと、冬が来ててもまだそのままくっついて残っている。飛散を焦らないのだ。漠然と想像をするに、このタネを晩夏に即座に強制的に地面へ撒いたとしても、その実生は翌年は開花しないだろう。もし自然放任であったならば、実生の次世代株が開花するまでには最速でも3年かかるのではないかと思う。寒冷地の宿根草は、最短でも2年計画でライフサイクルを考えていて、実生は、栄養生殖できない場合の保険の位置付けなのだろう。春に地面に出てきたヤナギランの芽を人為的に他所へ移植した場合も、その株はその年内には高勢化しない。冬までずっと、地下茎の充実にだけ、エネルギーを使い続けているように観察される。
実生でしかも一年草のはずなのだが、この株だけ、毎年同じ場所に蘇る。しかも大株である。どうも「多年草化」しているのではないかと疑われるのだが……。
この巨大草本が、じかまきのタネから2年で開花株になるのだとは、想像もできなかった。というか、そもそも播いた覚えもないので、何かのミックス袋に入っていたのだろう。1年目は、モウズイカのロゼットのようなものができて、その姿で越冬。そして2年目にこうなる。茎の先にやがて小さい赤い花が多数付く。葉がビロード状であるのに比して、茎は硬くて「メイス」を印象させる。左の白花はリクニスホワイトロビン。こぼれ種の実生で、花期は短い。右のセントーレアモンタナは、多年草ながらやはり実生。花期は長い。中央にはシャボンソウが埋没している。奥の黄色いのは「センダイハギ」といい、マメ科なのだが、牛や馬はこれを嫌うゆえに放牧場はこいつの天下になるという。毒はないように見えるが、人の腕力で茎や地下茎を引き切ろうとしても無理なぐらいに頑丈。そしてまた地下茎は2m以上も拡がる。日蔭が出来てこまるので、花後には地際から刈る。それでも来春には復活する。
前年、木陰で元気がなかったのを、日なたへ移植してやったら、のびのびと育った。手前の黄色いのは、宿根+タネでパンデミック的に増えるダイヤーズカモミール。これにくらべたら野生のコレオプシスの方がずっとゆっくりしているように見えてしまう(実生新株は僅かだし、しかも開花まで2年くらいかけている)。右手の球状ピンク物体はやたら元気なシレネファイアーフライで、今年は「株分け」を試みたので、来年は、その調子の如何も報告できるだろう。
「聖ヨハネの薬草」という名前がついているのは、古来、西洋の教会が薬草園内にこいつを植えていたためのようだ。「野生化して困る」というほどの増え方は、いまのところは、見せていない。後方のラムズイヤーには、花が付いている。その奥はスイセンノウ=フランネルソウのよくある赤。植えて1年目は咲かず、2年目に咲いた。こぼれダネで増えるのかどうかは、来年に確かめられよう。
一重咲きで高勢のソープワートは、かなりタフで、株もどんどん拡がる――とは聞いていたが、この寒冷地では、ちょっと日蔭になるともう調子は悪い。1ダース以上の株を植えて試してみた結果、ほぼ消滅してしまった株が3つくらいある。咲き始めは夏。そのかわり11月までも僅かづつながらしぶとく開花し続ける。その下の青いのはゲラニウムのジョンソンズブルー。これは春から、降雪するまでの長期間咲き続ける。ゲラニウム/フウロソウは、北海道にはよほど適しているのではないかと、3年くらいもしてやっとわたしは理解するようになった。ゲラニウムのロザンネイは、たまたま場所が良いと盛るが、場所が悪いと、消滅してしまう。
チコリーは、超高勢になってくれるのは面白いのだが、周辺に高勢の雑草が繁茂していない土地では、やがて強風で横に寝てしまう。青花は2日間くらいで次々にしおれ、そのひとつひとつが多数のタネをつくる。このタネを人工的に撒布したらどのくらいはびこるものか、実験結果は来年以降に判明するであろう。左手の黄色いのはリナリアブルガリスで、宿根草ながら実生によってその年のうちに子株をつくってしまう。日なたでさえあるなら、どこまでも支配面積を拡げて行く。ただしチコリーと違ってこっちは食べられない。
ノカンゾウなのかヤブカンゾウなのか、わたしには判定ができない。夏になると、土手のあちこちに勝手に生えてくる。残念ながら、ユリの親戚らしくて有毒。手前の下草は、バーズフットトレフォイル(セイヨウミヤコグサ)で、実生。日蔭だとこの程度で、開花もしないが、日なただと開花し、しかも延びまくった茎があたかも「刺のない鉄条網」のように、足のつまさきにひっかかる。その茎を引き切るには相当の力が必要である。
※追記:これは「ノカンゾウ」で、毒は無いだろうという指摘を受けた。
冬に地際から刈ってしまうべきかどうか迷ったので放置しておいたら、古い茎の先からも春に新芽が出る場合のあることが分かった。衣料用の繊維が採れるのは一年生の亜麻であって、こっちではないと聞いている。
野生の雑草。いちどその実を賞味してみよう、と念じてはいるのだが、行って見るとすでに野鳥が食べつくしたのか何も残ってない……ということが多い。
今年も花期が重ならず、自然交配実験は失敗した。というか、葛の方が開花してくれないのだ。写真のアピオスの手前には、「クコ」の裸になった細枝が見えている。クコはその実だけでなく葉までが食用になるというので試しにこの春に植えてみた。しかし北海道は寒すぎると見え、たちまち落葉してしまった。それでも地際に新しい葉が出ていて、しぶとく生きてはいる。越冬できたなら、またご報告するであろう。そのさらに手前、越冬はするものの株は衰弱するばかりのバーベナボナリエンシス(三尺バーベナ)の集合花が見える。こいつは来年は消滅するかもしれない。
正式にはヘリアンツス・ムルティフロルスというのかもしれない。こうした八重の花はタネをつくらないのだろうと思い込んでいた。大違いであった。地面が最悪の産廃土壌であるにもかかわらず、今年の春に、親株の周辺に実生の幼葉が多数出てきて、わたしはすっかり感心した。たった1株だったのが、2年目にして、はやくも群生状態だ。右手は、ジフィーを地面に定植してみたチコリー。
熊本のショップから買った苗が、これまた絶好調。毎年冬に、地際から刈ってしまっても、来春には、地面からまた生えてくる。「生えてくる木」なので「ハエギ」→「ハギ(萩)」と転訛したそうだ。とにかく管理がめんどうくさくなくていい。マメ科なので肥料もいらない。借家の庭にはうってつけではないか。
昨年夏、親切な方からいただいた株。おそらく日本では諏訪郡の富士見町グリーンコテージガーデンというショップでしか通販されていないものではないかと思う。一般的な(ただし当今はおそらく何かくだらぬ理由によって流通してない)青花ではなくて、白花。しかもやたら高勢に育つ。「Boltonia asteroides var. latisquama」で英文検索したら、商品名は「スノーバンク」、俗称は「偽アスター」だと。自生地は北米メイン州までとある。耐寒性は十分だろう。向こうでは湿地に野生しているそうだが。ちなみにボルトニアという名は18世紀の英人植物学者のジェイムズ・ボルトンに由来。3地点に植えてみた。当年のインパクトは、さほどでもなかった。が、すべて越冬し、しかも株の広がりがすばらしい。そして本年は、いちばん陽当たりの良い場所の株が早々と人間の身長を越えた。開花は青花種よりも遅く始まる。そのかわり11月になっても一部は咲き残る。開花後は支柱(または吊り縄)は絶対に必要であろう。写真株元のチョウジソウと比べてみてください。米国では高さ1mにしかならぬと英文ネットに書いてあるのは、嘘ではないか? 花後にはタネがバラバラと落下する。しかし実生で増えるのかどうかは来年にならぬと分からない。ところでわたしは、人が何も手助けもしないのに、道南の山の中にもオムニプレゼンスにちゃんと生えている宿根野草の「ノコンギク」(タネは綿毛で広範囲に飛散する)を見るにつけ、こういうのこそが真の放任増殖植物の手本であり、これに比べたらば同じキク科の青ボルトニアなど、北海道で野生をちっともみかけぬ以上は、気候激動時の生き残りポテンシャルだってずいぶんと劣るはずだと思うようになった。いつか、比較観察もできるであろう。
(管理人 より)
こんにちは。2012年より始まるこの企画。草花である。
私は練馬区に住んでいる。23区でも屈指の緑の多さだと思うのだが、食べられる草花が生えているようには見えない。
函館でも食べられる草花が育つのなら、それより南の庭はまさに豊穣の地ではないか。庭に食べられる植物が本当に生え続けるなら、こんなに心強い事はない。
(旧兵頭二十八ファンサイトで公開したワークリストです。 2008年4月2日が最後の更新日です)
(管理人 より)
このワークリストは上述のように2008年4月2日を最後に更新されていません。『up date』・『TKLIST』、そして『お知らせ』『兵頭二十八の放送形式』を併せると、これ以後の記事等も含めて殆ど(全てではないです)網羅できるとは思います。『兵頭二十八』の足跡を追う人のために中途半端なリストですが残します。
特に指定の無いものは《掲載年/掲載月/掲載日:『雑誌名』 タイトル》
齊藤 浩 名義 時代
19??/?:ロッキング・オン:『ロッキング・オン』(未確認)
※高校時代に投稿して、掲載されたらしい。
1983/3/10:文藝春秋『週刊文春』
《P46》『ここまで解けた「防衛産業」のタブー』文中
”六四式小銃に致命的な欠点”
1984/7/30/7面:世界日報社『世界日報』
制空権の確保が上策(斎藤 浩 名義)
※1984~1988にかけて御本名名義の他、多数の筆名にて多くの投稿をされているそうです。
1985/5:自由社『自由』
《P55~58》『貧困社会』を考える
1985/9:自由社『自由』
《P82~84》アフリカ援助に見る北側の失敗
1985/10/3:新潮社『週刊新潮』
《P164》『いくら増しても三日保たない「防衛費」の革命的発想』文中の”陸上自衛隊第二戦車大隊を一昨年除隊した元隊員の話”
19??/?/?:我が”国防学”の勧め
※ミニコミ雑誌に掲載されたらしい。
1985/11:自由社『自由』
《P81~82》新レスキュー体制建白書
1985/12:現代展望『現代展望』
《P36~44》軍事真論〈ベトナム戦争───十年遅れの教訓〉
※『現代展望』は新年・新春・夏季号などがあります。1987/3・5月号は現在確認できていません。
全て『斉藤 浩』名義?筆名有り?
1986/1:自由社『自由』
《P90~91》大衆報道に見る日欧民度の逆転
1986/1(新年号):現代展望『現代展望』
《P40~47》軍事真論〈ベトナム戦争───十年遅れの教訓〉
1986/2(新春号):現代展望『現代展望』
《P32~40》軍事真論〈スパイ防止法の危険面〉
1986/2:自由社『自由』
《P85》SDI………どちらがゴールに近いのか
1986/4:現代展望『現代展望』
《P28~32》軍事真論〈核戦争は何時に起きるか?〉
1986/5:現代展望『現代展望』
《P24~34》軍事真論〈理・乱のことわり〉
1986/6:自由社『自由』
《P85》太平洋戦争遂行の謎
1986/6:現代展望『現代展望』
《P24~30》年功序列の『年功』
1986/7:自由社『自由』
《P85~86》国家後援テロ
1986/7(夏季号):現代展望『現代展望』
《P32~42》フィアネス・ギャップを認識せよ!
1986/7:読売新聞『THIS IS』(未確認)
1986/7:日本評論社『法学セミナー』
《P157》「国家後援テロ」に対する新しい宣戦の概念
1986/7:現代展望『現代展望』
《P32~39》「削減論」まで出始めた陸上自衛隊を透視する
????/6:月刊誌『ラジオライフ』(未確認)
※以下”?”の箇所御存知の方は御一報下さい!
1986/10:海人社『世界の艦船』
《P188》”ソ連の指導層は米ソの核決戦はないと考えている”という主張(斉藤 浩名義)
1986/10:自由社『自由』
《P98~100》NHK受信料は「捨て金」か
1986/10:現代展望『現代展望』
《P42~47》太平洋戦争計画の謎
1986/11:海人社『世界の艦船』
《P171》”災害救助用の大型救難艦を作るべき”という主張(斉藤 浩名義)
1986/11:現代展望『現代展望』
《P52~60》フィアネス・ギャップを認識せよ
1986/12:自由社『自由』
《P84》政府が一銭も使わずに内需拡大する法
1986/12:現代展望『現代展望』
《P32~42》文民の為の軍事科学(上)
1987/1(新年号):現代展望『現代展望』
《P30~46》文民の為の軍事科学(下)
1987/2(新春号):現代展望『現代展望』
《P32~38》軍事予算の歯止めと政治家
《P48~50》ラクラクできる教育改革(入船 光 名義)
《P52~60》米ソ首脳に教えたい日本人の発想(愛林 久允 名義)
1987/3:読売新聞『THIS IS』(未確認)
1987/6:自由社『自由』
《P84~85》国体を保障するものはなにか
1987/11:現代展望『現代展望』
《P58~62》ドクトリンと費用(上)
1987/12:現代展望『現代展望』
《P46~49》ドクトリンと費用(下)
1987/?:神奈川大学人文学会学生部会刊『世代 24号』
《P29~36》装軌車両引離しによる地球的軍縮は可能だ
1988/2:神奈川大学国際関係論セミナー『最近国際関係論叢』
《P49~87》民族と理性
《P88~97》戦争哲学の諸前提を疑う
《p98~105》『戦車』の引き離し───中欧軍縮のもう一つの可能性
1988/1(新年号):現代展望『現代展望』
《P50~64》『戦車』の引き離し───中欧軍縮のもう一つの可能性
1988/2:現代展望『現代展望』
《P44~51》戦争哲学の諸前提を疑う(上)
1988/3:現代展望『現代展望』
《P24~34》戦争哲学の諸前提を疑う(下)
1988/5:現代展望『現代展望』
《P46~52》文民のための軍事科学(1)
1988/6:現代展望『現代展望』
《P32~40》文民のための軍事科学(2)
1989/1:読売新聞『THIS IS』
《P323~324》日本製フォーミュラの時代だ
1989/2:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』
《P22》文明と地理的幸運
1989/3:内外出版社『オート・メカニック』
《P200~201》軽のATの出足を良くするための簡易過給器のコンセプト
1989/3:月刊誌『BE-PAL』
《P90》”理想のATVを考えてみると……”
1989/5:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』
《P76》『五輪書』にあらわれた日本語的軍事理性を見直す
1989/6:海人社 『世界の艦船』
《P172》”DASHの多目的「飛行ロボット」としての復活を願っている”…という内容(齋藤 浩名義)
1989/8:ホビージャパン『ARMS MAGAZINE』(未確認)
《P134》銃床組み込み式の擲弾発射器の提案
1989/9:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』(未確認)
《P41》東西二大軍事古典の旧解釈と新解釈
1989/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
エイブラムス バトルタンクはすごかった!!!(Jimmy 名義)
1989/12:運輸省公報『トランスポート』
《P90》『運輸広報月間記念論文 大臣賞、受賞決まる』
”政務次官賞(優秀賞) 「ふるさと創生と交通」”
1990/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
286上のHETZERは速かった(狩野多門 名義)
1990/3:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
中部ヨーロッパAFV軍縮の可能性(Jimmy 名義)
GUNSHIPにボードゲームの終焉を見た(Jimmy 名義)
温故知新シリーズ(1)クリミア戦争関係エピソード(云竹斎 名義)
1990/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
F-15ストライクイーグルⅡ」(Jimmy 名義)
温故知新シリーズ(2)パナマ運河と工兵隊エピソード(云竹斎 名義)
1990/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
今日のオーストラリア国防軍 (兵頭ニ十八名義)
強いものには理由あり(云竹斎名義)
インディージョーンズ『燃える大空』篇は泣かせます(Jimmy 名義)
1990/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
沈黙を拒否した艦隊(Jimmy 名義)
慟哭悲史シリーズ其二『HOW Much人命?』(云竹斎 名義)
1990/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
リアリスティック・パソコン・ゲーム・リポート⑨(Jimmy 名義)
驚愕伝説ストーリー・バカ空手一代男之巻(※兵頭先生のか判断できる方はご連絡を!)
1990/9:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
攻撃ヘリを震撼させる双角のビヒーモス87式自走高射機関砲(無名義)
「リーダーズ・ブートキャンプ(1)」出演 馬頭竜五里羅・鬼婿一等卒
1990/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
「リーダーズ・ブートキャンプ[3]」出演 壇田段・運野勉
1990/12:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
「リーダーズ・ブートキャンプ」出演 播謙寺左洲男・無良利平(ピョン)
1991/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
TMコラム(マグナム珊粍名義)
驚愕伝説ストーリー・Gorillas(無名義)
1991/2:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
ペイトリオットへの道(兵藤二十八名義)
1991/3:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
MICVの後を継ぐ「重PAC」構想とは?(アル・シン名義)
1991/4:新人物往来社『戦記シリーズ 別冊歴史読本 特別増刊』
《P234~245》日本陸軍主要戦車の解説
1991/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
湾岸特集2(齊藤浩名義)
「リーダーズ・ブートキャンプ」出演 春間毛反魚ドン・堀孟是
1991/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
地上戦のいろは(無名義)
1991/6:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
すぺしゃるりぽーと『鋼鉄の騎士』(Jimmy名義)
1991/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
陸軍技術本部第四研究所(齊藤浩名義)
1991/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
この目で見た90式戦車と89式FV(H・SAITO名義)
国産兵器開発拾遺[2](斉藤 浩名義)
1991/10:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
ポスト湾岸型戦車を考える(H・SAITO名義)
ホークの一族(無記名(?))
国産兵器開発拾遺[2](国産兵器開発拾遺[4])
1991/10/25:『FOCUS 506号』
《P24》”「一両4億円」が「12億円」になった自衛隊最新鋭戦車の性能”文中の「専門家」(?)
1991/11:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
陸上自衛隊車両装備史;1950~1991
1991/12:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
最近陸上RPV技術の動向(斎藤浩名義)
1992/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
絵はがきは語る(兵頭ニ十八名義)
1992/1:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
ドイツ連邦軍の陸軍装備車両;1955~1991(未確認)
1992/2:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
絵はがきは語る(兵藤二十八名義)
1992/4:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
帝国陸海軍の戦闘用車両
1992/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
ON GUN エキゾチック戦車砲に関する研究ノート(斉藤浩名義)
造兵-武器生産の科学(云竹斎名義)
1992/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
口径13mm級歩兵銃の再登場(H・SAITO名義)
騎兵戦闘車はどんな教訓を得たか(アル・シン)
1992/6:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)
1992/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
対地上用レーダー射統装置の可能性(H・SAITO名義)
1992/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
クビンカ:新たなる聖地への旅(斉藤浩名義)
公開展示された陸自の新型個人装具(H・SAITO名義)
1992/7:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
第二次大戦のイギリス・アメリカ軍戦車
1992/8:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)
1992/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
小型AFVの今日的意義(斉藤浩名義)
ゲームリポート「番外編」(Jimmy名義)
1992/9:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
ビック対談・自衛隊リクルートはこうすれば改善される・・・カモシレナイ
(熊&八名義)
TM流スマート写真塾(特攻カメラマンS名義)
故・小林善氏を悼む(特攻カメラマンS名義)
1992/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
日米戦の化石を見た(斉藤浩名義)
TM流写真塾
1992/12:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)
1993/9~1994/1(?):株式会社 シリエズ総研『シリエズ』
※掲載年月日全てが謎。編集者として関与された筈である。
全国のライブラリに、保管されている可能性極薄。
兵頭 二十八 名義 時代
1995/10:セガ・エンタープライゼス(アスペクト発行)『ワールドアドバンスト大戦略~鋼鉄の戦風~世界新秩序建設マニュアル』
《P51》士官たちは熱狂的に“戦争”を求めた!(兵頭 二十八名義)
?/?/?:テレビ番組『スーパーモーニング』出演(?)
※出演番組は[めざましテレビ/走れ!めざまし調査隊]という情報を頂いた。その方が本当のような気がする。いつか私の目で確認しなければ……。
1995/5:銀河出版『日本の陸軍歩兵兵器』
1995/6:銀河出版:『陸軍機械化兵器』
(共著:宗像和弘)
1995/8:銀河出版『日本の海軍兵備再考』
(共著:宗像和弘)
1995/12:銀河出版『日本の防衛力再考』
1996/5:『戦記が語る日本陸軍』(著者:宗像和弘)
※コラムを寄稿。
1996/6/26:小学館『SAPIO』
「アメリカを仮想敵国とせよ!」
その意味が分からない日本人は“おバカさん”である
1996/8/23/深夜:朝まで生テレビ
”激論!沖縄の怒りと日米安保 第2弾”パネリストとして出演
1996/8/28:小学館『SAPIO』
日本が成人国家になるためには「核兵備」論は避けて通れない!
1996/10:文藝春秋『諸君!』
日本列島核兵備計画
───我々は如何にして くよくよするのを止め
核ミサイルを持つに至るか
1996/11:文藝春秋『諸君!』
「日本列島核兵備計画」ソフト編
───まだくよくよしている安保崇拝論者に告ぐ
1996/11:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
”日本核兵備四ヵ年計画”について
1996/11/27:小学館『SAPIO』
日本は首都を北海道東部に移転し、沖縄を自衛隊の要塞に再整備せよ
1996/12:文藝春秋『諸君!』
「日本列島核兵備計画」完結編
───空想的平和論者を矯正しよう
1996/12:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第1信:最後の100兆円税収源
1997/1/6/朝刊:『産経新聞』(未確認)
なぜアメリカと一緒にやっていけると思うのか
1997/1/21:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
ストック情報はこれでいいのか
1997/1:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第2信:『助っ人弁護人』の新設で人権を守れ!
1997/2:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第3信:なぜ死球に本塁を与えないのか
1997/3:文藝春秋『諸君!』
韓国軍が38度線を突破する日
1997/3:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第4信:「黄門の辻斬り」を止めろ
1997/3/23:新聞『WASHINGTON TIMES』(未確認)
1997/4:銀河出版
『ヤーボー丼───
いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか』
1997/4:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第5信:男は十ぺん路頭に迷え
1997/5:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第6信:日本に高校はいらない!
1997/6:文藝春秋『諸君!』
ワインバーガー 「次の」戦争には失望した
1997/6:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第7信:パソコン戦争に勝つ方法
1997/6:文藝春秋『ヘクトパスカルズ』
(画:板橋 しゅうほう)
1997/7:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第8信:人形の愛に突っ走れ!
1997/7:銀河出版『並べてみりゃ分かる第二次大戦の空軍戦略』
(共著:宗像 和広/三貴 雅智/小松 直之)
1997/8:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第9信:司馬遼太郎の自虐史観
1997/8:文藝春秋『諸君!』
「歴史教科書」写真図版のでたらめ
1997/8:文藝春秋『本の話』
知られざる日本のミリタリー出版界
1997/9:『東大オタク学講座』(著者:岡田 斗司夫)
11講ゲスト講師
1997/9:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第10信:日米「若がえり」競争の行方
1997/10:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第11信:土方と沖仲仕について
1997/11:文藝春秋『諸君!』
橋本総理よ!柳条湖よりまず「靖国」に行け
1997/11:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
二十八からの手紙 第12信:地蔵のひろば
1998/1:四谷ラウンド
『たんたんたたた───機関銃と近代日本』
1998/1:リイド社
『ゴルゴ13 105巻 バスク・空白の依頼』(著者:さいとうたかを)
”北緯九〇度のハッティ”のシナリオを担当
1998/2:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
二十一世紀のマスコミメディア考
1998/3:四谷ラウンド
『有坂銃───日露戦争の本当の勝因』
1998/4:リイド社
『ゴルゴ13 106巻 オフサイド・トラップ』(著者:さいとうたかを)
”直線と曲線の荒野”のシナリオを担当
1998/5/3/夕刊:『東京新聞』
『「有坂銃」著者に聞く』
1998/6:『新潮』
琵琶・テニソン・手鞠歌(『南洲残影』書評)
1998/7:文藝春秋『文学界』
耳学問と情報ストック
1998/7:新潮社『新潮45』
一億総キチガイ時代のナイスな刑罰「島流し」
1998/8:新潮社『新潮45』
もう誰にも止められない「核戦争」
1998/9:西部邁事務所『発言者』
座談会:「日本軍」の光と影
連載コラム”ひょーどー漫言”はじまり(2002年10月現在継続中)
ひょーどー漫言 1:「専門家」に仕切らせない政治システムとは?
1998/9/25/夕刊:『東京新聞』
戦後政治という不良資産
1998/10:並木書房『ざっくばらん』
1998/10:四谷ラウンド
『イッテイ───13年式村田歩兵銃の創製』(劇画:小松直之)
1998/10:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 2:今あるモノで通信戦争に勝たんかい!
1998/11:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 3:日本に普通乗用車はいらない
1998/11:PHP研究所『voice』
”日本敗戦”研究のすすめ
1998/12:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 4:「スープ化作戦」にひっかかるな!
1998/12/8:『東京新聞』
「プライベ-ト・ライアン」にアメリカの「現在」を観る
1999/1:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 5:忠誠心を競わせよ!
1999/2:文藝春秋『諸君!』
信長の長篠「鉄砲三段撃ち」なんて出来っこない
1999/2:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 6:せめて「大本」を掴んでから新しいことをやれ
1999/2:PHP研究所『voice』
プライベート・ライアンを嗤う
1999/3:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 7:「公活」はどうした
1999/3:文藝春秋『諸君!』
自衛隊の指揮権、日米いずれにありや
1999/4/14/夕刊:『東京新聞』
何が古く何が新しいか「工作船侵入事件」寸観
1999/4:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 8:「大上段」の国語力を回復せよ
1999/4:『新潮45』
七月四日 米朝戦争勃発!どないする
1999/5:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 9:高度成長血涙小説 恐るべき野望の程
1999/5:PHP研究所『voice』
日本改造のための準備体操(兵頭 二十八×福田和也)
1999/5/12:小学館『SAPIO』
「戦闘歌」が欲しくば「今様」の「第二国歌」を新作したらよい
1999/5:四谷ラウンド『日本海軍の爆弾』
1999/6:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 10:技術予測のボン・サンス
1999/6:産経新聞『正論』
報道されなかった───北朝鮮「工作船」事件の裏側
1999/6:『新潮45』
超御機嫌「小渕内閣」
1999/7:『新潮45』
「ユーゴ空爆」ナンジャラホイ
1999/7:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 11:kはキテン
1999/8:PHP研究所『voice』
NATO空爆の「正」と「奇」
1999/8:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 12:お化けTV塔は『未開都市』のモニュメント
座談会:「戦後」の転覆は可能か
1999/8/25:小学館『SAPIO』
これが日本人の命を守る 自衛隊「国軍化計画」私案だ
1999/9:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 13:梅に後れる桜の女々しさ
1999/10:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 14:「火牛計」考
1999/11:文藝春秋社『日本の論点2000』
自衛隊は優秀な戦闘集団だが、戦争の指揮を100%依存している
1999/11:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 15:とっくに西洋近代化に対抗できていた男
1999/11:『新潮45』
コジキとでも何とでも呼んでくれ
1999/11:四谷ラウンド
『日本の高塔写真&イラスト』
1999/11/14/朝刊:『東京新聞』
軍人たちの心事をたぐる労作(『昭和陸軍の研究』書評)
1999/11:杉山穎男事務所『武道通信 七ノ巻』
「多対一」で勝つ:中学生でも分る兵法」其ノ一
※隔月刊誌ですが、もっと間が開く時もあります。
1999/11:『あぶない28号』第5巻
テロvsカウンターテロに関するいとも高位なる御方からのコレクトコール
1999/12:並木書房『日本陸軍兵器資料集』
(宗像和弘氏の原稿を補綴)
1999/12:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 16:途中で戦いを止める「戦数」
1999/12:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
※現役警察官しか買えない雑誌との事です。
1999/?:講演会『一水会』
2000/?/?:『週刊ポスト』(未確認)
※『タミヤ模型全仕事』の書評です。
2000/1:杉山穎男事務所『武道通信 八ノ巻』
人はなぜ競争(戦争)するのか
集団戦のコツと「部隊」の作り方:中学生でも分る兵法 其ノニ
2000/1:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 17:世界とは情報であり、情報とは世界である
2000/1/26:小学館『SAPIO』
「核ミサイルと潜水艦12セットがあれば抑止力は万全」がいよいよ現実となってきた
2000/2:四谷ラウンド
『武侠都市宣言!戦後「腐れ史観」を束にして斬る』
2000/2:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 18:げん担ぎ、あらたまのドサ日記
2000/2:PHP研究所
『「日本有事」って何だ 「超カゲキ」vs「常識」問答』
2000/2:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
2000/3:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
2000/3:PHP研究所『voice』
『シュリ』は面白い(兵頭 二十八×ながい・みちのり)
2000/3:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 19:いつか返される飛行場、返されない飛行場
2000/3:杉山穎男事務所『武道通信 九ノ巻』
和歌文化への対抗 空前絶後の孤立峰
場所の決定方向の決定:中学生でも分る兵法 其ノ三
2000/3/20:小学館『SAPIO』
「政治指導部」「民心」で劣るも「指揮官」「兵隊」で中国に伍する
2000/4:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
2000/4:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 20:短距離/近郊交通こそ「超特急」化すべし
2000/5:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
2000/5:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 21:その「Can」に I can’t stand…
2000/5/10:小学館『SAPIO』
「ロシアが北海道に侵攻」───
日本はいまだこのフィクションから抜け出せないでいる
2000/5:杉山穎男事務所『武道通信 十ノ巻』
「勝つ」とは?最終的な「勝利」とは?:中学生でも分る兵法 其ノ四
2000/6:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 22:人間は目的ではない
2000/7:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 23:「投資&回収」のパターンで生きていないモーダルの人々
2000/7/22:講演会『軍事フォーラム』(未確認)
※NiftyのFDR
2000/7/28:自由主義史観研究会講演会
『兵器が語る近代日本史』
※講演ビデオの印税払え!
2000/8:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 24:神妙にケータイをチョーダイしろ!
2000/9:杉山穎男事務所『武道通信 十二ノ巻』
死を恐れる者がいるから奴隷も生まれる:中学生でも分る兵法 其ノ五
平和日本で見た徒手格闘技(兵頭ニ十八×小松直之)
2000/9:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 25:頼もう!この看板は貰って往く
2000/10:中央公論新社『軍学考』
2000/10/23:『産経新聞』
親を語る
2000/10:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 26:格闘技系公務員に最後の期待をかけてもいいか?
2000/11:教育システム
『日本のロープウェイと湖沼遊覧船
Japanese Ropeways and Excursion Lake-boat』
2000/11:産経新聞『正論』
誰も知らない遊覧船のヒミツ
2000/11:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 27:人が増えるとどんな遊びも不自由になるわけ
2000/12:杉山穎男事務所『武道通信 十三ノ巻』
急所を勉強しよう:中学生でも分る兵法 其ノ六
原潜クルスクの沈没報道───この”無分別”は何事
2000/12:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 28:説得の究極根拠は何か
2001/1:文藝春秋『諸君!』
アメリカもやった「奇襲・特攻」
2001/1:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 29:読み切れぬ講談「ブチギレ奉行」の巻
2001/1:杉山穎男事務所『武道通信十四巻』
言葉遣いがヨロイ:中学生でも分る兵法 其ノ七
2001/2:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
特集対談:井沢元彦×兵頭二十八
2001/2:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 30:なぜ負けたか分からないという感覚失調から治せ
2001/2:草思社『草思』(未確認)
※草思社PR誌です。
2001/3:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 31:米人は自らを真に解する者を悪む
2001/3/5:『産経新聞』
私の一冊『クルミ割り人形とネズミの王様/E・T・A・ホフマン 著』書評
2001/?:講演会
※サバゲー野郎に囲まれて
2001/4:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 32:空母では対中国作戦の自由度は増さない
2001/5:PHP研究所『voice』
平和ボケを醒ます「七箇条」
2001/5:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 33:家単位の権力競争ある限り「日本敗戦」は続く
2001/5/20/8面:『東京新聞』
そこまでやるか…『保護』と『掠知』
(「暗号解読戦争/吉田 一彦 著」書評)
2001/6:杉山穎男事務所『武道通信十五ノ巻』
「絶滅を考える……」:中学生でも分る兵法 其ノ八
元寇の戦い 勝利は神風にあらず
2001/6:PHP研究所『voice』
日本は武器輸出を解禁せよ
2001/6:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 34:慢性危機の「政治的好奇心」
2001/6/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』(未確認)
※2002年10月現在まで寄稿が続いていまるそうです。
2001/7:草思社『草思』(未確認)
2001/7:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 35:ミサイルの人間臭さとTMDのアンチ歴史性
2001/7:『歴史読本』
少子化?大歓迎!
2001/9:杉山穎男事務所『武道通信十六ノ巻』
遅れてきた格闘技ファン
対談:前田日明×兵頭二十八
街宣車から見えた日本(杉山穎男×兵頭二十八)
2001/7:文藝春秋『諸君!』
識者100人アンケート 近現代史を知る500の良書
”合衆国戦略爆撃調査団報告”を推薦
2001/7:PHP研究所『パールハーバーの真実』
2001/8/4:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第2回:タブーと階級の終焉論
2001/8:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 36:衆愚から独裁に向う夏には涼しい話を
2001/9/16/8面:『東京新聞』
海中作業の過酷さ 迫真のドキュメント
(「海底からの生還/江畑 謙介 訳」書評)
2001/9:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 37:無敵玉を逃すしかない金縛り結社に死を!
2001/9:産経新聞『正論』
「ムルデカ」は「パールハーバー」に対抗しえたか
2001/12:四谷ラウンド
『地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法』
2001/10:『小説新潮』
”腹立ち日記” 出直して参れ!
2001/10/5:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第3回:タブーと階級の終焉論
2001/10:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 38:「一任期」&「無名人」の志士とは
2001/11:筑摩書房
『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』
2001/11:文藝春秋『諸君!』
偉大な国の「宿命」
2001/11:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 39:悪魔の川下り
2001/12:ビジネス社
『One Plus Book 疫病最終戦争』(本書中の一章を担当)
2001/12:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
2001/12:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 40:オサマにやられた
座談会:アルカイーダ・テロルの思想的衝撃
2001/12:草思社『草思』(未確認)
2002/1:杉山穎男事務所『武道通信十七ノ巻』
爆弾テロの史的考察
キミは今「大きな判断」をしているか?それとも「小さな判断」?:中学生でもわかる兵法:其の九
2002/1:文藝春秋『諸君!』
新・アフガン地政学(兵頭二十八×福田和也)
2002/1:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 41:今年は真菌が新聞社の輪転機に撒かれるだろう
2002/1/13/8面:『東京新聞』
印パ関係も占う情報の重い集積体
(「誰がタリバンを育てたか/マイケル・グリフィン 著」書評
2002/1/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第4回:タブーと階級の終焉論
2002/1:マガジンマガジン社『カリスマ・ムック 石原慎太郎』(未確認)
2002/2:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 42:世の中の半分
2002/2:文藝春秋『諸君!』
後方支援
2002/3:産経新聞『正論』
軍学者が看た「東シナ海海戦」
2002/3:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 43:ゲリラ狩りは王道を進め
2002/3/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第5回:タブーと階級の終焉論
2002/4/10:武道通信かわら版
vol.46 軍師の閑談《一》
2002/4:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 44:狭まる市場に視野を合わせるな
2002/4/25:武道通信かわら版
vol.47 軍師の閑談《二》
2002/4:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』(未確認)
2002/5:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 45:成田市があまりに田舎なので仰天した話
2002/5:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』(未確認)
2002/5/10:武道通信かわら版
vol.48 軍師の閑談《三》
2002/6:産経新聞『正論』
「幇間医」の復権を
※連載コラム『CROSS LINE』はじまり。
2002/6:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』
日本をとりまく”新しい戦争”の”常識”
2002/6:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 46:通信カルチャーの落差を最高所から意識せよ
2002/6:杉山穎男事務所『武道通信十八ノ巻』
対談:田中光四郎×兵頭二十八
人生における「対抗不能性」:中学生でもわかる兵法:其の十
2002/7:産経新聞『正論』
国民国家の常識
2002/7/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第6回:タブーと階級の終焉論
2002/7/25:武道通信かわら版
vol.53 軍師のたわごと《一》
2002/7:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 47:またやっちまったか八街の住人
2002/8/10:武道通信かわら版
vol.54 軍師のたわごと《ニ》
2002/8:四谷ラウンド
『日本人のスポーツ戦略───各種競技におけるデカ/チビ問題』
2002/8:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 48:好きぶすき
2002/8:産経新聞『正論』
愚の甚だしきものは
2002/8/25:武道通信かわら版
vol.55 軍師のたわごと《三》
2002/9:産経新聞『正論』
国の弥栄を祈るならば
2002/9/8/12面:『東京新聞』
”世界的通信傍受の怪 欧州議会報告書を全訳”
(「エシュロン/小倉 利丸 編」の書評)
2002/9/10:武道通信かわら版
vol.56 軍師のたわごと《四》
2002/9:PHP エディターズグループ
『軍学者が語る!沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』
2002/9/25:武道通信かわら版
vol.57 軍師のたわごと《五》
2002/10:産経新聞『正論』
国家の超然安定装置
2002/10/30:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第7回:タブーと階級の終焉論
2002/9:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 49:また「反核・反米・中立」ですかい、旦那?
2002/10:並木書房
『学校で教えない 現代戦争学』
2002/10/10:武道通信かわら版
vol.58 軍師のたわごと《六》
2002/10:杉山穎男事務所『武道通信十九ノ巻』
なぜ軍学者と名乗るのか
武士道と宗教と靖国
対談:「葉隠」を読む(兵頭二十八×嘉村孝)
2002/10/31:武道通信かわら版
vol.59 軍師のたわごと《七》
2002/10/31:武道通信かわら版 臨時増刊号
師弟問答
2002/10:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 50:降伏しない「ロボ・ゾンビ」
2002/11:産経新聞『正論』
“心の自由”の代価
2002/11:杉山穎男事務所『ヤーボー丼───いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか』(電子ブック)
2002/11/10:武道通信かわら版
vol.61 軍師のたわごと《八》
2002/11/12:講演会「:「君は戦争を見たか───会津戦争からテロ戦争まで───」(加藤健二郎氏との合同講演会
)
2002/11/25:武道通信かわら版
vol.62 軍師のたわごと《九》
2002/11:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 51:なぜ国家公務員は自由市民であってはいけないか
2002/12:産経新聞『正論』
多目的ダムの効用
2002/12:杉山穎男事務所『 日本の防衛力再考』(電子ブック)
2002/12/10:武道通信かわら版
vol.63 軍師のたわごと《十》
2002/12/25:武道通信かわら版
vol.64 軍師のたわごと《十一》
2002/12:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 52:指導者の精神力をコンテストさせよ
2003/1/8:PHP研究所
「戦争と経済」のカラクリがわかる本───アングロサクソン「常勝」のヒミツ
2003/1:産経新聞『正論』
「司馬法」をかみしめる日
2003/1:教育システム社『TOP JOURNAL』
2003年、起こるかもしれない戦争と使われるかもしれない兵器
2003/1/10:武道通信かわら版
vol.65 軍師のたわごと《十三》
※”軍師のたわごと《十二》”は存在しない。
2003/1/25:武道通信かわら版
vol.66 軍師のたわごと《十四》
2003/1/26:講演会「日本の歴史教育について───軍学者による次世代育成論───」(未確認)
2003/1:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 53:スケープゴート注意報
2003/2:産経新聞『正論』
テレビという大衆麻薬
2003/2:杉山穎男事務所『武道通信二十ノ巻』
会津戦争の今日的戦訓
2003/2:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 54:ハゲタカが来る前にこっちでバラバラにすればいい
2003/2/28:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第8回:タブーと階級の終焉論
2003/2/25:武道通信かわら版
vol.68 軍師のたわごと《十五》
2003/3:産経新聞『正論』
TMD幻想から覚めよ!日本の「核武装」放棄で笑うのは誰か
地方活性化に妙手あり
2003/3:PHP研究所『voice』
対談:ノドンなんか怖くない(兵頭二十八×福田和也)
2003/3:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 55:やる事やらずに口だけの腐った精神を退治せよ
アメリカがイラクで妄動せば
2003/3:新潮社『新潮45』
徹底検証!ニッポンの「自衛力」
2003/3/1/23:00~24:00:d-NAVI STATION(ch.400=総合放送)「四人組」(デジタルラジオ)(未確認)
2003/3/8/23:00~24:00:d-NAVI STATION(ch.400=総合放送)「四人組」(デジタルラジオ)(未確認)
.
2003/3/10:武道通信かわら版
vol.69 軍師のたわごと《十六》
2003/3:杉山穎男事務所『日本の海軍兵備再考』(電子ブック)
2003/3/10:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第9回:タブーと階級の終焉論
2003/3/25:武道通信かわら版
vol.70 軍師のたわごと《十七》
2003/3/29:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
第10回:タブーと階級の終焉論
2003/4:産経新聞『正論』
アメリカが「中国化」する時
2003/4/5・12・19・26/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』
(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)(4/5・12分未確認)
兵頭二十八×河上和代
2003/4:新潮社『新潮45』
徹底検証!ニッポンの「攻撃力」
2003/4:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 56:「マハンの設計図」はいつまで有効か?
2003/4:教育システム社『TOP JOURNAL』
日本にある米軍基地の軍事力
2003/4:PHP研究所(PHP エディターズ・グループ)
ニュースではわからない 戦争の論理
2003/4/25:武道通信かわら版
vol.72 軍師のたわごと《十九》
2003/4/10:武道通信かわら版
vol.71 軍師のたわごと《十八》
2003/5:産経新聞『正論』
都道府県は要らない
2003/5:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 57:「かきあつめの原則」と政治の拙速要求とのギャップ
2003/5/3・10・17・24・31/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
2003/5/10:武道通信かわら版
vol.73 軍師のたわごと《二十》
2003/5:杉山穎男事務所『武道通信二十一ノ巻』
スポーツ道場の経営戦略
2003/5/25:武道通信かわら版
vol.74 軍師のたわごと《二十一》
2003/5/27:経済界『経済界』
BOOKS REVIEW『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』著者インタビュー
2003/6:産経新聞『正論』
ラチェットとノッチ
イラク戦争で「国連」は終わった国家としての日本が復権する日
2003/6:杉山穎男事務所『修士論文』(電子ブック)
2003/6:杉山穎男事務所『陸軍機械化兵器』(電子ブック)
2003/6:文藝春秋『諸君!』
ラムズフェルド改革の正体を見た!
2003/6:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 58:ラムズフェルド氏の正体
2003/6/7・14・21・28/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
6/14:ゲスト:小松直之
6/28:ゲスト:加藤健二郎
2003/6/10:武道通信かわら版
vol.75 軍師のたわごと《二十二》
2003/6/12:兵頭二十八講演会「核武装の理解のために」(未確認)
主催:早稲田大学國策研究會
2003/6/25:武道通信かわら版
vol.76 軍師のたわごと《二十三》
2003/7:並木書房『戦争の正しい始め方、終わり方』
兵頭二十八:別宮暖朗 共著
2003/7:産経新聞『正論』
意外な見つけ物
2003/7:文藝春秋『諸君!』
「北朝鮮後」の大混乱に備えよ!
2003/7/5・12・19・26/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
7/12:ゲスト:京野一郎(ながい・みちのり)
7/26:ゲスト:高城正士(漢字が違うかもしれない)
2003/7/10:武道通信かわら版
vol.77 軍師のたわごと《二十四》
2003/7/14:エヌピー通信社『納税通信』
日本の税制再考
2003/7:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 59:たいこもち 宗旨ばかりは負けて居ず
2003/7/22:『THE NEW YORK TIMES』
JAPAN Confronting a Burden;Its Own Defence
2003/7/25:武道通信かわら版 vol.78
軍師のたわごと《二十五》
軍事史からみた「南京事件の真実」――推薦文にかえて「なぜ第一次大戦がポイントなのか」
2003/8:産経新聞『正論』
役立たずの老犬
夜間航海
2003/8/2・9・16・23/19:00~20:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
8/23:ゲスト:日高 克
2003/8:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言60:「単一戦場燃料」で北海道経済が変わる
2003/8:黙出版『MOKU』
有事法制の先にあるもの
対談:兵頭二十八:別宮暖朗
2003/8/25:武道通信かわら版 vol.80
軍師のたわごと《二十六》
2003/8/20・9/3:小学館『SAPIO』
帝国陸海軍の二の舞を避けるためにも「軍学」の復権を提唱する
2003/9/6・13・20・27/19:00~20:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
9/6:ゲスト:新藤 保
9/13:ゲスト:井上 公司
9/27:ゲスト:タダ リュウヘイ
2003/9:産経新聞『正論』
核軍備をめぐる”バカの壁”
2003/9:杉山穎男事務所『陸軍歩兵兵器』(電子ブック)
2003/9:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 61:一洗して尽く「耳タコ」惑問選
2003/9/10:武道通信かわら版 vol.81
軍師のたわごと《二十七》
2003/9:杉山穎男事務所『武道通信 二十二ノ巻』
藍は情報をネットした
失われた古流刀法
2003/9/25:武道通信かわら版 vol.82
軍師のたわごと《二十八》
2003/10:産経新聞『正論』
近代日本の真の課題
2003/10:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 62:世襲議員は増やしてよい
2003/10:杉山穎男事務所『軍事史からみた「南京事件」の真実』(冊子)
著者:別宮 暖朗
解説:一軍学者から観た「本書の眼目」(兵頭二十八)
2003/10/10:武道通信かわら版 vol.83
軍師のたわごと《二十九》
2003/10:杉山穎男事務所『「日本有事」って何だ――超過激 VS常識問答』(電子ブック)
2003/10/25:武道通信かわら版 vol.84
軍師のたわごと《三十》
2003/11:産経新聞『正論』
猫に小判の「新幹線」
2003/11/10:武道通信かわら版 vol.85
軍師のたわごと《三十一》
2003/11/10:新聞 『Le Figaro』
Le pcifisme japonais a des etats d’ame
2003/11:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 63:倫理支配か法律支配か行政支配か
2003/11/25:武道通信かわら版 vol.86
軍師のたわごと《三十二》
2003/12:産経新聞『正論』
「民主党」とは如何なる名乗りか
2003/12:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 64:PKF用の車両の選択を誤るな
2003/12/10:武道通信かわら版 vol.87
軍師のたわごと《三十三》
2003/12/15/4面:エヌピー通信社『納税通信』
住基ネットが描く未来
2003/12:『新潮45』
海外派兵大賛成論
2003/12/25:武道通信かわら版 vol.88
軍師のたわごと《三十四》
2004/1:産経新聞『正論』
非礼を承知の用心を
2004/1/5/9面:エヌピー通信社『納税通信』
ここが変だよ確定申告
2004/1:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 65:寒冷地域を中央のお荷物にするな
2004/1:並木書房
『ニッポン核武装再論』
2004/1/25:武道通信かわら版 vol.89
軍師のたわごと《三十五》
2004/2:産経新聞『正論』
案じること、安んじること
2004/2:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 66:長期戦争中の米国にどうつきあえるか
2004/2:教育システム社『BAN』(旧:TOP JOURNAL)
緊急レポート 自衛隊派遣[自衛隊はイラクで何をするのか、自衛隊は何ができるのか]
2004/2/10:武道通信かわら版 vol.90
軍師のたわごと《三十六》
2004/2/16:近代出版社『自治特報』(no.555)
地方分権のあり方を問う───世界経済に挑む本丸は東京
2004/2/25:武道通信かわら版 vol.91
軍師のたわごと《三十七》
2004/3/10:武道通信かわら版 vol.92
軍師のたわごと《三十八》
2004/3:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 67:捕虜および捕虜の家族の心得
2004/3:杉山穎男事務所『武道通信 二十三ノ巻』
対談:天皇制武士道(兵頭 二十八×佐山 聡)
鼎談:戦争をもっと語ろう(別宮 暖朗×兵頭 二十八×佐山 聡)
2004/3:産経新聞『正論』
「雪まつり」は誰のおかげ
能天気なのは日本だけ 中国「宇宙戦略」の脅威
2004/3/25:武道通信かわら版 vol.93
軍師のたわごと《三十九》
2004/3:新潮社『新潮45』
悪徳大国・中国の「宇宙軍拡」シナリオ
2004/3:並木書房『「坂の上の雲」では分からない 旅順攻防戦』(別宮 暖朗 著)
※1章で兵頭 二十八×別宮 暖朗 対談
2004/4/10:武道通信かわら版 vol.94
軍師のたわごと《四十》
2004/4:産経新聞『正論』
海上保安庁の独立を望む
2004/4:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 68:弾薬の問題
2004/4/25:武道通信かわら版 vol.95
軍師のたわごと《四十一》
2004/5:産経新聞『正論』
タイガーマスクの嘆息
書評:「坂の上の雲」では分からない 旅順攻防戦
2004/5/10:武道通信かわら版 vol.96
軍師のたわごと《四十二》
2004/5:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 69:資源安保という課題・ディーゼル乗用車という解答
2004/5/17:エヌピー通信社『納税通信』
老けこみ知らずの鍛錬術
※10連載の最終回
2004/5/25:武道通信かわら版 vol.97
軍師のたわごと《四十三》
2004/5:中央公論新社『三略』
眞鍋 呉夫 訳/兵頭 二十八 解説
2004/6:産経新聞『正論』
汝自身を知れ
2004/6/10:武道通信かわら版 vol.98
軍師のたわごと《四十四》
2004/6:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 70:いつでも撃てるようになった自衛隊
2004/6:文藝春秋社『文藝春秋』
有坂成章「世界最優秀小銃」の威力
2004/6/25:武道通信かわら版 vol.99
軍師のたわごと《四十五》
2004/7:産経新聞『正論』
善意が呼び寄せる危機
2004/7:新潮社『新潮45』
ジェイキンズ軍曹にみる「脱走兵」の研究
2004/7:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 71:よい首脳が得られる選挙制度はありますか
2004/7:教育システム社『BAN』
SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第一回
2004/7/10:武道通信かわら版 vol.100
軍師のたわごと《四十六》
2004/7/27:武道通信かわら版 vol.101
軍師のたわごと《四十七》
2004/8:産経新聞『正論』
近世日本語文化の伝統知
2004/8:教育システム社『BAN』
SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第二回
2004/8/11:武道通信かわら版 vol.102
軍師のたわごと《四十八》
2004/8/1面:経営者漁火会『漁火新聞』(第133号)
乃木さんは見ている
2004/8:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 72:レーダーと日本人は相性が悪いのか?
2004/8/23/10面:エヌピー通信社『納税通信』
今こそ宇宙開発に税金投入を
2004/8/25:武道通信かわら版 vol.103
軍師のたわごと《四十九》
2004/9:産経新聞『正論』
プロ野球一リーグ化の暁
2004/9:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 73:尖閣沖油田とメジャーの関係を誤解するな
2004/9:教育システム社『BAN』
SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第三回
2004/9/10:武道通信かわら版 vol.104
軍師のたわごと《五十》
2004/9/20/4面:エヌピー通信社『納税通信』
「開かれた社会」の派兵責任
2004/9:杉山穎男事務所『日本海軍の爆弾』(電子ブック)
※発売年月に確証が無い。
2004/9/25:武道通信かわら版 vol.105
軍師のたわごと《五十一》
2004/10:産経新聞『正論』
あらためて核の傘を
2004/10:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 74:自衛隊の三菱ジープが燃えない理由
2004/10/10:武道通信かわら版 vol.106
軍師のたわごと《五十二》
2004/10:教育システム社『BAN』
SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第四回
2004/10/25:武道通信かわら版 vol.107
軍師のたわごと《五十三》
2004/11:産経新聞『正論』
小人国家の運命
2004/11:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 75:自衛隊不良装備の切り捨てが始まった
2004/11/10:武道通信かわら版 vol.108
軍師のたわごと《五十四》
2004/11:文藝春秋『諸君!』
乃木と明治帝を結ぶ「近代の覚悟」:『乃木希典/福田和也 著』書評
2004/11/25:武道通信かわら版 vol.109
軍師のたわごと《五十五》
2004/11:教育システム社『BAN』
SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第五回
2004/12:新紀元社『あたらしい武士道───軍学者の町人改造論』
2004/12:産経新聞『正論』
シナと呼ばない稀有な国
2004/12/10:武道通信かわら版 vol.110
軍師のたわごと《五十六》
2004/12:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 76:なぜ社会監視手段としてインターネットは重宝か
2004/12/20:武道通信かわら版 vol.111
軍師のたわごと《五十七》
2004/12:教育システム社『BAN』
SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第六回(最終回)
2004/12/30:武道通信かわら版 vol.112
軍師のたわごと《五十八》
2004/12/31/20:00~24:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
日本よ、今...「日本の核武装」
2005/1:産経新聞『正論』
ボルテージが低いぞ
2005/1:西部邁事務所『発言者』(未確認)
ひょーどー漫言 77:護身の百聞は一験に如かず
2005/1:教育システム社『BAN』
「漢級」原子力潜水艦の領海侵犯事件───その真相と背景を探る!!
2005/1/10:武道通信かわら版 vol.113
軍師のたわごと《五十九》
2005/1/3/9面:エヌピー通信社『納税通信』
日本の防衛力と税金を再考する
2005/1:新潮社『新潮45』
シナ原潜、何しにきた?
2005/1/24:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 1:ワナメーカーの非常識
2005/1/30:武道通信かわら版 vol.115
軍師のたわごと《六十》
2005/1:杉山穎男事務所『武侠都市宣言!――戦後「腐れ史観」を束にして斬る』(電子ブック)
※発売年月に確証が持てない。
2005/2:産経新聞『正論』
素手で熊と戦えと?
中国原潜事件───お家芸の”恫喝”で露呈した張り子の虎の実力
2005/2/7:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 2:「安宅丸」と「お台場」
2005/2:西部邁事務所『発言者』
ひょーどー漫言 78(終):八重山に反日感情は無いが、台湾を警戒す
2005/2/10:武道通信かわら版 vol.116
軍師のたわごと《六十一》
2005/2/14:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 3:飛行艇の定期旅客便はなぜ困難か
2005/2/21:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 4:農業で農耕機械は買えたか?
2005/2/26/18:00~21:00:軍事学セミナー2月例会(未確認)
戦後における旧軍兵器の再評価/講師: 兵頭二十八
2005/3:産経新聞『正論』
「新タワー」は要らない
”眼下の脅威”にどう対応する 「数値」から読み解く二〇〇五年の日中・米中角逐
2005/3/3/19:00~20:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
『日本の息吹』
ゲスト:兵頭 二十八:佐山 聡
2005/3/7:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 5:エジソンの直流電気事業
2005/3:ダイヤモンド社『Kei』
日本の核武装はいつまでタブーか?
2005/3/14:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 6:空冷が得な場合、損な場合
2005/3:西部邁事務所『北の発言 第12号』
北海道防衛の〈かつて〉と〈いま〉 [1]:標津・羅臼に共産軍は来なかった
(連載開始)
2005/3/21:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 7:ヨーロッパの「ドリル」の意味
2005/3:草思社『ある歩兵の日露戦争従軍日記』
著 茂沢祐作:解説 兵頭 二十八
2005/3:杉山穎男事務所『武道通信 二十四ノ巻』
対談:古代ギリシャ人の「勇気」に学べ───それは儒教道徳とどう違ったのか?
兵頭二十八:鎌田雅年
対談:近代に悩むとも「幸田露伴」になるな
兵頭二十八;武道通信編集部
目潰し考───サムライのオーラを発するための平素の心得
2005/4/4:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 8:日本人のパンクチュアリティ
2005/4/10:武道通信かわら版 vol.122
軍師のたわごと《六十二》
2005/4:産経新聞『正論』
我に売るものあり
2005/4/11:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 9:涼しいことはいいことだ
2005/4/18:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 10:列強を狂わせたインド植民地
2005/5:新潮社『新潮45』
「沖ノ鳥島」を改造せよ!
2005/5/9:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 12:デカルトのグラフ
2005/5:産経新聞『正論』
陸海軍を巡る大きな謎
2005/5/16:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 13:産業と自然保護の両立
2005/5:草思社『草思』(未確認)
銀シャリの呪い
2005/5/30:武道通信かわら版 vol.127
軍師のたわごと《六十三》
2005/6:産経新聞『正論』
「ご禁制」の島でいいのか
2005/6:新紀元社
『精解 五輪書 ───宮本武蔵の戦闘マニュアル』
宮本武蔵 著:兵頭二十八 解説
2005/6/6:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 14:字体と活字と視力
2005/6/10:武道通信かわら版 vol.128
軍師のたわごと《六十四》
2005/6/13:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 15:風を利用しやすい土地、しにくい土地
2005/6:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 1:上原勇作
※雑誌『発言者』の後継
隔月間・偶数月16日 発行
2005/6/20:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 16:英語の何が有利だったか(前編)
2005/6/30:武道通信かわら版 vol.131
軍師のたわごと《六十五》
2005/7:産経新聞『正論』
吉川英治とX氏
2005/7/4:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 17:英語の何が有利だったか(後編)
2005/7/11:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 18: 「縁起が良い墓」にこだわった人たち
2005/7/18:エヌピー通信社『納税通信』
世界史に見る節約と効率 19:大きな秘密を簡単に管理する方法
2005/7/27:小学館『SAPIO』
北朝鮮との真の決戦場はわが国の「国会」にあり
2005/7/25:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 20:絶滅しにくい害獣と、しやすい生物資源
2005/7/30:武道通信かわら版 vol.134
軍師のたわごと《六十六》
2005/8:産経新聞『正論』
靖国神社の本務とは
1937年の真実 日支戦争は日本の侵略ではない
(対談:兵頭 二十八:別宮 暖朗)
2005/8/1:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 21:戦前の日本が真似できなかったテーラー・システム
2005/8:文藝春秋『諸君!』
『国家の罠』佐藤優の狂えるロシア認識
2005/8/15:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 22:世界的に異色な日本のコミック産業
2005/8/22:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 23:稼げるスポーツと稼げないスポーツ
2005/8/29:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 24:靴の重要性───
2005/8/30:武道通信かわら版 vol.137
軍師のたわごと《六十八》
2005/9:産経新聞『正論』
宣伝戦の要諦
2005/9/5:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 25:疲れない椅子はあるか?
2005/9/12:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 26:潜水具と信用
2005/9/13:武道通信かわら版 vol.139
堀江氏を対抗馬にぶつけたのは総理の芝居
2005/9:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 2:永田鉄山
2005/9/20:武道通信かわら版 vol.140
軍師のたわごと《六十八》
2005/9/30:武道通信かわら版 vol.141
軍師のたわごと《六十九》
2005/10:産経新聞『正論』
小泉「郵政解散」の暗号を読み解く───なぜ私はプロ・コイズミ候補圧勝を期待するか
現代戦史の奇観
2005/10/10:武道通信かわら版 vol.142
軍師のたわごと《七十》
2005/10/20:武道通信かわら版 vol.143
軍師のたわごと《七十一》
2005/10/30:武道通信かわら版 vol.144
軍師のたわごと《七十二》
2005/10:PHP研究所
『技術戦としての第二次大戦───日本VS中ソ米英篇』
兵頭二十八:別宮暖朗 共著
2005/11:産経新聞『正論』
酔生夢死となるまじき
2005/11/10:武道通信かわら版 vol.145
軍師のたわごと《七十三》
2005/11/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第1回:ジャンジャック・ルソー『人間不平等起源論』
※連載開始
2005/11:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 3:竹下勇
2005/11/20:武道通信かわら版 vol.146
軍師のたわごと《七十四》
2005/11/20:武道通信かわら版 vol.146(続編)
軍師のたわごと《七十四》
2005/11/30:武道通信かわら版 vol.147
軍師のたわごと《七十五》
連載開始:HG対談《一》:兵頭二十八/後藤よしのり
2005/11:西部邁事務所『北の発言 第16号』(未確認)
住めば都の奥尻島分屯基地
2005/12:産経新聞『正論』
法務テロリストの跋扈
書評:驕れる白人と闘うための日本近代史/松原久子 著:田中敏 訳
2005/12:中央公論新社 中公文庫 BIBLIO:クラウゼヴィッツ 『戦争論』の誕生
ピーター・パレット 著:白須英子 訳
兵頭 二十八/郷田 豊 解説
2005/12/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第2回:ジョン・スチュアート・ミル『代議制統治論』
2005/12/10:武道通信かわら版 vol.148
軍師のたわごと《七十六》
HG対談《二》:兵頭二十八/後藤よしのり
2005/12/13:兵頭二十八講演会「プロパガンダの時代~如何にして日本の主張を世界に発信するか~」(未確認)
主催:早稲田大学國策研究會
2005/12/18/15:00~16:00:SKY PARFECT TV『週間 武道通信TV』
(毎週日曜日 15:00~16:00)
司会:杉山ひでお・高野華恵
ゲスト:兵頭二十八
2005/12:PHP研究所 PHP文庫
パールハーバーの真実 技術戦争としての日米海戦
2005/12/20:武道通信かわら版 vol.149
軍師のたわごと《七十七》
2005/12/30:武道通信かわら版 vol.150
軍師のたわごと《七十八》
HG対談《三》:兵頭二十八/後藤よしのり
2006/1:産経新聞『正論』
公務員削減と総背番号制
2006/1:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 4:南部麒次郎
2006/1/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第3回:アレグザンダー・ハミルトン他『ザ・フェデラリスト』
2006/1/10:武道通信かわら版 vol.151
軍師のたわごと《七十九》
2006/1:産経新聞『別冊正論 1』
日中国際宣伝戦争───いかにしてシナのプロパガンダを打ち破るか
米露支三つ巴の有人宇宙計画───彼らは「神舟」によって何をやりたいのか
2006/1/20:武道通信かわら版 vol.152
軍師のたわごと《八十》
2006/1/25:小学館『SAPIO』
東京裁判から慰安婦・靖国まで 中国反日プロパガンダの「現在」「過去」「未来」
2006/1:日本財団『日本人のちから』
宣伝戦をどう戦うか
2006/2:産経新聞『正論』
北京五輪を活用する法
2006/2/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第4回:アダム・スミス『道徳感情論』
2006/2/10:武道通信かわら版 vol.154
HG対談《四》:兵頭二十八/後藤よしのり
2006/2:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 5:小畑敏四郎
2006/2/27/19:00~20:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
『人間の杜』
ゲスト:兵頭 二十八
2006/3:サンラ・ワールド株式会社『力の意思』
宣伝戦
2006/3/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第5回:ルース・ベネディクト『菊と刀』
2006/3:教育システム社『BAN』
ブラック・プロパガンダに勝つために
2006/3/30:武道通信かわら版 vol.159
HG対談《二》:兵頭二十八/後藤よしのり
※多分《五》の間違い
2006/3:並木書房『陸軍戸山流で検証する───日本刀真剣斬り』
兵頭二十八:籏谷嘉辰 共著
2006/3:産経新聞『正論』
左巻き弁護士のリストラを
2006/3:文藝春秋『諸君』
書評:日本の「戦争力」 小川和久 著
2006/4:西部邁事務所『北の発言 第18号』(未確認)
滑走路4本、40機のF-15が展開する空自最強の拠点
2006/4/10:武道通信かわら版 vol.160
軍師のたわごと《八十一》
2006/4/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第6回:トマス・ホッブズ『哲学者と法学徒との対話』
2006/4/20:武道通信かわら版 vol.161
軍師のたわごと《八十二》
2006/4:産経新聞『正論』
皇室廃絶運動の背景史
放置しておくのが一番
2006/4:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 6:田中静壹
2006/4:文藝春秋『諸君!』
核武装していない日本など怖くない───と言われたら
2006/5:産経新聞『正論』
「内なる敵」を知れ
2006/5:文藝春秋『諸君』
鼎談:「北の核」より「中国の核」───「核の選択」を真剣に考える時が来た
伊藤 貫:兵頭 二十八:平松 茂雄
2006/5:光人社『大東亜戦争の謎を解く───第二次大戦の基礎知識・常識』
別宮 暖朗:兵頭二十八 共著
2006/5/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第7回:ガリレオ・ガリレイ『天文対話』
2006/5/13/21:00~24:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
闘論!倒論!討論!2006 日本よ、今…「中国・朝鮮半島外交と核武装」
2006/5/20:武道通信かわら版 vol.164
軍師のたわごと《八十三》
2006/5/30:武道通信かわら版 vol.165
軍師のたわごと《八十四》
2006/6:産経新聞『正論』
セキュリティと景気
2006/6/10:武道通信かわら版 vol.166
HG対談《六》:兵頭二十八/後藤よしのり
2006/6:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 7:板垣征四郎
2006/6/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第8回:アウレリウス・アウグスチヌス『告白』
2006/7/1:維新政党 新風『新風』
緊急解説 北朝鮮「弾道ミサイル」を誤解しないために
2006/7/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
対談:北朝鮮へ断固たる制裁を、すべての拉致被害者奪還をめざせ
兵頭二十八×藤吉邦道(会長)
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第9回:トマス・モア『ユートピア』
2006/7/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
第1回
2006/8:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
座談会:思想としての核
富岡幸一郎(司会):大塚英志×兵頭二十八×西部邁
近代未満の軍人たち 8:田中隆吉
2006/8/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第10回:ジョン・ロック『市民政府論』
2006/8:産経新聞『正論』
西欧を「人質」にとるシナ
2006/8/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
第2回
2006/9:産経新聞『正論』
蘇峰は乱臣賊子を悪まずや?
2006/9/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
西洋の名著から人権思想を捉え直す 第11回:小プリニウス『書簡集』
2006/9/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
第3回
2006/10:産経新聞『正論』
シナにとっての東京裁判
2006/10:宝島社 別冊宝島『栗林忠道───硫黄島の戦い』
検証Part1 日米開戦、そして硫黄島
検証Part2 日米開戦、そして硫黄島
寄稿:兵頭二十八:別宮暖朗 他
2006/10:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 9:畑俊六
2006/10/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
第4回
2006/11:産経新聞『正論』
「義務」を果たした栗林忠道
2006/11/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
第5回
2006/12:PHP研究所『日本有事───憲法(マックKEMPOH)を棄て、核武装せよ! 』
兵頭二十八 著
2006/12:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 10:寺島健
2006/12:産経新聞『正論』
「戦後市民」の正体
2006/12/7:兵頭二十八講演会「核戦争に備えよ───あなたは愛する人を守れますか?───」
主催:新風20代の会
2006/12/8:兵頭二十八講演会「とりもどせ!!国家の誇りと日本のくらし───北朝鮮の核ミサイル」(未確認)
主催:維新政党・新風 和歌山県本部
2006/12/10/15:00~16:00:SKY PARFECT TV『週間 武道通信TV』
(毎週日曜日 15:00~16:00)
ゲスト:兵頭二十八
2006/12/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
第6回
2007/1:産経新聞『正論』
「千篇二・律」の反日言辞
2007/1/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
第7回
2007/2:産経新聞『正論』
鎖国時代の「最小関与」に学ぶ
靖国も千鳥ヶ淵も「無名戦士の墓」になりえない理由
2007/2/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
第8回
2007/2:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 11:小磯國昭
2007/3:産経新聞『正論』
真理の敵を見破る方法
2007/3:光人社『東京裁判の謎を解く───極東国際軍事裁判の基礎知識』
別宮暖朗:兵頭二十八 共著
2007/4:産経新聞『正論』
電波による選挙干渉を防げ
新聞では分からない中国衛星破壊実験、ホントの意味
2007/7/16:日本列島勇気倍増計画 行動までのあと一歩について
勇気と文明と社会(1)
2007/9/1:日本列島勇気倍増計画 行動までのあと一歩について
勇気と文明と社会(2)
2008/1:光人社『兵頭二十八軍学塾───日本の戦争 Q&A』
2008/3:並木書房『逆説・北朝鮮に学ぼう!───ヘタレの日本に明日はない』
2008/3:PHP研究所『【新訳】孫子───ポスト冷戦時代を勝ち抜く13篇の古典兵法』
A:”(未確認)”は、管理人が未確認であるという意味です。
(それ以外の意味に取りようもありませんが……。)
B:根本的な間違い(「そんなコラムは無い」というような)は無いと思いますが小間隔の間違いは必ずあると思います。
C:1つのものに対して複数個情報を頂いた場合、片方が確定的なものでない限り、私が確認するまで併記しています。
掲示板やメールで情報をくださった総ての方に、改めて感謝。
(2020年2月 記)
この不完全なワークリストが、当サイトのマスターピースです。当サイトは結局のところ、このワークリストを作るために開設したのだと思います。
(2014年8月31日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)
(兵頭二十八先生 より)
地球人口は、増えやすい条件が与えられれば、とめどなく、しかも急速に増える。じっさいに今、爆発的に増えているさいちゅうだ。
人類のエネルギー消費量は、「人口×経済発展」に比例して増える。消費されるにともない、石油もガスも、掘り出しやすい鉱区から消えていく。
かたや、石油やガスの採掘技術は、ゆっくりしか進歩しない。それゆえエネルギー需給は逼迫する。エネルギーの生産価格や取引価格は、高騰する。
地球上の土地(可住地と可耕地)は有限であり所与である。そして今の食料生産は、石油・ガスに決定的に依存する。
以上から、いつの日かわれわれの入手可能な食糧の売価も高騰してしまうことは必然である。
では、わたしたち地方住まいの暇人は、近未来の「細民飢餓」を回避するため、何をすべきか?
もしあなたが、放任で勝手に山野に増殖する有用植物を一つでも発見、もしくは改良することができたなら、あなたは人類全体を救えぬにしても、地域の人々、または家族や知人を、救えるかもしれない。
すくなくとも世の中は、前よりも明るくなるだろう。
このような課題意識から、わたしは自宅(借家)と続きの荒地(いつかは宅地開発されるのだろうが…)にて、細々とした「環境美化・兼・実験」をスタートした。それによって判ったことや判らないことを写真でリポートすることで、日本の各地域に居住している同憂の士を鼓舞できたなら、望外の幸せと思う。
世の中、じつにイライラさせられるニュースが多い。「どいつもこいつも……」と、しじゅう、うめきたくなる。だが、植物の時間は人間のサイクルとはぜんぜん別に流れている。観察のためにそれと付き合っているうちに、人もまたマイペースの落ち着きをとりもどすことができる。
以下、「4-10」等の数字は撮影月日を示す。すべて2014年である。一帯は函館市内の、標高50m前後のところに位置する。隣接して二級河川の谷があるので、低湿地ではない。
この荒地実験場で越冬したうえ春最初に咲くのは球根の黄花節分草である。北海道専用の園芸本で、早い早いと定評ある球根、たとえばチオノドクサやクロッカスやプスキニアよりもずっと早い。ただしフクジュソウには確実に負けるはずだ。写真奥の列はシラー。手前のロゼットが実生のヒゲナデシコだとは、ことし、咲いてみるまで分からなかった。
エゾエンゴサクは昔から地下の球根を食べられる植物として知られていたようなのだが、通販で入手した球根はウサギの糞のように小さく、春に生えて来た茎も踏み圧にとても弱く(この荒地は人の出入り自由なため子供が踏むことあり)、こんなものを人が掘りはじめたら瞬時に根絶やしとなるだろうと思われた。自生地も山の南斜面に限られるようで(カタクリと並んで同じ時期に開花する、いわゆるスプリング・エフェメラル)、とても、山林豊饒化の切り札にはならないというのがわたしの見立てだ。
アブラナ科の菜花が、なんのマルチング(藁とかビニール膜などをぴったりと被せて覆うこと)もしないのに北海道で越冬して多年草であることを証明し、しかも、基部が木化するなんて、信じられますかい? このノラボウナはオランダ人がジャワあたりから長崎に持ち込み、江戸時代の埼玉県で最初に普及し、「三倍体」のためまったく進化(性質変化)せずに今日まで細々と伝わっているという。なぜ南方の植物がこんなにも寒さに強いのか、不思議というほかはない。写真中央の長い根は、川土手に自然に生えている別な植物。その左右の2株が、2013年3月に種をじか播きした、のらぼうな。
2年目のノラボウナが開花するとこんな感じ。ここはオニグルミの叢林端で、頭上が日蔭なのでこの程度だが、今年、ある人に種をお分けして本式の畑で栽培してもらったところ、初年にしてとてつもない巨大株になった。こいつは園芸植物としてもっと全国に普及させ、山林や荒野を豊饒化させ、近未来の飢饉に備えたらどうかと思う。なお、無農薬だとタイミングが悪ければ紋白蝶の幼虫に葉が食われまくる。が、一回越冬したあとなら、さんざんに食害されても枯れ死ぬことはない。イチオシの奇蹟の植物である。
野外で自然越冬させたノラボウナは、7月にはタネ化してしまう。このサヤの中に大量の種が詰まっている。食用とするのは葉の部分。必要量だけ切って、短時間、煮る。味には何の癖も無い。
球根のカマッシアは、北米インディアンが食用にしていたというから、当地での適性を見るために植えてみた。球根は、何年も植えっ放しにしておくと、相当に太るようだ。しかし調理法を工夫しないと毒だそうである。こいつは折鶴のような形状の葉が特徴的だ。そしてその占有面積がけっこうある。花色が薄いのでずいぶん近づかないと目立たない。また、子供はこの花茎を打ち倒したいという欲望を禁じ難いようである。打ち倒されると、二番手の茎は出てこず、その年はもうおしまいだ。4月くらいにさっさと咲いてしまえばいいのに、5月下旬まで開花しないからいけない。葉は8月になると枯れてしまう。
「子供からの攻撃」という攪乱要因にもじゅうぶんに耐える高勢の耐寒多年草は、「ヘリオプシス・サマーナイト」だと思っている。人の背丈ほどにもなる黄色花だが、茎を10本ばかり途中からヘシ折られてもすぐ新枝を出してそこから再開花。植えて1年目から叢林状を成し、台風でも倒伏しないで、たちまち自力で元の姿を取り戻す。花期も長い。しかし、こぼれ種で増えないから、荒地には広まらない。
「サマーナイト」に比べると、商品名「宿根ヒマワリ」の類は、花色は類似だがトップヘヴィーで、それほど高勢でもないのに強風一発で茎が折れるか倒れるかする。
2013年に苗を買って自宅の庭の方に定植したら、春からやたらに花盛りが長く、晩秋までタネを製造し続けたのがシレネ・ウニフロラである。そこからとれたタネをすぐに荒地に播いたらどうなるかと思ってやってみた結果が、コレ。ヒゲナデシコにさきがけて、一斉に開花した。もともと這性のはずなのに、二代目は立体ボリュームがある。野草のミミナグサの親類だけあって生命力は強そうだ。
まだ越冬力は確かめ得ていないけれども早春に築山の頂上に苗を植えた「シレネ・ファイアフライ」という通販商品の方は、霜にも負けなかったしスタートダッシュが早い上に花期も長くて驚いた。1株で草叢を成す勢いである。
2012年にタネを撒布した覚えのあるチャイブ。しかし発芽しなかったように見え、完全に忘れていた。それが、2014年にとつじょ、姿を見せた。葱らしい匂いが爽やかである。
サポナリアとはソープワートのことで、これには比較的高勢のものと這性のものがある。写真のピンク花は這性。2013年に苗を買った株のタネをとってすぐ播いたら、それが荒地のあちこちで、この春、開花した。派手色の花は、咲き始めのヒゲナデシコ。
立ち性のソープワートは、7-3にマレーシア機が東部ウクライナで撃墜されたときに現地で野草として開花していた模様。それは、墜落現場の村人が、満開状態のソープワート(もちろん一重)の花束を手向けていた写真にて、承知ができた。この荒地実験場だと立ち性の一重のサポナリアのいちばん早い開花が7-27であったから、ウクライナよりも函館は寒い(もしくは日照が悪い)ということが分かる。
イブキジャコウソウは、イチイの木の下に植えると、のびのびとは増えないように思われる。春に郊外でいろいろと観察すると、イチイの葉からしたたり落ちる雨水には、どうみても、スミレなどの野草を抑制する成分(アレロパシー)が含まれているとしか見えない。しかし、当地の気候で越冬することだけは、確かめられた。
イヴニングプリムローズとは待宵草。ジョンソンズという英国のタネ会社の種(ファーストイヤー・ペレニアル・シリーズ)を2013年3月下旬に地面に直か播きしたところ、その年は無開花で冬となり、すべて無駄になったかと思っていたら、2014年にとつぜんコレですよ。場所は、荒地ではなく庭と私道の境目。「昼咲き月見草(オエノテラ)」は以前、通販の苗で買ったことがあるが、みるみる衰弱して消滅した。ところがこのジョンソンズの実生の方は、越冬した上、勝手にどんどん増殖し続けている。ひとつの花は2日でしぼむが、次から次と開花し続ける。脱帽の品種と思う。
写真の黄色い花は「ダイコンソウ」で、越冬株。右の白いサルビアも越冬株で、こいつは花期が滅法長い。ちなみに青いサルビア類は、当実験地では一冬で全滅する。
カンパニュラのグロメラータ(九州ではヤツシロソウという)。カタログスペック的には、地下茎でどんどん増えるというところが、いかにも頼もしそうなわけであった。しかし、昨年秋に苗を3株、互いに数十m離して植えて越冬させてみた結果は、しょぼいにも程があるじゃないか、という実感であった。
だがこれよりもっと期待を外されたのは「ヤナギラン」だ。他の雑草に負けないように急速に高勢化し、地下茎で増えるだけでなく、シュウメイギクやコウリンタンポポのように綿毛の種で広範囲に子孫を増やすというカタログスペックなのだが、結果は、3株のうちひとつも1mにも届かず、花芽もつかなかった。来年は、より詳細にリポートできるだろう。
まんなかの赤い花は、越冬した除虫菊。ただ、この場所はオニグルミの葉が繁るにつれ急速に日蔭化するので、増殖ペースが遅い。隣のシャスターテイジーも、越冬して株が大きくなったのに、2014年につけた花芽は開花しないでそのまま夏にすべて枯れてしまった。
ミックス種袋に入っていたのだと思われるのが、このオオルリソウ。一年草なのに、何もしなくったって、どんどん増え拡がる。こいつが枯死したときにできるタネは「ひっつき虫」の中でも、衣服からひきはがすのが最も手間である。背面通気性の除草用手袋の布部分などは、すぐボロボロにほつれてしまう。
越冬した上、ひなたではびこりだしたアスチルベを、半日蔭に移植した。これで来年どうなるか観察する。このアスチルベの隣に苗を植えたアガスターシェは、一冬でほぼ全滅してしまった。半日蔭でも越冬する上に、ずいぶん旺盛に増殖するとわかったのは、カクトラノオだが、これは食用にならない。
写真奥の谷際の土手に生えているのはキクイモ。半日蔭でも巨大化する。地下に多数のイモが成り、春に出てくる芽は、一、二度毟ったぐらいでは、じきに復活してくるタフネス。寒冷地の原野山林にも向いた、文句なしの放任救荒植物だろう。右手の黄色いのはカンムリキンバイで、まだ越冬はしてない。
2013年の早春に、残雪の上から、いろいろな花種がミックスされている袋を、複数、ぶちまけた。このうち、多年草は、その年に開花したものはほとんどない。そして、一部は「謎のローゼット」として越冬した。このロゼットが2014年春からだんだん成長してヒゲ状の花芽が見え、さらに開花が始まって、そこでやっと「これはヒゲナデシコ/ビジョナデシコかもしれない」と見当がついた。
この植物のすごいのは、冬季、雪の下でも青々とした状態を保っていることである。しかも、ロゼットが見当たらなかった場所からも、ぞくぞくと立ち上がって開花する。湧くが如き出芽現象は、夏になっても継続している。また、花後にできるタネが大粒で量が多い。この調子だと来年はこの多年草で荒地が埋め尽くされるかもしれない。たまたま、種の性質と、土や気象が、ベストマッチしたのであろうけれども……。
ダイヤーズカモマイルのダイヤーとは染物師のこと。この黄色が、かつては染料になったのだという。多年草なのに、こぼれダネでやたらに増える。そして幼葉の姿でも確実に越冬する。手前の黄色い花の草叢は、2013年夏に咲いたダイヤーズカモマイルの種を秋に無造作にバラ播いた結果だ。タンジーもこのようにして初冬に撒布すると実生で無造作に増えるけれども、ダイヤーズカモマイルほど急速に成長はしてくれない。
これと近縁といわれる矮勢の植物にマトリカリア(フィーバーフュー)がある。2013年に苗を3株植えたが、冬の間に文字通り、消滅してしまった。
1年草なのに、いちど播いたらあとは全自動で(ただしチシマザサの伐採や、ブタクサ、セイタカアワダチソウ、ダンドボロギクのような雑草の抜き取りは必要だろう)毎年春からはびこってくれて、範囲も逐次に拡がるのが、写真手前のクロタネソウだ。花がなければ一見、背の低いコスモスのようでもある。
通常タイプのコスモスも、いっぺん生え始めたら、絶えることはまずない、強健そのものの1年草だが、まだこの時期には、出現しない。
「マシュマロ」の語源は、マーシュ(沼地)のマロウ。根が子供の喘息止めの薬の原料になったそうだ。その花がコレ。手前の鉄砲ユリと比べて、高勢なのがわかるだろう。こいつは実生なのである。豪雨でよく冠水する地点に2013年に播き、同年は矮小ながら少数の開花を見た。それが2014年にはこんなになった。ここまで、周辺の除草以外は、まるっきり放任である。このあと、2日ほど風雨が続いたら、倒伏してしまった。ひきつづき、放置で観察中。
花が咲いてないので分かりにくいが、やはり未開花のシャスターデイジーの株の奥にブッドレアのボサが立っている(エニシダのような感じで)。2013年春に定植したのに、この夏も開花の兆しがなかった。よほど日照をよくしないとダメなのだろう。函館は、海際であるためか、朝に晴れていても午前中に海霧で曇ることが多く、しかも、真夏になっても北海道の内陸部ほどには高温が立て続かない。だから、この地で「半日蔭」のロケーションにするということは、きわめて日照条件が悪いことになってしまうのかもしれない。
2013年に苗を買って定植した白花のガウラの種を取り播きしたのが、この手前の叢。ヒョロヒョロの茎1~2本で越冬し、7月にはもうコレである。このあと一斉に開花して、親株をしのぐ規模となった。ガウラの右奥は、荒地への展開力ではアップルミントなど問題にしないほど旺盛な自然進出を誇る野草の「フランスギク」。自転車置き場(砂利地面)に宿根しているのが毎年邪魔なので、早春に掘り取って無造作に移植したのが、こうして開花している。しかし、わたしが伐開するまでは全面チシマザサに覆われていたこの実験場には、フランスギクはさすがに入り込めてはいなかった。
2013年早春に種苗店の裏庭みたいなところに並んでいた、前年の売れ残りのベロニカブルーエンペラーとやらの古い休眠株を買ってきて、半日蔭へ定植したところが、少し葉が出ただけでその年は開花どころでなく終了。そこで2014年早春にこんどは場所を、西陽以外はすべて当たる「築山」の東斜面に移してやったら好調であった。手前の白花は、ジョンソンの実生のヒルザキツキミソウ。左手奥は、実生でしかも越冬したコケコッコー花(ホリホック)と、苗で越冬したベルガモット(前年は倒伏したが、今年は支柱なしで倒伏せず)。築山の内部には、荒地の各所で掘り出した石ころと、チシマザサの切断した根が堆積している。その上に、1袋198円のツルハドラッグの土をかけたのである。
バーベナボナリエンシスは、別名「三尺バーベナ」。こいつが北海道で越冬しますと確約している園芸本は、1冊もないであろう。しかし、ものはためしで昨秋に苗を定植しておいたら、この通り、開花した。あとは、こいつから実生で拡がって行くかどうかが、注目点である。枯れた茎の上にタネができているのは、苗の位置の目印として輪状に植えておいたアリウムの地上部残骸だ。アリウムは球根だから早春にいちはやく開花して、その下に休眠苗があることを示してくれる。
ガウラについては某タネ会社の説明が、耐寒性に不安があるようなことを注記しているために、園芸書もことごとくそれを踏襲しているが、この荒地での実験の結果、ピンク花も白花も、ここでの越冬には何の工夫もいらないことがわかった。このピンク苗は2013年に定植し、接地部は冬までに木質化してずいぶん頑丈になり、難なく越冬した。その右隣は、野生の2年草のモウズイカが生えてきたので、刈らずに残して観察をしているもの。モウズイカの手前は、実生のルピナスである。その右の草叢は、天下無双のしぶといハーブではないかと思われる「アップルミント」。しかし除草を一切止め、チシマザサやススキを伸ばし放題にすれば、日照がなくなって、アップルミントも消える。
一般に北海道の花壇では、球根植物は、そうでない植物よりも早く、4月とか5月に開花してくれるので、いかにも珍重したくなる価値があり、人々は賞翫するわけである。ところがこのブローディア(別名トリテレイア)は、7月中旬に開花する。もうその頃には、どの庭も花だらけで、存在が埋もれる。
左手のコンクリート塊は、冬の前に顔なじみのハシボソガラスのカラ吉夫婦のためにオニグルミの実をトンカチで割ってやる場所である。「駐車場のクルマに轢かせるなどという手間のかかる真似をするまでもねえ」と手助けをしてやったら、カラスもいろいろなことを教えてくれるようになった。慣れるにつれ、笹刈りなどをしているわたしのすぐ近くで、地中に半分埋もれているオニグルミを掘り出してみせる。「こいつを割ってくださいよ」というわけだ。しかし春は、人間の方が見つけるのが早い(発芽するので)。発芽直後のオニグルミは、地中からゆっくり引き抜いたあと(これはカラスの技能では絶対に無理)、殻に軽いショックを加えるだけで奇麗に二つに割れる。それを石の上に放置すると、カラスが飢えている場合は、ついばむのだけれども、秋の胡桃に比べて、さすがに人気は落ちるように見受ける。
人にもカラスにも発見されなかったオニグルミは、最終的に野鼠が齧っていると思われるのだが、いまだに野鼠の死体も生体も、この荒地で目撃したことがない。余談だが、烏が上空から地上の人間に挨拶するときは、人間の目の周りに届いている太陽光線を一瞬影で遮るような、巧妙なフライ・パスを為す。
通販で苗を2株買ったものだが、1年目の夏からすごい繁茂であったゲラニウム・ジョンソンズ・ブルー。2年目もたいしたものである。築山左麓のは、2013年に植えたアルストロメリア。これも融雪期冠水にめげず、快調。
マルチングなしでは越冬しない可能性が大なのが、小町リンドウ。しかし、非常に条件のわるい場所で、こいつはかろうじて越冬した。だから、築山に移植して、養生することにした。
左端の草叢がソリダスターで、この写真の1週間後に開花した。手前の黄色い花は、「中葉シュンギク」のタネ袋をバラ播いたもの。1年草だが、シュンギクほど安価に、且つ急速に「花畑」を構築できる市販のタネはないだろう。遠方の黄色いのは、ダイヤーズカモマイルである。
実験荒地はわが借家の北側に広がっているのだが、南側には狭い庭がある。そこでも植物越冬をいろいろ実験する。とはいえ、この写真に写っている多年草は、ローマンカモミール(白花)を除くと、まだ当地での越冬力は確認できていない。
左端の「ヤグルマギク」(青花)は、一年草なのに、翌春になると勝手にこぼれ種で再生し、株数が減らない。
それに比べると「アグロステンマ」「ペインテドセイジ」などは翌春はきれいに消滅してしまう。やはり一年草の「クリムソンクローバー」や「マリーゴールド」は翌春すこし再生はするものの、株数は播いた年よりもぐっと減ってしまうと分かってきた。
左手中央のモサモサフワフワした絶妙な触感の多年草は「トードフラックス/リナリアブルガリス」。苗のくせにスタートダッシュが遅い気がするが、黄色の花も咲かないうちから周辺に増え始めるという、はかりしれない増殖ポテンシャルを秘めている。
アキレア(ピンク)の左の株は、実が食べられるワイルドストロベリーなのだが、この苗は残念ながらランナーで野放図に増えていってくれるタイプではなかったようだ。アキレアの手前はカラマツソウの一種。
テウクリウムは、こじんまりしているため、広い荒地ではほとんど目立たない。爆発的に増えるという風でもない。これと相似形の草姿の、ベロニカ・ロンギフォリアの方がずっと高勢で、株も豊かなので、荒地では目立つ。しかしテウクリウムが土のかなり悪い環境で越冬したことは確かである。
2013年に市内の苗店で安く買った宿根かすみ草が、越冬して今年は巨大化した。
ピンク5弁花のこの苗は今年の春に通販で買ったものだから、まだ越冬の実績がない。したがってここでは紹介すべきでもないだろうが、霜の降りる早春にマルチングなしで荒地に定植できたタフさと、開花の早さと、花期の長さを好感した。その背後の叢はセンダイハギ(黄花)で、もう花は終わっている。センダイハギは知らぬ間に長い地下茎を伸ばす。翌年春に、もとの株から1m近くも離れたところから複数の芽が出てくるのである。
朝鮮わたりのミニ芋であるチョロギは、種芋を植えたあと放置しておけばよいそうなので、救荒作物としてすぐれているのではないかと思う。こいつは春に種芋を植えたもので、まだ越冬の試練にはさらしていない。リヤトリスのように上下に延びる花穂にご注目。こいつは園芸品種として改造の余地があるんじゃないか? 放置なのに花期もかなり長い。
園芸家から好まれることは、人為的な拡散につながってくれるので、現代の救荒作物としては、ひとしお高性能だと言えるのである。
写真の奥は、春に苗を植えたのにとうとう花芽すら見せなかったフランネル草(リクニスの赤で、凝った品種ではない)。どこが「こぼれだねでも増え、強健」なのか。
種を播いたおぼえのない植物がいつのまにか勝手に生えてくるのは、面白いものだ。ピンクの花を咲かせているのは、多年草のイヌゴマ。事典では雑草扱いなのだが、これは充分に園芸品種化する価値があるんじゃないか? 地下茎でたくましく増殖する。隣の黄色い花の方は、まだ同定できていないのだが、一年草のコウゾリナかもしれない。この黄色い花は、枯れると綿毛化して種を飛散させる。だから来年は、一面に広がっているかもしれない。
古くからイタリアでサラダ菜とかにされているチコリアを英語でチコリーという。和名ではキクニガナとか呼ぶらしいが、葉を一枚、洗って食べてみれば納得する。この苦さのおかげで、無農薬でもぜんぜん虫に食害されることがない。今年、わたしは3種類のチコリの種を春に荒地にじか播きした。ひとつは「三笠園芸」のチコリーウィトロフ。もうひとつは、玉川園芸の「チコリウムインティビュス」。どちらも通販。もうひとつは地元のホーマックで早春から売っていた「ロッサ・ディ TV」(愛媛県の Life with Green 株式会社がイタリアから輸入している Cicoria Rossa di TV)だ。このうち、ロッサ・ディ・TVがすばやくトウ立ちして開花した。葉の葉脈が白く、その周りの葉表が、赤黒く汚れているかのように見えるタイプだ。
チコリーの特徴として、同じ袋の中のタネなのに、生えてくるものに、さまざまな個性が発現する。葉の形、茎の出かた、じつに千差万別なのだ。ところが、花だけはどれも同じ形らしい。早朝に青く開き、夕方までには、白くなってしぼむ(宿根亜麻も似たような直径でほぼ同色の一日花を次々に咲かせ続けるのだが、白化はしないで落下する)。
ただしチコリーには、播いて1年目には、開花しないで葉ばかり繁る、という、観賞を排除して食用専用に改良が進んだ2年草のタイプがあるらしい。どうもロッサディTV以外は、それかもしれないと疑われる。巨大化するのみで、いっこうにトウ立ちしない。つまりタネをつくろうとしない。
日本の寒冷地の山林を豊饒化してくれるのは、たぶん、畑用に改良されたものよりは、多年草としての野生の特徴を濃く残しているものではないかと愚考する。ひきつづき、観察を続けたい。
バーベナハスタータが北海道で越冬することは、道東の非常に厳しい気候の土地でこれを栽培している人のブログ・リポートがヒットするから、予期できたことであった。予期できなかったのは、いきなりこんなに高勢になるということ。おなじく昨秋にクガイソウの苗も定植したのだったが、そっちは人の背に迫るどころか50cmくらいで開花すらせずに今年は終了しそうである。
写真の左下には宿根のセントレアが見えている。これは今年の春に苗を植えたものなのだが、まったく離れた場所に、播いた覚えがない実生の宿根セントレアがとつじょとして生えてきて、夏に開花までしたのには驚いた。
2013年に苗を買ったカラミンタネペタの枯れ茎(種付き)を、その秋に離れた場所に投げておいたら、それが2014年にこんなになった。しかし、親の株が青白い花であったのに、こっちはピンク系である。花のつきかたもぜんぜん違って見えるので、カラミンタではないのかもしれない。
2013年は半日蔭に種芋を植えて、ついに開花しなかったアピオス。今年は西日以外は当たる場所に、別な種芋をあらためて植えて放任したところ、このように開花した。さてここからだ。こんどは同じマメ科の「葛」との交雑に挑む。葛は道南が自生北限なので、そっちを大きく育てるのにまた2年は必要みたいだ。半日蔭で開花しないのでは、おそらくアピオス単体では、山林の豊饒化は無理である。しかし一冬で地下部分までは死滅しないことは確認ができている。
とつぜん生えてきた野草。ナス科で、オオマルバノホロシという。ホロシとは皮膚病の名だそうで、秋に赤くなったときの実がそれに似るのだそうである。その実は人間には毒だという。おそらく野鳥が糞とともにこの地にもたらしてくれたのであろう。木の実や草の実のなかには、1羽の野鳥に全部をいっぺんに食べ尽くされてしまわぬ戦術として、適度に有毒となって、できるだけ多数の鳥にいろいろな方角へタネを運んでもよらうよう仕組んでいるモノがあるようだ。
このシソ科のクラリーセイジが2014年6月に花芽をつけたときは、なんという植物なのか分からずに悩んだ。開花した姿を事典と照合したら、「ジュウニヒトエ」に似ているようだが、こっちのは高さ64cmもあり、しかも野草のジュウニヒトエは北海道には生えていないことになっているではないか。
全草から爽やかな芳香が立ち上っており、ハーブのクラリーセイジなのだと遂に分かった。そのタネを、2013年3月にこのあたりに4袋もブチまけていたのをすっかり忘れていたのである。1年草だから、来年は再生しないであろう。
(管理人 より)
こんにちは。前回に引き続き草花である。
福岡の実家から車で一時間くらいの距離に、古湯温泉という全国的には全く知名度の無い温泉がある。先日帰省した際に浸かっていた。
本当に山奥にあるので、露天風呂からの景色が素晴らしいのである。山々の緑をじっと眺める事ができるのだ。
にぎやかさでは別府に及ぶべくもなく、知名度では箱根にかなわず、風情では函館の温泉に比べるべくもないが、景色は本当に美しい。
都会の喧騒や猥雑さも大好きなのだが、花を、草を、木々を眺めるのは楽しい事だ。私は東京に転居してより強くそう思うようになった。