「読書余論」2009-3-25配信予定のコンテンツ謹告

▼吉森實行『ハワイを繞る日米関係史』文藝春秋S18-12
 M27~33の日本からの移民の質が悪すぎたことが差別の原因だと、戦時中に説得しようと努めてもいる労作。しかしこういうのを読むと、『山椒魚戦争』を書いたチャペックは偉かったと思いますよ。
▼William R. Castl Jr.『Hawaii ――Past and Present』 1913
▼Isabel Anderson 『The Spell of the Hawaiian Islands and the Philippines』1916
▼白山友正『箱館五稜郭築城史』北海道経済史研究所 S41年
▼鈴木章『助川海防城』1978
▼小田治『地名を掘る――鉱山・鉱物による考察』S61
▼玉城 哲ed.『灌漑農業社会の諸形態』1979
 日本人がいちばんよく分かっていると思い込んでいる水稲作についてじつはぜんぜん己れを知らないのだよと思い知らせてくれる玉城節炸裂。
▼林武ed.『水利の社会構造』1984
 1983年に玉城氏が死去しているが、内容は玉城説の再確認になっている。年貢と地租の違いも分かる。
▼土井三郎『クラウゼヴィッツ戦争概論』労農書房、S7
▼『中央大学論集』1996-3所収、清水紘一「近世初頭の海防体制」
▼『江戸文学』11号(1993)所収、小谷野敦「『八犬伝』の海防思想」
▼『日本文学』1996-10所収、川西元「『本朝水滸伝』と兵学」
▼『東方学』S60-1所収、湯浅邦弘「『尉繚子』の富国強兵思想」
▼『国文学 解釈と鑑賞』1991-8所収、加美宏「政治・軍学の書として読まれた『太平記』」
▼長 文連『皇位への野望』図書出版社1980-5、初版?年
 今上陛下の母方の祖父にあたる「中川宮」こそが公武合体の政策リーダーで、孝明天皇などその傀儡にすぎなかったと力説。失脚させられた彼こそ、じつは最終勝利したと言える、と。子沢山であることがロングスパンでは公卿の最善戦略になるのか。本書は平成年間中はまず再版されないだろう。が、幕末の力関係を知りたくば、必読。数万石ていどの石高の大名では、とてもリーダーシップはとれなかったことも、よくわかる。
▼正宗白鳥『人を殺したが…』福武書店1983
 しょうもない小説だ。
▼『歎異抄』金子大栄・校注、イワブン
▼防研史料『地下工場建設指導要領案』S20-2
▼防研史料『米軍戦法ノ参考』S18-9
 米軍を褒めている貴重な資料。
▼防研史料『國土決戦教令』S20-4-20
▼防研史料『四式十五糎自走砲説明書』S20-1-31
▼防研史料『試製九糎(空挺隊用)噴進砲竣工試験要領』S19-7
▼防研史料『簡易投擲器(弓及弩弓)説明書』S20-2
 明智光秀が竹槍で刺されたわけがないという、その傍証を示そう。
▼防研史料『試製四式四十糎噴進榴弾説明書』S20-3
 100キロ・オーバーの弾薬をどうやって8人で担いで運ぶか。その答え。
▼防研史料『兵器取扱法 第十陸軍技術研究所』S20
 4式中戦車を満州で使うつもりであったというその傍証を示そう。
▼徳永凡『後方部隊』S14-11
▼公家裕『もぐら兵隊』S17-6
▼竹定政一『実録・満洲阿城重砲』S55
▼遠藤寛哉『蕃匪討伐記念写真帖』M44-5
 空き瓶で鳴子を作る方法、等々。
▼スタニスワフ・レム著、沼野・他tr.『高い城・文学エッセイ』2004
 ポーランドのギムナジウムでの軍事教練とはどんなものだったか。ウェルズ論は読ませます。しかしヴェルヌ批判は屈折しており、チャペック無視はもっと屈折していると思う。
▼スタニスワフ・レム著、沼野・他tr.『天の声・枯草熱』2005
 ネタバレ注意です。「天の声」を読めばアーサー・クラークなど馬鹿らしくて読めなくなるが、しかし新約聖書に囚われているところは共通だ。
▼齋藤清衛『精神美としての日本文学』S13-10初版、S20-11repr.
▼「大橋氏自筆稿」(三康図書館・大橋文庫蔵)
 じつはガトリング砲は河合継之助の手には渡っていなかったんじゃないか、っていう……。
▼有坂【金召】蔵『武器武装』雄山閣、S4?
▼太田才次郎『諸芸指南』M34-2
 背の立たない深い水中を、重い装備をかついだまま渡る方法……。誰か実験してくれんかな、コレ。
▼『国際交流』1998-7
 武士道についての充実した要約。佐藤一斎は「独立自信」といい、福沢は「独立自尊」といった。
▼古川哲史『日本倫理思想史研究 2 武士道の思想とその周辺』1957-2
▼成瀬関次『臨戦刀術』S19-3
 山浦真雄の文の中に「切味にぶうして堅物にかかりてはのるぞかし」とあり、ここから、『五輪書』の中の「のる」は、〈表面を滑る〉の意味ではないかとも考え得るんじゃ……?
▼成瀬関次『手裏剣』S18-4
 屍体実験までしちゃっている著作は、日中友好化した戦後はもうありえないです。
▼有賀弘・他ed.『政治思想史の基礎知識』S52
▼レイモン・アロン『戦争を考える』佐藤毅夫tr.S53、原1976
 キッシンジャーの『核兵器と外交政策』の次には、この論文を読まんことには、「戦略」は語れませんぜ。
▼レイモン・アロン『世紀末の国際関係』柏岡富英tr.1986、原1984
 1905生まれのアロンは1983秋死去。死ぬまでソ連の軍事力をかいかぶりすぎていた。アメリカの宣伝にしてやられていたのだ。
▼J・L・Payne著『The American Threat』岩島久夫tr.1971、原1970
▼D・J・ダーリン著、直井武夫tr.『ソ連と極東 上』S26、原1948
▼H・B・モース&H・F・マクネア『極東国際関係史 上巻』浅野晃tr.S16
▼宮崎繁樹『戦争と人権』S51
▼伊達源一郎『極東のロシア』大4
▼S・ズナメンスキー『ロシア人の日本発見』
▼J・G・マッキーン『バビロン』岩永博tr.1976
▼北海道立北方民族博物館ed.『人、イヌと歩く』1998-7
▼『別冊 日経サイエンス 119 核と戦争の20世紀』1997-6
 10年以上も前からちっとも前進してない技術があるので驚くでしょう。たとえば小銃弾の発射点を探知する方法など。今どうなってるんですかね?
▼齋藤進『バード少将南極探検』S5-11
▼東京市役所ed.『帝都文化施設一覧(第一輯)』S15-8
 海軍館などの正確な番地がわかります。
▼平山喜久松『盗難防止の研究』S11repr.
 『予言・日支宗教戦争』の第5章で参考にした文献の一つです。
▼三宅泰雄『日本の雨』S31
▼河南林男『科学の生んだ驚く可き独逸の富強』大7-6
 まず小学校教員から厳選しとかないとダメなんだ、という話。
▼松村松年『大日本害蟲図説』S7-4
 アリの巣を撃滅する方法、など。
▼谷本亀次郎『農山村天産物の利用』S10
 スイカの種は駆虫剤になる、といった、戦前のお役立ち情報。
▼市川節太郎『東西接待法要訣』M45-4
 明治の海軍少佐が若い将校のためのエチケットマナー集を書いたもの。明治末になっても、まだ欧化で苦労していたんだ。
▼F・A・ハイエク著『個人主義と経済秩序』嘉治tr.1990、原1949
 「読書余論」の試みじたいが、一つのハイエク主義である。しかしハイエクは、貴族階級を愛する趣味から「累進課税=所得再分配」に反対するという間違いを犯している。
 ◆   ◆   ◆
 「俗悪な紙屑同然の本の氾濫で今に価値ある貴重な出版物が溺死してしまうにちがいない。なにしろ、十冊の粗悪な本の中から一冊の良書を見つけるほうが、百万冊の中から千冊を選ぶよりはるかに容易なはずだ。」
 ――これは1968年にスタニスワム・レムが書いたSF『天の声』に出てくる文章(深見弾氏訳)です。
 百万冊の中から千冊を選ぶ作業を、あるいは1000ページのなかから10ページを指摘する作業を、消費者と文献そのものとの中間に立って情報整理する係が要請されています。すべてのジャンルで、誰かがそれをひきうけるべきでしょう。
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は200円です。
 バックナンバーも1号分が200円で、1号分のみでも講読ができます。
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謎は謎を呼ぶ

 ある雑誌からミニ記事を頼まれ、WWIの地中海の第二特務艦隊に関する英文サイトを漁ってみた。どうも話がスッキリできあがらない。よく分からない。
 1917-5に『トランシルバニア』が雷撃された。この船と、墺潜の『U27』を関連づけている英文サイトがない。もちろん、わたしの根気が足りないせいだろう。
 また、この徴用客船について詳しい英文サイトには、〈2本目の魚雷は、横付けしていた『松』を狙ってきた。『松』が全速後進をかけたので、それは『トランシルバニア』に当たり、同船はそれからすぐに沈んだ〉という、じつに左翼ヨロコビ目にちがいのない記載があるのだけれども、かつて日本語サイトへ参照/引用された気配がない。
 ちなみに『松』は『トランシルバニア』の半分の全長だし、駆逐艦が身を挺して、すでに傷つける兵員輸送船を守らねばならぬいわれもないのだから、この英文サイトには「いいがかり」臭がある。しかも雷撃は『U63』(これはWWIIの独潜だろ?)がした、などともある。これで信憑性が崩れてしまうのだが、スペックは細かく紹介してあって、エクスクルーシフだ。
 墺潜『U27』はたしかに1917-6に『榊』を大破させた。これは事実らしい。しかし、英文サイトの『U27』の戦歴(大物獲物リスト)の中に、『トランシルバニア』が見当たらぬ。これはわたしがもはや老眼だからなのか?
 ちなみに『榊』が lost したと書いてあるいいかげんな英文サイトがいまだにある。大破しただけだと書いてある、ちゃんとした英文サイトもある。
 1916-8より前は、独潜はたてまえとして墺潜となっていた。イタリアがまだ対独宣戦していなかったからだ。
 イタリア海軍は、墺潜だけでも5隻も撃沈した(仏海軍と共同で+1隻)。第二特務艦隊は、やっつけたサブは墺潜、独潜ともにゼロだ。しかるに英海軍は、〈イタリア海軍はどうしようもない、しかし日本海軍は最高だ〉と褒めちぎった。
 これをそのまんま紹介すればバカ右翼史観にしかならない。
 この行間を読める想像力が、右にも左にもない。
 英国の最大関心はスエズであった。しかしそれはフランスの関心でもなく、ましてイタリアの関心でもなかった。スエズ防衛のためにマルタの英海軍司令の言うことを即座にきいてくれた助っ人は、第二特務艦隊の8隻の駆逐艦だけだったのだ。第二特務艦隊は、ほとんど休みなく、休戦の日まで、地中海で英国の犬になり切った。マルタの犬マルチーズになれという命令は霞ヶ関の海軍省から来ている。南洋ドイツ領を日本のものだと戦後の平和会議で英国をして主張せしめるための、高度な2国間取引なのだ。この困った命令を、佐藤艦隊は完全に遂行した上で、1隻も喪失しないで1919に日本に凱旋した。ここが、まさしく奇跡なのである。文字通りの神がかりの、超人的な努力! 犠牲はもちろんある。病死人が18名も出た。当然だ。居住性無視の日本製の700トン前後の石炭混焼艦に水兵がギッシリだ。この小ささ、その乾舷では、艦内は、どこもかしこもびっしょびしょのススだらけだ。そこらのニートひきこもりを放り込んだなら2日で発狂する環境だ。59人の爆死者よりも、この18人の方が悲惨なのだ。そこが想像できないのか。
 独潜は鉄道でアドリア沿岸のオーストリーの軍港まで運ばれていた。デカすぎる新型潜は、いったんバラバラにして貨車に載せ、軍港で組立てたという。
 アドリア海の入り口は幅100キロもあったので、水上艦はとじこめたが、サブは漁網(一部機雷付き)を張った英国ドリフター船の列をくぐりぬけて、地中海へ自由に出られた。
 墺がドイツから設計図を高値で買って建造したシリーズがある。ドイツらしいね。
 墺が独から新型を、金塊で決済して購入したケースもある。ドイツらしいよ。
 1917年1月から独墺は無制限潜水艦作戦を開始した。しかし英から日本外務省への駆逐艦派遣リクエストは1916-12だから、無制限作戦に困る前に、英国はもうじゅうぶん手を焼いていたのだ。
 1918-5に雷撃された『パンクラス』は、インド兵を満載していた。曳航したのはタグボートである。『樫』と『桃』は、インド兵を自艦へ移乗させた上で、ゆっくりマルタまで護衛を続けたのだ。
 イタい英文リポートもあった。彼はどうやら日本の大学に留学し、古い『遠征記』を日本語で苦労して読んだらしいのだが、「被雷」を「かみなりにうたれること」と解釈しているようにしかみえない。
 しかし果たして、戦前式日本文の読解力に関し、研究者水準に達しているといえるような英語ネイティヴスピーカーなど、いるのだろうか?
 特段に文学的でもないプレーンな英文サイトすら、こんなにも見逃されているではないか。
 有名な史実に関するおそろしい誤解や隠蔽が、もっともっと放置されているだろうこと、それが今後かなり長く続くであろうことは、もうわたしには、疑いがなくなったのである。


スタートリック

 大蔵省が恐れているのは、赤字国債や政府紙幣の、「その先に来るもの」なのだろう。
 具体的には、西南戦争中の「西郷札」であり、大東亜戦争中の「軍票」であり、江戸時代の「藩札」なのだろう。
 政治家、政党、あるいは日銀や内務省(大蔵の最強ライバルだったが分解されたので分割制圧しやすくなった)、通産省(海軍省のゾンビ)、陸軍省(死んでくれた)や軍需省や満州国や大東亜省(流産したはずだが外務省内にDNAの切片が生きているかも知れん)その他の、要は正統大蔵省ではない有象無象一切の機関の権限が、正統大蔵省の権力を侵す事態を、防衛圏最前縁たる「プライマリーバランス」によって予防的に防遏しておきたいのだろう。
 衆愚政治には一片の救いがある。愚かさのツケを大衆自身が払わされるという、自業自得のわかりやすさだ。
 しかし官愚政治だと井伊直弼と同じで一片の救いもない。権力と責任が分離されているからだ。そのため超法規の対官テロが盛り上がってしまったのが幕末維新だ。今日、武士ではない官僚に肉体的な死をもって責任をとらせるわけにいかないから、総選挙で国民に対して責任を負うている代議士(衆議院議員)たる大臣が部下局長を何の説明もなく随意随時に閉門蟄居させられるような制度改革が必要なのだ。挫折しつつある小泉ムーヴメントの最終ゴールはそこだった。
 パペット与謝野氏はマジックワードを出した。「藩札」だ。
 藩札と聞いてネガティヴなイメージをパブロフスドッグのように思い浮かべるのは、1970年前後に月刊『ガロ』を読んでいたマル経・マル歴一色の大学生、つまり今の官庁最上層世代である。
 とうじの『ガロ』に「カムイ外伝」が連載されていた。その中に、藩札の、硬貨に対する価値の低さが、描写されているのだ。
 もちろんこの劇画は、「江戸時代=真っ黒」のマル歴革命必然史観で律儀に貫かれていた。わたしは偶々小学生のときに、従兄弟からタダで貰ってその数年分をまとめ読みしたので覚えているのだ(ただしついていけたのは「鬼太郎夜話」と四コママンガだけである。鬼太郎といえば『表現者』に三田村雅子先生が登場していて驚いたね)。
 日本人には倹約のモラルがあった。江戸町民たる大工が宵越しのカネを持たなかったなんていうのは、明治の落語の中だけのフィクションだ。大嘘だ。
 明治前半の落語家の多くは幇間の世界に生きていたから、じぶんの自堕落な金銭感覚を肯定的に投影して、罪の意識を中和しようと試みたのだ。裏から透かし見れば、幇間(放蕩息子の成れの果て)すら気にせざるを得ないくらいに広く深く定着していたモラルなのだ。さもなくば「家主」という中産階級がどこから湧いてきたのか。
 「藩札」イメージは、この日本人の伝統的家計モラルに訴える。〈カネが要るなら質屋に行くか妻女を売れ。そうした担保が無い信用享受など庶民は考えるな〉と。
 デフレを忍べ、というモラルだ。
 根が貧乏性の役人である小栗上野介は、このモラルから、かつて対馬を外国に質入しようとし、また御気楽な榎本武揚は、箱舘郊外の農地をドイツ人に租借させるのに特に問題はないと思ったのだろう。
 幕府や諸藩が欧米製の兵器・機械を輸入するときにだけ、どうしても金貨が必要だった。幕府は比較的に大量に保有していた金貨を、軍艦輸入や、兵器製造機械の購入や、そもそも金貨で支払う必要のない沿岸要塞工事を急ぐために、使いすぎたのだろう。もし陸上火器の購入にだけ使っていたなら、幕府はかんたんには倒れず、幕末混乱はさらに延長したろう。なまじ、機械を買い込んでいたために、内製ができるはずの小火器ごときに大枚を支払うのはムダだと、彼らは判断していたのかもしれない。それは結果的に愛国的な判断だった。
 幕府は、(郡県制ではなく)封建制の下でなしくずし的に自由貿易に移行すれば、日本は外国勢力によって分割されてしまうと直観できていたのだ。だからあくまで海防(鎖国)に責任を持とうとしたのだ。そして大政奉還によって封建制を自殺させた。
 幕藩時代の諸藩は大坂の豪商からものすごい借金をしていた。その多くは最終的に踏み倒されたのだろう。しかしあくまで日本国内で完結する「徳政」といえるので大禍に至らなかった。幕末混乱期にも新政府軍は豪商から強制上納金を集めた。今でいうなら法人税の超累進みたいなものか。これも日本国内で完結していた。
 だからインフレは抑えられ、むしろデフレ不況になったのだ。
 WWII直後も同じだろう。新円への切り替えに、日本国民は暴動を起こさなかった。敗戦前に買った国債は、「お上」に献金したも同然となった。
 大蔵官僚は、この非合理的なまでに愛国的で従順な国民を保護してやらねばと思ったことだろう。いまの後期高齢世代が受け取る手厚い年金は、この新円切り替えに対する、1世代ずれた、遅めの補償(ご褒美的慰労金)のようなものじゃないか。
 とにかく明治いらいの大蔵省は、重商主義と同じくらいにデフレが好きなのだと想像する。


SAABを買い取れ

 この会社は原発関係の技術者をそろえているだけでなく、潜在的核武装要員も抱えていたはずだ。それに一社で戦闘機をつくってきた会社だ。日本のFXはタイフーンよりもさらに機体性能が低くても構わない。なぜなら攻撃ミッションはもう無人機でする時代に移行するし、その他のミッションは搭載電子機器システムの「一国完結性」が必ずモノを言うようになる。米国ライセンスのF-15ベースではそのような電子機器の開発は不可能だが、スウェーデン製機体ベースなら一から可能になるだろう。日本の兵器行政にカツを入れるチャンスではないか。


ボクもわたしも(乞食も)記念カキコ

 友人からタダで『国債を刷れ!』(廣宮孝信著、彩図社刊、奥付2009-3-6)なる新刊書籍を恵んで貰い、いま9割9分読んだところだが、この時期に斯かる痛快な、無名人による名著が公刊されるとは、日本国にはやはり、天の寵(めぐみ)があるとしか思えぬ。
 日本中の「経済専門家」は、恥ずるべきだ!
 オレ的には、誤字や変な文章が出てこないのに感心した。十二分に練った原稿だ。多数のグラフによる証拠のカタメうち。満を持していながらタイムリー。この出版社の能力も、只者ではないだろう。
 「ないものねだり」をしてはいかんが、著者に聞いてみたい。一、徳川幕府の事情は了解できたが、藩札を刷ったと思われる諸藩では、どうだったのだろうか? 二、幕末に薩州と長州とが突出してパワーを得たのは、藩札増刷によったわけではなかったろうと思うが、密貿易や海関収入のある両藩に対抗して、もし幕府が吉宗式の改鋳をさらに実行するか、もしくは新札を発行して洋式武器を買い込んだとしたら、幕府はもっと長く粘れたのだろうか?


ゴミニケーション

 並木書房さんに問い合わせたら、『予言・日支宗教戦争』の書店店頭発売は3月10日ではないか、とのことでした。
 つまり7日の講演会場の方が、早期に入手できるわけだ。
 SFの侵略パラノイアとはまた別問題で、〈ゴジラに61式中戦車の90ミリ砲弾が効かないわけはない〉と思った人は、過去の日本に居ないのだろうか? 大男が.22口径ピストル弾を何発も喰らったら、無事じゃ済まないでしょ? 比例で考えて、ゴジラにとっての90ミリ砲弾(もともと高射砲で、ドイツの88ミリ砲よりも高エネルギー)も、同じような立派にリーサルな脅威だと思うんですけど。
 ここを誰かがちゃんと突っ込んでいたなら、『ウルトラマン』(ニーチェみたいですね)シリーズはなかった。科学特捜隊の通常火器だけで、巨大エイリアンをなんとかできちゃうから。でも、それでも尚、レムの所謂「パラノイア」の世界まんまで、救いは無さそうです。
 昨日、書き忘れました。だいぶ前に摘菜氏に、「ニーチェの次は法華経の超訳をやったらどうだい」とそそのかしたことがあった。そろそろ、あれを実行してくれんかな~。
 あと、福田先生のいろいろな価値観の基準点も1970年代だったでしょう。だから70年代の特定わかものコミュニティの通用名詞が出てくると、類似と違和感を感じてしまうのですよ。もう2009年ですからね。
 おなじ年寄りでもね、ストーンズを耳にして「カッコよすぎるぜ」と感動して聴き込んだグループと、「こんなの暗くて気が滅入る」と敬遠したグループがいたわけです。音楽に関する人の好みは、ものの見事にバラバラなんだから。そこに、i-podが成功した必然性があった。これを根っから分かってる評論家が、もう呆れるほど少ないね。
 おおっと、高速増殖炉の中性子を軽水で減速したら「高速」じゃなくなるじゃん。困った、困った……。
 こうしたらどうだろう。ナトリウムを、靭強で、決して破れない、熱伝導性が良い耐熱皮膜のペレットに封じ込め、それを軽水の中に、あぶくのように混ぜて還流させるのだ。
 『表現者』(きのう届いた)の今回の寄稿は「南雲忠一」だ。南雲に関していまさら新説なんかあるわけ………と思っていらっしゃる方は、いっぺん立ち読みしてみなせえ。


御礼

 畑さま。このたびは『いたこニーチェ』をご恵送くださり、有り難う存じました。
感想:ニーチェはあと一歩でソシュールの記号学や構造主義にまで到達するところだったのだなぁ。それから、今回の摘菜氏の口調は、どうして15年も歳の違う福田和也氏と似ている印象を受けるのだろう。前著や前々著では、ここまで似せていなかったような気がするのだが……。もうひとつ。ニーチェのキリスト教批判の骨子は、そっくりイスラム教批判に転用できますよね?
 たしか記号学は1940年代、終戦直後くらいから、フランス/スイスあたりから出てきたはずだが、I・アシモフはその後、たしか1950年代になって「ロボット三原則」なんていうしょうもないものを提唱した。もしアシモフが当時最新の記号学をかじっていたら、決して売れっ子のSF作家にはならなかったかもしれない。
 ぜんぜん余談だがレムの“MICROWORLDS”という本の中のタイムトラベル論を読んでみたら、1942年にBoucherという作家が『The Barrier』というSFを発表していると紹介してある。外敵がまったく入って来られないというイメージの「バリアー」は、なんと戦時中から一般読者向けに使われていたのだ。実はこれこそわたしがレーガン政権のSDIの頃からずっと気にしていたことだった。(さらに余談のついでだ。レムの同書によると、アシモフは1955年に“The End of Eternity”というタイトルで、未来を予見して悪を予防してしまう話を書いているという。きっとこれがディックの「プレコグ」の元案なのだろうし、たぶんフランシス・フクヤマの書名にだって影響を与えている。)
 話を戻すと、ロボットが「人間」などという勝手な「記号」を了解するわけはまずないのだ。
 生まれかけの人間、活動している人間、静止している人間、死にかけの人間、仮死状態の人間、死んでまだ暖かい人間、植物状態の人間、意識のない人間、手足もなくてほとんど頭だけで生きている人間、腐りかけの人間、ほとんど骨だけになった人間、ホルマリン漬けされた人間の細胞の一部、ゲノム情報……いろいろあるはずだからね。
 ヒューマンの間でしか了解され得ぬような記号体系を人工知能にインプットするなんてことはやめようぜ、とりあえず手当たり次第に必要最低限な単純な脊椎反射をさせりゃいいじゃん、と気づいたのがMITの(だよね?)R.A.ブルックスだろう。ミクロ経済学理論なんか知らなくても客の嗜好に敏感に反応できて誰でも了解可能なベタな商品名を即座に考え付ける大阪商人みたいなもんだ。もちろんブルックス氏が構造主義に興味があったようには思えない。無意識裡の構造主義把握だろう。
 勝手に宇宙(世界)の事物を記号で区切ったって、それはヒューマンの間でしか通じない。
 そもそもヒューマンに目的など無し。が、ロボットには目的がある。なぜなら人間が造ったのだから。だったら、その造り手が抱く目的とからめて、センサースイッチを工夫するしかない。
 ロボットはヒューマンを injure してはならぬ、とアシモフは言った。「ガトリング銃の銃口が、摂氏36度の赤外線輻射源に指向されたときには、弾丸を発射してはならぬ」というコマンド条件ならば、ロボットにも分かっただろうが、〈 injureしてはならぬ 〉では、あいまいすぎて、そのロボットはほとんど何もできまい。
 戦前の対艦魚雷は直進式だが、何百~何千メートルもの水中での直進を三次元的に保持できたのは、非常に精密なサイバネティクスが組み込まれていたからだ。
 魚雷は、複雑高度なサイバネティクスを用い、「身体」を有して自律移動した最初の量産自爆ロボット兵器だったと言えるかもしれない。では魚雷は、「世界」を認知していたか? 爆発尖(砲弾でいうところの信管に相当)に一定以上の加速度がかかったら起爆する。それだけだ。ヒットした対象がフネだろうが浅瀬の岩だろうが航跡の波動だろうが、魚雷という名のロボットは、人間世界の記号など、何も考えなかった。考えない方が、機能するのだ。
 トンボは3億年も絶滅をまぬがれて生き残ってきた食虫昆虫だ。しかし、こどもの他愛の無いトリックによって捕獲されてしまう。そのぐらいで、ちょうどいいのだ。
 前掲のレムの評論の中にファインマンの名前が出てくる。マンハッタン計画にも参与し、朝永振一郎と同年にノーベル物理学賞をとった天才だ。レムはリアルタイムで構造主義を読んでいたし、他方では宇宙物理を気にかけていたのだ。しかし、好奇心の塊まりと称されたファインマンの方には、タイムマシンへの関心はゼロだったのではないか。ここがインテリSF作家の苦しくなるところだ。(むろん数学者/物理学者にも苦手があったはずだ。ファインマンがシカゴ大に行かずにカルテックに落ち着いていたのは、東部の理論経済学の一流どころに対する敬遠心の作用だったのではないか?)
 身体が時間をホップするということは、己れの身体ぜんたいが瞬時にコピーされて2つ、3つになるのが非現実的であるのと同じくらいにありえないだろう。
 もしタイムマシンがあったら、想像力のある男は何をやるか。古代王朝は、地面に露出している天然金塊を集め、その財宝を誇ったものだ。タイムマシンでその露出金塊を先取りし、現世に持ち出し、それを何度も繰り返してストックすれば、大金持ちではないか。
 世界でさいしょのウラニウム型原爆を、過去から奪取してくることもできよう。何度も反復すれば、男の家の庭には、たちまちリトルボーイ数百発が溜まって行くだろう。同じ原爆のコピーが溜まるのだ。叩けばビスケットが増えるポケットだ。それを1944年以前の世界で行使するのも自由だし、現世で行使するのも自由だ。
 ここまで考えて、理屈の整合性にこだわる作家なら、タイムマシンの話なんて書くのには怖気を揮うだろう。
 レムはSF出版業界の編集者の絶対権力についても報告している。英米のSF界では、編集者は、オリジナル原稿のタイトルや長さや内容を勝手に変えられるのだという。レムの小説の中に、どう考えても英米人でしかないような名前の登場人物が多いのは、レム本人の自主的な判断ではなく、編集者の命令によるものだったのではないかと察することができた。つらい商売だ。
 レムは、異星人の侵略、星間戦争などといったSF作家たちのワンパターンを「パラノイア」だと早くから斬って捨てていたが、キリスト教は捨てなかった。太陽は冷えるか膨張するかして、いずれにしても地球の運命は永遠不変ではない。いつかは物理的に亡びる。では、今われわれがしている学問や事業や諸努力は、一切が空しいのか? そのとき地上の知的生物は、アウグスティヌスが到達した「イターナル・ナウ」を覚るしかないだろう。
 というところで、またも宣伝だ。3月7日(土)の横浜での講演会。
 場所等のご案内。
http://www15.ocn.ne.jp/~gungaku/hyoudou-poster.pdf
 お申し込みフォーム。まだ決済していない人は急ぎましょう。
http://www.formpro.jp/form.php?fid=38906
 もう日本海の地下資源がどうのなんて話は小さいんだ。燃やしたら消えるだけの石油やガスとは縁を切っちまえ。先の大戦の教訓を、いつになったら日本人は学ぶのだ? 高速増殖炉を、ナトリウム循環ではなしに軽水循環で運転すりゃいいんだよ。熱効率より安全第一。その炉は筏に載せて無人島の海岸に浮かべとけばいいんだ。海岸県に住んでいる人たちなら、日本にはけっこう本土のすぐ近くに、何にも使えない無人島が、いくつもあるってことを知っているだろう。
 政府は「浮かぶ原発島」を一挙に何十基も発注しなさい。景気回復に必要なのは、政府の不況対策支出が、ダイレクトに将来の人民の安全保障を強化してくれるはずだというイメージなんだよ。その巨額の公金を決してドブに捨てることにはならず、得難いモノが形ある遺産として残って、未来を今よりは確実によくしてくれるんだという確信を人民に与えなくちゃダメなんだ。「浮かぶ原発島」なら、競争力ゼロの最下流の土建屋等には鐚一文、税が垂れ流されることにはならない。経済の最上流に「ハイテク一点かけながし」することになるんだ。
 ……とまあ、こんな話もします。
 会場では並木書房さんが『予言・日支宗教戦争』を実売する予定です。わたしはお買い上げの現物にはサインを致す所存です。


『フロムG』から『とらばーや』を経て『暮らしのトンネル』へ!

並木書房さんのところで、拙著『予言・日支宗教戦争』が予約可能状態になっているらしい。まだ見本すら受け取っていない状態だから、いったいどんな仕上がりになったのか、わたしすら知らない。しかしこの兵頭を信頼してこれまで拙著を購読して来て下すった皆々様方は、是非この際、3月5日の発売日を待たずに、予約を入れちゃって戴き度い。
 この本は、「田母神論文ショック」を受けて昨年12月に書いた。
 何がショックだったかと言って、この論文を書いた人、審査した人、授賞した人、擁護している人、悉くが、《大国間での公式な約束を戦前の日本国政府が大国相手に公然と破ったこと》を不問に付し、それで日本の歴史上の立場が浄化されると信じているらしいことだ。支離滅裂だ。
 たとえば論文「日本は侵略国家であったのか」にはこうある。
 「……、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。」
 ここで田母神氏は、侵略か侵略でないかのメルクマールは、国際法上合法だったかどうかだとまず主張している。
 日本は1929年以降は、みずから批准したパリ不戦条約を国際法と看做さねばならないだろう。もちろん、米国にとってもこの条約は国際法であった。米国は、大国相手に、この国際法を破っていない。大国同士の約束を守っているのだ。1928年以前の侵略は、国際法違反ではない。
 「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。」という田母神論文の言い草は、日本や米国が、1928年のパリ不戦条約や、その後の九ヶ国条約の当事者であることを、忘れたものだとしか思えない。
 これが、次期統幕議長(旧軍ならば参謀総長)と目されていた人物の署名論稿なのだ。没倫理だ。ショック無しに読めようか?
 真珠湾攻撃は、1941年のできごとである。1941年は、1929年より前ではないはずだ。
 日本以外の大国はそれが「自衛戦争」だとは認めてはくれなかった真珠湾攻撃は、国際法違反であった。こちらから先に宣戦布告することじたい、戦前の精神では「侵略」に他ならなかったのである。
 田母神氏は、論文の前半では国際法を論拠に日本は悪くなかったと主張し、論文の後半では国際法など関係ないといって日本は悪くなかったと主張している。その支離滅裂な没倫理に、なんと、誰も気づかないらしいのだ。「日本人として我が国の歴史について誇りを持」ちたいのであれば、日本が大国同士の約束を公然と破った過去については、触れない方がマシだろう。
 のみならず田母神氏は、「日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。」とたたみかけて、約束破りの責任を、挙げて当時の米国へ被せようと試みている。
 あの東京裁判において米国側は、日本外務省と日本海軍の開戦謀議(大国に対する公然の約束破り)を十分に知りながら、陸軍の「軍閥」だけを処断すべく四苦八苦しているのだ。(真相に興味がある人は、光人社刊の拙著『東京裁判の謎を解く』と『日本の戦争Q&A』を読めば、モヤモヤが吹っ飛ぶでしょう。)田母神氏のような軍令の最高責任者クラスなら、それに気づき、それに話をあわせるくらいの、政治家・外交官としての深慮も要求されるだろう。しかし田母神氏にはそれは無かった。それがなくても空幕長や統幕議長が務まってしまうような国が、もっかの日本なのですという真相が、図らずも、満天下に知れ渡ってしまった。
 日本が核武装するまでは必死で隠さねばならなかった「日本=米国の属国」という真実が、とうとうあられもなくバレてしまったのである。これで日本の核武装の目は完全になくなった。
 (ちなみに渡部昇一氏は老の一徹でマッカーサー発言を引用し続けるけれども、「セキュリティ」は「自衛」とは訳せない。日本海軍と外務省は、確信犯として実行するつもりでいた奇襲開戦を「自衛=セルフディフェンス=国際法上の合法」だと言いくるめることは不可能だと十分に承知していたから、「自存自衛」という珍妙な造語を京都大学の教授連と一緒にひねりだした。この語は英訳不能なのである。その意味を米国政府は、開戦後に解釈するのに苦しんだ。「セルフディフェンス」と訳せば、日本政府のやっていることは支離滅裂だ。そしてついにマッカーサーは、「自存自衛」の英訳は「セキュリティ」が妥当ではないかと思いついたのである。つまり日本の開戦が「セルフディフェンス(自衛)」だとはマッカーサーも少しも認めてはいなかった。……この話はもう十回くらいも書いているんだが、聞きたくない人の耳には絶対に届かないようだね。)
 日本の歴史を輝かしくしたかったら、公人が公的な嘘をつかぬ用心をすることだ。
 今の日本の人口は、世界で最初に3発の原爆をつくった頃のアメリカの人口とほぼ近似だろう(最も元気の良かったときの戦前ドイツだって5千万とか7千万だろう。それで西暦2060年の日本が小国のわけがあるかい)。然るに、今の日本に、「マンハッタン計画」を推進できるような政治家や大学教授や技術者や高級軍人が見当たるだろうか?
 卑小な人材ばっかりだ。人口は同じなのに、今の日本では、とてもじゃないが、1941~1945頃の米国の足元にも及ばない。
 その理由は、「公人が公的な嘘をつくことを恥じない」ことにある。
 ではそんな没倫理がいつまでも改まらない文化的な原因は?
 答えは、宗教的バックグラウンドの違いにある。
 だから、今回は、宗教の話を、めいっぱい書いたわけ。
 1946マック偽憲法が、だいたい「公的な嘘」の最たるものでしょう。
 そうそう、『予言・日支宗教戦争』は2008年12月に脱稿したものなので、その第6章でとりあげた防犯グッズの、ここ2カ月ほどの進化にまでは筆が及んでいない。ちょっとここで補足しよう。
 いずれもネットで商品をながめれば見つかるものなのですが……。
 無害な白煙を噴射することで、室内に入った泥棒が何もみえなくなる――という装置が売られている。濃密な煙覆が30分も持続するらしい。これはカーナビ狙いの車上泥棒に対しても有効でしょうね。値段はかなり高そう。
 赤外線で人の接近を検知し、デジカメでその姿を撮影・保存すると同時に、無線で警報を携帯電話へ飛ばす、しかも電池式――というスグレモノが発売されている。これを自宅屋内や自動車内の窓際に置けるようになったら、すばらしいでしょうね。コンパクトで、値段もリーズナブル。
 玄関ドアの上の隙間に引っ掛け金具とケーブルを通し、ドアの前で立ち止まる人を自動的にデジカメで撮影録画してくれる、というドアカメラも発売されているようだ。つまりピーピングホールには依存しない。こういうのを政府は日本の全戸全家庭に配給すべきだろう。大量調達で単価が2万円台に落ちれば、予算は総額2兆円で足りるし、しかも「社会を安全にする」というすばらしいインフラが、あとあとまで残る。定額給付金などは、後の世代の恨みを買うだけだろうが、防犯用テレビドアホンの現物支給なら、犯罪グループ以外のすべての日本人が、総理に感謝するだろう。
▽『予言・日支宗教戦争』のコンテンツ
第1章 日本には新しい宗教が必要だ!
第2章 武士道という「自衛の宗教」
第3章 見えない日支宗教戦争が始まっている
第4章 老子の兵法
第5章 「40代、職歴無し」を放置すれば日本は滅びる
第6章 自宅警備員に捧げる《泥棒よけ》虎の巻
第7章 政治家も役人も頼りにならぬ時代の在宅ロビー活動



風邪の治りかけに聴く学校のチャイム

Why 9 Russian I-16 fighter pilots could operate/enforce Taran-tactics in the very first moment of Barbarossa (June 22, 1941) ?
I’m inclined to think that Taran was nothing but a systematically well-studied tactics in the east european air-forces communities before 1941.
National Defense College (Boeikenkyujo Toshokan, Nakameguro, Tokyo) stores a bind of war historical papers processed by Imperial Army, titled Hiko-shyudan sakusen jyunbi narabini kaisen hekito ni okeru yoho no kenkyu (The tactics which should be adopted by our all Manchurian Air Groups at the outset of Anti-Soviet War in near future / free translation by Hydo) .
The text seems typed and printed, and has a date : Jan. 1939(Showa 14 nen 1 gatu).
The gist:
* We should have a new type of high-speed interceptor to body-attack the empennage of Soviet’s TB(might be TB-3) heavy bombers.
* Air-cooling single-engined, long nose and short back, one-manned, fixed landing gear, a bulkhead(it sais bulletproof steel) between the engine and fuel-tank in front of the seat.
* A side-view cut is added. Looks like an I-16 with fixed spats.(Of course The Imperial Army had no such planes nor plannings till the last day of 1945.)
* Bailout-window for the pilot is on the floor in front of his seat.
* Three of these interceptors would make a team, and aim one TB.
* Never miss a leader-plane of formations of TBs.
* Get their empennage and knockdown them by the maneuver of ATEMI(stun using your body).
My guess(with no evidence at all):
Unknown Polish officer might talk about such studies or Russian information on the newest air-combat technics to an unknown Japanese Army officer in 1938.
Or, one jewish escapers from east europe via siberian rail had such information, and he mention it to unknown Manchurian(=Japanese) officers at a border station in 1938.
If the Taran was not the voluntary action, how Russian historians did?
 『ヒトラーの特攻隊』という本の書評を書くことになってネットを調べたら、タラン戦法は自発的なものだと英文サイトで論じている。うそをつけってんだ。みんな、『地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法』の251頁で俺が紹介した史料をフォローしてないのか? この発想のソースは、ソ連か東欧に決まっているじゃないか。
 空白の史実があるのだ。タランは1938年以前に、組織的に研究されていたのだ。それを彼らはいまだに隠しているのだ。さもなきゃどうして独ソ戦の初日から実施されるものか。
 ちなみにロシア語の「タラン」はポーランド語でも「タラン」だという。ポーランド人もTB対策は考えていたはずだ。
 ルフトヴァッフェの連中も、とうぜん、知っていたはずだ。タランについて彼らがどう思っていたのか、著者はベルリン駐在が終わらぬうちにもっと聞きまくるべきだ。エルベ特攻隊を、1944年11月のカミカゼとばかり結びつけるのは、無理がありますよ。
 それにしても英文サイトはすごいね。ジュール・ヴェルヌの小説『征服者ロビュール』(1886年)に、最初の航空体当たりの話が出ているんだそうだ。
 スタニスワフ・レムの自伝によれば、彼は1935年頃のギムナジウム時代かその前に、ヴェルヌやH・G・ウェルズ(ヴェルヌの次に飛行機の衝突戦法を書いたという)の小説を読みまくっていた。だからポーランド人がタランを考えたって、ちっとも不思議はない。
 ハンナ・ライチェが1944に提案したV-1の対艦特攻型(もともと試験飛行は有人型だったし)の情報がまわりまわって日本の「桜花」の提案になっている可能性はないのかどうか、まあ、新史料/新証言などもう出ないだろうけれども、これから気に留めておくことにしよう。
 ちょっと書評を先取りすると、戦後、旧ドイツ軍のマニアックな話は、ほとんどの場合、英文媒体の方が、独文媒体よりも早く、詳細に、且つ自由に語ってくれてきた。故・宗像和広さんは、ドイツ人には、とにかく英米人の口を借りて自慢話をしようとする性向があるので、それが興味深い、と言っておられた。その謎が、本書のおかげで、やっと解けた。日本の言語空間はある面ではドイツの100倍くらいも自由度が高かったのだ。
 最後にまた宣伝だ。
 3月7日(土)の横浜講演。
 会場等のご案内↓
http://www15.ocn.ne.jp/~gungaku/hyoudou-poster.pdf
 お申し込みフォーム↓
http://www.formpro.jp/form.php?fid=38906
 今回は無人機の話をいささかすることになるでしょう。誰か1977年以前の海上自衛隊で「DASH」を使っていた人はいませんか? 聞きたいことがいっぱいあります。