帰ってみれば、こは、いかに……!?

 毎年3月恒例の、防衛省大臣官房でロジ設定をしてくれる自衛隊視察ツアー。今年は、いつものオピニオンリーダーの方々(加藤健二郎氏、浜谷英博氏、他)だけではなく、「防衛政策懇談会」の方々(植田隆子氏、梅本哲也氏、納家政嗣氏、他)ともご一緒に、鹿屋→築城→新田原の3箇所を廻ってきました。
 39枚撮り×2本半のバカチョンの現像が終わったら、また特設コーナーでご紹介します。2週間ほどお待ちください。
 ちなみに「にゅうた」にあったF-15のフライトシミュレータでは、恥ずかしながら、20年くらい前のPC-98用ゲームの「記憶」が蘇った。しかし、オタクでない悲しさ、F-15の場合は、旋回中に上げ舵など当ててやらなくとも、コンピュータ補正によって高度低下することはなく、ちょっと速力を足してやればよいのだという事実も知らず、水平旋回が、緩徐に速度低下するスクリュー上昇旋回となってしまった。これでは敵ミサイルの完全なカモだし、失速への坂道だ。う~ん、あの20年前のゲームは、何だったのか? (スロットルをアフターバーナーに入れるのも戻すのも、ちょっと力がいるのだとも学びました。)
 ところで、マイク・ホンダ議員の「なりすまし日系人疑惑」が、まだ解明されていないのには、南九州から帰ってきて、あきれたぜ。この疑惑は、小生の知る限りでは「二階堂コム」に投稿されたのが、かなり早かった。いったい、あれから何週間経っているのだ?
 外務省にやる気があれば、プライベートアイズなどを雇い、ホンダ氏の過去を洗うことは苦も無くできるはずである。しかし、外務省にはその気はない。
 なぜか?
 『東京裁判の謎を解く』を買って読んでくれている良い子の皆さんならば、もうお分かりだろう。
 もともと外務省の外交官のステイタスは、明治の条約改正運動の悲願をなしとげてくれる、日本人の代表だと思われていたゆえに、高かったのだ。しかし1941に彼らは、そのステイタスをみずから棄却し去った。対米奇襲開戦しか頭に無い帝国海軍に積極協力して、日本の天皇が列国に対して公約していた1928批准のパリ不戦条約にあきらかに違反する奇襲開戦の作法を、山本五十六や永野といっしょにプランニングし、且つ、実行したのだ。五箇条の御誓文に謳われた「天地の公道」を、踏みにじったのである。
 だが東京裁判は、この日本外務省による条約破りという犯罪を糾明できなかった。以後、戦後外務省の筆頭の業務は、この「東京裁判であいまいにされた日本外務省の条約破りの責任」を永久にあいまいなままにし続けること――になったのだ。
 まさにこれがために、対米宣伝に際し、日本はシナには絶対に勝ち得なくなってしまっているのである。外務省はこの脛の傷を詮索されたくないために、蒋介石の侵略についてまったく非難が打てないのだ。反論を封ずるしかないのである。
 繰り返す。
 日本外務省が1941-12におけるパリ不戦条約違反の非を認めず、パールハーバー攻撃は「侵略」であって自衛ではありませんでしたとも絶対に認めないために、蒋介石の1937-8上海総攻撃について、日本側は、これを「蒋介石の侵略であり、日本の自衛だった」と言い得ない。シナ人による逆の宣伝(支那事変は日本の侵略であり、シナの自衛戦争だった)を、大々的に許してしまうのである。
 事実は逆だった。支那事変こそ日本の自衛戦争であった。パールハーバーは日本の侵略だった。自衛であればこそ、与えたコラテラル・ダメージも情状が斟酌される。それについては、イラク戦争以後の米人には、まったく説明は要らないのである。
 しかし外務省がパールハーバーを、外務省も一枚噛んだ侵略プロットだったと認めない限り、支那事変につき、これは蒋介石の侵略ではないかと、日本人は言いにくい。そして、残念ながら、侵略者が与えたコラテラル・ダメージを許す者などどこにも居やしないのだ。
 シナ人は、日本外務省の急所・弱点に、気付いている。日本外務省が1941パールハーバーでの犯罪加担を認めない限り、シナ人は、靖国問題と東京裁判を、日本攻撃の永久のカードにできる。それに外務省は反撃しない。官僚組織のステイタス防衛のために、そう、決めているのだ。
 日本の「保守」は、今後、二つの認識を改めなければならない。一つは、パールハーバーは日本外務省が共同正犯として加担した侵略だったと素直に認めること。これを認めないと「戦犯」がらみの対米宣伝はすべてシナにいいようにやられてしまう。
 もうひとつは、M23「教育勅語」はM1「五箇条の御誓文」に反するものであり、昭和天皇は1941元旦詔書で教育勅語も婉曲に破棄されたのだと認めること。これすら認められないようなオツムでは、朝鮮人の増長は止められないし、慰安婦問題などでいつまでも振り廻されることになるのも当然なのだ。
 教育勅語は、〈個人と個人、国家と国家は対等である〉とする福沢の御誓文解釈を潰すための工作文書であった。身内に近いものほど大切であるとし、天皇に近い者が、天皇から遠い者を指導すべきであり、それに下々は従えというのだ。こんなものは維新精神ではない! このくだらない文書が満洲事変以降、どうして小学校で強調され、他方で「五箇条の御誓文」は小学校で押しのけられてしまったか、ちょっと考えれば分かることだろう。
 平河町で奥山さんという方が、国会議員の幾人かを招いては、定期的に研究会を開いておられる。愚生も、千葉に引っ越す前までは、何度か顔を出させてもらったことがあります。最近の様子はどうなのかと思っていたら、常連の加藤健二郎さんからこんな話を聞いた。あるときその研究会で、鈴木宗男さんと西村信吾さんと河村さんと居合わせたのだが、鈴木氏のオーラは圧倒的であり、西村氏がいつになく神妙にしていたと。
 ちなみに鈴木氏は大手術をうけたあとに東京マラソンをフルに走り、4時間と少しのタイムだったが、これは生半可なジョガーなどには絶対に出せないレベルであると。またある人いわく、鈴木氏はベンチプレス100kgであると。
 これなんですよ、選挙で勝つ人というのは。
 わたしは何を言いたいかというと、「維新政党・新風」の皆さんは、この、「前に出てくるオーラ」が、無いのです。ものの見事に、ないです。
 多くのフツーの有権者が、新風の党首や、その候補者に、直接面談したら、十中八九、「頼りない」というネガティブな印象を持ってしまうだろうと断言できます。
 もし「ドブ板選挙」を戦うとしたら、共産党にも負けるだろうと思います。
 ではどうしたら躍進できるか。その答えを見つけ出してくれたのが、「極右評論」でしょう。
 人のオリジナルのキャラクターは、一夜漬けの特訓をしたって、変えられません。だが、イメージは変えられるものです。ネットでバーチャルなイメージを作ればどうなるか。期待がふくらみますよね。たとえばポスターも顔写真なんかやめちゃって、アニメ絵にしたらいいんですよ。
 ところが、新風のネット対応体制は、現状では、お話にもならぬものです。先日、わたしは初めて、北海道の代表の先代さんについて、インターネットで検索してみた。そしたらウィキペディアが出てくるんですけど、内容は、たった2行ですよ。この人はすでに参院選に数回出ているのに、2行。ありえないでしょう?
 いったい、政党組織として、何をやっているのかと、唖然としました。
 次の話題。
 JALの機内誌に、おそらく北海道地方限定と思うが、地中熱を利用した温水暖房の広告が載っていた。水道水をまず土中に埋設した「U字管」を通して予熱し、さらに熱交換器で加熱して、床暖房にしようという発想だ。北海道にも蛙がいるが、かれらは凍らない地面の中で越冬する。つまり北海道では、地中の熱は、冬期は、外気よりもかなり高いのである。
 この広告を見ていてハッと気付いたのだが、あの「YouTube」は、「U-Tube」(=U字管)からの、シャレだったのねんのねんのねん。
 あと、「神心」というF-22もどきにつけたネーミングだが、愚生のおぼろげな記憶だと、宋学/朱子学系のシナ文に、出ていなかったか? つまり、三菱重工内の命名者は、たぶん「自由自在」といった意味をこめたのじゃないかと、勘ぐったのだが、まだ出典を確認するヒマがない(ツアーの途中で訊くのも忘れてもた)。どなたか、シナ学に詳しい方、ご教示ください。なお、空自の雑誌の『翼』の最新号に、この試験機体についての紹介記事が出ていましたが、やはりネーミングの説明はありませんでした。


【朗報】5月ツアーに「函館現地集合」オプションが加わりました!

 もう「日本エアービジョン株式会社」さんったら臨機応変なんだから!
 六万円で成田からロサンゼルスまで往復できるって時代に、国内1泊8万円で人が20人以上集まると踏むほど今は団塊リッチ狙いがトレンドなのか……と勝手に思っていたら、「現地集合オプションも3万円台で用意します」ですと!
 つまり、5月19日の朝9:00に、函館空港の1Fロビーに集合してくださるなら良いわけでしょう。
 では、この現地集合に間に合うためには、どんな交通手段を選べばよいのか? ご一緒に考えて参りましょう。
 東北地方の方は、函館まで特急列車&新幹線で往復するのが便利でしょう。
 東京、大阪から寝台列車で当日にかけつけようと思う方はご注意ください。わたしの体験では、2時間くらい平気で遅れますから(寝台列車はダイヤの優先度が低いようです)。ただしカシオペアにまだ一度も乗ったことのない人は、話のタネになることは請け合います。
 東京から青森まで、夜行バスが1万円弱で出ていますが、これは青森駅着が朝7時台ですので、ただちに特急に乗り継いで函館に9時に着けるかどうかは、保証できかねます。函館駅から函館空港までも、バスで数十分かかりますからね。
 (タクシーでもそんなに時間は縮まりません。万一、函館空港への集合時間に遅れてしまった場合は、函館山の山頂で、一行に追いついてください。詳しくは、後日、別報でご案内します。)
 夜、東京から青森までふつうの新幹線+特急で行き、深夜~早朝に青函連絡船で函館まで寝ながらに海上を渡る、という手も、あります。青函連絡船は、鉄道が止まっている深夜~早朝の時間帯にも一定間隔で運航されています。ただしこれには難点がある。青森駅からフェリー乗り場まで、深夜はバスが出ておらず、タクシーを使うしかないんです。またフェリーというやつは、目的港の埠頭に到着してから、下船できるまでに、やたらに時間を食います。車輌が全部出てしまったあとからでないと、歩行者は下船できないのです。
 函館のフェリー埠頭からは、バスが各方面に出ていると思いますが、何十分も待つ場合がありますから、気の短い人は、タクシーを利用して空港、もしくは時間つぶしのできる函館駅へ、移動することになりましょう。
 飛行機便ですが、羽田から函館までは1日7便以上。
 名古屋、伊丹、関空からは、それぞれ1日1便、飛んでいます。
 新千歳空港と函館駅は、近くありません。特急列車で軽く3時間かかりますので、内地の「県内」感覚で考えている方に、ご注意を申し上げます。
 5月20日にすぐに帰らず、そのまま個人での北海道旅行プランを接続される方のためにご案内します。
 函館空港からは、女満別や帯広などへローカルの飛行機が出ています。プロペラ機は与圧の関係で高度が比較的に低いので、天候が良ければ、「遊覧飛行」に近い趣向になります。
 たとえば、函館で遊覧飛行機に乗るくらいなら、奥尻島まで定期便飛行機で往復した方が、格安で長時間、空からの観光を楽しめるでしょう。
 帰路ですが、鉄道や飛行機の他に、登別温泉の周辺を観光して室蘭港からフェリーで八戸に戻る方法と、札幌方面を観光して苫小牧からフェリーで大洗港(茨城県)に戻る方法と、小樽を観光して小樽港からフェリーで新潟、敦賀方面に戻る方法もあります。ただしわたしはまだ日本海ルートを試したことはありません。かならず時刻表等でお確かめください。到着港などが変わってしまうこともあり得ます。
 なおご承知のように、最寄の旅行代理店にて、早目に購入するほど、航空券は安い値段で取得できます。割引の詳細は、最寄の旅行代理店にてお尋ねください。(国内旅行を一度もしたことのない方のためにさらに蛇足を付け加えますと、旅行代理店では、往復航空券とホテル宿泊券もセットで安く用意しています。)
 ちなみにわたしの2日間拘束のアルバイト代は五万円です。「地元民の不案内」にならぬよう、事前調査をしておくつもりです。
 以上に関する詳しいお問い合わせ、お申込等は、
  日本エアービジョン株式会社 (国土交通大臣登録旅行業第482号)
  担当:浅田 均
  電話:03-3538-2071
  FAX:03-3538-2095
  メール:hito-yoshi5@coffee.ocn.ne.jp
 へどうぞ。
 さて、某社の低性能ソーラーライトの電池だけ、ニッカドのAA600ミリアンペア(単三×2本)から、より高級なニッケル水素の「メタハイ800ミリアンペア」(単四×2本)に交換したらどうなるか――? 実験結果が出ました。
 電池によってソーラーライトが高性能化することはありません。
 買った当初のエンデュランス時間に戻っただけでした。
 どうも充電池の差はパフォーマンスに関係ないという結論が出ました。(不良な安物電池が最初から入っている場合は別。買って2ヶ月でエンデュランスがどうしようもなく落ち込んだ某社の商品はそれが疑われてもしかたないでしょう。)
 けっきょく太陽電池は、発電パネルの起電力の差が、決定的なのでしょう。二番目に利いて来る要因は、おそらく設置場所(日照時間)。これは低性能品の場合に有意の差があります。が、「ドイツ製パネル使用の英国設計ソーラーライト」だと、少しばかり日当たりが不満足でも、何の問題もない。もう〈恐るべし〉と嘆ずる他ありません。
 ちなみに「商品X」は、日照時間が長い、好位置にあります。


福沢の脱亜論に賛成するなら、教育勅語は棄却するのが当然

 慶応4年の五箇条の御誓文を最も深く理解した男の一人が福沢諭吉です。ところが、この福沢の路線に猛反対する、強力な反動勢力がありました。
 反動勢力は、明治22年に何を恐れたでしょうか?
 大日本帝国憲法が、五箇条の御誓文を、福沢の「註解」に沿って、リアライズしていくのではないか――と怖れたのです。彼らは「近代」を怖れたのです。
 彼ら反動勢力は、いかなる国と国、いかなる人と人も、上下関係で規定されるべきだと考える、シナ思想や朝鮮思想と近親な、日本の腐儒でした。もちろん、法の下の平等など歓迎しない、大アジア主義者(白人差別主義者)のシンパです。彼らの仲間は、福沢その人を物理的に暗殺しようとさえ考えました。いかにも維新の偉大な自由主義精神とは無縁の者どもだったのです。
 彼ら反動勢力が大々的に企んだ国家叛逆が、明治23年の教育勅語の発布でした。これは、明治憲法が五箇条の御誓文をリアライズしてしまうことを徹底的に妨害するための道具として、わざと用意されたものです。その効果は、致命的に、ありました。
 教育勅語が附録されてしまったことによって、大日本帝国憲法は、いきなり傷つけられてしまいました。反動勢力は、教育勅語を強調することで、五箇条の御誓文の維新精神を踏みにじることが、いくらでも可能になったのです。
 昭和天皇は、教育勅語が、五箇条の御誓文とバッティングするものであり、現に、大日本帝国憲法を歪め、軍部や官僚や政党政治家を勝手に暴走させ、日本を無道な同時多正面戦争に向かわせていることを、ご存知でした。しかし、あとの代の天皇が、さきの代の天皇の勅語を廃止することは、よほどの事情が発生しない限り、不可能です。ましていわんや明治天皇は、近代的な立憲的天皇の第一号であり、三代目が軽々しく批評できません。
 が、その「よほどの事情」が、発生しました。日本の完膚なきまでの敗戦です。
 すんでのところで、日本全土がソ連軍に占領され、革命騒ぎの中で国民は快復不能なダメージを半永久に蒙り、皇室は消えてしまうところでした。
 ここにおいて、昭和天皇によって、1946元日詔書が発せられました。その中で、一挙に五箇条の御誓文に帰るべきことが宣言されたことにより、大日本帝国憲法と教育勅語は、廃止されました。
 こうして教育勅語を葬ったことで、昭和帝は、明治帝の痛い間違いをリカバリーしたのです。この1946元旦詔書によって、昭和帝は、明治帝の偉大さに並んだ、と兵頭は思います。
 多くのバカ右翼は、教育勅語を礼賛しながら、朝鮮人を攻撃しています。
 あらためて言わせて貰いましょう。“That’s why you are baka”.
 ところで日本政府は1951年にどうして、「1946憲法は軍令で押し付けられたもので無効だ」と宣言できなったのでしょうか?
 米国の脅しが「また原爆を落とすぞ」というものであったなら、抵抗はできたのです。
 しかし米国の脅しは「皇室を潰してやるぞ」でした。これには日本政府は、抵抗できませんでした。
 岸内閣の安保改訂以前の米軍は、どう見たって、日本占領軍です。1960年以前は、米軍が動くことによって、日本の政体と国体は、どのようにもされ得ました。
 安保と駐留米軍がいるのに、政府が「押し付け憲法だった」などと言えば、日本国内で米軍による政権転覆→傀儡人民政権樹立による天皇処刑裁判、という流れにもなりかねなかったのです。挑発はできなかった。
 ではそれ以後はどうか?
 ここで1960安保騒ぎの意味が想像できるのではないでしょうか。
 この時点では、日本の指導層はようやく、米国が一枚岩でない事情を把握できていました。つまり、じつは1946にはマッカーサーが単独で、豪州とソ連と米本国左翼からの皇室廃止要求があることを利用して、ムチャクチャな奴隷宣言の前文や9条を、日本政府に押し付けたのであった、と承知した。
 しかし、もう1960になると、米国は、軍隊を直接に動かさなくても、二流の政治家や左翼をけしかけることで日本の政府を転覆させることができるようになっていたんです。
 「押し付け憲法だった」とか言って米国を刺激することは、引き続き、不可能になってしまっていました。
 それで、政府がそこまで動けぬということを察し、若いインテリが暴れたのです。彼らは、日本政府がいまや米国から非軍事的にも金縛りされていると勘付き、ならばと政府に代わって反米&腰抜け日本人批難の心意気を示そうとしたのです。
 ところで兵頭は「勝手にソーラーライトを愛好する会」の会員No.1ですけど、透明の太陽発電パネルが大普及してコストが下がった場合(おそらく欧州諸国で国策としてそう仕向けるだろう)はともかく、黒いパネルしかアヴェイラブルでない現在のわが国で、個人の家庭の屋根に、大面積の太陽電池を取り付けようとするのは、資源と取得費と維持修理費の無駄である、と見積もっております。
 そんなことをするくらいなら、屋根を透明の「温室」構造にして、太陽光線をそのまま、冬の屋内暖房と、屋根の融雪に、役立てた方がいい。もちろん北国専用になりますけどね。
 聞くところでは、屋根上の温水器も、頻繁に修理が必要で、維持費は高くつくようです。だからあまり普及していないのかと納得しましたよ。北海道では、留守中の配管の凍結防止対策だけでも、途方もなく厄介なはずですからね。
 光エネルギーは光熱源として、また、風のエネルギーは運動エネルギーとして、そのまま利用するのが、より効率的であるはずです。
 尤もオランダでは、かつて風車が排水用動力として使われていましたのに、今では、電気モーターより効率が悪いというので、伝統的な風車は、観光用に実動文化財として保存されているのみです。
 風車で発電して電気モーターポンプを動かして揚水したらそれは風車排水よりも省エネになるのかといえば、なるわけはない。しかし、変換効率とは別な、エネルギー利用の便利性が、選好される場合があります。
 そのひとつの例が、システム完結型の、1個数千円の、ソーラーライトなのです。LEDのおかげで、昼間の充電によって、夜の間じゅう、点灯させることも可能になった。これはすばらしい技術進歩じゃないですか。江戸時代の行灯とくらべたら、はるかに明るいんだから。
 まずはシステム完結型の趣味用のソーラーライトの高性能化を、もっと多くのメーカーが本腰を入れて推進すべきなのです。もし、読書灯のレベルにまで改善できれば、これは電気革命です。またそこで得られた技術知見が、かならずや、もっと大規模な太陽光発電システムに活かされるでしょう。地域発電に乗り出すのは、その後でいいでしょう。これがわたしの判断です。
 わたしは宮古島を観光したことがありますが、ものすごい頑丈な鉄筋コンクリートの風力発電塔が、一回の台風で根こそぎぶっ倒され、さらに、崖に設けてあるコンクリート製の柵が、これもただ風にさらされていただけのはずなのに、ポッキリと折れたりコナゴナに割れたりしている様子を見て、「風力は日本では地域の安定電源にはできん」と確信しました。
 各地の風力発電施設を御覧なさい。必ず、羽の回転がとまっている塔があるでしょう。一定しない風を相手にする回転機構は、効率を追求すれば壊れ易くなるし、強度やメンテナンスフリーを追求すれば、仕事効率が悪くなる。ダメなのです。
 ちなみにオランダの風車は、専従の番人が、細かい制御をしていました。あの羽は、骨材がメッシュ状になっていますが、微風のときはその一部または全部に布をかぶせ、強風のときは逆に布を外す。微妙に加減していたのです。また、風車の回転軸そのものを、風に正対させることができました。これは大仕事でしたが、オランダでは風向きが安定していたので、そういう正対作業は、あまり頻繁には要求されなかったわけです。
 江戸時代、オランダと交流のあった日本で、風車がまったく普及しませんでしたのは、日本では昼間の風向がまったく一定しないのと、小さな丘がたった一つあるだけでも、陸風はてきめんに弱まるためです。
 風力エネルギーをどうしても利用したいという場合、日本ではどうすれば合理的になるのか。これはもう地域でなく、各家庭(ただし海岸部限定)で使うことでしょう。コンプレッサーにつなれば、ミニ冷蔵庫ぐらいは運転できるでしょう。また、携帯電話や、電池式掃除機への充電にも使えるでしょう。いまのところは、それ以上は、無理なのではないか。
 沖縄県によく見られるような、各家庭の屋上タンクに、上水を揚水するための動力源とするのはどうか? ダメです。あてにしにくい動力源で、ライフラインを維持しようとしてはいけない。
 米国西部に昔あった、地下水の汲み上げ用の風車。じつはあれは明治時代に日本に輸入されているのですが、やはり普及しませんでした。ダメなのです。だからこそわたしは呼びかけたい。
 「キミも、『勝手にソーラーライトを愛好する会』の会員に、ならないか?」


1946元旦詔書は、占領下の国際法違反の偽憲法を予め拒絶していた

 占領下の昭和天皇は、大臣や国会議員らと同じく、米軍の捕虜・人質であった。
 誰もが、随時に勝手な理由で逮捕され、日本国内や、国外での極東軍事裁判に引き出されて、死刑や終身禁固を言い渡され得る状態に、置かれていた。
 また公務員や企業幹部の誰もが、一方的に簡単に「公職追放」をされ、生活の資を絶たれ、一家で飢餓に瀕する可能性があった。
 敵国軍の占領下では、元首から末端国民まで、全員が無権力で、その生命を直接に敵軍の銃剣間合いに脅迫されていて、とうてい自由意志など発揮しようがないのである。
 軍事占領下で、敗戦国の政府が、不本意な条約を結ぶことは当然にある。これは国際法で認められている。だいたい、すべての媾和条約、平和条約は、敗戦国にとって不本意なものなのだ。それに後から文句をつけるのは、シナ人と朝鮮人だけである。
 しかし軍事占領下で、占領軍が、被占領国の憲法や法律を変更することは、主権者が生命を脅迫されていることがあからさまである以上、国際法で認められてはいない。
 マッカーサー偽憲法は、この国際法を蹂躙して被占領国に押し付けられたものである。
 マッカーサーを善人と見たがる人士がいまだに多いことは驚くべきことだ。GHQには良い人々と悪い人々が居た、と考えたがる日本人が多いことも、驚くべきことである。マッカーサーは、悪代官よりはマシな、江戸のお殿様か?
 わたしが東工大の江頭研究室に入ったのは、江藤淳の『閉ざされた言語空間』が公刊される年であった。じつは1989年までのわたしは、GHQの一部には優れた人々が居たのではないか……と漠然と思っていた馬鹿な餓鬼だったが、江藤の考え方は最初からハッキリしていた。すなわち、そもそもマッカーサーからして二流のアメリカ人だったのであり、SCAPの誰や彼やも、おしなべて大したことのない、二流、三流のアメリカ人だったのだ。大したことのあったのは、彼らの一様なケツのデカさだけだったのである。
 そのくだらぬアメリカ人たちの押し付ける無道に、まったく反論ができなかった当時の日本の要路は、四流ではないか――と、言外に言おうとしているかのようでもあった。『自分だったら、斥けたよ』と。
 マックは二流であっただけではない。本国政府が要求もしない前文や9条を、彼個人の独自の発案として、得々と押し付けたのである。
 もともと二流であるばかりでなく、トルーマンに首を切られたあとの無冠・無責任の立場となっていたマックが、日本の対韓・対満・対支政策を朝鮮戦争勃発のあとから回顧して少し同情したからといって、日本による満洲事変やパールハーバー奇襲開戦の作法が、国際法上の道理として、水に流されるわけでないことが、渡部昇一教授にはどうして分からないのか。
 パリ不戦条約を天皇の名で批准していながら、満洲事変の関係者を罰することができず、パールハーバー奇襲開戦を止められなかった「大日本帝国憲法+教育勅語」の戦前国体は、日本と日本国民から近代的な名誉を奪い、しかも、ほとんど壊滅に追い込みかけたのである。
 これは明治憲法の、国会に対して内閣を超然とさせていた条項、さらにさかのぼれば、改憲条項に、明白な欠陥が、あった。明治22年憲法では、天皇が発議しないと改憲の議論には入れないと定めているのだけれども、臣下の誰もが、面倒な改憲などをしないで、権力を楽しもうと謀った。その臣下に逆らって、立憲君主がやたらに改憲の音頭をとれるわけがなかった。
 1945年9月、日本国民が絶滅せずに休戦媾和に持ち込めたのは、天佑だと、昭和天皇は観念した。1945年10月、マッカーサーは、日本政府に改憲を要求した。これは軍事占領中にしようというのであるから、明瞭な国際法違反である。しかし、日本人は全員が米軍の人質にとられている。逆らえば共和制の米国によって日本の皇室は潰され、皇室が潰されれば、日本は日本でなくなってしまう。
 そこで昭和天皇は、1946年1月1日、決意を籠めた詔書を発表した。
 四流の日本人は、誰一人、その意味を悟らなかった。
 1946元旦詔書は、マッカーサーの人質であった昭和天皇が、皇室廃絶の脅迫を受けつつも、ギリギリの本心を含めて全臣民に向けて発した、理性の注意喚起である。
 いわゆる現人神を否定した意味は、「大日本帝国憲法+教育勅語」の破綻の承認であった。いかなるコンスティテューションも、ネイションの自殺を予定しない。然るに「大日本帝国憲法+教育勅語」の戦前国体は、日本国の自殺を招いてしまうことが現に実証され、歴史の試練に堪えられなかったのであるから、昭和天皇は、その欠陥のある憲法空間の停止を、非常大権によって当然に承認するのである。
 同時に昭和天皇は、1868年の「五箇条の御誓文」に、特に言及された。五箇条の御誓文こそは、万国公法の近代的自由主義に賛同し、日本国の独立を戦って守ることを誓った下級武士たちに、明治帝が同意されたマグナ・カルタである。
 明治23年教育勅語と明治22年憲法の停止に同意された昭和天皇は、その代わりに、維新のマグナ・カルタである慶応4年の五箇条の御誓文まで帰るべしと、1946年元旦、日本国民に命令されたのである。米軍の銃剣が常につきつけられていた故に、その外形は命令ではないが、内実の意義は勅命であった。この瞬間、日本は五箇条の御誓文が目指そうとした、明治維新という近代自由主義革命の精神に基礎を置く、不文憲法のコンスティテューションに移行したと考えられる。
 さらにまた昭和天皇は、1946年中にマッカーサーから武力脅迫をもって押し付けられることになりそうな「偽憲法」が、もしも、国際法違反のシロモノであったり、あるいは人間の理性に反するものならば、「五箇条の御誓文」に立脚する近代日本国として、断然それを否定せねばならないことを、元旦において予め、御みずから誓い、且つ、臣民にも命下されたのである。
 四流の日本人は、いまだにパールハーバーが自衛だったと言い、教育勅語はすばらしいと言う。
 そう言っている限りは、昭和天皇の1946元旦詔書は、いつまでも暗号のままであろう。
 〈自分らは他の外国人とは違って特別なのであるから優遇しろ〉という在日朝鮮人の発想などは、まさに「教育勅語」の反近代的な発想にうまく嵌まっていると評し得る。教育勅語の反近代性が直感できない日本人が多いために、これほど朝鮮人は増長したのであった。
 明治23年の教育勅語は、身内は特に重んじろ、身内の外側の人は、より軽く扱ってよい、と、そそのかしているのだ。まさに、反近代的なシナ・朝鮮式の伝統発想であって、じつは、「五箇条の御誓文」がそのままリアライズされるのを恐れた国内の封建思想グループからの、露骨な反逆に他ならなかった。
 昭和天皇は、五箇条の御誓文を改めて選んだことによって、五箇条の御誓文とはバッティングする指針であった、戦前日本の癌・教育勅語を破棄されたのであった。
 納税と国防の義務を負う国民に、それにふさわしい権利を平等に与え、かたや国防の義務を負わない外国籍人には、日本国民よりも制限された権利を平等に与えるのが、「法の下の平等」であろう。戦後、納税すらまともにしていない朝鮮人が、他の在日外国人よりも不当に過度に行政から優遇されている実情こそ、近代法理の「法の下の平等」に反する不平等であって、五箇条の御誓文に立脚する不文憲法を踏みにじる行政の犯罪である。


ゴア氏よ、電気代15万円使うならソーラーライトに注目汁

 新品で2000円しなかったものの、発光パフォーマンスはみるみる低下し、冬に買ってまだ春にならんというのに、この頃では夕方に数十分点灯するだけとなってしまった、IRISオーヤマの「DSL-211W」(白色LED×1灯、電池は単三 Ni-Cd AA 600mAh 1.2V×2本)。捨てる前に最後の実験をする気になった。
 先般上京したとき、スマートソーラー社製品の1年半後の交換用電池として余分に買っておいた「Panasonic メタハイ 800 単4」(ニッケル水素電池、実質容量は750mAh?)を、装填してみたのだ。
 ちなみに、単三で800mAhとか900mAhの充電電池は、東京の電気店でもまず店頭には置いてないのではないか。単四でならば、かろうじてこのクラスの容量のものを売っている量販店が見つかる。前にも報告した如く、2800mAhとか、最弱LEDの一晩消費電力に比してあまりにも大容量な電池は、充電時の抵抗値が違ってくるのか、ソーラーライトの電源としてはまるで機能してはくれない。では、果たしてどのくらいの電池容量がその境目になっているのか、たとえば1700mAhならば、機能してくれるのかは、残念ながら、まだ実験によって確かめ得ておらぬ。それを試してみるための捨て金が、手元にないのが悲しい。ゴア氏よ、わたしに実験資金を寄贈せよ。
 さて、単三電池と単四電池は、もちろん太さも長さも異なる。だが小さな単四を大きな単三用の電池ボックスに入れることは可能だ。まず厚紙とビニールテープで単四の胴体中央部をミイラのようにぐるぐる巻き、最大直径を単三と等しくする。そしてラジオペンチで電池ボックスのマイナス極側の円錐状コイルを強制的に引き伸ばす。こうすると単四が単三電池ボックスにはまり込む。はめた上からさらにビニールテープで蓋をして、転がり出さぬ用心をしておこう。
 一晩様子をみたが、朝まで煌々とついていた。メタハイ800は、小売りの段階でフル充電に近い状態なのかと思う。あとは、数晩放置し、電池が完全放電状態になった翌日昼の充電によって、どのくらい発光が持続するのか、観察をしたい。
 さて本日は東京では月刊『諸君!』が店頭発売されているだろう。首都圏に居住していれば、記事を寄稿した雑誌が店頭発売の数日前には著者の住所まで郵送されてくるのだが、住所が北海道ともなると、店頭の発売日とほぼ同時か、下手をすると発売日の翌日とか数日後くらいに現物が届く。つまり読者よりも後から著者が仕上がりを確かめることになっちまうのだ、トホホ。
 それでじつはまだ4月号を見ていない段階なのだが、今回の座談会では、高田教授の著書からでも得られぬ、いくつもの新知識を、拝聴した。誌面の関係でその大半がゲラ段階で既に割愛されていたのを、わたしは読者の安全保障のために甚だ惜しむ。そこで以下に補足紹介を勝手にする次第である。以下、要約の文責はすべて兵頭にあり、誤解も含まれているおそれがあるのでよく注意をされたい。
●質問:溶けずに飛び散ったガラスのうち一部は、中性子により放射性化していると思うのですが、その危険度はどう考えたらよいでしょうか。たとえば人体内に残っているガラス片はすべて一刻も早く摘出するべきですか? それともそんな治療は後回しにすべきでしょうか。
 ――ガラス破片の放射性化は比較的に小さな問題。それよりも被曝した人体そのものの放射性化の方が大きいぐらいだから。ただし被曝者の人体に近寄った人が二次被曝して健康に危険が生ずるという水準ではない。
●質問:1954年の第五福竜丸事件では、大量の死の灰が船の上に積もりましたが、あの「3F」水爆実験が、もしも地表爆発ではなくて、火球半径より高い空中3200m以上での爆発であったならば、コアのプルトニウムおよびタンパーのウラン238の核分裂による灰は、近辺の海上にはほとんど降らなかったと見てよいのでしょうか?
 ――その通り。環礁の珊瑚が蒸発したので、おびただしい灰となった。ちなみに広島で降った「黒い雨」の正体は、粘性であったとの証言もあり、おそらくは、ヒトの脂が主成分ではなかったかと思う。
●質問:爆発から1時間以内のグラウンドゼロでの地表からのガンマ線は、自動車の鉄板ではとうてい遮蔽できぬということですが、車高の特別に高いトラックやダンプカーや工事車両で通過するとしても、やはり無意味でしょうか? たとえば、ダンプカーの荷台に、汚染されていない土嚢を1m重ねて、その上に人が乗ったとしたら、どうですか?
 ――放射性化した地表からのガンマ線は、真下からだけでなく、斜め下方からも来るわけ。自動車でビルの瓦礫の山の間を通れば、真上を除くほとんど四方八方からガンマ線を浴びることになる。だから、いかほど車高があろうが、また、土嚢で真下だけ防護しても、無意味。(兵頭補足。阪神淡路大震災を見れば、そもそも瓦礫地帯に装輪車輌では進入はできまいし、LSI制御の今の自動車はディーゼル車も含めてEMP障害にやられて始動しない懸念があろうし、陸自の数的主力である幌式トラックは走行すると後方真空が後輪砂塵を巻き込んで荷台内に吹き込んでくるので、特にどうしようもなかろう。)
●質問:海水1立方キロメートルの中に各種のウランが200トンあると聞いております。将来、硫黄島もしくはその近くの無人島でわが国が、20キロトンの地下核実験をしたとします。万一そこから放射性ガス等が海水中に漏れたとしても、その「海水汚染」は、極東ロシア沿岸の遺棄原潜の周囲にくらべて取るに足らないと予見しておりますが、いかがでしょうか。
 ――地下実験を完全に安全に行なうことは日本国にとって可能であろう。


続報(詳報)。

▼以下、5月のツアーのご案内の概要です。奮ってご応募ください。
近代から現代の歴史を丸ごと満喫する北の大地ツアー
歴史パノラマ探訪in北海道
 幕末、横浜・長崎と共に日本最初の国際貿易港となり、欧米文化を吸収し貿易で栄えた歴史を持つ函館には明治維新(戊辰戦争・1868年~1869年)の最後の戦い『箱館戦争』の史跡『五稜郭』や、新選組副長・土方歳三の終焉地、明治時代の建物、日清・日露戦争以後函館港を守った函館要塞跡が点在しています。 
 函館市から江差に向う途中の台場山には箱館戦争当時そのままの野戦塹壕跡、江差港には復元された『開陽丸』、上磯町には松前藩戸切陣屋跡、函館空港近くには迷彩塗装で残る戸井要塞跡、函館空港にはミグ25事件現場等があります。
解説:軍事評論家 兵頭二十八先生
日時:5月19 (土)~5月20日(日)
費用:¥80,000―
1日め 5/19(土)
羽田 発07:35
函館 着08:55
日本航空JL-1161便
着後、専用バスにて
立待岬、函館要塞跡、五稜郭タワーと五稜郭博物館、四稜郭、旧函館区公会堂、摩周丸クラッシックカー博物館。
函館・湯の川温泉(泊)
2日め 5/20(日)
専用バスにて
台場山・塹壕跡に立ち寄り江差へ。開陽丸(復元)博物館、トラピスト修道院と男爵資料館、上磯町・松前藩戸切陣屋跡、戸井要塞跡、函館空港ミグ25事件解説
日本航空JL-1170便にて羽田空港へ。
函館 発19:35
羽田 着21:00
着後ご自由解散。
お申込先は:日本エアービジョン株式会社 (国土交通大臣登録旅行業第482号)
担当:浅田 均
 電話:03-3538-2071
FAX:03-3538-2095
メール:hito-yoshi5@coffee.ocn.ne.jp
▼歴史パノラマ探訪in北海道  お申込方法
<FAX>
下記の要領で申込書をつくり、03-3538-2095 までFAXして下さい。
(フリガナ)
氏   名
男・女
年(西暦と元号併記で)   月   日生  才
現住所(住民票と同じ住所)

FAX番号:
Eメール・アドレス:
<はがき>
お申し込みいただく方のお名前、ご住所、電話番号、生年月日をご記入後、下記まで郵送して下さい。
@日本エアービジョン株式会社 担当:浅田 均
 〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目3番先 北有楽ビル1階
費用の振り込みについて
 <FAX>又は<はがき>でお申し込みいただいた方に、日本エアービジョン株式会社から、ご集合案内と共に、振込先記載の請求書を、ご自宅まで郵送します。
ご不明の点は下記までお問い合わせ下さい。
日本エアービジョン株式会社 担当:浅田 均
 〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目3番先 北有楽ビル1階
              電話:03-3538-2071


速報 ~ 春の南端北海道ツアー 募集開始!

 むかし陸軍のエリート幕僚たちはグループで「参謀旅行」を催しては、古戦場の地形を実際に確かめながら往時の戦術について検証したり、未来の想定戦場を調査して回ったものでした。
 このノリの軍事観光ツアーを、国内外を問わず、現代市民向きに催行しておられるのが、元陸自幹部だった浅田均さんの「歴史パノラマ探訪」です。
 来る5月19日(sat)~20日(sun)、いよいよ不肖兵頭がツアコンに任じまして、函館山要塞と江差の「開陽丸」を中心に近郷の軍事史跡をバスでたずね廻るという企画が決定いたしました。
 これは浅田さんの旅行会社「日本エアービジョン株式会社」による正規の商業イベントですから有料です。
 なお、申し込まれた方の中に、幕末函館戦争のマニアの割合が多かった場合、そちらの史跡の巡回場所を増やすようにしたいとも思っております。
 とり急ぎ、「第一報」迄……。


3月の前半の某日に……

「新風」の魚谷党首が来道されるそうなので、某所で面会する予定です。「廃憲」の方針について直接確認したいことがあるだけですが……。
 ところで、神浦さんのサイトを見ていたら、例のヤマハなんとかの無人ヘリ輸出事件についてマニアックな解説がされていました。
 新聞を一紙も購読せず、田舎に暮らし、テレビも見ない小生は、神浦さんのサイトを新聞ダイジェストとして定期的に見るようにしていますけれども、神浦さんは自衛隊内に「ディープ・スロート」のボランティアをたくさん持っていて羨ましいなという印象を受けたことがたびたびあります。これまで、あっと驚く納得の言及に、何度感心させられてきたかわかりません。(たとえば、潜水艦の舵がタンカーの底に接触してしまう理由は何か、について。)
 これらの解説はもちろんスパイ行為にはあたらず、ジャーナリストの甲斐性であり道義的義務でもあります。というのは恐らく防衛庁詰めの記者は皆知らされているのですけれども、誰もそれを新聞やテレビで大衆に向けて説明しようという気はない。そういう、埋もれたインフォメーションが、無数にあるのでしょう。
 そこで神浦さんのような背景解説を、インサイダーではない読者は望みます。公益を損なう秘密の暴露とは違う。いやしくもジャーナリストならばそうしたオフレコ・チャンネルを持ち、それに基づいて官庁の意図的誘導的な公式発表を補足し補正してやろうと心がけるのは当然です。その努力が軍事外交に限らずすべての報道の分野で集積され続けることで、初めて健全な民主制政治もあり得るのです。が、日本の他の新聞記者やテレビ報道班員ときたら、まず読者/視聴者に背景の説明をしてやろうとなどいう熱意はゼロなわけです。現状では神浦氏だけが例外的にその熱意をもっているように見える。だからわたしは氏の書き込みの中から、他では得られない背景事情の理解の資料を推知できるとうれしいのです。
 ただし無人ヘリの解説は的を外しているように見えます。この報道の背景は、防衛機密に関するスパイ防止法の国会提出のための雰囲気作りを政府が一丸となってしようとしていることでしょう。そこを解説しないと、背景解説にはならぬような気がします。
 たとえばプルトニウム発電の問題を考えるとわかりやすい。日本がエネルギーを自給しようと思ったら、その方法はプルトニウム発電しかありません。しかしそれを政府が大いに推進しようとしても、反日マスコミにたきつけられた社会的な反対が起き、予算もつかなければ必要な法律も整わない。政府が言葉でちゃんと説明すればよいのですが、日本のエリート官僚と政治家と原子力関係の特殊法人役員には、民主制政治に必要な「自己説明力」がさっぱり無いのです。政府はこう思っているでしょう。「とつぜん、石油が暴騰してくれればいい。そうすれば、政府が説明をしなくったって、国民は理解してくれるだろう」と。
 このような日本政府の自己説明力の欠落をカバーしてくれるのが、「とつぜんの石油危機」に匹敵するような「都合のよいタイミングで報じられ、国民を覚醒させてくれる事件」なのです。
 スパイ防止法なんか、つくっておくのがあたりまえなんですが、これままた政府にはそれを国民に平時に理解させる自己説明力はゼロです。
 だから、読売事件とかヤマハ事件のようなささいな古い事件を「タマ」として温存しておいて、チェイニー氏が来日してGSOMIAをつくれと求めてきたような折に、検察からマスコミに「新事件」「捜査の新展開」として一斉に報道をさせるのです。報道させられるメジャー・メディアの側としては、これが政府の対世論の空気づくり工作への加担であって、事件そのものは、象徴性や一罰百戒効果はともかくとして、そんな大げさな意味のあったものでもないことなどは百も二百も承知です。が、記者クラブ経由でしか記事種をもらえないかなしさ、諾々とそれを報じていこうという達観に支配されているわけなのです。
 ネパールへの自衛官派遣だって、もっと背景説明が必要でしょう。これはシナに対抗するためにこれからインドと軍事的に結んでいこうとする、その特務機関づくりでしょう。誰も説明する人がいないようですので、北海道の片隅から、差し出がましく言及をいたしました。


『ニーチェは見抜いていた』を自由に読める日本の有難さ

 畏友・適菜収氏によるニーチェ紹介の第二弾:『ユダヤ・キリスト教「世界支配」のカラクリ』は、ハードカバーだが価格も当世風に妥当であり、なにより読み易いので、読者のカネと時間を無駄にさせない。
 適菜氏は半端でないニーチェの理解者で、その深さに、この兵頭などはシャッポを脱ぐ以外にないのである。出版界では無名の存在であった。ところが前著『キリスト教は邪教です!』がいきなり講談社から出版され、いきなり1万部を越えたという(現在までの部数は聞いていない)。新人が書いた最初の哲学の本がたちまち1、2万部だなんて、あり得るだろうか。マーケットは、適菜氏がホンモノだと認めたのだ。あとは、優秀な伯楽、すなわち編集者が、どのようにして適菜氏の第二、第三の企画をプロデュースしていくのか、秘蔵状態の適菜氏の変わった引き出しの中身を商品化して呈示してくれるのかが、ひたすらに待たれていたのである。
 テレビの見過ぎで、自分はいつしかタイトルのキーワードだけを見て見境いなく吠えかかる狂犬神経症の同属に一致しつつあるのではないか、たまには時の試練を経た古典的名著のおさらいもしなければ正常な判断力を維持できないのではないか――との健常な懐疑の衝動をまだ抱懐している男子諸君には、本書の購読を推奨する。
 ただし、この本の活字量の半分を占める、B・フルフォード氏の力説するところは「デムパ」に近い上に面白くもなんともなく、ナナメ読みによってさらに時間を節約することが可能だろう。この本の真価は、まったく適菜氏のニーチェ解説の部分にしかない。哀れにも、ニーチェを読んで理解しなかったことがほぼ確実だと本書のなかでバレるフルフォード氏は、ニーチェが反発したはずのアプリオリな西洋式発想、すなわち、世の中の万象のおおもとに唯一の原因がなにか隠されて在るはずだと詮索したがるパターンを、ネガ/ポジ反転させて、悪のプロットの根源探しに取り憑かれている御仁なのだ。日本の出版言論がテレビや新聞の何百倍も自由であるために、著者のキャラクターをその著作から読み取ることができるのは幸せである。
 なお、『東京あけぼの』の定期購読者の方々は、兵頭が適菜氏とは異なる西洋古典の読み方をしていることが容易に承知されるだろう。


福井晴敏氏、高田純教授との鼎談は極めて有益だった

 ホテルニューオータニの窓から、赤坂御用地方角の夜景を眺めていて、ふと理解した。東京都民は誰も「ぬばたま」と隣りあっては暮らしてはいないのだと。
 夜空のバックグラウンド散乱光が、広い公園にすら、あり過ぎる。これでは市街地内の家屋の庭に、弱い光の照明があろうがなかろうが、大差もない。都会では、薄明かりの有り難味を、ちっとも感じられないのだ。
 それゆえ大都市内居住者には、庭用のソーラーライトの性能上の良し悪しの情報は、ほとんど価値がない。価格と見てくれだけが要り用である。
 かくして、情報不完全マーケットが、この商品の分野に関しては成り立ってしまっているのだろう。
 翌日、わたしは豊洲駅に向かった。なぜよりによって豊洲か? ホームセンターの「Super VIVA HOME」と、東急ハンズを、半日で歩き回れるのはここしかない。
 豊洲はしばらく行かないうちに、えらく発展していた。わたしが都民だった頃には、予約なしの個人見学が不可能だった「ガスの科学館」が、いつのまにか、近隣ファミリーの無料ヒマ潰し施設(がすてなーに)と化しているし……。
 ビバホームでは、安くて低性能なソーラーライトの在庫しか確認できなかった。冬期の高緯度積雪地方で役立ちそうな、高価格帯の高性能製品は、置かれてなかった。ハンズには、ガーデン用ソーラーライトそのものが見当たらない。
 ソーラーライトの商品フルラインナップを手にとれるショップは日本にはないのだろうと、これで確信。
 ところで珍妙な商品をビバホームでみかけた。それは、ソーラーライトには違いないのだが、発光部がLEDではなく、なんと蛍光灯なのだ。これって、ひょっとすると、ものすごく昔のモデルなのではなかろうか。そして、おそらく現品限りで「絶版」になるのではないか。
 価額は投げ売り水準だったが、荷物としてかさばるので、買わなかった。
 また電球コーナーでは、かの絶好調の「オーム電機」が、通常の白熱灯のソケットサイズで、消費電力1ワットのLEDスポット電球を売り出しているのをみかけたゆえ、割高とは感じたが、こちらはつい買ってしまった。
 この「暗さ」は気に入った。が、わたしは敢えてリクエストする。リング蛍光灯の「豆電球(豆球)」のソケットに挿し込めるサイズで、これよりも暗いLED球をつくっていただけないものかと。
 というのも小さい子供のいる家庭では夜中は豆電球をつけっ放しにしているのものだが、その光がけっこうまぶしいと感ずることもあるからだ。きっと需要は大きいはずだ。
 これは余談。
 都市住民にはソーラーライトの性能はどうでも良いことなのだとよく把握できたので、わたしは今後は全国の地方居住者に広く呼びかけ、各メーカーのソーラーライトの実設実用感想を聴取したいと思う。デジタルフォトとともに、新設コーナーに寄稿してくだされば、幸甚である(業者禁止)。
 札幌医科大の高田教授(もともと核物理の人)から序でにうかがったところによると、「核融合発電」は、殺人的な中性子を閉じ込める方法が見つからぬ以上、将来の目は無く、それよりも国は、電気エネルギーを百%自給でき、自動車用の水素燃料も生産できる、プルトニウム原発の実用化に、もっと注力すべきである――とのことだった。フランスがフェニックスをやめてしまっているから、これが完成すれば、日本の独走技術となるはずだと。
 それと、地下鉄の照明に蛍光灯ばかり使っているのは、地上通路から入ってくる核攻撃の爆圧でガラス管がすべて割れてしまうので、よくないというお話だった。ならば、地下鉄会社は、照明の半数をLEDと交換すべきだろう。
 夏場のプラットホーム冷房のための電力も、それでいささかの節約になろう。
 非常灯の光源もLEDとすれば、何日間も電池だけでもたせることができるはずである(現用の非常灯は1時間でバッテリーがあがってしまうので、核戦争時には甚だ頼りにならない)。
 話は変わるが、「極右評論」の瀬戸氏が、例の弁護士議員の以前の対首相テロ発言を擁護しているらしいのは、わたしには容認できない。同弁護士議員は、2005年4月に高木書房から刊行した自著の中でも、橋本派の某幹事長に対して「まさに殺意を催すほどのものであった」(p.120)と書き、また、時の外相が、拉致がテロだとは言わなかったことから、家族の心の中に、絶望と殺意が渦巻いた(p.143)、とも書いている。本人が厳重に校正でき、しかも一般書店に流通した活字出版物に、このような記述が残されていることについて、公人たる著者西村氏は社会的責任を負うのだ。有名現役弁護士議員によるこの記述は〈殺人のそそのかし〉だと受け取られても仕方ない。
 むろん、少なからぬ野党と、一部与党議員からなる反日勢力は、この日本国全体を近隣の専制主義的な外国に売り渡すことを可とし、天皇家を処刑することを望み、あるいはアナーキズムを歓迎する、公然たるテロ勢力である。
 しからばその多数のキチガイどもに、少数の正気の公人はどう対するべきなのか。決まっている。スパイ処罰法を議会に上程すべく運動し、その運動の中で、個々の反日人士を名指しで弾劾するべきなのだ。
 〈だれ某は国家反逆者であり、国会よりも刑務所にいるのがふさわしい。さもなくば日本国籍を捨てて××国に去れ〉と演説するのと、〈だれ某は暗殺されるべきだ〉と口走るのとは、天地の違いがあることを、近代国家の法律家ならば、弁えていなければならない。西洋の知識人は、紀元前になされたキケローの演説を、古代語と自国語の双方で共有知にしているから、こんなことは常識なのだが、日本では、明治中期~昭和前期に、英語ではなくドイツ語の解説文献ばかりを鵜呑みにして、古代語にさかのぼらずしてギリシャ・ローマの古典を一通り吸収した気になるという大錯誤に誰も気付けず、その祟りがいまだに尾を曳いて、国会議員が至って幼稚なままなのだ。(古代の固有名詞を英語風に勝手に変更してしまう「英語帝国主義」が反発されたのは尤もである。)
 小選挙区制のメリットは、あまりにも社会常識を欠いた幼稚な候補者を、ふるい落としてしまうところにある。国政選挙が全国区一本になれば、日本を支配することになるのは、カルト団体である。
 選挙にカネがかかることよりも、投票率が低いことの方が、比較を絶して深刻な日本国の危機である。この解決策として、わたしは、「不在者投票の即日開票」をするように、選挙管理委員会に提案したい。
 つまり、不在者投票の開票結果が、本投票日の何日も前から、数週間にわたって、毎日、公式に速報され、累積され、そして最後に、本投票日を迎えるようにするのだ。
 これによって、有権者が感ずる「自分の一票の価値」は、著増しよう。どの候補に勝ち目があり、どの候補が「列外」なのか、本投票日前に把握できることは、死票をなくす。これは良いことづくめだ。
 早く投票した人は、「流れ」を作り出すことができる。たとえば無名の新人をいきなり注目される「本命」にできるだろう。
 後から投票する人は、「決戦」に参加し、関ヶ原の決勝を左右することになる。
 かくして、すべての投票者が、最初から最後まで「レースに参加した」という実感を抱くことができる。これこそ「国政参加」である。
 従来の制度では、投票に手応えがなさすぎた。特に、応援した候補の得票数が、桁違いに少なかったりすれば、もう次の選挙の投票はどうせ無駄であるから棄権しようと思う。自由な個人の心理として、当然ではないか。
 この結果、反自由主義的なカルト政党だけが、断然に有利になってしまうのだ。カルト政党は、傘下組織構成員の投票行動を組織として厳重に見張らせているから、彼らに「棄権」という行動はあり得ない。
 しかし、不在者投票の即日開票制度が導入されれば、カルト政党の威力は、分相応に低下する。流れを作り出そうとすれば、決戦には参加できない。決戦に備えて構成員に不在者投票を控えさせれば、それはライバル陣営に必ず察知され、却って本投票日に、大量の反対票(阻止票)を呼び招いてしまうからである。
 選挙管理委員会は、現況を座視している場合ではない。それは日本の自殺になるだろう。投票率の少ない国政選挙は、議会を通じた外国からの間接侵略を許してしまう、最短コースなのだから。