RMAパラドックス

2004年を振り返りますと、年の後半になって、わたくしが95年に書いた核武装エッセイの内容が、ようやく世間に知られてきたらしいと気付かされた。これが、ひとつの驚きだったと申せましょうか。
 古手の慷慨家の方々に思い出して欲しいんですが、わたくしは95年に彗星の如く論壇デビューしたのではありません。80年代の大学学部生時代から月刊『自由』や『THIS IS』や『世界日報』に度々、核抑止のテーマで投稿をしておりました(本名でとは限らないことは「ファン・サイト」のインタビューで明らかにしてましたよね)。
 それら投稿文の内容は「95年エッセイ」とそんなに変わった話ではないわけです。さらに引き続きまして『戦車マガジン』時代にも、編集部内原稿として中欧核軍縮問題を何度か論じております。
 そして、これらをちゃんと読んだ人は沈黙しました(反論を寄せず)。反論できないけど持論もまげたくないっていう人々は、それらの文章の存在をスルーしました。文字通り、ひとつのレスポンドもなかったんです。
 95年の『諸君!』エッセイも、数年間は、岡田斗司夫さん以外は、誰もこれに論及した人はいなかったように思います。並み居る大先生方がほとんど沈黙をしておられた。その中に、このエッセイの記憶が早く世間から風化してなくなってくれればいい、とひたすら念じておられた方がいらっしゃったのかどうかは存じません。
 ですから、04年1月の『ニッポン核武装再論』(並木書房)すら手に取らずに、またもちろん99年の『「日本有事」って何だ?』、01年の『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』、02年の『学校で教えない現代戦争学』…etc.もスルーして、04年になってとうとう無視できなくなったわたくしの95年エッセイを批判しておられる、学究的に怠惰もしくは怯懦な方々が目立つことには、いまさら格別の驚きを覚えないのです。
 信用される知識人は、軽々に人を批判しないでしょう。軽々に人を批判する方々が、まじめにその人の主著を読んでない、というのは昔から常態のことでした。それらの人々は日々、「信用力の無いこと」の自己証明を続けておられるのであります。
 さて、04年に世界が凝視したのは、「米国のイラク統治は、1945年の米軍の日本進駐のようにうまくいくわけがない」と、米国人を除いては誰もが予測したことのなりゆきについてです。
 かつて「IT革命」にもかかわらず生産性が向上しないことを「生産性パラドックス」と呼ぶ人がいました。では、RMAにもかかわらず反進駐軍のゲリラを少人数で効率的に根絶のできない、目下のイラクの状況はどのように解すべきでしょうか。
 おそらく米軍の効率的統治を非効率化するように、テロリズムの方も進化し革新されたのではないですか? たとえば「ハルツームのビンラディン・キャンプ」に実体はあったでしょうか?
 レーダーの世界で、敵に被探知を悟られないように、また、妨害を簡単に受けないように、マルチ・スペクトラムに発射側波長を分散する、あるいは波長を不規則にホップさせ続ける、という技法があります。
 イスラムのテロリストも、「拠点」を持たない営業形態に転換したんです。「目標」を敵に与えなくなった。そんな改革を成し遂げた者の名を一つ挙げるとしたら、ビンラディンでしょう。彼以後のイスラミック反米ゲリラ活動には、ストックがなくなり、フローとネットワークと全体意志だけがある。
 余談ですが、ドンキホーテの放火について、社長か誰かが「放火テロ」と言ったそうですね。放火がテロであることを、わたくしは今年、ドンキ事件のずっと前に、村松剛氏のご自宅の例を挙げ、紙媒体で書きました。「世界の貧乏人をなくせばテロもなくなる」などと語っているあきめくらの人々は自らの理性を疑うべきでしょう。
 ちなみに民主党のO代議士はかつてその著作の中で、「争いが起きるのはすべて貧困、貧しさがその根本にある。日本の役割の9割9分は、われわれがたまたま享受できた豊かさを、世界の他の諸国、つまり地球全体が少しでも安定した生活ができるように、一生懸命尽くすことです」とお書きになってましたっけ。
 次に半島です。03末にワシントン周辺から、「沖縄の海兵隊基地をグァムに移す」という噂が立ち上りました。兵頭は、これは当時の米政権がシナと取り引きをしようとしていた、その反映ではないかと疑っております。つまりシナは「北鮮の核武装は止めてみせるよ」と米国に対し安請け合いをし、「で、その代わりに何をしてくれますか?」とワシントンに迫ったんでしょう。
 この裏談合に金正日が猛然と抵抗したというのが04年であったと思います。その抵抗の結果、シナは何も出来ず、米国はすっかりシナに失望し、シナに対する評価を下げた。そして再び、あきらめかけていた日本の真の再武装に期待をかけ始めた年だったと、兵頭は思います。江沢民から胡錦濤への権力転移の背景、胡錦濤のランボーぶりの背景は、これでしょう。兎も角日本はこれについても「ラッキー!」と叫ぶべきかもしれません。
 たぶん、金正日に面子を潰された北京政権は、米国からの評価を再獲得するため、05年に北鮮に軍事的強圧をかける可能性がある。これまた日本には「ラッキー!」となるかもしれません。
 この運勢に乗じて日本は核武装できると思います。
 肝要なことは、近代人として譲れない一線を堅持することです。その一線を越えた働きかけを外国からモロに受けたとき、「事と場合によっちゃ、アメともやるぜ」というガッツも示せないヘタレが他方で露助やニー公と戦いますと言ったって、誰も信じやしません。「精神のクレディビリティ」がゼロでしょう。
 さいわい、米国人と日本人の基本的人権についての見解はほとんど一致します。しかし民主主義の恐ろしいところとして、選挙一発の偶然により、とんでもない政権が生まれ、とんでもない政策が発動されることがあるでしょう。かつて米国政権は侵略者の蒋介石に請われるまま、フライングタイガースへパイロットを供給しました。フライングタイガースは日本本土爆撃まで計画していたのです。また80年代のシナには、戦闘機用アビオニクスや長距離砲兵用のハイテク砲弾や、戦車、ヘリコプター、魚雷等の技術を売り渡そうとしました。さらにクリントン政権時代には衛星と大型ロケットの技術改善に関してコラボレイト関係をもっています。こうした事態よりももっと悪い事態が将来いつか起きないとは誰も言えないはずです。「ロシアの核弾頭はシナの核弾頭より多いから日本の主敵はロシアだ」と仰る先生がいるんですが、だったらFDRの再来みたいな大統領が将来ホワイトハウスに居付いたら、その日から主敵はアメリカ合衆国にならねばならないでしょう。
 その場合、日本はアメリカとは決して戦争しません、などとは決して宣誓しないことが、逆に米国の指導者層からは信用されることになるのです。これが分からぬのは、その人がまだ近代的自我を持ち得ていないからではないでしょうか。
 「精神のクレディビリティ」が希薄で脆弱であれば、どんな兵器で武装しようと、抑止力にも何にもなりません。
 さいわい、95年当時やそれ以前とは違って、これがすぐ分かる日本人も増えてきたと感じます。日本国の運勢は好転しています。

 



1915年のインド兵の反乱

 大川周明か誰かの戦前の著作中に、1915年にシンガポールでインド兵が叛乱を起こし、それを英国政府の要請によって日本海軍の第三艦隊が急行して鎮圧したのは、あたかも日本が英国の東洋の犬になったようではないかという短い批判が挿入されていて、わたくしはこれがずっと引っかかっていました。
 最近、急に思い立って、これに関連する資料は無いかとウェブで探したら、所在は簡単に分かるんですね。まず桑島昭という方が『大阪外国語大学学報・69・文化編』(1985-3-30)に「第一次世界大戦とアジア──シンガポールにおけるインド兵の反乱(1915)」という論文を収めておられる。その次に、軍事史論文の量産家で有名な平間洋一さんが『史学雑誌』(1991-6)上に「対華21ヶ条の要求と日英関係──シンガポール駐屯インド兵の反乱を軸として」を載せておられると知れました。
 これらの学会誌バックナンバーが函館にいて簡単に閲覧できれば良いのですが、年末で北海道教育大学の図書館も利用できないだろうし、出掛けたところでサーチ・コストの無駄になる虞れは大であると判断し、先日の上京のついでに、広尾の都立中央図書館で有り難く読んで参りました。
 で、いきなり余談なんですが、このインターネット時代に『学会誌』とか『紀要』って、どういう意味が残ってるんでしょうか? 何か工夫があっても良さそうに思います。たとえば今回拝読した平間論文には、それに6年先行する桑島論文を参照したというしるしがありません。つまり桑島さんは、論文をせっかく冊子に印刷してもらったが、それを同志の研究者にも読んでもらえてないわけです。こんな調子じゃ、日本の学問がのびのびと発展できませんよね。みなさん文部省公認の肩書きや所属研究機関名を名乗って対社会的な信用を強調されておられる以上は、アクセス容易な主要同テーマ文献に目ぐらい通し、役に立たなかったとしても「これは読んであります」と挨拶を書きのこして前に進んでいくのが「学問的誠実さ」ってやつじゃないんですか。いや、まったく自分のオリジナルの知見しか書いておりません、先行して存在する無名人のオリジナルの話にところどころ似ているのはすべて偶然です、と言い張っても許される超有名な大先生の方は別でしょうけどね。それは知らずに所論を採用された無名人にとってもたぶん嬉しいでしょう。
 さてこのご両所の論文から分かったところでは、1915年2月15日に発生したシンガポールのインド兵反乱とは概略、次のようなものだったらしいです。
 叛乱の主部隊は1914前半にシンガポールに移駐した「第五軽歩兵連隊」。これはほとんど回教インド人からなる部隊で、宗主国の英国に頤使されていたのは無論です。桑島氏によれば、WWI初めにインドには15万人の軍隊があった。それがWWI勃発後に80万のインド兵と40万のインド人軍属がインド内外に展開したんだそうです。青島作戦にも1個シーク中隊が参加してたんですね。
 ところが1914-11に英国とトルコが交戦状態に入った。これで多種多様なインド人部隊のうち、シークおよびムスリムからなる「コミュナル」編成部隊が不穏化しました。
 シークってのはパキスタンに近いところが本拠地で、イスラムの影響を強く受けた一神教徒集団です。『イングリッシュ・ペイシェント』という映画に出てきた、ターバンを巻いて髭を剃っていたインド人大尉(キャプテン)がシークという設定でしたよね。ただし、桑島論文によりますれば、当時のインド人の大尉は「スベダール」と称され、白人の「キャプテン」とは区別されていたようなのですね。この辺が英国流でしょう。
 英国にとって困ったことには、もともとシンガポールにいた部隊はすべて他方面に抽出してしまっていて、1915-2の時点では「5th歩Rn」が当地における主力守備隊であった。その主力に叛乱を起こされたので、英軍も自力では鎮圧できなかったのです。
 叛乱のきっかけは2月16日の香港転進命令だったようです。かのジェンキンズが脱走する気になったのもベトナム転進を嫌ったからでしたが、共通の心理があったんじゃないでしょうか。
 叛乱に先立つ2月14日から16日まではシナ歴の正月で休日。そして15日に弾薬を貨物列車に積み終わり、英人が午後3時から午睡をとるのを見計らった
 インド人たちには一つのあてがありました。それは、軽巡『エムデン』の捕虜など300人のドイツ人男子をシンガポールの収容所から解放して、そのドイツ軍人に叛乱の指揮をとってもらおうというものです。ちなみに後備役にもなりそうもないドイツ民間人は開戦直後にパロール(宣誓釈放)済みでした。
 このあてが外れます。解放されたドイツ軍人は叛乱インド兵とは組もうとはしなかったんですね。彼らは独自に収容所からトンネルを掘っていました。それで、自分たちだけで脱走する計画を邪魔されたと思ったんです。けっきょく十数人のドイツ捕虜が、中立オランダ領のスマトラまで逃げたそうです。
 平間論文によれば、叛乱兵は在シンガポールの英国白人男女をみさかいなく殺そうとしたので、民間人は商船に避難しました。
 16日、英国は現地の日本領事館に、民間の居留日本人からなる「義勇隊」の編成を要請し、これは実行されます。武器弾薬食糧は英軍から提供され、日本の会社支配人になっていた予備中尉が指揮をとり、市街の警備にあたりました。「からゆきさん」がらみの商売人を含む、かなり雑多な民間人集団であったようですが、英国民間人からなるやたらに無秩序な義勇隊とは異なり、終始規律正しく行動したとのことです。彼らは中央病院を襲った暴徒を撃退し、捕虜数十名を捕らえ、患者に感謝されました。
 なお、現地のすべてのインド人が叛乱したわけでもなく、英人警部の指揮するインド人巡査たちは銃剣を以て日本人の生命財産を守りました。
 当時から「物資の需給関係に於て支那人の天地」であった南洋において、シナ人たちがどう行動したかは、詳しく分からぬようです。
 17日、英国からの要請によって駆けつけてきたフランス巡洋艦『モンカルム』と日本の巡洋艦『音羽』が陸戦隊を上陸させます。日本の陸戦隊は18日には英軍とともに兵営を奪回し、なんとシンガポール島のどまんなかに日章旗をぶち立てた。18日にはロシア巡洋艦『オリヨール』、19日には巡洋艦『対馬』の陸戦隊も加わり、事態はすっかり掃蕩モードに入りました。
 ただし第三艦隊司令官の土屋光金少将は、日本がインド人から不必要な恨みを買うことがないよう、射殺ではなく、極力捕虜をとる方針を指達していました。
 平間論文によれば、戦闘で日本人が殺したインド人はいなかったが、英人は50名を射殺しました。桑島論文によれば、日本の陸戦隊はつごう22名の捕虜をとり、英軍に引き渡しました。英軍は2-23に叛乱将兵を軍法会議にかけ、2人のインド人将校を含む47人が死刑になります。うち1人が絞首刑、残り46人は銃殺ですが、なんと1890年以来の、監獄外での公開処刑であったので、回々教徒は怒ったそうです。
 1915-2-25に『音羽』と『対馬』の陸戦隊の任務は解かれました。
 この騒動以後、英人は「表面のみにても吾々に敬意を払ふやうになつた。支那人や、馬来人の態度も変わつた。総ての人種が日本人の前には道を譲つた」と土屋少将が報告しています。また平間論文によりますと、グレーに Buldozer Tactics だと評された加藤高明の強気の背景に、このシンガポール鎮圧があったろうということです。
 以下、兵頭のコメントです。この事件も、大川のようなレトリックで紹介されれば、「大アジア主義」の燃料になったわけです。しかし詳しく史実にあたってみれば、日英同盟の健全な発揮であり、且つその強化に役立っただけのできごとであったと知られる。そして昔から今までちっとも変わりばえのせぬことながら、こうした外交力の資産を、日本の役人あがりの首相も、はたまた党人である首相も、ぜんぜん活かすことができないのです。それは、誰が悪いのでしょうか?


フラッシュバックしますた

 数ヵ月ぶりに東京に出て、ギャラも出たついでに、バックパック一杯の本を渋谷のナントカ堂書店で買い込んで来ました。昔、地下1階に危ないミリタリーの本が一杯あったところですね。わたくしはあそこで兵器関係の洋雑誌を立ち読みするのも楽しみだったんですが、今はもう無いようです。5階の洋書屋もなくなってたなあ…。
 で、昨日、そのうちの一冊である、中川八洋先生の『日本核武装の選択』を読破させていただきました。これ、今年の10月31日に出てたんですね。しかも本文中にわたくしが登場しているではないですか。どうしてこの情報をいままで誰も教えてくれなかったんだ!
 なんで「チャンネル桜」は核武装討論番組に中川先生をお呼び立てしないのだろうと思っていましたが、あのはにかみ屋の先生がこうして名指し批判を公表しちゃった相手と敢えて同席されるわけないじゃないですか。納得しましたよ。しかし中川先生、こんどもしも機会があればですが、是非ひとつサシで対談ができることを希望しております。わたくし座談会は大の苦手ですが、先生との対談ならディープな話ができそうな気が致しますので。いや本当は今から数年前のたしか『発言者』の飲み会でしたか、お隣に座ってじかにお話を聞きたかったのですけど、当時まだわたくしは駆け出しでございまして、あまりに恐れ多かったもんですから、遠慮してしまいました。あのときこのご批判を頂戴できていたらなあと、残念に思います。
 以下は同書を拝読しての偶懐です。
 たいへん惜しいのは、中川氏はわたくしのように書店にお出かけになる元気をもうなくされていらっしゃるのか、なぜか95年の『諸君!』論文だけが取り沙汰されていることです。あれなんかはいまから十年近くも前、95年時点の平和ボケ庶民の精神状態にまず活を入れる目的で唐突に掲載してもらった文章ですから、えらく単純かつ理論的かつ極論になっているのはなりゆきです。それを好まない方もいらっしゃるのは予測できたことですけれども、どうしても一回あの「可能性」は出しておく必要があったんですね。じっさいインパクトはあったのです。
 中川氏がご新著の第三章後半でまとめておられる如く、NPT条約を1976年に批准した時点で日本人の精神は死んだも同然でしょう。それに95年になって活を入れようと思ったなら、少しは既存の大先生たちを不愉快にさせるくらいのパワーがなくては輿論は動きません。特に若い読者へのアピール力が出てこない。しかしそれでいったん読者の元気が上向いてきさえすれば、04年1月の拙著『ニッポン核武装再論』のような資料集的構成の方が、問題意識のある読者をより深く考えさせることができるかもしれません。
 その04年の拙著では、中川先生の雷名はあえて明記せずに、中川先生の間違っておられるところも、いろいろと指摘をしてあるんです。いや、その前の何冊かの単行本でも、いくつか批判めいたことを書いていたかもしれません。わたくしは中川先生が、それらの所論を受け入れたが故に黙っておられるのだ、と、いままで思っておりました。
 しかし中川氏はそもそも拙著を一冊もお読みいただいていないご様子であると巻末注を見てこのたび了解いたしましたから、細かくてくどくてたいへん恐縮ですけれども、たとえば以下の疑問を、この場でなげかけさせていただきます。
 米国は、これまで英国以外の国に「トマホーク」巡航ミサイルを売った実績はありません。それをどうして日本が買えると思われるんでしょうか。
 「パーシングII」ミサイルは、米ソのINF全廃条約の結果、全量が破壊処理されました。これをもし米国が、日本に売る目的で再び製造を再開などしたら、ロシアもそれなりの対抗措置を取るとはお考えにならないのでしょうか。
 英国の運用する「トライデント」SLBMは、核弾頭と潜水艦は英国製です。そして当然、SLBMは「二国二重キー」では運用などできません。そもそも米国は、すでに核弾頭を国産することができ、原潜も建艦できる英国だから、潜水艦用の弾道ミサイルを売ってやろうかという気になりましたもので、核弾頭をさいしょから国産できもしないヤル気の無い国に、機密中の機密、ハイテク中のハイテクであるSLBMの運用ノウハウを供与するはずがないと、思われないのでしょうか。
 「すべての核兵器は核弾頭を含め米国に発注し購入する」(ご高著p.142)そうですが、わたくしの知る限り、米国は過去、核弾頭を他国に売ったことは一度もありません。どうして米国は、英国にも売らない核弾頭を、日本には売ってくれるのでしょうか。
 スカッドのような幼稚なSSMならばともかく、長距離弾道弾は弾頭を途中で筒体から切り離せば良いのですから、スペックの最大射程より近いターゲットに随意に照準できるとわたくしは思いますが、如何でしょうか。
 北海道沖から米国西海岸に到達せぬような射程のミサイルを持っていても、それではシナの奥地まで届きませんが、シナ奥地の攻撃はまたしても米国任せでいいのですか?
 カウンター・フォース戦略に立っているロシアが保有する核弾頭は、価値の劣る目標のために消費できるのでしょうか。「いつでも一千個以上の水爆を日本全国に同時投下する」ような態勢をとっていたら、対米、対支のカウンター・フォースの核資源配分が手薄になり、それはモスクワにとって「安全・安価・有利」ではないと思いますが、ロシアにはそんなにも沢山の核戦争資源があり余っているのでしょうか。
 西欧に配備された「パーシングII」は、それがモスクワに届くからこそソ連は競争を投了したのではないのですか。
 ソ連の戦略爆撃機から発射される核弾頭付き巡航ミサイルは航空自衛隊のAMRAAMで迎撃できるようになるだろうと、兵頭は『日本の防衛力再考』(95年刊)で書いたんですが、いまでも「日本にはAS-15A/B巡航ミサイルそのものを撃ち落とす能力はまったくない」(ご高著p.120)でしょうか。
 70年代後半のSS-20とバックファイアの展開で「米国の核抑止は崩壊」した(p.129)そうですが、ソ連の核兵器がじっさいに一発も行使されなかった以上、抑止は成功裡に継続していたとみるべきではないのですか。
 「フランスの主力核兵器SLBMは米国に万が一にも到達しないよう配備されている」(p.149)そうですが、ポルトガル沖からモスクワやウラル山地まで届くほどのSLBMならば、同じ海域からニューヨークにも届いてしまうだろうと思うのですが、いったいフランスの誰がいつそのような約束をアメリカにしましたか?
 MADの米国流の実践で、都市を耐核化しなかったのは間違った政策であると兵頭も思います。わたくしが神奈川大学の1年生か2、3年生だった頃(すなわち1984〜86年)、わたくしは『世界日報』紙上や『自由』誌上に、決して少なくはない数量の核戦略エッセイを投稿し、掲載していただいておりました。いずれもそれらは短文ながら、MAD批判はあり、ソーとジュピターとフランスを関連づけたINF史論はあり、ソ連の核弾頭付き巡航ミサイルへの注意喚起はあり、日本核武装論はあり、ずいぶん中川先生も密かにご愛読してくださっていたのではないかな〜と、当時の先生の御論文などを書店で立ち読みしながら勝手に想像を致しておりましたが(残念なことに今回のご高著の巻末注にはそれら80年代の無名学徒の拙きエッセイの名など当然ながら一つも見当たりませんけど)、2004年末現在の最近の知見からお尋ねを致したいのは、MADは過去から現在まで、有効に機能しているのではないのですか?
 日本と違い世界に対する責任を持ちようもない小国の韓国などに核武装させ(p.229)て、そうした小国が反日国家になった暁にはどうなるのでしょうか?
 SALTは69年の交渉開始いらい、米国の対ソ核優位の放棄政策であった(p.208)そうですが、じっさいには69年時点から終始一貫、米国に全般的・質的な優位がずいぶんあったからこそ、ソ連も交渉に応じ続けたのではないのですか。それとも米軍筋の宣伝を真に受けていらっしゃるのですか。
 「日本の核には米国を標的にするものに転用できるものは存在させてはならない」(p.197)と書かれていますが、小さな弾頭をコンテナやフェデックスで米本土に送り届けたら、米国は標的となっちゃうんじゃないのですか。
 中川氏は「日本には、米国から独立して、国家として永続していくための地理的状況も国力もないのである。これは“日本の天命”といってよいだろう」(p.168)と書いておられますが、まったく同意できません。
 だいたい自分の運命の主人になろうとせぬ者がどうして同盟者から信頼されるのでしょう。根本に、一国で自衛戦争をし抜く気概がないなら、米国の尊敬もかちとれやしません。中川氏にはこの根本がないのでしょうか。そしてまた、米国人のメンタリティに不案内なのではないかと疑います。
 いま英国が米国から信頼されているのは、「小国的な甘え」がないからでしょう。これも中川氏にはわからないのだと思います。
 あるいは中川氏は、人生のいちばん良い時代を捧げた「敵ソ連」が昨今無視されていることに、深層心理で抵抗されているんじゃないでしょうか。米国とともに日本がソ連と対決していたあの時代、あの世界に氏はなじみすぎていて、そのため昨今の北鮮発やシナ発の騒動に接して、あたふたしちゃってるんじゃないでしょうか。
 そこまではなんとなく想像がつくのですが、どうも分からないのが中川氏一流の「甘え」です。小国意識、他人頼み、「パーツ(部品)」志願の発想、「下士官根性」とも言うべき諸性向が、いったい氏のどこから出てくるものなのか、わたくしごとき若輩には、永遠の謎なのです。
 1980年代の中川氏はわたくしのヒーローでしたから、その方から書籍上でこうしてノーブレーキの御高批を蒙るようになったとは夢のようです。ついに本書のおかげで、昨日までは数ならぬ身でありし兵頭二十八も急に大物になったように錯覚します。
 いや、珍しく夜更かしをしてしまった。誤記があればあとで訂正します。
 ありがとうございました。


クローズド媒体は今の世の役に立っているか

 学生時代に日比谷の都立図書館へ行ったときです。雑誌コーナーの棚の上の方に『選択』という月刊誌が、箱にどっさり、という感じで置かれていました。
 「活字雑誌立ち読み王」であったわたくしもその表紙は見たことがありませんでした。しかし、日経(当時わたくしは図書館の只読みコーナーで大新聞の全紙に目を通していた。同じ外電をデスクによってどう加工してしまうか、その取捨の恣意的なこと、軍事についての「主情報要素」の選択眼を持っていないデスクが多いことを理解できたのもその頃だ)には、広告が載っていたかもしれません。
 すぐにブラウジングしましたら、軍事記事がソ連軍に詳しくてユニークでしたので、バックナンバーを溯って、そこにあるだけ読み尽くした覚えがあります。
 思えばこの雑誌、年間予約購読者以外には読ませない、中間マージンがかかる書店を通さない、したがって書店では誰も立ち読みができぬというクローズドな総合誌の嚆矢だったかもしれません。
 その後、大手出版社でもクローズドな専門雑誌を売るようになってきました。兵頭は家計に余裕無きためそういうのは未だひとつも契約ができませんが、たとえば新潮社では『フォーサイト』という、外国情報に特化した月刊誌を出している模様です。
 この05年1月号(たぶん04-12-15頃の発売か?)の読み古しを、“年末兵頭たすけあい運動”の一環としてたまたま食糧とともに恵んでくれた御方がおられまして、今朝、有りがたくそいつを読ませて戴きましたところ、これがなかなか感慨深いものがありました。
 たとえば11月のシナ潜のわが領海侵犯事件についての記事。なんと、江沢民の配下の暴走であると示唆し、急な針路変更も領海侵犯も海自のP-3Cのアクティヴ・ソノブイでおどかされた結果だと示唆してある。
 同趣旨の記事は、いま確認できませんけど、他の新聞や雑誌でも書かれてはおりませんか? むしろ3日後に発売された『新潮45』の方がエクスクルージブな価値はありませんか? いや、これ勿論自慢であって非難じゃないのです。と同時に申し上げたいのは、「いつでも誰によっても自分の書いたものがチェックされてしまう」という書店売り媒体の緊張感は、公共善にとって悪くないぜ、ってことなんですね。
 そうであってこそ、間違ったことを書いちまったときには、記者は後から恥ずかしくてたまらないわけです。いてもたってもいられなくなるんです。そこで「よしこれはもう一度、勉強し直しだ」とか発奮するわけじゃないですか。
 ところがクローズドな媒体であれば、かりに間違ったことを書いても、本人はそれほどコタエないと思うのですよ。これが「感慨其の一」。
 其の二はですね、な、なんと「三島返還」というオトシドコロを外務省が探っているというんですね。そんな話が『イズベスチヤ』の04-2-4に載ってたっていうんです。
 これがどうして感慨かと申せば、じつは兵頭は「三島返還論」を過去、二度ほど書店売りの紙媒体で書いているからであります。例によっていつどこに書いたかは忘れちまいましたが、熱心な読者の人は探してみてください。わたくしはそれを書いたあとでどんな批判が飛び出してくるだろうかと待ち構えておったんですけれども、まったく何の反応も無かったもんですから、すっかり拍子抜けした記憶はあります。なぜか忘れた頃になって上坂冬子先生が「千島全島を返しなさい」というキャンペーンをお打ち始めになりましたけどね。
 で、『フォーサイト』は、これがモスクワの情報操作だと書いてるんですけど、記者さん、そうではなく、兵頭の記事が収集されて、それが元ネタになってると思いますよ。
 感慨の其の三は、90年代半ばの「ミャンマー〜雲南パイプライン」構想をシナが復活させたっていう記事です。自慢話を三連発で続けさせて貰います。これについてはわたくしは80年代の学生時代に勝共連合の新聞に投稿した記憶がある。ただしパイプラインの起点はパキスタンのカラチ港でした。当時は「シーレーン防衛」をどうするかという中曽根内閣の頃で、わたくしは学部学生ながら「マラッカ海峡だけに頼るから脆弱なので、パイプラインを日本の援助でカラチから上海までつなげちまえば代替ルートになるでしょう」と提案してみたんです。すごい名案だと思っていました。けど、誰も反応はなかった。いちおう、渋谷の道端で売られていた新聞で、元気のいい旧軍人の寄稿も多かったんですけどね。同趣旨の話を、その後どこか別な媒体でまたしたかもしれません。
 しかし皆さん、考えてみてください。ミャンマーまで中東からタンカーで原油を運んでいくとすれば、ベンガル湾を横切らなきゃならないですよね。それだと、シナの仇敵のインド海軍に随時に制扼され兼ねないのですよ。だからビルマ・ルートは根本的に脆弱である。さりながら、今はもう米国がパキスタンににらみをきかせてますから、シナとしては他にオプションは考えにくいのでしょう。
 お話を「感慨其の一」にまた戻しますが、テレビってのはちょっと困った媒体で、後から「校正」ができず、編集は他人にお任せです。もし討論番組に出てスタジオで間違ったことを口走ればそのまま電波に乗るし、間違ったことを言わなくたって、編集の結果、意図せぬメッセージが送り出されるのかもしれない。
 ものすごく記憶力が良くて決して言い間違えをしない人か、さもなくば正確性のクレディットなどは抛棄してイメージ演出だけに徹するつもりの人じゃないと、出演じたいが公共善に反することになりはしないか? そう悩みつつ、以下に他人批判。
 防衛その他の専門家が、保守を標榜するテレビの討論会で、何人も続けて「核武装できない論」を滔々と語ったら、それは外国にどういうメッセージを与えるか、みなさん、考えておられますでしょうか。侮られるだけじゃないんですか? 敵国にも、また同盟国にも。
 テレビ討論にたとえ4時間以上の枠が割かれたとしても、視聴者に理屈などは伝わらず、イメージだけが伝わるのだと、わたくしは理解をしました。


年内2度露出

 ボケかましまくりの「チャンネル桜」収録であった。km/hが、「ノット」の二倍強…なワケないだろ、俺。
 それにしても潮先生が、与えられた発言タイムに必要な情報を手際よく伝えておられるのには感心した。やっぱり向いた奴と向かぬ奴が居るのだなあ。でも生活費があるからなあ………。


文民統制の形式と実態

 迎撃ミサイルの発射をすると「迎撃した時点で交戦状態になる可能性があ」るので、MDの指揮官にその判断を任せたりすれば文民統制が確保できない「との意見が大勢となった」──とかいう本日のK通信のニュース配信があるんですが、すべて匿名では、例によってホントかウソか人々は判断できないですね。
 これって、誰がそう言っているのか名前を挙げなくて良いほど些細な問題ですかね。少なくとも記者の署名が無いんであれば、この種の記事は「誰かが為にする低級なディスインフォメーションじゃないのか? 事実は、何の責任も持っていない記者の知人の小者による妄想・妄言に過ぎぬのではないか?」等と大いに疑って良いでしょう。
 現行慣習では、領土・領海の上空は、大気圏内であれば「領空」と看做されます。PAC-3は最大射高が1万5000mで大気圏内。しかし水平射距離が対ミサイルで最大4万5000mに達するそうですので、これは領海12浬(22.2km)を超える場合がありえます。さらにMS-3になりますと、公海上から発射して大気圏外で撃ち落とすというのですから、ひょっとしたら韓国空軍機やアメリカのスペースシャトルをMDが間違って撃墜することもポテンシャル上は可能です。ではその場合、日本と韓国、日本と米国は「交戦状態」になるのか?
 ──なるわけがない。相手が誰か分かっていて撃つ者があり、その撃つ者に対して撃ち返す者があって、交戦が生起するのです。北鮮の弾道弾はブースター&サスティナーが切れた段階でフリー・フライトに入り、あとは重力に引かれて落下するだけですから、レーダーでフリー・フライト中の2点または3点を捉えれば、弾着点は即座に算定される。それが日本領内であると分かったら、明白な危害が切迫してるんですから、これを迎撃するのは軍人の任務であるのは勿論、その任務を予め付与しておくのが最高指揮官たる首相の責任でしょう。
 こういうのはROE以前の問題ですが、あとで混乱しないように、ROEはあった方が良いですね。MDも、要はROEをさっさと統幕が作って、それを首相が承認すれば、誰がミサイル発射権を持とうが、誰が核のボタンを押そうが、問題はありません。
 公海を走っている軍艦がいきなり何者かから発砲されたら、司令官または艦長の指揮でその何者かに撃ち返して破壊殺傷して構いません。日本の警察官や海上保安官が外国軍ゲリラから急に発砲されたら、敵の正体がハッキリしない状況でそれに撃ち返して殺して構いません。それで「交戦」が生起しても誰も「文民統制違反」とは言いません。
 日本の「文民統制」の真の問題は、官僚が名目手続き上は合法的に、しかし世間常識的には勝手に始めてしまった「施策」を、政治家が、後から止められないことにあります。止められない理由は、公務員の身分が法律で必要以上に保障されていることにあります。国家公務員の課長補佐(軍隊なら省部の中佐?)以上の身分は保障されるべきではないというのが日本現代史の教訓でしょう。
 外務省や文科省の小役人が衆知の国家叛逆的な暴走をして日本を衰亡させようと企てているのに、選挙で全国民から選ばれている内閣がその首謀者を免職できない。これでは戦前の関東軍と同じです。この法律の一大欠陥に目をつけた反日諸勢力は、まず役所に細胞を送り込み、役所によって日本の国権を減殺しようと画策し、ほぼ成功しつつあるのです。
 軍隊の中佐以上の者をいつでも何の理由がなくとも首相の意向だけで免職できるとしたら、文民統制違反なんて起きるはずがないでしょう。逆に、この人事権が首相にないとすれば、内閣は必ず役所に支配される。外国との交渉もできないし、起きた紛争は永遠に終わらず、国庫がムダにどこへともなく消え、競争力と国力は低下します。
 役人は選挙で国民の支持を受ける必要がありませんから、合法的な反国家活動を最も効率的に遂行できる立場に居るのです。その害悪はK通信社の比ではないでしょう。
 「文民統制」というときに忘れてはならないことは、「宗教家も文民じゃない」ってことです。これは自由主義先進国では常識ですが、日本でのみ、なぜかスルーされています。
 いま、日本の内閣には宗教家の代弁人が混じっています。もし日本の国防国策にこの閣僚が口を出すとしたら、それは文民統制に反する事態です。つまりは憲法違反ですね。
 野暮ですがテクニカルな話に戻して突っ込みを入れましょう。「ミサイルへの燃料注入など発射の兆候が確認できた段階で安保会議、閣議を開いて警告を発し、その上で指揮官に発射権限を委譲す」ることは可能でしょうか? これは前提が間違っております。
 北鮮のミサイルは、ふだんは山岳地帯の横穴トンネル内に、発射車両(TEL/MEL)ごと引き込まれています。それを偵察衛星では確認はできません。そして、横穴トンネルの中で燃料を注入し、それからトンネルから車両が走り出てきます。
 車両は、座標が精密に既知の、上空から遮蔽措置のとられた場所のどこかに占位し、そこでエレクターを仰起させ、発射します。トンネルを出てから数十分です。その数十分の間に日米の偵察衛星が上空を通る可能性は少ない。というのも、敵はその衛星の通過時刻を外して発射するに決まっているからです。
 つまり「発射の兆候」など見えるわけがありません。
 もうひとつ。来年はシナが核弾頭付きの巡航ミサイルの量産に入るでしょう。これが近海の原潜から発射されたら、どうやって「発射の兆候」を偵知できますか?
 ついでにお尋ねしましょう。政府は07年に「民間防衛」パンフレットを配るという。MD配備が07年からなので、それに合わせるわけです。そこで素人質問! もし05〜06年のうちに核ミサイルが飛んできたら、国民はどうしたら良いのですか?
 役人の無責任は今に始まったことじゃないので驚きませんが、国民から負託をうけている政治家がこんなニュースに黙っていちゃいかんでしょう。
 さらにつけたし。アーミテイジ氏が「シナは一つ」と発言しているそうですが、これは彼が閣外に去るのに早速目をつけたシナ・ロビーがいつもの手で「仕事」を与えることを約束しているからでしょう。パウエルと同じパターンです。
 閣内に残る人が何と言っているかに注目していくべきだろうと思います。


同胞不信が核武装を躊躇させる

 クリントン政権時代の米国の対日政策が「敵対的だ」と思わなかった日本人は阿呆ですよ。江藤淳は最悪の時代に死んだのです。
 では当時のクリントン政権からの要求を日本の大蔵省がピシャリと撥ねつけ、ドルは買い支えないよ」と表明し、米国債を常識的な水準まで放出していたら、どうなったでしょうか。別に核ミサイルが飛んでくるわけでもないし、相模湾に海兵隊が上陸してくるわけでもなかったでしょう。
 貿易上のイヤガラセを受けて日本の景気は悪くなったかもしれません。いや、確実にそうなったでしょう。為替相場も混乱したでしょう。しかし為替が変わって損する者もいれば、得する者もいる。損得があわないのは、日本側が官僚統制経済=不自由経済だからです。
 そしてどうです、クリントン政権の言うなりになっても、やはりバブルははじけて、いまだに毎年何万人も自殺しているわけです。
 おそらく日本にピシャリとたしなめられた米国は、自力で双子の赤字を克服できたはずです。彼等にもそのくらいの危機意識と指導力くらいありますよ。
 当時、米国の票めあての無体な要求は聞くべきではない、と考えた日本の役人や政治家はいたんでしょうが、パワー・エリートがキャリアの初期においてあまりにも深く米国にとりこまれておりますために、こういうときに日本側は「一枚岩」になれないのです。「義」を通せない。同僚に足をひっぱられるかなと思って黙ってしまう。すなわち彼等には「勇」が無い。
 これで米国も腐敗をすることになります。悪友がカネを出してくれるから、真人間に戻り難いのです。そして世界第一と第二の大国がこういう不健全経済を領導していくと、世界経済にも良いことなどありません。日本のパワー・エリートに義や勇が無ければ、日本は世界を悪くするのです。それは、日本が大国だからです。
 ところで、日本が輸入している原油の1日分は、大型タンカー2隻分だといいます。
 このうち農林水産業のためだけに使われるのは6%強らしいですが、じつは、ただでさえ低い日本の食糧自給率も、この内外の石油流通がストップしないことが、大前提条件になっているんですね。したがいまして有事には一瞬ですがほぼゼロになるでしょう。
 農水省は、原油が確保できていたとしても、日本の今の農地面積だけで収穫できる食糧は、国民1人あたり2000カロリーにしかならない、と10年くらい前に試算しています。餓死者は出ないが、重労働も無理で、肥満者は一人もいなくなるという感じでしょうか。人口が半分になれば4000カロリーですから、肥満者復活ですね。そうなる時代は遠くなさそうです。
 ある先生がどこかでこんなことをお書きになっていました。──自由貿易の建前ありと雖も、どこの国でも有事を考慮して自給レベルを遥かに上回る農産物を自国農民に補助金を出して生産させているのだ。そして平時はそれを補助金をつけて他国に売りさばかせることによって「バッファー」にしているのだ──と。これをやっていない日本や韓国のような国は、自分で自分の立場、交渉力を弱くしているわけです。円がドルよりも脆いのも、パワー・エリートがこんな基本にも気付かないというところが他国のエリートからはマイナス評価されているのです。
 最近まだこんなことを言う人がいるので驚きました。「マラッカ海峡や台湾海峡でテロや戦争があったら日本は石油を輸入できない。だから、それらの地域で紛争を起させてはならない」と。
 ……オイオイ、おまえがどう頑張ったって戦争が起きるときには起きるんじゃねえの? 中東や旧ソ連邦の騒ぎをアンタが止められるのかよ。
 航空機にとって距離の長短は依然シビアですが、タンカーは地球の裏側を廻ったって日本に来ようと思えばどこからでも来られます(パナマ運河の幅の規制はある)。「高う買いまっさ。船員さんにもこのとおり成功報酬を用意しとりますけん」と札束を積んでアナウンスすれば、日本がシナと核戦争のただなかにあったって、勝手に向こうからお届けしてくれますよ。そんなときのためにドルをしこたま溜め込んでるんじゃないのですか。
 日本が外国に対して「一枚岩」で総合安全保障にかかわるイシューの交渉ができるようになるためには、役人の不義、役人の怯懦、役人の対外国通牒行為、役人同士の足の引っ張り合いを、許してはなりません。
 そのためにはどうすれば良いかというと、これは簡単で、首相が、何の理由もなくともいつでも即座に高級官僚どもを好きなだけクビにできるように、公務員法を改めることしかない。
 戦後も60年になり、高級公務員の皆さんは ちゃんと手前たちの組織で再就職利権を創出し、確保をしております。55歳で肩たたきですからね。いまや彼ら高級役人に身分や地位の保護の必要などないのです。
 腐れ役人や役人出身の政治家が、誰にも足を引っ張られないよう八方美人をしようとしてシナに擦り寄ったりするから、IAEA(即ち米国)が、日本の「主義」を疑うことにもなるのです。


気になっているニュース

 誰か詳細をご存知の方はいませんか?
一、12月16日に福岡発釜山行きの高速船が何かに接触して船体の一部を破損し、乗客89名が別の船に乗り換えた。これは鯨ですか、それとも某国の潜水艇ですか?
二、沖縄から石垣島まで海底線の敷設工事があるという海上保安庁の予告。
 これは「十一管区水路通報 第40号 平成16年10月8日」として第十一管区海上保安本部がインターネットにUPしているものです。
 そのなかに「南西諸島  沖縄島〜宮古島〜石垣島……海底線敷設工事実施」というのがありまして、平成16年10月25日から12月25日にかけ、作業船及び潜水士等による海底線敷設工事が実施される、と書いてある。その緯度と経度まで載っていたので海図で見てみると、東シナ海側ではなく、太平洋側だとわかる。ただし何の海底線なのかは一言も書いてない。備考として「警戒船配備、潜水作業中は国際信号旗「A」旗を掲揚。 潜水作業は昼間のみ、潜水作業位置に小型浮標設置」と。
 これが12月に終わるということは、シナ原潜が石垣水道を突破したときにはまだ南の部分は未成で、工事中だったわけですね。
 仮りの話、これが新たなるSOSUSなんだとしますと、昼からその作業をやろうとする現場を深夜〜早朝に敢えて乗り切るように通過して虚勢を張ってやろうと考えるのは、相手が相手なだけに、プロファイリングの辻褄が合うような気もするのです。


沖縄の核シェルター

 米国防総省が「テポドンの標的はグァムと沖縄の米軍基地だ」とコメントしたのは、もう古い話で平成6年5月9日です。
 これを聞いて北鮮は『そうかDoDはグァムを狙われるのは厭なんだな』と悟りまして、「我々は射程3000km以上のSSMを開発するニダ」と発破をかけたのはまず間違いないでしょうが、一度も実射試験もなされていないのに、ちょうど10年後の今年になって「それは完成した」というインフォメーションが流れたのはどういうわけでしょうか。
 これは金正日とDoDと日本国内の無責任マスコミが合作しているようなものです。この三者が合作すれば、核爆弾でもIRBMでも、無いものが有る、それも量産体制に入っているという話になる。一度もテストしてない高額精密兵器を量産するバカがどこにいるのでしょうか。わたくしでしたら、実戦で不発になってから後悔したくはありません。
 沖縄には、ノドンやテポドン以前から、地下壕があります。航空自衛隊の防空用の指揮所などは、大型通常爆弾の直撃や、離れた所での核爆発のEMPを凌ぐことのできる半地下壕構造となっております。自衛隊ですらこれですから、詳細は不明乍らも、米軍も必要な重要施設は防爆化しているだろうと信じられる。それは何を念頭しているのかといえば、むろんのことに北朝鮮じゃありません。60〜70年代はシナの原水爆であり、80年代は主としてソ連の水爆であり、90年代以降は再びシナの核兵器ですよ。
 シナの核の脅威は、北鮮のありもしない核ミサイルとは違い、リアルです。
 ところが、この最前線の沖縄に、民間用の核シェルターが自治体によって全く整備されていない。これは兵頭は大問題だと思っているのですが、なぜか誰も指摘する人がいません。
 昭和20年の広島のグラウンド・ゼロから水平距離で150mの3階建てビルの 地下1階にいた男性は、昭和57年まで健康に生きました。
 ヒトラーの地下壕は天井のコンクリートが5mあり、スターリンの地下壕はさらにその倍以上の厚みがあったそうですが、そんな立派なものでなくちゃ核爆発からは生き残れないってわけじゃないんです。広島ではコンクリートの薄壁一枚に遮蔽されたおかげで死なずに済んだ被爆者もいる。要は、人間が無防備で地上に立っていないことが、生と死の確率を劇的に変えるんです。簡易な地下シェルターも、爆心の近傍に於いてすら無駄ではないわけです。
 しかるに、さらに強力な水爆がさらに身近に落ちたなら地下に居ようとなんだろうと無駄ではないかと言う日本人が居るんです。それは夫婦喧嘩で文化包丁が飛んできた場合にただ突っ立っていたら死ぬかもしれないのと同じでしょう。
 なにも北朝鮮のように地下数千mの炭坑をシェルターに変えようってんじゃありませんよ。市町村の公共機関がビルを建築または増改築するときには、必ず十分な容積の地下駐車場も附属させるようにしてはどうですかと、わたくしは前から申し上げているのみであります。そこにSUVで乗り付けるだけで、住民の当分の避難所にはなるでしょ? 公共施設の地下だから土地の取得費もかからないし、技能低劣な地場の土建業者も潤って、選挙の票になりますよ。
 戦中はこういうことを内務省が指導してたんですが、戦後は内務省が解体されたので、「民間防衛」に責任をもつ政府機関が無い。国交省から海保を分離独立させる代わりに、このセクションを設けちゃどうですかね。
 核兵器すら破壊力は有限です。まして非核の弾頭にできる仕事についてはよほど、見積もりを厳しくしなきゃいけませんでしょう。
 非核弾頭の長距離弾道ミサイルで敵の地下軍事施設を破壊できるという米国メーカー筋の思いつきをその著書で紹介なさり、無知な日本人読者に『ならば北鮮のミサイル・トンネルも破壊できるな。日本は核武装しなくても良いんだ』と思い込ませてしまった江畑謙介氏の意図はわたくしには分かりません。
 台湾が通常ミサイルで山峡ダムを破壊できるようになればシナは台湾侵攻を思いとどまる、と雑誌に書いている方もいらっしゃいましたけど、たぶん巡航ミサイルでダムを破壊するのは至難でしょうし、また山峡ダムと台湾のどちらがシナにとって価値があるのかと言えばそれは台湾に決まっているのではないでしょうか。
 故・高坂正尭氏が書いていたと記憶しますが、南砂にシナが出ていったやりかたは、軍隊が駐留していない無人のところを占有したので、すでにそこにいる駐留軍隊を排除して強行した例はないと。これは竹島もおんなじですし、北朝鮮の人さらいだって、日本の警察と銃撃戦しながら日本人を拉致したわけではなかったですよね。
 台湾に関しては、シナは軍隊でプレッシャーをかけておいて、内側から民心を屈服させようと狙っています。これは、沖縄にも適用される戦略です。これでも、民間用の核シェルターは不要でしょうか?
 シナ・北鮮の政治リーダーの方が、西側の「軍事通」よりも、兵器の性能の生かし方、殺し方、他人の土地の占領の仕方などが良く分かっているなあ……というのが、兵頭の受けている印象であります。


新しい戦争などというものはない、と旧著で言いたかった

 「恐怖から結ばれた信約」も「義務的である」とホッブズは看做しました。ところで「日本国憲法」は、誰の誰に対する信約だったでしょうか? これがアメリカを代表とする連合国との「隠し条約」であったことを江藤淳は指摘していました(『利と義と』)。
 無理やり結ばされた「条約」なのであると仮りに解釈すれば、実定法によって取り除くことを得ないはずの自然権を除くかの如き、反人間的な条項が入ることがあり得たかもしれません。
 しかし、有権者国民と統治機関との間の信約がそもそも「憲法」なのであるとするなら、自然権を認めないという反人間的な宣言は、それだけで初めから無効です。ホッブズも「暴力にたいして、自分自身を力によって防衛しないという信約は、つねに無効である」と明快でした。
 現行「日本国憲法」は、それが単に「押し付け」であるから改める必要があるのではない。それじたいが有権者国民と統治機関との間の信約になっていない内容なので、改める必要があるのです。
 憲法は有権者が政府に「押し付け」るものです。その逆ではありません。これが、憲法と、憲法以外の国内法との一大相違点です。
 しかしアジアの中でも日本にのみ独特な水稲灌漑システムが弥生時代いらい培った非近代的な自我の伝統文化をひきずる日本人は、憲法が統治者や占領者から与えられるもので、それを国民は一所懸命に守るだけなのだ、と誤解をしています。
 同じ原因による同様の誤解が、「国連」その他の国際秩序に関しても、日本人にはまだまだ根深くあります。
 国際秩序を、あたかも国内法と同じように考えてしまうのは、日本人の誤解です。
 国際秩序は大国の意志だけで決まりますもので、良くも悪くも大国の意志によって変えることができるのです。
 たとえば国連加盟国のうち「G7+ロシア」を除く百数十ヵ国が一斉に「G7+ロシア」に対する侵略戦争を開始したとしましょう。国連総会で議決をとったら「G7+ロシア」側の「侵略反対」の票は8票だけです。しかし、有象無象の百数十ヵ国の主張と実力は「国際秩序」をなんら構成できません。
 日本は世界第二の大国の経済的ポテンシャルを持っていますから、あとは大国の意志をうまく発揮するだけで、国際秩序をよりよく変えることができます。この現実が多くの日本人に分かりませんのは、1950年代の多目的ダムの普及以降は不要になった前近代日本式の自我に、いまだに精神を支配され続けているからです。いくら兵器やマルクス主義を詳しく勉強しましても、自我が前近代のままでは、世界の現実は見えません。
 いまの国連は、近代英国式の自由主義思想と相容れないシナやロシアのような国が「P5」(安保理常任理事国)の一員として認められているという点だけでも、日本にとって危険な存在です。日本は、すくなくとも中華思想の国家がP5から外されるように運動すべきですし、それが実現するまでは「日本はP5のうち、最低払い込み額の国より多額の分担金は払い込まない」と表明すべきなのです。もちろんカネの力だけで世界秩序を良い方向へ変えることなどはできません。カネの力だけでシナをP5から追い出すことはできないでしょう。
 IAEAが許さないから日本は核武装できない──と言う人も多いですね。これなど近代人の発想ではなくて、アジア的奴隷の思考ループそのものではないですか。大国は秩序を上から与えられることはありません。
 IAEAは事実上、アメリカの機関です。アメリカと日本は、基本的人権の評価に於いて一致するところの多い大国同志です。どうしてイスラムのテロリズムに悩まされているアメリカが、シナからの挑戦への対応を日本の核武装によって助けてもらいたいと思わないことがあるでしょうか。
 もちろんアメリカ政府の要人は、シナ文化の反近代性に関してはてんで無知でしたから、過去には狂ったチャイナ・カード外交が展開されたこともありました。
 1981年11月10日に「ソ連のSS-20に対抗すべく、赤色シナおよび日本への戦域核配備を考慮する」と発表したのはロストウ氏です。1982年2月のFY83国防報告でワインバーガー氏は「ソ連軍の力を極東に分散させるため共産シナを準同盟国扱いとし、補給支援したい」とブチ上げた、そんな「ヨーロッパの安全のためなら東洋はどう混乱しようが構わん」と考えられていた時代も確かにありました(そのとき米空母の見学を許された中共のオッサンが最近、ケッサクな回想録を出したらしいです)。
 遡れば、戦時中のカイロ会談で、FDRは沖縄をシナにくれてやるつもりだった。それを蒋が辞退して米支共同統治でよいと返事した(宮里政玄『アメリカの沖縄政策』1986)というのですから、このごろ中共が調子にのって遂に沖縄領有まで妄想し出したのには下地があるんでしょう。
 ちなみに田中角栄を失脚させたのは台湾ロビーだろうという仮説をわたくしは学生時代にどこかの媒体に投稿して載せたことがあります。田中は周恩来から事実上の賠償を要求され、それがODA6兆円となるわけですが、これに一番怒り狂ったのは台湾でしょ? たしかに佐藤や竹下ほどには田中はアメリカ政府の「良い子ちゃん」「カネづる」じゃなかったのかもしれませんけど、失脚させるほどの反米的行動が田中個人にあったのでしょうか? 教えてもらいたいものです。
 目出度いことにキッシンジャー一派の政治の舞台からの退場とともに米国の権力エリートのシナ観は漸くマトモになりつつあります。映画の『Mr.インクレディブル』は予告編から推定するにヒラリー・クリントンの04年大統領選出馬の援護射撃であったんでしょうが、彼女は出馬を08年に延期し、しかもそれでも当選の目はゼロだそうで、これまた御同慶の至りと申す他ありません。
 シナの誇大妄想狂式野望は、05年にはSSNによるハワイ挑発に向かうだろうと思います。
 そうなれば三沢のP-3C部隊に注目が集まるでしょう。この部隊は三陸沖〜伊豆〜小笠原〜マリアナの線をパトロールしますので、ハワイにとっては最前衛となっているからです。
 三沢のF-16を沖縄に移せという人がいますが、移してどうするんでしょう? 満鮮国境に配備された日本向けの中距離ミサイルは三沢から飛んでいって核爆撃するのがいちばん近いわけで、日本政府としては逆に引き留めるのが筋ってもんです。もちろん、近い将来に、その打撃部隊は航空自衛隊が編成しようというのです。
 ちなみに北鮮からハワイに向けて発射したミサイルは三沢上空を通ります。南支からグァムを狙う場合はSSMは沖縄上空を通るでしょう。しかしシナ大陸から米本土を狙ったICBMは日本上空を通りません。どうやらそれも含めてぜんぶMDで撃墜できると思っていらっしゃるらしい前原誠司氏は、一「地球儀をよく眺める」、二「MDの迎撃ミサイルの実績射高とシナのICBM/IRBMの実射テスト時の中間飛翔高度を数字で比較してみる」必要があるかもしれません。
 もしかして米国は「北鮮の核開発を阻止してくれたら沖縄の海兵隊くらいは実勢を減らしてもよい」という取り引きをシナにもちかけたことが、過去数年のうちにあったかもしれません。しかし今の米政府は、シナ政府に北鮮の内部まで指導する影響力が無いことがよく分かっていますし、対日戦で9万2,904人が戦死している海兵隊は、沖縄こそはアイデンティティ化したトロフィーだと思っていますから、完全に出て行くことはないでしょう。ちなみに太平洋とアジア戦域で米陸軍は4万1,686人が日本軍に殺され、米海軍は3万1,485人が戦死しました。つまり、米軍にとっての対日戦争とは、死者の数だけで比較したなら、まさしく「海兵隊員の血で購った勝利」だったのです。この歴史を知らないと、うまい交渉などできません。
 現在沖縄には米海兵隊が19000人ばかり駐留していますのに、陸自の普通科はゼロ人。これこそ異常です。十分な陸自が駐屯していれば、米空軍の嘉手納基地のテロ警備だって陸自が担当できる。しかし陸自のプレゼンスが皆無とくれば、航空基地の開戦時の防衛にも海兵隊がにらみをきかせるしかない。とうぜんの理屈ではないでしょうか。