戦後生まれのわたしたちが、戦後文化の「焼け跡」を見せられることになるだろう。

 昨年まであった世界は、もう、戻ってくることはないだろう。

 米国北部人も、1812戦争いらい久々に、「焼け跡」に立つことになるだろう。

 軍産複合関係では、「デュアル・ユース」の意味が変わる。これからは、「軍事にも、医療にも使えて役に立つ」というアイテムの開発案件が、優先的に通るようになる。

 消費税は、レストランに関しては「適用外」にされるのではないか。スモールビジネスの雇用を守るためには、それしかないということが、かたくなな財務省にも分かってくるだろう。そして、そこまでしても、大都市繁華街の飲食店の過半は、5月に店を畳むしかないだろう。大都市にバイト先がなくなってしまうことで、大学の大都市集中も終わるだろう。

 次。
 Kirk Miller 記者による2020-4-17記事「This Is How Flights Will Change Post-Coronavirus」。
     新コロの終焉後、旅客航空産業が再スタートするとして、その機内には「ギチギチの3列席」などというものは、消え去るだろう。

 ロイターは報じている。ハンガリーの低コスト航空会社「ウィズエアー」の再開計画では、満席の三分の二までしかもう乗客は乗せない(180シーター機だと120人に制限)。それによって乗客間のスペースを確保させる。

 近未来の客は、もはや料金が安いことよりも、機内配列が疫学的に安全かどうかで、最善の航空便を判断するようになるはずだから、それが合理的なのだ。

 しかしIATAの中の人によれば、航空会社の損益分岐点は座席の75%が埋まることであるはず。よって33%を最初から間引くとすれば、料金をよほど上げないといけない。

 ※こうすればいいんじゃね? 人間の座席の隣を「大荷物」の置き場にする。つまり一人の人間が運搬できる容積×重量の「巨大手荷物」の機内持ち込みを認める。そうすることで、客は、到着空港では自分の荷物をイライラしながら待つ必要がなくなるし、旅行途中で荷物の盗難や紛失といった、長距離でよくあるトラブルにも遭わなくなる。それなら、余分に料金を払おうかという気にもなるだろう。

 次。
 Heather Mac Donald 記者による2020-4-14記事「Coronavirus Racial Disparities Miss the Bigger Picture」。
     黒人は病院システムから差別されているから新コロで余計に死んでいるだと? このような陰謀論者は以下の数字を見るがよい。
 これまで、ニューヨークで新コロで死んだ人のうち、黒人は27.5%である。
 それに対し、2018年のNYCの殺人犯罪犠牲者のうち黒人は62.6%である。

 シカゴはどうか。2019-4-7から2020-4-7までの1年間にシカゴで殺人事件の被害者になった者のうち、黒人は83%を占めている。

 2016年の殺人統計では、全米で、黒人は、白人+ヒスパニックの合計よりも、7倍のレートで死んでいる。
 同年の全米人口に占める黒人の割合は、13.4%だ。これは何を意味するか?

 病院の救急治療室には毎日毎晩、白人の7倍の黒人が、銃で射たれてかつぎ込まれて来るということなのだ。ERスタッフたちは、患者を選べない。患者が凶悪犯だと知っていても、施療に手を抜いたりしない。それは凶悪犯たちがよく知っている。

 平時に白人に対するよりも7倍のサービスを、黒人に対してしてやっているというのに、病院スタッフたちは今、各方面からいわれのない非難や罵りに曝されている。

 黒人の命のために運動したい政治屋たちは、なぜストリートの暴力を減らそうと尽力しないのか? その活動の方が、何倍も黒人の命を救うことができるのに。

 米国では、貧困階層ほど肥満であり、糖尿病、高血圧、心臓病を患っている。これらの基礎疾患が新コロの打撃を堪え難くする。新コロで死ぬ率が高いのは、貧困層である。その貧困層に、しばしば黒人が含まれているのだ。

 居住地区の個性があることもハッキリしている。オハイオ州の南東部や、ウェストヴァジニアの鉄鋼業廃墟地区にも、貧困層があつまっているけれども、そこでは貧乏白人と貧乏黒人の間に、それほど新コロ病死率の差が無い。これは何を意味するか?

 大都市部の黒人貧民は、自分の身体生命をケアする心が足りないのである。不健康な生活という日常が、習慣となり、染み付いてしまっているのである。

 次。
 Dr. Benjamin Alli 記者による2020-4-17記事「Politicians, Not Coronavirus, Cause Doctor Shortages」。
        医者は急に足りなくなったわけではない。米国が今、新コロに非常に苦しめられているのは、われわれが選んだ政治と制度のせいなのだ。

 OECD加盟国36ヵ国の中で、米国はもう何年もずっと、下位「四分の一」の座を占めている。何の分野かって? 人口に対する医師の人数だ。それが、少ないのだ。わざと少なく抑制している者たちがいるのだ。

 全米医療協会AMAは、議員たちに対するロビー活動費用を昨年2000万ドルも使っている。彼らは50の州で、医師の数が増えすぎないように免許の上限規制を導入させている。医師が増えすぎると、一人一人の医師の年収が減るので、厭なのだ。

 医師が不足するとどうなるかの見本はIHSだ。インディアンヘルスサービス。ネイティヴアメリカンに医療を提供しているのだが、医師ポストの四分の一は欠員。その穴を、経歴のよくない遊軍医師を臨時に雇って埋めている。パフォーマンスは? 避けることのできる慢性病で死ぬ患者の率が、全国平均の3~5倍だ。

 ※これから雑誌企画を組むなら、《リモート・オフィス時代の国内移住先はどこがいいか?》だろうね。病院がたくさんあって、人々の交通マナーがよくて、水道光熱費が安くて……等々の条件で地域や地方都市を比較する。特定の大学との距離は、もはや誰も気にしなくなるかもしれない。


旧資料備忘摘録2020-4-17Up

▼『公文類聚目録 第二』M23~M26
 M23-2-15、不用城郭中、元藩主に於て払受を志願し、及び、散在地の内、官庁に於て払受を企望するときは、公売に付せず、払渡を黙許す。
 ※元藩主で、維新前に預かっていた城をあらためて私有したいと望む者が、いたのか?

 M23-2-22、師団司令部 属部 衛生部および列外下士卒 の携帯兵器を仮定す。

 M23-4-5、陸軍省火薬類払下、自今、東京砲兵工廠および大阪砲兵工廠に於て取扱はしむ。

 M23-5-15、村田銃弾薬填替器械を属品の中に増加備附す。※リローダー。

 M24-3-6、野戦電信隊演習用拳銃弾薬支給表を改正す。

 M24-3-20、騎兵槍腕貫を改正す。

 M24-8-4、村田騎銃 携帯予備品 制式を定む。

 M24-11-11、七珊米 野山砲用 榴霰弾に、複働信管を採用す。 ※着発でも爆発する。

 M24-1-12、要塞砲兵小銃射撃演習教令を定む。

 M25-3-19、騎兵刀制式を改正す。

 M25-5-19、村田騎銃の照星および照尺を改正す。

 M25-6-10、村田歩兵銃の照尺に遊標発條を装置。

 M25-7-26、村田銃実包および空砲材料中の紙塞の寸度を改正。

 M25-11-30、28珊米 榴弾砲制式を定む。

 M25-9-17、五十七密里米突 および 四十七密里米突 速射砲には自今、海軍大尉・山内萬壽治の考案に係る自働式閉鎖機 および 同心退却砲架を採用す。 ※実質、英国メーカーが設計してやり、手柄を山内に与えて、武器輸出のパイプ役に育てた。山内はジーメンス事件前に富豪となって引退できた果報者。

 M25-11-30、報告。軍艦千島、愛媛県 堀江沖に於て、英国飛脚船ラベナ号と衝突、沈没す。

 M25-12-7、海軍銃隊操式を改正す。

 M26-4-6、憲兵下士卒に騎兵刀を佩用せしめ、憲兵刀を廃す。

 M26-10-14、村田騎銃 弾薬盒 制式中、鈕扣[ボタン]革を除去。

 M26-12-25、村田歩兵銃 負革を 制式中に増加。

▼『公文類聚目録 第一』M19~M22
 M19-3-15、陸軍省、従来、村田銃ならびに属品、砲兵砲[ママ]面より払下の処、4月1日以後は、東京砲兵工廠に於て払下る旨を令す。

 M19-3-20、同省、村田銃 薬莢 取扱方を定む。

 M19-4-2、陸軍省、室内銃射的演習規則を廃止す。

 M19-5-5、海軍舶刀操法ならびに舶鎗操法を定む。 ※片手カットラス刀の他に、槍まであったらしい。

 M19-10-16、海軍小銃射法教範を定む。

 M20-4-5、村田銃保存法 審査委員 を命ず(陸軍辞令)。

 M20-9-24、海軍省、銃器弾薬買収順序中の兵器局を、艦船局と、心得しむ。

 M20-2-4、陸軍歩兵隊中、鍬兵、廃さるるに付、その作業は歩兵一般に練習せしむ。

 M20-6-17、射的教程 第一版、射的演習定則、村田銃取扱法および標的尺度方、射的掛士官試発用弾薬に関する達を廃止す。

 M20-4-8、看守長および看守卒に憲兵刀を佩用せしむ。

 M21-1-4、官報。陸軍辞令。小口径連発銃制式審査委員を命ず。
 M21-2-3、村田式軍用銃保存法 審査委員を命ず。

 M21-2-3、輜重輸卒刀 制式 審査委員を命ず。

 M21-4-13、砲兵隊へ ゴウチエ式測量器、砲隊鏡、量速器を備付す。

 M21-5-11、村田銃薬莖[ママ]取扱方 第二項を改む。

 M21-9-29、村田銃保存法を定む。

 M22-2-14、戦時野戦電信隊 工兵 下士卒の兵器を、拳銃に定む。

 M22-11-29、野戦電信隊 演習用 拳銃弾薬 支給表を定む。

 M22-12-17、銃剣術用小銃分配表を定む。 ※最新型を使うとガタが来るので旧式銃で訓練させた。

 M22-11-26、軍隊剣術演習教令を廃止す。

 M22-3-7、下士以下 寝具用 厚毛布を鼠色に改正し、保存期限を定む。※それまでは英式の赤ゲットだったか。

 M22-1-24、陸軍省 鵜鴉猟規則を廃す。

▼『公文録 目録 第七』M17~M18
 M17-1~3月、山野砲身 ならびに 鉄車台 製造機械 買上の件。 伊国製 鋼銅砲 器械 買収費額の件。

 M17-4~5月、伊国砲兵士官および職工長 雇入の件。

 M17-6~7月、新式大砲製造器械 費用の件。

 M17-6~7、村田銃 ならびに 弾薬製造費 繰上の件。
 M17-6~7、東京砲兵工廠銃包製造器械 買収費の内 銀貨交換の件。

 M17-8~9月、鉄製海岸砲 製造用銑鉄 古砲主管の件。

 M17-10、銃包製造器械据付費の件。

 M17-1~2月、仏国造船会社へ軍艦注文の件。

 M17-3~4月、按針長○○○○へ賜金の件。

 M17-8~9月、英仏両国へ註文軍艦代 増加の件。

 M18-1~2月、兵器弾薬費 ならびに 砲兵丙工廠 興業費 別途下付の件。

 M18-3~4月、村田銃ならびに山野砲 製造費 繰上の件。

 M18-3~4、制弾工場および器械増設費、興業費へ移算の件。

 M18-5~6月、准陸軍大佐以下 官名 換称の件。

 M18-5~6、東京砲兵工廠 営業費 年度遣ひ仕払据置の件。

 M18-7~9月、東京砲兵工廠 十五年度営業費 欠額更正の件。

 M18-1~3月(海軍省)、兵器工生 概則制定の件。

 M18-1~3、機砲弾薬ならびにブロオン火薬購求代金 別途下附の件。 ※機砲については『たんたんたたた』を見るべし。ブロオンはブラウン(茶色)である。

 M18-1~3、機砲弾薬製造所建設費 ならびに 機砲製造器械購入費の件。

 M18-4~6月(海軍省)、不用兵器類 売却代金 別途下付の件。

 M18-7~9月(海軍省)、17年度 機砲弾薬製造所建築 および 機械購入費 仕払残金、18年度へ繰越の件。

 M18-10~12月(海軍省)、不用兵器売却代 別途下付の件。

▼『公文録 目録 第六』M15~M16
 M15-1、勢州 亀山に於て 対抗運動の御審判官 等 諸費 年度決算方の件。※マヌーバーを運動と訳していた。

 M15-1、西南征討中 福岡長崎両県より借上銃器、買上費 下付の件。

 M15-1、伊国製 鋼銅野砲 買収の件。 ※7サンチ野砲。

 M15-5、鋼銅野砲 等 買入費 年度係累の件。

 M15-8、徴発令 制定の件。

 M15-8、ピーポーシーマルチニー銃 買入の件。 ※ピーボディー。

 M15-8、克虜伯[クルップ]海岸砲 著港に付、横須賀湾にて陸揚の件。

 M15-8、兵器弾薬被服軍馬 等 有用品の内、改造 更換費 等 別途 下附の件。

 M15-8、隣邦兵備略 第二版。

 M15-10、金属薬筒製作器械師 ワイデンウェーペル氏へ手当金 贈与の件。

 M15-5、兵器局 小銃修復代 雑収入へ編入方の件。 ※民間から受注する商売していた?
 M15-5、鉄製旧砲売払の件。

 M16-1、朝鮮人 士官学校一 入校の件。

 M16-1、大坂[ママ]砲兵工廠反射炉 建築費の件。

 M16-3〔4月?〕、村田銃製造器械 買上 ならびに 工場建足し 入費の件。

 M16-5、清仏両国在留 寺内少佐・福島大尉へ 告諭の件。 ※福島安正。

 M16-5、精製銅 東京砲兵工廠にて主管の件。

 M16-6~7、小銃 ならびに 弾薬 製造費 繰上 下渡の件。

 M16-10、朝鮮人 徐載弼 ほか十三名 戸山学校にて学術授業の件。

 M16-10、朝鮮政府へ送付兵器代 払捨の件。

 M16-12、小銃弾薬製造費 繰上の件。

 M16-12、村田銃製造所 および 該 器械 買上費 残額、更に十六年度興業費として下附の件。

 M16-5~8(海軍省)、不必要の兵器類 売却の全額 該年度経費中へ増額の件。

 M16-9~10(海軍省)、旧砲払下げ取り消しの件。

▼『公文録 目録 第五』M12~M14
 M12-3、仏国留学生 曽根荒助へ旅費。

 M12-1、軍人の妻、本貫戸籍に登記ある上は、拾二歳未満といへども恩給を受くるの件。 ※11歳の妻があり得たということ。

 M12-6、東京招魂社、靖国神社と改称。別格官幣社に被列 ならびに 内務省陸海軍省三省に於て管理の件。同社 恒例祭日 更正 ならびに 勅旨参向の件。

 M12-7、名古屋、姫路、両城保存の件。

 M12-7、陸軍卿 西郷従道、米国前大統領グランド[ママ]氏 接待手続書中 飾隊式 不都合の廉に付き、進退伺の件。

 M12-4、鹿児島造舩所、廃止の件。

 M12-4、相州 猿島にて大砲試験の件。

 M12-5、軍人軍属死亡、其の原因 詳らかならざる時、死体の局部 剖観の件。

 M13-3、陸軍武官所有の銃器 取締の件。

 M13-7、卿 大山巌、大坂[ママ]砲兵工廠巡見の為め出張の件。

 M13-12、中将・黒田清隆 結婚の儀。

 M14-3、十一年度 残額 新銑 製造費の件。

 M14-5、外国人へ銃砲払下の件。

 M14-5(海軍省)、鉄製砲売却代金を以て兵器補欠費に充るを請ふ件。

 M14-7、機関海校 設置の件。 ※それまでは兵学校「機開課」?

▼『公文録 目録 第三』M7、M8
 M7-2、戸山出張所、戸山学校と改称 届。

 M7-2、佐賀県 動揺に付き、銃炮弾薬 売買運漕 差し止め伺い。

 M7-3、巡査 兵器携帯の儀に付き、伺い。

 M7-4、仏国参謀中佐ミュニヱ 到著届。 ※某洋書の訳者はこの人物を別人と混同したかもしれない。

 M7-7、三氏 温度比較表 上梓 届。 ※摂氏、華氏の他に、もうひとつ、あった?

 M7-7、銃炮売買免許商人 取締の儀に付、伺。

 M7-9、硝石 硫黄 輸出禁止ノ儀、上申。

 M7-4(海軍省)、漁猟規則ノ儀に付、上陳。

 佐賀征討始末 一。
  ・銃砲弾薬類売買差止ノ儀 陸軍省伺。
  ・軍事に渉る条件 新聞紙 掲載差し止めの儀、同上。
  ・雲揚艦 出【馬風】[しゅっぱん]届。

 M8-1、巡査 携銃ノ節、敬礼ノ儀に付き伺い。

 M8-3、巡査 手銃 携帯 行進中 礼式の儀に付き、再伺。

 M8-4、銃砲弾薬取締 方の儀に付き、伺。

 M8-8、兵事関係図書 出版の儀に付き、届。

 M8-12、陸軍省伺。村田少佐 仏国に於て射的会の節、名誉の儀、届。※マイクロあり。

 M8-12、村田少佐 兵器献納の儀に付き上申。※マイクロあり。

 M8-6(海軍省)、銑板炮撃 天覧の為 越中島へ行幸 届。

 M8-12、伊豆国 天城山より艦材 伐出……云々。

▼『公文録 目録 第四』M9~M11
 M9-2、陸軍憲兵隊服制の儀 伺。

 M9-2、大阪[ママ]丸沈没に付き、溺死人名届。 ※名古屋丸と衝突。
 M9-2、大阪丸沈没の節、亡失の弾薬、補缺製造の儀……。

 M9-4、府下、関口水道町 水車場 内務省へ返附届。

 M9-5~6月、村田少佐、書籍献納に付、賞詞の儀、上申。

 M9-4、金沢兵営 鵜鳥 攘除の儀 伺。 ※これが一番早い。

 M9-4、浅間艦、愛知県下 農 栄川久蔵 持舩へ乗り懸かり、沈没に付、手当金 給与ノ儀、上申。

 M9-5、水雷機械 大蔵省より受取届。
 M9-5、写景法範 刻成、届。

 M9-7、雇教師 仏国陸軍大尉ルボン へ 賞牌賜与 ならびに 謁見の儀、伺。

 M9-7、緒方少佐 外二名、浅間艦 衝突に付 処分伺。

 M9-9、西洋画式蹄鉄提要 刻成、届。
 M9-9、砲兵本廠 物揚地所 受領伺い。

 M9-10、竹橋内 近衛歩兵営 周囲樹木に群集の鵜鳥 撃除伺。

 M9-11、雲揚艦、紀州 阿田和浦に於て破艦 ならびに 死亡人名等 届2条。

 M10-10、皇城周囲の堤上樹木に群集の鵜鳥 掃除方 伺。

 M10-11、陸軍大中小尉に限り、遊猟銃鑑札 無税 御渡し伺い。

 M10-12、各鎮台 営処 兵営周囲の樹木に群集の鵜鳥 撃除 伺。

 M11-4、鵜鴉猟 規則 上申。

 M11-7、朝鮮国政府へ臼砲 払渡の儀、伺。

 M11-10、雲揚艦難破の節、流失金の儀、届。

▼『公文録 目録 第二 自辛未 至 明治六年』
 辛未11月、火薬運搬規則、布達伺。

 壬申6月、銃砲取締の儀、布告の申立。

 9月、兵書出版条例の儀、往復。銃砲弾薬取締の儀、公布伺。
 10月、桐野少将外三人帰京等の届。桐野少将外三人出張等の届。

 壬申3月、海軍省伺。川村少輔、東京丸沈没に付き、進退伺。
 6月、東京丸船将、大尉・滝山正門、帰京、沈没始末届。

 M6-4月、馬医生徒、入学の儀、布達。
 M6-8、【口咼】蘭唖珍 戦争実地研究の為 軍医監 林紀、【口咼】蘭隊伍へ編入伺。
  ※オランダと「アチェ」の戦争?

▼『公文録 目録 第一 自戊辰 至庚午』
庚年11月、兵部省は、造兵司器械、ナニワより品海へ積廻しの儀、再伺。

▼『大政類典目録 下』明治11年~14年
 M11-7-8、朝鮮国政府へ臼砲を売与す。

 M14-12-10、軍馬局において軍馬に砲声を副習せしむ。

 M14-11-15、軍用村田銃を海外各国へ送付す。

 M14-3-24(?)、軍役に堪えざる軍馬を払下、あるいは撲殺す。

 M14-5-23、銃砲のうち、不要に属する分、外国人に売却するを許す。

▼『大政類典目録 中』明治4~10年
 M5-7-13、仏国水夫 ローランジ・フリー、佃島漁夫 細川由次郎、銃殺始末。

 M7-2-4、戸山出張所を戸山学校と称す。

 M8-5-9、兵学寮を廃し、幼年学校、士官学校、教導団、戸山学校に。

 M5-3-8、鹿児島の集成館を「大砲製造所」、火薬製造所を「火工所」と改め、造兵司の管轄に。

 M9-4-26、砲兵会議概則。

 M6-6-14、造兵司、日曜日を以て休暇とす。

 M7-9-14、市ヶ谷・旧名古屋藩邸へ士官学校建築。

 M8-11-22、陸軍游泳概則。

 M5-11-13、野戦屯陣演習の節、アンビランス ならびに 病兵輸送方。

 M9-11-20、陸軍少佐・乃木希典、禁刑の日、杖刑を施行するに付、謹慎。

 M8~M9頃、尉官は降官、軍吏は降官あるいは降等、兵の逃亡は准流。

 M9-11-6、東京&大坂鎮台の歩・工兵へ、スナイドル銃交付。

 M9-8-19、海兵を解隊して、水夫に採用し、改めて水兵と称す。

▼『大政類典目録 上』慶応3~明治4年 国立公文書館蔵
 〔兵制目〕

 明治元年には「作事方」と呼んでいたが、そのご「陣営方」に。

 M3-3〔日付不明〕。関口製造所ならびに滝ノ川反射炉を、造兵司の管轄とす。

 M1-3-8、浮浪勤王ノ士を挙げて軍曹となし、俸禄を給す。

 M1-7-2、兵学校を京都に設く。
 M2-1、兵学校を兵学所と改称。

 M2-9-4、京都兵学校を大坂兵学寮に移す。

 M3-4-18、横浜語学所を、大坂兵学寮に移す。

 M2-1-10、「竹橋門内大砲屯所」あり。
 M3-7-24、「元火工所」もあった。

 M4-6、小石川 水戸藩邸を兵部省に交付す。

 M4-2-22、市ヶ谷 元名古屋藩邸を兵部省に交付す。

 M3-2、佐賀藩に精良の士を撰ばせて、輦下を警衛せしむ。

 M1-11、神衛隊を解き、旧籍に復せしむ。

 M1-4-3、薩摩藩、英商に託して軍艦春日号を清国上海に修繕せんとす。

 M4-6、石川島において大砲試験の為、実弾打発。

 M4-5、浦賀辺において軍艦操練ならびに実弾打放。

 M2-8、銃手 竹松 外六名 脱隊に付、死刑に処す。

 M2-12-10、兵隊 安蔵 外一人 無銭酒食するを以て死刑に処す。

 M3-10-2、常備兵員、海軍は英式、陸軍は仏式を斟酌し、之を編制す。

▼今日の話題社pub.『陸軍急降下爆撃隊 他七篇』S44-12
 第三飛行集団は、仏印南部地区に集中する段階で、悪天候のために、22機と、77名の人員を、失った。対米英蘭開戦の前だというのに。

 最初、陸軍機は、昼間に爆撃をしていたが、英空軍が、ハリケーンとスピットファイアをマレーに送り込んできたら、損害が多くなった。そこで、爆撃機は、夜間攻撃するか、戦闘機に掩護してもらうしかなくなった。

 パレンバンには、油田だけでなくて、スマトラ島における最大の飛行場があった。
 陸軍による降下作戦は油井を無傷で手に入れるために策定された。その前に海軍がメナドに降下して成功しているが、それを宣伝すると敵が用心してしまうので、海軍の手柄は報道されなかった。

 パレンバンでオランダの設備によって精製された100オクタンのガソリンは、内地ではとても手に入るものではなかった。

 S19-4-2時点でニューギニアの中央部以東を制圧していた敵機は、B-24と、P-38である。
  ※ともに航続距離が優れる。

 ホーランジア飛行場を襲撃してきたのは、グラマンとシコルスキー。おそらく沖から敵の機動部隊が放った。
 所持した軍刀。中支いらい持ちなれたもので、新刀ながら、藤原兼明在銘の2尺2寸5分。手ごろの重さだった。※のわけはない。長すぎ、重すぎる。
 拳銃は、押収品のコルト六連発の型。携行弾はわづか20発しかない。

 このコルトの実包は、いざというとき、すべて不発になった。多湿なのに、手入れできなかったから。

 4月〔21日?〕、第6飛行師団長が、ニューギニア所在の全航空戦力をホーランジア基地に集めた。3つある飛行場が大型機と小型機300機でいっぱいになった。ところが、おそらく陸上のスパイがこれを通報し、1機の敵の偵察機もあらわれないうちに、いきなりB-24とP-38の大編隊が襲いかかり、一挙に200機が地上でやられてしまった。師団長の板鼻義一中将は、即日大本営に召還され、軍法会議に付せられたという現地のうわさであった。※板鼻という中将は軍人名簿に載っていないから、名前を変えているのだろう。

 パプア人は海岸部族は漁撈で食えるので穏やかだが、山中の部族は剽悍である。

 ニューギニアの退却経路には動物の影はなく、インコのような鳥ばかり。しかしいずれも拳銃や三八歩兵銃の目標になるほど愚鈍ではない。

 ココ椰子には枝はないが、「椰子きのこ」がとれる。日本刀を使い、三人で2時間がかりで1本を切り倒せば、それが手にはいり、3人の1日分の携行食糧になる。ただしココ椰子は原住民が植樹した財産だから、とうぜんに、彼らの恨みを買う。
 西部の方では日本兵が少なからず毒矢などでやられたらしい。

 体内の塩が抜けてしまったあとの汗は、ぜんぜん汗臭くない。口から入れた水がそのまま毛穴から出る感じ。
 南方の野生の豆。前に通過した部隊が手をつけていなかったら、それは毒豆である。内地の御多福豆に似ていて、海岸線にいくらでもある。しかし、塩煮してもその毒は抜けず、口にいれてから10分以内に、胃の中のぜんぶのものを吐き戻すことになる。
 復員後に聞いた話では、硫黄島にも同じような野生の豆があり、喰った者は激しい下痢、頭痛、高熱に冒されて戦力にならなくなる。「硫黄島ではこの豆を気狂豆と呼んでいたそうである」(p.333)。

 トル河の河岸を目指して、海岸近くを、西へ徒歩退却中、日本軍の機関銃の槓桿を引いて装填する音が、密林にこだまする。
 36師団の一部隊に追いついた。その斥候だった。5月27日。

 トル河には「ときどき、上流から鰐が下ってくるよし」(p.341)。
 したがって泳いで渡るのは危険で、筏でなくてはならない。

 昼は、敵機の爆音に追われる。夜は、敵魚雷艇が闇を支配する。
 トル河河口の沖合いにワクデという小島があり、そこに滑走路一本の不時着用の飛行場があるる

 ホーランジアから40日でとうとうサルミへ来たが、無人であった。

▼吉田満『戦艦大和』角川文庫 S43-7
  ※ズーラシアに行かずして野毛山の古書店で購入。1999-5-2、即日読了。
  ※本文部分が「戦艦大和の最後」。巻末に、これについてのいろいろな説明がついている。

 『大和』は、内燃機関が冷えてしまっている状態から、スクリューを動かせるようになるまでに、24時間必要だった(p.9)。

 無礼講を始めるときには「酒保開け」という号令がある。

 出動前に候補生が退艦させられる。その候補生から酒を注がれた、航海士の学徒出身の少尉が、盃を手から滑らせてしまい、床で微塵に砕けた不吉。

 食事終了、解散は、先任大尉(士官室長)が席を立つのが合図。

 大和の原速は12ノット。艦橋では動揺をまったく感じない。大地に立っている錯覚を起こす。

 砲弾満載量は二千数百発である。徹甲弾の水柱は、250mに達する。

 上部電探室は、電源の熱気でむせ返っている。
 逆探が、2方向に、米潜らしきものを探知。そこに電探を向けたら微弱な反射があった。
 通信科の敵信班によると、平文で、大和以下9隻の基準針路、速力を打電していた。

 大和の零式水偵は、呉で5機を卸し、残った1機も、大隈海峡を出たところで、鹿児島へ避退させた。カタパルト射出。

 鹿屋から前路哨戒に離陸した偵察機20機は、日の出後まもなく、連絡を絶ち、1機も帰還しなかった。その中に、伊藤司令長官の一人息子の搭乗機があったという。

 日の出とともに、潜水艦は電探に反応しなくなり、かわって、マーチン偵察機が触接を始めた。教科書通りだ。

 全艦、20ノット、5分間隔で之字運動。

 日本の水上電探は、潜望鏡を捕捉するには、露出長1m、時間3分間を要した。とても実戦用にならない。

 駆逐艦では、副艦長というものはなく、先任将校がその役を果たす。後檣頂に位置して、後方を担当する。

 大和の最大戦速は27ノット。

 米機はすべて緩降下だった。
 25ミリ機銃は、5発に1発、赤茶色の曳光弾。それを見て軸線を修正するのだが、すべて後落していて、おいつかない。

 世界の三馬鹿、無用の長物は、万里の長城、ピラミッド、大和だと若い士官たちが(p.63)。

 連続被雷で応急科員の死傷が多く、防水遮防作業ができなくなる。

 浸水したら、ラッタルを上った最初の兵がハッチを閉めねばならないのだが、人情として、それができない。だから浸水は止まらず、傾斜の進行が意想外に速い。

 機械室や罐室では、会話連絡はすべて手先信号。

 主砲の発砲振動や、爆弾類の命中で、兵器類の固定が外れて、使用に堪えない。装備定着方法は、不備であった。

 敵の爆弾が次々に命中するような激戦中に、じぶんの役目を与えられなくて、艦内でじっとしているしかなかった者たちは、脱出のときとなっても、もう動くことができない。「まず舌端しびれ次いで手足しびれ、自由を失い、ついには瞳孔開き切る」。体温はあっても、もう死人も同然だった(p.78)。

 送受信室は、防水は完璧のはずだったが、魚雷が集中し、ついに水浸しで通信長以下、全滅。あとは発光と旗旒のみ。
 敵信傍受の「特暗科員」の少尉は、二世であった。

 水雷戦隊の司令官が座乗する『矢矧』が大和前方3000mで停止。そこに『磯風』が横付けしようとしていた。すなわち司令官が移乗するつもりなのだ。それは大和の伊藤司令長官の許可を得ていない、独断行動に違いない。これを見て、少壮士官たちは憤った。
 だが『磯風』もたちまちに爆弾を数発あてられて、炎上・停止してしまった。

 大和の右には『冬月』、左には『雪風』、この2艦だけが、すさまじい水柱を突破疾走しつつ、大和に「ワレ異常ナシ」を発信してくる。この両艦は、兵一員にいたるまで、練度高く、闘魂の塊りなのだと想像できた。

 護衛9隻のうち、健全なのはこの2隻のみであった。

 大和内では、電話も伝声管も破壊され、伝令だけに頼ることができた。しかし「ラッタル」移動中を敵機から銃撃されて、次々に死んでしまう。
 出撃時には蜘蛛の巣のように見えた空中線は、片鱗すらない。

 傾斜がきつく、もはや、運搬車を必要とする中型以上の砲弾は、砲まで届けられなくなった。人力運搬も危険であるため。これにより、高角砲・副砲は沈黙。機銃のみが、発射を続ける(p.77)。

 落ちてくる爆弾は、黒一点だったのが、最後は紡錘型に見える。

 敵の第6波以降は、すべて後方から艦尾を狙ってきた。舵を壊すつもりだ。
 魚雷が集中。艦尾はしばし宙に浮いて、それから火柱と水柱に包まれた。

 敵機はロケット弾も放つ。

 「われ舵故障」の旗旒を掲げている『霞』が、大和に衝突しそうになる。かろうじて操艦でかわしたら、艦橋に、開戦いらいの笑い声が上がった(p.80)。

 主舵操舵長(中尉)からの電話の声。隣室まで浸水。やがて一瞬の破壊音とともに、まったく消息を絶つ。
 ここにおいて、大和の前檣に「ワレ舵故障」の旗旒が上げられた。この旗が本艦にはためくのは、最初にして最後だろう。

 伊藤はこの特攻作戦にはじめから大反対だったので、航海中のいっさいを、艦長の有賀に任せて、無言で通していた。

 伊藤長官は長身だった。艦橋直下の長官私室へ、ラッタルを歩み去った。沈没まで、自決の銃声は聞こえなかった。これが、第二艦隊司令長官・伊藤整一中将の、御最期なり。
 伊藤のあとを、副官の石田少佐が追おうとしたが、参謀長がはがいじめにして止めた。

 中佐の航海長と、その補佐の掌航海長は、向かい合ってロープで互いの足腰を羅針儀に縛り付けていた。

 吉田もロープを用意していたのだが、参謀長が「若い者は泳げ」と片端から鉄拳。

 伊藤が私室に消える直前、幕僚がいざり寄っての最後の協議に、「作戦中止、人員救出の上帰投」を、長官は独断で命じていたのだった。

 そこで大和の旗甲板に、その旨の旗旒がはためき、大和の前檣頂の応急燈は、2隻の駆逐艦に「チカヨレ、チカヨレ」の発光を連発したが、大和の自爆や過流にまきこまれることを恐れ、あえて近接してこない。

 特に『冬月』の艦長はこの発光を見て怒り、先任将校の「横付け救出用意よろしい」の報告には面も向けず、大和の反対方向へ突っ走らせたという。

 暗号士は、暗号書の処置終了を伝声管で届けてきた。艦橋暗号室に入って内側からロック。
 鉛板が表紙だし、塩水で溶けるインクだし、活字跡を判読されないように、文字と異なる紙型を二重に強く刻印してあるのだが。それだけ責任が重いのだった。

 艦長は、有賀幸作大佐。最後の兵が、喰い残しのビスケットを4枚、艦長の掌に押し込んだら、艦長はニヤリとして受け、その2枚目を口にしたときに、渦に呑まれたという。場所は、艦橋最上部の防空指揮所。

 大和の爆発閃光は、鹿児島からも望見できたという。

 吉田は、水面の死体の層にはばまれて、浮上が遅れた。これがよかった。弾火薬庫の爆発でふりそそいだスプリンターに当たらずに済んだのだ。
 渦で水に引き込まれたとき、後部弾庫も爆発したが、この2度の水中爆傷を、吉田は蒙らなかった。というのも、さいごまで艦橋にふみとどまっていたおかげで、上部構造が爆圧の防壁になってくれたのだ。早く甲板まで降りていた者は、助からなかった。

 煙突周囲で泳いだ者も、不運だった。皆、煙突に吸い込まれてしまった。吉田も、5歩右にいたら、危なかっただろう。

 重油がしみると、まぶたが開かない。
 この重油の空気を吸い込んで精神異常をきたした者もいた。

 訓練では、脚絆で材木を筏に組む。しかし長い材木がない。しょうがないので各人で、脇と股に挟んだ。指で持つのは、たちまちしびれて不可能。

 敵機は落水者を機銃で掃射する。その弾あしが縦横に交叉するのが、むしろ美観であった。

 冬月が全速力でかけつけてきた。
 士官として、兵をまとめ、200mを、消耗しないように集団でゆっくり泳がせた。
 爆沈後、3時間も浮いていたのだが、意識の上では、20~30分のように思えた。不思議。

 縄梯子は油でヌルヌル。それを上からひきあげてくれる駆逐艦の乗員たちの手際は真のプロだった。

 駆逐艦の甲板の上で、頭部に指2本入る裂傷を負っていると知った。痛み、まったくなし。

 佐世保に戻るまでも、対潜戦闘の連続だった。至近の敵潜に探照灯を当てて威嚇すると、敵潜は潜航するので、その隙に逃れることができた。
 『雪風』はそのとき、米潜から雷撃され、2本命中したが、不発だった。

 『涼月』は沈んでいなかった。上等兵曹が指揮をとり、後進により、鹿児島に戻った。艦の後部が炎上したまま、たどりついた。
 『初霜』も生還した。『霞』『磯風』は味方の魚雷で沈めた。そのさいの横付け移乗時間は5分。5分で横木を叩き落した。

 大和の副長の大佐(名を挙げず)は、戦闘経過報告の責任があるため、雪風の短艇に救助された。ほとんど失神状態。大和の水線下の応急指揮所からたったひとり生還した。頭部に銃創。

 吉田は、漂流者慰労の休暇を賜り、故郷へ。途次、電報を打った。父は、淡々として「まあ一杯やれ」。状差しを見たら、自分が打った電報の、文字が、形にならぬまでに涙でほとびていた。

 以下、吉田の初版本のあとがき。
 初稿は、ほとんど1日をもって書かれた。第一行から、おのずからすでにそれは文語体であった。

 以下、吉田による、「占領下の『大和』」。
 疎開先の近所の吉川英治に勧められて書く気になった。

 記憶は強烈で、戦後、数年のあいだ、いくつもの戦闘場面が夢の中に蘇ったほど。

 『創元』や小林秀夫、英文学者の吉田健一らが、GHQとの出版交渉の骨を折ってくれた。
 外国人も味方になってくれた。プレスコードはポツダム勅令の第何条にもとづくものか、と。

 この文語体は、サイデンステッカーも英訳の匙を投げた。 ※民間人には意味不明の海軍専門用語が頻出するので、諦めたか。小林秀雄も、だから内容には深入りはできなかった。

 この著作が、「戦記もの」ブームのきっかけをつくった。
 吉田が渡米したときニューヨークでひきあわされた男、空母から16回も往復して大和を攻撃した学生パイロットだった。

 以下、誰かの評論。
 『きけわだつみのこえ』は、手記の中から戦争否定の箇所だけ抜いた、改変出版物だった。
 『戦艦大和の最後』以降、海軍ブームがあるが、「戦後二十年を経て到来した海軍ブームの背景には、したがって過去の複写があるだけで、未来図がない」。何が失われたかを意識していない、ただ失われ方を甘く詠嘆するだけの戦記ではしょうがない。

 以下、解説。
 吉田は、戦闘記録係として艦橋に配置されたので、大学出の予備士官にすぎなかった身で、世にも珍しいことを見た。

 著者の初稿は『創元』の校正刷りまで行ったが、創刊号に載らなかった。けっきょく、S27の講和条約成立まで、待たねばならなかった。

 以下、初版本にも収載された、吉川英治による跋文。
 吉田の父と私とは、同じ吉野村の疎開者仲間だった。その父君が連れてきた。
 数ヵ月後に、吉田満は、草稿をもってきた。

 吉川は、それよりやや以前に、米海兵隊大尉J・G・ルーカスの『戦争へのノスタルジア』を読んで、感銘を受けていた。

 小林秀雄による跋文。これも初版に載ったのだろう。
 小林は、草稿をS21夏に読んだ。正直な戦争経験談だと思った。これがそのまま推薦の言葉になる。それほど正直な戦争経験談は、稀なのだ。

 跋文には林房雄と三島由紀夫も一文を寄せている。ともにこれは「テルモピレー」だと書いている。



たんたんたたた―機関銃と近代日本 (光人社NF文庫)


今いちばん隠されているのが、中共軍内の感染拡大だろう。

 KIM GAMEL 記者による2020-4-17記事「Contractor banned from bases in South Korea for violating quarantine by shopping at PX and commissary」。
     キャンプ・ハンフリーで雇われていた米国籍の契約民間人1名。すべての在韓米軍基地への出入りを2年間禁止された。理由は、新コロに関する隔離期間命令を破って基地内の売店を利用したので。

 この民間人は、新コロ陽性と判明した別な同僚と接触していたので、自己隔離に入るように指導されていた。
 しかるにこの人物、その指示を無視して基地内のPX等を訪れていた。これは在韓米軍の関係者全員を危険に曝す行為である。

 在韓米軍の第8軍(陸軍)によると、少なくもすでに6人の陸軍兵士が、基地外の酒場などの立ち入るべきでない場所に立ち入った咎により罰を科されている。

 たとえば2人の一等兵(38度線近くの第210野戦砲兵旅団所属)は、「降等」処分+科料+文書懲戒を受けた。ソウル北方のキャンプ・ケーシーの基地城下町・東豆川市内の酒場で3-14に飲酒したので。

 現時点で在韓米軍関係者の中から25人の新コロ陽性が出ている。そのうち兵隊は2名だけだが。

 次。
 Paul D. Kaplan 記者による2020-4-16記事「What Prior Market Crashes Can Teach Us About Navigating the Current One」。
     2007年から09年におきた経済危機は「ブラック・スワン」だと言われた。過去に前例が無いため事前には誰にも予期ができなかったネガティヴ・イベント、という意味で。

 ところが米国証券市場のデータを1870年代までさかのぼって巨視的にながめると、リーマンショックのような普通株の市場崩壊(株価20%以上の下落)は過去に幾度も起きていることが分かる。
 ローレンス・シーゲルは「ブラック・ターキー」とこの現象を名付ける。データの中ではいつも発生しているのに、人々は意図的にそれを見ないようにする、という意味で。

 市場崩壊は、毎回リカバリーされ、巨視的には、株価は右肩上がりに推移する、とデータは教えている。

 過去150年で最大のクラッシュは1929に起きた大恐慌で、79%の価値が失われた。

 次が2000-8から2009-2まで続いた「うしなわれた十年」。54%の価値が失われた。「ドット・コム」バブルが弾けたことがきっかけであった。

 暴落直前の2000-8の株価がリカバリーされたのは、2013-5であった。12年半、かかったわけだ。

 1911-6から1920-12にかけての不況では、51%の価値が失われた。これは1918のインフルエンザ・パンデミックを中に挟んでいることから、今日の我々としては、注目したい。

 ごくおおざっぱに言うと、米国マーケットは9年に1回、クラッシュするもののようである。そして、下げ幅だけでなく、そこからの回復に何年かかったかで、「打撃の度合い」=「痛み指数」が違ってくる。

 1929大恐慌の痛み指数を100とすると、「失われた十年」の痛み指数は85.51だが、1911~1920の長期不況の痛み指数は89.34だったと分かる。

 つまり、百年前のインフルエンザは、おそるべき市場の強敵となったものの、それでも市場に与えた打撃は、1929大恐慌よりも深刻ではなかった。


ふと『方丈記』を読み直したが、ひきこもっているだけでは世界を救えないと思った。

 Clare Wilson 記者による2020-4-15記事「Could the coronavirus trigger post-viral fatigue syndromes?」。
     ウィルス感染症からいったん治った人が、その後も長期にわたり、疲労や、光過敏症に悩まされるケースが稀にある。

 カナダのトロント市で2002年と03年にアウトブレークしたSARS患者の中には、治ってから3年後までも、筋肉が衰えたままだったり、睡眠が普通にできないという人たちがいた。

 このときのトロント市は273人が感染して44人が死亡している。そしてすくなくも22人は、治った後も仕事に復帰できなかった。夜間の睡眠障害、昼間の倦怠感、筋肉の衰え、全身の痛み、抑鬱等のために。

 研究チームがインタビューできたトロント市の元SARS患者は全体の8%にすぎない。
 おそらく今の新コロも、流行が去ったあとに、多数の、こうした患者たちを残すだろう。

 コロナ系ではないが、「エプスタイン – バー」ウィルス症も、治癒後の長期の後遺障害を伴うことが分かっている。

 次。
  Elisabeth Braw 記者による2020-4-15記事「China Is Bargain Hunting?and Western Security Is at Risk」。
    英国でスマホ用のチップを作っている筆頭メーカー「イマジネーション」社を、中共の投資会社の「チャイナ・リフォーム」は乗っ取ろうとしていたが、英議会が騒いだおかげで、ついに4-7に中共は諦めた。

 2017年に「キャニオン・ブリッヂ」社が「イマジネーション」社を買い取ろうとしたときには、英政府は何も動かなかった。「キャニオン・ブリッヂ」の筆頭株主は「チャイナ・リフォーム」だったのだが。
 しかし20年4月、「チャイナ・リフォーム」が4人の重役を「イマジネーション」社に送り込もうとした今回の動きには、英議会の議員たちが反対の声を上げて、阻止した。

 世界には「イマジネーション」社ほど財政基盤が強くないけれども、バイオやIT系の最先端技術を有する企業が多数ある。中共は、新コロ騒ぎで防衛体力の低下するそれらの企業を買い漁り、支配するつもりである。

 2019年に中共の投資会社はEU圏内に117億ユーロ(130億ドル弱)を投資した。その大半が、会社の乗っ取りに使われている。
 2018年に彼らは米国内に250億ドルを投資している。中共政府がその買い取り活動を後援している。

 2006年までは中共企業は欧米有名企業をなかなか買収できなかった。たとえぱ「TCL」がフランスの「トムソン電子」を買収しようとした試みは、失敗した。

 ところが2008~2009のリーマンショックが中共企業には追い風になった。中共の投資集団は、体力の揺らいだ西側企業の買収に、次々に成功するようになった。ただし2011年の上海国際研究大学の調べによると、買い取り後の企業価値が引き続いて低迷しているケースも多い。

 こうした企業買収攻勢は、「メイドインチャイナ2025」という国家大戦略に基づいている。
 スウェーデンの国防研究所は、2014年から中共投資集団によるスウェーデン企業の買収が急増していると報告している。

 中共の投資会社は、中欧と東欧の企業にはほとんど手を出していない。あきらかに、中欧と東欧には、最先端ハイテクが無いからである。ハイテク支配が、彼らの狙いなのだ。

 マーケイター研究所の報告書によると、中共企業が、西側のハイテク企業に共同研究開発を持ちかけて、提携関係を結んでいる例もおびただしい。

 米国ではCFIUS(Committee on Foreign Investment in the United States)という委員会が、中共からの投資を監視し、国家安全保障の基盤を揺るがす買収を阻止し続けている。その中には、「グラインダー」という、ゲイのためのデート・アプリを開発したメーカーの買収案件までが、含まれている。

 EUには、このCFIUSに相当する、禁止強制力を有する機関が無い。これが大問題だ。

 ドイツでは、中共がドイツ国内の企業に10%を超える投資ができないようにする法的環境が整備されつつある。
 英国政府は、軍民どちらにも役立つハイテク企業が中共に乗っ取られないように監視している。

 もし仮に、下水処理の高度な技術をもつ西側企業の財務がひどく悪化し、そこに中共企業が出資したいともちかけてきたならば、欧州版CFIUSはそれを禁ずるのだろうか。たぶん、そうはしない。

 スウェーデンのエリクソン社の元CEOも、EUも早くCFIUSを立ち上げなくてはダメだ。待っている時間は無い、と『フォーリン・ポリシー』に語った。


皆様の御支援により気力を保っております。

 これまでもほとんどひきこもらーのようなものでしたたが、新コロ流行いらい、ますますひきこもり生活です。
 しかし世の中にはもっと精神的に辛い人々がいるはずだ。がけっぷちにまで追い詰められている人たちがいるはずだ。それを考えたらわたしなどはめぐまれています。

 ちょっとみなさん、想像してみてください。戦後はすっかり、核家族化がすすんでいますけれども、あなたの身近な家族が3人くらいバタバタと死んでしまうかもしれない。第二波が来れば、日本もそうなっておかしくないのです。

 世界は変わってしまった。前の世界は、もう戻ってこない可能性があります。

 わたしが手助けできる人がいるのなら、手助けしたい。
 今は、既存メディアがちっともとりあげてくれない情報をご紹介することが、最大多数の人々の生存率を上げることにつながるだろうと考えて、このような投稿を続けています。

 次。
 WYATT OLSON 記者による2020-4-15記事「USS Theodore Roosevelt’s fateful Vietnam port call had blessing of Pacific’s highest commanders」。
       空母『セオドアローズヴェルト』がベトナムのダナン港に寄ったのは3月5日から3月8日までであった。もともとの計画は中共への秋の寄港であったのだが、昨年、それが変更になったのである。

 トランプはホワイトハウスの記者会見で4-13に、ダナン寄港を命じたのが誰かは私は知らないが、パンデミックのさなかに、良いことではなかった、と語った。

 『TR』のダナン寄港計画を推進したのは、太平洋戦域の制服高官である。

 しかしトランプ自身も3月2日の記者会見で、アリーナ・サイズの政治集会は安全・適切だろうかという質問に対し、それはとても安全だと思うと答えていた。そんな認識だった。
 3月2日時点で全米で新コロに100人以上が感染確認されていて、6人は死亡していたのだが……。

 『TR』のダナン寄港は、国務省、国防長官室、米軍のインド・太平洋コマンド司令部、米太平洋艦隊司令部、在ベトナム大使館が事前に調整している。米国とベトナムの外交関係樹立25周年が意識された。正式命令は、1月に、太平洋艦隊司令部から発せられた。

 3月5日時点でベトナム政府は、同国には新コロ患者は16人しか出ておらず、そのいずれもハノイ市内であってすでに全員回復、その後、感染者は報告されていない、と確言していた。ダナン港はハノイ市よりもずっと南にある。

 CDCのベトナムにおける代理人も、太平洋艦隊に対して、リスクは低い、と請合っていた。

 訪問中の行事に参加した地元のベトナム人たちは、ベトナム政府によって新コロ感染者でないかどうか、スクリーニングされていた。いつものことである。米海軍の医療スタッフと、地元の医療機関との間でも、人道支援・災害派遣に関する交流がなされた。

 3月7日、ダナン市内のホテルに滞在していた2人組の英国人が、新コロテストで陽性と判明した。米政府が調べたところ、そのホテルには、米海軍の水兵39人が訪れており、その英国人と接触した可能性もあった。39人全員が判定テストを受け、『TR』艦内で14日間の隔離を受けた。

 交流行事は3月8日まで予定されていたが、上陸期間は切り上げられ、『TR』と随伴巡洋艦『バンカーヒル』は3月7日にダナンから出港した。

 艦内隔離された39人は、陰性だった。ところがダナンを出てから15日後、その39人とは別な3名が、新コロテストで陽性と出た。この3名は、英国人2人組が泊まっていたホテルには立ち入っておらず、2人組との接触もないのだった。
 他方で『バンカーヒル』の乗組員で陽性と出た者はいない。

 米海軍の公式見解。『TR』乗組員の最初の感染者は、ダナン市内で病気を貰ってはいない。
 ダナン寄港後2週間にわたり、空母は空輸等によって物資や人員を受け入れている。それが感染経路だ。

 次。
 Jim Morrison 記者による2020-4-14記事「Copper’s Virus-Killing Powers Were Known Even to the Ancients」。
       新コロウイルスは、ガラスやステンレススチールの表面では5日間、活性を保つ。しかし銅の表面では、数時間で不活化する。
 銅の殺菌力について20年間以上も研究を続けている英国サザンプトン大学の微生物学者ビル・ケーヴィルは、むしろ銅の表面で数時間も活性であることが驚きである、という。

 メチシリンに耐性がある黄色ブドウ球菌、MERS、2009年流行の豚インフルエンザウィルスも、銅に接触すれば数分以内で死ぬのである。

 2015年にケーヴィルは、「229E」型コロナウイルスを試した。このウィルスは、一般的な風邪や肺炎の原因になる。そして「229E」も、銅の表面では数分にして不活化するのを確かめた。

 ケーヴィルは言う。人々はステンレススチールを、その清潔感ゆえに、好んでいます。ところが、見た目とはうらはらに、ステンレススチールの表面は、微生物学的には清潔じゃないんですよ。銅の表面こそが、微生物学的には、とても清潔なのです。

 すでに古代から、銅が感染症予防の役に立つらしいことは、直感されていました――と、サウスロライナ大学で微生物学と免疫学を教えるマイケル・シュミット教授。

 戦傷を負ったフェニキア人は、その傷口に、銅剣を削った粉を入れたという。
 数千年前、幼児用のコップを銅で作れば、あまり下痢をしなくなる、と知られていた。

 数年前、ケーヴィルのチームは、100年以上前にNYCのグランドセントラル駅構内に設けられた銅製の手摺を調べてみた。その表面は、いまだに、微生物を殺す力を保持していた。

 金や銀の表面も、殺菌力は有している。しかし銅はさらに優れている。それは原子レベルから説明される。
 いちばん外側の層に自由電子を1個持っていて、それが容易に、酸化・還元反応に関与する。

 シュミットいわく、銀や金には、この自由電子がないのだ。

 微生物が銅の表面に付着すると、イオンがそれを破壊する。細胞に穴が開いたりする。フリー・ラジカル(遊離基)がつくられて、破壊を手伝う。特に銅の表面が乾いているときにそうなる。

 イオンは、DNAやRNAも破壊する。これでウィルスも自己複製ができなくなる。
 銅表面のこのような性質は、銅表面の金属光沢が消えても、持続するのだ。

 シュミットは国防総省からの受託研究で、次の結果を得た。ベッドの手摺り、ベッド給食用の台、点滴バッグを吊るす柱、椅子のアームレストなどの表面に銅合金を用いた場合には、病院内感染を58%減らせるだろう、と。

 シュミットはICU用のベッドメーカーと共同で、手摺りがプラスチックではない、銅表面のベッドも試作し、2年間、従来型と比較した。
 結果、手摺り表面から病気が伝染してしまうリスクは、10分の1に抑えられると分かった。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-4-15記事。
    低軌道周回衛星を3機、リレーすることにより、ありふれた携帯電話によって、合衆国本土から、フォークランド島内の端末まで、テキストメッセージを送り得ることが確かめられた。米国「リンクグローバル」社の実験。

 信号規格は「2G」であった。

 よくある携帯電話用の無線中継タワーは、最大限でも半径35kmまでしかカバーできない。


なんという時代の目撃者になってしまうことか……。

 SETH ROBSON 記者による2020-4-14記事「Two civilians banned from Sasebo after being found at off-base bar in violation of coronavirus rules」。
       米海軍の佐世保基地で働く2人の非軍人が、基地への出入り不許可になった。基地外の酒場に居るところを、パトロールに見つかったため。在日米軍は、米軍施設内を新コロから守るために、4-6から、米軍人だけでなく基地従業員にもいろいろの制限を課していた。

 このたび基地出入り禁止処分を喰らった2人のうち1人は、米軍人の配偶者で米国籍。その店のバーテンダーをしていた。これじたい、佐世保基地司令の地域規則に違反している。第一義的に日本人に酒を提供している店舗では、労働をしてはならないのだ。

 もうひとりは民間人の契約業者で、米本土から来日してまだ14日が過ぎていないのに、町を出歩き、酒場を利用していたことが、軍律違反と認定された。

 佐世保基地司令による「上陸制限」は、海軍軍人に適用されるものであるが、基地コミュニティを新コロから防衛しようという在日米海軍司令官の意図を公然と無視する行為を、見過ごすことはできない。

 この2名には移動制限が命じられ、再び基地に出入りできるようになるまでには、長くかかるであろう。

 基地司令は、平時に軍人家族や民間人にいろいろな命令を出すことはできないが、こうした疫病流行時に基地内の衛生と安全を守るために出入りを禁ずる権能は有している。

 なおげんざい基地関係者に禁じられているのは、酒場の利用だけではない。レストランや映画館など、多人数の人が集まる場所には、どこにも行ってはならない。

 また基地司令の独自の禁令としては、基地関係者が日本人向けの酒提供店舗でバーテンダーになることだけでなく、ウェイター、ウェイトレス、DJ、経営者、用心棒、守衛になることも、禁止。

 次。
 BuzzFeed Newsの記者による2020-4-13記事「Scientists Have Reported The First Case Of The Coronavirus Spreading From A Dead Body」。
      4-12の『フォレンジックと法医学研究』誌によると、タイで、検屍官が死体から新コロに感染してしまった例が、初めて確認された。

 エボラ出血熱は、病死者からも感染することで知られていた。WHOは、肝炎、結核、コレラで死んだ患者からも感染はあり得るとガイドラインで注意喚起している。

 次。
Gideon Lichfield 記者による2020-4-14記事「 Why simply waiting for herd immunity to covid-19 isn’t an option」。
     英国政府は一時期、新コロを流行るにまかせておけば住民に集団免疫ができあがるだろうと考えていた。それは間違っていた。感染者数曲線の右肩上がりは、そう簡単には水平化~右肩下がり化はしてくれなかった。

 流行放任政策が間違いである理由の一。
 人の免疫は、永続しない。たとえば普通のインフルエンザの免疫は、1年も持続しないのである。新コロの免疫がどの程度の期間持続するのか、誰もデータは持っていない。

 理由の二。
 新コロの免疫が特定人については長く持続するとして、住民集団としての免疫ができあがるまでに要する日数を、誰も知らない。

 ひとりの新コロ患者が1.0人未満の他者にしか伝染をさせなくなる(感染者数曲線が右肩下がりになる)には、住民の何割がいったん罹患をしなければならないか。この数値が分からない。他のウィルス病から想像すれば、全住民の半数から三分の二は罹患する必要があるだろう。

 げんざい、住民のうちのどれほどが、新コロに感染しているか、掴めない。3月28日にイタリアで英国研究チームが調査している。その時点でイタリア国内で知られている感染者は10万人弱だった。これは全住民の0.2%に相当する。しかしじっさいには十数%ものイタリア人が、ほとんどの人は無自覚~軽い体調不全の状態ながら、その時点でもう感染していたという。
 0.2と10とのあいだでは50倍もの開きがある。これでは統計学的に責任ある政策決定はできかねるのだ。

 新コロの罹患者のうち何割が、無症状なのだろうか。この比率もつかめていない。米国CDCは、25%だと見ている。しかしいくつかの狭い地域でのアウトブレーク調査の結果は、それは50%近いのではないかと示唆している。もし後者が正しいとすると、新コロはすでに、相当広く伝染してしまっている。
 多数住民に対する無作為サンプル調査が不十分であるため、この議論には結論が出ない。

 集団免疫性が得られるのと、新コロのワクチンが開発されるのと、どっちが早いのかも、我々には分からない。

 そのどちらであるにしろ、我々は当面、医療崩壊が起きないレベルに新規の発症者数を抑制せねばならないはずである。医療従事者たちに過負荷をかけないように配慮せねばならないのだ。

 次。
 Liz Watson 記者による2020-4-13記事「Here’s how Congress can keep people from losing their jobs」。
     過去3週間で全米で1700万人近くが職を失った。このレートで推移するなら、夏までには、この失業者数は2倍に増えてしまう。

 ビジネス禁止令と、その間の従業員給与保護プログラムを、議会(連邦と州)は発動するべきである。すでにデンマーク、英国、オランダ、フランス、ドイツ、豪州はそれをやっている。パンデミックが終焉するまで。

 米国のほとんどの被雇用者は、雇用者を通じた健康保険で守られているが、解雇されれば、別な保険プログラムに移るしかない。〔国保というものがない米国では、〕それは事実上、パンデミックの最中におびただしい人々が無保険状態に陥ることを意味する。

 ビジネス禁止令が出されることにより、企業は廃業を免れる。禁止令が出されなければ、企業は従業員をどんどん解雇して店を畳み、伝染病が完全に収まるまで事業を再開しようとはしないだろう。

 一議員が連邦下院に4-10に提出した法案。財務省が、企業に、当面3ヵ月間のつなぎとして、従業員ひとりあたり10万ドルと、地代と、健康保険料などをくれてやる。新コロが終焉しないうちは、その措置を自動的に1ヶ月単位で延長して行く。

 企業は、一時休職させている従業員を呼び戻すためにもこの政府給付を申し込んで可い。政府が譲与し過ぎた金額があっても、後からちゃんと調節はできる。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-4-14記事。
   3月17日、北鮮政府は、国内で流行中の新コロは、韓国の生物兵器であると説明。

 3月20日、Sohuという中共の大手オンラインニュースが、ロシアが崩壊したらシベリアを取り戻さねばならないという議論を公示した。

 3月21日、中共の国境警備隊は、対岸の北鮮警備兵たちが昼間から無気力・嗜眠症を呈し、咳をしていると報告。携帯電話で直接聞いたところでは軍営内で若い兵士が新コロで死につつあるという。また北鮮のいたるところ、軍営外でも、新コロ流行の兆候がある。

 3月22日、平壌の国防大学校で汚染された水道水を蛇口から直接飲んだ学生20人以上が病気に。市当局は、水道水もいちど煮沸するように指導中。

 3月26日、グーグルの脅威分析チームは、2019年に北鮮内でハッキングによるインターネットの障害が発生したと報告した。犯人として韓国政府が疑われている。

 3月27日、中共は、北鮮人が新コロにかかっていないと証明できれば、ビジネスで入国してもよいと決めた。
 4月2日、数十台のトラックが丹東の橋を渡った。1月から国境が閉鎖されていたのに、早々と再開したのだ。中共は、満州における北鮮人経営のレストランの再開も許可している。

 4月5日に北鮮西部の海軍病院で、医師4名が新コロで病死した。3人は軍医、1人は町医だった。
 この町医の義理の兄弟が税関勤務者で、そこから新コロが移った。その兄弟は回復している。
 この騒ぎで海軍病院の100人近くが、現在も隔離されている。


おめぐみを。

 STARS AND STRIPES 記者による2020-4-13記事「Air Force evacuates coronavirus patients from Afghanistan in first use of isolation system」。
     米空軍がTIS(輸送中隔離確保システム)を始めて実戦使用した。
 このシステムは、大型輸送機で伝染病患者を空輸するときに、その輸送機の固有クルーや、付き添いの衛生兵たちが感染したり、機体が汚染されてしまうリスクを、局限できるように設計されている。

 C-17のパレットの上に、患者を入れるアイソレーション・モジュール×2と、衛生兵らがその中で待機する「前室」モジュール×1を据える。

 看護はアイソレーション・モジュールの中で行なう。軍医らは、前室モジュール内で除染し、PPEを脱ぎ捨てることができる。

 なお空輸は、サウスカロライナ州の基地発、ドイツのラムステイン基地着で、2名の新コロ患者はランドストゥール地域医療センターに送り込まれた。

 C-17の機内は与圧されている。その環境下で、初めて実地試験されて成功したことになる。

 次。
 Alex Knapp 記者による記事「The Secret History of the First Coronavirus」。
     2016年にギリシャのアテネ市の病院に45歳の女教師が救急搬送されてきた。非喫煙者で既往症もない。
 症状は、39度5分の高熱、乾いた咳、頭痛の愁訴。ERドクターが聴診したところ、左肺下部に呼吸時雑音が。胸部レントゲンの結果、異常が確認された。

 医師は細菌性の肺炎を疑い、抗生物質を投与した。だが2日経っても症状は悪化。原因細菌も検出されなかった。

 患者は呼吸困難に陥り、酸素吸入装置をあてがわれた。医師たちはさまざまな原因を疑い、検査した。SARSでもMERSでもなかった。

 ひとつだけ陽性の結果が出てきた。医師たちは俄かに信じられず、もういちどテストし、間違いないことを確かめた。この患者は、「229E」に罹っていた。それは世界で最初に発見されている古いコロナウィルスだった。

 1965年、シカゴ大の女性研究者により、「229E」は発見されている。

 20世紀なかばの医師たちの悩みは、ウィルス性の風邪をひいた患者の35%については、その原因ウイルスが特定できないことであった。
 この研究者は、風邪を引いた学生の細胞を培養して、そこに「229E」を見出した。

 同じ頃、英国のティレル教授の率いる研究チームも、ありふれた風邪の原因ウィルスをつきとめようとしていた。

 培養細胞上に、彼らは新タイプのウィルスを見つけたと思った。ティレルらは、電子顕微鏡で撮影した写真から、それが1930年代のニワトリの疫病の原因病原体である「鳥気管支炎ウィルス」と似ていることに気づいた。コロナウィルスが人間にも伝染するのだと、初めて確認された。

 当時は、今では考えられない実験が行なわれていた。ティレルは、113人の志願者の鼻の中に、単離培養したそのウィルスを入れてみたのだ。そのうち1人が、ついにトリの病気に罹った。
  ※いや今でも某国ではそういう実験してるんじゃね? 囚人使って。

 同じ頃、国立保健研究所のマキントッシュ博士は、普通の風邪の原因ウィルスを探し続けていた。
 彼のチームは、今日「OC43」と呼ばれる、人間が感染する普通のコロナウィルスを発見した。このウイルスは今でも呼吸器系の疾患を引き起こしているものである。
 「コロナウィルス」という呼び名は1968年に定着した。電子顕微鏡で見たときに、丸いウィルスの辺縁から、太陽のコロナが放射しているような風情があったので。

 しかし「229E」も「OC43」も、2003年にSARSが流行するまで、世の関心を惹かなかった。というのは、「229E」や「OC43」が原因の風邪は、マイルドな風邪のありふれた療法で対処ができたからだ。

 だが2003年のSARS(やはりコロナウィルス)は、中国から発生して、最終的に29ヵ国に飛び火した。
 そして8096名の確認罹患者のうち774人を斃したのである。俄然、研究者たちは、コロナウイルスを見直した。

 その結果、「NL63」および「HKU1」という風邪の原因になる新たなコロナウィルスが発見されている。さらに2012年には、ようやく「229E」の完全なゲノムが解明された。

 同時に、「229E」が、免疫に弱点を抱える患者に対しては呼吸器系の深刻な症状を引き起こし得るという症例が多数、報告されるようになった。

 いま、コロナウイルスは8種類知られている。そのうち4種類が、他の4種類よりも致死率が高い。この違いはどこから来るのか、未解明である。

 8種類の共通点は、コウモリである。人間に感染するコロナウィルスはすべてコウモリに起源がある。

 コウモリは、生きた動物を売り買いする市場や、動物小屋の動物に接することで、間接的に、コロナウィルスを人間界に拡散させたのだろう。

 「OC43」は、18世紀に牛から人に移ったと推定されている。
 「MERS-CoV」は、ラクダから人に移った。

 くだんのギリシャの女教師はさいわい、ヴェンチレーターの世話にもならずに快癒した。2年後に胸部X線写真で確認したら、肺もすっかり健康に戻っていたという。めでたし。

 マキントッシュいわく。コロナウィルスのRNAは、動物に感染するすべてのウイルスのうちで、ゲノムがいちばん長大です。したがって未解明の謎も多いわけです。

 次。
 JENNIFER SINCO KELLEHER 記者による2020-4-12記事「Guam worries as sailors from virus-hit aircraft carrier take over hotels」。
     グァムに碇泊中の空母『TR』は4865人の乗組員が新コロテストを受け、かつ、下船。4-9時点で580人以上の者が陽性判定され、1人は入院した。※この1人は4-13に死亡した模様。

 陰性判定された1700人以上の水兵が複数のホテルに隔離されている。

 グァムのワイキキと言える「テュモン」地区に住んでいる人(グァムは米領であり、皆、米国人である)いわく。その隔離水兵たちがどこに隔離されているのかが住民には明かされていないので、こっちは、えらい心配だ。

 グァム島のホテル&レストラン協会の会長さんいわく。どこだと話すわけにはいかぬが、ホテル10棟が隔離用に提供されている。最大4000名の海軍将兵を個室に案内できる。7つのホテルはすでに一般客の新規予約受付を停止している。

 グァム島の面積の三分の一は米軍の管轄下であり、これまでもグァムの民間ホテルは軍人たちを普通に宿泊させてきた。

 隔離個室には、リネン類は置いてあるが、2週間の隔離中、ホテルの従業員は一切サービスしない。水兵たちと接触するのは、憲兵と、医療チームのみに限定される。

 ホテルの厨房職員たちのためには、海軍から、マスク、手袋などのPPEが送り届けられた。従業員が料理を作り、それを、憲兵と衛生兵が各室まで届けてやる。

 ※今回の新コロにやられて味覚・嗅覚が狂った人たちは、鼻や舌の感覚もいつか全快するのだろうか? それとも、完全恢復は無理? もしそうだとしたら、プロの調理人や、テイスターたちは、こいつに罹ったが最後、転職するしかないのか? ベートーベンは重度の難聴にめげずに第九を完成したが、創作菓子職人は、いったいどうしたらいい?

 グァム島内では、海軍とは関係ない人々123人が、新コロ陽性。そして5人が死亡している。

 このたび海軍は、300室以上ある大規模ホテルだけを押さえた。これは、他の弱小ホテルにとっては、行き場をなくした利用客を吸収できるチャンスになった。

 次。
 Valerie Insinna 記者による記事「Commercial aircraft industry’s woes could help Air Force pilot retention」。
      これまで空軍のパイロットがどんどん早期退職して民航会社に就職してしまう流れが止まらなかったが、新コロ騒ぎで民航が軒並み倒産の危機に直面し、民間パイロットの給与待遇が悪化すると想像されるので、軍のパイロットが退職を思いとどまったり、民間から再び軍に戻ってくるパイロットが増えるのではないかと、期待されている。

 「ジェットブルー」社と「サウスウェスト航空」はいちはやく、新規採用を停止した。「アメリカン航空」は従業員たちに「休職(leave-of-absence)オプション」を提示中である。

 次。
 David Rotman 記者による2020-4-8記事「Stop covid or save the economy? We can do both」。
       感染を放置した方が早く経済は回復するという考えが一部米国指導者の中にあるのかもしれないが、それは間違っている。

 死者が出すぎると、生き残っている人たちは、非常に用心深くなり、流行がおさまっても、もうレストランを利用しないし、旅行で飛行機に乗ろうとも思わなくなるはずだ。

 ※経済活動および勉学の「時間」と「場所」を徹底的に分散することにより、1国内にあるICUにいちどに担ぎこまれる総人数を、長期にわたって、一定線以下に抑制し続けることができるはずだ。そうやって経済と感染抑制のバランスをはかり続けるしかない。まずは、「土曜日と日曜日を廃止する」ことだ。すぐにできるんだから。

 1918のインフルエンザのとき、クリーヴランド市はすぐに学校を閉鎖し、人の集まりも禁じ、その措置をずっと長く維持した。これに対してフィラデルフィア市の対処は遅く、諸制限措置の期間もクリーヴランド市の半分で終わらせた。結果、クリーヴランド市では人口10万あたり600人が病死。フィラデルフィア市では人口10万あたり900人が病死した。そして1919年の雇用伸張は、クリーヴランド市が5%だったのに対して、フィラデルフィア市は2%だった。

 つまり、ロックダウンをしっかり続けた方が、経済回復は良くなるのである。

 経済回復のためには、簡単に手早く判定可能な新コロ検出キットが不可欠だ。それが全住民分、いきわたれば、人々は自発的に自分で陽性か陰性かをテストする。陽性なら自宅に籠もり、陰性なら2週間は出歩ける。出歩くときには陰性の結果を示すシートを携行する。そして2週間したら、ふたたび自分で判定テストする。それだけの話だからだ。
 ようするに「マッシヴ・テスト」ができるかどうかが鍵になる。

 現状では、病院用の検査キットすら足りていない。
 一論者いわく。政府が大金を突っ込むべきところは、まさにここなのだ。1000億ドルをつぎ込めば、全米の住民に必要な検査キットを製造できるから、と。


(以下、管理人より)

 おめぐみを……。


全国の駐屯地業務隊は「カーテン状ミスト・シャワー」発生装置を自作するを可とす。

 シリコンウェハース製造工場の入り口には、入場者全員の清浄服の表面からダストを掃い落とす「エア・カーテン」装置があるだろう。

 あれの「mist(霧)」版をこしらえるのだ。

 噴流はダウンバーストのみとし、天井近くの配管から下降せしめる。
 ただし、面的な下降バーストではなくて、あくまでカーテン状に、あるいは「薄壁」状に、ミストがしずかに下降するようにする。
 なぜならこのように作れば、どうしても水で濡れたくない人のための便宜も図りやすい。

 10秒ごとに数秒間、間歇的にミストを止める仕組みとしてやれば、人は、その隙に、濡れずに通過できる。

 このカーテンの長さを長くすれば、大ホール内にミスト壁のパーティションをつくることもできるだろう。ただし、ミストが落ちてくる床部分には、排水溝と有孔蓋とが不可欠だが……。

 頭上から降りそそぐ霧の中にレジオネラ菌でも混ざっていたら装置の意味は無くなるので、配管の途中に超音波や紫外線等による水の滅菌プロセスを介在させるべきかもしれない。しかし、それは後付けでもいいだろう。

 線状(面状)の下降ミストからなる、人間が透過可能な仕切り壁は、広い集会場内の空気中に浮遊しているかもしれないエアボーン・ウィルスの水平移動を、抑制するだろうと想像できる。

 また、作動中は逐次に、その会場に浮遊する有害微生物やダストを無差別に漸減してくれるだろう。花粉や黄砂や有害微粒子も徐々に取り除かれるはずだ。そして気休め程度かもしれないが、いくぶんかは、NBC人災時の避難者防護の役にも立つだろう。

 したがって、この装置を自衛隊の各部隊で自作することには、公共の安全に貢献する意義が認められる。
 各部隊でそれぞれの工夫を試みることによって、あとでその実用所見を綜合すれば、望ましい改善点も把握できる。
 その知見を公表することによって、日本国全体、さらには全世界の人々の安全を増進できるだろう。


旧資料備忘摘録 2020-4-13Up

 ※いつ病気にかかって死ぬかもわからん時世になってきましたから、中断していたこの作業も少しづつ進めて参りましょう。誰かの何かのお役に立ちましたなら、幸甚です。

▼(財)国民経済研究協会『基本国力動態総覧1954』S29 ※国会図書館にある。
 その14ページの表から抜粋。
 以下すべて、昭和6年から20年までの数値である。データの出所は、第一、第二復員局。※すなわち旧陸軍省と海軍省。

陸軍の小銃の生産数。S6に3613、S7に1060、S8に2262、S9に2808、S10に7069、S11に25498、S12に42754、S13に168269、S14に249619、S15に448940、S16に729391、S17に440000、S18に630000、S19に826749、S20に209337。

陸軍のMGの生産数。S6に541、S7に1103、S8に3103、S9に2455、S10に2969、S11に2384、S12に2295、S13に8371、S14に13790、S15に17033、S16に14500、S17に21906、S18に21746、S19に19344、S20に4751。

陸軍のAAの生産数。S6に32、S7に18、S8に170、S9に73、S10に72、S11に112、S12に105、S13に129、S14に147、S15に293、S16に500、S17に644、S18に1514、S19に1031、S20に218。
   ※高射砲は昭和18年がピークだったと分かる。

陸軍の歩兵火砲の生産数。S6に50、S7に241、S8に420、S9に12、S10にゼロ、S11に116、S12に171、S13に471、S14に613、S15に1448、S16に1200、S17に2623、S18に2240、S19に1150、S20に198。

戦車の生産数。S6に12、S7に21、S8に70、S9に112、S10に359、S11に328、S12に325、S13に287、S14に562、S15に1023、S16に1024、S17に1165、S18に776、S19に352、S20に94。

装甲車の生産数。S6データなし、S7データなし、S8に42、S9に49、S10に44、S11に32、S12はデータなし、S13はデータなし、S14はデータなし、S15データなし、S16データなし、S17に88、S18に505、S19に385、S20に126。

牽引トラクター生産数。S6データなし、S7に1、S8に20、S9に18、S10に76、S11に55、S12に97、S13に76、S14に116、S15に468、S16に919、S17に1481、S18に870、S19に789、S20に105。

海軍の艦砲の生産数。S6に108、S7に100、S8に99、S9に121、S10に108、S11に156、S12に136、S13に127、S14に159、S15に154、S16に178、S17に248、S18に685、S19に1153、S20に89。

海軍の高角砲の生産数。S6に130、S7に110、S8に115、S9に110、S10に90、S11に120、S12に130、S13に140、S14に140、S15に169、S16に159、S17に303、S18に934、S19に1004、S20に255。

海軍の機銃の生産数。S6データなし、S7に100、S8に260、S9に360、S10に600、S11に950、S12に1350、S13に1965、S14に2740、S15に3590、S16に10165、S17に15015、S18に34305、S19に86170、S20に20395。

艦艇から発射する魚雷の生産数。S6に260、S7に350、S8に300、S9に250、S10に220、S11に170、S12に250、S13に270、S14に350、S15に400、S16に900、S17に1100、S18に1400、S19に1700、S20に530。

航空機用の魚雷の生産数。S6に7、S7に53、S8に102、S9に150、S10に193、S11に237、S12に308、S13に379、S14に450、S15に471、S16に710、S17に1200、S18に2340、S19に8633、S20に1562。

陸軍の大発の生産数。S6~S11はデータなし。S12に50、S13に100、S14に180、S15に250、S16に300、S17に555、S18に1389、S19に2849、S20に603。

自動車の生産数。S6データなし、S7データなし、S8に20、S9に30、S10に21、S11に65、S12に57、S13に59、S14に125、S15に272、S16に503、S17に442、S18に615、S19に725、S20に105。

▼三島康雄『第二次大戦と三菱財閥』S62
 昭和初頭の造船大不況。このときディーゼル船ブームあり。

 三菱の長崎造船所は大正時代にズルツァーの舶用ディーゼルを導入し国産化した。

 第一次戦時標準船(型)……貨物、タンカー、バルク等、19種類。

 89式艦攻の基礎設計は英国人。
 S7に、13式艦攻と3式艦戦の変体が、敵の1機のボーイングP12複葉機に翻弄されてしまった。それで設計を国産化した。

 烈風は、試作担当の空技廠と、生産担当の軍需廠の間の喧嘩になり、紫電改の生産に変更された。

 94式軽装甲車は、歩兵に弾薬を届けるクルマ。
 ヴィッカース輸入戦車はしばしば火災。
 上海戦でもガソリン車は自燃事故を起こした。

 ドイツ製の水冷のディーゼル・トラックにも陸軍は刺激された(p.120)。
 S9に、空冷国産戦車用ディーゼルのA6120VDができ、終戦までに2100台、量産された。

▼『戦国策国字解』上・中・下巻(大6)
 曰 とあれば、オリジナルではなくて、古語を引くという意味。
 友崩れ ……パニック。
 四時=四季。
 予=与える。

 下卒には飛び道具を持たせ、上卒には短兵を持たせる。

 徂徠の註。倭国にしては、大抵、1日5里づつにて陣を取るを常法とすべし。※陣は夜営のことか。
 徂徠の註。乱妨は名将の好まぬことなり。

 塗 =道路。
 巻甲 ……具足を畳んで荷駄に載せる。

 経 とは、不動の骨幹のこと。
 民 とは、イコール 兵隊のこと。百姓を動員したので。古代シナにプロ士卒はないのである。

 権 とは、左右にずらして軽量する錘り。

 勢  徂徠によれば、臨機の措置のこと。

 孫子十家註は、宋の吉天保がエディットしたものを、清の孫星衍が更にエディットしたもの。諸説を網羅する。

 丘  ……大きい。

 戦と攻  ……野戦と攻城戦。

 黄石公三略は、本旨が老子から来ている。柔能制剛、弱能制強 などは典型。

 六韜は、漢書の芸文志の兵家に著録されていない。初めて載るのは隋書経籍志 である。本文中に「避正殿」とあるのは、戦国以後でなくてはならない。また「将軍」という字は、左伝より以前にはない。周の初めにその名詞はない。日本へは、宇多天皇より前には来ただろう。韜とは、弓や剣を収納する袋のことである。

 ※ネットで補う。銀雀山にて、1972年に六韜の竹簡が出土した。残片で、文韜、武韜、豹韜などだけ。しかしこの出土により、六韜は、早ければ周の顕王の時代、遅くとも漢初には書かれたと断言できるようになった。それまでは、六韜も尉繚子も唐宋以降の捏造じゃないかと思われていた。

 シナでは、始皇帝のときすでに、殿中では無刀。
 備えは杉なりになる、と教えているのは徂徠による孫子九変の註。
 先頭の横一線は接敵のとちゅうで勇怯が生じて鋸歯状になってしまう。

▼朴鐘鳴・訳注、姜沆[カンハン]『看羊録』、東洋文庫1984
 驢(ろば)、騾(らば)、【施の方を馬ヘンに】(らくだ)、象、孔雀、鸚鵡は、毎年絶えることなく運ばれて来ます。そして、家康らは、通例として、金銀や槍・剣で高価な支払いをします(p.228)。

  ※ロバはしっかりと日本に輸入されていた。

▼本阿弥光遜『近代戦と日本刀』S18-7
 軍刀を近代に使うなら2尺1寸から1尺9寸がよい。それ以上は行軍で甚だ疲労するし狭いところでは邪魔でしょうがない。元亀天正の備前長船も、ちゃんと2尺1寸がメインになっている。陸軍の新作刀も、2尺1寸である。

▼欧亜通信社『日露年鑑 昭和十九年度版』S18-12
 ボルガは水位差がないので発電できない。
 泥炭は、カロリーが低いので、蒸気機関車で輸送しようとすれば、機関車燃料で赤字になる。
 ウラルの工場を稼働させるためには、コーカサスの石油か、ドンバスの優良石炭が、どうしても必要なのである。※とすればスターリングラードを目標にするのは正しいことになる。

▼小宮山綏介『呉子講義』
 いわゆる「勝テ冑緒ヲ粛ス」というがごとし(p.407)。

  ※勝ってカブトの緒をしめる、には、何か漢文の典拠があるのか?

▼木村毅『旅順攻囲軍』1980
 木村は1979死、83歳。
 M39に13歳だった。旅順が落ちたとき、国民は嬉しさに泣いた。

 電気を利用した遅発地雷をロシアはしかけた。南山の鉄条網の一部にも、通電していた。

 ブーンと鳴るのは、速力が弱まった破片だ。
 ピューンと高い音は、高速の破片。ただし横向きだとヒューとなる。
 キュ、キュ、キュというのは、被套が飛んでいるのである。 ※榴霰弾のケースか?
 カッサ、カッサ……は、銅帯が、はげかかっている。

 8.22の盤竜山攻撃で、津田錠次郎軍装が、爆薬を2つ木綿で包んで縛って、敵に投げつけた。それが手投爆弾の使い始めだと、当時大尉の、林銑十郎が請け負っている。

 Nogi は露語で馬の脚の意味になるので、ロシア宛の文書ではNoghiにしていたという。

 マカーカ。露語で猿。日本兵のこと。

 坑道工兵は、3~5人づつ足を綱で結び、生き埋めに備えた。
 東鶏冠山北砲台まで1里トンネルを掘った。1日2尺しか進めぬときもあり、4ヵ月かかった。

 導火纜……発破の配線。
 白熱点火器で、綿火薬600貫目=2250kgを炸裂させた。 ※次の資料ではTNTとしてあるのだが、日露戦争中にTNTがあったらすべての榴弾にそれを使ったはずなので、こっちが正しいのだろう。

 神籌鬼謀の児玉将軍。

▼『火薬ハンドブック』共立出版 1987-5
 RDXなどの高性能炸薬は、溶填できない場合がある。特に5インチ以下の艦砲砲弾。プレスを用いて、粉状や粒状の爆薬を圧搾して充填する。

 ピクリン酸の爆速は7350m/秒である。

 チャネル効果。多数の孔をあけて発破をかけたとき、空気中を伝わる衝撃波が先に隣の未発爆薬に到達する結果、そっちの爆発が不完全になったり、爆轟が中断してしまう現象。

 明治37年12月18日午後2時15分。東鶏冠山北堡塁の下まで掘った坑道、敵陣の真下に装薬室を儲け、TNT2トンを爆発させた。この坑道の掘進のときに、英国ノーベル社のダイナマイトを用いた。
 ダイナマイトを輸入に頼っていてはいけないというので、1905-1に群馬県の岩鼻の陸軍火薬製造所内にそのラインを建設着工した。ライン完成は同年12月。すぐに民間用に売りさばかれた。

 1917年、浅野カーリット株式会社が、横浜の保土ヶ谷で製造開始。戦後の、日本カーリット保土ヶ谷 である。
 1933に、昭和火薬株式会社が、千葉県の興津で、カーリットの製造開始。

 黒色火薬は、石材採取用としてはいまだに必須の火薬である。

 導火線から電気発破への遷移は、敗戦後に始まる。導火線使用のピークはS30で、以後漸減。現在、発破にはまず使われることはない。

 発射薬には、明治末時点では、陸軍がフランス製シングルベース、海軍は英国製ダブルベースを用いた。貯蔵安定性が悪く、爆沈事故を起こした。
 大6からダブルベースを国産。
 硫酸カリウムを添加すると、砲口炎は抑制される。

 過塩素酸塩および塩素酸塩は、工業塩=食塩を電解酸化することで製造される。過塩素酸アンモニウム(過安)は、高純度だと、雷管のみでは起爆できない。有機物と混合することで、感度の高い爆発物となる。強酸との接触で発火もしくは爆発することもある。

 アルミニウム粉は、表面をステアリン酸などの撥水物質でコーティングすることで、水と反応しないようにしてある。

 黒色火薬は、何年でも安定的に貯蔵できる。硝安のように水をどんどん吸うことはない。

 カーリットは、1896にスウェーデン人カールソンが考えた 過塩素酸アンモニウムを基材とし、粉状。
 JISでは、過塩素酸アンモニウムを10%以上含むものが、カーリットである。
 坑内用のカーリットと、坑外用のカーリットが市販されている。後者は露天採掘用。一酸化炭素が出る。

 工業塩を電気分解し、過塩素酸ナトリウムとし、それに硫酸アンモニウムを加え、複分解する。真空中で加熱すると、150℃で分解を始める。あまり高温にすると燃焼し、さらには、爆発する。乾燥して1粒を15ミクロン以下に砕かないと、製品にはならない。つまり粉末である。
 カーリットには、硝安、木粉、澱粉、重油、珪素鉄、敏感剤が混和される。

▼東大地震研究所(那須信治教授)『大型爆弾試験報告 第8号~第11号 合冊』S18-11 マル秘 ガリ版

 第8号。
 掩壕内の飛行機(98軽爆)は、500kg爆弾の爆風で中破~大破する。
 家作は、1階と2階の継ぎ目が最も変形しやすいので、そこを強化するべきだ。

 日本製250kg爆弾は、2m内での衝撃破壊力は米製250kg爆弾に劣る。しかしそれ以遠の爆風は、米製に勝る。

 爆弾孔には有害量の一酸化炭素が残るのではないか、調べたが、その疑いは除かれた。

 第10号。
 最近、敵は「瞬発弾」を使うようになった。電気通信施設の防護のためにどうすればいいか、データを得たい。特に、無線用の大型真空管を爆弾の衝撃で割られると、供給が困難なので……。

 架空の線条に対しては、1000kg爆弾は、距離100m以内で被害距離となる。
 〔地下〕ケーブルに対しては、1000kg爆弾は、距離50m以内で、被害距離となる。

 架空線に対する威力は、薄肉爆弾の方が、制式爆弾〔GP爆弾〕より、低い。8割くらいとなる。※おそらく破片が少ないため。
 地下線は、直撃されない限り、事実上、無被害だと判った。

 第11号。
 爆風による送電線の混触は、少ない。※サージ短絡被害。
 100m以内の爆発だと、弾片による被害が大きくなる。

 日本製250kg爆弾片と500kg爆弾片の水平方向の死角は、地面から6度である。※伏せていれば安全。
 米製250kg爆弾片と500kg爆弾片のは、6度弱である。1000kg爆弾の死角は3度しかない。
  ※アフガニスタンで1トン爆弾=2000ポンド爆弾がゲリラに対して威力があった理由か。

▼源了圓『近世初期実学思想の研究』S55
 羅山は、秀忠に命によって、漢書、六韜、三略を講義した。慶長12年。
 寛永3年には、やはり秀忠の命令で『三略諺解』をつくった。
 武士たちにとっては、四書五経より頭に入った。羅山は四書五経を講義したかっただろうが。

 羅山は、三略の解説を通じて、朱子学的な心による支配を、説こうとした。

 羅山は、秀忠に六韜を進講したとき、利と義について解いた。
 羅山の慶安元年の見解。易にいう如く、利とは義の和なり。 ※逆なり。義とは利の和なり。

 孔子。国を為[おさ]むる者は、食を足し、兵を足す(論語顔淵篇)。教へざる民を以て戦ふ、是を之を棄つと謂ふ(論語子略篇)。

▼溝口雄三『公私』1996-12
 忠、孝に訓音がない。この語が日本にはいってきたとき、それに該当する観念が存在しなかった。
 かたや、公にはオホヤケという訓読がついた。その観念があったのだ。

 物部連 など「連」系の豪族は、天皇家直属の豪族で、半島からの渡来人が多い。
 蘇我臣 など「臣」系の豪族は、古来、各地に蟠踞していた土着の豪族。天皇権力の前からいた。

 日本語の「わたくし」が一人称として普通にもちいられるようになったのは室町時代から。

 シナ文革中の「大公無私」というスローガンは、反社会的な利己心を捨てろという意味で、個人が命や財産をさしだすことを要求していない。これに対して日本の「滅私」は、まさに基本的人権の私権や自由の放棄を迫るものである。

 天皇は最高位の「おほやけ人」なので、昔も今も、姓がない。民に姓を与える立場で、みずからは姓というわたくしを超えた存在。
 シナでは逆に、公は天下万民の側にあり、皇帝は百姓のなかの一姓でしかない。天下万民の総意を体現しているので、君臨がゆるされる。

 呂氏春秋いわく。天下は一人の天下に非ず、天下の天下なり。

 シナでは、私人の共同出資による会社を公司というのである。

 シナでは職場は神聖ではない。ゆえに、子連れ出勤もOK。

 日本では、兄弟は他人の始まり。将来は競争相手になる。
 シナでは、兄弟間の競争はゆるされない。それは徹底的に抑制されねばならない。その目的のために危険視されたのが、各人の嫁。だから、嫁の自家族愛は「私」であるとして抑圧された。

 機械でマスプロするより、むしろ数千人に単純作業の職を与える方が仁政であると支那官僚は考える。だから資本主義にはもともと向いていなかった。

▼中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』イワブン1984-3
 ※プレミア100円増しの古書を1998-12に購入した。

 延享年間の脚本。「手附倍損」のルールがすでにあった。手附受領者が解約する場合には、手付金の2倍額を返して謝る。

 「敷金付の女房」。日本永代蔵に出る。醜女をかたつける方法。離縁する場合、返金しなければならない。

 婚姻の媒人は、敷金の十分の一を、その報酬として受けた。
 元禄時代にはもう、大阪に、結婚媒介所の機能を果たす「仲人屋」があった。

 中田の見解(穂積の認識に逆らった)。日本では「祖名」を相続するのである。支那では「祭祀」を相続するのである。
 祖名とは、「家名」のこと。これが続けばよいのだとするのが日本。だから富豪も名優も○代目××、と名乗る。
 支那では「廃家再興」なんてありえない。

 日本の古代の天皇に、もし御嗣がなければ、諸国に部民を置いて、その御名を負わしめ、それが万代伝わることを期待した。

 封建法は、部下領主の相続に介入する。ぜったいに部下領主の勝手にはさせない。
 武士は、遺言によって俸禄を複数の子に分割相続させることは許されなかった。すなわち法定相続のみを強いられた。
 町民は逆で、遺言で何でもできた。

 徳川時代の庶民の相続は、分割相続。けっして、単独相続ではない。ところが今日の民法は、まるで封建制時代の俸禄の相続法そのものである。不思議でならない(p.223)。

 ゲラーデ。ドイツの妻の個人所属財産は、夫の干渉をうけることなし。女性から女性へ相続可。

 巻末解説。中田は、モンテスキューの『法の精神』に刺激されて、こういう研究を深めた。律令法のあとがまの日本の固有の法制は、欧州フランク時代の法制に酷似する。現代民法がローマ法準拠であることと大きなへだたりがある。

▼『鴎外全集 33』S49 岩波書店
 M27頃の半島の道路は、車が行けるところはほとんどなかった(pp.4-7)。

 白兵[ブランケ・ワッフェン]の元祖はザクセンのSelminitz大尉である。プロシア銃剣術は1844に興った。フェンシングをやりすぎると背骨が曲がり、右半身の筋肉ばかり肥大する。

 「普通教育の軍人精神に及ぼす影響」の「智の作用」の段落に、クラウゼヴィッツの解釈と思われる部分が……(pp.701~)。

 当時の新聞が、外国軍のビスケットはよい、日本軍の米飯はだめだ、と言っているのに反論。コメの方が保存できるし、炊事道具も小さくて済み、堅パン常食の胃腸負担もないのだ(pp.725-6)。

▼『鴎外全集 34』
 「北清事変の一面の観察」……帰還者の報告に基づく感想。M34-12-23の講演。
 ドイツ兵は、裏面で、敗徳汚行が甚だしい。
 日本軍は、かつて模範としていた欧州兵を買い被っていた。尊重しすぎた。

▼久保田競ed.『脳の謎を解く 2』1995-3
 アメリカの優生運動はナチスより年季が入っている。20世紀初頭、精神薄弱と犯罪性格は遺伝すると信じた多くの州で、次々に「断種法」が制定された。性犯罪者など数百万人が強制的に断種させられている。

 スウェーデンでは1941から1-75まで、1万3000人が強制断種されている。これは1986にジャーナリストがあばいた。両親のどちらかが精神的に欠陥をもっていれば、それだけで断種は正当化された。

 カリフォルニア大学のA・R・ジェンセンは、1968の論文で、米黒人のIQが白人より平均15ほど低い。これは環境の差ではなく遺伝だから、補習授業よりも専門的職業訓練を用意した方が善いはずだと。

 性行動に関係する、内側視索前野(視床下部)の神経核は、男性の方が女性よりも大きく発達している。
 おそらくホルモンの差が引き金になる。
 母親が妊娠の初期に、血液のなかにふつう以上の男性ホルモンがあると、胎児(♀)の脳が男性の脳のように発達し、人形遊びに興味を示さない。
 反対に、母体がストレスにさらされると、血中の男性ホルモンは減り、胎児(♂)の脳は女性化し、人形遊びを好むようになる。長じては同性愛傾向も(pp.39-40)。

 パーキンソン病の治療法として、メキシコで、中絶した胎児のドーパミン細胞を患者の脳内に移植するという試み。全く運動できなかった人が、スポーツができるようになった。

 ストロボ刺激による癲癇性異常脳波の誘発には、10ヘルツから25ヘルツ(特に15~20ヘルツ)の点滅が最も有効。小さな光源よりも、全周からの光で網膜を広く刺激してやるとなお効果があるという。
 この現象は、欧州でモノクロテレビが普及するとすぐに報告されるようになった。日本で報告例が少ないのは、テレビジョンの画像構成の規格が異なるからだといわれた。そして、カラーテレビにきりかわると、欧州でも報告例は稀になった。

 分裂病は「脳の病」であって、決して「精神の病」ではない。
 欝病のとき、平均55分でレム睡眠が現れる。正常の人よりも、すぐに、睡眠がレム化する。

 全身の血圧が低下しても、脳には優先的に血液が送り込まれるようになっている。

 夜行動物は嗅覚が大事。夜行性動物に社会は必要ない。
 前頭連合野や、側頭連合野が障害されると、サルでもヒトでも社会関係をうまく営めない。
 霊長類でも、果実をよく食べる種類は、そうでないものよりも、より大きい脳をもつ(体重と比較して)。

 今はブローカ中枢といわず、ブローカ野という。

▼『講座・比較文化 第5巻 日本人の技術』吉田光邦「戦争の技術」
 日本書紀・天武天皇14年11月の詔。民間に、弩[おおゆみ]、抛[いしはじき]の類をおくことを禁ず。郡家に収めさせる。ただの弓はこのカテゴリー外。

 日本で弩が廃れたのは、青銅の引き金部がつくれなかったから。

 明は倭寇に渡る武器を減らすために、10万本の日本刀を輸入した。粗悪品であった。

 鉄砲伝来とともに、刀身はどんどん短くなっていった。戦国期には最短の1尺9寸になる。

 フランキとは、フランクス=独・仏・スイス のことで、当時、彼らがポルトガルに火砲を売っていた。青銅原料の銅と錫が、該三国に偏在していた。

 ペリーショックで「堅船利砲」が叫ばれたが、間に合わず、輸入品をあらそって求めた。

▼ジム・ヒックス著、屋形禎亮tr.『ヒッタイト帝国』1977
 旧約のなかに、エプロン、ウリアという2人のヘテイ人が登場する。

 セム系ではなかった。最古の、印欧語族。

 BC1650頃、バビロニアの楔文字と、オリジナルの象形文字を混合している。
 キツネ目のレリーフが残っている。並んでいるリビア人、シリア人も同様だが。

 ヒッタイト人は背が低く、ひたいは後傾し、カギ鼻で、先のとがってめくりあがったブーツ。

 3座戦車は、ヒッタイトの発明品だった。
 最古の立憲君主政体だったという学者も。

 BC1200、とつぜん、帝国は消滅した。生き残りのヒッタイト人は、BC709にアッシリアの支配下に。

 双頭の鷲は、ヒッタイトのオリジナルデザイン。

 文字は意味は解読されている。発音はまったくわからない。
 羊がヒッタイト経済の中心だった。

 ヒッタイトの弓矢は青銅鏃、木+角+腱をバインドした弓(p.75)。
 輜重は、ロバと牛車。何週間も攻囲することができた。

 カデシュの戦いでは、脱走兵を使い、町からはるかに離れたところにいると思い込ませて、エジプト軍団のひとつを罠にかけて包囲した。
 けっきょく、引き分け。

 エジプト本営は、楯を並べて防御したが、ヒッタイトはTKで突破した。

 ヒッタイト法は、ハムラビ法やイスラエルの律法よりも人道的である。
 占いは内臓卜占。

 ヒッタイトは急襲され、完全に焼かれて消えた。
 新ヒッタイト人は、娯楽好きの、のんきな民族だった。

▼『梅原猛著作集 9 塔』1982
 五十三という数字には、南インドの華厳思想のルーツがある。華厳経の「入法界品[にゅうほっかいぼん]」に、善財童子が53の浄土を巡ったとある。

 佐伯好郎博士(1871-1965)は、明治41年に『地理歴史』という雑誌で「太秦(禹豆麻佐)を論す」を発表。いわく。広隆寺内にあった「大酒神社」は、もとの名が「大辟の神」で、それは大闢だいびゃく=ダビデの支那字であって、要するに景教の神社である。そこには井佐良井[いさらい]という井戸があった(源氏物語にいさらゐと出るという)が、それはイスラエルだ。
 また、ウズマサ は太秦と書くが、この支那語はシリア地方を指す。唐の景教碑にそれは出ている。
 佐伯氏いわく、うずまさという姓を雄略天皇からさずかった秦氏はイスラエルの遺民ではないか。
 秦氏は百済→新羅を経由して日本に来たとされているが。

 万葉集には蝶の歌がない。

 『家伝』によれば、藤原鎌足は、『大公六韜』を暗誦するほどによく読んでいた。

 『古事記』の存在が一般の人に知られたのは、南北朝の頃であった(p.225)。

 敏達14年に蘇我馬子は、大野の丘の北に塔を建て、舎利を塔の柱頭[はしらかみ]に蔵めた、という。書記によれば、日本最初の塔建築。
 書記はこの塔を「刹の柱」といっている。それは古代日本人にとって、塔であるより、柱であった。

 「前方後円」という表現を最初につかったのは、蒲生君平(1768-1813)の『山稜志』。「その制たるや、かならず宮車をかたどり、前方後円ならしむ」「めぐらすに溝をもってす」。

 宮車の形を持つ古墳は、9代開化天皇~祟神天皇の頃から始まり、30代敏達までおよぶ。この時代がいわゆる古墳時代。

 梅原いわく、古墳が巨大になったのは、高く盛るためには土台を広くせねばならなかったから。とにかく高くしたかった。

▼今日の話題社『太平洋戦争ドキュメンタリー 第五巻 老潜水艦出撃す 他七篇』S43-3
 双発戦闘機(2式複戦・屠龍)は、単戦と違い、一度安定を失うと、回復が困難だった。夜間訓練中、光芒に幻惑されて、昼間のような錯覚に陥ると、海中に突っ込んでしまう。

 B-29は、普通は9~10人乗りだが、編隊長機には12名も搭乗していた。

 爆弾はMaxで4トン。その場合、行動半径は2200kmに減る。日本本土まで往復するなら2トンに減らす。それで片道2700kmになる。成都から、かろうじて往復可能だ。

 対B-29の双発戦闘機は、翼長の三分の一付近までタンク。そこに12.7ミリが命中すると確実に火災になった。ほとんどがこの火災のためにやられた。

 艦載機をともなう昼間の大空襲のときは、部隊は、朝鮮の大邱基地に退避し、夕刻に、小月に戻って夜間空襲に備えていた。

 海軍の大村飛行場は、一面が地質の固い草原。48機が一度に編隊離陸することも可能だった。

 投下器取替え作業。薄暗い格納庫。中腰。螺止を外したり、つけたり。螺止はほとんど甘くなっていて、一箇所とめれば、一箇所がズレて合わない。無理に回すとネジ山をこわす。同じネジのはずなのに、その機以外には合わない。規格が揃っていないのだ(p.193)。

 飛龍艦攻隊の証言。
 進撃序列は、発艦順とは逆で、先頭が艦攻。その後ろ上方1000mに艦爆隊。その上方に零戦が掩護の位置につく。
 これは空母に戻るときに、艦攻が嚮導する力が優れているから。戦闘機は、母艦直属の駆逐艦に電波を輻射してもらって、機の無線方向探知機を使って帰投するしかなくなる。これは近くに陸地がない場合の最後の手段だが。

 着艦順は、零戦、艦爆、艦攻。
 艦攻でも6時間飛ぶともう尻が痛くて堪えられない。

 鹿屋で陸軍重爆が海軍に所属した頃の話。通信員は、電信員と海軍風に名を変えた。基地からの外出・外泊は海軍の方が簡単にできたので、海軍に志願すればよかったと悔やまれた。味方潜水艦は、識別として白線を描いていた。

▼『30年式歩兵銃効力論』M35 元真社pub.
 公算誤差学という、確率論的アプローチの数式、多数。
 距離2000mでは、平均して垂直に161.2cm、水平118.0cmの誤差があった。

 M32に下志津原で100発射ったら、25発が地面で跳弾となった。

 仏は動物実験でライフルの対人貫徹力を求めた。
 それを30年式にあてはめると、400m内なら4人を貫通できる。1200m内でも2人貫通できる。相互の間隔を50センチとして。

▼東京軍需商会『歩兵機関銃問答』M41
 薬莢ちぎれ対処法や、抜弾法を指南している。
 エキストラクタースプリングには強、中、弱(甲乙丙)あり、初めは丙を使う。薬室が変化して抜きにくくなったら、乙、甲と替えていく。

 弾薬箱は、均等に軽くなるように消費しろ。

 保弾板の曲がりを直す「保弾鈑修正器」があった。
 寒いときにはいきなり連射してはならない。
 保弾鈑をたてつづけに挿入すると、接合部でジャムるので、間隔をあけろ。

▼防研史料(中央/典範/迫等/41)「各種迫撃砲関係資料綴」 S18頃?
 94式榴弾は、茶褐直接熔融 1072グラム。
 全5.260kg、6包+で全5.410kg、6包での標準腔圧は470kg、6包での装薬量は99グラム。
  ※96式中迫の詳しい開発導入経緯も記載されている。

 150ミリ迫撃砲。
 重迫としてS7-4に造ることに。
 S12-7でもまだペーパー段階。

 97式曲射歩兵砲は、S12-7-21に「ストークブラン」をコピーして、今より軽い大隊砲にしようと開発開始。
 放列全備重量 65kg。
 S12-5、設計着手。6月、大阪工廠へ試製発注。
 S12-11、試製完了。

 歩兵学校は12月に二度テストし、13年5月に結論。
 大隊砲の代わりにはできぬ。
 しかし駄馬編制師団の大隊砲 または 一般歩兵聯隊の増加装備歩兵砲としてならいいだろう、と。
 12年度北満冬季試験の成績は良好。
 径81.3ミリ。バレル長1.229m。

 弾薬。榴弾は3.285kg、重榴弾は6.240kg。
 レンジ。榴弾は2800m、重榴弾は1100m。
 高低 45~85度。
 放列砲車重量 67kg。

 撃針は固定だが、不発のときは、後退させられる。そののち、取り出す。
 滑腔である。
 脚に連結架あり。反動ショックを緩衝するジョイントになっている。
 床板に駐鋤があるのは、凍結地を考えてのこと。

 「試製中迫撃砲用十五年式駄馬具」。
 一馬は、134.710kg~157.410kgを負担す。
 輓索は、奇数馬(五頭分)に附随するものとす。

 97迫(81.3ミリ)
 撃針は、0.0025ミリ突出している。
 床板は15.1kg。
 放列砲車重量 43.4kg。

 ※81.4ミリとする資料もある。

 120ミリ迫の駄載では、砲身馬、脚馬、床板馬、属品馬、弾薬馬に分担。
 いずれも、むきだしではなく、第一~第三「積載箱」に収容する。

 2式重榴弾(12迫)。弾量19.640 (TNT不明)
 2式榴弾。弾量12.760 (TNT2.720kg)

 「十一年式曲射歩兵砲取扱法」S7-5-26
 砲身、砲架、床板、属品、弾薬箱。

 高低照準機、方向照準機を備え、運搬は、駄載および臂力による。
 単肉鋼製。
 上面には、標線が刻されている。

 拉縄を引くと、撃鉄が撃茎を打撃する。
 提棍は、前後に分かれているものを一桿として、床板の提棍托す板に挿入して……。
 これは射撃時には標桿になり、砲腔手入用の洗桿にもなる。

 「属品箱」の装填品は、射向盤から、メリヤス手套まで、さまざま。

 撃茎は普段は後退しているが、汚れると後退しなくなるので、危険。
 三回拉縄を引いても不発なら、出す。

 撃茎托筒は、1号から4号まである。
 床板のみの重さは35kg。
 全備重量 63.000kg。但し、撃茎托筒のぞく。

▼防研史料  天津駐屯歩兵隊長『市街戦教育の参考』S7-6
 S4~7の経験を纏める。

 支那の路面は堅硬で、掘土不可能。だから、土嚢と拒馬が必要である。

 12センチ以上の曲射火器や、直援のできる野山砲(つまり75ミリ平射砲)×1~2門が必要である。

 平射歩兵砲(つまり37ミリ砲)は役に立たず、×。 

 HA〔不詳〕は、其の効力が絶大なので、其の数も比較的に多く配属するを可とす。

 HAとHSA〔不詳〕……よく分からない。迫や擲弾筒ではない。曲射歩兵砲らしいが、2種とは……? 十一年式曲射砲と92式曲射歩兵砲なのか?

 擲弾筒は、その爆音の効果が、素質不良な支那軍に対して有効。しかし、レンジが200mまでであるのが残念。なんとか400mまで制圧できるものが欲しい。 ※と言っているところをみると、十年式擲弾筒はあったが、89式重擲はまだないらしい。そして、重擲は、このような戦地の要望に応じて開発されたのかとも察せられる。

 拳銃は、小銃を持たぬ者は必ず持て。衛生、補給、運転手、通訳も持て。それも、モーゼル一号、または南部式等、重量が大で、射程が大なるものが可。

 攻撃時には、1人で5発以上の手榴弾を持つ必要がある。車両で追送せよ。

 ゴム底靴が必要である。シナ人は好んで電流を用いるから。

 鉄甲(鉄帽)は、裏革内に藁を詰めよ。夏・冬ともに。

 鼬、鼠が道を横切る姿、あれを見習え。あの機敏さで、前進すれば、狙撃されない。

 反対射撃(左肩射撃)を訓練しておけ。 ※これはビル陰から射撃するときに、なるだけ身体を物陰に隠すのが有利なので。

 手榴弾は、全身をバネにして投擲すれば、40mまで届く。

 中国人暴動の鎮圧には、初めから実弾射撃をすること。威嚇は逆効果。

 屋内では、小銃は腰だめ射撃とする。

 装甲車に備え付けられている英国製ヴヰカース機関銃の用法を覚えておけ。装甲自動車隊の者たちは。




簡易宿泊所の代用機能を有するネットカフェや漫画喫茶は、むしろこれから利用者増が見込まれるのではなかろうか。

 ホームレスのボーダーラインぎりぎりの人口が爆増するとすれば、そこに商機もある。
 飲食店やホテルでやっていけなくなった経営者は、ここに活路を見出せるんじゃないか?

 他の利用客とは、けっして「濃厚接触」しないで済むような、店内内装は、可能なはずだ。それを考案した施工業者だって、シェアを取れるはずだ。

 まっぴるまに、居場所が無いという人たちも、おおぜい、増えるはずだ。
 その人たちに、「濃厚接触」からは安全な居場所を提供できるだけでも、商売になるはずだ。

 全国に「空き家」があるんだから、それも利用できるはずだ。
 戦時中の「学童疎開」を復活させてもいいはずだ。都市部の、対新コロの最前線で働くワーカーたちの児童を、過疎村で預かればいい。オンライン授業の充実で、教員不足は補うことができるのだから。

 学校建築や教室内装も、これからは、感染症対策を盛り込まないでは済まなくなる。そのための改築需要が、パンデミック終息後に、あるだろう。

 次。
 Karen Matthews and Brian Mahoney 記者による2020-4-11記事「New York City’s School System, the Largest in the Country, Will Close for Rest of the Year Due to COVID-19: Mayor」。
       ニューヨーク市には、小学生から高校生まで110万人の生徒がいる。市長ブラシオは4-11に、同市の学校は今年度一杯〔すなわち6月末まで〕、ずっと閉鎖し続けると言った。
 するとただちにニューヨーク州知事クオモが否定。この情況下では、そういうことを決めるのは知事の法的権限であって、市長ではないと。他機関に合わせてくれねば困ると。

 ビル・デ・ブラシオいわく。学校は9月〔米国の学制の新年度スタート時〕までに再開させる。しかし高校卒業生は、この卒業式期間〔6月から8月まで?〕の諸行事への参加をすべて禁じられる。

 アンドリュー・クオモとデブラシオは、同じ民主党員ながら、多年の遺恨対立関係にある。

 NYC内の学校は、3月16日から閉鎖されたままである。

 オンラインでヴァーチャル授業を受けさせるために、ワイファイ環境の無い貧困家庭の生徒たちに数万台のタブレットやラップトップPCを貸し出す事業は、進捗しつつあって、4月末までには行き渡るはず。

 オンライン授業は6月後半まで続く。ニューヨークでは、6月後半が、学制年度末である。

 NYCで最初の新コロ死者が出たとき、デブラシオ市長は、学校は閉鎖しないと言い張った。なぜなら、そうなればヘルスケアワーカーたちが自宅で子どもの世話を焼かなくてはならなくなり病院や養護施設に出勤ができず、さらにまた、貧困家庭児童たちは無料の学校給食にありつけずに飢えてしまうから。

 しかしそれから市当局は、学童のために給食を提供する拠点、および「地域エンリッチメント・センター」を多数、開設した。後者は、主としてヘルスケアワーカーの親たちが、子どもをそこに置き去りにして、出勤することのできる託児所である。

 ※他の地域では、ふだんの通学バスを逆に給食配達バスに機能転換して、郊外の児童の居宅前に給食をデリバリーして回らせているようである。

 ヴァジニア州、ペンシルヴェニア州では、すでに学年度末〔すなわち6月後半〕までの全学校閉鎖を決めている。

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 KIM GAMEL 記者による2020-4-12記事「US Forces Korea contractor tests positive for coronavirus after weeks in quarantine」。
    在韓米軍の基地、キャンプ・ハンフリーに雇用されている米国籍の契約民間人が、2週間以上の自主隔離を経ていたにもかかわらず、その後の新コロ検査で陽性と判明した。4月12日に。

 2月後半いらい、在韓米軍の関係者で新コロ陽性と判定された人数は、これで22例目である。

 この人物はただちに、基地内の隔離区画に収容された。

 米軍は4-11に布告している。基地内の売店、郵便局、フードコートに立ち入る者は、全員例外なくマスク必装のこと。これは要望ではない。軍律である。

 また、上気以外の場所でも、米軍は、他の者と6フィート以上の距離が保てない公共の場所や職場においてマスクを着装することを、関係者に推奨している。

 米軍基地の出入り業者たちは、米軍基地の外でも、ローカルコミュニティの中において、できるだけマスクを着装し、新コロと戦っているというサインを示すよう勧奨されている。

 このたび感染確認された契約業者(男)は、3-26いらいキャンプ・ハンフリーの営門はくぐっていない。しかし、新コロのウィルスキャリアと検査で判明した人物〔性別不詳〕と直接接触していたことから、自主的に3-30から検疫隔離蟄居に入っていた。※3-30から数えると4-12は「13日後」ということになるが……。

 在韓米軍の米陸軍第8軍の司令部基地(キャンプハンフリー)内では、直近の週に2人の契約民間人と1人の軍人が新コロ陽性と判明している。

 在韓米軍では、誰であれ、新コロ陽性と判定されている者とじかの接触があった者は、ただちに隔離される。

 在韓米軍関係者全体では22人が新コロ陽性(ただし現役軍人は2名のみ。他は扶養家族、契約民間人、および出入りの韓国人業者)。そのうち、キャンプ・ハンフリー関係は10人で、最多である。

 在韓米軍の将兵だけ数えると28500人強なのだが、扶養家族や契約民間人なども数えれば関係者総数は3万7000人になる。

 韓国政府は、同国の罹患者が10512人、これまでの病死者トータル214人と発表している。

 また韓国版CDCによると、陰性と判定されて隔離から解放された元陽性者が、ふたたび検査で陽性と判明した例が111件あると。