旧資料備忘摘録 2020-9-30 Up

▼防研史料 〔まる4/艦艇/104〕『参考綴』大12.1~大13.1~
 大13-1の『金剛』艦橋表。
 羅針儀も「航海兵器」である。

 「舵取機械」は蒸気と「人力舵」あり。人力は、15ノットで舵角15度までは12名で。それ以上なら24名必要。
 操舵一杯にして戻すは困難なり。

 主機械は、improved パーソン・タービンである。混焼と石炭専焼を切り替えられる。
 全力、すなわち26.2ノットだと、石炭〔?〕1トンを燃やして0.34海里〔?〕はしる。

 ボイラーを至急点火してから運転までに要する時間は、3時間。
 至急点火から汽醸までに要する時間は45分。
 経済速力11ノット。最低速力は4ノット。

 『比叡』級は、前進惰力を止むるには、多大の時間を要す。
 タービンであることと、艦型が佳航型なるに由る。

 投錨減速。1500m前から微速に。800m前から停止。ただし、艦外底が清浄である時は1000m前から停止に。

 備考。推進器の渦巻を第三(四)カッターの後部ダビットの下に認めたる時、機械を停止せば、艦は正しく前進惰力を止む。※秘伝だね。

 大7-9の『比叡』のデータ。
 「止」の状態から原速(12ノット)まで1分15秒。
 「止」の状態から半速までは1分。
 「止」の状態から微速までは50秒。

 28罐すべてを燃やした場合。
 10ノット→12ノット 1分。
 12ノット→14ノット 1分。
 14ノット→16ノット 1分。
 16ノット→18ノット 1分。
 18ノット→20ノット 2分。※ここから急に水の抵抗が増える。
 20ノット→22ノット 3分。
 22ノット→24ノット 5分。
 24ノット→26ノット 6分。
 26ノット→28ノット(全力) 8分。

 coral のリーフのことを「石花礁」と言うたらしい。

▼防研史料 〔まる4/艦艇/56〕『兵器現状報告(軍艦長門)』S20-8-35
 40糎砲塔には、弾薬積卸用の水圧筒がある。
 三聯と二聯の「機銃架台」がある。
 「毒物検知室」があった。
 「護耳器」は1178組あり。

 25粍MGは39あり。
 兵員室に37、羅針艦橋上部に2、2砲塔上に6。※一致しない。

 40糎砲の徹甲弾は、4つの砲塔弾薬庫に、各125個宛あり。
 零式通常弾も、各125宛あり。
 13式信管、零式信管、伝火筒。

 MG弾薬は、14600個〔発ではない〕。艦内弾薬庫に。
 ヘルメットは「鉄兜」と称した。

▼防研史料  海軍潜水学校『潜水艦輸送 及 補給参考』S19-7-1
 細大となく列挙す。

 イ-2。コメや麦を入れたゴム袋×1240個を艦外に積む。または、ゴム袋700+ドラム缶70でもOK。
 イ-361。搭載せる大発内に、詰め込んだ。

 イ-351。航空揮発油366トン。航空潤滑油27トン。糧食4.2トン。91式魚雷と50番爆弾あわせて63.8トンなど。

 輸送に連続従事する乗員の体力消耗は予想外に甚大。3週間に1週間は休ませろ。
 揚陸作業前には、メシを食わせておけ。

 「作業ヤメ」→「入れ」→「ハッチ(昇降口)閉め」→潜航。

 「飛行機格納筒」も運べた。
 月齢10から18の夜に行動するような計画は、立てるな。
 時刻は、日没後30分から45分がよい。

 輸送日程が決定したら、潜水艦の出撃前日に、所属戦隊が、関係各部に通報する。
 「予定航路、揚陸地点、予備揚陸地点、揚陸時刻、連絡方法、味方識別法、輸送物件、其ノ他」。これを電報にて。
 陸軍にも通知した。

 敵の哨戒機がとても厳重なときは、日出日没前後のみ、浮航充電。
 夜間は12ノット以下。「火の粉防止装置」を活用。夜でも3分から5分きざみで之時運動せよ。
 反復天測をおこなえ。

 グリーン島、ラエ、ブインが、進入にともない、どのように見えてくるかのイラスト。
 「潜望鏡信号」は、2番ペリに「山川灯」を当てる。3000mまで通達す。
 ※山と川は、芝居の世界の味方符号か。

 浮上中は、かならず【舟首】を外洋方向に向けておく。敵魚雷艇に発見されたら、当日の作業は断念せよ。

 伊176、伊16は、前部発射管室に下士官室があるから、便乗者はそこに入れろ。
 要担患者(還送患者)を上甲板に滞留させるな。
 下痢症状、伝染病の患者は、潜水艦には乗せない。

 喫煙は水上航走中に発令所で、人員を限って許可する。
 潜航中はポンプの利きが悪くなるので、大便は水上航走中にせよ。

 「陸戦隊員」はゴム浮舟で揚陸する。長さ5m×巾2m。組み立てはとてもめんどう。
 装具とも100kg×10人。プラス、コメ3俵~5俵、LMG×2、擲弾筒×3、弾薬箱×5。

▼防研史料 『波号第一〇一型潜水艦 機構説明書(兵科之部)』S20-1
 大砲なし。魚雷データはNA。
 25ミリMGは1、タマ常備1000発。
 小銃は99式×2、タマ600。
 拳銃は「一四式」×3、タマ360。

 キングストンバルブは「金氏弁」。
 烹炊は電気飯炊釜。

 機銃甲板に96式25粍単装MG四型改一をピントル架装。
 肩あて制御式である。
 基筒を囲むように、機銃甲板に3箇所の「薬莢落シ口」があり、空ケースを蹴飛ばして落とし込めば、甲板下の基筒内に溜まる。あとでそれを、薬莢取出口から回収できる。そこは非水防蓄である。

 甲板上に圧力釜のようなものが埋め込まれている。それが、105発入りの「水密弾薬区」。
 パッシヴで敵レーダーの方向を探知する「電波探信儀」もあった。

▼防研史料 『潜水艦関係参考資料綴』
 スエーデン経由で、インド洋で沈められた商船について、生存漂流者が銃撃されたか、などの質問があった。それについて回答した電報の綴。

 S18年には、『永昌丸』『大湖丸』が、米潜に沈められた後でMG射撃を受けている。
 S16-12まで、日本の潜水艦が攻撃してよい海域は制限されていた。詳細不明。

▼防研史料 海軍潜水学校『我海軍潜水艦各型の沿革(S3.5) 帝国潜水艦の概要(S9.12)』
 ビッカースが潜水艦用に800馬力ディーゼルを完成してくれて、ようやくガソリン事故がなくなった。

 日本は仏国朱社の2400馬力ディーゼルの潜水艦をM44に発注。大6-7に輸送船で運んできて、呉で組み立てたのが『波一〇号』。

 ズルザーの1300馬力ディーゼルは、大4に初めて導入。
 『海軍中型』は、艦首45cm管を53cmに改め、艦上発射管は廃した。
 潜望鏡が短いと、荒天中の潜航ができぬ。よって司令塔指揮所配置となる。

 潜水艦は神戸の川崎が独占メーカーであったが、大5にビッカースL型潜のライセンスを得た三菱造船会社にも、大6から海軍は発注することにした。これが『呂号51』と『呂号52』。

 大4にフィアット式を川崎が造ってみたが、どうしようもないシロモノと分り、1年で廃艦も同然に。

 巡潜型の潜水艦。昭和7年の『伊5』は、砲を高角砲に改め、毘式12粍機銃×1門を搭載す。※日本の潜水艦として初めてAA火器を装備した。

▼防研史料  海軍省教育局『昭和十四年度潜水艦(機関術ヲ除ク)関係 巡回講習 参考資料』
 S13の演習では、最短1500m、最遠4000m強で発射した。
 潜望鏡は「露頂回数の減少、露頂秒時の短縮」を図れ。

 単発逐次打方で、3秒間隔で4本打て。
 夜間は早期に潜航して、聴音哨戒で敵を捕捉するの他なかろう。

 肉薄しても「不達魚雷」が出た。
 潜水艦用の魚雷こそ、射程を長くしろ――との意見。

 暗夜の潜望鏡は4000m視認できる。ただ見回すだけなら8000m。
 電報受信のため、浅い深度にいるところを、敵航空機から発見されたりする。
 そこで、回避韜晦行動、対飛行機の、潜航による脱過法が肝要。

 敵速は、24ノット未満であれば、推進器のリズムの測定によって可能。
 集団音は、3万mから聴こえる。

 機雷は深度4mに位置させる。2ノットで前進しながら、敷設して行く。

 「魚雷装気」「特用空氣」……95式魚雷か。
 魚雷1本につき、石油30リッター、清水120リッターを使う。
 特用空気の装気は、1本あたり2時間から2時間半かかる。
 液酸換算で1本あたり120リッターから135リッター。
 「93式特用空気圧搾機」という機材もあった。

 S12-4に『伊57』の一部実物模型を使い、海深45~50m、深度15mで、88式爆雷(炸148kg)を投下。

▼防研史料  海軍省教育局『昭和十五年度 潜水艦(兵科)巡回講習 参考資料』
 最近2年の昼間訓練、平均射点は2610mから3200m。

 導入後、3年経つのに、まだ92式方位盤の用法を誤り、射線を偏倚させるものが16隻中3隻あった。

 同時発射した魚雷が途中でゴッツンする「触雷」がよく起きていた。だから、単発打ち方が推奨されていた。
 夜間は2000m以内の肉薄発射を推奨。
 満月&晴天の夜なら、ペリで主力艦を10km~15kmで発見できる。

 敵より5節以上速くないとダメだ。水上25ノット欲しい――という意見あり。

 S13-9に英潜のES魚雷を拾得。呉廠で調査した。
 炸薬は380kgらしくみえた。
 星型4気筒エンジン。
 空気式の発達の頂点と認められた。武人の蛮用にも堪えるすごい設計だった。

 S13-5、新計画の潜水艦用として、25粍2聯装機銃の実用試験。伊13に装備し、横廠で実験。

 「気吹」「油吹」装置とは、海水浸潤からすぐ使えるようにするもの。自動給油装置もついていた。
 結論、これは良い。

▼防研史料  『昭和十六年度潜水艦(兵科)巡回講習 参考資料』
 全没襲撃。……水中測的のみによるもの。
 近年、無気泡式の発射機にとりかえた。

 南洋では、乗員がダレて、魚雷の扱いも粗末になりがち。
 潜水艦伏在面の突破。

 伊63潜の引揚図。珍。

▼防研史料  『昭和17年度潜水艦(兵科)巡回講習 参考資料』
 95式魚雷で大距離から発射したらどうかという意見あり。否決される。

▼防研史料  加藤少佐『潜水艦造船関係(意見)』
 新巡型潜水艦 計画要領。
 砲熕として、40口径の14糎聯装砲を艦楼上に。弾丸は450発もたせる。 ※フランスの真似か。

 93式13粍連装×2。
 他に、LMG×4梃。38式小銃×10〔?〕梃。拳銃×14梃。
 水偵×1。

 魚雷の部品で「駆水頭部」というのがある。
 プロペラストッパーは「推進器止」。

▼朝雲新聞社『国防』S47-7月号
 「国防」戦史研究会「潜水艦用酸素魚雷について」

 水上艦用の93式と、潜水艦用の95式。酸素魚雷は、この二つのみであった。
 水上用はともかくも、95式は、自爆、偏射、跳出がきわめて多く、芳しくなかった。
 絶好の射点に占位しながら、魚雷不良のため不命中になったこと、多し。

 95式魚雷は、魚雷調整がめんどうすぎた。調整後のストックは3ヶ月が限度。調整のための碇泊は、正味14日も必要だった。

 積み込んでから3ヶ月以上が経過したときは、補給艦により、準備完成魚雷と「交換」してもらう必要があった。
 自爆は、誘爆ではなかった。
 跳出で自爆した疑いもあった。
 水面航走したり、さんざんだった。精度も悪かった。

 当時の潜水艦搭載魚雷は、日米英独伊ともに径53センチ。
 雷速は、日本が49ノットと45ノットの切り替え。米は48ノットと32ノットの切り替え。英はは46ノットと30ノットの切り替え。独は44ノットと30ノットの切り替え。イタリアは50ノットと40ノットの切り替え式。

 それぞれ、射程は、9000/12000m、4000/8000m、3000/10000m、6000/14000m、4000/8000m。
 炸薬は、日本製405kg、米国製不明、英国ホワイトヘッド320kg、独製300kg、イタリア製300kg。

 なお93式酸素魚雷は、径61センチ。49ノットと36ノットを切り替えられ、高速では33000m、低速では40000m駛走した。炸薬は500kgであった。

 S17末以降、敵艦がレーダーで先に射ってくるようになり、魚雷発射の機会がなくなって、文句も出なくなったのだという。

 潜水艦内は南洋では高温多湿。とても精密周到な魚雷調整はできない。
 発射機員の、気力も体力も消耗してしまうから。

 「冷走」「不時停沈没」「露頭」などの不具合があり得た。
 沈没は、横舵の調整の失敗。
 偏斜の原因は、縦舵だが、縦舵機調整手の配置につくころは、水雷学校高等科卒業後、数年経っていて、ほとんど素人に近いため。

 【舟尾】[とも]魚雷が、特に調定が悪い。
 当時、深々度といったのは、16mから18mのこと。
 しかし実戦深度はもっと浅いため、跳出魚雷がでる。

 95魚雷は、入れておいた「第一空気」「操舵空気室」の空気が漏れてしまい、打つ前に補気しなければならない。
 S17-10からS18-5までの95式は、命中率34.8%だったのに対し、89式は58.3%だった。後者は「普通魚雷」と称した。

 92式電気魚雷もあったが、低速であり、しかも、電池の取扱いが煩雑。あまり使用されなかった。

 S18-6までに日本の潜水艦は、米海軍の駆逐艦を1隻しか沈めていない。
 またその後、終戦まで7隻にしか命中させていない(うち3隻は回天)。
 これは、95式魚雷による浅深度発射が最後まで解決されなかったことを示す。

 ソロモン方面で潜水艦を多数喪失してから関係者の練度は、急速に低下した。
 潜水艦用には6年式魚雷があり、S6に89式が採用されて、S7から89式に更新された。
 それが95式になったのだが、訓練の時間がないままに開戦となった。これがまずかったのだと、小山貞大佐は回想する。
 新型魚雷を使いこなせるようになるのに何年もかかるのだから、そんなものを戦地に供給するべきではなかったのだ。

 90式爆発尖は、89式と93式と95式魚雷とで共用であった。

 自爆問題は、予算が十分にあって、実装魚雷による発射実験を多数経ていたなら、戦前に解決していたであろう、と大八木・技術少将は回想する。

 S14~15年に、イタリアから53センチ・50ノットの尖頭魚雷を入手。この尖頭を真似て、93式を尖らせてみたところ、49ノットが53ノットに向上した。
 しかし、これを3mより浅い深度で打つと、キャビテーションを生じ、2ノットの速度低下と震動を生ずるのであった。
 しかるに、領収試験は深度5mで2~3回なされたのみ。これでは問題は把握できなかった、と大八木。
 ※「丸頭」のほうが高速時のキャビテーションが出るのだが、明快に比較説明されておらず、読解に苦心する。

 95式魚雷は、三菱長崎兵器製作所で大部分が製造された。艦隊に供給されたのはS15末。
 しかも95の場合「尖鋭頭部」の供給はさらに遅れ、S17にインド洋に出た潜水艦は「丸頭部」をもっていった。
 丸頭部を、もし3mの深度で発射すれば、偏斜や自爆が起きて当然であった。
 雷速を5ノット遅くすれば、キャビテーションは起こらなかった。それは圧力調整弁の加減だけで可能であった。

 自発火防止上、酸素魚雷は塗油を極限されている。よって2ヶ月以上の長期行動では、ストック中に、潤滑不良を生ずるのだ。

 三菱長崎に対しては、戦訓はまったく秘匿された。これでは技術者もフィードバック修正のしようがない。
 各工廠と長兵の、爆発尖感度試験器の感度も、バラバラであった。

 今和泉大佐は『たゆみなき進撃』の中で指摘する。
 一、爆発尖の教育は最少限の範囲の者に限られた。
 二、実施部隊での分解検査は禁止されていた。
 三、3ヶ月以上経過した爆発尖は分解手入れ検査の上、再調整をすることに、マニュアルではなっていたが、潜水艦クルーの手では、まったく実行されなかった。

 秘蔵っ子として仕舞い込み、いつまでも最良兵器として、最初の形式が持ち続けられたのである。

 米でも予算制約から、S18秋までは、磁気爆発尖が不良であった。
 練習では、直撃させると機械が壊れるので、艦底通過だけをさせていた。
 1本の実装魚雷を使っても、年間の魚雷予算の大半が吹っ飛ぶので。

 潜水艦は、潜航秒時でも、潜航深度でも、静粛性でも、独潜が上だった。
 教訓。信頼度と性能の妥協が、必要である。



歯肉に巣食うありふれた細菌が媒体となり癌が転移しているらしいという。『サイエンティフィックアメリカン』誌の最新寄稿。

 Davis Winkie 記者による記事「That time the Marine Corps killed a John Wayne movie」。
       1960年代なかばまで、米軍がハリウッドに徹底協力してきた歴史を調べたローレンス・スードの著書『ガッツ アンド グローリー』。それによると1954年に海兵隊は、朝鮮戦争モノの企画を、それがジョン・ウェイン主演であったにもかかわらず、お断りした。政府のイメージが悪くなってしまうと懸念したのだ。

 徹底協力の見本としては『トゥエルヴ・オクロック・ハイ』〔邦題は頭上の敵機?〕とか、『イヲージマの砂』がある。後者はキャンプ・ペンドルトン(海兵隊が既存の2箇所のブートキャンプを整理してあらたな1箇所にまとめるというので今話題なのだが、その古いブートキャンプのひとつ)を映画会社に貸したも同然の作品だった。

 こういう協力をする見返りにペンタゴンは、広報担当のドナルド・バルークらをして、脚本内容に介入させることができた。

 1954-8にペンタゴンに打診のあった企画は『ギヴアウェイ・ヒル(マッカーサーが中共に進呈した陣地)』というタイトルだった。
 ウエインが私有するバットジャク・プロダクションが製作する予定だった。題材は1953-4の第一海兵師団による、朝鮮の複数の外哨陣地におけるじっさいの戦闘。

 外哨陣地のひとつ、「レノ」。1953-3-26に猛攻してきた中共軍のために、所在の海兵隊部隊は、いきなり全滅させられてしまう。
 その後、海兵隊はここを奪回するために5日間にわたって奮闘していたが、東京の国連軍最高司令部〔つまりマッカーサー〕が、「レノ」を中共の支配から奪回することをあきらめることを決めてしまったので、海兵隊の努力も戦死者も、無駄となった。その無駄死にの悔しさを込めて彼らは「レノ」陣地を「諦めの丘(くれてやった丘)」と名づけた次第だ。

 映画に協力する見返りとして脚本の査読をゆるされた海兵隊のフランク・ウィーシグ准将は、バルークに報告した。こんなに海兵隊員が戦死しまくる映画を作られたら、新兵募集ができなくなる、と。

 とくに、自分たちの守備している陣地の上に砲弾を降らせるように、海兵隊の大隊長が味方の砲兵に無線で要請するシーンは、有害だと、ウィーシグ准将は心配した。

 作中で「ジーザス・ペレス」と呼ばれるヒスパニック系の兵士の描写も含め、この映画は、ソ連の反米宣伝に使われ得る。この映画を観たら、戦死した海兵隊の遺族も、一般観客も、反政府的になってしまうと。

 バルークはウェインに手紙を書き、ストーリーを書き変えてくれないと一切協力できないと言い、ウェインからの提案を待った。しかし、ウェインは反応しなかったようである。

 ※原作者は別にいたわけだが、こんなリクエストが来たら、《だったらこの企画はナシにして忘れ、まったく別な新作に気持ちを集中して行きましょう》となりますわな。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-9-29記事。
 まず22日の事件。
 半島西海岸にて、夜の9時40分、小型ボートが南から北へ、海上境界線を越えた。
 北鮮の警備艇が近寄ってきた。
 別報道によれば、オンライン賭博で巨額の借金を負っていた、47歳の漁業監視員の男が、北側へ逃亡しようと望んだらしい。

 韓国の警備艇がナイトビジョンで見ていたところ、北鮮の警備艇乗員たちは海面に燃料油を撒き、それに点火した。
 無線傍受によると、その前に、上からの命令で、男を射殺していた。

 後刻、北鮮は強調した。燃やしたのはボートであって、人ではないと。死体はみつからなかったと。しかし近くに浮いていた救命具は、同様に火をつけて燃やしたと。
 25日になって三代目は、この嘘が通用しないと察し、謝罪した。

 中共のヘリコプター用エンジンはあいかわらず、どうしようもない。
 米国には1万機近い民間ヘリがある。しかし中共にはその15%の機数しかない。
 中共の航空行政として、民間人がヘリコプターを勝手に飛ばすことを軍が非常に嫌っていることもあるが、それだけではない。

 米軍が5700機の軍用ヘリを運用中なのに、中共の軍用ヘリはたったの900機である。
 落ち目の露軍ですら1500機のヘリを持っている。中共が回転翼機に大弱点を抱えているのは明白である。
 中共軍は、またぞろ、ロシアから輸送用のヘリコプターを輸入したと報じられている。



旧資料備忘摘録 2020-9-29 Up

▼防研史料 『水中破壊艇 水中破壊艇操縦具 取扱説明書』S18-10
 有線操縦のリモコン自爆ボートである。浮き舟(推進艇)が自爆することによって、その下の水中にある障害物(水際障碍物)を除去する。
 渡河や上陸のときに用いる。

 電力は長さ1500mのケーブルで供給する。このケーブルは舟上にあり。
 発電は、98式小作業機と共用である。600ボルト直流で、8.5馬力になる。

 浮き舟はカヌー状で、全長10m、巾0.7m、吃水0.17m。
 薄鋼板製で全備重量824kg、装薬115kg。
 スクリューには、水草がまつわらぬよう、保護枠あり。
 前進は毎秒4~5m。
 後退は毎秒2m。

 深さ6.5mにあるものまで破壊する。
 川の流速は2.5mまでOK。海の波高は1mまで安定。

 艇の尾端に、指向性の灯火あり。此岸の操縦者がそれを目印にして操縦する。
 ケーブルは浮力がないので水底に垂れ下がる。

▼防研史料 〔箱マル47/222〕『各種艇の取扱法集録』S19
 S19-11-10「4式2型駆逐艇 取扱法(案)」。
 対PTボート用である。
 これ自体、モーターボート型。18m×4.3m。
 満載排水量22トン450kg。
 満載時吃水は0.693m。

 木鉄混合。基本的にベニヤで、機関の周りのみ鉄板使用。
 バーベット&ピントル式で37ミリ舟艇砲を搭載する。

 エンジンは、97式650馬力の航空用ガソリン機関を舶用にコンバート。
 2式水圧爆雷(径320ミリ×長775ミリ)や、海軍の95式爆雷(径450ミリ×長755ミリ)も投下可能。
 後甲板には、98式20ミリ高射機関砲×1をピントル装載。

 S19-11-8「連絡艇甲一型 取扱説明書(案)」。
 目標艦船の舷側に肉迫〔ママ〕して爆雷攻撃する。
 5.6×1.8m。
 満載1.445トン。
 満載時吃水29センチ。

 日産180馬力自動車エンジン。
 120kgの爆雷×2個搭載。
 速力20ノット以上。※遅い!

 手動または激突によって爆雷を投下する。
 激突装置は、船首槓桿や船側槓桿が攻撃対象艦船に当たると、爆雷をリリースする仕掛け。衝突=起爆ではない。
 リリース機構のことを「離脱装置」という。爆雷は、慣性によって、前方に投射される。

 ※爆雷は水圧=水深がプリセット以上とならないと爆発しない。それには数秒かかるから、艇はその場を離れて生還もできる理屈。水中爆発は喫水線上爆発よりも爆発エネルギーがよく伝わる。すべてが合理的なのに、速力が20ノットでは、接近の試みがそもそも無理。

 S19-11-9の案として、ウインチ(自力引上装置)付きの鉄製の大発、あり。

▼防研史料 〔223〕『陸軍舟艇関係 取扱説明書綴』S20-1-12
 「波号戦斗〔ママ〕艇2型」。
 輸送艇の護衛役である。
 16m×3m。満載で18トンと60kg。

 水冷の4サイクル・ディーゼル120馬力エンジン。
 試製4式37ミリ舟艇砲(高射用)×1。
 4式基筒双聯20ミリ高射機関砲。
 試製3式50kg爆雷×12個。
 航続100時間。

 以下、5式「半潜」攻撃艇 の案。S20-5-12。
 半没状態で目標艦船に迫り、魚雷攻撃する。
 木鉄交造。
 10m×15m。
 半潜状態で吃水1.5m。ふだんは1.2m。
 全高も1.5m。

 最大速度7ノット(魚雷搭載状態で)。
 巡航5ノット。
 30時間航続可能。
 大発用の60馬力ディーゼル×1基。
 300kgの火薬で水上を滑走する「簡易魚雷」×2本。 ※ロケット魚雷か。
 乗員×2名。

 艇同士は「不可視信号機」で連絡し合う。IR光線で1000m届く。

 20cmの噴進砲×1門あり、射界は360度。
 半潜ではない小舟も造った。単に大発に載せたもので、敵の上陸地を攻撃する。

▼防研史料 『手投弾薬九九式手榴弾(甲)及同(乙)取扱法』S16-10
 甲は全備重量300グラム、炸薬は黄色薬が58グラム。被包圧搾。延時4~5秒。
 乙は全備重量273グラム、炸薬は黄色薬が55グラム。被包圧搾。

▼防研史料 『爆破教範』S20-1
 爆発罐は、矩形亜鉛缶に黄色薬を入れたもので、1kgと5kgとあり。
 方形黄色薬は、100グラムの包みに小分けされている。
 円形黄色薬も、同様。

 粉砕した黄色薬は、塊状のものより爆発しやすい。
 吸湿性だから、注意。
 変廃すると、青黒くなる。

 黒色薬は、1リットルで850グラムの重さになる。

▼防研史料 『爆薬戦闘の参考』S20-3
 硝安爆薬は、同じ威力を出すためには、黄色薬の2.5倍が必要である。
 「二瓩木桿円錐爆雷」
 「刺突爆雷」
 「底板攻撃用柄付半球爆雷」

 M4戦車の底板を破壊するためには7kgが必要である。
 梱包爆薬を背負うのは、あくまで携行姿勢。近くまで来たら、導火線に点火して、押し出すように、投擲する。
 発火は、手首に縛りつけた引き紐による。
 投げたら、顔を地面に付けろ。鉄帽で爆風からガードしろ。

 厚さ50ミリの鋼鈑は、黄色薬なら10kg、カーリットなら15kgないと、破壊できない。
 黄色薬3kgだと、破壊できる鋼鈑厚は10ミリまでである。
 米軍の155ミリ榴弾砲の砲身を破壊するには、5kgの黄色薬を密着させないとダメ。

 2kgの円錐爆雷、または装薬3kgの急造の爆雷に木桿をつけた刺突爆雷は「肉攻手は危害を被ることなし」(p.136)。
 信管は、触発・瞬発。
 ※この部分は不可解。導火線タイムフューズではなく、ピエゾ圧電素子で起爆する仕組みだ。棒を保持した兵士の目の前2mくらいで高性能爆薬2kgが炸裂する。鉄片は後方に飛んでこないとしても、それでタダで済むわけがないだろう。

 3kgまたは5kgの半球爆雷は、敵戦車の天板に密着させることで、10センチの上面装甲を貫通させることができる。

 米軍の中型戦車の履帯を切るには、爆薬は4kgが必要。軽戦車なら、3kgでいい。
 十榴(105mm榴弾砲)の弾丸を地雷の代用にするなら、3発を結束しないと、米軍中戦車の履帯は切れない。

 野砲・榴弾砲・加農の弾丸にとりつけられる「八八式瞬発信管」を分解して、安全栓と支筒と遠心子を除去すれば、地雷の信管に早変わりする。
 九八式二働信管を地雷信管にコンバートするのは難しい。
 一〇〇式信管は、コンバート不可能。

 九九式破壊筒には、淡黄薬が入っている。なぜその破壊筒の外装が鉄皮なのかというと、その鉄の破片で、鉄条網を切断するためである。

 敵の火砲の砲口内に爆薬を突っ込める場合は、75ミリ径の大砲なら300グラム、105mm径なら750グラム、155ミリ径ならば2kgで、破壊することができる。

 竹筒にワイヤーを巻けば、簡易な擲弾筒になる。
 爆弓。内径8ミリ、長さ1mの篠竹。その先に70グラムの爆薬と、起爆薬、伝爆薬を付け、釘を撃針にする。最大70m飛ぶ。

 1キログラム爆発罐。長辺16.5センチ、短辺7.6センチ、厚さ5.4センチの箱。

 90式野砲の弾丸の中には炸薬が900グラム入っている。
 94式榴弾なら810グラム。
 10年式榴弾なら930グラム。
 99式8高 の弾丸には炸薬が900グラム。

 十加と十榴の破甲榴弾には茶褐が1290グラム。
 105mmの91式榴弾 茶褐または平寧薬が2270グラム。これは十加から撃つこともあり。
 95式尖鋭弾。 105mmの加農と榴弾砲から発射する。茶褐または平寧または硝斗薬が2520グラム。

 2式12糎高射砲 3.1kgの茶褐薬。
 149ミリの93式榴弾。 茶褐または平寧または硝斗が7770グラム入り。十五榴。
 96式十五加の弾丸(尖鋭)には、炸薬5170グラム入り。
 89式十五加の弾丸(尖鋭)には、炸薬5470グラム入り。
 96式十五榴の弾丸には、平寧または茶褐が8.5kg入り。
 四年式十五榴から発射する92式尖鋭弾には、炸薬6150グラム入り。

▼防研史料 〔箱まる47〕『無電池携帯電燈 取扱法』S12-12
 夜間における身辺照明、地図・報告書の看読、筆記ならびに指揮連絡に使う。
 ねじまき式。32回ハンドルを回し、バネを完全に巻くと、1分半、起電する。点け初めは約3ボルト。1.5分後でも2.4ボルト以上は起電。

 途中でまき足して、連続点灯させることができる。
 赤色光は400m届く。緑光は300m、菫光は200m先から見える。

 重さは1.3kg。点灯はボタンによる。
 ボタンは、連続モードにも断続モードにもできる。後者でモールス光信号が可能。
 豆電球は3ボルト用。0.125アンペア。

 全体が肩掛け紐付きのカバンのような箱型。箱の広い面に大きなハンドルがある。その裏側にある広い面には、点滅釦がある。箱の狭い側面面にAK-47式のセレクターがある。その反対側の狭い側面面に、豆電球の発光窓がある。天板と底板には何もない。フラット。

▼防研史料 『自動警報機 取扱法』S8-11
 ※満州事変直後なので、対ゲリラの装備だろう。

 赤外線によって夜間に敵兵が侵入して来たことを知ることができる。
 夜間1000m有効。
 平面反射鏡で3回屈折させれば300m有効。

 電源は交流110ボルトまたは220ボルト。
 射光機は13.5kg。キャリングハンドル付の道具箱型。その側方端面から投光する。

 電球は、ガス入りタングステン白熱電球。50燭光。赤外線濾光板を通す。
 この光を受ける、受光拡大機は、キャリングハンドル付の道具箱型で、17kgある。径200ミリの凸レンズが箱の側方端面にある。箱の広い側面には計器やスイッチ、表示灯などが並ぶ。内部は真空管アンプになっている。

 IRが遮断されると、電鈴が鳴動し、かつ、表示灯が点く。

▼防研史料 在独武官室『S15.2 兵器購入契約書綴』
 買主は、独国在勤帝国大使館附武官 陸軍砲兵大佐 岡本清福。
 売主は、ツェー・イリス・ウント・コンパニー支配人……が多い。

 S16-6に、グストロッフ社製弾倉用刃具 1組を 名古屋工廠のために調達。

 S15-9月~12月末、ラインメタル・ボルジヒのST61型機関銃用棒材を 名古屋工廠のために調達。
 同時に発條、発條材料も。銃身そのものも。
 ※数量が独文。筆写を諦めた。

 S15-7の大倉商事(株)代表取締役は 皆川多三郎で、ドイツ駐在員は 加藤鉦次郎。
 エメリッシャー社製 ばね検査器も名工廠へ2個。S15-6-5。

 ドイツ三井物産の支配人は綾井豊久。
 ばね抗力試験機と銃腔検査器をS15-5-15~6-15に小倉工廠へ。

 「硫黄炉」も買っている。1mまでの銃身ができるらしい。
 ばね製作機 S15-10-30、名工へ。

 有限責任独国三菱商事会社は、三宅又雄支配人。

▼防研史料 『S16年度 兵器購売に関する書類綴』
 テレフンケンの受信器。

 1mm(25kg)、1.6mm(25kg)、1.8mm(25kg)、2ミリ(20kg)のピアノワイヤーをS17-6に買い付け。昭和通商。専務取締役は堀池。駐在は前田冨太郎。 無ニッケルらしい。
 optical glass も買っている。

 S17-3-31に陸軍兵器本部の資金前渡官吏 陸軍中佐 舘野基忠は、500万リラの支払証明書を発行した。内訳は、伊国「ア」〔=アンサルド〕社 火砲製作権 代金として10月に300万リラ、12月に200万リラを伊国に送ったとある。
 ※うたがいもなく21榴のことだろう。

 S16-10に、昭和通商ベルリン支店長の前田は、目盛機、ボール盤などを代行調達。
 S16-9-3に、昭通が300万利〔リラ〕の製造権購入の契約金を払った。
 その後、S16-10-23に300万、S16-12-11に200万。
 計800万リラを払った。

 スウェーデンのピアノ線をストックホルムの三菱商事がベルリンの昭通に売っている。1942-3-3。
 ベアリングボールも買っている。

 独アルグス・モートレン社製 発射連動装置1組 買い。S17-3-25。
 ラインメタルの銃身は、500単位で買ったようだ。
 ※M.G.ST61 とか63 というのは、マシーネン ゲヴェール=機関銃 鉄鋼 という意味なのか?



127ミリのライフリングを削ったら130ミリになる。ドイツ新作の戦車砲。

 ストラテジーペイジの2020-9-28記事。
    米空軍による先般の実験。陸軍のM-109自走砲からハイパーヴェロシティ発射体HVPを撃ち出させ、それによって、露軍の巡航ミサイルを模したターゲットを空中で直撃した。

 米海軍は艦裁127ミリ砲からHPVを20発撃ち出す試験を2018に済ませている。が、それは誘導砲弾ではなかった。今回のHPVは誘導砲弾である。ただし炸薬はゼロ。

 HVPのレンジは80kmに達し、最大飛翔速度はマッハ7.3である。すなわち1秒で2.5km進む。ライフル銃弾の2倍以上だ。この速度があれば、炸薬は必要ない。当たっただけで対象は爆砕される。

 装薬は普通なのである。つまり弾丸が普通ではない。
 密度の小さい剥落式外套(ディスカーディング・サボ)に包まれて打ち出されるから砲熕内でやたらに加速される。砲口外では外套が離れ、芯の細いダーツ状の弾丸だけが超高速ですっ飛んでいく。

 弾丸には加速用のロケットも組み込まれている。

 従来、この高速ダーツの飛翔を空気中で制御する誘導が難問だった。今回の実験成功は、米国が、この難題をクリアしたことを示す。

 127ミリのHVPは1発9万ドルと安い。これを艦載の5インチ砲なら1分間に15発、発射できる。
 つまりESSMで個艦自衛するより、安価になる。
 ミサイルをミサイルで迎撃するのではなくて、飛来する敵の対艦ミサイルを、艦砲で阻止できるようになる。
 今回、ターゲットを撃墜した距離は非公開である。



旧資料備忘摘録 2020-9-28 Up

▼防研史料  上野繁『旧陸軍における水陸輸送』S30頃か?
 大10に伊勢湾で。大11には四国北岸で。大14にはまた伊勢湾で、陸海軍協同上陸作戦演習。

 大11、機付木舟。
 大12、鉄製平底小発を試作。
 S2~3、大発と小発が完成する。また「研究機」。※船外機のことか。

 S6に、工兵の5個中隊のうち1個を「丁中隊」とし、工兵部隊発動艇操縦教育を始める。
 S17-3-1、七了口に奇襲上陸。碇泊場司令部甲を上海に派遣。

 支那事変では、上海、杭州湾、バイアス湾、欽州湾 に上陸。
 揚子江では溯江作戦。

 S17-10-15、S級×5隻、ガダルカナル島突入。2隻沈没。
 S17-11、ガ島に突入13隻。うち11隻沈没。
 S18-2、ラエ輸送船団7隻全滅。

 武漢作戦時、輸送船150万トン、大小発1000隻、機帆船と漁船3000隻、その他の輸送船80万トン。

 以下、馬渕正之による「旧陸軍船舶部隊 戦史資料 機動艇について」(S30-9)。
 SS艇もSB艇も、機動艇である。
 これら陸軍船舶は、S19-1頃から準備がスタート。
 幹部は抽出しやすい在満部隊から、少尉候補者出身将校が中心で、素養は非常に悪かった。

 SBには揚貨機がない。
 末期の現役将校は素質が低下し、教育も不十分で、むしろ幹部候補生出身の将校の出来が良かった。

 はじめはSSのみ。
 S19-8からは、SB艇を併用した。

 SSは880トン。ディーゼル。7糎半の高射砲×1。5トン揚貨機あり。単、双連のMG×6。
 SBは1250トン。溶接船体だが脆弱。南洋を短距離輸送できればよいという設計。蒸気タービンエンジン。8糎の高角砲×1。3連装、双連、単装のMG×11。爆雷。

 海軍の8糎高角砲より、陸軍の7糎半高射砲の精度が良好であった。※どっちも75mm。

 SBはランプドアなので、風の影響が大。
 SSは観音開きゆえ、メカが複雑となるが、風は流せる。

 25ミリMGは、単装より、2~3連の方を評価。※低速船なので対空戦闘中も甲板が傾かないから旋回が止まることもなく、また先制して威嚇できたからか。

 15トン・デリックは、欲しかった。

▼防研史料 兵站自動車第五十一中隊『第二次ノモンハン事件に於ける兵站自動車第五十一中隊行動詳報』(S14.7.5~14.12.25)

 ハイラルからノモンハンに需品および兵力を輸送すべき任務を受けた。
 ノモンハンでは、北支那方面軍の戦闘序列から、兵站自動車第58中隊と51中隊とが、23D下に入れられた。

 23Dの臨時兵站部は、ハイラルを主地とし、将軍廟(ノモンハン)を末地とする兵站業務に任ぜんとする。その2点間を2日で1往復する。

 兵站自動車隊の長は大佐。その麾下には、自動車第一聯隊の二中隊、自動車第三聯隊、自動車第四聯隊、兵站自動車一中隊。

 7-8の命令。
 兵站自動車第51中隊は、ハイラル駅において、重砲兵の人員15車輛〔これは鉄道貨車のカウント〕および弾薬25車輛を積載し、明9日9時に出発、将軍廟に輸送し、明後10日、ハイラルに帰還すべし。

 7-5の指示。
 臨時兵站自動車第2中隊は、明6日なるべくすみやかに燃料、糧秣および衛生材料を将軍廟に輸送すべし。※ここからも、小火器の弾薬はじゅうぶんに足りていて、重砲弾が不足したというノモンハン戦の実態が読み取れる。

 露営は空襲を予期し、各車20m分散すること。
 先頭車には対空監視哨1を架框上に搭乗せしめること。

 斯而中隊は実動貨車40両で軍需品と兵力の前送、患者の後送に邁進した。
 はじめ、末地は将軍廟であった。が、この頃はノモンハンにまで推進(補給路延伸)していた。

 某中隊が貨車45両で行進中、ソ連機×9がH=4000mから爆弾15発を落とした。無被害。車間150m。
 また某日は9機が飛来し、3機づつ、角度60度で、数回にわたって機銃掃射した。

 ソ連機は夜は照明弾を投下して攻撃した。
 8機編隊が爆弾6発を落としたときは、1人爆死。※2発は不発だったか。

 武漢攻略中、大別山中で部隊がマラリアにやられた。この病気は、あとで疲労すると何度でも再発する。

 ハイラル~アイマーは、時速25kmで走行できる。
 アイマー~洪和爾村は、時速30km。
 洪和爾~将軍廟は、時速25km。
 蒋軍廟~ノモンハンは、時速40km。

 1中隊が、嵯峨航空部隊に専属となり、主として爆弾と燃料を運送した。

 航空機用の集積量。
 於パイエータイ。
 MG実包 徹甲30万発。焼夷15万発。
 15kg爆弾 2000発。
 50kg爆弾 3500発。

 於・採塩所。
 MG実包 徹甲40万発。焼夷20万発。
 15kg爆弾 1500発。
 50kg爆弾 3500発。
 100kg爆弾 80発。

 1個小隊は貨車17両か?
 冬営燃料は、薪と炭と石炭。

 中隊故障車は8月から11月の期間中、878両。
 うち、日産車が520両、フォード製他は358両。

 S14-8-25~10-15 に 中隊が運んだトータル。
 飛行機器材 597トン。
 建築材料 497.5トン。
 燃料 469.5トン。
 弾薬 321トン。
 その他(水など) 171.5トン。
 糧秣 33.5トン。
 高射砲隊器材 39トン。
 人員 725人。

▼防研史料 巽千代蔵大尉(兵站自動車第51中隊長)『ノモンハン事件における情報綴』
 当時ソ連軍が撒いた宣伝ビラの本物、貼付。
 「チタ」に新鋭駆逐機が2個大隊、到着したらしい。

 7-6情報。友軍の速射砲は優秀。2発目は必ず敵AFVに命中し、標的は火を発していた。

 8-1情報。本日、タムスクに自動貨車×1000両、到着した。
 8-2。左翼644方面、火炎放射戦車×4、来襲。

 外蒙騎兵は、タチヤンカ(四頭曳き車載MG)を有す。

 8-28。イ-15、イ-16、イ-19(いずれも小型機)が100機、来た。
 9-6に重爆撃機×1が飛行した。輸送か? ※TB-3かもしれない。とても爆撃には使えない旧式だが。

 情報によれば、「オロフヤンナヤ」「ボルヂヤ」両駅に連日、砲弾を積載した列車が到着。「ボルヂヤ」「アクシヤ」(チタ~サンベースの中間)の両道上には、トラック1万台が往復中。

 ※地図からわかること。鉄道は、……チタ……カルイムスカヤ……オムウヤンナヤ……ブルイカ……ボルジヤ……ダヴア……満洲里……ハイラル……と延びている。
 カルイムスカヤ駅は別な線路のターミナルともなっている。

 このうち砲弾が集積されている駅は、オムウヤンナヤ、ブルイカ、ボルジヤである。
 道路は5本ある。
 1本は、チタを発し、アクシア、サンベースを通り、マタット、タムスクに至る。
 1本は、ボルジヤを発し、サンベースを通り、ウンドルハンに至る。
 1本は、ダヴアを発し、サンベースに至る。
 1本は、ウランバートルからウンドルハンまで通じている。

▼防研史料 『武漢攻略戦に於ける兵站自動車第五十一中隊行動詳報』S13-7-29~13-11-28
 北支から中支への抽出。
 まず徐州から済南→青島へ汽車行。
 青島から船で出帆。揚子江を溯行する。

 海軍の護衛艦と海軍機が警戒してくれる。
 指揮官は、陸軍輜重兵・巽千代造中尉。
 兵力181名。
 車両76両。

 トラックは1.5トン積みだが、中には2トン以上OKのものもあり。
 ぎゃくに1トンにも耐えられぬものも。
 しかるに積載場に幕僚が来て1.5トン積を厳命するため、衰損車の故障を招いた。
 ※日本の歩兵科出身の参謀には現代戦の素養はなかったということ。

 某中隊は、トヨダ(単輪)で車種年式を統一されていたが、出力が弱っていた。そこへ参謀命令で1.5トンを無理やり積まされたので、廬州~六安(時速15kmしか出せない)間で十数両の差動機が破壊し、部品なきため、それから1ヶ月、使用不能に。

 巽の意見。架框覆はやめろ。
 自動車中隊8個で、合計274台くらいだった。隷下は。

 51中の車種は、トラックはほとんど日産かフォードのどちらか。乗用車としてわずかにシボレーとビュイックが混じっていた。

▼防研史料 三水懇話会『戎克輸送に就て』S17-6
 ジャンクのこと。
 動力なく、3ノットから7ノットで動く。
 14万隻もある。トータルで1235000トンか。
 しかしキールが無い構造であるため、重量物の積載に向いていない。
 また艙口・船艙ともに、狭い。だから荷役が不自由。

 そして、艙が住居を兼ねているのである。



UAVのヘロンが ベングリオン国際空港に 堂々と着陸。

 ストラテジーペイジの2020-9-27記事。
   英陸軍は今年、市販のウォーゲームである「コンバット・ミッション:ショック・フォース2」をプレイし競技する「ファイト・クラブ協会」を創設した。

 このゲーム、2007年に登場したときには、シリアに侵攻する米軍になりきる、独りプレイ専用の構成だった。

 しかしそれから数年以内に、インターネット回線で「2名対2名」の対戦までできるようになり、しかも、シミュレートできる軍隊として、英国陸軍が加えられた。

 2020年に「スチーム」というウェブサイト上で利用可能になった最新バージョンのCMSF2は、多数のプレイヤーが簡単に参入することができる。
 このゲームは軍隊の機密保全の枠外にあるので、現役軍人が他の現役軍人と経験の意見交換をできる場として有益である。

 CMSF2は大隊規模までの戦闘をシミュレートする。
 車両類を筆頭に、武器・装備の性能が、実在のものに合わせられているところが、「買い」だ。
 ※無限にタマを放水できる銃などは登場しないということか。

 ※PC上の軍事シミュレーションゲームには大きな可能性があるのにその可能性がじゅうぶんに開発されているとは言えない。その未開拓分野とは、「奇襲準備」と「敵の奇襲意図の見破り」である。平時から戦闘へ切り替わる、その瞬間が、小国の運命を分けるだろう。大国の米国の軍隊であれば、緒戦に奇襲を喫してもあとから挽回できる。ダグラス・マッカーサーは生涯に二度も大規模奇襲を喰らった無能司令官だ。もし小国の司令官だったなら彼は二回、国家を亡ぼしていた。大隊レベルでも、射撃が上手い軍人より、敵の奇襲企図を見破って、戦闘開始前にその対策を立ててしまえる指揮官が、求められている。

 次。
 David Silverberg 記者による2020-2-27記事「Game Breaking: How Cheat Codes Changed Video Games Forever」。
    デジタルゲームの「チート・コード」は、最初は、開発者がベータ・テストをするとき、レベルを自在にジャンプするための道具として、埋め込まれていた。ゲームが仕上がったあと、それがチーティングの裏道として使われるようになった。

 キャラクターに付与される強弱の変数を書き換えてじぶんのキャラクターを不死身化してしまうチートが、次に登場した。これは8ビット時代、ゲームコードをいったんPCメモリーにすべて読み込む過程があるのを悪用したのだ。

 「アタリ2600」や「ニンテンドーES」のような専用コンソールマシンが普及すると、この細工は難しくなるはずだった。ゲームコードはプラスチックパッケージの中に保持されたままであって、外からアクセスできないからだ。

 しかし80年代、NESのために人気ソフト「グラディウス」を開発した はしもと・かずひさ は、デバッグ作業を合理化するための覚えやすいチート操作を自分で埋め込まねばならなくなった。

 具体的にはたとえば、矢印キーを「上、上、下、下、左、右、左、右」と押し、ついで「Bボタン、Aボタン」そして「スタート」ボタン……といった呪文的な手順をなぞることで、開発者の搭乗艦はとりあえず不死身になる仕組み。

 こういう裏技はチーターから「コナミ・コード」と呼ばれるようになった。
 「コナミ・コード」は「コントラ」のようなアーケードゲームにも存在したから、それを知っているチーターは、ゲームセンター内で人々から天才的プレイヤーとして注目されるわけである。

 ゲーマーたちが、たまたま知りえた、そうしたコード情報をやりとりするメディアとして、初期には複数のゲーム雑誌があった。まだSNSの時代ではなかったから。

 新しいゲームが発売されると、オタクたちは競ってチート・コードを発見しようとした。そして、人に教えようとした。

 どれほどの需要があったか。1988年に『ニンテンドー・パワー』というゲーム誌は、創刊5ヶ月にして累積150万部を売り上げた。

 任天堂の自社ゲームでなくとも、ゲームメーカーはまず任天堂のテストを受けなければならない。その情報を最初に公表できる人々が裏技情報を語ってくれるのだから、この雑誌の競争力は圧倒的だった。

 ゲーム会社と雑誌編集部の間には暗黙の連携があった。新登場のゲームの最初の紹介記事の中で、裏技を知らせるようなことはけっしてしない。次号以降から、逐次にリークしていくのだ。

 1990年、チートのための専用ハードウェアが開発・販売されるようになった。
 この時代は、ゲーム機も、SNES、ゲームボーイ、セガジェネシス、ゲームギアーなどと多様化している。
 まず「ゲーム・ジニー」というチートマシン。ゲームカートリッジの一端に直接結合する。

 そして、たとえば保存されているマリオのライフが3しかないときに、それを99に変更することができた。カートリッヂのメモリーとゲーム機との間に介入して。

 もうひとつ、「ゲーム・シャーク」というチート器材。ゲーム中にソースコードを探り出して、どの変数が何に対応しているかをじぶんで絞り込み、理解してからその変数を変更することができるというハードウェアだった。
 「ゲーム・シャーク」は、PCゲームがCD-ROMとなり、ゲーム機としてプレイステーションやXボックスが登場する時代にも対応した。

 1993年、「モータルコンバット」を筆頭とする、血なまぐさいゲームソフトを規制しろと騒ぐ連邦議員があらわれた。

 ジョー・リーバーマン上院議員にいわせると、「クリスマスを盗んだグリンチ」のようなゲームは、クリスマスについての子どものイメージを悪くし、拷問を楽しむような情操に誘導するので、有害だと。

 そこでたとえば セガジェネシス は、モータルコンバットを開始する前にプレイヤーに対して「流血」についての確認を求めるオプションを設けた。

 FPS=一人視点射撃系ゲームのさいしょの商品が「ドゥーム」である。

 このゲームには2つのチート・コードが最初から入れられていた。あたかも、それがシェアされ拡散されるのを望んでいたかのように。

 すなわち、プレイヤーは、あるコードをタイプすると、壁を通り抜けられるようになるのだ。
 これは非常に面白いと歓迎された。
 そこで、1996年の「デューク・ニューケム 3D」や、もっと後年の「スカイリム」でも採用された。
 ※ニューケムは《やつらに核兵器をブチ込め》という略号。

 1997発売の「ゴールデンアイ007」は、3DのFPSとして重要な試みを始めた。
 このゲームでは、プレイヤーはチートをする必要があるのだ。しかし、勝ち続けるためには、そのチートを反復行使できないようになっている。
 つまりチート行為は、まったくゲーム空間の中で完結させられている。

 そしてチートの嗜好も昔とは違っている。ライヴを増やすのではなく、武器やキャラクターを非現実的に変化させるチートを無数に用意しているのだ。もはやプレイヤーは無制限のライヴを得ても面白くない時代に来ている。この趨勢が、今も続いている。

 ※80年代末から、97年以前の話は、とても明るい。当時のゲーム業界の下っ端の人たちの風貌を回想するだけでも、明るくなる。良い時代だった。あのひとたちは今、ご健勝にお暮らしなのだろうか? そんなことが気になる年齢に、なってしまいました。



旧資料備忘摘録 2020-9-27 Up

▼胡邁・著、井田啓勝tr.『華僑新生記』S19-1
 マレーの総督も9-4に対独宣戦。東西海岸に戒厳令 および 数百浬にわたり機雷を敷設。ノルウェー船が沈没した。
 WWI中、『エムデン』はペナン島を砲撃した。

 来栖特使は香港からクリッパー機で米国に向かった。
 『プリンスオブウェルズ』のポンポン砲は、シカゴ・ピアノと呼ばれていた。

 シンガポール島内にはランダムにトーチカを設けてあった。
 相互の連携が皆無だった。

 極東総司令官のポパムは空軍元帥。海軍との折り合いは悪い。
 2艦が沈んだというニュースは、ロンドン経由で。つまりチャーチルが発表した後に、マレーへもたらされた。

 『レパルス』は旧式なので仕方がないと思われていた。が、もう1艦は違った。
 『プリンスオブウェルズ』の水偵は、早々と射出され、陸へ向かえと指示された。

 重慶のスローガン。有銭出銭、有力出力。
 マライ共産党は、戦前からあった。
 ビクトリア女王は、23という数を嫌った。

▼濱田昇『黄塵』S13-11
 山西宣戦は、コミーが相手だった。
 シナ人いわく。いゝ鉄は決して靴鋲にはならない(p.48)。

 シナ人は日本人の表情をみることにすこぶる敏感で、どんな早口でも意味を聞き取り、2度目からは「明白(ミンパイ)\/」である(p.107)。

▼間宮茂輔『火箭の譜』S19-11
 著者は報道班員か?
 ニューギニアの陸戦隊。
 敵は自動小銃。
 空襲は朝夕が多い。
 「ネシヤの前で日本人が泣いてよいのか」

 ※東南アジアのイスラム土俗のディテール描写あり。

 敵潜水艦にやられたらどうするというリアルな心得。かなり戦況が悪いことを書いている。珍。
 ボーキサイトを満載してニューギニアから日本に向かう。

▼秦賢助『白い戦手』S19-9
 航空機製造工場の女工。
 昼は8時間、夜は6時間労働である。
 その3直で24時間。

 近江絹紡績が、近江航空工業(株)になっていた。繊維工場だったところ。
 ジュラルミンは割れ易く、加工中によくヒビが入ってオシャカになる。

 海軍の陸攻らしい。どうやら。
 女学生である女子工員。会社が女学校を経営していた。

▼佐藤光貞『海上封鎖』S14-5
 著者は海軍三等兵曹。
 内火艇でシナ舟を臨検している写真。
 親日保安隊の拳銃はルガーか南部らしい。
 装面の写真。

 封鎖作戦に従事する軍艦には、内火艇、通船、カッター(救助艇)を積む。
 内火艇は、ランチより小さいモーターボートである。
 固縛するのをセキヤという。
 もやいをとる「バーメン」という用員。これはS12-12-1時点。

 「後部 もやひ レッコ(放せ)」
 「ようそろ(真直向)」

 反英気分が充溢しており、ロシア小説を読んでいる。※貧家出身の兵隊はソ連に共感していた。
 12月中に、ソビエトの軍艦や潜水艦についての注意がある。

 シナ語で 要々 は、いります。
 【にんべんに爾】は「ニー」と発音し、それだけで、おいキミ という呼びかけになる。
 請坐 ……どうぞ。
 吃飯了 ……おかげさまで。疑問形にすると、吃飯了麼? どううですか になる。

 子どもに内火艇を引いてもらおうとして頼んでもまったくダメ。しかし、やれ と命令するとやってくれる。その代価をくれてやろうとすると、何も手伝わなかった奴までが手を出す。

 とにかくシナ舟、シナ人は、隅から隅まで大蒜臭いのである。
 近くの商船にコレラが発生すると、海水使用禁止。上甲板洗ひ方 も無し。

 シナではトーチカをすべて「砲台」と呼ぶのである(p.191)。

 実話麼\/ ほんとですか。
 【言荒】話\/ うそだ。

 禁制品を積んでいたら、人は他のジャンクに移して、船体は焼いてしまう。

 海軍用語。
 柄のついたハケ  ……ブルーム。
 ずる棒  ……ソーフ。
 内舷マッチ  ……ぞうきん。
 バス  ……ふろ。

 なんと著者の乗艦は石炭焚きである。
 フネは、1年で、帰った。

▼杉山平助『揚子江艦隊従軍記』S13-12
 著者は文人である。
 前線へ行った兵士は、たいてい、歯を悪くして帰ってくる。
 9月の南京にはまだアイスクリームは復活していなかった。
 あったのは、散髪屋、金銀入牙店(入れ歯)、時計修繕店、写真店、カフェー、食堂。

 シナ女がパーマネントをやっている。
 往来に多数の若い女が闊歩している(p.63)。
 いずれも日本人に寄生した商売という。

 「去年の暮の、陥落直後の荒涼たる南京の姿を、私は見て知つてゐるのだが、少し小奇麗な娘なんぞ、どこを探してもカケラも見えなかつたものである。」

 路店で金魚を売っている男。
 「去年の暮には、十万人ぐらゐの下層民がこの落城した都の片隅にゴロついてゐた。日本軍の南京進撃にあたつて、二十元の金のあるものはすべて逃げ延びたといはれるから、この十万人は資産二十元以下のその日暮[ぐらし]の住民である筈だ。……《中略》……。そして今は四十万人にまで増えてゐる。」(pp.64-5)。

 「洋車に乗つて走つて行く支那人には、髪を綺麗に分けて光らせてゐる中流の上といふやうなものもゐる。戦争によつて支那人は、特にその下層階級は、ひどい目に合はされたが、同じ支那人の中にも、大儲けに儲けてニコニコしてゐるものもゐるのである。それは上海あたりには特に多い。南京に来てみて、やはりこゝにもゐるな、と私は気がついた。《改行》ロシアの、ソヴェート革命によつても、やはり『儲けた』人間は、無数にゐる。」(p.65)。

 上海は蘇州河で南北に分断されており、北に日本人が暮らし、南にシナ人と白人が住む。対日テロは南側で起きていた。
 南京は、夜は真っ暗。城外数里に、敗残兵が出没す(p.80)。

 揚子江の浮流水雷は、直径3尺で、円筒形。その切断面の一方に、5つの触角が……。ガラスでできていて、鉛でコーティングされている。壊れると、薬液が流れて電気が起き、爆発する。※醸成電池式。
 これを処分する方法は、LMGで触角を射つ。
 この機雷は、シナ陸軍の予算で調達され、シナ陸軍が撒いたのである。

 溯行しながらだと、対岸との相対速度を零にもできるので、火力がよく当たる。

 「支那軍では、インテリが却つて強い」(p.204)。
 溯行して漢口をおとしいれたのが、海軍の手柄。

 著者は12月末の南京にいたが、「戸外のいたるところに死骸がころがつてをり、」……「街にはほとんど人間並の住人はゐなかつた。まるで乞食同然の貧民の群が片隅の方に蠢いてゐるだけであつた。」(pp.234-5)。

 甲板に畳を敷いて柔道の稽古(p.322)。

▼伊藤永之助『熊』S14-10
 1931年は凶作[けかち]の年だった。その折の鳥海山麓を舞台とする、戯曲構成のフィクション。
 生活苦のため猟用の鉄砲を売ってしまった。しかたなく、鍬、槍、鉈の3人でツキノワグマを仕留めに行く。

 葡萄蔓に火をつけて、木の下穴をいぶす。5分で、熊が出てくる。
 立ち上がったところを突く。

 鑑札なしの鉄砲でのハントは、警察にバレれば没収の上、罰金。

▼中山正雄『脇坂部隊』S14-1
 「わきざか」と濁る。防諜上、当時は部隊番号を語ることができず、団隊長名で部隊を報道していた。その「岸中隊」。
 12月に南京の光華門を一番乗りで占領した。

 「支那兵」と書いて「ツンゴピン」と読ませている。ツンゴは「中国」であろう。不思議。
 61ページに、良いクォータービュー地図あり。

 屋内で迫撃砲弾を避けるには、砲声のする側の壁に寄れ。
 兵隊の会話。シナ兵の死体を見ていて、「いやあ、どうしたら首が上手に斬れるかと思つて、検べてゐるんだ。俺は、いつも、顎にかけてしくじるからな」(p.137)。 ※歯に当たれば刃物はそこで止まる。

 例の 迫撃砲[ペシャンコ](p.159)。
 殺、殺! (シャ、シャ!)
 日本軍、来々[リーベンレン、ライライ]。
 南京は「ニャンキャン」と発音した。

 「恩賜の義眼」というものがあった。
 巻き脚絆を解けば止血に使えた。

 城門の抵抗は、13日午前4時に止んだ。夜半から衰えたので、その頃に離脱が始まっていた。
 最後は、弾薬がないので、飯盒に石を詰めて投げた(p.306)。

▼長谷川重治『科学捜査』?年
 死体は地上に置くと最も早く白骨化する。
 水中は2倍、土中は8倍の時間がかかる。

 デコルマンとは、タイヤの摩擦によって生ずる、皮膚と肉とのあいだの隙間。
 .22口径のピストル弾すら、最大1.6km飛ぶのである。

 刻印を削っても、ひずみを電気的に浮かび上がらせることができる。

▼農商務省山林局『松脂 及 松精油に関する調査』大8-9
 コロフォニーとテレピン油が採れる。
 テレピン油はようやく最近、松根から国産できるようになった。しかし、採りすぎると山を荒らす。

 樹脂は、根 > 地上2mまでの幹 > 枝 > 枝あるところの幹 > 枝なきところの幹 の順に、多く含まれている。
 樹齢200年を過ぎると、含有量は減って行く。
 暖地の木ほど、多い。

 欧州では1835年から抽出の研究がされている。
 アメリカでは17世紀前半から。ピッチとタールを採り、船の隙間に塗ったのである。

 日本では、島根と秋田が先進地だ。
 ササで巻き、「よじろう」、別名「馬鹿蝋燭」としたのである。
 明治維新で廃れたが。
 M25に、広島と島根で、テレピン油工業として復活した。
 和歌山、鳥取、千葉、宮崎でも、少しやっている。

▼篠崎英之助『日本産針葉樹の精油の研究(第一回)』大11-12
 著者は、幡ヶ谷の東京工業試験所の者。

 クロマツ、アカマツ、ツガ、イラモミ、カヤ。
 葉からも油を採る。

 川合誠治「松脂より石油の製造に就て」(大11-10)。
 最も早い文献は、1816の Engler である。
 ※ようやく燃料問題への関心が高くなっていたのだとわかる。

 川合誠治「二、三の樹脂より石油の生成」(大12-3)。
 ダムマー、コーパル(マニラコーパル)、サンダラック でも試した。

 中山岩蔵「土管の強度」(大14-3)
 常滑産、内径3寸~1尺5寸。
 ドイツに、ケーネン式土管試験機 あり。
 大径物ほどムラがあり、強度がバラつく。 ※それでヒューム管が発明されたのか。

▼西嶋東洲『紙業叢書』S18-5
 ランドセルも、紙またはファイバーに代った。
 ザラ紙(更紙)……新聞紙もコレである。
 砕木パルプ配合率70%以上。
 インク吸収が速いので輪転機印刷に使える。

 1885(M18)にエジプトで、サマルカンド製の紙が発見されるまで、紙の起源は欧州だと思われていた。
 ついで1907、1909に、欧人探検家がゴビ砂漠で古文書を相次ぎ発見した。
 尤も、『後漢書』には蔡倫の話は出ていたのだが。

 ロール紙が量産できるようになったのは、1800年代初め。

▼内務省『時局防空必携』(改訂版)S18-8
 1トン爆弾が爆発した場合、8.5m以内では防空壕も崩壊してしまう。
 また17m以内は、半壊す。

 50kg爆弾でも、3m以内は崩壊す。

▼『野戦重砲兵 第四聯隊史』S55
 96式十五榴を装填する砲尾のクロースアップ写真。
 4年式15榴のすばらしい写真。

 四年式の前の徒歩重砲兵は、人間が30人がかりぐらいで引っ張った。
 「輓曳索」の先が輪になっていて、それを肩にはめてひっぱる。

 5トン牽引車は故障が多かった。
 6トン牽引車は優秀だったが、数が少なかった。

 一ツ、軍人は要領を本分とすべし。
 放馬は、乗馬隊を編成して、つかまえに行く。
 満人は常に初年兵のように兵隊に対してはオドオドしていた。

 大豆を食い放題にさせれば、馬は疝痛になる。
 S17に釜山から乗船。戦車隊と同船になったが、船は車両でいっぱい。最下段が重砲にわりあてられた。トラック諸島経由で、ラバウルへ。

 15Hを遺棄するときは、閉鎖機を埋め、歯脈をハンマーで潰す。
 ガ島にも、確かに、96式15榴は持って行った。

 ガ島への荷上げ中、異様な格好の兵たちが手伝いに来たが、皆、泥棒だった。
 海水でも炊事はやれる。

 牽引車もちゃんと揚陸させた。ガダルカナルに。
 段列は、94式6輪自動貨車も揚陸している。
 段列1個中隊に1両。1個中隊分の弾丸は364発であった。37人。
 時に戦車に、貨車搬送の牽引を頼んだ。

 砂にガソリンを滲み込ませて、飯盒を炊くこともできる。天幕で囲って夜やれば、見えぬ。

 なぜか96式には使えない、4年式の薬筒が追送されてきた。後方(タサファロング)の弾薬交付所も、敵の爆撃をうけて混乱しているため。
 中味だけ詰め替えて使うしかなかった。

 ガ島に襲来した敵機。「ベル」と呼んでいた、機首が長い敵機は、よく地上を銃撃してきた(p.157)。
 ビンロウ樹の芯は、食える。
 寝ている者の大部はパンツを脱ぎ捨て居びたれの状態。

 ガ島のトカゲは皮がキラキラ光るのは有毒で、艶のない土色は食用。
 逃げるときは椰子の木に登るので、拳銃で落とすしかない。
 有袋類の大ネズミも居た。美味。

 小発動艇に移乗するとき、海軍の主計兵が食事代の勘定書をもってきたのには驚いた。「釣りは要らぬ」と十円札を出して下船した。
 上陸すると、全島死臭。吐き気を催す。

 椰子の実の中味のコプラを細かくちぎって燃やせば、煙は立たない。聯隊副官みずから模範を典示した。
 牽引車は、軽油がなくなった場合には、航空ガソリンに椰子油を混ぜて代用とし、動かすことができた。

 15榴の発砲煙はジャングルの上縁まで立ち上がるので敵に位置がバレる。
 ブーゲンビルの41式山砲用にまで、「あか」弾が準備されていたが、終戦まで使わず(p.217)。

 発射時の風靡力に無知で、初弾で掩蓋が吹き飛び、砲の射界をふさぐことあり。
 終夜の擾乱射撃は、日豪兵双方ともに眠れないので、お互いにやめた。

 山砲は94式も持ち込んでいた。
 15Hを、2~3発、撃ち込んでおいたところからは、敵の豪州兵は、決して浸透してこなかった。
 これは、もし山砲であったなら、やたらに撃ちまくらないと、得られない効果である。

 敵歩兵は、こちら以上の砲迫をともなわぬときは、前に出てこなかった。
 一般に、射角が大であるほど、陣地秘匿はしやすく、射界準備も楽である。

 ロケは、軽油がなくなれば、舶用重油、航空ガソリン+オイル混合、現地採集の椰子油でもOKだった。パワーは軽油の7割まで落ちるが。

 異砲種、異方向からの同時急襲によって、敵砲兵を圧倒撲滅してやるのが、理想。
 こちらの新陣地に対する敵からの報復射撃は、4~5分で来た。この間に山砲は撃ちまくらなくてはならない。

 S20-4、タリナ~ソラケンにF4Uがあらわれた。
 火砲処理は、砲を横に向けてスペードは打たず最強装薬で発射すれば、片脚は折れる。

 ジャングル島にも矮生草木で開闊〔ママ〕した土地あり。
 拳銃の弾倉は、匍匐中に外れてしまうことがあった。そうなると自決もできない。

 山砲用のタ弾は、〔外装式なので〕50m以上では当たらなかった。50m以内に近づこうと思っても、暴露しているうえに倒木だらけで、どうしようもない。

 樹の幹にかすがいを打てば、観測所となった。
 破壊されたマチルダの写真。於ブーゲンビル。15Hでやったらしい。貴重。

 敵の擲弾銃は手榴弾より少し大きい音。※スピゴットのことか? それとも小銃擲弾か。

 当時から「海[かい]トラ」と呼んでいた。※数百トンの貨物汽船。
 どうもP-47のことは「ランサー」と呼んでいたらしい。

 ラバウルでは、大木に、トンビの大きいようなのがよくとまる。「ボーイング」と呼んでいた。射ち落としては、汁の足しに。

 ナマケモノは、落下までに時間がかかる。肉は柔らかいが、臭いが強い。※ナマケモノは南米固有の動物である。どうして南洋にいたのか? 別の動物との混同か、それとも、ありがちな、兵隊の創作譚か?

 騎銃の負革は、なくなる。
 剣鞘は捨ててしまい、銃剣だけを帯革に差す。そして手榴弾×2個を腰にぶらさげるる

 河を渉るときには、弱い者を中央にして腕を組み、3人1組で。
 紙も重いので捨ててしまう。満州から持参した写真を持っている者は一人もいなくなった。

 馬が体重を落とすとドヤされるので、私費で羊羹を与えた。機械化で別れるときは、辛かった。

 15Hで対戦車射撃するときは、車体そのものが狙いなら、信管をつけない。随伴歩兵を片付けたいときは、信管をつける。



もし前路大気のプラズマ化がハイパーソニック飛翔体のコースをずらしてしまえるのなら、その機序をそのままABM(アンチバリスティックミサイル)兵器に転換できるはず。

 つまり東京都心に向かって落ちてくるBMやハイパーソニック弾の最終着弾点を大きくずらしてしまうことが、地対空レーザー砲によって、可能になるはずである。
 してみると、やはり、日本国が総力を挙げて研究すべきなのは、地対空レーザー・システムじゃないか。

 空気のプラズマ化による飛翔体空気摩擦の軽減は、既成のカノン砲にも応用され得るだろう。
 すなわちカノン砲の砲口周りに簀巻きのように多数のレーザー銃を同軸装載し、発射直前にビームを照射してやれば、砲弾はその弾道の前半部分(上昇過程)においてほとんど空気抵抗を受けないことになるだろう。

 これは、既存の古い155ミリ加農砲を、ABM任務の「高射砲」にコンバートできる可能性にも道を拓く。「PAC-3」よりも安価で、残弾を気にしないで防空戦闘を継続できる、融通の利くシステムに、既存のSPや牽引砲が、変身してくれるかもしれないのだ。

 次。
 Przemyslaw Juraszek 記者による2020-9-26記事。
    ハンガリーがNASAMS=ノルウェー製先進SAMシステム を発注した。
 これが2018年に輸入された防空システムと結合されることによって、冷戦時代からひきつがれているSA-6系列のロシア製SAMは、ハンガリーにはなくなる。

 NASAMが地上から発射するのは、もともと空対空の長射程ミサイルである「AMRAAM-ER」(AIM-120C-7)。そのミサイルは米国から輸入される。

 ノルウェーのコングスベルグ社と米国レイセオン社は1990年代にAMRAAMをSAM化する研究に着手。1998には実用化し、ノルウェー国軍で採用してしまった。げんざい、ノルウェー国軍は6個のNASAMS高射大隊を擁している。
 そしてこのシステムは、スペイン、オランダ、チリ、米国、フィンランド、リトアニアによっても、採用された。とくに2007にできた「NASAMS 2」は、コスパがすぐれている。

 組み合わせるレーダーを択ばないのもNASAMSのすごいところで、そこはオープンアーキテクチュアーとなっており、げんざいユーザー諸国軍は、これを25種類の異なるレーダーで運用中。

 また、発射するミサイルも、AMRAAMには限らず、NATOが現用しているAAMならば、なんでもOKという。

 すでにサイドワインダー(9X)と「IRIS-T」(F-16用に開発したが、サイズの関係でF-35には搭載できないもの)は、組み合わされている。

 次。
 Loren Thompson 記者による2020-9-24記事「Five Ways GAO Fails To Understand Defense Industry Independent R&D」。
 GAOは連邦議会に雇われているので、議会向けに「仕事をしてます」アピールをするためには、限られた情報だけを元に、週刊誌の見出し的な掴みのある会計支出批判をプロデュースしなければならない。そこには同情する。

 GAOはこのたびは国防総省が民間に委嘱した研究開発について叩いた。
 しかしその予算、そもそも米国の全軍事予算のうち1%未満だということは知っておきたい。

 納税者はまた次のことも知るべきである。
 研究委嘱がスタートしたときには存在しないプライオリティが途中から入ってくるのが、あの世界では普通なのである。
 さいきんでもバイオだとか5Gだとかが突然に加えられている。突然に優先順位を上げられても、誰も突然にそれに応えられるもんじゃない。

 逆もある。
 たとえば2020の夏には、「ハイパーソニック技術」は、ペンタゴンの開発プライオリティの第三レベルに引き下げられた。それまでは、第一のレベルだったのに。
 ようするにペンタゴンはひんばんに技術開発のプライオリティを変えてくる。研究委嘱される企業がどこであれ、特定の時点ではストレートにそれに応えられないのはむしろあたりまえだ。

 もうひとつの常識。すごい技術は1年や2年で完成するもんじゃない。
 たとえばビーム兵器は過去数十年、常にペンタゴンの研究開発対象のトップ10内に位置づけられてきた。巨大企業も軒並み、これに関与している。それでも、飛躍的な成果など出てはいない。漸進的に努力し続けるしかないのである。もしここにカネを使うのを止めれば、他国がリードしてしまうだけ。それじゃいかんから、続けろ、というコンセンサスが議会内にあるのが幸いだ。



旧資料備忘摘録 2020-9-26 Up

▼今野美雄『陸上競技の科学』S28
 ネズミは輪の中で45分間、走れるという。
 試合前、4日休むと、好記録。

 この本より以前、マッサージも食事も、練習プログラムも、なにひとつ、科学的に研究されてなかった。というか、外国にそれを学ぶ意思が、選手にも、コーチにも、まったく無かった。

▼I・スボトニック著、田村・井街tr.『スポーツマンのフットドクター』1985、原1977
 アメフトは、体の小さいやつは、怪我をしやすい。
 スピードをつける唯一の方法は、速く走ること。

▼金子公宥『パワーアップの科学』1988
 ゴサマー・アルバトロス号がドーバーを飛び渡ったとき、ペダル漕ぎの力は、0.35馬力だった。
 ヒトの全力ペダリングは、0.8馬力くらいになる。

 男女で、筋収縮の速度差は、7.5割から9.8割。力の差は、4.2割から6.2割。

 筋トレで遅くなってしまうことは、単筋に関してはありえない。しかし、全身について、生ずる問題だ。
 それを回避するには、アジリティ・トレーニングを併用する必要があるのだ。

▼紺野義雄『スポーツ・トレーニング』S38
 著者は、精神主義を最初に批判した。

 古橋 本人がいわく、絶頂期はどれほど泳いでも疲れた感じがしなかったと。
 名選手かならずしも名コーチにはならない。

 リラクゼーションという概念は、日本へは、ゴルフとともに拡がった。力が低下するからスコアが落ちるのではなく、コンディショニングの問題だと、直感的に把握ができたので。

 ようやくこの時代から、五輪強化策として外人コーチが普通に招聘されるようになった。
 日本では、力闘しているように仲間から見えることが大事で、リラックスによる好成績追求ができない社会環境がある。

 疲れたら、4日でも1週間でも休むことが、大事なのである。
 「テクテク歩いて飢餓に堪えるというようなミンドロ島式精神」(p.368)。

 あきらめたときの苦笑いは、世界の中でも日本人だけ。

▼鹿間・尾崎 共著『失われた日本の生物』S49 ブルーバックス
 日本にも8mのワニがいた。豊中市待兼山で化石が出た。50~60万年前の、クロコダイルの仲間。
 昔の日本は今のアフリカ同様の動物相で、ライオンもいた。

 日本にオオカミが棲み付いたのは100万年前。当時は世界最大級だったのに、だんだん小さくなり、絶滅。
 ロバよりも小さい馬が、有史以前から いた。

▼防研史料 〔箱 まる35/337〕『九七式目標燈教程案』S6-5
 航空機に対して着陸目標を示す灯火で、自動車の上に取り付ける。
 航路標識にも使える。

 ※昭和6年なのに97式というのはおかしいから16年かもしれない。とりあえずメモのままに写しておく。

▼防研史料 〔箱 まる39/126〕『歩兵砲手必携』S11-1
 92式歩兵砲は、敵のMGを撲滅制圧する重火器である。
 歩兵聯隊砲になっている41式山砲は、敵の重火器を撲滅制圧する重火器である。

 大隊砲の手順。
 「装薬号」を まず確認。
 確実に「編合」し、薬筒を螺入させる。
 余った薬包は、あとで強装薬を使用する時のために、捨てないでとっておく。
 砲弾が尽きたら、余剰装薬は捨てていい。平時ならば、焼却しなければいけないが。

 装填の前に、安全栓の抽脱を視認しろ。
 大射角のとき、閉鎖する直前に弾薬がずり落ちてしまう欠点がある。これがとても面倒。
 ※だから迫撃砲がいいのだ。

 山砲は、輓曳する場合は、1馬でOK。

▼防研史料 〔箱 まる39/114〕 『機関銃、歩兵砲射撃教範』S7-7
 このMGは、三年式である。
 歩兵砲とは、曲射歩兵砲と平射歩兵砲。どちらも十一年式。

 平射歩兵砲は、400m先に1秒で弾丸が届く。1000m先だと3秒かかる。
 400m先を射つとき、その弾道高は終始、歩兵の立姿高を超えない。低伸する。
 1000m先を射つときは、途中で最高10m、地面から弾丸が浮き上がる。

 曲射歩兵砲は、近距離を大射角で射つと、着弾までに20秒くらいかかる。
 曲射歩兵砲は、Maxで、1500m先の敵を射つ。ミニマム射程は400mである。

 平射歩兵砲は、400m以内なら、無修正で対戦車射撃が可能。
 横行する戦車は、その先端をねらえ。

 曲射歩兵砲は、砲弾が爆発したときの威力半径は10mである。
 深さ〔奥行き巾のこと〕10mの鉄条網を、曲射歩兵砲弾×10発にて、啓開できる。

▼防研史料 〔123〕『歩兵砲射撃の参考』S16-10
 まず試射。ついで、効力射。
 ただし、 8発以上の「点検射」をやった方が、精度が増すのは言うまでもない。

 ※どうも41式山砲ではないかと思われる。

▼防研史料 〔127〕『九七式曲射歩兵砲射撃教育規程』S17-11
 タマの効力は92式歩兵砲に略ひとしい。
 7mの厚さの茂み越しに撃てば、敵方からは、昼間でも、こちらの発射煙は見えない。

 コンクリートに命中すると爆煙は白く見える。
 土に命中した場合の爆煙は、黒色の中に黄色を帯びる。

 瞬発榴弾の場合、その爆煙は、横に拡がる。
 ハードターゲットなら、火光が認められる。
 夜だと、青く光って見える。

 短延期信管だと、観測困難なほど、爆煙は薄くなる。※土にめりこむので。

 本砲の最短射距離は500mらしい。
 最大射距離は2500m。
  以上、印刷はS18-3。※九七式だというのに、ほとんど部隊には渡していなかったことが推定される。

▼防研史料 〔130〕『軽迫撃砲射撃教範』S13-11
 落速は初速より大である。
 存速は弾道の最高点において最小である。

 最小射程は100m。最大は1500m。

▼防研史料 〔箱マル45/98〕 『十年式擲弾筒弾薬説明書』S5-1
 タマとして「十年式曳火手榴弾」を220m飛ばせる。
 同手榴弾は、鋳鉄製である。
 弾体には上下2条、「定心帯」を有する。
 炸薬は、塩斗薬75グラム、または、茶褐薬65グラムを、直填圧搾してある。
 火道は、7.5秒(プラマイ0.5秒)。

 起爆筒は銅製で、雷汞0.7グラムと、茗亞薬1.2グラムを入れる。
 鋼製。

 装薬筒は方形薬1.1グラムが入っている。
 鋼製。
 その雷管室には、小粒薬0.1グラムが点火薬としてあり、底螺子には雁皮紙を貼って、その小粒薬がこぼれぬように塞いである。

 あちこちに「ベルニー」……つまりニスを濃厚に塗ってある。もちろん塞紙にも。
 ネジ部には、「黒ワニス」をもれなく且つ多量に塗ってある。

 本体は「ボール紙」でふさいである。
 ※断面図を解説しよう。炸薬は「弾体」本体の中に入っている。工業雷管に相当する「起爆筒」がこの本体の尻の穴から植え込まれている。弾体の底面穴は起爆筒の直径よりも相当に大きい。だからそこに相当の隙間が開いている。その隙間を「ボール紙」が塞ぎ、それによって、炸薬の粉がこぼれ落ちないようにしている。弾体の底面穴の側面にはネジが切ってある。そして「装薬筒」の天井凸部の外周にもネジが切ってある。このネジを嵌合することによって、弾体と装薬筒とは結合され一体の飛翔体になる。結合された状態では、起爆筒の下端は、装薬筒の凸部天井中央のリセスにピタリと接する。その接する部分(起爆筒の下端部)は「絨板」と表記されているのでフェルトが詰まっているのかもしれないが、本文に説明が無く、不詳。装薬筒の内部は装薬室で、装薬が充填されている。この装薬がもし開放空間で発火しても、弾体にその火が回ることはないだろう。薬室には、上方や側方に通ずる穴が皆無だからだ。しかし、擲弾筒の中でこの装薬を発火させれば、高熱高圧のガスが、ネジ山の隙間から入り込み、ボール紙を貫通して弾体内の炸薬に点火してしまう可能性がある。弾体の天井部もネジ蓋とボール紙で塞がれている。そこには安全栓と曳火点火機構がある。この弾体は上下に、組み立て用のアクセス穴があるわけだ。なぜ装薬筒との結合面はネジだけにしてアクセス穴はなくしておかなかったのか、まったく不可解。

 炸薬は、漏斗で少しづつ弾体内に注ぎ込み、棒をもって搗き固めつつ逐次に弾体に填実する。

 使用部隊または縦列に交付された状態では、安全栓を抜くための索〔輪状の紐〕は噴気孔の方向と一致している。これを擲弾筒を使わずに手投げするときは、右手で、装薬筒が上、安全栓が下になるように握り、そのさい紐輪が左側を向くように(右手首の側にはないように)握る。左手で紐リングを引き抜いてから、点火機構部を何か固いものに叩きつけると曳火が始まる(導火薬の噴気が紐輪を抜いた方向に吹き出し始める)ので、数秒以内に手投げする。このとき噴気孔の向きが正しくないと、自分の右手首を噴炎で火傷してしまうことになる。擲弾筒から発射するときには安全栓は抜いておくけれども、曳火の点火をする「叩きつけ」動作は無用だ。というのは、発射のGにより、硬いものにたたきつけたと同じことになるからである。

 この十年式より前からあった「手榴弾」(型番なし)は、爆発威力だけを比較すれば、十年式よりもあったという。

 十年式手榴弾は、斜面上に対して過早に投げると、秒時が長いので、こっちにころがり落ちてくる。
 破片は300m飛散する。

▼防研史料 〔88〕 『八九式重擲弾筒取扱法』S10-10
 全備重量4.7kg。
 携行は、筒覆をして、背嚢上部に縛着する。

 射角は常に45度。薬室の容積を変化させることにより、射距離を調節する。
 89式榴弾 なら 最大670m飛ばせる。最小レンジは120mである。
 曳火手榴弾を飛ばす場合は、最大で190m。最小レンジは40mである。

 信号弾は、高さ100mに打ち上がる。
 10年式用のタマも、全部、使える。
 他に、94式練習弾がある。

 筒は、単肉鋼製。8条ライフル付き。
 黒色錆染で、方向照準線が、赤く引かれている。

 10年式手榴弾と91式手榴弾は、同じ距離分角で撃てた。
 89式榴弾は、120mから670mまで5m刻みで射程を調節できる。
 10年式手榴弾と91式手榴弾は、40mから190mまで、やはり5m刻みで調節し得た。

 分解はみだりにしてはならぬ。
 89榴弾の急射は、1人でやるなら、1分間に10発。2人がかりであれば、1分間に20連射可能。ただし、あらかじめ安全栓は抜いてあること。

 膝射は「折り敷け」の姿勢から。
 射手は、心手期せずしてこの筒をおおむね45度に把持できる如く、あらかじめ教育される。

 装填は、左手で筒を45度に保持したまま、右手で入れる。
 だが筒内にはライフリングが刻まれているので、装填のさいには、右手食指により、いきおいよく弾みをつけて押し入れてやらねばならん。このとき、弾丸の頂部を押すと、腔発のおそれがある(曳火手榴弾を飛ばすとき)ので、必ず弾丸の肩部を押す癖をつけておくこと。

 腔内が汚れていると弾丸は筒の底部まで届かず途中に停滞し、やっかいな抜弾作業が必要となる。
 不発のときは、再三、撃発を試みろ。なおも不発火ならば、10秒待って、タマを抜け。

 信号弾だけは、筒を垂直に立てて射つ。
 そのさいの設定分画は、Max。

 駐板の片縁だけ地につけて撃つと、柄桿は壊れるし、タマも当たらない。
 弾丸の二重装填は、致命的である。曳火手榴弾を天地さかさまに装填してしまう場合も、致命的。※これを最前線の暗闇で防止できるわけがない。

▼防研史料 〔94〕 『八九式重擲弾筒弾薬説明書』S13-3
 95式発煙弾を使える。
 89式榴弾は、全備重量800グラム。
 炸薬は、茶褐薬150グラム。袋には入っておらず、直接圧搾填実されている。

 ※十年式擲弾筒は、ガス抜きポートでレンジを調節していた。重擲は、弾底と筒底とのスペースを変えてレンジを調節する。

 89式榴弾の携行は、4発づつ、「括包」に入れる。

▼防研史料 〔86〕 『八九式重擲弾筒弾薬 試製一式目標指示弾 説明書』S16-9
 あたらしい目標指示弾の紹介のみ。

▼防研史料 〔97〕『擲弾筒説明書』S16-8
 ロシア製の1915年式である。
 外装有翼弾。WWIで使用された。
 全備重量44kg。

 タマは推定で1.96kg、炸薬も推定で290グラム。手榴弾のケツに矢羽をつけたようなシロモノ。
 射程は60mから300m。拉縄で発射する。引き金は何度でも引ける。



Web芸術祭に小松さんが出品している。

 ご活躍のご様子、安心いたしました。
 ttp://tokyo.ymca.or.jp/community/art_photogallery.html

 次。
 MATTHEW M. BURKE 記者による2020-9-24記事「Cough-suppressant abuse on Okinawa still a problem, despite military efforts to stop it」。
    2015から2018までのデータを調べた結果、沖縄の米軍基地関係者は、太平洋の他の駐留地の関係者よりも、成分としてDXM=デキストロメトルファンを含んだ鎮咳薬を、使いすぎていることが把握された。

 多幸陶酔感を得るために、このクスリが濫用されているのだ。
 DXMには、カタマイン(麻酔薬)やPCPと類似の幻覚作用がある。
 したがって、連用すれば依存症になる。

 沖縄基地では2018年に、この鎮咳薬の販売を規制する措置が取られた。
 その結果、精神異常症状で海軍病院にかつぎこまれてくる患者は減った。

 DXMを成分に含む市販薬は70種類以上ある。
 そして、非常な人気があり、品薄である。

 この成分を含む市販薬を海兵隊員やその家族が万引きしないように、基地内の小規模売店では扱わぬことにし、中規模以上の売店では、箱に防盗用の電子タグをとりつけたり、レジの後ろへ配置するようにした。

 隠れて愛用している者は、まだ、いるはずだ。そいつらはうまく、隠している。
 2017年には、デキストロメトルファン中毒で病院にかつぎこまれた海兵隊関係者が34人いた。
 高校生6人も含まれる。
 ある高校では850人の生徒のうち45人がDXM濫用を自白した。

 違法薬物は、ハワイにおいて、日本におけるよりも簡単に手に入る。ハワイでは基地関係者は基地の外で買い物をすることを好む。
 他方、日本では、米軍関係者は、基地内売店でなんでも買い物しようとする。
 必要な措置を講じた結果、今日、事態は改善に向かっている。グァムでも。

 しかし太平洋域において唯一、韓国内の米軍基地売店では、DXMを含む薬品の売り上げが2018年において逆に増えてしまっており、濫用の進行を示唆している。
 これは韓国では米軍基地関係者に対して夜間外出禁止や町の酒場へのアクセス禁止令が頻繁に出されることとも関係があろう。

 DXM濫用問題は沖縄では2008年から把握されていた。規制を強化すると濫用がおさまるのだが、規制をゆるめると元の木阿弥。それがくりかえされてきている。

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 Brett Tingley 記者による2020-9-24記事「Blasting The Air In Front Of Hypersonic Vehicles With Lasers Could Unlock Unprecedented Speeds」。
      ハイパーソニック飛翔体を、プラズマの鞘の中に包み込んでしまうことによって、空気抵抗は劇的に減る。そしてそのプラズマ鞘は、レーザーやマイクロ波を使えば、飛翔体の側から発生させることができる。こんな研究が、米国やブラジルで、着々と進んでいるところだ。

 この研究の成果によっては、一般の軍用機の飛行制御や形態設計をも、一変させてしまう可能性がある。

 米空軍とロッキードマーティン社は、空中から発射してマッハ20で滑空させるミサイル「AGM-183A」を開発中で、B-52からの試射も1回なされた。2022年には実用化しそうだという。
 また米陸軍と海軍は、ミサイル防衛庁とともに、C-HGBというハイパーソニック飛翔体をテスト中である。

 それらとは別に、ハイパーソニック弾をラムジェットエンジンで飛翔させる、HAWCというプロジェクトもある。
 空気のある空間を高速で飛翔すると、空気抵抗と、それに付随する熱ストレスが、凄い。

 レーザーなどで航空機前縁の空気をプラズマ化して抵抗力を下げる試みは80年代から工夫されている。同じ技法により、機体のレーダー反射も抑制できると考えられ、ロッキードA-12に電子砲が積み込まれて実験されたこともある。

 NASAは1983年にレイク・ミラボのアイディアに資金を出した。ミラボは、レーザーによって高速飛翔体前縁の空気を文字通り爆発させればいいのだと唱えていた。
 その以前から彼は、地上から発射するレーザーで空中にある飛翔体のケツ部分を照射してやり、飛翔体の後部の鏡構造によってそのエネルギーに正しい指向性を与えながら反射してやれば、それが推力になると主張していた。

 レーザーは空気を小爆発させることができる。そこからはショックウェイヴが生ずる。
 そこで、高速運動機体の前縁のさらに前方の空間で、意図的に、このショックウェイヴを発生させてやればどうか。

 運動機体の前方には空気がなくなり、無抵抗空間になる。そこに、機体は、吸い込まれ、無理なく高速を維持できるだろう。
 レーザーで爆発させた空気を使って燃焼する、新しいエンジンだって、あり得るわけだ。ミラボによれば。

 ミラボの1995年の新案が『ポビュラーメカニクス』誌で紹介されている。人工衛星から、パルス状のマイクロ波を下向きに照射する。その焦点は、大気中を飛行している機体の前方に結ばれ、そこの空気はプラズマになる。その機体は、超伝導磁石による磁場を発生していて、その磁力によってプラズマを動かし、気体の推進力に転換するという。

 1999年には豪州人のH・デイヴィッド・フロニングが、機体前方に発生させるプラズマをそのままハイパーソニック機体の推進力や浮力に転換できるはずだと提唱した。

 ミラボは2005年にはブラジルのハイパーソニック風洞を使って実験し、プラズマが抵抗を減少させる作用を確認した。
 2010年には、抵抗減少は40%になるだろうと予言された。
 ミラボの研究については2011年に『ワイヤード』誌と『MITテクノロジーレヴュー』誌が相次いでとりあげている。

 2015年には米海軍の研究所が、この前方プラズマ化の技法によって、ハイパーソニック機体の進行方向を制御できるだろうと論じた。つまり、空気抵抗の薄い方へ、機体は滑って行くだろうからである。

 ケヴィン・クレメイヤーは、プラズマによってハイパーソニック飛翔体の空気抵抗を9割減少させる方法を開発したと称し、2019年に特許を取っている。
 短いレーザーパルスにより、前方の空気をイオン化し、かつ、熱するのだという。

 ※なつかしい記憶がよみがえってきた。『ゴルゴ13』の「直線と曲線の荒野」で、横風を受けてもまがることのない魔法の弾丸を登場させたとき、ちょうどわたしはこの関連のニュースを読んでいたのだと思う。しかしこの記事で理解したが、飛翔物体前方の空気をイオン化させるには、レーザー銃構造がその物体に内臓されているか、さもなくば、どこからかその銃弾の正確に前方に、照射されていなければならないのだ。小銃弾だと、内臓は無理っぽいですね。しかし、砲弾ならばどうかな? 射程がほぼ無制限の砲弾が、この前方プラズマ化技術によって、できてしまうんじゃないですか? それはおそろしい未来だよ。北鮮のような小国どころか、ほりえもんみたいな民間人だって、地球の裏側を攻撃できるロケット弾を、すぐにも手にできてしまえるかもしれません。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-9-25記事。
    AH-64アパッチの改修が限界に来た。古い製造品だと、もう構造が疲労しているので。構造の寿命だ。
 部品はまだ使えるから、これからは、カニバリズム整備の段階に突入する。米軍でも。
 米陸軍は、2022年から、月に3~7機のペースで、古い機体を、部品どり用に指定して行く。



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