市況暴落は堀江逮捕のせいでなくヤマハ発動機等のせいだとでも見せかけたかったのか

 参謀(官邸側近)が司令官(内閣総理大臣)に1つの概況と1つの見通し、そして、その対策としての3つのオプションを示すのは、よくあることでしょう。
 概況──米国はフェアな企業売買ルールの確立を迫っています。またヤクザは切れと言って来ています。また、ヤクザを末端で利用している北鮮、その北鮮を背後で利用しているシナと対決する気概はあるのかと訊いてきています。
 見通し──ヤクザとべったりの企業買収屋は皆刑務所に送るしかありません。逮捕は一人ではすみません。その結果、ミニ・バブルがはじけます。その結果、政府は株式市場で利益を受けている人たちやマトモなすべての企業経営者からの広範な怨みを買ってしまうでしょう。
 司令官の内心の思い──誰の怨みも買いたくないのだが……。世間に対して内閣の責任を分散希釈することはできぬものか?
 3つのオプション──シナや北鮮がらみで別な悪いことをしていて今すぐ家宅捜索に踏み込める上場企業がいくつか用意されております。この家捜しを堀江氏逮捕の前後にやれば、その後のミニ暴落の原因の一つにしてしまえます。
 司令官の決心──えっ、この超巨大有名企業や、この某党直系企業も、シナ絡みでこんな悪いことをしているのか。しかしこの2社を最初にやるわけにはいかんわな。やはり、最も小者である、このナントカいう会社を最初にやってみてくれたまえ。あとは、様子を見てからとしよう。
 参謀──地検特捜部にそのように伝えておきます。
 ……なんてことは、ないですよね(核爆)。

チラ裏最終戦争っ

 山鹿流の陣太鼓というものがあるのなら、兵頭流のパーカッション術があっても良いじゃないか!
 と思いまして楽器店でボンゴを買って参りました。YAMAHA製ではなく、メイド・イン・インディア。しばらく没頭しようと思います。ポコポコポコリン……。
 ところで堀江さんの逮捕は七時のNHKニュースの直前でしょうかね?
 ガサ入れで電子メールの情報をとるだけとっておき、関係他社の弱点を握りまくる(そして摘発はしない)という、旧内務省の大蔵省に対する不毛な「知は力」競争でも続いているんでしょうか。知は力というベーコンの言葉はえらく誤解をされているのですけれども……。
 頭の良い悪い会社は、部内の連絡を電子メールではなくFAXか糸電話でやってるんでしょうね。ちなみに西村事務所のガサ入れも、電子メールに関してはカラ振りだったでしょう。あそこはほとんどFAXみたいなんで……。
 

書評余禄・他

 今日あたり、『別冊正論』の創刊号が書店に出ているかもしれません。書店にない場合は、amazonなどで註文できるでしょう。じつはわたくしもまだ現物を手にとっておらず、他の寄稿者の方々がどんな話をしているのか、知りません。
 みなさんのご感想はいかがでしょうか。
 この前、小川和久氏著(聞き手・坂本衛氏)『日本の戦争力』(アスコム2005-12刊)を、読みました。
 特記すべき目新しい主張は発見できませんでしたけれども、これまでの小川氏の活動の総解説のようになっており、編集者の手間のかかった概括的でハンディな資料集とお見受けしました。
 本書は05年9月の総選挙の直後に編集されたようです。2001年4月初旬の『産経新聞』の企画への寄稿では、小川氏は野中広務氏を次期首相に推し、ついでに野中氏の対北朝鮮政策を世間に対して弁護していました。しかし本書の「はじめに」のところをみると、「私は、構造改革を実現し、国際水準を超えた日本のリーダー・小泉首相の伝記が、世界の若者に読まれる日がくることを心から願っている」と書かれています。小川氏は03年11月以降、メソポタミア湿原の復元工事をして現地の雇用を創出すればよいと官邸に説いていて、04年以降はその提案は公明党の一つの看板提案になっているのですが、後継総理が登場する今年後半は一体どうなっているでしょうか。
 政策提言とその実現の間のカベの高さを最も痛感している軍事専門家が小川氏ではないかと思います。
 本書は小川氏の単著ではないようです。そのため例えば、朝鮮戦争があたかも北の侵略ではなかったかのような歯切れの悪い記述が見られる(23頁)。キューバ危機の最中に完全武装で待機した体験をもつ元自衛官の小川氏が、かかる折衷的な金日成擁護を弁じたことは聞かないので、これは相方の編集者氏の奇妙な情念が反映されていると見るべきでしょうか。
 本書268頁~270頁に、次のような記述が見られます。
 「そこでアメリカは、小型戦術核ではなく地対地のパトリオット・ミサイルを使うシステムの導入を図っています。湾岸戦争で活躍したパトリオットは飛んでくる航空機やミサイルを撃つ『地対空』ミサイルですが、これを地上から敵の地上部隊を撃つ『地対地』ミサイルに転用するものです。すでにシステムの開発は終わっており、近々配備が始まる予定です。《改行》敵の大砲や多連装ロケットが初弾を発射すると、その瞬間にレーダー(対砲レーダー)でキャッチして発射地点に撃ち返すというのは、どこの陸軍でもやっていることです。」「米軍の新構想では、そのように、撃ち返す手段にパトリオットを使うわけです。パトリオットはマッハ5で飛んでいき、ピンポイントで発射地点を直撃します。これによって、戦術核を使わなくても、せいぜい数千門が1発目しか撃てずに終わってしまいます。ですからソウルは火の海になりません。」「やや問題なのは、北朝鮮の240ミリ多連装ロケットでしょうか。」「これは鎌首をもたげて一連の発射(20発)が終わるまでに44秒かかり、……《中略》……約4分で次の発射準備が整うわけですが、この4分間以内にパトリオットが命中するというのがアメリカの構想です。」
 このようなシステムが本当にあるのかどうか、兵器オタクではないわたくしはとても気になりましたのでグーグルで調べたところ、一件だけ、次のようなテキストがヒットしました。ある企業広報誌の2004年1月号の対談記事です。
 「小川    だから『ソウルは火の海だ!』という話になると、みんな『うわあ!』と思う。けれども、攻撃の兆しが出たらアメリカは、今までなら核攻撃をする。北朝鮮に伝え、中国の了解も得ている。中国に近いところでは核兵器は使わない。しかし核兵器を振りかざすのはイメージがよくないから、今は通常兵器による抑止システムで、来年から配備する予定のパトリオットという地対空ミサイルの地対地型が出来た。北朝鮮には長距離火砲や多連装ロケットがたくさんある。その一発目を発射する。すると、発射した瞬間に対砲レーダーがピンポイントで発射地点を割り出すわけです。その場所にパトリオットが全部ピンポイントで飛んで行く。北朝鮮は一発目は発射することができる。ただそれを発射した直後に、もう次は撃てなくなる。」
 このパトリオットの地対地型については英文での検索も試みてみましたが、どうもよく分かりませんでしたので、知人の軍事マニアのT君に手紙で尋ねてみました。彼はたちまち次のような情報を教えてくれました。
 ──冷戦末期の1988年の春頃、米陸軍の軍団レベルのSSM案として、パトリオットを改良する「T16」という地対地ミサイル案が、「ランスII/T22」(MGM-52「ランス」の改良案)とともに、存在した。後者は射程250kmで、高度な自律慣性誘導装置によりランスの6倍の精度を持たせる。前者もそれと同等の性能を目指したと思われる。この二つの案がその後どうなったかは不詳。確かなのは、2003年10月1日に、ソウル近郊ソンナム空軍基地とソウル市内で行なわれた韓国軍創設55周年記念軍事パレードにおいて、韓国陸軍の装備として米国製のMGM-140「ATACMS」が初公開された。これは射程が150~300km(弾種による)あり、DMZから平壌の敵司令部まで到達可能で、米陸軍では、射程130km、CEP150mのLanceの後継SSMと位置づけている。自走発射機はMLRSをそっくり流用して2発連装で搭載する。韓国がいつからこれを持っていたかについては、『軍事研究』1998年2月号に、韓国は99年8月までにATACMSを111発購入する予定だと報ずる記事がある。さらに2000年7月に講談社から出た『最新朝鮮半島軍事情報の全貌』には、確かにそれらしい白黒写真がある、と。また03年のパレードには電子光学センサー搭載の国境警戒用無人偵察機も参加しており、これとATACMSがリンク運用される可能性もあるだろう──。
 いやはや、マニアは凄いものですね。わたくしのおつむりでは到底これらを記憶しておくことはできないのであります。しかし、要するに、塹壕陣地から発砲を始めた敵砲兵を即時に制圧できるような非核兵器はアメリカの最新技術力をもってしても実現し得ないのである、という、かねてから抱いておりました「相場値」は、これで再確認できたような気がいたします。
 『オール・ザ・キングズ・メン』という1949年の米国映画の中に、州知事選挙に立候補した男が「Figures(数値)」と「Facts」を並べて有権者に語りかけるものの、それが少しも大衆にはウケない、というシーンが出て参ります。小川氏が80年代に発表した在日米軍に関する「数字」には、たいへんなインパクトがありました。あれ以来、庶民も少しは啓発されたのでしょうか。そのせいなのか、さいきんでは小川氏の挙げる数字や事実のインパクトが漸減しているのかもしれません。
 シナと日本の未来戦争の劇画の原作の仕事が舞い込んで来ました。いきなり単行本のようです。版元は、個人的に信用しているところです。しかしわたくしの過去の経験から申しますと、企画の最初の段階で作画家が決まっていないような話は、まず確実にポシャるものです。
 一体、作画家は誰なのか? 来週、面談して確かめるつもりです。
 脚本の仕事はけっこうな時間を喰われるものですので、賃金に結びつかなかったときのダメージがデカい。三十代独身で著述業の駆け出しの頃なら『すべては勉強じゃ!』と割り切ることができましたが、子持ちの世帯主になってしまいますと、もうそんな余裕はカマしていられません。さて、どうなることでしょうか。

「バカ右翼」と官僚が反日プロパガンダを助けている

 「なぜ外務省に宣伝は任せられないか」を7000字以内で説明してみたい。以下は、別宮暖朗氏のサイトや鳥居民氏の著述などを参考に、兵頭の想像によって事態を単純化したストーリーである。
●靖国神社がなぜ国際宣伝戦のイシューになるのか
 保守派が歴史を知らない。そのために、国際宣伝戦のステージで、日本は大きなハンデを負うている。
 半世紀以上も昔の、シナ発の反日ブラック・プロパガンダ(捏造中傷宣伝)。これを、わが国はいまだに打ち消すことができず、日々、不利益を受け続けている。
 かつて起きたことは、また起きる。すなわち、支那事変に関するシナの言い分を黙って聞いていたら、やがて「第三の原爆」が、こんどは東京・大阪に落ち、「第二の東京裁判」が日本を待つ。
 やるか、やられるか。
 相手は反近代主義、つまり条約や契約など、公的な約束事を破っても恥とは感ぜぬシナ人だ。独裁者が法令を変えてしまえる国である。「宥和」はありえない。独裁政権と宥和ができるとの甘言こそ、侵略に先立つプロパガンダの常套句である。第二の東京裁判を日本が避けたく思ったら、逆に日本がシナを国連安保理常任理事国から追放する、容赦の無い政治的攻勢以外に道はない。
 その第一歩が、日本がシナの捏造中傷宣伝を米国においてすべて論破する「ホワイト・プロパガンダ」だ。近代国家の宣伝は真実に基づかなくてはならない。
 ところが、それを最も有効に邪魔してシナに得点を稼がせているのが、他ならぬ「真珠湾攻撃は日本の自衛だった」等と、事実と異なる主張をし続けるわが国の頭の痛い「バカ右翼」たちなのである。
 「過去の歴史において、果たしてどっちが正しかったのか」という日支国際宣伝の争点の多くが「A級戦犯を合祀したとされる靖国神社を日本国政府が公的にどう扱うか」の問題と関係づけられるのは、いささかもこじつけではない。
 1948年にA級戦犯として絞首刑にされた、東條英機、木村兵太郎、武藤章、土肥原賢二、松井石根、板垣征四郎の6人の軍人たちの合祀(1978年)以降、シナにとっては、「靖国神社へ日本の首相が公式参拝しても良いですよ」と認めることは、「東京裁判は不当であった」「国際連合の安保理常任理事国にシナが座る資格がそもそもない」と日本人に米国で主張させることを許すことに直結する。
 6人の合祀者のうち、確かに1941年の対米開戦計画に参与していたと言えるのは、東條、木村(陸軍省の次官)、武藤(陸軍省の軍務局長)だけだ。この3人は、開戦に先立つ「動員」の命令権者であった。したがって、動員先制開戦を禁じた「パリ不戦条約」(ケロッグ=ブリアン条約。日本は1929年に批准書を寄託)を破ったことについて「つかさの長」としての責任を問われても文句の言えぬ立場であった。その条約を破った結果、米英人が何万人も殺されたのだから、パリ不戦条約には罰則規定はないのだけれども、被害当事者の米国としては自国の刑法を準用した次第。
 ポツダム宣言で開廷が予告されていた東京裁判で、訴追側がもちだしてきた「カテゴリーAの戦争犯罪」とは、そもそも「パリ不戦条約違反」のことであり、ハーグ条約違反のことではない。ところが、そんな初歩的な事実が、ひとり「バカ右翼」たちのみならず、脛に傷もつ外務官僚によって国内での周知が妨げられている。
 バカ右翼は「宣戦布告は真珠湾攻撃の1時間ほど前にするつもりでいたのだ」などと戦後60年間ずっと叫び続けている。けれども、「宣戦布告すればどんな戦争も合法」という初期のハーグ条約会議当時の大国間の秩序は、第一次大戦後の国際連盟の成立以降は、存在していないのである。それを法的に表現したのがパリ不戦条約であった。その条約を守ることを、日本国は、天皇の御名御璽によって世界に約束しているのだ。国家の公的な約束を破ったことについて3人が代表して咎められた。
 「あれは自衛戦争だった」というバカ右翼の主張は、初めから成り立たない。いかにもパリ不戦条約は、自衛戦争を否定したものではない。そもそも自衛を否定できる条約や憲法など、近代法理上、あり得るわけがないのだ。しかし日本が1941年に米国に対してしたことは、動員先制開戦だ。これをやったら自衛戦争とは看做されないというのが、第一次大戦後の国際連盟の精神であった。
 動員先制開戦がなぜ多国間で禁止されたのか。それは第一次大戦で、文明国人が何百万人も大量死したことを猛省したからである。
 事の濫觴は19世紀、普墺・普仏の両戦役でのドイツの鮮やかな戦勝であった。政府と元首による宣戦布告よりも早く、まず参謀本部の下僚が立てた膨大な開戦プログラムが走り出す。全国で予備役が動員され、各連隊の戦時編成が完結するや遅滞なく鉄道で国境へと送られる。そしてギリギリのタイミングで発せられる政府の宣戦布告とほぼ同時に、完全装備の全軍が一斉に敵国の国境を越えて行く。隣国ではそれをうけて慌てて予備役動員をするが、敵のよく準備された集中と機動の勢いをとても禦ぐ暇が無く、首都を包囲されてしまい、降伏を余儀なくされる──。
 この両戦役の教訓から、欧州各国の参謀本部では、もし隣国が予備役を動員したら、こちらもすかさず予備役を動員し、ただちに国境に向かわせることを決めた。その帰結として、開戦か避戦かの重大な決定の権が、各国の議会や政治家や元首を離れて、任意の一国の参謀本部に握られることになってしまった。というのは、初めにある一国で参本の開戦プログラムが走り始めたなら、周辺のすべての国も遅れずに開戦プログラムを起動させないと、必敗と考えられたからだ。こうして、ヨーロッパのどの政府にも大戦争の発生を止めることができない不安定な環境が形成されてしまった。1914年、悪夢はとうとう現実になり、人類史上未曾有の、文明人のメガデス(第一次世界大戦)を招いたのだった。
 これを深刻に反省し、「動員先制開戦は文明に対する犯罪だ」と合意したのが国際連盟であり、パリ不戦条約であった。日本は満州事変までは国際連盟の常任理事国である。その国際連盟は、戦争に代る外交手段として、経済制裁を認めていた。動員先制開戦プログラムがもたらす急速確実なメガデスに比べたらば、経済封鎖で他国民をいためつける方がずっとマシであり、許されると、日本政府も合意していたのだ。
 日本が1941年12月にマレー半島と真珠湾とフィリピンで実行したことは、どこから見ても動員先制開戦に他ならない(予備役動員は同年7月からの関特演でほぼ達成)。だから日本は12月8日の時点で「パリ不戦条約」という天皇の名によってなした国際的な約束を破り、紛れもなき侵略者になり下がった。
 ただし、日本は自らが侵略者となる前に、外国からの明白な侵略を受けていた立場でもあった。
 日本より4年も早く、パリ不戦条約を堂々と破り、日本に明白な侵略戦争をしかけてきた外国がある。それが、蒋介石が束ねるシナであった。シナも、やはりパリ不戦条約を批准していた。
 この蒋介石ならびにシナが、戦後世界においてなぜか侵略者とは認定されずに、逆に日本がシナに侵略したかのように思われてしまっていることの当初の原因を作ったのは、近衛文麿および広田弘毅という二人の愚かな文民コンビだった。
●蘆溝橋開戦説そのものがシナの宣伝
 蘆溝橋で最初の一発をどちらが撃ったのか、という「敵」の設けた論点に、日本の現代史家は夢中になっている。
 1937年7月の蘆溝橋事件が支那事変の始まりである、と言い始めたのは蒋介石の宣伝チームであった。1941年に日本が米国に対して動員先制開戦し、その後、米国が同盟者となった蒋介石の宣伝に同意したことで、これが定説になる。
 蘆溝橋の衝突とは、よくある国境警備隊同士の銃撃戦にすぎない。日支両軍に「動員先制開戦」の痕跡はない。参謀本部による開戦プログラムが走っていないのだ。このような小競り合いは、今日も世界中の国境で起きている群小イベントである。パリ不戦条約は、国境警備軍同士の衝突を「戦争」だとは想定していないのだ。
 たとえば1979年2月のシナ軍によるベトナム侵攻の前から、シナとベトナムの国境では、散発的な銃撃や砲撃は日常化していた。ただし参本の開戦プログラムを走らせ、動員先制開戦をしたのはシナであり、ベトナムではなかった。だから1979年の侵略者はシナ以外にないのだ。
 同様に1937年の侵略者も、8月13日にドイツ軍事顧問団が書いた開戦プログラムに基づいて数十万の将兵を動員・展開して上海の日本租界を殲滅するための一斉攻撃を仕掛けた蒋介石のシナ正規軍に他ならない。支那事変はこの8月13日から始まる。やはり上海に租界を維持し、シナ空軍の盲爆によって13日に死者を出している米国も、この事態を正確に知っていた。ただし彼らは、極東でのトラブルに巻き込まれる面倒を厭い、わざわざ日本人の肩を持つようなマネもしなかった。だからその国際宣伝は、一義的にまず日本政府自身がせねばならない仕事であった。ところが日本政府はそこでほとんど「宣伝責任」を果たさなかったのである。
 日本政府は、無法な侵略に反応して内地から邦人救出のための部隊を急派し、杭州湾に上陸し、血に飢えた侵略軍を撃退し、南京まで追いかけて蒋介石を膺懲せんとした。
 このとき派遣軍の参謀たちが、捕虜にしたシナ兵を裁判によらずに銃殺することを部隊に敢えて禁じなかった。そして戦後に、1万人以上の便衣のシナ兵捕虜を銃殺した責任を、すべて末端の兵隊に転嫁した。南京郊外において日本軍内の予備役兵の素質が悪いためにハーグ条約が広範に破られたのだというストーリーは、B級戦犯の訴追および刑死から免れたい当時の参謀たちには都合がよいが、その卑劣な責任逃れの言説が、「南京市内で民間人30万人が殺された」とするシナ発の捏造宣伝のうらづけ材料として利用されることになった。そして米国人も、広島と長崎への原爆投下が明瞭なハーグ条約違反たることを内心認めるがゆえに、広島と長崎の合計死者(当初は数万人、後には二十数万人と呼号された)を確実に上回るハーグ条約違反の民間人殺人を日本が南京でしでかしていたとするシナの宣伝を、大いに歓迎するわけである。
 事変勃発直後における、外相(元首相)の広田弘毅の国際宣伝上の大きなしくじりは、日本軍が上海戦線からの追撃戦を成功裡に遂行しているさなかに、蒋介石に講和を呼びかけたことだ。勝っている側、それも侵略を撃退しつつある正義の陣営が、凶悪な犯罪者(上海の日本人の大虐殺を企図していたことは疑いもない)に向かって講和を呼びかけるなど、近代外交の常識ではあり得べからざることだろう。広田は受験エリートでキャリア外交官だったが、近代精神は有していなかった。そしてシナ式の、正邪を捨象する信じられないスタンドプレーに走ったのである。しかしこれを聞いた世界では、とうぜんのことであるが、今次事変に関し、日本が何か重大な後ろ暗い負い目があるのに相違ないと信ずることになった。
 また、侵略軍隊の壊滅後、とうとう蒋介石の方から停戦講和を願ってきたときに、時の首相の近衛文麿は、「居留民の保護」ならびに「侵略者膺懲」という大目的を達成していたにもかかわらず、理由もなくこれを拒絶した。爾来、支那事変は泥沼化し、あたかも日本がシナ全土の征服を執拗に進めているかのような「外形」を生じた。
 1948年にA級戦犯として死刑になった7人のうち、文民の広田、そして軍人の土肥原、松井、板垣の計4名は、1937年に蒋介石に恥をかかせ、また8月13日の「蒋介石の侵略」をよく知っていた者として、蒋介石からの特別な死刑要求によって東京裁判で訴追リストに加えられた冤罪者である。蒋介石は、この4名を吊るし首にすることで、自分が侵略者であった過去を戦後世界の「正史」の上で永久に否定できると思ったのだ。
 4名はパリ不戦条約の違反には無関係であった。1941年の対米動員先制開戦プログラムに、彼らは関与する立場ではない。では、どのようにして「カテゴリーA」の戦犯にされ得たのであろうか?
 この不可能を可能にさせたのが「田中上奏文」という捏造宣伝だった。
 田中義一が首相のとき、昭和天皇に、シナ征服と世界征服の大計画をこのように打ち明けました──とする杜撰な作文が1929年にシナ文で書かれ、ついで英文にされて、1930年代の米国で流布した。
 日本外務省はこれをすっかり放置していた。1980年代からアイリス・チャンのブラック・プロバガンダを今日に至るも放置しているのと同様に。
 東京裁判のキーナン首席検事は、米国人のインテリだ。彼は、日本政府から反論もされず十数年も流布している「田中上奏文」が、まさか偽文書だとは思わなかった。キーナンは、蒋介石からの強い死刑要求と、この偽文書と、1937年に日本軍が戦闘を停止していないという「外形」に基いて、広田、土肥原、松井、板垣に「カテゴリーA」の罪状をあてはめたのだった。
●A級戦犯の外務省に国際宣伝はできない
 日本海軍は、ライバルの陸軍省に日本国を統制支配させることになる「対ソ開戦」を阻むべく、米国に対する動員先制開戦の音頭を取る必要があった。奇襲が惨憺たる返り討ちに終わらぬようにするには、開戦の予告はできない。そこで、宣戦布告をラジオでするという方法を避け、面倒な暗号電文(それも、日米交渉は打ち切ると言うのみ)の手交とさせ、奇襲を成功させた。東郷茂徳(ハルノートは最後通告であると上奏して天皇に開戦を納得させた)と外務省は、海軍との「米国騙し討ち」の共同謀議に深くコミットしたのだ。
 「A級戦犯」とはパリ不戦条約違反のことであるから、野村大使の通告が真珠湾攻撃よりも早かったとしても、東條、木村、武藤、永野修身、伊藤整一、山本五十六、そして東郷が、同条約違反の首謀者とされることは動かぬ。この重大責任から先輩を庇い、省の威光を保ちたい外務省は、戦後も、先の大戦について事実を説明する言葉をほとんど持たないのである。かくして「北京コミンテルン」の対外マスコミ部門も、反日宣伝工作は、し放題というわけである。
 2005年12月24日の英紙『フィナンシャル・タイムズ』は、小泉純一郎首相がその前の週に靖国神社を参拝したのは、大東亜戦争の「侵攻」の被害者に謝罪をしないという外交上の態度であり、それは、シナが日本の国連安保理の常任理事国入りに反対をする完璧な理由であると、シナを代弁するような記事を載せた(同紙は同年2月15日にも、小泉氏のシナに対する強気の態度は右翼的で好ましくないと説教するV・マレット氏の署名記事を掲載)。そもそも日本はシナに侵略はしていない。シナこそ侵略者である。また、自衛隊の最高指揮官たる首相が陣没軍人に敬意を表するのは統率上当然で、それを自粛し自衛隊の士気が低下すれば、首相が日本の国防を脅かすことになる。それこそ国家叛逆だ。しかし、日米離間を狙う北京の狡猾な宣伝工作に、バカ右翼や外務省では、とても有効な反駁はできかねるのである。

広告。

 東京財団のHPにアクセスし、広報誌の『日本人の力』の第28号のPDFを開いてみてください。
 兵頭の寄稿した文章が載っています。

目指せ80万票!

 西村議員は議員辞職しないと? なるほど、わかりました。
 検察はあきらかに「バッヂ」を取りにきていたわけです(大阪地検としてはたしか30年ぶりくらいの、「議員首」の大手柄となった筈)。
 ですから「議員を辞める」と表明してしまえば、裁判はごくわずかの量刑判決で、素早く片付く可能性がありました。
 しかしこれで、「創価学会員の検察幹部などに殊勲は与えぬ」という議員の闘争方針が伝わった。これで、裁判は一審では済まず、長引くでしょう。
 西村氏がこのイージーな「取引」をしなかった理由ですが、選挙で信任されている議員は、次の選挙によってのみ、その地位を失うべきだとの信念があるからでしょう。選挙で得た地位を裁判の取引材料にすれば、それは選挙でわざわざ一票を投じた有権者に対する裏切りだという正論です。
 西村支持者は近畿に多いのです。が、選挙では肝心の堺市でいつも苦戦をしている。ですからさっさと参議院に転じてしまえば楽ではないかとわたくしなどは思っていました。
 次の衆議院議員選挙はいつ来るのか、誰にも読めません。西村氏が民主党からはもう出られないことは確かです。ですから、次の参院選を狙うにしろ、衆院にこだわり続けるにしろ、西村氏はただちに新党をつくる必要があります。その場合でも、次の選挙での獲得票数として、80万票が最低ラインになります。大苦戦だと思われます。
 新党を、去年の解散総選挙のときに、作るべきでした。西村氏はもっと早く民主党を捨てるべきだったのです。その決断さえしていれば、今度の訴追も無かったかもしれないでしょう。そして西村氏はけっきょく、去年するべきであった新党結成の決断を、今年、迫られてすることとなります。
 ただし、去年とは異なり、今年は、他の「(前)議員」に頭を下げて頼まねばならない。立場は、去年よりずっと弱くなってしまいました。
 警察のガサ入れは、主にカネの流れの証拠をつかむために行なわれると聞きます。西村事務所のカネの面での透明性は、今回の事件の結果、非常にハッキリしたのではないでしょうか。警察方面での株は、却って上がったでしょう。

また大阪にいってきました。

 昨日は、梅田の新阪急ホテルにて、「関西仏教懇話会」のみなさんを前にして一席ぶって参りました。もちろん、国際宣伝戦がテーマ。
 その折に聞いた話ですが、荒木和博さんが「辛光洙は横田&地村誘拐犯ではない」と断言しておられるそうじゃないですか……。これは、なんでネットのニュースには出ていないんでしょうか?
 あと、げんざい自宅蟄居状態の西村代議士ですけども、どうもいまから数日後(十日以内)にご自身で声明をご発表になるらしい。その内容は、まったく周囲の人にも予測がつかないようです。
 豪雪地での軽量住宅は、カマボコ形の屋根、できればシェル構造にするに限る。これが身を以って知った教訓であります。

篤志つうじ倶楽部に別宮先生ご登場。

 圧倒的なインパクトのサマリー(ご本人筆)がUPされました。リンク/コピペともにフリーですので、皆様、各所へのご案内をよろしくお願い申し上げます。別宮暖朗先生、いつも有難う存じます。
 武通かわら版の軍歌のお話を小川さんがおまとめになり、このたび書籍として出版されたそうで、見本を受取りました。なんと楽譜が併記で、CDまで附いています。わたくしは軍歌については月刊雑誌『新潮』にあとにもさきにもただ一回「琵琶・テニソン・手鞠歌」という短文を寄稿するために国会図書館と都立中央図書館で調べまくったことがあります。そのときに「抜刀隊」あたりに関するだいたいのことは承知したつもりでおりましたが、小川さんが武通メルマガで紹介されていた知識は過去の「軍歌解説書」を超えた範囲に及んでおり、感心をいたしておりました。ご労作だと思います。旧来のワンパターンの解説にあきたりない向きには、新たな参考書としてご推薦します。
 

煙突どころじゃなかった。

 大家さんが差し回してくれた大工さんと、いっしょに外部を点検したところ、「あっ」と驚き。屋根の内部の構造材そのものが雪の重みで「ベキベキベキッ……」と折れて大きく凹んでいるのです。それで、屋根に金具で固定されていた煙突も外れたというわけです。どうも築20年以上で材木が腐っているのと、屋根のトタンの表面が錆びていて雪のすべりが悪いのが原因らしい。
 この調子でまた大雪があったらどうなるんでしょうか。雨のシーズンになったら雨漏りも必至です。結論として、どうも近々にまた引っ越しをせねばならぬようです。
 不動産に「掘り出し物」無し。