『voice』最新号の中川昭一氏の寄稿に関して。

 わたしは中川氏には興味は無いのですが「レギュラス」という単語に反応しました。
 思わず昭和61年の国会の速記録をネットで検索しちゃいました。ついでに大出俊が横須賀と原潜の話をとりあげたもっと古い議事録もヒットしたので読みふけってしまいました。
 はじめに雑感を申しますが、インターネットは間違いなく有権者が国会の議論をチェックし易くしてくれました。誰がいつ阿呆な発言をしていたか、丸わかりです。過去の速記録がぜんぶテキストデータになっていて、その記録が永久に曝され続けるのは結構なことです。入力の手間暇はたいへんだと思いますが、タイプミスもほとんどなし。
 しかし昭和61年にもくだらない国会をしていました。当時の社・共は、日本人が日本国内ではアクセスしにくい米国内の半公開資料をとりよせて騒いでいただけだ。いまならネットでヒキコモリでも取って来る、そのレベルの秘度の資料にすぎません。
 さいきんの野党には、レアな米軍資料をふりかざして閣僚から言質を取ろうと迫る議員がいないな……と思っていたら、もともと大した調査はしていなかったのですよ。「ネットが無い」という昔の情報環境の中で、彼らのフツーの調査が、日本の土人には際立って見えただけだ。
 そして、取ろうとしている言質がじつにつまらぬもので、シナ・ソ連のエージェントもどきの反日的な動機が、有権者から本能的に好感されなくなるのも、時間の問題だったんでしょう。
 大出俊氏が横須賀と原潜の話を国会で最初にしたのが、昭和41年5月31日の内閣委員会です。これがたいへん面白い。
 シナが核実験してから2年経っていません。勝負どころですよ。防衛庁長官は、根が「反シナ」と伝わってくる松野籟三。
 官僚のくせに政治家より威張っていた旧内務省の海原治を松野は左遷したんですが、あとで官僚から仇を取られてスキャンダルにハメられて失脚しています(失脚してなきゃ、首相の目もあった)。その原因が分かる。隙があるんですよ。海原らキレる官僚とはぜんぜん肌合いが違うんだ。好漢なのだが……。
 この時代の国会で原子力の勉強をしていない。ミサイルの勉強もしていない。だから官僚に代弁してもらうしかない。野党の方が勉強しているから、下僚としたら、国会でなんだか頼もしくないように見えてしまうわけです。シナが日本に届く核ミサイルを持つ年ですぜ、昭和41年言うたらね。これでは下僚が海原についてしまうよ。
 好漢惜しむべしですよ。あたら「反支」の人材をうしなってしまった。海原がこの時点ですでに「天皇」と呼ばれていたことも大出の発言で確かめられる。面白い。
 楢崎弥之助がここで言っている。〈もし防衛のためなら核兵器も憲法違反ではない。政策上それをしないというだけ〉という政府見解がすでにあることをね。いまの中川さんは大昔からある話をただ再確認しているだけです。
 シナの原爆に対抗して、この時期、米軍は、佐世保と横須賀に米空母や原潜を寄港させようとしていた。それによって、日本はシナに対抗して核武装する必要はない、と伝えたいわけです。日本政府はそれに乗った。乗るしかない。マック偽KEMPOH下の経済成長下、「自衛隊をもっと増強せよ」という日本の有権者は19%しかいなかった。ところが社・共は、日本独自の核武装にも、核を積んだ米艦の寄港にも、どちらにも反対する、というわけです。だったら日本はシナとソ連の奴隷になれっていう主張だ。こんな野党が支持されていた。マック偽KEMPOHの害毒は日本人の理性をすっかり麻痺させました。これほど効いた毒は、日本開闢いらい、無いでしょう。
 大出の寄港反対の口実が、スレッシャー級攻撃原潜にサブロックが積まれているというのです。まだ前防衛庁長官の小泉(父)が地元横須賀で生きていた頃でした。大出の選挙区は隣の横浜で、ノース・ピアと相模原の間の物資輸送はぜんぶ把握しているし、横須賀にも詳しいわけです。「核アレルギー」という言葉は米国の雑誌で使われた言葉だとも分かる。
 昭和41年国会では、『陸奥』の艦長だった保科善四郎も現役議員だったんですよ。「自主防衛」と「自力防衛」は違う。「自主防衛は、孤立防衛ではない」――という話をこの時点でもう確認していた。平成になってもまだこの違いは認知されていませんからね。日本の「記録環境」「記憶構造」がおかしいんですよ。痴呆老人がおんなじことを何度も何度も聞くようなもんでね。だからわたしが「図書館、図書館」と言うとった意味もわかって貰えますか。
 さて、大出レギュラス発言の初登場は昭和59年2月28日の衆院予算委員会です。1958-2の米国資料をもちだしまして、ターボジェット推進の音速ミサイルである「レギュラスⅠ」には核弾頭がつけられ、しかも潜水艦×2、巡洋艦×4、フォレスタル級の全空母(10隻)に積まれてすでに海に出ていると書いてあると。
 またその後の資料によればレギュラス搭載潜水艦は5隻に増えており、またレギュラスを積んだ米海軍艦艇のデタレント(抑止)ミッションは1960-3-12に開始されて1963-12まで9回実施されている。ところがすでに巡洋艦『ロサンゼルス』は1961年に神戸に寄港している。また第4回目のミッションは横須賀を使っている。問題じゃないか――というわけです。昭和36年のえらい古い話を昭和59年にしている。
 1964年以前の「抑止」はすべて対ソ用です。ミサイル・ギャップが信じられていた。
 で、ようやく肝腎の昭和61年2月8日衆院予算委員会の速記を見る。
 ここで大出氏はさいきんロサンゼルス型原潜が核トマホークを積んで横須賀入港しているんじゃないかと問う。たとえば昭和60年だけでも7隻のロサンゼルス級攻撃型原潜が都合14度、入ってきている。
 その質問の流れの中でまた昔話をするわけです。例の1960年代初期のデタレント・ミッションで『グラウラー』と『グレイバック』がレギュラスを積んでいた。「レギュラスII」を積んだ『グレイバック』は四回演習をやって、うち二回は横須賀で終わった。だから核兵器が寄港していると。三原則違反じゃないかと。政府は米国に問い質せよ、と。
 また昭和39年にはすでに原潜にサブロックが積まれているはずで、それは日本に寄港していると。
 これを中川議員は当選して最初の予算委員会だったのでよく覚えていると今度の『voice』で書いていらっしゃる次第です。としますと、おなじ引用をするのなら、大出質問の「三十九年以来……」の箇所ではなくて、もっと古い年号に言及した箇所の方が、より趣旨に適うのかもしれません。中川氏のスタッフは案外、親分に粗いサポートしかしてないんじゃないか?
 じつはこの日を含めて後続のかなりの審議がトマホークでもりあがりました。というのは戦艦『ニュージャージー』が核トマホークを積んで横浜にやってくるという話があったわけです。
 とうじの背景を概説しますと、レーガン政権はおびただしい水上艦と潜水艦に核トマホークを載せて極東海域を遊弋させつつあった。ソ連のシステムでは軍艦にやたらに核兵器は積めないのです。人とモノの管理がたいへんなので。だから対抗できなかった。
 対抗できないのでどうしたかというと、西側のすべての反政府集団に「反核」運動を促していた。
 中川氏と麻生氏はどちらも核武装論者なんかじゃあるめえと疑っていたら、中川氏ご本人は『voice』12月号でこう書いています。
 いわく「まず現在の日本国憲法を前提に、『持たず、作らず、持ち込ませず』を守り、そのうえで何ができるかを考えることだ。そのうえで憲法を変える必要があれば、対応すればよい。しかし、それは今後の国民的議論が必要だ。私は『核武装せよ』といっているわけではない」。
 ……これのどこが核武装論?
 今回の『voice』の記事から匂ってきますのは、従米一辺倒の下僚スタッフによる熱心な入れ知恵が中川氏に対してはなされている、という印象だけのように兵頭は思います。
 最新の『中央公論』には麻生外相が何か寄稿しているようなのでこれもチェックしたいところですが、当地北海道では月刊誌の店頭売りが内地より数日遅れますので、まだ書店には出掛けずにおります。中公は拙宅に送られてこないんですよ。しかたないので、来週の月曜あたり、買ってこようと思います。


チラ裏日誌

 核武装論が出てくると、敗北主義者が「錦の御旗」のように取り出してくるのがNPTでしょう。
 このNPTってのは、米ソ英仏支があるとき皆で寄り合い相談してムラの掟として自生的に定まったようなもんじゃありません。アメリカ一国の主導で他国に案を示して同意させたもので、他の四国はそれを呑んだのです。幹事国はアメリカであり、「アメリカ=NPT」です。ここが分かっていない人が多いのがいつもながら驚きです。1億総「村人」感覚なのですな。
 NPT加盟国があらたに核武装するときは、それにアメリカが同意/黙認するか否かだけが重要なことで、アメリカが同意/黙認すれば、あとの国には止めようもないのです。
 ソ英仏の3国がNPTに同意したのは、「西ドイツに核武装してもらっちゃ困るな」との利害が共有されていたからです。とうじのアメリカの心配は、フランスとカナダと英国が、プルトニウム取り出しの容易なタイプの原発を世界の核後進国に売り始めていたことでした。
 北鮮の核爆弾はパキスタンの技術です。パキスタンに核を拡散させたのはシナです。アメリカの1994の北鮮爆撃を世界的工作で阻止したのはシナです。シナはアメリカのNPTを妨害し破壊しました。
 匪賊の親分は新参の子分に銃器を渡し、子分はその代価として親分に面従します。「面従」すれば「腹背」しても良い――と構えるのがシナ式なのです。子分は、やろうと思えばいつだって親分の隙をうかがってその銃器で暗殺できるでしょうが、そんなことを気に病んでいたら、ヤクザの親分やシナ人はやっていられないんです。それよりも、できるだけ大勢の子分が面従してくれること。それを他の世界に向かって誇示できること。これがシナ人が感ずる「セキュリティ」であり、人生最大のよろこびであり、人生の目的そのものなのです。この前、北京にアフリカ諸国を呼び集めた儀式もまったく同じです。俺には子分がこんなにいるぞ、と。それをアメリカに示すことで、アメリカと対抗し、最終段階ではアメリカをもシナ化するつもりです。
 アメリカはシナ対策に本腰を入れねばなりません。
 アメリカにとって好都合なのは、日本がイギリスのように信じられる国になって、核武装してシナを封じ込めることです。ところが困ったことに、日本は信じられる国じゃないのです。
 公的な約束を軽視する国民であると思われている。そんな国民に核ミサイルを持たせたくありませんよ。誰だって。
 マックKEMPOHは、日本が武力をもたず、武力で自由を守りませんと誓約する内容です。属領フィリピンがアメリカから押し付けられたのと同じ「擬似条約」です。これはアメリカ政府のプログラムにはなかったことで、異常な軍人・マッカーサーが独走したのです。マッカーサーが嘘つきであることは昭和29年に青木一男が明らかにしました。
 アメリカ政府は、そんな阿呆な憲法は早く廃絶しろよと、朝鮮戦争直後から非公式ルートで促し続けました。しかし日本政府は何もしませんでした。
 こんな偽憲法を60年も放置している国民なのです。日本の有権者は。
 この偽憲法を放置しながら、英仏以上の国防費を毎年支出している。嘘つきじゃないですか。
 憲法をいいかげんに考えている国だから自国民の人権も守れない。
 <自国民の自然権を守らない>と謳う憲法なのですから、拉致被害者の放置もある意味筋は通るのですが、これでは「まして外国に対しては、何をしでかすか分かったものではない」と思われるのは避けられません。マックKEMPOHある限り、日本人は外国からは信用されようがないのです。
 アメリカ合衆国は、バラバラの個人の寄り集まった共同体として、強大化しました。いわば、いきなり近代社会としてスタートした新造大国です。強国となり大国であることによって、国家を構成する全個人の自然権もまた、強く保護されてきています。
 自由な個人同士の間の自然権を合理的に両立させるには、「公的にウソをつくことを許さないこと」「契約を守ること」「法律を誰にも例外なく守らせること」は欠かせないでしょう。個人が個人として自由でいたければいたいほど、その人々は、民本的な手続きで制定される法律を大事に考える共同体に、忠誠をつくす義務があります。
 だからアメリカ合衆国において、政治家や事業家は本職の以前に「弁護士の精神」を持っていなければ周囲からは深く信用されず、人々は最も国旗を尊重し、地域での教会の地位が英国とも大陸ヨーロッパともくらべものにならず高いのです。
 このアメリカ合衆国の外交の独特な個性を感得するには、フランク・ケロッグ(1856~1937)といういいかげんな法律家と、彼がノーベル平和賞を取るきっかけになった「パリ不戦条約」を振り返ることが、非常に参考になりましょう。
 ケロッグはミネソタの田舎で法律を独学し、州の司法試験に合格。地方検事からキャリアをスタートし、1904年からセオドア・ローズヴェルト政権の反トラスト訴訟を手伝って名を売り、1912年に上院議員となりました。
 共和党員でありながらウッドロー・ウィルソン支持であり、ベルサイユ条約にも国際連盟にも賛成です。しかし選挙で負けたため、上院議員は一期かぎりで終わりました。
 クーリッヂ大統領は1925年にこのケロッグを国務長官に抜擢します。
 ケロッグの最初の仕事は、シナにおける排外暴動への対応でした。全米の田舎町からシナに多数の宣教師を派遣していたプロテスタント教会は、蒋介石の革命外交路線を支持するよう、米政府に求めていました。
 1926年、シナの国民政府は、九か国条約の参加国の中で最も報復力の弱そうなベルギーとの条約を一方的に破棄しました。列強がもしこれを黙認するならば、シナはどんな条約も破ることができるという悪しき前例が生じます。そこでシナ駐在のアメリカ公使(当時のシナは「大国」ではないのでどの国も大使館をおいていない)だったマクマリーは、ケロッグ長官に注意をうながします。
 だが東洋に関する知識ゼロなケロッグは、宣教師と教会の世論に媚び、条約を軽視し、シナを支持する声明を出してしまいます。ベルギーは国際常設法廷に提訴しましたが、シナが出廷にすら応じなかったことはいうまでもありません。
 国民党は続いて1927年、揚子江を大型砲艦が遡航できぬ季節を選び、漢口と九江のイギリス租界に軍隊を乱入させ、強行接収をはかりました。またもや米国の教会はこれに声援を送り、本国の下院も、米国は治外法権を一方的に放棄せよという決議案を審議しはじめるのです。
 アメリカの場当たり的外交に危機感を抱いたのが、フランス外相のブリアンです。
 ブリアンは、米国の第一次大戦参戦10周年にあたる1927年に公開書状をケロッグ宛てに発し、仏米二国間の対独集団安保体制を提案しました。
 ケロッグは、国是たる孤立主義には逆えず、さりとて、「反対する」と返事をすれば、東部エリート層に多い「国際派」勢力から批判されてしまいそうでした。
 そこで、米国内で「戦争の違法化」というスローガンがブームとなっていたのに着目し、「戦争を国家政策の道具としては放棄(renouncing)する」という主旨の多国間条約を、ブリアンに逆提案します。
 国務省は、この条約を日本(1928年6月に張作霖を爆殺したばかり)やドイツにのませることに大きい意義があると考え、熱心に働きました。
 国際連盟の五大理事国の一員として、すでに不戦条約に類似した連盟の規約に賛同している日本は、ケロッグの呼びかけを拒絶できません。
 これが「戦争ノ抛棄ニ関スル条約」(パリ不戦条約)で、1928年8月27日に日本など11か国が調印しました。その時点ではシナとソ連は入っていません。条約は1929年7月24日から発効することになっていました。
 米国では、条約を批准するか否かは、上院が決めます。上院は、<条約がアメリカの自衛権を害しないこと、自衛戦争かどうかを判断できるのは各国の意思のみであること、またこの条約によってアメリカが違反国に対する制裁を自動的に求められることはないこと>を確認して、承認しました。
 イギリスも、スエズ運河などを念頭に置き、次のような留保を表明しています。「ケロッグ氏は自衛権が譲り得ないものであると認めた。世界には、英国の安全のために特別で死活的な利益を構成する諸地域がある。これらの地域を攻撃から守ることはイギリスの自衛である」。
 不戦条約が発効するまでに、シナやソ連など31か国も、ワシントンに「確定的な忠実な支持表明の委任状(instruments of definitive adherence)」を、各国内で批准の上、寄託し、これらの国々は1929年7月24日付けで、不戦条約の加盟国として扱われることになりました。
 1929年にケロッグからこの不戦条約の幹事役を引き継いだアメリカ国務長官が、スチムソンです。
 彼の就任早々、満州の張学良と極東ソ連軍は戦争を始めました。スチムソンはパリ条約幹事国としてこれを仲裁します。
 シナ革命外交への態度では、スチムソンはケロッグ以上に宥和的でした。好機と見て、蒋介石軍は1929年に天津のベルギー租界になだれ込みます。マクマリー公使は、これこそ不戦条約違反だと考えたが、国務省の極東局長ホーンベックと上司のスティムソンはあくまでシナに味方し、ベルギー租界は8月31日に消滅します。
 スチムソンはケロッグよりははるかに日本を知っており、日本政府の面子にはずいぶんと気を遣っています。しかし1931年からの日本の満州事変は、まさに自分の顔に泥を塗ったものであると、翌年末までに認識をしました。さんざん気を遣っただけに、日本陸軍の見せる行動がいっそう不愉快でした。スチムソンはのちに陸軍長官(国防長官)となって、キッチリと、このときの報復を成し遂げるのです(カイロ宣言およびポツダム宣言および原爆および東京裁判)。
 東京裁判で木戸幸一などの弁護についたウィリアム・ローガンは、1948年3月10日の市ヶ谷法廷で、かつて不戦条約の上院での批准審議の折に、ケロッグ本人が<経済封鎖は戦争行為だ>と答えている記録を引き、真珠湾攻撃は自衛だったと強弁しました。これなどは露骨な詭弁でしょう。
 米国人にとって封鎖とは、南北戦争のときに北部海軍が南部の大西洋岸を哨戒し、港に出入りしようとするすべての商船を拿捕・撃沈しようとしたような行動を指します。真珠湾攻撃以前の米国の対日石油禁輸は、軍艦による日本の封鎖ではありませんでした。オランダとイギリスが石油を日本に売らなかったのは、日本が両国と交戦中のドイツの同盟国であるのですから、むしろ当然でしょう。国際連盟規約も、パリ不戦条約も、禁輸が戦争行為だとはしていません。
 支那事変中のアメリカは中立ではなかった、と唱える論者もいます。たとえば東京裁判のパル判事は、アメリカは真珠湾攻撃のはるか前から、武力紛争の一方の当事国(シナ)に武器・軍需品を積み出し、一方(日本)に対しては禁じていたから、すでに戦争の当事国だろうと意見書にしたためています。これも、いいがかりでしょう。
 アメリカは1938年以後も日本に戦略物資たる石油を売り続けています。全面禁輸したのは南部仏印進駐に対する経済制裁なのです。南部仏印進駐は、日本がアメリカにお願いして始まった日米交渉中の暴挙で、しかもアメリカの警告を無視して実行されました。アメリカが怒るのは当然でしょう。
 支那事変は日支のどちらも宣戦布告しておらず、したがって法的には戦争ではなかったのですから、米国メーカーがシナに武器を売ってもなんの問題もありません。中立には好意的なものもそうでないものもあり、後者を戦争行為といったら世の中に中立はなくなります。日本がシナに宣戦布告すれば、米国も表向きはシナに武器が売れなくなったのですが、米国製石油欲しさにそれをしなかったのは日本なのです。フライングタイガースは日本を空爆したわけではありません。日本の特務機関は実際に軍閥間騒動を指揮しています。
 FDRが1941年12月8日の連邦議会で日本に宣戦布告したとき、<日本政府は偽りの声明や平和維持の希望を表明して、米国を念入りにあざむこうとした>と述べています。日米交渉中の日本外務省の態度は、まさしくその通りだったでしょう。事前に「貴国のこの行為は正義に反し、わが国益に致命的に有害だからやめろ。やめないのなら、わが国は自衛の行動を起こさざるをえない」と、要求および警告を伝えたでしょうか?
 シナの革命外交への肩入れに関して米国の態度は不法で不正義でした。が、真珠湾奇襲の作法は明白に日本側の「侵略」なのです。あれを自衛といいつのれば、日本はシナと同列のレベルに落ちることになるだけです。
 寺島健は条約派の予備海軍中将で、東条内閣の逓相でしたが、彼の伝記の中に逓信省の文官の証言があって、昭和16年11月の北海道で無線をモニターしていたら日本海軍が北で作戦を起こすためか電波封止に入ったことが分かり、北方といったら相手はアメリカしかないので戦争を予期したと見えます。つまり南雲艦隊の単冠湾への集結と出撃などは、電波の世界ではバレバレだったのです。ハルノートは単冠湾出撃の直後に作成されました。すべては見張られ、海軍省の電話も盗聴されていたのです。
 ですから真珠湾攻撃をアメリカが予期していたのも何も驚くことのない、あたりまえの話なのですけれども、艦隊の出撃と実際の攻撃行動との間にはなお天地の開きがあり、外交官が自国艦隊の出動を知っていながらそれを交渉での立場の補強に役に立てるのでなしに、その逆に、軍隊が外交官を抱きこんで嘘を演技させて奇襲を試みたという事実が、アメリカを激怒させたのです。
 米国は、第一次大戦以降、一国で防衛が成り立つことが確実に見えた唯一の国でした。
 しかし、遠い将来を考えたとき、もしも全ユーラシアがアメリカの敵に回るような事態を座視すれば、そこから中南米やカナダにも反米工作の手が伸ばされるかもしれないと、一応懸念されます。なにしろ、全ユーラシアの資源と人口をあわせれば、それはもちろん米国より巨大だからです。
 そこで、ユーラシア大陸内、あるいはその辺縁に、味方を確保しておくのが米国にとっては長期の保険になるのです。すなわちそれが第二次大戦の米英同盟、米ソ同盟、米支同盟です。また戦後の、米英同盟、米独同盟、米日同盟も同じです。
 米英の海軍力では戦前のドイツを倒すことはできず、どうしてもソ連の陸軍力に頼る必要がありました。同様、米英の海空軍力では戦後のソ連を倒すことはできず、どうしても西ドイツに再軍備してもらう必要がありました。
 また、日本の経済ポテンシャルをソ連や中共に奪わせるわけにもいきませんでした。その日本が自分でGNPにふさわしい軍事力を持ちたくないというのであれば、アジアでのソ連の進出を封じ込めるため、赤色シナと手を結ぶのも、アメリカにとって安上がりな一法でした。
 かくのごとく現在では、単独防衛を現実的な国是にできる国は、地球上にはありません。集団安保はすべての国家の自然権です。
 1970年代後半から1980年代にかけ、米ソ冷戦の終末段階(ナヴスターGPS衛星群+トライデントSLBMによる米国の対ソ戦略核バランス優位の確定の流れと、それに抵抗するソ連最後の宇宙軍拡のあがき)を意識することすらもなく、マックKEMPOHに自己肯定をされた我が日本の腰抜け町人たちは、「趣味に生きる人生」を捜索します。日米経済摩擦は、統制経済を愛する日本の官僚の「身内を裏切るな」の儒教ビヘイビアが米人から反発されたために険悪化しました。
 1994年の半島危機と、「10.9」以後の国会論議で、米国指導層の「侮日」はいっそう深まったでしょう。現在のイラクでの苦戦と、シナ政府の宣伝の狡猾さを考えれば、沖縄駐留の米海兵隊が、シナ軍に対して用いられるような可能性はほとんどあり得ません。逆に本国での侮日の気分を受けた在沖の海兵隊員が、平時の日本国内でまた騒ぎを起こさないともかぎりません。政府は米海兵隊にはさっさとお引き取りを願っていいでしょう。


やはり高校は要らなかった。

 かねてわたくしの持論でありました「日本に高校は要らない」が、今日の報道で立証されたようで、嬉しいです。
「中卒の資格で大学に進学できるように制度を変えるべきなのだ」ともわたくしは複数の媒体で主張して参りましたが、現実がとっくにそうなっていたのだとは驚きです。もう、中卒の資格だけで東大に進んで、高級国家公務員になっちゃっている方々も、現に複数いるのでしょう。(さらに官庁から天下りしている人もいたりしてネ。)
 制度は、もう存分に破壊された、と言えるでしょう。
 法の下の平等を唱えるとすれば、大混乱ですよね。
 また、来年から単位チェックを厳しくしても、すぐに元に戻るんじゃないでしょうか。ごまかせたモン勝ちのようですからね。
 好い機会ですから、現実に無視されている制度を、法制上も、廃止することですよ。「マック憲法」と同じですわな。
 わたしは高卒で就職してそれから大学に進みました。その受験のときに内申書をとりにいって改めて理解したことがある。「就職組」の内申の点数は、「進学組」のために融通される、という長年の慣行があることです。つまり、「進学しません」と申告した者は、素行が普通であっても、そこらの悪ガキかノータリンのような内申点が付けられてしまう。進学組の内申評価は、その分だけ、水増しです。馬鹿々々しいものだと思いました。
 自衛隊の通信隊員初期課程の暗号翻訳で「非算術計算」をするスピードでは、わたしは他の新兵より遅かったことを記憶しています。周りのほとんども高卒の人たちです。
 しかし数字の羅列を出したあと、電報紙に日本語の元の文面を再現する作業ではわたしは大卒自衛官よりも速かった。
 このあたりで気づいたのです。日本の田舎の高卒や高校中退者の中に、大卒者より優秀な者がいくらでもいるのだと。逆に、大卒が真のエリートであるのかどうかは、80年代前半の時点で、もう疑わしくなっていました。
 素養があるのに家庭の経済的な事情で大学に進学できなかった子弟は、もしその高校の学資を節約することができたなら、さっさと大学に進んで、そこで特定の才能を伸ばせたかもしれない……と思いませんか?
 15歳から18歳は、鍛えようによっては、人間の頭脳と体力が飛躍的に高性能化する時期でしょう。ところがその貴重な時期に、日本社会は、「高校」というムダ/ムリ/ムラの三拍子揃った欠陥だらけの制度を押し付けて、才能の芽を<効率的に>摘んでいるように見えます。
 だいたい、この3年間に目一杯読書をすれば、たぶん誰でもひとかどの専門家になれるはずなのです。ところが、興味のない科目を暗記させられたら、どうなるでしょうか?
 とりかえしのつかないムダ使いです。時間と才能とカネと自己実現のチャンスの。そして国家は肝心な人材が供給されずに、生き残り難くなってしまうでしょう。
 日本の旧制高校は、つめこみ教育の可能性を世界に示したと思います。しかし同時に、その限界も示した。マック憲法なんていう偽憲法、自由放棄の誓約書を押し付けられて平然としていたのは、やはり旧制高校のエリートたちでした。
 むしろ旧学制の世話にはなっていない、高橋是清、井上毅といった世代の方が、「譲ってはいけない一線」はどこかが、自得されていたのではないでしょうか?
 昨日、韓国MBCテレビの取材を受けました。そこでインタビュアーの方と対話していて思った。この人は日本以上の受験競争社会を勝ち抜き、アメリカ留学もし、報道番組のスタッフとなって、優秀な若者だ。しかし、軍事のこと、否その前に、「自由」はどうやって守られるのかについては、深く考えたことがなさそうだ──と。
 隣の国が核実験しているのに、そんなエリートばかりだったら、困るでしょうよ。
 高校の教諭が無気力者であったため、中学まで好きであったその科目が急に嫌いになった──。これも、よく聞く話です。無気力授業は全国規模で強制展開されている。これまた、とりかえしのつかない、国家的な才能抹殺制度じゃないですか。
 さいわいなことに、チャンネル桜の水島さんは、世界中の最もすぐれた名物教諭の高校の授業をビデオで集積して、それをネットで提供するという事業を考えておられるようです。早く実現して欲しいですね。ますますこれで高校なんて要らなくなるはずです。
 減少モードに入ったとはいえ、日本には1億2000万人以上の人口があります。今日では、一握りのエリートが活動してくれたら、一国の福祉をまかなえるくらいの価値生産をすることは可能になっています。経済が効率化しているのです。すべての先進国で経済が効率化している。ここで、「効率的な労働者」を量産する教育なんかしていたら、日本はすぐに競争力を失うに決まっているでしょう。天才が開花するかもしれない15歳からの3年間、日本中で全く同じ指導要領の教育などさせてはいけない。それは、教わる側はもちろん、教える側にとっても、非生産的です。高校は全廃すべきです。


中共の終りも始まった。北京五輪はもう開けません。

○事実:北鮮・新義州と北京間の距離は688km。平壌から北京まで806km、白頭山から北京まで1019km。
○事実:ソ連製「スカッドC」弾道ミサイルは、射距離600km、ペイロード600kg。
○事実:「スカッドD」は、ペイード985kg、射距離700km。
○事実:北鮮は「スカッドC」のコピー品をかつてイランに輸出したことがあるが、「スカッドD」のコピー品、もしくはペイロード1トン以上でなおかつ射距離700km以上のスペックの弾道弾の国産品があるのかどうかは未証明。
○事実:1966年に中共が「東風2」の弾頭に実装した最初のウラン爆縮式原爆は重さ1.5トンで威力12キロトン。
○事実:ソ連は、中共が核武装する前年の1963年と、中共が核ミサイルでモスクワを射程にとらえた1969年にアメリカに対して共同先制核攻撃をもちかけたことがある。また、反ソの毛沢東らを除去し、親ソ政権を北京に樹立するため、エージェントによるクーデターも工作し続けたが、1971年の林彪事件と米中国交回復とで最終的に失敗している。
○事実:中共は1994年の米空軍の北爆回避以降、すくなくとも1996と1998の2回、平壌でエージェントによる反金クーデター工作を試みた。
○推定:これまで北鮮がテストで500km以上飛ばしてみせた弾道弾の実装ペイロードは700kg未満(テポドンに関しては数十kg)。400km以下で飛ばした実績のある弾道弾のペイロードは500~700kgだったであろう。運搬手段がそれしかないのだから、北鮮が500~700kg以内の重さで原爆を設計しようとしていたことは当然、推定される。
○事実:10月9日の実験装置の重さは不明である。
○推定:もし北鮮が手にした原爆が、重さ1トン以上あるなら、東京が北鮮の核ミサイルで攻撃されることはない。
○推定:北鮮の原爆改良努力とミサイル改良努力がこんご1~2年も続けば、最初に北京がキチガイの核脅威にさらされるおそれが強い。北京五輪は不可能になる。
○推定:北京に時間はない。もはや北鮮に侵攻するしかないが、2007前半までにすべてが片つかないと、やはり2008五輪の開催は危ぶまれる。できれば2006年中に侵攻したい。このため直接の安倍タタキ発言を一時的に抑制している。シナのアメリカへの根回しは10月9日より前から始まっていた。アメリカはそれをうけて安倍を訪米前に訪支させた。
○推定:北京の軍事的冒険がもしつまづけば、中共は一挙に瓦解する。そうなると、SUN出版が年内刊行を予定していたがなぜか年内までに作画があがって来ぬらしい『マンガ 2008年 日中開戦!!』(原作/兵頭二十八)は、出版の機会を失う。またしても「珠玉の没シナリオ大全集」に新たなラインナップが加わるのか?


大間違い訂正

 昨日収録して今日・明日放送(かな?)のチャンネル桜の「安全保障大学校」の講義の中で、「横井小楠は熊本の人だからクリスチャンだ」みたいなことを口走ったかと思いますが、人物辞典で確かめるまでもなくこれは間違いです。同じ熊本の徳富蘇峰ら別人と混同しちょります。スミマセン!
 いいわけをしますと、インタビュー番組だと思っていたら、上京後に「じつは『講義』だ」というんで、ホテルで1時間を使ってコンビニで買ってきたルーズリーフに講義メモをザーッと書き込んで朝9時台からの本番収録に臨みました。まあ、「やっつけ」でもここまで語れるという自信はついちゃいましたけども……。カネ払って「講義」みてくださる方、たいへん恐縮です。
 北鮮に関する最新の兵頭の意見を知りたい人は明日の再放送をどうぞ。また、インターネットでも後日、見られるはずです。有料ですが。(桜の水島社長は「有料ユーチューブ」みたいなすごい動画ネット企画を考えてるみたいだ。もうCSの時代じゃなくなるよネ。)
 それと私ごとながら目下PHPの特急企画に取り組み中です。これからしばらくこのコーナーに書き込みしづらい日々が続きますので、ご了承ください。


「来年7月まで待てる」などと考えている御目出度い政界人たちへ

 日本はアメリカの同盟国でしょうか? そうじゃないですよね。
 自由の敵たる専制シナに良い顔をして、反自由宣言たるマック憲法をいつまでも棄てようとしない。そんな政体が、アメリカ合衆国の同盟者であるわけがない。
 同盟者ではなく、奴隷がふさわしい。だからアメリカは日本から毟[むし]れるだけカネを毟ってきました。レーガン政権もクリントン政権もブッシュ親子政権もベイシックな侮日観(=シナに叩頭し続けるどうしようもない奴隷)では一貫しているのです。唯、小泉純一郎だけがホワイトハウスから認められた。小泉氏はすくなくとも自分はシナ嫌いだと態度で表明し続けたからです。
 1994年にアメリカは北鮮爆撃ができませんでした。これも、日本がアメリカの同盟者ではなかったせいです。でも、奴隷なんだから、困っても構わなかった。北鮮が北米を攻撃できないことは明らかでした。正日がさんざんテロを働いていた頃も、在韓米軍には決して手を出しませんでした。
 今回も、アメリカは北鮮爆撃ができないかもしれません。これも反自由主義国の日本のせいです。日本が専制シナと戦争しようとしないせいなのです。
 アメリカには時間があります。日本には時間がありません。金体制にはもっと、ありません。
 とすれば日本が率先して戦争の矢面に立たなければならぬわけですが、安倍氏はこれまで核有事について何も考えてきておらず、これからの新事態を乗り切る器量はありません。
 自民党の安全保障調査会長である山拓氏は鹿児島で講演し、北鮮が要望するアメリカと北朝鮮の二国間直接交渉は朝鮮半島の非核化のためになるので、日本は正日のこの要望を後押しすべきだと語ったそうです(ネットの14日夜のTBS報道による)。公害企業と住民代表のボスが密室で多国間の公的な諸約束を度外視して「手打ち」をすればよい、というのですから、もうこれは「自由主義」でも「民主主義」でもない。
 料亭利権政治の発想でしか日本の防衛を考えられぬ人がかつては防衛庁の長官だったと考えますと、日本国の人材払底はおそるべきものです。
 ヤクザと警察が馴れ合って地域が平和になるわけがない。
 TBSによれば山拓氏は<臨検は北朝鮮の暴発をよび、相当な被害を受ける覚悟をしなければならない>とも述べたそうですが、「暴発」って何ですか? 核攻撃と比べての「相当」な被害とは、何を言いたいんでしょうか。
 1989年1月にリビアが地中海から圧迫してきた米空母をミグ23で追い払おうとして逆に2機が撃墜された。カダフィ大佐はそれ以降、おとなしくなります。
 北鮮は朝鮮戦争でボロ負けして以降、米軍に対してちょっかいをかけたことはありません。金正日は、カダフィよりも己をよく知っており、カダフィよりも「命惜しみ」です(カダフィは地下壕には逃げなかった。テントで寝ているところを米空軍のF-111で爆殺されそうになっている)。過去にまともな国家意思として「負けるのは決まっているがやってみる」と、西側先進超大国相手に開戦したことのある国は、旧大日本帝国だけでしょう。その思想的背骨は水戸学(陽明学)であり、ペリーの黒船体験です。昭和15~16年の日本海軍は、ちょうど幕府(帝国陸軍)に対する長州志士の「水戸学」の心組みがあった。しかし今の北鮮に「旧帝国海軍」や「長州志士」と立場が似た有力攘夷派グループは存在しません。ヤクザは警察に戦争は挑みませんし、江戸幕府も、敵を知ったあとは「攘夷」は選べなかった。敵を知った幕府たる北鮮の正規軍が38度線を越えて南に突出してくることはありません。また特殊部隊で正規戦争に勝てるのなら、徳川家康ではなくて忍者が江戸幕府を開いたことでしょう。
 アメリカはイラクで「占領術」には自信を失いました。このトラウマが癒えるまでは、他国の占領作戦はできない。だからシナの脅しに対しても腰が引けています。どうしても必要な場合は、国連軍に北鮮を占領させるこでしょう。
 しかし米国は「オペレーション」で自信を失ったことはないのです。アフガニスタンでは逆に自信を強めています。アフガニスタンは北鮮よりも広かったがオペレーションは不安がありませんでした。
 北鮮が38度線で、対韓国軍民限定の砲撃戦をしかけてくることはあるか? 
 これは核テロとは違い、おびただしい事前準備が必要です。かならず兆候を事前に知ることができます。あっと驚くような「被害」は出ません。また北鮮がこれを実施すれば、これまた「ヤクザが警察に戦争を挑んだ」ことになり、朝鮮の気違い国家は短時間で消滅し、非核化が実現するでしょう。
 山拓氏の北鮮弁護発言とおなじ14日に、国民新党の亀井代表代行も、<制裁につぐ制裁をビシビシとやるだけで、あの危険な北朝鮮が安全な国に変わる保証がどこにあるのか><ミサイル防衛の構築を急ぐべきだ>と、党員を前にピントの外れた演説をしたようです。論駁する価値もない愚論ですが、現時点での阿呆のサンプルとして紹介しておく意義はあるでしょう。
 設計図と実用兵器とのあいだには遠い懸隔があるものです。それは数多の実験によってのりこえられます。
 核爆弾は地表(高度ゼロ)で爆発させると、敵都市に与える損害が半分になってしまうのです。火球が大地に触れるため、核爆発の熱エネルギーが、土を蒸発させるために無駄に消費されてしまうからです。
 爆発イールドにみあった高度で、つまり都市の上空で、爆発させねばならない。
 そうすることで、上からの衝撃波と、大地で反射する下からの衝撃波が、水平方向への合力となり、毀害半径を最大にしてくれるのです。
 ここで重要なのが「信管」です。広島や長崎では、爆弾自身に取り付けた電波高度信管によって、地表から2000フィートで起爆させました(20キロトンに対しては2000フィートが最善の高度。それより小イールドならより低く、それより大イールドならより高くされねばならない)。ただし落下傘で減速させながら投下したのです。
 核爆弾を中距離射程のミサイル弾頭とする場合、最終落下速度は音速の数倍~20倍です。これをきっかり、地表から数千フィートで爆発させるのは、簡単な技術ではありません。
 では北鮮は、ミサイルを一定の中空で起爆させる信管実験を、過去にしているか?
 していないのです。つまり技術蓄積はゼロ。これから実験をするしかないのです。
 そんな時間が北鮮にあるでしょうか? わたしは、無いと思います。
 信管のタイミングが1秒狂えば、弾頭は地面に激突し、壊れてしまいます。もちろん核爆発は起きません。それどころか、壊れた核爆弾を外国に進呈してしまうことになります。
 タイミングが速すぎれば、やはり最大限の毀害を地表におよぼすことができなくなります。中距離弾道弾は抛物線なのですが、地上の人の目から見たスケールでは、さいごは天上から降ってくるのではなく、水平線の横から降ってくる感じです。ですので、信管が早く作動すると、起爆高度が大きくなりすぎるのみでなく、水平位置も目標の中心からずいぶん大きく手前にずれてしまう。
 こういうことが分らぬ人が、10月9日より前の時点で、それも何年も前から、「北鮮は日本を攻撃できる核ミサイルを複数持っている」と騒ぎまわっていたのは、いったい何の根拠があり、誰の為にしていたのでしょうか?
 化学兵器神話も同様で、適切な高度で適切な粒子サイズを生じさせる技術は「ハイテク」に属しますが、北鮮はそのような実験を過去にしていないのです。
 彼らにできるのは、北風が吹いているときに、38度線から原始的な毒ガスを「放射」することだけでしょう。神経剤は、液状ミストとして「雨下」させないと、大気に希釈されて効果が激減します。オウムは、開放空間で行なった松本サリン事件では7人、理想的密閉空間の地下鉄サリン事件でも12人しか殺せていません。
 日本人が核武装する気がないのであれば、数年後に日本の首都は、長崎市のような起伏の多い土地に、遷都を余儀なくされるでしょう。1945年8月はじめの長崎市の人口密度は広島市よりも高く、長崎原爆のイールドは広島原爆のイールドを5キロトン前後も上回っていましたが、長崎市の被害面積と死者数は、どちらも広島市の数分の一で済みました。地形の違いは、核戦争ではこれほど圧倒的になるのです。平地の都市に暮らすのは、隣の気違い国家が核ミサイルで武装したあとでは、はなはだ無謀でしょう。
 とりあえず、市ヶ谷の防衛庁は遠い郊外に引越し、空きビルには、在日米軍司令部を誘致することです。


次は「繋留気球」に吊るしてドン! ……なのか?

 今の北鮮のジレンマは、米軍を攻撃せずに、どうやって「核ミサイル」保有を世界に実証するか──に移りました。
 米国と「取り引き」をしたいのに、米国をちょくせつ脅威するような演出ができないことは、金正日の深い悩みでしょう。もし米軍を攻撃したと受け取られる行動をとると、北鮮を空から袋叩きにする口実をアメリカ大統領に与えてしまうのです。
 ここは、北鮮領内または沿岸で、さらなる爆発実験を、またやらかすしかありません。
 ただし、ノドン単射から始まりスターマインに至った過去のミサイル発射デモンストレーションでもそうでしたが、同じ実験を2度やっても世界は騒いでくれませんので、彼らは核爆発実験も、質的にエスカレートさせていく必要があるのです。
 さりとて38度線に近い陸上で大気圏内核実験をすると、それは放射能による韓国(および国連軍)に対する攻撃だとみなされてしまうおそれがあります。たぶん、一回目の実験場からそんなに遠くないあたりで「半地下」、もしくは「沿岸水面」で爆発させるというのが、合理的な結論ではないでしょうか。これなら世界はまた驚いてくれましょう。
 しかし、そうした実験エスカレーションの途中で、米国がぜんぜん態度を変えなかったら、どうなるでしょうか? 北鮮は抽出済みのプルトニウムのストックを、使いきってしまいます。過去の見積もりが「4発分から9発分」でしたでしょうか? この回数内でアメリカが気持ちを変えてくれなかったら、金正日は The end です。
 再抽出処理プロセスの始動は、これまたアメリカ大統領に空爆の口実を与えてしまうでしょうから当分はできません。
 続く数回の実験をどのように演出していくか、関心のもたれるところです。
 「核爆発装置」と「核兵器保有」との間には月鼈の開きがあります。9日の北鮮実験は、かなりの後進国でも「装置」によって10キロトン未満の核爆発が起こせると証明したことで記憶されるべきです。世界最貧国の北鮮が行なったことにより、「貧者はオウムの真似をする必要はない」ことが実証されました。
 ところが、運搬手段をもたない今の北鮮は、「装置」だけではアメリカを脅迫できません。爆発装置を敵の頭上に「配達」できることが証明できて、はじめてアメリカは北鮮と交渉しようかという気にもなりましょう。
 ですから2回目もしくは3回目の爆発実験は、その「配達」手段の保有をも、あわせて世界に証明する内容でなければならない。
 ここでも金正日の悩みは深いでしょう。北鮮は「核攻撃機」を、整備してこられませんでした。そもそも「空軍」そのものが無いといってもよい情況なのです。最初の核実験直後のパキスタン軍のように、低速の輸送機のカーゴベイからころがし落としてやるしか、配達手段がありません。
 ところが北鮮領内で低速飛行機が飛びあがれば、それはAWACSで在韓米軍にすぐに探知されてしまい、そくざに戦闘機をさしむけられて、長射程空対空ミサイルによって撃墜させられてしまう可能性が、捨て切れません。
 また、飛行機が爆弾をのせたままロシアなどに亡命してしまう可能性や、あるいは、矛を逆しまにして、平壌に向ってくる可能性だって、排除ができない。このへんが独裁者の悩みです。
 船舶に搭載して沖合いで実験しようとした場合も、同様の悩みがあります。出航直後に米潜水艦によって鹵獲されるかもしれません。SEALSを乗せた特殊任務用の原潜を米海軍はすでに近海に派遣しているはずです。
 北鮮にのこされた、可能な原爆配達実験は、ミサイルに搭載する方法しかありますまい。
 ただし、長距離弾道弾の信頼性は、この前のスターマインでかなりぐらつきました。信頼性のある短射程のスカッド、または対艦用のシルクワームに搭載して、北鮮の海岸線付近の上空で起爆させるならば、万一不発になっても弾頭を回収できますし、韓国への核攻撃だと勘違いされるおそれもないでしょう。こういう実験を、3回目かそれ以降で、やるでしょう。
 これに成功すれば京城を「人質」にとれます。彼らにできるのはそこまでです。そこでアメリカが直接交渉に応じなくとも、在韓米軍の配置を後退させることはあり得ます。
 この実験の前に、空中爆発実験をするのが、合理的であり、脅かしゲームとしても効果的でしょう。空中爆発は地表爆発や水中爆発と違って二次放射能で隣国に迷惑をかける程度が小さいでしょう。夜中に繋留気球を上げて起爆させる方法なら、米空軍から妨害されることもないでしょう。
 ところで日本国はこれまで沖縄のアメリカ海兵隊のために多大の迷惑を甘受してきました。報道によれば、北鮮の実験場は、日本海側の海岸に近いようです。これは、アメリカ海兵隊の出番ではないのか?
 もし、在日のアメリカ海兵隊が、これから1年たっても、北鮮に対して何の活動も見せてくれなかったら、いよいよ連中はアジアでは役立たず、無為徒食の居候でしかないと考えられる。さっさと日本から出て行ってもらってもアジアの安定にはぜんぜん無関係という話になるでしょう。
 もちろんそれは「反米主義」とは違います。東京都は、在日米軍の司令部をむしろ都心近くに誘致すべきでしょう。大阪、京都、福岡も、米軍誘致を考えた方がよくなるでしょう。日本がじぶんで核武装できれば別ですが……。
 北鮮があと数回の実験を成功させ、いよいよ「装置」が「兵器」となり、日本にとってのリアルな脅威になったら、在日米軍も、リアルな抑止力になってもらわなければ仕方ない。日本が自前で核武装するにしろ、しないにしろ、これは当然のことです。


NPT解散&総選挙の争点

 1994年に北鮮が原爆原料の取得を本気で進めていると偵知したクリントン政権は、ペンタゴンの強い勧めに同意し、北鮮内の原爆原料工場を空襲して破壊するオペレーションを検討しました。
 この攻撃機(とうぜんステルス機FA-117)が発進する基地が、新田原、またはそれ以外のどこになるにせよ、こうしたエアレイドは、電子妨害機や囮り陽動攻撃機や偵察機や対空ミサイル制圧機や巡航ミサイル(潜水艦から奇襲的に発射)などとのオーケストレイテド・アタックになります。
 つまり、三沢から嘉手納までのすべての在日米軍基地から、なんらかのミッションを与えられた作戦機が飛び立ったり着陸したりの、大童。
 それだけではありません。故障機が日本の民間空港に緊急着陸することもあるでしょうし、万一墜落したパイロットのコンバット・レスキューに、日本の自衛隊や海上保安庁や警察が総力をあげて協力してくれなくてはなりません。
 そこで、事前の打ち合わせと調査をしておくべしと、東京に米国から係官が派遣されたわけです。到着するや、たちまち彼の下アゴはだら~んと永田町の道路にへばりついてしまった。霞が関では両目がピロロ~ンと飛び出してしまいました。
 なんと、日本の政官界には「橋本派(旧田中派)」や「諸野党」や「外務省チャイナスクール」という、中共や北鮮の代弁者としか思えないトンデモ勢力が、対大陸外交政策を壟断していたからです。
 そこで係官はホワイトハウスに報告しました。「日本は半島有事の場合にアメリカに協力する実務的な準備も、意思も、皆無のようです。しかしアメリカが単独で爆撃を強行するなら、非友好的な傍観をきめこむでしょう。飛行場や港湾がどの程度自由に使えるかは、未知数です」と。
 「ふざけるな!」と米国の指導者層は怒りました。日本列島の安全のためにアメリカ軍人が命を張ろうというのに、それに協力する気がないとは……!
 「なんでそんなアカの手先どもを今まで艾除しておかなかったんだ!」と思いましたが、あとの祭りです。
 とりあえず、ステルス機による半島攻撃は「やめぃ!」ということになりました。日本人の安全はきっと低下するが、それは腰抜けの日本人の自業自得だから放っておけばいい、いや、そんな奴等からはカネだけ厭というほどむしりとってやれや、という悪意ある非友好的態度にホワイトハウスが傾斜したのは無理もありません。日本政府当路の態度は、世界の安全に対してあまりにも無責任だったからです。
 米国指導者層は他方では、長期的な日本の政界改造も企図しました。GNP世界第二の日本国が専制シナの手先となってしまうようでは、将来、米支戦争が起きたときにいささか迷惑だからです。そこでまず旧田中派を除去することに決めました。えらく時間がかかりましたが、これをとうとう10年ちかくもかけて結果的に完遂したのが、小泉純一郎です。
 小泉氏が搗いた餅を座して賞玩させてもらっているのが、有事のリーダーとしてはからきし無能な安倍氏です。安倍氏は、小泉氏がやりのこしている国内有害政治勢力の討伐を自分が挙興しなければならないという歴史的な自覚が無かったと思います。
 言うまでもなくそれは公明党の切り捨てです。早くも予算委員会で、彼らが「パシフィスト」として、また「親支・親半島」の一方の旗頭として、日本人民の未来のリアルな安全保障にあまり理性を働かせることができない異分子であることが再確認された。自民党の脳の半分に寄生生物がからみついて、日本という国家がいざというときの身動きがとれなくなっています。
 エリーティズムの共産党が昭和20年代のような大衆の支持を再獲得することは、たぶん二度と日本では無いでしょう。しかし公明党はエリーティズムを標榜せずに、最下層の零細企業主たちの間に布教を成功させた。維新以前からの伝統の「町人」の軍事的退嬰を代弁するのに、公明党ほど絶妙なポジション取りをやってきた政党はないかもしれません。
 しかし平時にはこれほどあなどり難きパシフィスト信仰集団も、北鮮の核武装から始まる有事には動揺します。そこでリーダーには危機到来と同時に瞬間的な決断が求められる次第で、たとえばNPTからの離脱を考えねばならないと議会外で公言してしまえば、自動的に総選挙の流れになって公明党は切り離され、日本はいよいよ反自由主義契約のマック憲法を棄てて普通の国になれる。しかし、安倍総理はとてもその器ではなかったどころが、ご自身が有事ビジョンの無い「良い子」政治家だったのです。男が四十を過ぎて勉強し直せるものじゃない。すぐ交替が必要です。
 第二次大戦のイギリスの将軍、モンゴメリ元帥が、回想録でこんなことを書いています。
 クロムウェルの軍人統治時代、英国はずいぶん陰気になった。それで英国民は、常備軍などもう置くまいと思った。むしろ、有事の際には緒戦で負ける方を選んだのである、と。
 日本は民本主義国家ですから、シナや朝鮮のような奇襲攻撃は仕掛けられません。必ず奇襲を仕掛けられる側の立場です。最初は敵に得点を許してしまう。
 しかし、平時から、最悪事態が起きたときに自分が首相ならどうするのかを考えていれば、心手期せずして、最良の反撃策を遅滞なく自信をもって下令することができるのです。
 それができないのは、平時に何も考えていなかった証拠でしょう。そのような人に二度目、三度目のチャンスを与えている暇は、ざんねんながら核時代の先進国民には、ないのです。
 モンゴメリはこうも書いています。共通の目的に人々を団結させる能力をリーダーシップといい、それはまた、周囲の人々に、自信を持たせることでもある。指導者は、非能率と、自分の時間を浪費する人々には、仮借があってはならない。また、臆病者は、判り次第、捨ててよい──。
 安倍氏は、臆病者のように見え、こうしている間にも、わたしたちはとりかえしのつかないタイミングの浪費をしていることになるでしょう。


どこに日本政府のイニシアチブがあるのか?

 旧海軍は、片舷で合戦中には、その反対舷の見張りを特にぬかるな、と若い士官を教育していました。北鮮に世界の注目があつまっているとき、ぜんぜん別な場所で起こされる連動的な法秩序破壊行為を、わたしたちは警戒し続ける必要があります。
 アフガニスタンとイランでは、反米勢力がますます元気付くでしょう。ビン・ラディンはまだ逃亡中です。
 安倍政権は深刻な無能を露呈しつつありますが、前小泉政権から「国内宣伝のノウハウ」だけはうけついでいますので、違った困った問題がこれから日本国内で生ずるでしょう。
 すなわち「政権の無能隠し」に全精力が注入されてしまい、裏では周辺事態がどんどん悪くなり、日本の真の安全保障レベルが下がり続けるという不幸な情勢です。
 対北鮮の新たな経済制裁が発表されました。しかし考えてみてください。これは“核実験”のあとでは、首相が安倍氏でなくったって、公明党の誰彼であろうと、こうする他はなかったものでしょう。しかも北鮮は、このレベルの制裁は当然予期していたのです。
 つまり日本政府が“実験”から2日経って「演出」していることは、大昔から相変わらずの「受け身」の政策でしかないのです。
 昔、くるまメーカーが、オールドモデルのドンガラだけをデザイン変更して新開発製品のように見せて、宣伝力に任せて売っていた、あれと同じだ。
 それをチームセコウが、いかにも重大な決定をしたような報道演出にしあげていますが、そもそも北鮮制裁は、最初の日本人拉致が知られた時点でなされて当然のものでしょう。いまさら何の手柄でもありません。
 新内閣は、アメリカから要求されてきた、対北鮮の資金流出を金融機構のしめあげによって遮断する決意があるのかないのか。それすらもないのなら、この危機の時節においては、安倍内閣はほとんど無能者の集まりです。
 北鮮のフィズル実験は、「こうすれば失敗する」という知見を実験チームに与えました。それはイコール「こうしなければ成功に近づく」です。この知見だけは、北鮮がこの世から消滅しても、消滅しません。
 また、核実験の予告や通告や宣言に対し、シナ、アメリカ、ロシアはそれぞれどのように水面下で反応してくるのか、事前妨害をのりきるための国内諸体制はどのように引き締め、あるいは発破をかければ成功するのか、その得難い政治戦場の体験も集積しました。
 これらの知識は、日本人がこんごも欠如させ続けるものです。かたや、それらは、金王朝が亡んでも、北東アジアのどこかには残って行く。長期的には韓国人がうけつぐかもしれません。短期的には、イランやパキスタンがその一部を受け取ることができます。北鮮とパキスタンはシナを媒介として陸続きであり、パキスタンはイランやアフガニスタンと陸続きです。米国の海上臨検はこれまでもこのシナ・ルートでスルーされてきました。今後も同様でしょう。
 このように全局的にみますと、今回の北鮮の“実験”は、シナの対米「オプション最大化戦略」の一歩前進だと言えます。シナは、「北鮮の実験知識をイランに伝えてもいいのかよ?」とアメリカ政府を脅迫することができるようになりました。また、もし米支戦争となった暁に、旧北鮮人のテロリストをアメリカ国内で駆使して、核テロを実行させるとほのめかすことも可能になりました。
 日本にできることは何でしょうか。まず北京五輪はボイコットしなくてはなりません。北鮮に実験まで許したのは、すべてシナの責任です。その責任をとらせなくてはいけません。それに抗議する姿勢を率先して世界に示さなければなりません。
 しかし安倍政権にはそんなイニシアチブは発揮できないでしょう。「わが国のNPT脱退」を争点とした解散&総選挙が、待たれるところなのです。真の野党よ、いまこそ出よ!
 このタイミングで日本がすべきことはまだまだたくさんあります。「集団安全保障」をめぐる内閣法制局の愚劣きわまる政府見解は一擲しなければなりません。
 またさらに「米国の核をいつでも持ち込ませる用意がある」とも声明しなければならないはずですが、安倍氏は早々とその可能性を打ち消してしまった。この人は、日本人の生命財産を守る方法を知らないのです。知っていれば、首相就任と同時に靖国神社に参拝し、シナ訪問など蹴飛ばしたはずです。いままでずっと、こうなったときのことを考えてこなかったのです。それなのに、危機の時節に首相になってしまったのです。意志があっても方法が分からないならば、小学生と変わりがない。それでは未来の日本人が迷惑します。


フィズルは何度やってもフィズル

 プルトニウムを抽出してから放置しておきますと、同位体239が、だんだんに同位体240へと変わっていきます。
 プルトニウム240は中性子を出しすぎるため、この割合の大きい原料を装置すると、爆縮をしても、核分裂反応が過早に激しくなり、わずかなプルトニウムが分裂したところで爆縮エネルギーを押し返し、爆発装置そのものが飛散します。これをフィズルといいます。核の不完爆現象です。
 フィズルで核分裂しそこなったプルトニウムは飛散します。そのアルファ線による人体への有害性は、大気圏内飛散ではたいしたことはありませんが(→『原子兵器の効果』摘録とコメント参照)、洞窟内部ではじけた場合には、長期にわたって洞窟を汚染することになります。
 半減期が長いので、これはもう、埋めるしかありません。チェルノブイリの始末と同じです。
 北朝鮮のプルトニウム抽出工程は、いまや動いてはいないと推定されます。つまり北鮮は、もう何年も前に抽出したプルトニウムを使って爆縮装置に装填してみたと想像できます。
 これは何を意味するかというと、技術者には、これがフィズルになることは予見できていた。放置時間が長すぎ、240の比率がすでに多くなっているからです。
 また金正日の立場から考えると、これ以上実験をしないで待っていれば、240の比率がさらに多くなって、もっとショボい不完爆しか実現できなくなる。だから、待つことはできなかったのです。
 240の多いプルトニウム原料を使って、同じ爆縮装置で何度実験しても、同じ規模のフィズルにしかならないでしょう。金正日は、プルトニウム抽出工程を新規にやり直す必要がありますが、これを衛星から隠すのは難しく、時間もかかるので、米軍から空爆されるおそれがあります。金正日体制には、もうその時間はありますまい。
 では二度目、三度目の実験をやらないかといえば、これはやるっきゃないでしょう。時間が経てば経つほど、現有のプルトニウムがどんどん239ではない240に変化していくのです。外国の地震計に捉えてもらえるくらいの爆発がおこせる今のうちに、古いプルトニウム・ストックをぜんぶ使いきるぐらいのつもりで、フィズル実験をやってみせるしかないでしょう。
 ただし、地中爆発では芸がないから、次は大気圏内でやるんじゃないでしょうか。みなさんは是非、米国原子力委員会が編纂した『原子兵器の効果』(邦訳1951年)を図書館で精読してください。これは名著ですよ。日本にどの程度の影響があるのか分ります。『朝鮮日報』の日本語記事で、ソウルが全滅するようなことを書いているが、この記者さんは『原子兵器の効果』を明らかに読んだことがないですね。そんな不勉強ではクオリティ・ペーパーにはなれないぞ。
 で、米国の対策ですが、これは海上封鎖しかない。いまあるプルトニウム・ストックを使い果たせば、北鮮は元のオケラに戻る。時間が経てば、プルトニウム239はほとんど240に化けて、その威力は脅威からは程遠くなる。半島に関しては、時間は、われわれの味方かもしれません。
 焦点はシナです。パキスタンと北鮮の核交流は、シナが保障したんです。人もモノも、シナ領内を通過しています。このケジメを、北京にどうとらせるんですか?
 安倍さんでは無理です。彼には何もできないと分かった。危機のときに日本の将来を好転させる発言ができないのですから、日頃からこの問題を考えてこなかったということでしょう。いまから俄か勉強したって、もう間に合いはしませんよ。こんな迂愚な政治リーダーは、危機の時には国家に無用です。早く退場してもらわなければなりません。
 通常戦力による北鮮軍の南進はあり得ません。在韓米軍をナメてもらっちゃ困るよ。この2日間で、日本の言論界の軍事リテラシーの無さは治ってないな~と慨嘆させられることしきりです。