秋まつりには スーパーヒャッハー音頭

 Kathryn Tolbert記者による2016-9-23記事「Japanese war brides married the enemy, then created uniquely American lives」。
 WWII直後の占領期間中に進駐軍将兵と婚姻して渡米した日本人妻は4万5000人くらいいるらしい。
 『七転び八起き』というドキュメンタリー・フィルムをつくったボストン在住の女性も、そうした日本人妻ヤマグチ・キミコの子。
 キミコが婚姻した米兵はイタリア系で、NY州北部の養鶏場から出征して日本占領軍に加わっていた。
 その娘。すでに子持ちになっていたが、20年前に気付いた。実母の人生のタイムラインを自分はなんにも知らないと。
 そこで母校ヴァッサー大の支援を得て、全米に存命の六十数名の日本人妻に取材し、オーラルヒストリーを残してやろうと考えた。
 ほとんどの人はもう80代から90代なので、今証言をとっておかないと、史料として埋もれてしまうだろう。
 ヤマグチ・キミコは、帝国陸軍将校〔おそらく予備大佐以上〕の娘だった。育ちは半島。しかし父が病死したので、戦中に日本に戻っていた。生活費を稼ぐために東京のデパートに勤務していて、路面電車の中で声をかけられた。
 ※この記事では数例のサンプルしか紹介されていないので統計もなにもないわけだが、それでも見当のつく共通点は、まず、敗戦時点で実父が死亡していた家庭に所属していたこと。かつまた、日本人が最もよく映画を観ていた1950年から53年にかけて求婚されたこと。そしてまた、兄弟姉妹が複数あって、家計の制約から男子1名以外は高等教育を受けずに就労しなければならなかったというケース。
 米兵にとっても日本人妻の連れ帰りは高いハードルだった。1924年の差別的移民法が生きており、アジア人は米国に移民できなかったのだ。
 しかし1945年以降、複数の法律が整備されて、書類さえ完全なものを提出するなら、連れ帰りは可能になった。ただしその手続きは面倒で、若い兵士に途中で翻意を促すように仕向けられていた。
 1952の「マクレラン-ウォルター法」は画期を為す。※おかげで1953以降の婚姻が増えたわけである。
 上官たちはそれでも部下の兵に、それを勧めなかった。連邦法ではOKとなっても、州法ではダメということがあり得るからだ。
 だいたい米国の半数の州では、まだ人種間の雑婚を、1952年でも、法律で禁じていた。
 連邦最高裁が、そのような州法は違憲であるとの判断判例をつくったのは、じつに1967年である(ラヴィング対ヴァジニア州訴訟)。
 当事者の男たちは、諦めず、地元選出議員たちに手紙を書くことで、事態を動かした。
 たとえばキミコの夫は東ボストンから出征してきていて20歳になったばかりだったが、地元マサチューセッツ選出のJ・F・ケネディ議員に手紙を書き、その結果、ケネディが「キミコ・ヤマグチ救済法案」を1950-5-18に成立させてくれたという。
 黒人兵と婚姻したケースでは、汽車でアトランタに着いたとたん、妻は白人用ホテル、亭主は黒人用ホテルへと隔離されてしまったそうである。
 日本赤十字社は、米兵と婚約した女性のために「嫁入り学校」を開催していて、ケーキの焼き方その他一切を事前に指導してくれた。
 インタビューした60人の誰も、二度と日本に戻れるとは考えたことがなかったという。
 1960年代のベトナム戦争中、本国からの出征将兵がメリーランド州アバディーン基地近くに集結した。偶然に、そこにはたくさんの日本人妻も集まった。彼女らは「会」をつくった。
 いまでも12人くらいが毎月集まって会食している。※60年代にまだ現役ということは、相当の下士官か将校。
 ディープな日系コミュニティのある西海岸でも、これら戦後渡りの一世の子たちは、じぶんたちのルーツが日本にあるとは少しも考えていない。母親は、そのように徹底して教育したのだ。
 誰も、わが子に日本語を教えようとした者もいなかった。


一人旅に「つまらない旅」は無い。

 SEBASTIEN ROBLIN 記者による記事「The Legend of the Vietnam War’s Mystery Fighter Ace」。
  ベトナム空軍エース、グエン・トーム大佐は実在したのか?
 トーン大佐は13機の米軍機を撃墜したとされている。
 『チャックイエーガーのエアーコンバット』という昔のPCゲームに登場した唯一のベトナム人パイロットでもあった。
 ベトナム戦争での米人パイロットの最多エースは5機である。
 米軍の北爆は時間が読めた。対するベトナム空軍は、地上からのレーダー管制により、この上なく有利な待ち伏せ地点へ誘導されて待っていた。だから超音速のF-105ですら喰われた。
 米側はROEによって、目視できない未確認飛行機へのAAM発射を禁じられていた。
 ベトナム側の迎撃は、米攻撃機に爆弾をとっとと投棄させることになり、有効だった。
 トーン大佐を有名人にしたのは、NSAによるベトナム防空無線傍受である。
 傍受解析情報によって、ベトナム軍パイロットは、そのひとりひとりが、コールサイン、所属、階級、過去の戦歴まで、記録されていたという。
 トーンがエースであるという確認も、傍受解析記録によるものである。
 NSAは、トーンのミグ17がいつ出撃するか、第七空軍司令官に予告することができた。司令官はどうしても撃墜しなくてはと圧迫された。
 ミグ17はF-4よりずっと遅れた飛行機である。
 水平飛行ではマッハ1を出すこともできなかった。
 しかも、AAMも無し。37ミリ機関砲×1と、23ミリ×2門だけなのだ。
 また操縦系に油圧が使われていない。腕力だけで操縦せねばならないのだ。
 強みは、低速域での機動力にあった。
 F-4の携行したAAMは信頼性の劣ったものだった。ミグ17はしばしばそれをかわしてしまい、F-4の後ろを取る。F-4は高速離脱すれば助かるが、格闘戦に応ずれば、トーンに負けた。
 1972年、ラインバッカー作戦。6ヶ月連続の集中北爆だった。
 5月10日、11機の北ベトナム機と、4機のF-4が一度の空戦で撃墜された。
 海軍のカニンガム中尉はトップガンスクール出で、すでにベトナムで2機を撃墜していた。彼の操縦するF-4Jは、この日、まず1機のミグ17をサイドワインダーで落とした。
 そのとき彼のウイングマンは8機のミグ17と交戦していた。
 そこでカニンガムは僚機の後方についている複数のミグ17のさらに後方についたが、すぐサイドワインダーを発射すればシーカーがむしろ僚機F-4の強いツインエンジンの熱放射にひきつけられ、味方殺しになっちまうんじゃないかと懸念した。
 そこで僚機に対してボイスで「ブレーク」を命じ、サイドワインダーの軸線に敵機しかいなくなった瞬間にロックオンして、2機目を撃墜。
 カニンガムはここで帰投に決し、基地を目指す。
 すると単機のミグ17が向かってくるのが見えた。
 カニンガムはヘッドオンコースに乗せた。そのミグ17は先に機関砲を撃ってきた。
 当時のF-4には機関砲が搭載されていない。カニンガムは急上昇した。
 カニンガムは格闘旋回中に敵機にペイントされた番号「3020」を視認した。それはトーン大佐の乗機として周知であった。
 カニンガムのローリング・シザーズの動きにもミグは翻弄されなかった。
 急旋回を連続させたことで、重いF-4はしだいに、失速速度に近づいた。
 これはミグ17にやられるパターンである。後席のドリスコル中尉は、格闘をやめて高速離脱しろと叫んだがカニンガムは無視した。
 カニンガムはアフターバーナーに点火し、はるかに敵機に先行してから旋回し、2マイルの距離でふたたびヘッドオンに持ち込んだ。こんどはミグの方からは射撃できないアングルであった。※それはどんなアングルなのか、記事では不明である。
 ところがミグはまたしてもカニンガム機の後ろを取った。
 カニンガムはふたたびふりきって二度目の大旋回。こんどは、ミグが後ろにつこうという機動をしているさいちゅうに、カニンガムはエアブレーキを展開した。
 これにより、ファントムがミグのすぐ後ろをとった。
 ところが距離が近すぎてサイドワインダーをロックオンできない。
 ミグはロールを打って急降下。
 ミグが十分に地面の近くまで降下してしまえば、地面の熱が高いのでサイドワインダーのロックオンは難しくなる。しかしそうなる前にカニンガムはサイドワインダーを発射してミグに命中させた。ミグは地面に激突した。トーン大佐は脱出したようには見えなかった。
 その直後、SA-2地対空ミサイルがカニンガム機に命中した。カニンガムはなんとか海岸まで飛行し、そこでドリスコルとともにイジェクト。沿岸で味方にレスキューされた。
 すでに2機落としていたこの2名は、この日、3機を落としたので、ベトナム戦争における初エースとなった。
 その後、ドリスコルはトップガンの教官になった。
 カニンガムは加州議会の共和党の代議士になり15年勤めたが、2005年に汚職で収獄された。
 米空軍博物館に展示してあるミグ17Fは、エジプト空軍から寄付された機体を、トーン大佐乗機風に再塗装したものである。
 さて、ベトナム戦争が遠い過去となり、米越関係が好転すると、空戦史家があいついでハノイへ赴き、かつてのベトナム空軍パイロットたちにトーン大佐について尋ねて回った。
 ベトナム人たちは一様にとまどった。「ハア? 何……大佐? ……ですと?」
 トーン大佐などという人物はベトナム空軍内では誰にも知られていなかったのである。そんな軍人がいたという記録も、ひとっつもありはしなかった。
 そもそもトームとかトーンとか、そんな苗字はベトナム人にはないのである。
 ある人は憶測する。NSAの無能な傍受者・解析者は「ツァン」とか「トン」という名を勝手に英語化していたんじゃないだろうか、と。
 さらに、ほとんどのベトナム人エースはミグ21を操縦していたことや、いちどミグ21に乗ったパイロットがまたミグ17にもどるなんてことはないはずであることも分かってきた。
 ベトナム側には、彼らの最高のエースの存在を秘密にする理由があるだろうか?
 疑われるのは、朝鮮戦争時代にソ連人パイロットの存在が秘密扱いだったように、じつはトーンがソ連人だったから、ベトナムとしては隠す必要があるんじゃないか……ということ。
 ところがこれも否定される。いまだにロシア内からそれを証言する者がひとりもいないことによって。
 ジェット時代に敵機と空戦中に敵パトロットの髪の色や目の色が分かるもんじゃない。そんなことを回想録で書いている元パイロットもいるが……。
 ロシア人でベトナムに派遣されて6機の米機を落とした指揮官は、ちゃんと戦後に明らかになっている。いまさら隠す必要などないのだ。ただしSAM基地勤務であった。
 第二の仮説。トーン大佐は二人の実在パイロットの合成ではないか。ひとりはディン・トン。もうひとりは、ダン・ゴック・グ。
 ただ、どちらもミグ21乗りであった。そして1972-5-10の空戦にはどちらも参加してない。
 三番目の仮説。シギント係が、6機撃墜エースのレ・タン・ダオのコールサインを、人名と勘違いしたのではないかというもの。しかし彼もミグ21乗りであり、かつまた、その日には撃墜されていない。
 情報公開請求で知られたのだが、NSAはこうも傍受しているという。〈空戦が終わったとき、同志トーンは、最前線の陸上からミグ機を米機に対して誘導する、グラウンド・コントローラーに昇進していた〉。
 それじゃカニンガムが交戦したと主張している相手は誰なんだ?
 ベトナム空軍ではこう言っている。グエン・ヴァン・トーというパイロットだ。しかし彼は飛行機から脱出して生還していると。
 以下、伝説の元になったと思しい三人について紹介する。
 機体番号4326のミグ21に乗ったグエン・ヴァン・コクは、ベトナム空軍最大のエースで、ミグ21によって米機を9機落としている。しかし機体にはマークが13。
 じつはベトナム空軍の慣行では、機体の撃墜マークは、その機を操縦した過去すべてのパイロットの戦果が累計されている数なのである。つまり1人でそれだけ落としたというわけではない。
 1966年に26歳のグエンヴァンコクは、他の数十人のベトナム人パイロットとともにソ連でミグ21の操縦訓練を受けた。しかし1967-1-2にいきなり撃墜されてしまった。それでも4-30には太陽を背にした攻撃でF-105を落とす。初撃墜。1969-12にはさらに8機を落とした。いずれもソ連製の赤外線誘導式R-3アトールAAMを用いた。
 9機のうち2機はRPVであった。残り7機のうち1機については米側史料で確認できない。
 しかし6機撃墜は米側からも認められているので、文句なしにベトナム空軍のトップエース。
 グエンバンコクは空軍教官にされて次の世代を育成した。その弟子の中から1972年のエースが出ている。ひとりは、6機撃墜のグエンドクソトだ。
 また、グエンヴァンバイはミグ17を操縦し、7機撃墜を記録している。
 そのうち1機は朝鮮戦争のエースであったケイスラー少佐の機であり、また、F-4より機動性が高いF-8クルセダーも2機含まれている。
 グエンヴァンバイとその僚機はまた、米艦『オクラホマシティ』と『ハイビー』に爆弾を命中させており、これはWWII後の米海軍史で特筆される。
 これら3名はベトナム戦争を生き残っている。
 トータルではベトナム空軍には16人ものエースが生まれている。
 ※一連の調査は何を教えてくれたか。米戦闘機パイロットの自己申告にはおそれいった手のこんだ作り話が平然と混ざるのだということ。彼らは面白半分に神秘的な敵エースを無から捏造し、勝手にドラマを盛り上げ、その登場人物になろうとすること。それに地上の傍受部隊までが加担をすること。どうやらガンカメラ映像以外は、何も信用できないようだ。
 次。
 David Szondy 記者による2016-9-17記事「US Army developing first new hand grenade in 40 years」。
   40年ぶりに米陸軍が新型手榴弾を採用する。
 「ET-MP」という。破片を発生させない爆発と、破片を発生させる爆発とに、「ひねりスイッチ」によって簡単に切り換えることができる。
 ※写真を見ると、いちおう、リングのついたピンを引き抜くようにはなっているように見える。
 破片を発生させない爆発は、野外での味方の突撃局面で用いるのに便利。しかし陣地での防禦局面や、閉所に投げ込む用途では、破片をおもいきり発生させてやりたい。
 従来はこの二つの用途のために、軽量の「攻撃型手榴弾」と、防禦用の重手榴弾が存在した。こんかい米軍はこれを1つにまとめた。
 1975年いらい、米陸軍には、1種類の殺傷性手榴弾しかない。それはM67といい、破片が飛ぶタイプである。
 じつはもうひとつ、Mk3A2という、破片が飛ばないコンカッション手榴弾(破片こそ飛ばないが、至近では殺傷威力あり)もあったのだが、これはアスベスト被害があるというので、廃止されてしまっている。
 開発と評価確定にこれまで5年をかけた。
 ET-MPはまた、米軍が採用する最初の、「左右の利き手を問わない」投法を可能とした手榴弾である。
 従来の手榴弾は、左利きの者も、右手で投げる必要があったのだ。
 ※フライオフレバーを親指で押さえるのは危険だからだろう。ET-MPにはフライオフレバーが無い。
 ET-MPは、爆発までの秒時は電子制御されており、その製品誤差はミリセコレベルである。そして、ひねりスイッチを「アームド」にしない限りは、ぜったいに爆発しない安全設計。※おそらくピンが抜けない。また、無理に抜いても起爆しない。
 この新型手榴弾は、これから5年で全陸軍に普及させる。
 ※フライオフレバーの廃止、そして「電池」への依存は、どちらも問題あり杉内? むしろフライオフレバーを親指で握っても安全なデザインを工夫し、アスベストを用いないコンカッション手榴弾を開発する方が先だろ?


『大統領戦記2』は10月に刊行予定。こんどは遅れない予定(笑)

 Alex Grigsby記者による2016-9-15記事「A Peek into French Signals Intelligence」。
  フランス外国情報機関のシギント局長を2006~2014に勤めていたベルナール・バルビエが、数ヶ月前、工科大学生たちを相手に講演した。
 その機微な内容はユーチューブにUpされ、すぐに削除された。
 しかし抜け目なく『ルモンド』紙がトランスクリプトしてくれている。
 バルビエはこう語った。
 エリゼ宮にマルウェアがしかけられていると、わたしの同僚が2012に発見した。
 メタデータ解析とスノーデン情報のヒントにより、これは米国NSAの仕業だと2013年には結論できた。
 それでオランドが私に、アメリカを非難せよと命じた。2013-4のこと。
 NSA長官は、これは決してバレないと思っていたそうである。それを、直接、聞いた。
 またいわく。
 カナダ版NSAであるCSEは、2009にカナダにサイバーエスピオナージしてきたのはフランスではないかと疑っていた。というのはマルウェアのプログラム中に、フランスの子供向け漫画『象のババル』の関連名詞が使われているので。このマルウェアは「アニマル・ファーム」と名付けられる。
 いかにも、それはフランス製である。
 またいわく。
 欧州諸国がNSAに対抗するためにシギント部門を統合できるか? 答え。実現性があるのは、仏独電子諜報同盟だけである。
 欧州28ヵ国のなかで、インテリジェンス機関が充実しているとフランスが認めるのはスウェーデン。最もダメなのはイタリアである。スペインはイタリアよりややましというレベル。
 英国のGCHQの6500人はすばらしい。しかし英国を欧州の国とは呼べないのだ。
 仏DGSEと独BND、ふたつの電子諜報機関員はこれまでも協働してきている。しかし仏英の電子諜報機関員は、協働しているとはいえない。
 仏独電子諜報部門が合同するとスタッフは1万5000人規模となる。
 NSAは、6万人である。
 いま、DGSEのなかのシギント要員は3000人。政府はこれを増やす必要がある。
 ただし昨年、BNDがフランスをスパイしているという報道があった。
 スノーデンは米国にとっては裏切り者だが、ジュリアン・アサンジのために何かしたわけじゃない。シスコ社のような米国企業が外国に売るハードウェアには最初からスパイ回路が入っている事実を知らせてくれたという点でフランスは助かっている。
 NSAはスノーデンを契約職員として雇用し、システムアドミニストレーターにしていた。阿呆かと。フランスではシステムアドミニストレーターはキャリア20年弱の国家公務員でなくてはならないのだ。だからフランス版のメガ漏洩者は出にくいと思う。
 ※『アメリカ大統領戦記 2』の範囲は、ニューポート攻防から、ヨークタウン戦が決着してGWがマウントヴァーノンに還るところまでです。対インディアン戦と数度の海戦(制海権問題)の解説も加わるため、昨年の第1巻よりも相当にボリュームが増えました。この本が出たあと、わが国の大学で米国政治史を学ぶ諸君は、必ずこれをいちど読むことになるであろうと、今から確信しています。


全住民に電子IDカード所持を義務付け、ゲートで特定住民の移動規制をする方法が奏効し、ウイグル人は逼塞。

 ストラテジーペイジの2016-9-14記事
  シリアではゲリラたちが、市販UAV、ゴープロ、市販ワイヤレス機器をクリエイティヴに駆使している。
 特に注目されているのが、2013から手作りのリモコン狙撃ライフルやリモコン機関銃が前線に登場していることだ。
 すべて市販の電子器材をホームメイドで組み合わせたメカニズムだ。総額数百ドルで、こうしたリモコン火器が製作されている。
 現在のところ、20種類以上、確認されている。
 作り手は、各派ゲリラだけでなくて、シリア政府軍までが製作して使用しているようだ。
 敵の電波ジャミングを回避するため、リモコンは有線による。どっちみち、ケーブルで給電するので、それでいい。
 手元の操作盤は、市販ゲーム機器のコントローラーを流用したものもあれば、ラップトップPCのこともある。照準は、ゴープロの小型ビデオカメラなどでつける。
 精確な射撃こそできぬが、敵もまた近寄れない。それで敵は遠くから狙撃しようと試みるが、こっちの銃座には人はいないわけである。
 これらホームメイドの無人銃座は、ビル壁の開口部や、掩蔽擬装された地表のバンカーに設置されている。
 遠くからでは、その銃座に実際に兵員が配置されているのか、それとも無人なのかを、見極めることができない。これは敵方の指揮官を悩ませる。生身の兵隊がいるのならば、そやつらを恐怖させることで退却を誘う戦法がいろいろとある。しかし無人の銃巣に対しては心理的な働きかけは徒労だ。
 こうしたロボット・ガン・ネストの発想は20年近くも前からあって、関心のある者たちは長らくインターネット上で議論を重ねてきた。
 そして、戦車や装甲車の天蓋にとりつけられる実用的なRWS(リモコン無人銃塔)をコングスベルグ社が売り出したのは2006年であった。ただし値段は30万ドル以上もした。
 こうしたRWSのコンセプトは、WWII中にドイツがいろいろと試作したのが始まりだった。
 ※なるほどそれで西ドイツは早くも1969年にマルダーMICVの後部銃塔を無人化できているのか……!
 しかし無人ターレットに、レーザー測遠器や赤外線ズームカメラがふつうに付くようになったのは、2000年以降である。これ以前だとやはり、信頼性や実用面に難点があった。
 次。
 Patrick Tucker記者による2016-9-11記事「Special Operators Are Getting a New Autonomous Tactical Drone」。
  市街戦用のマイクロドローンができた。サンディエゴにある「シールドAI」社製。
 従来品と何が違うか? ビル内に飛び入り、全自動でビル内のマップを作ってくれる。そのさいカメラとレーザーと超音波を使う。
 人間が操縦する必要が一切無い。しかもGPS電波にも依存しない。
 同社は9-1に、海軍特殊作戦コマンドおよび、ペンタゴンがシリコンバレーに開設した出店である「防衛発明実験隊」(DIUX)から計100万ドルを得て、9ヶ月でこのプロトタイプを造った。
 先行する虫サイズの軍用ドローンとしては、ノルウェーのプロックスダイナミクス社製「PD1000 ブラックホーネット」が英軍特殊部隊により2011年からアフガンで実用されている。
 プロックスダイナミクス社も2016-3までに、その改善型を仕上げた。こんどのモデルは、やはりGPS電波に依存しなくなっている。
 しかし、操縦者の関与がそもそも不要であるという製品は、シールドAI社がさきがけた。いよいよ飛行ロボットにAIが組み込まれたのだ。
 兵隊は、このドローンをビルの外で放つだけでいい。あとはドローンが勝手にビルの中に入って中を飛び回ってくれる。
 シールドAI社の幹部はブランドン・ツェンと名乗っているのでシナ系の人らしい。
 DARPAは2014年から、小型ドローンが鳥のように自律行動できるAIを公募していた。
 これに応じたゴスホークという試作機は、昆虫のように、密林の植生にまったく衝突せずに密林内をすばやく飛行できるという。
 シールドAI社のドローンは自重1kg。
 NASAの2014時点での見解では、自律飛行してカメラ映像を送信できるミニドローンは500グラムまで小型にできるということだった。
 次。
 本日のチラ裏メモ。マツダは1気筒330cc.のディーゼルエンジンを早く作ってくれぬかという話。
  なぜCX-5は税金の不利な2.2リッターなのだろうかと考えて、気筒数の6で割ったら366.666……。それで腑に落ちた。
 ドイツ人ならば、ディーゼル単気筒のミニマムは500ccだと開き直る。さすれば4気筒で2000cc未満に楽勝で調節できるから5ナンバー税制も享受できるであろう。
 ところがマツダは技術に自信があったので1気筒360cc強でディーゼルを実現しちまった。4倍すれば1467cc、ちょいと広くして1.5リッター。
 これがCX-3やデミオの4気筒ディーゼルタイプなのであろう。
 しかしそれをさらに6気筒にすれば、どうしても1980ccとかにはおさえこめない。2200ccになっちまう。2000以上だと3ナンバーだ。
 将来もしディーゼルの1気筒を330ccにまで小さくできるならば、どうなるだろう? 4気筒で1320cc、6気筒で1980ccとなり、5ナンバー税制枠におさまる。
 のみならず、2気筒で660ccなので、軽自動車にまでディーゼルを搭載できるわけだ。
 「ディーゼルの軽」が実現するのだ。車内に伝わる振動や騒音の問題が残るかもしれないが、そうだとしても、まず、軽トラックは皆、これを搭載するだろう。
 これまでは、ディーゼルの気筒の寸法にはキツイ下限があった。気筒をあまり小さくすれば、容積に対する表面積の比が大きくなりすぎ、シリンダーの壁からすばやく熱が逃げてしまう結果、圧縮点火が起きなくなるからだ。それで、330ccなんて、もう理論的には不可能と思われていた。
 しかし最近、シリンダー内空間のできるだけ中心部近くで軽油をほとんど燃焼させるように仕向ければ、シリンダー壁から逃げてしまう熱量を極小化できるというブレークスルーが見えてきた。
 こうした燃焼方法が洗練されれば、単気筒330ccが実現する日が来るかもしれない。
 ディーゼルは一酸化炭素を出さないので、地下空間や工場構内で走らせる車両に搭載するのにも向いている。


誰が日本で最初にTHAAD調達の宣伝をおっ始めるか、注目すべし!

 2016-9-10の記者不明記事「Is the world’s most expensive fighter-jet helmet really that good?」。
   F-35のヘルメットは、1個40万ドルする。
  機外の6個のビデオカメラ映像も表示される。
 また、特殊ゴーグルをかける必要なく、夜間もカラーの景色が見られる。
 このヘルメットは、ロックウェルコリンズ、イスラエルのエルビットシステムズ、そしてロックマートが合同で開発した。
 このHMDS付きヘルメットは、他のパイロットのものを借りるわけにはいかない。というのは、パイロットひとりひとりの瞳に2日間をかけてアジャストしなければ使えないためだ。その作業はロックウェルコリンズ社の研究所でなくてはできない。
 2011に大問題になったビデオ映像のディレイは、2013までにかなり改善された。
 依然として問題なのはその重さ。ヘルメットがあまりに重いため、テストパイロットはGのかかっている「空戦」中に首をまわして敵機を探すのがたいへん。これは2015の話。
 ある種の機動をするとこの2.4kgもある重いヘルメットがキャノピーに「張り付け」られてしまうという。これは今でも解決されていない。
 シートイジェクトすれば、ただちに「むちうち症」を引き起こす。
 ダミーを使ったテストイジェクトでは、頚骨が折れる危険もあると分かった。
 開発者がこのヘルメットを過大評価していないことは、機体デザインから明らかである。もしもそんなにすごいヘルメットならば、コクピットを胴体内に埋め込むようにして、レーダー反射を少しでも減らそうとしたはずだからである。F-35のコクピットは、胴体上に突出している。まだこの戦闘機は、肉眼を頼りにしているのだ。
 次。
 北鮮の核の「事実」と「妄想」をあらためて整理してみよう。
  北鮮は2006年10月に核分裂実験を成功させた。そのときには、米軍の偵察機が、放射性同位元素「キセノン133」と「クリプトン85」を上空大気から検出した。核分裂が起きたという鉄板証拠である。
 だから北鮮は、核爆発「装置」を2006年に持った。これは事実。
 ただしそれは「投下爆弾」ではないし、「核弾頭」でもない。
 その開発は進んだのか?
 進んでいない。
 まず、初歩的な核分裂爆弾の技術があることを証明するためには、プルトニウムのインプロージョン式で20キロトン、ウラニウムのガンバレル式で15キロトンの「爆発地震」を起こしてみせなければならない。1940年代のノウハウであっても、これ以下の出力だったなら、「不完爆」(フィズル)の証明なのである。
 北鮮がウランを大量に濃縮できたというフォレンジックな物証はない。
 技術の遅れた貧乏国でも簡単に得られるのはプルトニウムである。
 したがってまずプルトニウム原爆の最低出力である20キロトンの爆発ができるかどうかが、1945年の米国レベルの技術を北鮮が達成したかどうかの指標になる。
 その爆発をまだ北鮮はさせたことはない。したがって北鮮の技術レベルは1945年の米国にもまだ及んでいないのである。
 北鮮の200-5「第二回」実験から、2016-1「第四回」実験まで、米軍の偵察機は、放射性同位元素「キセノン133」と「クリプトン85」を上空大気から検出しなかった。
 米国に「核武装国」だと認められたい北鮮が、わざわざ「キセノン133」と「クリプトン85」が上空に漂わないような大深度での核実験をやる意味はない。
 浅い地中で爆発させれば、「キセノン133」と「クリプトン85」は確実に上空に漏れてくれるのである。
 それが検出されなかったということは、「第二回」実験から「第四回」実験までは、すべて「失敗」だったのだ。
 これがフォレンジックな推論である。日本のマスコミ人にはこの程度の科学的思考もできかねるのだからなさけない。
 今回の「第五回」実験が「原爆開発の前進」なのか「四度目の失敗」なのかも、上空大気から「キセノン133」と「クリプトン85」が検出されるかどうかにかかっている。
 検出されなければ、地震は、硝酸アンモニウム(窒素肥料)と重油・廃油をまぜた坑道発破、もしくはそれと、異常なまでの大深度での「不完爆」の合成だと考えるしかない。
 朝鮮には温泉がない。これは火山がないことを意味する。したがって地震国でもない。だから半島周辺では昔から気象台が地震観測をする必要もなかった。そのため、日本と比べると、地震観測体制が、器材・人員ともに甚だ粗雑である。北鮮が核武装したと信じたい韓国人が発表する「マグニチュード」の数値は、当てにできない。
 信用できるとしても今回まだ20キロトンには達していないわけである。
 したがって北鮮はまだ「装置原爆」しか持っていない段階にとどまっている。
 「核弾頭」の段階にはまったく到達していない。これが事実。
 これから何年かすると20キロトンの最低威力「完爆」が実現するかもしれない。
 そこからようやく「小型軽量化」の過程に入ることができる。
 「完爆」を実現もしていないうちから「小型軽量化」を図ることには技術的にも政治的にも合理性はない。「完爆」ができないのでは、原爆をプライマーとした「水爆」に進むこともできず、とうてい米国から「核武装国」としては認めてもらえないからである。
 ちなみに23キロトンの出力を実証した1945年の長崎型(プルトニウム爆縮式)原爆は、重さが4トンもあった。
 ミサイル用の核弾頭は1960年代の中共の技術でも、最初は重さが2トン以上にもなってしまい、なかなか弾道ミサイルには搭載がむずかしかった。2トンもの重量を無理にミサイルに搭載しても射距離がずいぶん短くなってしまう。とても敵国の首都まで到達させられない。
 やっと1.5トンまで軽量化して中距離弾道弾に組み込むのに、中共でも数年かかった。(それでもまだモスクワには届かず、もちろん米国にも届かなかった。)
 1.5トンの弾頭重量を遠くまで飛ばせるミサイルを今、北鮮は、ひとつも持っていない。過去に遠くまで飛ばした北鮮のロケットのペイロードは、数十kgまで減らしてあった。ペイロードを減らしたミサイルをいくら試射しても、誰も恐れてはくれない。
 北京まで届く北鮮の弾道ミサイルのペイロードは1トン未満~500kgである。重さ何トンもある装置による「完爆」すらできていない技術水準の北鮮が、さらに原爆を重さ750kg前後にまとめられるようになるのには、「完爆」の達成のあと、さらに何年もかかるであろう。
 北京まで届く原爆ミサイルが完成した後から、ようやく「弾頭の水爆化」「その軽量化」と、「ロケット射程とペイロードの長大化」が図られる。もちろん狙いは米国東部ニューヨーク市だ。それには何年かかるか? 誰もわからない。
 いずれにしても、まず20キロトンの「完爆」から証明しなければ、北鮮は米国から相手にもされないだろう。大気圏内実験なら、米国も一目置くだろう。
 余談だが、日本は、1971年に中共が満州に「東風3」を展開したとき以来、東京が「水爆ミサイル」でずっと照準され続けている。中共は大気圏内水爆実験や、ミサイルに搭載して核弾頭を実爆させる実験までも繰り返している。そして現在の中共はまぎれもない「反日」だ。シナ人は皆、ジャパン・ヘイターである。
 この中共の水爆ミサイルの脅威に自衛隊はどう対処しているか?
 ゼロである。
 準中距離弾道ミサイル(射程3000~5000km)のスピードに、イージス艦から発射するスタンダードミサイルは、対応できないのだ。
 もちろんTHAADでも対応はできない。THAADによる準中距離弾道弾迎撃実験は、これまで一度もなされていない。
 おわかりだろうか?
 現実にはありもしない「北鮮の核ミサイル」とやらを脅威よばわりして大騒ぎする連中の狙いは、1971年いらい実在する日本国にとっての正真正銘の危険から人々の目を逸らせ、米国の兵器メーカーに日本人の血税をどんどん吸い上げさせるためのスキームに貢献したいだけなのだということが。
 イージスもペトリオットも、中共からの核攻撃から日本人を少しも守ってくれてはいないのである。それをマスコミも左翼も右翼も指摘することができない。
 これが日本人の理性の現実だ。


トルコはモスル市をクルド人には占領させたくないので越境介入中。

 ストラテジーペイジの2016-9-8記事。
   中共軍は、空挺部隊をチベットに降下させる訓練を2010年から反復させている。降下地点は標高4000mである。
 これほどの高所になると、輸送機を飛び出してからパラシュートが開傘するまでの時間が、空気が稀薄であるため、余計にかかっる。だから輸送機も、地表からの高度を、低地作戦時よりもよぶんに取っておかなければならない。
 もちろん降下隊員が高地・高所で激動することは、即座に、高山病のリスクを高める。その限界がどのへんにあるのかを、シナ軍は見極めたいのである。
 高地降下の前には隊員を高地気候に順化させておく。これは2010年からやっている。そのトレーニング過程で、高山病に罹り易い隊員は誰なのかが判明する。そいつはチベット~ヒマラヤ戦域には使わないようにする。
 ※わが第一空挺団のレンジャー教程はどうして最終想定を「無人島潜入とヘリパッド死守」に設定しないのか? やってることが時代遅れすぎないか? 深夜の荒海で泳ぐのに向いていない隊員を早めに見極めておかないとダメだろう。
 空挺がチベットに投入されるようになったきっかけは、2008のチベット造反騒動であった。
 このときは高地順応させずにジャンプさせたため、隊員の多くが高山病に罹った。
 1990年代に、第15空挺軍が編成された。現在、3個空挺師団と1個空輸旅団から成っている。
 輸送機は、イリューシン76か「輸8」か「輸7」である。
 ※別なニュースで、世界最大にして製造機数が1機しかない6発の超輸送機「アントノフ225」を中共が製造したがっていて、2019に完工させるという。じつはツポレフ社はロシア国内に主工場がある(現「ユナイテドエアクラフト社」)のだが、アントノフ社はウクライナ内に主工場があって、しかもエアバスやボーイングに対抗できそうな大型民航機はアントノフ社でしか開発・製造はできない。だからロシアと中共がウクライナ内のアントノフ工場の取り込みをめぐって激しく角逐しているのだ。なお、ウズベキスタンにあったイリューシン工場はロシアがぜんぶ回収した。
 シナ軍は2009年以降は、ヘリからのパラ降下を旅団規模で実験するようになっている。
 第15空挺軍はぜんたいで3万人くらいではないかと見られているが正確なところは分かっていない。そのうちチベットでジャンプしたことのある降下隊員は、4割ぐらいのようだ。
 インド軍はこれに対抗するため「山岳軍」を増強中であり、2020年代には8万人をヒマラヤに張り付けると言っている。
 ※1986に処刑された空軍用レーダー秘密漏洩スパイ・トルカチェフの話だとか、シリアに持ち込まれている露軍機のレーザー誘導爆弾とAAMが低信頼性であることは、旧ソ連邦国から現物を買ったりユーザーのインド人から話を聞けば分かるのだ――といった、どうでもいいような記事が散見される。何かを隠そうとする煙幕記事の匂いがプンプン。露軍の電子系の大きな弱点がアメリカで曝かれた可能性がある。


われはうみねこ。

 Jon Stone記者の記事「Britain is now the second biggest arms dealer in the world」。
  2010年いらい英国の武器輸出の三分の二は、中東向けである。
 そしていまや英国は米国に次ぐ武器輸出大国となった。
 フリーダムハウスという団体は世界の51ヵ国を「自由ではない」と認定している。英国からの武器輸出先には、そのリストとかぶる国家が39ある。
 英国政府じしんが人権監視リストに入れている国は30ヵ国ある。しかし英国はそのうちの29ヵ国に兵器を売っている。
 過去10年を総計すると、英国の次に多額の武器を輸出しているのはロシアで、以下、シナ、フランスが続く。
 英国でも、武器輸出にさいしては、複数の閣僚の署名が必要。
 政府は厳格だと主張するが、過去には、ロシアやウクライナへの武器輸出が実施される寸前にその輸出許可が取り消されたこともあった。
 米国ではサウジ軍がイエメンでやっていることは戦争犯罪そのものであるとして、対サウジの武器禁輸を求める声が連邦議会内で高い。しかし英国ではそんなことはおかまいなしだ。
 「欧州議会」と英下院の国際開発委員会はともに、抑圧的政体への武器輸出を停止するよう勧告している。英政府はサウジが戦争犯罪しているとは考えないが、サウジが抑圧体制であることは認めている。
 イスラエルに対しては、無人機の部品や、ターゲティング用機器が輸出されている。
 一批判者いわく。英国から武器を買った国々は、武器だけでなく、自国政府のやっていることが正当で合法であるという宣伝の論拠も買っているわけだ。すなわち英外交当局の言っていることはご立派だが、やっていることはまさに偽善である。
 もうひとつの事実。兵器の寿命は、政体の寿命よりもしばしば長い。許せる国だと思って売った武器が、その国が崩壊したり変質したりした後で、抑圧的あるいは破壊的あるいは侵略的な勢力の目的に資する道具として使われている例を、われわれは、ロシア周辺や中東地域で目撃する。
 ※台湾などに武器を売れば、それは将来の反日政権の有力装備となり得る。米国はそこまで読んでいるから高性能戦闘機は売らないのだ。
 次。
 ストラテジーペイジの2016-9-5記事。
  ラップトップPCと、スマホと、重さ90kgのFMラジオ送信キット。これだけで、ひとりの兵隊が、聴取可能半径5kmの「放送局」を開局運営することができる。米海兵隊はこれをアフガニスタンでアフガン兵にやらせて試していたが、2016年にはイラクのクルド兵士にもやらせる。1月からすでに220人を訓練済みである。モスル郊外での宣撫活動に投入されるだろう。
 ISが得意とするインターネット経由の宣伝やリクルートを、このFM放送で粉砕する。


サウジがイエメンでクラスター落としまくりなのに米議会が怒り、風を読んだテキストロン社は製造を終了。

 ストラテジーペイジの2016-9-1記事。
  日韓のイージス5隻に実装されることに決まったのは「ベースライン9」。総額5億ドル。
 いま米海軍は、84隻ものイージス艦をもっている。その多くはすでにBS9にシステム換装済み。
 非米国のイージス艦はぜんぶあわせても19隻だ。
 ところで全重1.3トンのSM-6の弾頭重量は100kg未満である。
 これで対艦能力を発揮できるだろうか?
 2014に4000トンの退役フリゲートをマトに実射実験してみた。
 結果、命中時の速度が超音速であるおかげで、十分なダメージを与えられることが確認された。完全大破であった。
 それで米海軍はSM-6の大量発注に踏み切った。単価は1発430万ドルである。これで旧式SM-2を代替する。※ABMであるSM-3は代替しない。
 SM-6はレンジが240kmで、対「対艦巡航ミサイル」にも有効。弾頭にはAMRAAMと同じ、アクティヴ・ホーミング・シーカーが載っている。だから運用艦からレーダーが直接に届かない目標も攻撃できる。
 長さ6.6m、径533ミリ=21インチ。
 射高3万3000m。
 次。
 ストラテジーペイジの2016-8-31記事。
  トルコ政府が硝酸アンモニウム系の肥料の市販を制限することにした。過去3ヶ月、トルコ内でもアンフォ主剤のIEDが炸裂し始めているので。
 路肩爆弾とするにはすくなくとも硝酸アンモニウムが4kgなくてはならない。自動車爆弾とするためにはその量は2倍以上が必要だという。
 つまりそれと軽油/重油を混ぜてプラスチック容器に入れて雷管をつけたIEDは、最低でも5kgになる。自動車爆弾だと10kg以上。
 ISだけでなく、クルド分離派のPKKも使っているようだ。
 英国の北アイルランドでの経験によると、硝酸アンモン肥料の流通を規制すると、迷惑するのはテロリストよりも農民である。
 まちがいなく、代替肥料のコストはバカ高くなるので。
 肥料の中に最初から、炭酸カルシウムや、粒状の尿素を混ぜて販売することによって、爆発物に転用したときの威力を抑制してやることはできる。
 ところが、これら添加物は、時間をかければ、分離することができる。これをパキスタンとアフガニスタンのIEDメイカーたちはすぐに覚えた。
 硝酸アンモニウム肥料の市価は1トンで400ドル。
 テロリストは、農民に400ドル払ってその十分の一の量を分けてもらう。それだけでも、25発のIEDの材料になってしまうのだ。
 次。
 ストラテジーペイジの2016-8-30記事。
   ドイツが、国内での本格的テロ発生事態に備えたシヴィル・ディフェンス総合政策を策案中。
 とりあえず、国内で大規模テロが起きると基本物資の流通も止まるので、市民は10日間分の食糧と、5日分の飲用水を、常に自宅でストックしておくようにせよ。
 この他の詳細はまだ公表されて来ない。
 ドイツは1950から災害救難隊THWという民間防衛組織を整えていた。
 有事に後方を撹乱させないための部隊。
 現在THWは8万人居り、ぜんいん志願者である。
 ドイツ政府は国内のモスレムのうち2万人については監視対象と考えている。いつでもテロに参加しそうなので。


「読書余論」 2016年9月25日配信号 の 内容予告

▼防研史料 第一復員局『陸軍航空後方業務の沿革史 附表・附録』S22
  装軌運土車×200両をS19につくる予定だった。
▼防研史料 大刀洗陸軍航空廠 修理斑『昭和十九年度 参考書類綴』
 S19-6-16に北九州で撃墜したB-29を調査したところ、「ファウラー式下ゲ翼」がB-24と同一であり、コンソリの技術がボーイング社に使われているらしいと推定。
▼防研史料 遠藤三郎、篠尾正明『軍需省 航空兵器総局 関係資料』
 ※戦後に作成したもの。
▼防研史料 陸軍航空審査部総務課『航空技術報告綴』S20-8-15
 飛行場設定器材 一覧表。
▼防研史料 航空本部技術部『航空技術報告綴』S20-8-15
▼防研史料 『陸軍航空本部関係参考書類綴』大6-12-20~大12-1-11
▼防研史料 長嶺亀助『航空戦備の追憶(満州事変前後より)』S30-2-11
 ※最初期の陸軍機用投下爆弾の実態。
▼防研史料 『陸軍大学校航空戦史研究資料』3冊合冊 S17頃
 所収・青木大佐「大東亜航空戦史に関する観察」
 対米戦の緒戦で陸軍航空隊がけっこう艦船を沈めている。3FBのみにても、潜水艦×1、駆逐艦×1、1000トン以上の汽船×15隻、軍艦3隻を大破または沈めた。
▼防研史料 『臨時航空技術練習委員関係書類(仏国航空団関係)』大7-12-12~大11-8-25 〔ハコ 27〕
 フォール大佐が面食らったこと。トワイライトの時間帯に飛行訓練するのがいちばん実戦的なのに、日本人は日没近くの訓練を頑固に嫌う。理由は、彼らは毎日夕方には入浴すると決めているためだ。
▼防研史料 『射爆撃用諸表』
▼防研史料 大東亜戦史資料『後方関係』
 劣勢期は河川運送はだめ。少数トラックによる夜間輸送しかない。
▼防研史料 『航空技術報告綴』S20-8-15
※この資料の引用には要注意。必ずしも正確ではない。
▼『日本海軍航空史(3)制度・技術篇』S44 時事通信社pub.
  所収・「爆撃兵器」/安延多計夫、永石正孝
▼臨時軍事調査委員『各国各兵種使用兵器概見表』大5-11
▼防研史料 酒井亀久次郎「火砲製造の想い出」S29稿 〔中央/軍事行政/兵器/34〕
 著者は元「日特金」の常務。
▼陸軍省『兵器沿革史 第二輯』大9-12
 ここには「グリロ」と紹介されている。
▼陸軍省『兵器沿革史 第三輯』大7
 重砲である。
 ここにはM16に招聘したのは「ペグリロー」だと書かれている。
 ※この「ペ」というのは、頭文字の「P」のイタリア語読み。だから「P・グリロ」と書くか、省略しないで「ポンペオ・グリロ(Pompeo Grillo)少佐」と書くのがよかったのだが、どうも編纂者にも判断材料がなかったようだ。グリロ少佐の雇われ期間はM17-4-2~M21-4-1である。
▼陸軍省『兵器沿革史 第5輯』大9
▼相馬基ed.『参戦廿将星 回顧卅年 日露大戦を語る〔陸軍篇〕』S10-3
▼東京大学史料編纂所『維新史料綱要 巻八』S13初版、S59repr.
 鳥羽伏見で有坂成章は何をしていたか。
▼谷 寿夫『秘密日露戦史』初大14、S41repr.
 ※輜重車改造の顛末。
▼黒板勝美『新訂増補 国史大系 第一部 4 続日本紀 後篇』S32
 535頁の頭注によれば、「拙、原作獨、據 原傍書 金本 堀本 改」。
 ※つまり今の活字本では「夫兵貴拙速未聞巧遅」となっているけれども、それは原本では「夫兵貴獨速未聞巧遅」となっており、それを閲覧した昔の学者たちは「獨」は「據」ではないかと疑っていた、というのである。
 しかしこれはむしろ、何回も転記されているうちに「神速」が「獨速」に化けた、と考える方がいいのではないか。
▼富山民蔵『語構成から見た日本書紀・古事記の語・語彙の比較研究』
 「拙」の字は、書紀には5回出るが、古事記には出ない。
 「速」は書紀に73回、古事記に48回出る。
 「神」は古事記には787回出る。書紀には1106回出る。
 「兵」は古事記に18回、書紀に222回出る。
 「貴」は古事記に3回、書紀に87回出る。
 「閒」は書紀に147回、古事記に57回出る。※聞の字は双方ゼロ。
 ※これから、「拙速」などという用語は奈良時代には知識人の語彙としてもほとんどあり得なかったのだと推定できる。「神速」だったなら、何の不思議もないのだ。
▼Gregory D. Black 他著『OWI goes to the Movies』
▼ジャック・ウォディス著、土生・河井tr.『クーデター――軍隊と政治権力』1981-6pub. 原1977“Armies and Politics”
 1962時点でインドネシアでは軍隊と共産党の2雄が拮抗していた。そこで軍隊が1965に天下を掌握。共産党は資金源を末端党員からではなく一部のカネモチからの寄付に依存していたので統制動員力は弱く、混乱して粉砕された。
 共産党幹部は中共に亡命した。
 イタリア共産党は、徴兵による軍隊を主張し、職業としての軍隊には反対する(p.219)。「徴兵による軍隊は、新しい民主的制度の安全装置になるであろう」。
 イタリア共産党は、「徴兵による軍隊だけが、軍隊と人民の生き生きとした関係を保障することができるのであり、それが憲法制度、国の民主的発展、有効な国防の基本的保障となる」と主張する(p.219)。
 フランス共産党もこの立場。「一般兵役制の原則にもとづく徴兵制の軍隊により、国民および民主的国家は、信頼できる大衆的防衛を準備する手段を獲得する。また人民の意志にたいするいかなる干渉にも反対する強力な徴兵軍によって民主的保障が確保されるということもみのがされるべきではない。」(p.220)。
 結論。共産党は軍隊とその母体である中間層を味方につけるべし。
▼小田切盛徳・述、田中稔ed.『日本刑法沿革史』M15-10
▼豊田武次郎ed.『日本刑法沿革史』M16-12
▼服部信廉ed.『日本刑法沿革紀略』M15-8
▼渡辺政太郎ed.『徳川氏刑法』M21-1
 ※中田本のメモ間違い。12ヵ月で免罪されるのは、反逆、謀殺、邪曲による人殺し、放火強盗「を為したる者の外」に限られる。
▼高橋治俊・他『増補 刑法沿革綜覧』原大12、H2repr.
▼穂積陳重『祖先祭祀と日本法律』大6
▼穂積陳重『復讐と法律』S6
▼留岡幸助『不良少年感化事業』M35
▼横山彌四郎『隠岐の流人』S28
 大塩平八郎の甥2人。9歳のは佐渡へ、7歳のは隠岐に流された。三族であるから本来は殺されるべきところを、一等減ぜられたのである。ただし15歳との説もある。
▼兵頭賢一『宇和島郷土叢書 第9巻』S44
 狩猟中の鉄砲の暴発を「あだ落」といった。これによって村人を疵つけた場合、怪我が本癒しても、流罪。
▼山本仁・他『定本・佐渡流人史』1996
 行刑が急にきびしくなったりするのは、酒狂を乱心と偽る宥免願が多発し、またそうした出願に賄賂性が出てきたため。
 徳川刑法は、死刑に相当する罪かを決めるのにきわめて慎重。「生死之境」を軽く見てはいなかった。
▼鈴木光志『神津島集説 II 神津島の流人』S58
 八丈は、遠いわりには、親類からの見届物が、早く届く。
 物質的には御蔵と神津が別して悪い。流人がよく餓死した。
 どうしようもないほど粗暴な者は、「島替」される。最後に送られたところが、神津、御蔵、利嶋、小島、青ヶ島。
 伊豆七全体で、女の流人の罪状。多い順に。放火。博打。不義。子殺し。子捨て。子虐待。人殺し。借金かたり。仇討ちを怠る(幼少時に親を殺されたが、内分に金子をうけとり相済した罪)。吟味中に死亡した放火犯の夫の身代わり。
▼司法省秘書課『徳川刑事裁判判例集 上』原S11、1986repr.
 過って車を引っ掛け4人を傷つけた者共。遠島。
 馬の牽き方を怠り、往来の幼女を誤殺せし者。遠島。
 見世物の熊の番を等閑に致し、幼者を傷殺せし者。遠島。
 ※要するに純然たる過失致傷の重いものや過失致死はほとんどが遠島。
 鹿を射って人を殺してしまった者。遠島。
 天明7年、火消し人数の出るのをおもしろがり、再三放火した2人の子供(年齢不明)、「幼年とは申し乍ら、重々不届き至極に付き」、遠島。
 父親が死に、母親が道心者の家に身を寄せていたが、娘は奉公口から二度戻され、また母親は旅に出ているので会いたいと放火。15歳まで預け、遠島。
 遊女奉公耐へ難く放火。名主いう、全く愚昧にて弁え無き所業と。遠島。
▼司法省調査課『司法研究 第8輯・報告書集7』 S3-12
 戦前博徒の仁義口上が採録されている。珍。
▼原胤昭・他『江戸時代 犯罪・刑事罰事例集』原S5、1982repr.
 拷問や処刑法のディテールが証言されていて、これをネタにした時代劇小説や劇画は数知れない。
▼リゾーリ社ed.『世界の遺跡と名建築 第8巻』S58
▼(株)ジャパンエナジー『大煙突の記録――日立鉱山煙害対策史』H6-2
▼新田次郎『ある町の高い煙突』S44
▼山田&大場・共著『風呂のはなし』鹿島出版会 S61
▼全国公衆浴場環境衛生同業組合連合会ed.『公衆浴場史』S47
▼三井不動産(株)『霞が関ビルディング』S43-4
▼早大雄弁会OB選挙研究会『ザ・選挙』H3
 角栄の人名記憶法。会話中に相手の名を何度か言う。
 すれちがったら名前を呼べ。
 選挙運動中、自分の出している雑誌を定期購読者以外に頒布するときは、有償でないと×。しかも、月刊以上のペースで出していないものは×。
▼飯島清『人の心をつかむ法』S44
 選挙スタッフは、選挙の戦術は知らなくていい。まず選挙法を知ってくれ。
 都市住民は多忙なので直前のできごと以外はぜんぶ忘れる。だから運動を早く始めてはダメ。田舎は逆で、1日でも早く運動した方が得。
▼被選挙生活研究会『極楽! 議員選挙マニュアル』1995
 法により、個人では政治資金を受け取ることはできない。
 新聞広告は、物好きが読むもの。だから文字ギッシリ書いて攻める。
 TVの政見放送は、とにかく「濃く」やるべし。
▼渡辺・タケバヤシ『まんがマニュアル 当確!! 選挙術』1993
 前回の最下位当選者の獲得票の2倍の名簿が事前に集まらぬようなら、運動ははじめから無駄。やめちまえ。
 選挙カーはクラクションを使うな。
 走行中のタバコも禁止。
▼鈴木精七『選挙参謀、手の内のすべて』1995
 遊説に力を入れたがる幹部。それは、自分が票集めの汗を流したくないだけ。
 食堂でてんぷらなど注文している活動員は、咽を痛めていないわけで、サボっていると判断できる。
 市町村の街頭演説は、かならず役場の前で。
 ◆  ◆  ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
 バックナンバーも1号分が500円で、1号分のみでも講読ができます。
 過去のコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net/yoron.html
 で、タイトルが確認できます。
 電子書籍ソフト対応の「一括集成版」もできました。詳細は「武道通信」で。
 ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
sugiyama@budotusin.net
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ロシアの年間宇宙予算は10億ドル。中共は60億ドル。そして米国は400億ドル。

 Elias Grollと Dan De Luce記者による2016-8-26記事「China Is Fueling a Submarine Arms Race in the Asia-Pacific」。
   先週、『オーストラリアン紙』は、仏メーカーのDCNS社の下請け企業に勤務する元フランス海軍将校が東南アジアにおいてデータブリーチされ、『スコルペン』型潜水艦に関する2万ページの技術情報が漏洩したと報じた。この退役将校はそのデータをDCNS社から2011年に貰って保存していたらしい。DCNS社の秘密管理体制が問われている。
 『スコルペン』型潜水艦をライセンス製造しているインド海軍は、性能の秘密を中共に知られることになるので、大打撃。
 『スコルペン』型が潜航に要する時間、その魚雷の射程、水中でのノイズのプロファイルまでが記されていたという。
 チリ、ブラジル、マレーシア海軍もフランスに『スコルペン』を発注しているが、どうなることか。
 SIPRIによると、2014年から2015年にかけ、アジアでは軍事費が5.4%増えた。同じ時期、世界平均では1%の伸びであったのに比して、その緊張の激しさが分かる。
 ベトナムは2009年いらい、ロシアから『キロ』型×6隻を、26億ドルで輸入し、カムラン湾に配した。
 『キロ』型からは射程188浬の対艦ミサイルを発射できる。
 ベトナムはまた、米海軍で余剰となる古いP-3Cも安く調達したいと念じている。
 ※こうした格安転売は、ペンタゴンの外局(?)であるDSCA〔米国海外軍事防衛協力局とでも訳す?〕が国務省といっしょになって仕切っているようだ。DSCAは、政府間の掛け値なし武器売買であるFMS、外国軍が武器を購入できるように資金を融資してやるFMF、そして外国軍に米軍の余剰兵器を譲与または格安販売してやるEDA(Excess Defense Articles)を、その事業の骨幹としている。転売価格だが、その兵器の年季や状態により、新品を取得したときの価額の5%から半値の間で値が決められる。おそらくわが防衛省がフィリピンに「TC90」を「タダ同然リース」したときの価額はこの5%を参考にしたはずだと私は勝手に妄想している。EDAによる供与は販売のこともあれば譲与もある。何が余剰兵器かは、四軍(MILDEPS)の長が判断する。引き取り手は、「エンド・ユーズ制限」条項を受諾しなければならない。貰った装備を第三者に渡さないなどの約束を文書でしなければならないのだ。そして、引き取る際の梱包、荷役、輸送、リファービッシュメント費用は、受け取る国の負担でしなければならない。余剰兵器は、現在の状態で、現在ある場所から、受領国によって引き取られねばならない――という建前だ。
 インドネシアもナツナ諸島をシナから守るために、現在2隻しかない潜水艦を7隻に増強する。昨年、ロシアに『キロ』型×2隻を発注した他、2012には韓国版のドイツ型潜水艦も3隻、発注している。※『キロ』級のときは、ロシア版のFMFが行使されている。韓国潜水艦のときは、韓国式接待が発動されている。
 ※インドネシアの造船業界は急発達している。韓国製潜水艦は最終的にはインドネシア国内で組み立てられる。すでにインドネシアは、韓国型の11500トンのLPDを国内で量産し、それをフィリピン軍に単価1億ドルで2隻、売ったりもしているのだ。やはり最初は韓国から完成品を2隻買って学習し、2009年にその国産化に成功した。インドネシアは、LSTや警備艇なども、次々と武器輸出に成功している。北欧の技術で「水上戦車」まで作っている。間違いなく、小型潜水艦も、いずれ国産化して輸出するであろう。
 インドはこれから30年のうちに24隻の潜水艦を国産するとブチ上げている。
 ※こっちはあまり信用しなくていいだろう。とにかくインドは「国有工場」が政治家の利権になっていて、社内人事が腐敗しすぎていてダメなのだ。純然民間資本の造船所を別に創設しない限り、見込みはない。インドに進出して大成功した「スズキ」が証拠。「タタ」コンツェルンも民間なのでいい調子だ。
 インドが国内で『スコルペン』型を6隻建造するプロジェクトは、遅れに遅れている。1番艦は2012年に就役させるという計画だったのに、やっと2016年に公試運転に漕ぎつけたという段階。
 ※これも国有造船所がどうしようもないのが理由である。
 豪州がこれから建造しようというフランス型潜水艦は、『スコルペン』型ではない。SSNの機関を非核にして、5300トンを3800トンくらいにスケール・ダウンした『ショートフィン・バラクーダ』型である。
 ※非核動力だと潜水艦は4000トン台が合理性の極限で、5000トン台というのは、ありえないそうである。つまり日本の次期潜水艦も4200トンの『そうりゅう』型以上には大きくはなりそうにない。
 アメリカ政府は日本に豪州潜水艦隊強化の面倒を見させることで日本に対支抑止の大幅な肩代わりをさせようともくろんでいたのだが、フランスのロビー活動のおかげでその狙いが見事に吹っ飛んだ形だ。しかし『ショートフィン・バラクーダ』には米国製の戦闘管制システムが搭載される。
 ※ペンタゴンの中の人たちは、豪州のASC社が豪州労働党の利権ベースであったことに無知であった。そして豪州はとんでもなく労組が強い国で、トヨタすら撤退に追い込まれていることにも無知であった。豪州自由党は、がんらい、反労組の党である。彼らは陣笠代議士時代から、選挙区で労組票(労働党候補)を相手に死闘を続けてきている。ASCは軍艦の工期をダラダラひきのばすことで国庫から造船労連に無限にカネが流れ込むスキームに貢献する。自由党のジョンストン国防相(上院議員になる前は金鉱会社の企業弁護士だった)は、このようなASCには一銭も儲けさせぬという決意を固めていたのだが、それは全国有権者の支持は得られなかった。フランス資本のタレス社はシドニー軍港の半ばをすでに制圧しているくらいで、フランス工作隊が造船労組経由で豪州労働党に『そうりゅう』随契への異議を唱えさせることなどわけもなかった。フランスが特に巧みだったのではなくて、米国が豪州の「下部条件」について無知すぎたのである。三菱は、F-35参加のために武器輸出解禁の閣議決定までさせた負い目と経団連筆頭である責任から、この降って湧いた案件を峻拒できなかった。そして改型でのAIP外しの指向は、豪州自由党が野党時代から、「コリンズ型=コックムス社=造船労組」を批難してきたいきさつと関係があると思う。だって川重がもっているスウェーデンのエンジンライセンスを無駄にするという話だからね。
 げんざいDCNS社は、ノルウェー海軍およびポーランド海軍からの潜水艦受注をめぐって、他社とコンペティションを戦っている最中である。