「読書余論」 2016年10月25日配信号 の 内容予告

▼マックスウェル著『中印国境紛争』1972-1、原1970 つゞき
 ※最後まで。
▼エレン・C・ダンコース著、高橋武智tr.『崩壊した帝国――ソ連における諸民族の反乱』新評論 1981-2pub. 原1978
 ※イスラムテロリズムの淵源を知りたい人は必読の文献。イスラム伝統主義の復古にモスクワ共産党が最初から手を貸していた。チェチェン騒動はそのブーメランだと分かる。
▼『海軍中攻史話集』つゞき
 ※最後まで。とにかくものすごいボリュームで、割愛できない証言がてんこもりの1冊。空襲作戦や対艦攻撃任務のリアリズムを承知したい人は、必ず目を通しておくべき好史料。
▼土肥一夫監修『海軍 第一三巻 海軍航空 航空隊 航空機』S56-9
 ◆  ◆  ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
 バックナンバーも1号分が500円で、1号分のみでも講読ができます。
 過去のコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
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インドのラファール選択の決め手は、核爆弾投下能力だった。

 ストラテジーペイジの2016-9-28記事。
  じつはソ連=ロシアの最大のダメ兵器が、ピストル。
 ようやく2015前半に「PL-14」という新型を公表し、2016になって「PL-15」に進化させてきた。
 実包もようやく9mmパラベラムにした。メーカーは国営カラシニコフ社。
 PL-14は、スチール製なので0.8kgと重い。バレルは5インチ。マガジンは15発。
 バレルの下にレールをしつらえてある。
 そのPL-14のユーザー反応を反映してPL-15を出した。アルミ合金とポリマーで軽量化。両手利き可。
 やはりグロックがベンチマークになっている。
 8連発のマカロフPM拳銃は1950年代に出た。タマは9ミリながらパラベラムとは違う薬莢のものだった。
 ついで2003にMP-443が出た。
 このMP-443から、ロシアも9mmパラベラムに切り換えたのである。
 ただし寸法はパラベラムと同じながら特殊な徹甲弾である「7N21」という強装実包も用意。
 MP-443 は590グラム。4.4インチバレル。マガジン17発。
 要するに西側製品よりもバレルを短くすることで軽量化を図った。
 1951のマカロフで7.62ミリを9ミリ化したのは WWIIで鹵獲したドイツ拳銃に惚れたから。ところが愚かにも、パラベラムにしないで、ロシア独自の実包を制定してしまった。マカロフ初期型の94ミリのバレルは、処刑用には十分だが、それ以上の用途だと、怪しくなる。
 次。
 Craig Beutel記者による2016-9-28記事「The Conduct Of War, 1789-1961」。
  記者は豪州の軍人学者である。J.F.C.フラー著の『The Conduct Of War, 1789-1961: A Study Of The Impact Of The French, Industrial, and Russian Revolutions on War and Its Conduct』について解説する。
 本作はフラー将軍の最晩年の戦史総括であり、未来展望の書であった。
 フラーは、兵器は常に戦術に新しい形を与えると書いている。凡人読者はここにばかり注目する。
 違うのだ。フラーはもっと大事なことを言っている。それは、兵器のタイプが問題なのではなく、それをどう使うかを左右する「使用者の狙い」が肝腎だということ。
 フラーはクラウゼヴィッツの所論に刺激され、1789いらい西洋の政治と社会に革命が起きたから、それが戦争の性格を変え続けているのだと見た。
 フラーは標題よりも前の時代から説き起こす。まず15世紀は傭兵頼みだった。しかし17世紀と18世紀は常備軍が戦争を変えたと。
 30年戦争後の大著は、ホッブズの『リバイアサン』と、ヴァッテルの『諸国民の法』である。約150年間の、欧州体力回復期に。
 ところがそこに革命的な書籍が投ぜられる。ルソーの『社会契約論』だ。
 これ以降、戦争はプロ常備軍から素人大衆軍の問題に。
 戦争が大衆化すると、プロパガンダが戦争に燃料を与える。それで戦争が政府の一存では終わらせ得なくなった、とフラーは言う。
 それは、戦争が政治的な目的を喪うことである、とフラーは考えた。
 ※思慮が浅い。大衆が政治主体なのだから、それはまさしく政治的なのだ。
 フラーはクラウゼヴィッツに反発して言う。戦争の究極目的は破壊ではなく、平和である、と。
 フラーは「べき」論を展開する。平和が政策の中心発想でなくてはならず、したがって勝利とは平和の達成に近づいたときのことを言うんだと。
 ※フラーはキリスト教から哲学に入っているので、こういうことになる。人間の性善説に、アプリオリに立つ。
 モンテスキューを引用しながらフラーは説く。
 国家は戦争中も、それぞれの真の国益は傷つけないものだ。
 平和とは、〔ドイツ人が考えるように〕戦争と戦争の間のつかのまの停戦状態ではない。それ以上のものだからだ。
 次にマルクスとエンゲルスの著作が戦争を変えたという。
 マルクス主義によれば、戦争と革命は互換である。国家間の戦争や、帝国主義的抗争を、そのまま、資本主義国の内戦、そして革命へ転化せしめるべし。
 フラーいわく。いまや平和は政府によってはもたらされず、人民によってもたらされる。平和もまた革命によってつくられねばならないはずだ。
 フラーいわく。WWIは君主間の政治的戦争ではなかった。貿易によって、世界とダイレクトにつながった人民が、その生存のために、相互に死闘した。経済的戦争だった。
 ※いや経済活動も政治の一部なのだと考えれば、やっぱり政治戦争だろ?
 ドイツも英国も間違ってはいなかった。政府や君主の特別な強欲が大戦をひきおこしたのではない。大衆が自然に世界大戦をひきおこしたのだ。それが、工業革命後の戦争の普通の姿なのだ。
 記者いわく、もしフラーのいうようにWWIが非政治的目的のために戦われたのだとしたら、最終的にWWIは、英国の非軍事的な、経済ブロケイド、およびプロパガンダによった勝利したわけである。
 ※この記者も分かっていない。経済も政治の部分集合なのだということが。最初に政治の定義をしないから話がどこまで行っても迷走する。
 非政治的に戦争するということは、妥協は排するので、敵政体を除去することにまで至るしかない。
 WWIでは政治葛藤は残された。ドイツの経済葛藤も、ドイツ流の戦争世界観も、そのまま残された。
 ヒトラーいわく。戦争が永続することは決してない。平和が戦争の永続であることもない。
 フラーいわく、WWIIは、理想信条の戦いであったと。そしてWWII後もその構造は続いていると。ある理想信条が優っているとして人民によって受け入れられる。その結果、そうでない理想信条は消去されてしまう。そんな戦いなのである。
 英国式民主主義社会では、戦争と平和が概念上、切り離される。
 国家社会主義のドイツでは、平和は戦争のための時間稼ぎである。
 ソ連流マルクス主義では、平和は戦争の別形態にすぎない。平時がそのまま戦時なのだ。
 フラーはFDRの無条件降伏要求宣言を とても残念だと嘆いた。
 フラーいわく。WWIの軍人たちはまったく農業文化段階時代の頭で参戦した。前装単発銃時代の頭しかプロ軍人たちは持っていなかった。だから塹壕戦でメガデスが生じた。そのうちに手探りで「工業化時代の戦争」が掴まれた。
 記者いわく。いまわれわれは情報時代の戦争を手探りしている。
 ※記者は示唆する。ところがプロ軍人たちは、産業革命段階時代の頭で参戦しようとしているのだと。
 最晩年のフラーは、階級間の闘争などそのうちに問題ではなくなると見た。それよりも、年寄りのエスタブリッシュ世代と、「あたらしい社会」との葛藤に注目していた。
 フラーは83歳でこの本を書いたのである。
 ※やはりフラーの無音爆撃機には、青木光線しかないのか? 戦前の日本のIF小説にまで影響を与えた稀有な英軍人がキューバ危機の頃まで生きていた。
 次。
 並木書房さんから、上田篤盛氏著『中国戦略“悪”の教科書』が刊行された。メルマガの「軍事情報」の連載企画が活字化されたものだという。
 「明末~清初」の作とされるがあるいは清末の作かもしれない『三十六計』が、今日ただいまの中共の対外施策の根底にあるという。
 儒教圏人の正体が大衆レベルの日本人にまで察せられつつある目下の時勢に投じた好企画であるとお見受けした。解説書として、また中共がこれまで仕掛けてきた反日クロノロジーの資料集としても、とても充実しており、誰でも一読すれば裨益され、手元に置く価値があろう。
 ところで「三十六計」というシナ兵書のおもしろさは、それが政治や軍事のマニュアルというよりは、すでにシナ人たちが日常的にあらゆるレベルで実践しているところのビヘイビアを短い言葉でまとめてくれていることにある。「三十六計」というテキストが先にできて、それを学んだ者が現代の術策を案出しているのではない。その逆なのだ。およそ兵書の類など読んだこともないというシナ人でも、昔から息でもするようにこうした術策をナチュラルに繰り出すことができるのである。よってわれわれにとり、儒教圏人とはどういう連中なのかを、言語表現で意識しておくために、「三十六計」の解説書は、大いに役立つわけだ。
 ひとつ注意を喚起すると、外国を「中国」と呼んでいる時点ですでに日本人は敵の術中にハマり「敗戦」しているのである。江戸時代のインテリはそこは分かっていた。大正時代以降の日本の役人には、そこからしてもう分からなくなった。日本人の「ロゴス」理解力のレベルは、江戸時代よりもマシになったとは言えないのである。


次期米潜はスクリューのみならず艦尾フィンすら撤廃して究極の静粛原潜を目指す。

 ストラテジーペイジの2016-9-27記事。
  9-1に打ち上げ失敗した中共のロケットに積まれていた衛星は、静止軌道上からシナ沿岸の米空母の動静を監視しようとするものであったらしい。
 これまでの海洋監視レーダー衛星は周回高度が600km以下の低軌道だった。
 しかしその高度では、艦対宇宙ミサイルによって、すぐに撃墜されてしまう。
 ※日米共同開発中の「SM3ブロック2A」だと射高は1000km強とされている。
 だから思い切って静止軌道の3万5786kmに位置させることにしたとおぼしい。
 この距離ではレーダーは無効である。光学センサーを使う。
 理論上、50m以上の大きさの艦船は、静止軌道から「視認」可能である。
 米空母は300m以上ある。
 ※そんなに識別が簡単ならば各国がとっくにやっているわけで、「はなしじゅうぶんのいち」に聞いておけばいいだろう。ちなみに米軍の方でもぬかりはなく、GSSAPという静止軌道帯を監視する衛星群を次々と投入中である。4機はすでに2016-8月に上げられている。静止軌道帯を刑事のようにうろつきまわって、あやしい敵性衛星を見張る。有事には破壊工作もできるのであろう。
 次。
 Sydney J. Freedberg Jr.記者による2016-9-26記事「How To ‘Land’ A Drone On A Manned Airplane: DARPA’s ‘Gremlins’」。
   無人機を有人機に空中で収容する研究が始まった。
 ジェネラルアトミクス社が、C-130から延ばす機械の腕を開発している。これを使って空中でUAVをキャッチし、自機内に収容するのだ。
 将来の「空中無人機母艦」をめざす研究である。C-130のカーゴベイ内に16機の小型UAVを収容して、空中から随時に発進させ、また空中にて回収するのだ。
 複数の方法が考えられている。C-130の腹から機械の腕を伸ばして掴むか。C-130の主翼の下からプローブ・アンド・ドローグ給油のドローグのようなものを繰り出し、それに小型無人機の方からくいつくことで、引き込むようにするか。はたまた、深深度の釣りで使われている「ダウンリガー」に似せたものを使うか。
 このうち、主翼下ポッドのリールからワイヤーを繰り出してまた引き込むといったやり方には、すでに「ダメ出し」された。複数の小型UAVを次々に手早く揚収できないからだ。危なくて。
 けっきょく、ロボットアームしかない。
 空中からのミニドローンの発進に関しては、すでに何の問題もない。MITの学生が3Dプリンターで試作したミニドローンなどは、フレア・ディスペンサーから一斉に放出できるくらいだ。
 問題は、空中での回収方法なのである。そこでDARPAが乗り出した。
 計画で想定しているミニドローンは、重さ1000ポンド以下。その中にはペイロード60ポンド+300マイル進出して1時間ロイターしてまた300マイル飛んで戻る燃料も込みとする。
 難関は、C-130の後方タービュランスはかなりキツイこと。これに小型UAVは翻弄されるだろう。
 ※自動車の全挙動を、そのトータルライフスパンの終末まで記録できるチップは、実現するのにさして困難もないだろう。ウィンカーを出したタイミング、ハンドルをきったタイミングと量、ブレーキングと加速度、外部から受けた衝突加速度、等々、すべて記録し、適時に販売店のクラウドサーバーに電波で飛ばしてストアしておけば、事故の後の証拠として法定で使えるようになる。つまり近い将来、「スピード取締りレーダー」というものも常設の必要がなくなる。検問場所で警察官が車両からデータを吸い出せばいいだけだ。これにより、暴走常習ドライバーは、社会から駆逐される。そして「ひき逃げ」犯罪の迷宮入りは、有り得なくなる。


秋まつりには スーパーヒャッハー音頭

 Kathryn Tolbert記者による2016-9-23記事「Japanese war brides married the enemy, then created uniquely American lives」。
 WWII直後の占領期間中に進駐軍将兵と婚姻して渡米した日本人妻は4万5000人くらいいるらしい。
 『七転び八起き』というドキュメンタリー・フィルムをつくったボストン在住の女性も、そうした日本人妻ヤマグチ・キミコの子。
 キミコが婚姻した米兵はイタリア系で、NY州北部の養鶏場から出征して日本占領軍に加わっていた。
 その娘。すでに子持ちになっていたが、20年前に気付いた。実母の人生のタイムラインを自分はなんにも知らないと。
 そこで母校ヴァッサー大の支援を得て、全米に存命の六十数名の日本人妻に取材し、オーラルヒストリーを残してやろうと考えた。
 ほとんどの人はもう80代から90代なので、今証言をとっておかないと、史料として埋もれてしまうだろう。
 ヤマグチ・キミコは、帝国陸軍将校〔おそらく予備大佐以上〕の娘だった。育ちは半島。しかし父が病死したので、戦中に日本に戻っていた。生活費を稼ぐために東京のデパートに勤務していて、路面電車の中で声をかけられた。
 ※この記事では数例のサンプルしか紹介されていないので統計もなにもないわけだが、それでも見当のつく共通点は、まず、敗戦時点で実父が死亡していた家庭に所属していたこと。かつまた、日本人が最もよく映画を観ていた1950年から53年にかけて求婚されたこと。そしてまた、兄弟姉妹が複数あって、家計の制約から男子1名以外は高等教育を受けずに就労しなければならなかったというケース。
 米兵にとっても日本人妻の連れ帰りは高いハードルだった。1924年の差別的移民法が生きており、アジア人は米国に移民できなかったのだ。
 しかし1945年以降、複数の法律が整備されて、書類さえ完全なものを提出するなら、連れ帰りは可能になった。ただしその手続きは面倒で、若い兵士に途中で翻意を促すように仕向けられていた。
 1952の「マクレラン-ウォルター法」は画期を為す。※おかげで1953以降の婚姻が増えたわけである。
 上官たちはそれでも部下の兵に、それを勧めなかった。連邦法ではOKとなっても、州法ではダメということがあり得るからだ。
 だいたい米国の半数の州では、まだ人種間の雑婚を、1952年でも、法律で禁じていた。
 連邦最高裁が、そのような州法は違憲であるとの判断判例をつくったのは、じつに1967年である(ラヴィング対ヴァジニア州訴訟)。
 当事者の男たちは、諦めず、地元選出議員たちに手紙を書くことで、事態を動かした。
 たとえばキミコの夫は東ボストンから出征してきていて20歳になったばかりだったが、地元マサチューセッツ選出のJ・F・ケネディ議員に手紙を書き、その結果、ケネディが「キミコ・ヤマグチ救済法案」を1950-5-18に成立させてくれたという。
 黒人兵と婚姻したケースでは、汽車でアトランタに着いたとたん、妻は白人用ホテル、亭主は黒人用ホテルへと隔離されてしまったそうである。
 日本赤十字社は、米兵と婚約した女性のために「嫁入り学校」を開催していて、ケーキの焼き方その他一切を事前に指導してくれた。
 インタビューした60人の誰も、二度と日本に戻れるとは考えたことがなかったという。
 1960年代のベトナム戦争中、本国からの出征将兵がメリーランド州アバディーン基地近くに集結した。偶然に、そこにはたくさんの日本人妻も集まった。彼女らは「会」をつくった。
 いまでも12人くらいが毎月集まって会食している。※60年代にまだ現役ということは、相当の下士官か将校。
 ディープな日系コミュニティのある西海岸でも、これら戦後渡りの一世の子たちは、じぶんたちのルーツが日本にあるとは少しも考えていない。母親は、そのように徹底して教育したのだ。
 誰も、わが子に日本語を教えようとした者もいなかった。


一人旅に「つまらない旅」は無い。

 SEBASTIEN ROBLIN 記者による記事「The Legend of the Vietnam War’s Mystery Fighter Ace」。
  ベトナム空軍エース、グエン・トーム大佐は実在したのか?
 トーン大佐は13機の米軍機を撃墜したとされている。
 『チャックイエーガーのエアーコンバット』という昔のPCゲームに登場した唯一のベトナム人パイロットでもあった。
 ベトナム戦争での米人パイロットの最多エースは5機である。
 米軍の北爆は時間が読めた。対するベトナム空軍は、地上からのレーダー管制により、この上なく有利な待ち伏せ地点へ誘導されて待っていた。だから超音速のF-105ですら喰われた。
 米側はROEによって、目視できない未確認飛行機へのAAM発射を禁じられていた。
 ベトナム側の迎撃は、米攻撃機に爆弾をとっとと投棄させることになり、有効だった。
 トーン大佐を有名人にしたのは、NSAによるベトナム防空無線傍受である。
 傍受解析情報によって、ベトナム軍パイロットは、そのひとりひとりが、コールサイン、所属、階級、過去の戦歴まで、記録されていたという。
 トーンがエースであるという確認も、傍受解析記録によるものである。
 NSAは、トーンのミグ17がいつ出撃するか、第七空軍司令官に予告することができた。司令官はどうしても撃墜しなくてはと圧迫された。
 ミグ17はF-4よりずっと遅れた飛行機である。
 水平飛行ではマッハ1を出すこともできなかった。
 しかも、AAMも無し。37ミリ機関砲×1と、23ミリ×2門だけなのだ。
 また操縦系に油圧が使われていない。腕力だけで操縦せねばならないのだ。
 強みは、低速域での機動力にあった。
 F-4の携行したAAMは信頼性の劣ったものだった。ミグ17はしばしばそれをかわしてしまい、F-4の後ろを取る。F-4は高速離脱すれば助かるが、格闘戦に応ずれば、トーンに負けた。
 1972年、ラインバッカー作戦。6ヶ月連続の集中北爆だった。
 5月10日、11機の北ベトナム機と、4機のF-4が一度の空戦で撃墜された。
 海軍のカニンガム中尉はトップガンスクール出で、すでにベトナムで2機を撃墜していた。彼の操縦するF-4Jは、この日、まず1機のミグ17をサイドワインダーで落とした。
 そのとき彼のウイングマンは8機のミグ17と交戦していた。
 そこでカニンガムは僚機の後方についている複数のミグ17のさらに後方についたが、すぐサイドワインダーを発射すればシーカーがむしろ僚機F-4の強いツインエンジンの熱放射にひきつけられ、味方殺しになっちまうんじゃないかと懸念した。
 そこで僚機に対してボイスで「ブレーク」を命じ、サイドワインダーの軸線に敵機しかいなくなった瞬間にロックオンして、2機目を撃墜。
 カニンガムはここで帰投に決し、基地を目指す。
 すると単機のミグ17が向かってくるのが見えた。
 カニンガムはヘッドオンコースに乗せた。そのミグ17は先に機関砲を撃ってきた。
 当時のF-4には機関砲が搭載されていない。カニンガムは急上昇した。
 カニンガムは格闘旋回中に敵機にペイントされた番号「3020」を視認した。それはトーン大佐の乗機として周知であった。
 カニンガムのローリング・シザーズの動きにもミグは翻弄されなかった。
 急旋回を連続させたことで、重いF-4はしだいに、失速速度に近づいた。
 これはミグ17にやられるパターンである。後席のドリスコル中尉は、格闘をやめて高速離脱しろと叫んだがカニンガムは無視した。
 カニンガムはアフターバーナーに点火し、はるかに敵機に先行してから旋回し、2マイルの距離でふたたびヘッドオンに持ち込んだ。こんどはミグの方からは射撃できないアングルであった。※それはどんなアングルなのか、記事では不明である。
 ところがミグはまたしてもカニンガム機の後ろを取った。
 カニンガムはふたたびふりきって二度目の大旋回。こんどは、ミグが後ろにつこうという機動をしているさいちゅうに、カニンガムはエアブレーキを展開した。
 これにより、ファントムがミグのすぐ後ろをとった。
 ところが距離が近すぎてサイドワインダーをロックオンできない。
 ミグはロールを打って急降下。
 ミグが十分に地面の近くまで降下してしまえば、地面の熱が高いのでサイドワインダーのロックオンは難しくなる。しかしそうなる前にカニンガムはサイドワインダーを発射してミグに命中させた。ミグは地面に激突した。トーン大佐は脱出したようには見えなかった。
 その直後、SA-2地対空ミサイルがカニンガム機に命中した。カニンガムはなんとか海岸まで飛行し、そこでドリスコルとともにイジェクト。沿岸で味方にレスキューされた。
 すでに2機落としていたこの2名は、この日、3機を落としたので、ベトナム戦争における初エースとなった。
 その後、ドリスコルはトップガンの教官になった。
 カニンガムは加州議会の共和党の代議士になり15年勤めたが、2005年に汚職で収獄された。
 米空軍博物館に展示してあるミグ17Fは、エジプト空軍から寄付された機体を、トーン大佐乗機風に再塗装したものである。
 さて、ベトナム戦争が遠い過去となり、米越関係が好転すると、空戦史家があいついでハノイへ赴き、かつてのベトナム空軍パイロットたちにトーン大佐について尋ねて回った。
 ベトナム人たちは一様にとまどった。「ハア? 何……大佐? ……ですと?」
 トーン大佐などという人物はベトナム空軍内では誰にも知られていなかったのである。そんな軍人がいたという記録も、ひとっつもありはしなかった。
 そもそもトームとかトーンとか、そんな苗字はベトナム人にはないのである。
 ある人は憶測する。NSAの無能な傍受者・解析者は「ツァン」とか「トン」という名を勝手に英語化していたんじゃないだろうか、と。
 さらに、ほとんどのベトナム人エースはミグ21を操縦していたことや、いちどミグ21に乗ったパイロットがまたミグ17にもどるなんてことはないはずであることも分かってきた。
 ベトナム側には、彼らの最高のエースの存在を秘密にする理由があるだろうか?
 疑われるのは、朝鮮戦争時代にソ連人パイロットの存在が秘密扱いだったように、じつはトーンがソ連人だったから、ベトナムとしては隠す必要があるんじゃないか……ということ。
 ところがこれも否定される。いまだにロシア内からそれを証言する者がひとりもいないことによって。
 ジェット時代に敵機と空戦中に敵パトロットの髪の色や目の色が分かるもんじゃない。そんなことを回想録で書いている元パイロットもいるが……。
 ロシア人でベトナムに派遣されて6機の米機を落とした指揮官は、ちゃんと戦後に明らかになっている。いまさら隠す必要などないのだ。ただしSAM基地勤務であった。
 第二の仮説。トーン大佐は二人の実在パイロットの合成ではないか。ひとりはディン・トン。もうひとりは、ダン・ゴック・グ。
 ただ、どちらもミグ21乗りであった。そして1972-5-10の空戦にはどちらも参加してない。
 三番目の仮説。シギント係が、6機撃墜エースのレ・タン・ダオのコールサインを、人名と勘違いしたのではないかというもの。しかし彼もミグ21乗りであり、かつまた、その日には撃墜されていない。
 情報公開請求で知られたのだが、NSAはこうも傍受しているという。〈空戦が終わったとき、同志トーンは、最前線の陸上からミグ機を米機に対して誘導する、グラウンド・コントローラーに昇進していた〉。
 それじゃカニンガムが交戦したと主張している相手は誰なんだ?
 ベトナム空軍ではこう言っている。グエン・ヴァン・トーというパイロットだ。しかし彼は飛行機から脱出して生還していると。
 以下、伝説の元になったと思しい三人について紹介する。
 機体番号4326のミグ21に乗ったグエン・ヴァン・コクは、ベトナム空軍最大のエースで、ミグ21によって米機を9機落としている。しかし機体にはマークが13。
 じつはベトナム空軍の慣行では、機体の撃墜マークは、その機を操縦した過去すべてのパイロットの戦果が累計されている数なのである。つまり1人でそれだけ落としたというわけではない。
 1966年に26歳のグエンヴァンコクは、他の数十人のベトナム人パイロットとともにソ連でミグ21の操縦訓練を受けた。しかし1967-1-2にいきなり撃墜されてしまった。それでも4-30には太陽を背にした攻撃でF-105を落とす。初撃墜。1969-12にはさらに8機を落とした。いずれもソ連製の赤外線誘導式R-3アトールAAMを用いた。
 9機のうち2機はRPVであった。残り7機のうち1機については米側史料で確認できない。
 しかし6機撃墜は米側からも認められているので、文句なしにベトナム空軍のトップエース。
 グエンバンコクは空軍教官にされて次の世代を育成した。その弟子の中から1972年のエースが出ている。ひとりは、6機撃墜のグエンドクソトだ。
 また、グエンヴァンバイはミグ17を操縦し、7機撃墜を記録している。
 そのうち1機は朝鮮戦争のエースであったケイスラー少佐の機であり、また、F-4より機動性が高いF-8クルセダーも2機含まれている。
 グエンヴァンバイとその僚機はまた、米艦『オクラホマシティ』と『ハイビー』に爆弾を命中させており、これはWWII後の米海軍史で特筆される。
 これら3名はベトナム戦争を生き残っている。
 トータルではベトナム空軍には16人ものエースが生まれている。
 ※一連の調査は何を教えてくれたか。米戦闘機パイロットの自己申告にはおそれいった手のこんだ作り話が平然と混ざるのだということ。彼らは面白半分に神秘的な敵エースを無から捏造し、勝手にドラマを盛り上げ、その登場人物になろうとすること。それに地上の傍受部隊までが加担をすること。どうやらガンカメラ映像以外は、何も信用できないようだ。
 次。
 David Szondy 記者による2016-9-17記事「US Army developing first new hand grenade in 40 years」。
   40年ぶりに米陸軍が新型手榴弾を採用する。
 「ET-MP」という。破片を発生させない爆発と、破片を発生させる爆発とに、「ひねりスイッチ」によって簡単に切り換えることができる。
 ※写真を見ると、いちおう、リングのついたピンを引き抜くようにはなっているように見える。
 破片を発生させない爆発は、野外での味方の突撃局面で用いるのに便利。しかし陣地での防禦局面や、閉所に投げ込む用途では、破片をおもいきり発生させてやりたい。
 従来はこの二つの用途のために、軽量の「攻撃型手榴弾」と、防禦用の重手榴弾が存在した。こんかい米軍はこれを1つにまとめた。
 1975年いらい、米陸軍には、1種類の殺傷性手榴弾しかない。それはM67といい、破片が飛ぶタイプである。
 じつはもうひとつ、Mk3A2という、破片が飛ばないコンカッション手榴弾(破片こそ飛ばないが、至近では殺傷威力あり)もあったのだが、これはアスベスト被害があるというので、廃止されてしまっている。
 開発と評価確定にこれまで5年をかけた。
 ET-MPはまた、米軍が採用する最初の、「左右の利き手を問わない」投法を可能とした手榴弾である。
 従来の手榴弾は、左利きの者も、右手で投げる必要があったのだ。
 ※フライオフレバーを親指で押さえるのは危険だからだろう。ET-MPにはフライオフレバーが無い。
 ET-MPは、爆発までの秒時は電子制御されており、その製品誤差はミリセコレベルである。そして、ひねりスイッチを「アームド」にしない限りは、ぜったいに爆発しない安全設計。※おそらくピンが抜けない。また、無理に抜いても起爆しない。
 この新型手榴弾は、これから5年で全陸軍に普及させる。
 ※フライオフレバーの廃止、そして「電池」への依存は、どちらも問題あり杉内? むしろフライオフレバーを親指で握っても安全なデザインを工夫し、アスベストを用いないコンカッション手榴弾を開発する方が先だろ?


『大統領戦記2』は10月に刊行予定。こんどは遅れない予定(笑)

 Alex Grigsby記者による2016-9-15記事「A Peek into French Signals Intelligence」。
  フランス外国情報機関のシギント局長を2006~2014に勤めていたベルナール・バルビエが、数ヶ月前、工科大学生たちを相手に講演した。
 その機微な内容はユーチューブにUpされ、すぐに削除された。
 しかし抜け目なく『ルモンド』紙がトランスクリプトしてくれている。
 バルビエはこう語った。
 エリゼ宮にマルウェアがしかけられていると、わたしの同僚が2012に発見した。
 メタデータ解析とスノーデン情報のヒントにより、これは米国NSAの仕業だと2013年には結論できた。
 それでオランドが私に、アメリカを非難せよと命じた。2013-4のこと。
 NSA長官は、これは決してバレないと思っていたそうである。それを、直接、聞いた。
 またいわく。
 カナダ版NSAであるCSEは、2009にカナダにサイバーエスピオナージしてきたのはフランスではないかと疑っていた。というのはマルウェアのプログラム中に、フランスの子供向け漫画『象のババル』の関連名詞が使われているので。このマルウェアは「アニマル・ファーム」と名付けられる。
 いかにも、それはフランス製である。
 またいわく。
 欧州諸国がNSAに対抗するためにシギント部門を統合できるか? 答え。実現性があるのは、仏独電子諜報同盟だけである。
 欧州28ヵ国のなかで、インテリジェンス機関が充実しているとフランスが認めるのはスウェーデン。最もダメなのはイタリアである。スペインはイタリアよりややましというレベル。
 英国のGCHQの6500人はすばらしい。しかし英国を欧州の国とは呼べないのだ。
 仏DGSEと独BND、ふたつの電子諜報機関員はこれまでも協働してきている。しかし仏英の電子諜報機関員は、協働しているとはいえない。
 仏独電子諜報部門が合同するとスタッフは1万5000人規模となる。
 NSAは、6万人である。
 いま、DGSEのなかのシギント要員は3000人。政府はこれを増やす必要がある。
 ただし昨年、BNDがフランスをスパイしているという報道があった。
 スノーデンは米国にとっては裏切り者だが、ジュリアン・アサンジのために何かしたわけじゃない。シスコ社のような米国企業が外国に売るハードウェアには最初からスパイ回路が入っている事実を知らせてくれたという点でフランスは助かっている。
 NSAはスノーデンを契約職員として雇用し、システムアドミニストレーターにしていた。阿呆かと。フランスではシステムアドミニストレーターはキャリア20年弱の国家公務員でなくてはならないのだ。だからフランス版のメガ漏洩者は出にくいと思う。
 ※『アメリカ大統領戦記 2』の範囲は、ニューポート攻防から、ヨークタウン戦が決着してGWがマウントヴァーノンに還るところまでです。対インディアン戦と数度の海戦(制海権問題)の解説も加わるため、昨年の第1巻よりも相当にボリュームが増えました。この本が出たあと、わが国の大学で米国政治史を学ぶ諸君は、必ずこれをいちど読むことになるであろうと、今から確信しています。


全住民に電子IDカード所持を義務付け、ゲートで特定住民の移動規制をする方法が奏効し、ウイグル人は逼塞。

 ストラテジーペイジの2016-9-14記事
  シリアではゲリラたちが、市販UAV、ゴープロ、市販ワイヤレス機器をクリエイティヴに駆使している。
 特に注目されているのが、2013から手作りのリモコン狙撃ライフルやリモコン機関銃が前線に登場していることだ。
 すべて市販の電子器材をホームメイドで組み合わせたメカニズムだ。総額数百ドルで、こうしたリモコン火器が製作されている。
 現在のところ、20種類以上、確認されている。
 作り手は、各派ゲリラだけでなくて、シリア政府軍までが製作して使用しているようだ。
 敵の電波ジャミングを回避するため、リモコンは有線による。どっちみち、ケーブルで給電するので、それでいい。
 手元の操作盤は、市販ゲーム機器のコントローラーを流用したものもあれば、ラップトップPCのこともある。照準は、ゴープロの小型ビデオカメラなどでつける。
 精確な射撃こそできぬが、敵もまた近寄れない。それで敵は遠くから狙撃しようと試みるが、こっちの銃座には人はいないわけである。
 これらホームメイドの無人銃座は、ビル壁の開口部や、掩蔽擬装された地表のバンカーに設置されている。
 遠くからでは、その銃座に実際に兵員が配置されているのか、それとも無人なのかを、見極めることができない。これは敵方の指揮官を悩ませる。生身の兵隊がいるのならば、そやつらを恐怖させることで退却を誘う戦法がいろいろとある。しかし無人の銃巣に対しては心理的な働きかけは徒労だ。
 こうしたロボット・ガン・ネストの発想は20年近くも前からあって、関心のある者たちは長らくインターネット上で議論を重ねてきた。
 そして、戦車や装甲車の天蓋にとりつけられる実用的なRWS(リモコン無人銃塔)をコングスベルグ社が売り出したのは2006年であった。ただし値段は30万ドル以上もした。
 こうしたRWSのコンセプトは、WWII中にドイツがいろいろと試作したのが始まりだった。
 ※なるほどそれで西ドイツは早くも1969年にマルダーMICVの後部銃塔を無人化できているのか……!
 しかし無人ターレットに、レーザー測遠器や赤外線ズームカメラがふつうに付くようになったのは、2000年以降である。これ以前だとやはり、信頼性や実用面に難点があった。
 次。
 Patrick Tucker記者による2016-9-11記事「Special Operators Are Getting a New Autonomous Tactical Drone」。
  市街戦用のマイクロドローンができた。サンディエゴにある「シールドAI」社製。
 従来品と何が違うか? ビル内に飛び入り、全自動でビル内のマップを作ってくれる。そのさいカメラとレーザーと超音波を使う。
 人間が操縦する必要が一切無い。しかもGPS電波にも依存しない。
 同社は9-1に、海軍特殊作戦コマンドおよび、ペンタゴンがシリコンバレーに開設した出店である「防衛発明実験隊」(DIUX)から計100万ドルを得て、9ヶ月でこのプロトタイプを造った。
 先行する虫サイズの軍用ドローンとしては、ノルウェーのプロックスダイナミクス社製「PD1000 ブラックホーネット」が英軍特殊部隊により2011年からアフガンで実用されている。
 プロックスダイナミクス社も2016-3までに、その改善型を仕上げた。こんどのモデルは、やはりGPS電波に依存しなくなっている。
 しかし、操縦者の関与がそもそも不要であるという製品は、シールドAI社がさきがけた。いよいよ飛行ロボットにAIが組み込まれたのだ。
 兵隊は、このドローンをビルの外で放つだけでいい。あとはドローンが勝手にビルの中に入って中を飛び回ってくれる。
 シールドAI社の幹部はブランドン・ツェンと名乗っているのでシナ系の人らしい。
 DARPAは2014年から、小型ドローンが鳥のように自律行動できるAIを公募していた。
 これに応じたゴスホークという試作機は、昆虫のように、密林の植生にまったく衝突せずに密林内をすばやく飛行できるという。
 シールドAI社のドローンは自重1kg。
 NASAの2014時点での見解では、自律飛行してカメラ映像を送信できるミニドローンは500グラムまで小型にできるということだった。
 次。
 本日のチラ裏メモ。マツダは1気筒330cc.のディーゼルエンジンを早く作ってくれぬかという話。
  なぜCX-5は税金の不利な2.2リッターなのだろうかと考えて、気筒数の6で割ったら366.666……。それで腑に落ちた。
 ドイツ人ならば、ディーゼル単気筒のミニマムは500ccだと開き直る。さすれば4気筒で2000cc未満に楽勝で調節できるから5ナンバー税制も享受できるであろう。
 ところがマツダは技術に自信があったので1気筒360cc強でディーゼルを実現しちまった。4倍すれば1467cc、ちょいと広くして1.5リッター。
 これがCX-3やデミオの4気筒ディーゼルタイプなのであろう。
 しかしそれをさらに6気筒にすれば、どうしても1980ccとかにはおさえこめない。2200ccになっちまう。2000以上だと3ナンバーだ。
 将来もしディーゼルの1気筒を330ccにまで小さくできるならば、どうなるだろう? 4気筒で1320cc、6気筒で1980ccとなり、5ナンバー税制枠におさまる。
 のみならず、2気筒で660ccなので、軽自動車にまでディーゼルを搭載できるわけだ。
 「ディーゼルの軽」が実現するのだ。車内に伝わる振動や騒音の問題が残るかもしれないが、そうだとしても、まず、軽トラックは皆、これを搭載するだろう。
 これまでは、ディーゼルの気筒の寸法にはキツイ下限があった。気筒をあまり小さくすれば、容積に対する表面積の比が大きくなりすぎ、シリンダーの壁からすばやく熱が逃げてしまう結果、圧縮点火が起きなくなるからだ。それで、330ccなんて、もう理論的には不可能と思われていた。
 しかし最近、シリンダー内空間のできるだけ中心部近くで軽油をほとんど燃焼させるように仕向ければ、シリンダー壁から逃げてしまう熱量を極小化できるというブレークスルーが見えてきた。
 こうした燃焼方法が洗練されれば、単気筒330ccが実現する日が来るかもしれない。
 ディーゼルは一酸化炭素を出さないので、地下空間や工場構内で走らせる車両に搭載するのにも向いている。


誰が日本で最初にTHAAD調達の宣伝をおっ始めるか、注目すべし!

 2016-9-10の記者不明記事「Is the world’s most expensive fighter-jet helmet really that good?」。
   F-35のヘルメットは、1個40万ドルする。
  機外の6個のビデオカメラ映像も表示される。
 また、特殊ゴーグルをかける必要なく、夜間もカラーの景色が見られる。
 このヘルメットは、ロックウェルコリンズ、イスラエルのエルビットシステムズ、そしてロックマートが合同で開発した。
 このHMDS付きヘルメットは、他のパイロットのものを借りるわけにはいかない。というのは、パイロットひとりひとりの瞳に2日間をかけてアジャストしなければ使えないためだ。その作業はロックウェルコリンズ社の研究所でなくてはできない。
 2011に大問題になったビデオ映像のディレイは、2013までにかなり改善された。
 依然として問題なのはその重さ。ヘルメットがあまりに重いため、テストパイロットはGのかかっている「空戦」中に首をまわして敵機を探すのがたいへん。これは2015の話。
 ある種の機動をするとこの2.4kgもある重いヘルメットがキャノピーに「張り付け」られてしまうという。これは今でも解決されていない。
 シートイジェクトすれば、ただちに「むちうち症」を引き起こす。
 ダミーを使ったテストイジェクトでは、頚骨が折れる危険もあると分かった。
 開発者がこのヘルメットを過大評価していないことは、機体デザインから明らかである。もしもそんなにすごいヘルメットならば、コクピットを胴体内に埋め込むようにして、レーダー反射を少しでも減らそうとしたはずだからである。F-35のコクピットは、胴体上に突出している。まだこの戦闘機は、肉眼を頼りにしているのだ。
 次。
 北鮮の核の「事実」と「妄想」をあらためて整理してみよう。
  北鮮は2006年10月に核分裂実験を成功させた。そのときには、米軍の偵察機が、放射性同位元素「キセノン133」と「クリプトン85」を上空大気から検出した。核分裂が起きたという鉄板証拠である。
 だから北鮮は、核爆発「装置」を2006年に持った。これは事実。
 ただしそれは「投下爆弾」ではないし、「核弾頭」でもない。
 その開発は進んだのか?
 進んでいない。
 まず、初歩的な核分裂爆弾の技術があることを証明するためには、プルトニウムのインプロージョン式で20キロトン、ウラニウムのガンバレル式で15キロトンの「爆発地震」を起こしてみせなければならない。1940年代のノウハウであっても、これ以下の出力だったなら、「不完爆」(フィズル)の証明なのである。
 北鮮がウランを大量に濃縮できたというフォレンジックな物証はない。
 技術の遅れた貧乏国でも簡単に得られるのはプルトニウムである。
 したがってまずプルトニウム原爆の最低出力である20キロトンの爆発ができるかどうかが、1945年の米国レベルの技術を北鮮が達成したかどうかの指標になる。
 その爆発をまだ北鮮はさせたことはない。したがって北鮮の技術レベルは1945年の米国にもまだ及んでいないのである。
 北鮮の200-5「第二回」実験から、2016-1「第四回」実験まで、米軍の偵察機は、放射性同位元素「キセノン133」と「クリプトン85」を上空大気から検出しなかった。
 米国に「核武装国」だと認められたい北鮮が、わざわざ「キセノン133」と「クリプトン85」が上空に漂わないような大深度での核実験をやる意味はない。
 浅い地中で爆発させれば、「キセノン133」と「クリプトン85」は確実に上空に漏れてくれるのである。
 それが検出されなかったということは、「第二回」実験から「第四回」実験までは、すべて「失敗」だったのだ。
 これがフォレンジックな推論である。日本のマスコミ人にはこの程度の科学的思考もできかねるのだからなさけない。
 今回の「第五回」実験が「原爆開発の前進」なのか「四度目の失敗」なのかも、上空大気から「キセノン133」と「クリプトン85」が検出されるかどうかにかかっている。
 検出されなければ、地震は、硝酸アンモニウム(窒素肥料)と重油・廃油をまぜた坑道発破、もしくはそれと、異常なまでの大深度での「不完爆」の合成だと考えるしかない。
 朝鮮には温泉がない。これは火山がないことを意味する。したがって地震国でもない。だから半島周辺では昔から気象台が地震観測をする必要もなかった。そのため、日本と比べると、地震観測体制が、器材・人員ともに甚だ粗雑である。北鮮が核武装したと信じたい韓国人が発表する「マグニチュード」の数値は、当てにできない。
 信用できるとしても今回まだ20キロトンには達していないわけである。
 したがって北鮮はまだ「装置原爆」しか持っていない段階にとどまっている。
 「核弾頭」の段階にはまったく到達していない。これが事実。
 これから何年かすると20キロトンの最低威力「完爆」が実現するかもしれない。
 そこからようやく「小型軽量化」の過程に入ることができる。
 「完爆」を実現もしていないうちから「小型軽量化」を図ることには技術的にも政治的にも合理性はない。「完爆」ができないのでは、原爆をプライマーとした「水爆」に進むこともできず、とうてい米国から「核武装国」としては認めてもらえないからである。
 ちなみに23キロトンの出力を実証した1945年の長崎型(プルトニウム爆縮式)原爆は、重さが4トンもあった。
 ミサイル用の核弾頭は1960年代の中共の技術でも、最初は重さが2トン以上にもなってしまい、なかなか弾道ミサイルには搭載がむずかしかった。2トンもの重量を無理にミサイルに搭載しても射距離がずいぶん短くなってしまう。とても敵国の首都まで到達させられない。
 やっと1.5トンまで軽量化して中距離弾道弾に組み込むのに、中共でも数年かかった。(それでもまだモスクワには届かず、もちろん米国にも届かなかった。)
 1.5トンの弾頭重量を遠くまで飛ばせるミサイルを今、北鮮は、ひとつも持っていない。過去に遠くまで飛ばした北鮮のロケットのペイロードは、数十kgまで減らしてあった。ペイロードを減らしたミサイルをいくら試射しても、誰も恐れてはくれない。
 北京まで届く北鮮の弾道ミサイルのペイロードは1トン未満~500kgである。重さ何トンもある装置による「完爆」すらできていない技術水準の北鮮が、さらに原爆を重さ750kg前後にまとめられるようになるのには、「完爆」の達成のあと、さらに何年もかかるであろう。
 北京まで届く原爆ミサイルが完成した後から、ようやく「弾頭の水爆化」「その軽量化」と、「ロケット射程とペイロードの長大化」が図られる。もちろん狙いは米国東部ニューヨーク市だ。それには何年かかるか? 誰もわからない。
 いずれにしても、まず20キロトンの「完爆」から証明しなければ、北鮮は米国から相手にもされないだろう。大気圏内実験なら、米国も一目置くだろう。
 余談だが、日本は、1971年に中共が満州に「東風3」を展開したとき以来、東京が「水爆ミサイル」でずっと照準され続けている。中共は大気圏内水爆実験や、ミサイルに搭載して核弾頭を実爆させる実験までも繰り返している。そして現在の中共はまぎれもない「反日」だ。シナ人は皆、ジャパン・ヘイターである。
 この中共の水爆ミサイルの脅威に自衛隊はどう対処しているか?
 ゼロである。
 準中距離弾道ミサイル(射程3000~5000km)のスピードに、イージス艦から発射するスタンダードミサイルは、対応できないのだ。
 もちろんTHAADでも対応はできない。THAADによる準中距離弾道弾迎撃実験は、これまで一度もなされていない。
 おわかりだろうか?
 現実にはありもしない「北鮮の核ミサイル」とやらを脅威よばわりして大騒ぎする連中の狙いは、1971年いらい実在する日本国にとっての正真正銘の危険から人々の目を逸らせ、米国の兵器メーカーに日本人の血税をどんどん吸い上げさせるためのスキームに貢献したいだけなのだということが。
 イージスもペトリオットも、中共からの核攻撃から日本人を少しも守ってくれてはいないのである。それをマスコミも左翼も右翼も指摘することができない。
 これが日本人の理性の現実だ。


トルコはモスル市をクルド人には占領させたくないので越境介入中。

 ストラテジーペイジの2016-9-8記事。
   中共軍は、空挺部隊をチベットに降下させる訓練を2010年から反復させている。降下地点は標高4000mである。
 これほどの高所になると、輸送機を飛び出してからパラシュートが開傘するまでの時間が、空気が稀薄であるため、余計にかかっる。だから輸送機も、地表からの高度を、低地作戦時よりもよぶんに取っておかなければならない。
 もちろん降下隊員が高地・高所で激動することは、即座に、高山病のリスクを高める。その限界がどのへんにあるのかを、シナ軍は見極めたいのである。
 高地降下の前には隊員を高地気候に順化させておく。これは2010年からやっている。そのトレーニング過程で、高山病に罹り易い隊員は誰なのかが判明する。そいつはチベット~ヒマラヤ戦域には使わないようにする。
 ※わが第一空挺団のレンジャー教程はどうして最終想定を「無人島潜入とヘリパッド死守」に設定しないのか? やってることが時代遅れすぎないか? 深夜の荒海で泳ぐのに向いていない隊員を早めに見極めておかないとダメだろう。
 空挺がチベットに投入されるようになったきっかけは、2008のチベット造反騒動であった。
 このときは高地順応させずにジャンプさせたため、隊員の多くが高山病に罹った。
 1990年代に、第15空挺軍が編成された。現在、3個空挺師団と1個空輸旅団から成っている。
 輸送機は、イリューシン76か「輸8」か「輸7」である。
 ※別なニュースで、世界最大にして製造機数が1機しかない6発の超輸送機「アントノフ225」を中共が製造したがっていて、2019に完工させるという。じつはツポレフ社はロシア国内に主工場がある(現「ユナイテドエアクラフト社」)のだが、アントノフ社はウクライナ内に主工場があって、しかもエアバスやボーイングに対抗できそうな大型民航機はアントノフ社でしか開発・製造はできない。だからロシアと中共がウクライナ内のアントノフ工場の取り込みをめぐって激しく角逐しているのだ。なお、ウズベキスタンにあったイリューシン工場はロシアがぜんぶ回収した。
 シナ軍は2009年以降は、ヘリからのパラ降下を旅団規模で実験するようになっている。
 第15空挺軍はぜんたいで3万人くらいではないかと見られているが正確なところは分かっていない。そのうちチベットでジャンプしたことのある降下隊員は、4割ぐらいのようだ。
 インド軍はこれに対抗するため「山岳軍」を増強中であり、2020年代には8万人をヒマラヤに張り付けると言っている。
 ※1986に処刑された空軍用レーダー秘密漏洩スパイ・トルカチェフの話だとか、シリアに持ち込まれている露軍機のレーザー誘導爆弾とAAMが低信頼性であることは、旧ソ連邦国から現物を買ったりユーザーのインド人から話を聞けば分かるのだ――といった、どうでもいいような記事が散見される。何かを隠そうとする煙幕記事の匂いがプンプン。露軍の電子系の大きな弱点がアメリカで曝かれた可能性がある。


われはうみねこ。

 Jon Stone記者の記事「Britain is now the second biggest arms dealer in the world」。
  2010年いらい英国の武器輸出の三分の二は、中東向けである。
 そしていまや英国は米国に次ぐ武器輸出大国となった。
 フリーダムハウスという団体は世界の51ヵ国を「自由ではない」と認定している。英国からの武器輸出先には、そのリストとかぶる国家が39ある。
 英国政府じしんが人権監視リストに入れている国は30ヵ国ある。しかし英国はそのうちの29ヵ国に兵器を売っている。
 過去10年を総計すると、英国の次に多額の武器を輸出しているのはロシアで、以下、シナ、フランスが続く。
 英国でも、武器輸出にさいしては、複数の閣僚の署名が必要。
 政府は厳格だと主張するが、過去には、ロシアやウクライナへの武器輸出が実施される寸前にその輸出許可が取り消されたこともあった。
 米国ではサウジ軍がイエメンでやっていることは戦争犯罪そのものであるとして、対サウジの武器禁輸を求める声が連邦議会内で高い。しかし英国ではそんなことはおかまいなしだ。
 「欧州議会」と英下院の国際開発委員会はともに、抑圧的政体への武器輸出を停止するよう勧告している。英政府はサウジが戦争犯罪しているとは考えないが、サウジが抑圧体制であることは認めている。
 イスラエルに対しては、無人機の部品や、ターゲティング用機器が輸出されている。
 一批判者いわく。英国から武器を買った国々は、武器だけでなく、自国政府のやっていることが正当で合法であるという宣伝の論拠も買っているわけだ。すなわち英外交当局の言っていることはご立派だが、やっていることはまさに偽善である。
 もうひとつの事実。兵器の寿命は、政体の寿命よりもしばしば長い。許せる国だと思って売った武器が、その国が崩壊したり変質したりした後で、抑圧的あるいは破壊的あるいは侵略的な勢力の目的に資する道具として使われている例を、われわれは、ロシア周辺や中東地域で目撃する。
 ※台湾などに武器を売れば、それは将来の反日政権の有力装備となり得る。米国はそこまで読んでいるから高性能戦闘機は売らないのだ。
 次。
 ストラテジーペイジの2016-9-5記事。
  ラップトップPCと、スマホと、重さ90kgのFMラジオ送信キット。これだけで、ひとりの兵隊が、聴取可能半径5kmの「放送局」を開局運営することができる。米海兵隊はこれをアフガニスタンでアフガン兵にやらせて試していたが、2016年にはイラクのクルド兵士にもやらせる。1月からすでに220人を訓練済みである。モスル郊外での宣撫活動に投入されるだろう。
 ISが得意とするインターネット経由の宣伝やリクルートを、このFM放送で粉砕する。