よい博奕だったミッドウェー海戦

 源田實は、「日本の空母は6隻まとめて運用することで、艦隊上空の戦闘機による直掩が成り立つ」と、真珠湾の前から結論を出していました。
 それにもかかわらずなぜ山本五十六はアリューシャン作戦(ダッチハーバー空襲)に軽空母の『龍驤』と『隼鷹』を分派してしまったのか? つまり、珊瑚海で損傷した5航戦(『翔鶴』『瑞鶴』)の穴埋めに『龍驤』『隼鷹』を同道させてやるのが「集中の原則」に最も適っていただろうに……というわけです。
 この疑問には海軍人も誰も答えておらず、戦後の評論家は「愚かな失策」だと決め付けます。
 しかしさいきん兵頭は、これは愚かではなく、考え抜かれた必然の選択だったと思うようになりました。山本はおそらく日本海軍の通信がぜんぶ解析されていることをMI海戦のずっと前から知っていたのでしょう。もし6隻まとめてMI方面に押し出していけば、数で劣勢の敵は勝てないと察知して逃げてしまい、またしても「決戦的海戦」には応じてはくれないことになるだろう、と山本は正しくも判断したのでしょう。
 1944年になれば『エセックス』級が続々と就役してくることは、1941年末時点の日本のオタク少年たちですら月刊『航空朝日』などを読んでよく知っていたことです。また、珊瑚海海戦は「日本の戦術的勝利」などといわれますが、もともとパイロット数の分母が米国に比べて桁違いに少なく(だいたい自動車の運転をできる奴がいない)、しかも日本の参謀本部と軍令部は第一次大戦後も「日本の戦争=短期戦勝利」と考えてきましたから、たった数十人のベテランパイロットの損害は、それだけで日本海軍全体にびっこをひかせるに十分だったのです。つまり、もし珊瑚海式の「戦術的勝利」をあと1、2回も繰り返したら、日本海軍は1944年を待たずして、ベテランパイロットをリカバー不能なまでに減らされ、「決戦」の能力を喪失していたはずなのでした。
 海軍に対米戦勝利の可能性がなくなるということは、日本の戦争指導は爾後は陸軍だけがとりしきるということになります。それは昭和天皇が皇室の滅亡につながるとして最も怖れた「対ソ戦」の開始を意味していました。海軍と天皇は「陸軍に対ソ戦を始めさせない」という一点では終始「共闘」していたと思います。
 だから山本には急ぐ理由がありました。
 『龍驤』と『隼鷹』を北方に送り出したのは、米軍の信号分析チームに対して「日本は『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』の4空母だけでMI海面まで出て行く。おまえたちには2隻か3隻の空母でわれわれを阻止できるチャンスがあるだろう。もし邀撃をしないで退避すれば、ミッドウェー島はいただく」と知らせたのです。
 ですから、MI上陸部隊を連れて行ったこと、MI島爆撃をしたことが間違いだという後世の評論家の方が間違いです。このスキームでなければ、敵はわざわざ不利で不必要な決戦に応ずる必要はないわけです。彼らは1942年2月〜3月の、ウォッゼ、クェゼリン、マキン、ヤルート、ウェーク、南鳥島、ラエ、サラモア空襲のようなヒットエンドランを続けながら1944年を待てばよかったからです。このヒットエンドランでは、いずれも日本軍は米空母を捕捉できませんでした。会戦するかしないかのイニシアチブは、米軍にあったのです。
 しかしハワイに近いミッドウェー島を占領されることは、彼らは座視できません。
 こうして3隻の敵空母が決戦海域に誘い出されたのです。山本の博奕は大成功しましたが、南雲の魚雷主義は失敗しました。
 以上は、現在書店に並んでいる兵頭二十八著『パールハーバーの真実』(PHP文庫)を御買い求めになりますれば、より一層理解が進むでしょう。
 ところで18世紀にできた合衆国憲法案には「遡及処罰法 ex post facto law は制定してはならない」(1条第9節3項)と明記されていました。200年以上前から近代市民法の常識であることが、朱子学的世界、すなわちシナや韓国の政府および議会には、永久に分かるつもりもないということが推知されます。
 合衆国憲法案には反逆罪も規定されています。すなわち合衆国に対する反逆罪を攻勢するのは「敵に援助および助言を与えてこれ(合衆国に対する戦い)に加担する行為」だとしてありました。これを犯した者に対する罰が、古い英国の刑罰である「血統汚損 corruption of blood」です。具体的には、その人一代の財産が没収 forfeiture され、その人には相続権も被相続もなくなり、すべての地位が奪われます。この規定は英国では1870年に廃止されましたが、多くの国の不文の掟として、反逆罪を犯した者の子孫は「将校」にはなれません。

200年前から変わらない格差

 大衆がもし大衆として理性を発揮できる存在であるならば、大衆による「議会」が一つあればよかろう。政府や裁判所も、議会の言うなりに仕事をしていれば、それが国民の福祉にいちばん適うじゃないか──。
 こういう単純素朴な“民主主義”をもし実施すれば、それはすぐにも自己破滅的な恐怖政治や独裁政治に変貌するのは歴史的に疑いないことだと、口を酸っぱくしてニューヨークのローカル新聞紙上で力説しましたのが、ジェイムズ・マディソン(1751〜1836)とアレグザンダー・ハミルトン(1755〜 1804)とジョン・ジェイ(1745〜1829)の三人です。
 彼らの85度におよぶ匿名新聞投稿を一冊にまとめた『ザ・フェデラリスト』(1788)は、英国から独立を果たしたものの、まだ「合衆国」をつくるのには必ずしも積極的でなく、てんでバラバラに暮らしていた東部13国(ステイツ)を、新しく選んだたった一人の大統領の下に「連邦」として束ねるための、決定的な説得となりました。
 つまり、この3人の自由言論が「アメリカ」という超大国を創ったといっても過言ではないわけです。
 マディソンらは、人間は天使ではないので、議会に最高権力を与えたままでは、議会は必ず暴走するだろう、と、古代ギリシャ・ローマ時代から18世紀に至るヨーロッパの民主政治の長い実験例をふまえて、警告しました。
 ではどうすれば良いか?
 かつて、モンテスキューも考え抜いたように、議会の暴走を食い止められるだけの権力を、「行政首長」(アメリカの場合は大統領)と「司法」(最高裁判所)にも与えることです。
 かくして、米国大統領には、議会が満場一致で可決した法案をも拒否する権能が与えられ、また最高裁判所は、議会の立法が違憲である場合はそれが無効であるとすぐに確認できるようにもなっている。もちろん大統領だって議会がつくる法律に従って行政する以外にはなく、自身も4年毎の選挙で選ばれるのですから、一から十まで議会に逆らってばかりはいられませんが、この拒否権によって、議会の暴走や議会の独裁は防がれてきたわけです。
 建国以来、今日まで、米国人にとって『ザ・フェデラリスト』は「憲法解義」のようなもので、いやしくも政治家をこころざす者にとっての初等読本になっているようです。州知事と州議会の関係にも『ザ・フェデラリスト』の教えがよく反映されています。たとえばもし今、カリフォルニア州議会で、北京コミンテルンの奨励する反日捏造教科書を州のすべての学校の授業で使えという議員が数の上で優勢になったとしましても、シュワルツェネガー知事の一声で、そんな州法が可決されることはありません。
 そしてもし、得体の知れない外国人に「人権」についての捜査権と裁判権の両方を与えるなどというトンデモ法案が州議会や連邦議会を通過することがあれば、首長はそれを当然のように拒否するでしょうし、裁判所もすぐに違憲認定(三権分立違反と、行政の責任者は常に一人でなければならないという建国の原則への違反)を宣告することになるでしょう。
 米国憲法は制定されてから210年以上機能しています。これに比べて明治憲法をせっかく作りながら外国軍がそれを一夜にして廃棄するのを全員一致で傍観してしまった日本人の基礎教養は、確かに100年以上のハンデがあるかもしれないと考えざるを得ません。近時話題の「人権ナントカ法案/条例案」なるものの内容は、合衆国では「ありえない」のです。あれで日本の“民主主義教育”のレベルの低さは世界に宣伝されたようなもので、誰もシナ人を哂えません。
 ちなみに『ザ・フェデラリスト』の抄訳が岩波文庫になったのがやっと1999年であるというのも、驚くべきことではないでしょうか。これほど重要な古典でありながら、完訳の文庫は、未だ存在しません。
 『ザ・フェデラリスト』は、「必要最小限度の防衛力」などという考えを最初から否定していました。ジェイいわく、「戦争には正当な理由とともに、虚構の理由もある」。だから国家は他国の軽侮を招かないことが大事だ。国家の常備軍がなかったり、地方が独立して分裂していては、海外の列強の軽侮を招くことになるのです。
 さらにハミルトンいわく、「国家存亡の危機について、その範囲や種類をあらかじめ予測し定義することは不可能であり、かつまた危機を克服するに必要と思われる手段について、そのしかるべき範囲や種類をあらかじめ予測し定義しておくことは不可能」だと。
 よって、およそ国民の安全を脅かすいかなる事態にも応じうるようにするため、「社会の防衛と保護のための権能については、その有効適切な措置に必要ないっさいの事柄──つまり、国家的軍隊の建設・統帥・維持に必要ないっさいの事柄に関しては、制約があってはならない」。
 要するにマッカーサーは米国憲法に違反する精神を極東に押し付けようとしたのでしょう。そして、そういう真実を指摘してはならぬぞというGHQ指令が、講和後までも東大法学部を中心に伝承されてきたので、すべての出版社が『ザ・フェデラリスト』の訳出を1990年代まで先送りにしたのでしょう。
 独立戦争の経験は、民兵は正規兵に敵し得ないという現実を教えました。「戦争は、他の事柄と同様、勤勉によって、忍耐によって、時間によって、訓練によって、はじめて習得され、完成される一つの科学」です。米国13州は「コンチネンタル・アーミー」という正規軍を臨時に編成して、かろうじて敗北を免れました。
 コンチネンタル・アーミーは1783年に解散されたのですが、『ザ・フェデラリスト』は、平時に軍隊を募集できないなら、侵略が現実化するまで準備ができないではないか。そんな憲法はあるものではない、と訴えます。
 当時の13州の人口はインディアン(課税対象外だった)をのぞいて300万人でした。ヨーロッパでは一国の常備軍は全人口の100分の一、もしくは武器を使える人数の25分の一をこえないので、合衆国がもつとすれば25000人〜3万人になる。これに対して、州政府は数十万人の市民に武装させることもできるから、連邦軍を手にした連邦政府がヨーロッパ流の中央集権的な専制統治を敷くおそれもありませんよ、と『ザ・フェデラリスト』は述べています。
 なぜ行政は「大統領」というたった一人の男によって担任されなければならないか?
 常に一人のトップが責任者として世間に曝されているようにしないと、世間は行政について不満があるときにいったい誰を非難してよいのかが分からない。それが最もいけないのだ、と『ザ・フェデラリスト』は断言します。
 公人や公共機関は、合法だが非難さるべき行為を働くことがよくあります。それを世間がチェックできるようにするには、責任者はたった一人でなければなりません。「行政権は、それが単一であるときこそ、限定される」。
 権力が一人の人間の掌中に帰する場合には、彼はまさしく一人であるという理由のために、厳重に監視され、すぐに疑われ、しかも、他の有力者数人と共謀協働しているときほどの圧倒的な支配力をふるうこともできないでしょう。
 米国の戦時統制経済がうまくいったのも、in charge な人物、つまり権力と責任とを併せ持つたった一人の命令者を、要所に任命したからです。それもまた、米国憲法の精神に準拠していたのです。
 今日は12月8日ですが、『ザ・フェデラリスト』の中には「開戦を正式に宣告するという儀式は、最近実施されなくなっている」という記述もあります。

チラ裏魂もってるかい?

 また、要らない仕事をどんどん増やして自己利権の増殖の好機にしようと役人たちが策動してますが、「ビルが倒壊したり、倒壊しそうであることを理由として入居者や隣接住民が退去等を余儀なくされた場合には、保険会社が保険金を支払う」「その保険料はビルのオーナーが納める」という制度にしておけば、民間の保険会社が入念に構造安全度を審査するわけですよ。
 大震災でも倒れないビルは事実上の保険料はゼロ円に近いでしょう。逆に震度5で倒れそうなビルはベラボーな保険料が必要となりますから、「異常に安い、危険なマンション」はありえないことになるでしょう。
 悪質な保険会社は市場原理で駆逐されるでしょう。一回地震が来れば厭でもそうなります。入居者も前もって保険会社の信用力に留意するでしょう。
 高層ビルがもし崩れれば、迷惑は必然的に周辺に及ぶわけです。したがって建蔽率に反比例して、ビルのオーナー(部屋を買った者も含む)には社会に対する責任が発生して当然です。
 このように制度を工夫すれば、しょせん責任を取るつもりのない役人たちに仕事を任せる必要などありません。役人に頼れば、二重、三重にわたしたちの税金が無駄になるだけでしょう。
 嬉しいニュースがあります。「史料英訳会」の先行日本語版HPは、朱さんのサーバーを借り、近々オープンできそうです。また「篤志つうじ倶楽部」のコンテンツの方も続々と増える見込みです。あのアマチュアっぽさが良いんですよね。頑張りましょう。

チラ裏はどこまで続くのか【それも朝から】

 よく不祥事が発覚いたしますと、テレビ局の報道クルーが「渦中の人」の出勤時を捉えまして、駐車場から勤め先ビルの玄関入り口までのわずかな間、「突撃&喰らいつきインタビュー」が試みられます。「○○さんですよね。談合は本当にしていたんですか!?」……なんてね。
 たいていの「被疑者」氏は無言のまま、困った表情を浮かべつつ、できるだけ足早に歩き過ぎて、その「晒らされ」状況から逃れ去ろうと焦ります。インタビュアーもわざとらしく息を切らして小走りに追いすがる。それをカメラが重ねて撮って行く、揺れたフレームの映像が、非日常的な切迫感・臨場感を茶の間へ伝えてくれます。
 ところで、これがもし、性格の非常にひねくれたテレビ好きの人物だったら、どうするであろうか。
 「○○さんですね。談合は本当にしていたんですか!?」──と突然横あいから声。そして指向性マイクが突き出される。インタビュアーの背後にはカメラマンとバッテリー持ちも見える。出勤予定のオフィスの表口まではあと50mの距離がある。
 その瞬間、男は急に歩度を落とす。
 一歩約70センチの歩幅は変えないが、その一歩を踏み替えるのに、たっぷり4秒ぐらいづつもかけるのだ。無名戦士の墓を警護する衛兵の動哨よりもゆっくりとである。手の振りは、あくまでナチュラルに足の動きに合わせる。だからロボット風マネキンのぎこちなさはない。表情は固い。そして、何を聞かれても「無言」……。
 どうせインタビュアーは2段階くらいの「問い詰め」の言葉しか、あらかじめ考えてきていない。
 だから、一歩に4秒もかけられると、ご当人が3歩も進まないうちに、第三、第四の「問い詰め」を発せねば間がもたなくなり、もし同じ言葉をくりかえせば、とても間抜けに見えるだろう。
 しかも50m先の玄関に消えるまで、たっぷり280秒、あと4分半ははかかる計算である。
 インタビュアーは、この己れの無能が全国の茶の間に無様に曝されかねぬ絶体絶命のピンチを、いかにして乗り切るであろうか……?
 このいやがらせは一発目は有効だろうが、翌日、もう一回やってみせると、危ない。こんどは彼は有名人になっているので、「あっ、あそこでまたやってるぞ」と見物人が蝟集してくる。また、人気に便乗した他の局のクルーも合同で彼を取り囲むこととなるだろう。
 すると群集心理でインタビュアーは次第に意味もなく強気になり、激昂し、怒号し、怒漲し[これはしてはならない]、テレビの中継では言ってはならないような罵言を浴びせるようになる。「死刑だ死刑!」「こっちだって寝てないよ!」「豊○商事を覚えとらんのかこの糞ガキゃワレ!」「人が死んでんねんでん腸捻転やでん!〔※どこの人ですか?〕」……と、本当に殴りかかっていき兼ねない。嗚呼、街道でイク。マスコミも時に墓穴を掘るという、諸刃の剣のお話ですた。

地方書店でも

 今日あたり文庫の棚にPHP ひ-24-1『パールハーバーの真実』(680円)が置かれているだろうと思います。
 また、巻末解説を書いた中公文庫の『クラウゼヴィッツ』は、12月17日以降ではないかと思いますが、ハッキリしましたらまたお知らせします。
 それから、鎖帷子剣士さまのご周旋により、タウンゼントの『暗黒大陸中国の真実』と『アメリカはアジアに介入するな!』の訳者であられる田中秀雄先生から、原文のコピーを借覧できる目処が立ちました。
 両先生、どうもありがとうございます。
 1933刊の『暗黒大陸』は米国で1997にバーンズレビュー社から再刊されているので、やはり原文のアップロードをすれば触法することも確認できました。
 『アメリカはアジア〜』は、タウンゼントが自費出版した冊子を中心に、タウンゼントによる複数のテキストを編合し、訳されたもので、現在のオリジナルの著作権保有者は不明であるそうです。
 この2冊の英文サマリーを「篤志つうじ倶楽部」のためにボランティアで書いてくださる方はLO-01氏までご連絡ください。なお、サマリーは非常に短いものでも結構です。

チラ裏日曜版──なあに、反日免疫力がついて、心配のしなさすぎではないか。

 クリミア戦争から第一次大戦まで、戦争と革命を焚き付けたメディアは新聞(パンフレット)でした。戦間期は新聞とラジオと映画です。第二次大戦後はテレビが取って代わりますが、焚き付ける効果と同時にインドシナやソマリアから米軍だけ撤退させる影響力も発揮しました。
 テキスト系やオーディオ系のメディアの場合、真に効いた工作は、自国民の文言が自国民に向けて発せられたときです。隣国のアナウンサーの絶叫に感応して祖国を裏切ろうという気になる住民集団は、ほとんどいません。尤も、すでに祖国を裏切っても良いという気になっているマージナルな個人に海外から語りかけるラジオ工作は有効です。が、それをやったら必ずジャミングをかけられますし、外交問題にもなります。
 そこで、対外工作の基本は、「現地人を雇ってそいつにやらせろ」となりました。戦前、モスクワ・コミンテルンが日本国内で雇ったのが、尾崎秀実その他でした。今日、NYTが反日記事を載せたいと思ったら、朝日新聞社の記者を雇わねばなりません。ただし編集デスクにおいて、東京から入稿された英文にリライトをかけているのではないかと思います。あの新渡戸稲造ですら、ネイティヴの妻が英文をリライトしてくれていたので、その発言内容が米国のインテリ層にうまく受け入れられたのです。
 現地人をパッケージの製作段階で密接な協力者として雇う必要がなく、それでありながら外国に持ち込んで通用させ易いメディア工作の有力なものが「テレビで放映される番組」です。米国のようにケーブルで多チャンネル化が進んだ国でも、人気映画や高視聴率ドラマはやはり「大勢の人が同時に視る」ことになります。これこそ大衆が最も満足する体験です。まして日本のようにチャンネル選択幅の狭い国では、連続ドラマを放映させることが強力な宣伝になります。
 その代わりの難点として、宣伝教化媒体としてのTVドラマや映画には、もし真に宣伝したいイデオロギーを直截的に盛り込むと、テキメンに娯楽的でなくなってしまい、大衆が悦ばなくなるという特性があります。そこをさりげなく処理していくテクニックは、ハリウッド以外では未だどこも完成の域には達していません。

書誌データ等を英語で表記するときのしきたり

 一般に、以下のような略号は、よく使われます。
n頁を中心に至るところに────pp.n-n et Passim
匿名──────────────anon.
ペンネームと併記する実名────〔  〕で囲む
その他4人以上の著者あり────et al.
刊行年不明───────────n.d.
推定──────────────〔○○○?〕
ママ──────────────sic.
複製版─────────────fac.
…………なお、関係ないのですが、本日あたり書店の文庫の棚のPHPのところに『パールハーバーの真実』文庫版が並びます。
 税別定価¥648- と思います。

情報収集要請(敵の海外工作活動の痕跡を洗うお!)

 篤志つうじ倶楽部が立ち上がりましたが、英文ホワイトプロパガンダ活動のネット結節点として、敵による工作の基本情報の集積もして参りたいと思います。
 「特定アジア発のブラック・プロパガンダを真に受けて欧米メディアが取り上げたと疑われる新聞記事、雑誌記事、報道特番映像などの要約情報」を、篤志つうじ倶楽部HPの適当な場所に集積してください。
 その際、すくなくとも「何年何月何日」の「何という媒体」であるのかはハッキリさせましょう。「何という記事タイトル」で「何という記者」によるものか、まで分かれば信頼度の高いデータベースになります。
 日本人の倶楽部員が検索をしやすくするために情報内容は日本語で要約し、欧語原文の一部を引用しておいて下さると、いよいよ便利かと思います。
 このデータベースが充実すれば、日本の言論人も、篤志つうじ倶楽部のHPを参照することで、いちいち具体例を挙げつつ敵の欧語工作について警鐘を鳴らす記事を、簡単に書くことができるでしょう。
 内外同胞有志のご協力をお願いします。なお、このデータベースのことは来年売りの雑誌『SAPIO』で広報しようと思っています。みなさまには年末でご多端の折と存じますが、なにとぞ一臂のお力をお貸しください。

ネット活動 << 篤志つうじ倶楽部 >> がスタート

 この度、「史料英訳会(仮)」の「醵金あつめ→プロ翻訳家が有料でまるごと1冊づつ英訳」のスキームとはまったく別に、「ボランティアが勝手に英文サマリーを書く→それをHPに集積し公開する→訳文に問題があれば公開的に指摘し、公開的に修整を進めていく」というスキームを立ち上げました。
 これからホワイトプロパガンダの役に立つ英文サマリーを書いた方は、篤志つうじ倶楽部のHPにご投稿ください。(ファンサイトの掲示板にご投稿を下さった「666」様も、お手数ですが、あためて重投を願い上げます。)
篤志つうじ倶楽部のホームページ
http://hoaj.minidns.net:81/homet.htm
篤志つうじ倶楽部の掲示板
http://hoaj.minidns.net:81/flexbbs/forumup3/forumup.cgi
以上は「南島」さんのホームページからもリンクしている筈です。
 まだ工事中の部分があり、不具合もあり得るかと思いますが、おいおい修整して参りますので、宜しくお願い申し上げます。
 篤志つうじ倶楽部の性格について、ご説明申し上げます。
 12月中に発足予定の「史料英訳会(仮)」は、「法人格なき社団」で、会の代表(加瀬英明氏内定)がいて、会の印鑑をつくり、東京都内に会の住所があり、会の口座があり(正式発足後)、会の定款(現在細部検討中)があり、定期決算報告が行なわれ、会員になるには入会金も必要です。
 他方、本日(2005年12月1日)スタートの「篤志つうじ倶楽部」は、あくまでインターネット上のボランティア活動です。運動の音頭を取っている兵頭と管理人の「南島」氏は、定期的に連絡し合い、倶楽部の運動方向を誘導しますが、NPO団体として実体のあるものではありません。
 篤志つうじ倶楽部と、史料英訳会は、法的にも、運営の上でも、意思決定のルールでも、互いにまったく独立です。ただホワイトプロパガンダの目的だけは共有しているのです。
 篤志つうじ倶楽部は、兵頭や「南島」さんも含めて、全員がボランティアです。金銭の寄付は一切受け取りませんし、入会金なども徴集しません(これに関する詐欺等にご注意ください)。篤志つうじ倶楽部のHPには、どなたでも無料でアクセスし、寄稿し、意見を投書することができます。

スラムだけは作らせるな

日本の「プータローとヒキコモリ」は、世代が再生産されないので、スラムはつくらない──というお話は、既にしました。スラムができないことで、日本の社会コストはかろうじて抑えられ、「競争的5%」の人々の仕事が余計な阻害を受けず、対外経済競争力が維持され、国債が暴落しないで済んでいるのです。
 しかし日系ラ米人の労務者はどうも全国各地でスラムの核をつくりつつあるようです。日系ラ米人労務者の中から暴力犯を輩出する率は、他集団の平均以上ではないのかもしれません。しかしドラッグディーリングや対警官暴力など日本社会の一般モラルとは相容れない正邪観が持ち込まれ、それが世代を超えて再生産されているとしたら、これを根絶しないで良いわけがありません。日本語が満足に話せない日系人へ特待的に就労ビザを発給する行政は間違いでしょう。
 スラムといえば、今のマンション醜聞が拡大しますと、こっちの方からもスラムが出来兼ねません。
 わたくしは、西村議員の逮捕も、このマンション醜聞の行く末を現政権の中枢が予測した結果ではないだろうかと思っています。
 創価学会と共産党は天敵であるということは皆さんはご承知だと思います。どちらも朝鮮人に選挙権を与えようとしており、そしてどちらも、日本の法曹界(弁護士だけでなく、検事や裁判官まで)に人脈を扶植している恐ろしい団体です。共産党は北鮮の拉致を否定していました。西村議員はこのどちらの法曹ネットワークからも目の仇にされていた立場でしょう。非弁活動などやっていたらすぐにチクられる筈で、よくもいままで不問に付されて来たものと思います(それも日本の法曹界の体質が問わるべき問題でしょう)。大阪は在日利権の濃厚な土地柄です。大阪十七区(すなわち堺市)の隣の十六区の選出議員が公明党の北側国土交通省大臣のようです。つまりは昔の建設大臣で、このポストは旧田中派が利権をほしいままにしていたところでした。大阪高検の人事異動の後に、事件が蒸し返されたと毎日新聞のネット版が書いていました。
 ところで建築業や不動産業は、あのバブル時代に、長期的な信用を重視しない経営者が多数参入した業界です。日本の銀行は潰せないのだという政策的選択がなされた結果、その人々は、まだ淘汰されていません。なかにはヤクザそのものと結びついている業者もいます。
 天敵関係にある2政党の一方の政党に所属する議員が、その業者と結びついていたと、もう一方の政党が、感づいたのではないでしょうか? そして政党所有のメディアと工作用のブログなどを通じて、醜聞に火をつけました。これは連立政権攻撃に使える、と思ってのことでしょう。
 政権中枢は、このマンション醜聞の規模が拡大して、連立政権の係累から逮捕者が出ることも予想したのではないでしょうか。そして小泉氏は、この騒ぎは、公明党に対する自分の支配力を強化する良いチャンスでもあると見たかもしれません。池田大作氏には無限の寿命があるわけではないからです。
 そこで宣伝上手な政権中枢では、「小泉が公明党叩きをしているように世間にうけとられてはまずい」と思い、西村氏を逮捕させたのではないでしょうか。こんごの一連の報道が庶民に与える視覚的インパクトの上で、バランスをとったのです。
 西村氏には行動右翼のシンパがいっぱいいたようですね。それだったら、外務大臣に殺意を催したなどと自分の本に書いてはいけないし、現首相が狙撃されても良いなどと口走ってはならないでしょう。
 参院に転ずれば全国的な人気を武器にできるので選挙資金もかからないし、一人一会派となって、こんどこそ父親離れと地元離れをしたら良いでしょう。速決で議員辞職すれば、刑の言い渡しは執行猶予付きでしょう。地検特捜部ではなく府警が取り調べているのはなぜかをよく考えることです。
 小泉氏はこんどのマンション醜聞を公務員リストラ改革の世論形成のチャンスとして利用するでしょう。
 また、マンション離れ、一戸建てブームが潮流となれば、それはそれで、日本列島改造新論の契機となります。