四王天延孝の韓国民情リポート

 1904年2月、日露戦争の第一回動員で近衛工兵中尉として鎮南浦へわたった四王天延孝は、上陸地で配属された通訳とともに平壌へ向かった。この通訳は対馬の人で、朝鮮語はペラペラであった。おかげで、投宿した民家では、住民からどんな情報でも訊くことができたという。
 フランス留学組エリートで、1901年に北清事変直後の北支駐屯軍にも小隊長として派兵されたことがある四王天が、半島を歩いて最もいぶかしく思ったのは、全面の禿山のことだった。これは朝鮮の地質や気候が原因なのではない、と住民は教えた。
 もしも、村の裏山に、材木になりそうな松林などがあれば、かならず郡守の官吏がやってきて、〈こんど、郡役所の改築をすることになった。ついては、○月○日までに、これこれのサイズの用材を○百本、おまえらの手で伐採して、郡役所まで運搬するように〉との私物命令を出されてしまう。それを実行できなければ、叛乱を企てたとかいう口実で牢屋につながれ、親戚が大金を集めて賄賂をおくって釈放させぬかぎり、死ぬまで投獄されっ放しになる。だから朝鮮では、いやしくも役人に目をつけられるおそれのありそうな潜在的動産は、住民みずからがすぐに燃料にしたりして消尽させておくのが生活自衛策なのだ、という。これが1904年の話である。
 もちろん、家屋の造作も、あまり立派にすれば危うい。屋根を瓦で葺いたりすれば、たちまち郡役所の官吏があらわれる。そして〈役所の事業に必要だから、おまえは○万円をいつまでに納めよ〉との私物命令を勝手に出されてしまうのだ。渋れば投獄されるのは、材木のケースと同じである。
 こんな政治が何百年も続いているために、朝鮮の庶民はもはや誰もまじめに働こうとはしない。「平等にはなったが貧乏平等で産業も振わず道路も橋梁も鉄道もなく、勿論文化の向上も何もないのだと〔投宿先の朝鮮人は〕長大息を洩らし本音を吐いた」――という(みすず書房『四王天延孝回顧録』pp.15~16)。
 「法の下の平等」がないと、下層民が真面目に働いて中産階級に成り上がることが不可能だと、端的に理解ができるでしょう。
 「近代」は「法の下の平等」とともにやってきました。
 「法の下の平等」が「租税法定主義」や「罪刑法定主義」を実現して、はじめて一人の「自由」が他者の自由と併存可能になるのです。
 たとえば堂々と蓄財して金持ちになることも可能になったわけです。役人や有力者からそれを無法にむしられる心配がないですからね。
 ところが「特権」は、このありがたい「法の下の平等」を破壊します。それは必然的に自由も破壊します。これは民主主義の基本中の基本ですが、多くの朝鮮人には「特権」と「自由」の区別がつきません。近代を知らないのです。
 日本人も、この朝鮮人を、あまり哂えません。あきらかに今日の日本国内にはまだこの基礎教養が身に着いていない者が、左右上下を問わず、多いのです。朝鮮人とそんなに区別できない。
 日本の明治元年の五箇条の御誓文は、法の下の平等と、その後の自由を謳いあげたものでした。
 これを策定した日本人たちは、近代を理解しました。
 ところがその後、近代の基礎をちっとも理解しようとしないシナ・朝鮮に親近な儒教信奉勢力が「教育勅語」で巻き返した。首相にもなった西園寺公望は、この勅語があまりに反近代的で維新精神の破壊でしかないと苦々しく思っていたので、天皇の許可を得て、実質の改訂である「第二教育勅語」の準備にかかったのでした。とうとう実現できませんでしたのは、まことに不幸でした。
 「教育勅語」のどこが問題なのか分からないという人は、朝鮮人を笑うことはできません。
 天皇制は近代とは矛盾しません。日本の天皇制は神武以前からあったという話は兵頭の旧著をお読みください。先史古代において近代に近かったのが南洋の天皇制です。
 島といえば、海上保安庁からタダで頂戴した新刊『海上保安庁進化論――海洋国家日本のポリスシーパワー』(2009-5刊)に、こんなことが書いてあります。
 シナ政府が「蘇岩礁」と呼んでいる東シナ海中の暗礁。韓国最南領土の馬羅島から西南150kmに位置し、干潮時でも水面下4.6mであって、露岩することはない。ところが韓国はこの暗礁(離於島[イオド]および波浪島[バランド]と呼称)に2001から15階相当の巨大な鉄筋建造物を築き、衛星レーダーなどを置いた。シナ政府は外交ルートで韓国政府に抗議する一方で、国内的にはこの問題を報道させていない。それに気づいた香港のネット市民が怒っている――というのです。
 衛星レーダーというのは、こんど南に向けて発射予定の宇宙ロケットの追跡用なんでしょうか?
 それはともかく、北京の遠慮の理由は何なのかが興味深い。これは韓国への配慮というより、北鮮への配慮ではないでしょうか。
 間接侵略拒止が現下の日本の最も重大な課題であると考えております兵頭は、海保の強化に諸手をあげて賛同します。
 『海上保安庁進化論』でも訴えられていますように、海自のイージス艦1隻と、人件費もぜんぶ含めた1年間の海保の予算が同じだなんて、国策の合理的なプロポーションを失しすぎていますよ。
 与那国島や石垣島が台湾人勢力(わたしは昔から、台湾は味方じゃないよと警告をしてきました。近代の孤独に堪えられぬ幼稚な阿呆ウヨ言論人たちは猛省してください)の影響でどんなことになっているかを考えたら、15兆円補正予算の1割くらいを海保に回してもバチは当たらないのではないですか?
 平成18年2月時点で、耐用年数を超過したオンボロ巡視艇が120隻、ガタピシ航空機が30機あるそうです。予算が3500億円つけば、それはすべて新品に代替整備できるそうです。


ひさびさに内局を見直す

 田村代議士のブログにこんどの自民党の案が観測気球として全文紹介されていたのを、はじめは興味がなかったが斜め読みするうちに、ペーパーワークに狩り出されていると思しい少壮内局官僚たちが籠めているテンションが伝わってきて、面白く感じました。
 そこらのブログでしか唱えられてないような案までぬかりなく投網をかけて盛り込まれていたのは「これぞ官僚作業の手本」と感心しました。戦前の陸軍大学校で連続不眠不休の図演を何度もさせて、その成績を参謀人事に反映させたのも、こういうまとめ作業を徹宵集中して15兆円補正予算の決定以前にそつなくやってのけられるほどの人材を、軍の未来のために選ぼうとしたのだよね。(オレには無理。)
 しかし、そこで新たな疑問だ。こういう馬力作業ができる官僚が内局にいるのに、どうしてF-Xではこんなグダグダなことになっちゃってるんだろう?
 やっぱり最有力アドバイザーたる空自幹部に contingency plan の発想が皆無だったのかと疑わざるを得ない。リアルワールドに暮らしてはいなかったんですよ。
 メーカーが学習機会としてF-Xを捉えていて、最先端エンジンを欲するのはあたりまえですよ。しかしメーカーには国防の第一義的責任はない。あるのは制服軍人です。
 制服軍人なら常に contingency plan を抱懐していなくてはならない。この熟語は、しっくりとくる日本語にはなっていないでしょう。記号論的に解けば、日本の伝統文化には contingency plan の発想がなじまないものだから、それを表わすコトバも自生しなかったわけでしょう。
 つまり脇目をふらずに思い込み、正面の一分画だけにしか目配りしないという、どこか朝鮮人的な視野狭窄が、まだ日本人にはあるわけ。(そういえばAFPの報道で、韓国ロケットが7月30日打ち上げだと。ところが射場の完成が6月10日で、ロシアのブースターは来週やっと届けられるんだと。オイ、ぶっつけすぎるだろw)
 某年某月までにF-22の導入の目途が立たなければ乙案、それがだめなら丙案、丁案、戊案と、数段構えのプランを腹案として決めておくのは、リアルワールドを相手にする者として、当然の心構えでなくてはならなかった。空自幹部にはそれは無かった。軍人失格です。押し切られた内局も、もう威張っちゃいけないね。
 「しんしん」(siとshiの違いはあるが、きっと米国人にとっては、有名な刑務所みたいに聞こえます)がF-4リプレイス候補のオルタナティヴとならぬことは、空自のタイムテーブルから自明でした。「しんしん」は米国メーカーからステルス技術の秘密を分けてもらうための、三菱重工としての資格証明書のつもりだったのに過ぎぬと、誰でも想像できましょう。ところが米国指導層の慮りは、ステルスやエンジンの設計図なんかじゃなかったんでしょうね。設計図にならないソフト部分が日本人に知られるのを恐れたと思います。シナへの漏洩ではなくて、日本人に競争力をつけさせるのを恐れた。
 このまえ廣宮孝信さんが〈日本の経済コメンテイターが「経営」と「経済」を同一視するので日本は損をしてきた〉とおっしゃっていたが、フツーの国である米国の指導層は、「経営」と「政治」を同一視してません。F-22のメーカーの経営者がそれを輸出して自分のボーナスを稼ぎたいと思うのは自然です。しかし米国指導者は、それは米国の損になると判断すれば、軍需産業の腰掛け経営者たちをオーバーライドするでしょう。
 ロシアもシナも、米国のトマホークの不発弾を、パキスタンその他から買い取っているはずです。何年もリバースエンジニアリングに挑んだはずだが、同格性能は再現できていません。最先端兵器の秘密は、じつは設計図などにはもう無いのです。
 おそらく仕様書にだって肝腎の秘密は(分かるようには)書かれていない。外国人には解けない秘密がどこかに埋め込まれていて、それが兵器の価値と威力の担保となっている。
 ライセンス生産を外国に許すとすれば、その埋め込み秘密の秘匿措置をいくら(相手国に費用を出させて)特別に講じておいたとしても、生産の試行錯誤の過程で、あたかも暗号解読のようにしてそれが盗まれるおそれがあるでしょう。相手が三菱重工のような高度なスキルをもった企業なら、なおさらそれが心配になるでしょう。つまり見せ金としての「しんしん」は、F-22の秘密を教えてもらうという交渉目的にとっては、逆効果にしかならなかったのかもしれませんね。
 自民党案に話を戻しますが、なんでOTHレーダーの提案が無いのか?
 先日、ブラジル沖でフランス機が行方不明になったときに、DSPとSBIRSが被雷爆発時のブラスト赤外線を記録してるんじゃないかというので仏から米政府にデータ提供が要請されたらしい。ところが2009-6-9のDavid A. Fulghum氏の記事によると、この2種類の早期警戒衛星は雲の下の赤外線探知は苦手だから、これからのMDのためには無人機にIRセンサーを積んで雲の下を飛ばすことが検討されているとあります。いま試験飛行中のロングスパン型グローバルホークでしょうね(これがU-2を代置するのは間違いないでしょう)。赤外線衛星は、下に雲があると、弾道弾が高度1万mの雲のないところへ飛び出してくるまで、ロクに探知ができんという。そんなもの10年後に保有してどうすんねん。雲の下の探知が最も早いのはOTHレーダーなんだから、日本はサッサとそれを持つべきでしょ。巡航ミサイルの移動もトラックできるしね。
 それからこれは前からの不満なんだけども、防衛白書とかでシナ軍の勢力について書くときに、内局は、SIPRIとかミリバラなんかを引用して済ましてるでしょ。大蔵省説得の最終根拠が西洋文典しかないというので日本の官僚がこういうガチガチの引用主義に陥るのは理解するんだけども、世界に対して恥ずかしくないのか? 日本自前の偵察衛星が1基も無いときならば外国文典の孫引きで許されたけども、偵察衛星を持って何年も経っているというのに、いったい何やってんだい?
 シナ軍が東京に狙いをつけている水爆搭載の中距離弾道弾が何基あるのか、そんな大事なことも衛星でつかめないらしいのに、北鮮のトンネル内のTEL/MELを把握できるとは、妄想も甚だしい。
 ついでの雑話。ディフェンスニュースへのAmy Butler氏の寄稿によると、MD実験用の標的に使われている、古いポラリスとトライデントの調子が、メチャ悪らしいね。即応性が高いといわれている固体ロケットも、貯蔵しているうちには、こうなっちゃうんだよ。つまり長期信頼性では、液燃式の方が優っているという再発見ができた。ロシアのこだわりにも、実利的な理由があったのだねえ。


都内某所に事務所を選定。計画は前進中なり。

 6-2 で語った「インターネット講演」は、動画の配信ではなく、音声配信。つまり「インターネット・ラジオ講演」です。言葉足らずですいませんでした。
 これだとスタジオの設備なども最小限にできるだろう。
 いちいち会場を借りる必要もない。
 短期間に何人でも「講演」が可能になるわけだ。
 録音媒体を再生しながら通勤・通学・自動車の運転等は可能である。テレビを視ながらではそうはいかない。理詰めの言論を広めたいなら、動画は不要でしょう。そして、じつは紙も不要なのかもしれない。
 雑誌と違い、1ヵ月後に店頭や図書館から消えてしまう――ということもありません。
 講演音声をダウンロードするのはもちろんFREE。
 講演料は、お呼び立てした「機構」がお支払いする。
 その原資は、寄付金。
 つまり旧来の「保守系論壇誌」という、やたら経費がかかって文藝春秋社ですら維持が苦しかった「言論運動家支援媒体機関」のコストを喰う部分の「中抜き」を企てているわけです。
 アンチ間接侵略の言論運動のために、小は数百円、大は数千円くらいの負担をしても良いと考える全国の個人読者(言論サポーター)と、実名を晒してリスクを取っている個人言論運動家の間の挟雑コストを最小にしてしまう。それには透明な中間機関が是非必要です。
 兵頭が監督する「中間機関」が全国の同憂者からの浄財をあつめ(もちろん団体専用の口座にです)、間接侵略と既に公的に果敢に戦っている言論運動家、それも、大学のような組織に所属してなくて、どこからも安定したサラリーなどもらえてない実名個人を筆頭に、「インターネット・ラジオ講演料」の形で手厚く配給する(もちろんわが団体専用の口座からその人個人の口座への振込みです)。「雑誌をつくって売る」などという余計な中間コストを省いてしまうのですから、この言論運動モデルは持続可能だろうと見込んでいます。
 有名雑誌や動画でなければ、売名にならんと考えている人たちや、すでに複数の雑誌で書きまくっているような人たちには、当機構は、まず無縁でしょう。
 このインターネット・ラジオの宣伝普及のために、プロモーションも考えています。戦前のシナ戦線を舞台にした、熱血ラジオ・ドラマなどはどうだろうか? ひとつ、不朽の名作『決心変更セズ』のシナリオを想起して欲しい。あの場面を、シナ大陸に設定するのだ!
 もちろん登場人物をいくぶん整理しなくてはなるまいが、三田軍曹の一〇〇式短機関銃の咆哮だけは、落とせない……かも。
 組織が公式に立ち上がったあとで、いずれ、プロのシナリオライターと声優を募集しようと思っています。悪いが、今回は、アマチュアの方は、応募ご遠慮ください。
 ただし、以下の特技を持つ人は別だ。一〇〇式短機関銃、十一年式軽機関銃、九四式拳銃、八九式重擲弾筒、九二式歩兵砲……等々の戦場SEを、口だけでうそぶける人。つまり「人間SE」が居たら、素人でも契約を結びたい。シナ兵の雑魚キャラの絶叫とかも必要になるだろう。ひとつ自薦で宜しく頼みます。


拳ギカイ

 「ディフェンス・ニュース」がAFPの報道を伝えている。また韓国政府が「7月下旬に宇宙ロケットを打ち上げる」と6月2日に発表したのだ。「またかよ」という感じだ(このコーナーを初めて見た人は、4月まで遡って関連記事を読み直すように)。
 AFPによれば、まだブースター(ロシア製)とサスティナー(韓国製)の結合作業すら始まっていない。だからまた話がお流れになる可能性もあるのだが……。
 しかし、これで北鮮が7月上旬以前にミサイル・スターマインの大イベントをやらかすことは確定した。半島人にとっては、宣伝と現実の区別はない。ソウルが発表した以上、北鮮は、対抗してやってみせねばならんのである。北鮮の最近の行動は、すべて対韓国を意識した見得っ張りならざるはない。
 ロシアが4月末に写真フィルム回収型の偵察衛星「コスモス2450号」をわざわざ打ち上げたのは何のためかと思っていたが、それをするだけの価値は確かにあったとも分かってきた。
 北鮮がその西海岸に指定した立ち入り禁止区域は、大気圏内核実験をするには範囲が狭すぎる。また、大気圏内核実験をすれば、彼らの所謂「原爆」なるものの未熟な正体がバレてしまうので、結果が恐ろしくて踏み切る勇気はないだろう。しかし夏の風はシナの方へ向かって吹いているので、やるならば冬よりもインパクトがありそうだ。もちろん、平和的国際市民の世論は600カ国協議を3000回くらい開催して、あと15年くらいは北鮮の核武装宣言を認めてはならない。
 自民党の不勉強で恥さらしな議員たちが、〈海上から巡航ミサイルを発射して北鮮の弾道弾を先制破壊しよう〉と唱えだした。防衛省のいちおうエリート官僚には、国会議員たちに事実についてレクチャー申し上げて教育してやる器量はないのだなあ、と、列強は憫笑している。
 米国は英国以外には巡航ミサイル「トマホーク」を売ったことはない。トマホークは開発時点から核兵器運搬手段とみなされてきており、それを、すでに核を保有している同盟国(英国)以外に売ることは、「核不拡散条約」違反なのだ。だから核武装していない日本がそれを買える理由はない。するとオプションは国産か、ハープーンの改良しかない。すると場合によっては弾頭に搭載できる炸薬が200kg未満になってしまう。1トン爆弾でも敵の弾道弾を破壊するのは容易でないというのに、どうする気なのだ? そもそも、ハープーン級では、日本海から発射して北鮮の西海岸や鮮満国境の山地内に届かない可能性がある。
 トマホーク級にせよハープーン級にせよ、巡航ミサイルの飛翔スピードは、ジャンボジェットと略同じである。そう、議員さんたちが海外視察で乗りまくっている、着陸までにイライラするほど時間のかかる旅客機と、同じなのだ。北鮮の東海岸に到達するまでにも1時間。そこから西海岸の「東倉里」まで低空を15分間飛行しなければならないだろう。
 いくら糸電話クラスの幼稚なレーダーしかない北鮮の防空軍と雖も、巡航ミサイルが領土上を飛んでいることくらいは、光学式早期警戒システム、すなわち倍率3倍の支那玩具公司謹製の100均双眼鏡で察知できるだろう。ノロシもしくは駅伝によって急警をうけた弾道弾発射部隊は、発射車両ごと山のトンネルに入るか、深い谷に隠れるか、橋梁や偽装網の下に潜るか、できれば着弾の前にさっさと発射する。もちろん近くには、石ころを積み重ねてつくったダミー・ミサイルも置き並べてある。
 魚雷発射管サイズの巡航ミサイルに搭載できる炸薬200kgから700kg(まあ日本の技術では無理して300kgがMaxだろうが)では、敵の発射機(TEL/MEL)の直近で炸裂しない限り、発射前の弾道弾を破壊できるかどうかは覚束ない。20m逸れたら、地形・地物の摩擦や、地中へのめり込み過ぎで、敵は無傷ということも起こり得る。
 巡航ミサイルで地上の車両を狙うとしたら(そんなことやってる国はどこにもないが)、終末弾道はホップアップ機動から急角度での落下、としなければなるまい。標的が走行中であれば、巡航ミサイルの空力制御では、とうていダイレクト・ヒットの見込みはない。200m内に落ちれば恩の字じゃないか。
 北鮮の弾道ミサイル発射部隊は、必ず山岳地に展開する。その谷間を縫うように巡航ミサイルを突っ込ませた場合、GPSの4衛星からの電波を同時には受信できなくなることが考えられる。つまり最も必要な精度が肝腎のときに得られないおそれがある。
 日本の防衛のためには、日本独自の電波航法支援手段が必要なのだ。準天頂衛星やモルニア衛星の投入、それから既存のテレビ局やラジオ局の施設の利用、さらには廃止の方向に向かいつつあるロランC局の再構成を工夫することによって、それは初めて可能になる。それとM-Vロケットの復活を考えずして「先制攻撃」論など絵に画いた餅だ。


ははの日 と ひひの日。

 先月、目が悪くなったなあと感じ、ワープロ画面の行間と字数を調節したら、総字数の計算で油断をしてしまったらしく、『正論』7月号の連載欄が、文字がギッチギチになってしもた。スミマセン。
 ついでなので『正論』7月号の全般の感想を述べよう。『諸君!』がなくなった最初の月だから、一言残しておく価値があるだろう。
 今月号の記事では島田洋一氏の記事が最も読ませた。この記事がすぐれている理由が三つある。 一、最新とれとれ速報の時事種であること。新書の書き下ろしでも新聞記事でも不可能な、雑誌ならではの付加価値だ。  二、適度に短くて、冗長さを感じさせぬこと。多くの雑誌寄稿者の文章は不必要に長すぎる。それを規正し得ぬ編集者もまさに自殺行為をやってるんだと覚るべきだ。  三、exclusive な情報と、書き手の特色ある表現が、異彩を放っている。その執筆者でなければ知り得ない情報が次々に紹介され、またその執筆者でなければまとめて表現し得ない説得力が発揮されている。主張の内容にすっかり同意できるとき、なんとも読んで得をした気になるのである。
 「一」について敷衍しよう。現代の読者が雑誌を見捨てたくなる理由の一つが、「後でまとめて単行本にする予定ミエミエの連載記事」のウザさだ。いやしくも他に収入や資産のある大物ライターなら、雑誌と単行本で二期作を働いてセコく増収を図ろうなどとは企てず、いきなり単著を書きおろして売るがよい。長い記事×数回分で新書ができるだろう。そしてその印税で若い新進の書き手を育てたらどうだ。彼ら新人こそ、生活のための原稿料を真に必要としているかもしれないのに、今日的意義の低いダラダラ連載のおかげでクラウディング・アウトされているんじゃないか。(東谷氏が、後進を育てるライターのコミュニティの機能が雑誌にあったと149頁に書いておられる趣意には賛成できるが、ネットにその機能がないとはこの兵頭は思わぬ。なければ創れば良いだけだ。今年中に、それを立証する試みを始める。)
 「二」について敷衍しよう。これは、原稿の文字数と原稿料とが単純比例するという、従前の雑誌の報酬システムの陋習が、悪のスパイラルのおおもととなってしまっているのだ。
 これあるがゆえにビッグネームは編集部に対する立場の利を用いて遠慮なく長い頁を欲する(何故か彼らは駈けだしのフリーライター以上にカネが必要であるらしい)。稀には、情報密度を高めようと努力したフリすらない、主題に切迫感もない、目に余る文字数の押し売りも混じる。これが連載だと、雑誌にとって破壊的だ。それを咎める者が、雑誌システム中のどこにもいないようだ。
 上述の「一」と「三」の要件が満たされていれば、尋常以上の枚数の記事でも面白く、商品としての市場訴求力があるかもしれないけれども、昔の大先生たちの筆でない限り、ほとんどたいてい、そんなことはない。この水割り商法が瀰漫してついに雑誌を売れなくしたのだ。いいかげん、雑誌原稿料の旧慣は廃すべし。おもしろい価値のある記事にはタッタ1頁でも10万円の稿料を支払い、エンターテイン性とサービス精神に欠けた、あるいはスカスカの内容の記事には、たとい12頁以上あっても3万円までしかお支払いしません、と決めちまったらどうだ。それでライターの方も文章工夫に血眼になるだろう。おそらく雑誌の売れ行きは、そこに興味を惹く記事(あるいは寄稿者)があるかどうかで左右されているので、記事の長短とは無関係なはずだ。
 「三」のような文章が書ける人は、その著者の名前に固定ファンがつくだろうから、単著を書いて売った方が、著者にも儲けとなり、また、読者も出費先が絞り込めて嬉しいであろう。文藝春秋社はこんご、新書に力を入れる気なんだろうとわたしは勝手に想像しています。『正論』の7月号が『諸君!』から小堀さんの連載を引き継いでいるけれども、この連載の一回分の文字量が、読者に対して不親切なまでに多すぎるとは思わんのかなあ、両編集部は。落ち着きが悪すぎる。これこそ典型的な「先生、これはひとつハードカバーの書き下ろしでお願いします」と挨拶すべき企画でしょ。この一回の量で、しかも短期でなく長期連載でも読者から許してもらえる、また雑誌の売り上げにもプラスになる、それほどのサービス精神ある文体とテーマの持ち主は、故・山本七平氏くらいだったでしょう。
 短くてもすばらしい意義のある文章を公けのために提供している人たちが、ネット空間には居るということを、わたしは知っています。短さに、今日的な価値がある。わたしは、この人たちが、シナ・朝鮮からの対日間接侵略に日本国民が抵抗して行くための言語的防波堤の重要な機能を担っているとも思います。
 彼らの価値ある公的な仕事に「酬い」が伴っていないであろうことを、わたしは心配しています。誰かが「実利」をペイしてやるべきだろうと、思うようになりました。さもないと、間接侵略の厭がらせ工作が、彼ら少数のブロガーを一人一人、沈黙させ、転向させてしまうかもしれない。あるいは彼らがリアルな生活苦に負けてしまって退場してしまうかもしれない。
 できればそんなことにならぬように、彼らのモチベーションを強化し、彼らに続く勇敢な言論人がもっとネット上に登場することを促さなければなりません。
 また、できたら彼らの晩年の展望にまでも幾分かの安心を付け加えてやりたいものだ。勇敢な個人が間接侵略に反対して公的な勇気を発揮するときは孤独なものですからね。
 そのためには、どうしたらいいのか?
 無名個人が、公的個人(ここではブロガーを想定)に対して、ごく気軽に寄付行為ができる、という仕組みが、まだ日本では、存在しません。
 「中間機関」が必要でしょう。わたしは、その「機関」を創ることを決心しました。(ためしてみて、ダメだったら、お慰みだ。)
 「機関」のHPで、兵頭が着目するブロガーを招き、「インターネット講演」をしてもらって、その講演料を「機関」が単発でお支払いするという形で、彼らを金銭的に後援できるかもしれない。「機関」の一件一件の後援行為が適宜であるか否かは、その講演内容等がインターネットでパブリックに即日に晒されることによってオープンに公正にチェックされ、寄付者(出資者)等に対する収支の透明性をも担保できるでしょう。……とりあえずそんなことを考えています。


◎読書余論 2009-6-25 配信予定の内容

▼ジョージ・ケナン『ロシア・原子・西方』長谷川才次tr.
 1957年BBCラジオ連続講演の原稿。間接侵略について考える場合の面白い資料であるので、エッセンスをご紹介しよう。
▼メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』森下弓子tr.
 まだ1831年の想像では、人造人間は死体のパーツを寄せ集めてつくるものであった。しかし細かいところの再生がむずかしいので巨人につくる、とする。
▼カレル・チャペック『ロボット(R.U.R.)』千野栄一tr.
 1920’sになると、等身大でゼロからこねあげる有機物の人造人間が考えられた。しかし作者生前に、ロボットという造語のイメージが、金属のヒト型無生物に変わってしまう。このオリジナル劇の演出担当者が戦前に聖路加病院も設計したのだという。それが占領軍の「米軍病院」として接収された。
▼テア・フォン・ハルボウ『メトロポリス』前川道介tr.
 映画『マトリックス』のキャラ「エージェント・スミス」の原型は、最初に1920’sに登場しているのだ。「痩せた男」として。
▼ハインライン『動乱2100』矢野徹tr.、原1967
 未来の米国は、狡猾な宗教団体が専制統治していた! この炯眼。インサイダー叛乱兵の心得を説くくだりは、スパイと憲兵の初歩参考書と言っていい。閉鎖組織から信用されるには、日頃から風紀犯罪を犯しておけ! 著者が『メトロポリス』から影響を受けていることもハッキリします。
▼H・G・ウェルズ『解放された世界』浜野輝tr. 原1913
 なんと第一次大戦前からリアルに「原爆」後の政治をイメージしている。これを読んでいたシラードがロンドンの街頭で連鎖反応のアイディアに想到し、マンハッタン計画の原爆を設計できたという。恐るべし! SFを甘く見ている国家は亡びるはずだ。
▼Arthur C. クラーク著『幼年期の終わり』池田真紀子tr.
 この世の終わりと死者の蘇りの意味とは何なのか。全世界のキリスト教徒の普通の疑問に答えようとしたトンでも解釈。
▼アイザック・アシモフ『聖者の行進』池央耿tr.
▼アシモフ『ロボットの時代[決定版]』小尾美佐tr.
 金属製ロボットをフィクションで定着させたパイオニアは誰なのか、アシモフ先生にも分からないらしい。
▼アシモフ『夜来たる』美濃透tr.
 すごいといわれているが、新約聖書と無縁の文化圏でこれを評価するのはおかしすぎるでしょ。
▼アシモフ『われはロボット[決定版]』小尾芙佐tr.
▼スタニスワフ・レム『ロボット物語』深見弾tr.
▼S・レム『すばらしきレムの世界1』深見弾tr.
▼レム『エデン』小原雅俊tr.
▼スティルウェル(Joseph W. Stilwell)著『中国日記』みすず書房
 シナ軍の性格をリアルに知りたい者には必読の一級資料。四星大将(つまりパットンより上)のスチルウェルは、〈蒋介石はヒトラーだ〉〈抗日により熱心な中共軍へ米国の武器を渡そう〉と主張してローズヴェルトによって解任された。「コミンテルン陰謀史観」に癒されたい単細胞ニワカ保守たちにとって、この書はとうてい飲み下せない苦い薬だろう。
▼○○大尉記『眞珠灣潜航』S18-5、読売新聞社
 昔の呂号潜水艦には、艦内に厠がなかった? あと、機関長の○○って、どなた?
▼尾崎士郎『日蓮』S17-2
 この教徒も愛国的なんすよという戦時中の国内宣伝。尾崎士郎は法華信者の『石田三成』も小説化しているから、単なる商売ではない?
▼W・フォークナー『兵士の貰った報酬』S31-4
 つまらぬ小説は数行の摘録でじゅうぶんだ。
▼中薗英助『在日朝鮮人』S45-3-25、財界展望新社
 書き下ろしが半分、『世界』などの雑誌に発表したものが半分。対馬について考えたい人はコレ必読。祖国防衛の兵役から逃亡し、さりとて他国に帰化もせず楽をしようとする連中に、自由主義的寛容を適用しちゃうのは、シンプルに民主主義の自殺だろうね。存在そのものが間接侵略。
▼フランシス・フクシマ『人間の終わり――バイオテクノロジーはなぜ危険か』2002-9
 あなたのその性格は変えられます。……クスリで。
▼『ホフマン全集 第四巻I』深田甫tr. S57
 ロボットを考えるにはホフマン作品も一覧すべし。
▼『ホフマン全集 第四巻 II』「自動人形」
▼梅内幸信『悪魔の霊液』1997
 これもホフマン諭。
▼『鴎外全集1』「玉を懐いて罪あり」
 鴎外はM22にホフマンを訳していた。
▼『ドイツ・ロマン派全集 第三巻 ホフマン』1983
▼ベルゲングリューン『E・T・A・ホフマン』1971
▼吉田六郎『「我輩は猫である」論――漱石の「猫」とホフマンの「猫」』S43
 絶対にインスパイアされてた筈。しかしそれをうまく隠せるのもプロ。
▼『化学工業』1992-10月号
 明礬山について。つまりボーキサイト以前のアルミ資源。
▼『初動要員のための 生物化学兵器ハンドブック』2000-9
 トリアージの実際。ちなみにアシモフの『聖者の行進』を読んだら、1975にすでに米国雑誌でトリアージュが紹介されていたと書いてある。すごいね、あの国は。
▼厚川正和『模型で再現する 軍用鉄道の世界』平10増補改訂版
 まったく余談ですが英文サイトで初期のディーゼル機関車を検索してみると、カナダがWWII中に装甲列車をつくっていたことが分かるよ。アラスカから日本軍がやって来ると警戒したらしい。
▼『日立兵器史――一軍需会社の運命』H4-9
 1式重機のことなど。それにしても銅金義一の大佐以前の経歴がネットでヒットせんのはなぜ? 謎が多すぎるぜ。
▼昭和金属工業(株)『50年のあゆみ』1993
▼『旭精機工業40年史』H5
 戦前戦後を通じての小火器弾薬メーカーです。
▼戒能通孝『国と家』S30-1
 平和は悪魔にふさわしく、戦いはキリスト者にふさわしい。
▼東京学芸大 哲研『自我』S57
▼菊田芳治『近代の自我をめぐって』1992
▼我妻洋『自我の社会心理学』S39
▼宮内豊『反近代の彼方へ』1986
 19世紀、出稼ぎしているスイス人に、ある精神病が流行した。それが「ノスタルジー」。
▼大島通義『総力戦時代のドイツ再軍備』H8
 ドイツには機密文書を燃やしてしまうという文化あり。試作兵器類の写真は全部残しながら、収容所関係はヤバイと判断していただろうね。
▼大田黒元雄『歌劇大観』S26
 SPレコードしかない時代にオペラの評論家になるという壮挙が可能だった豊饒な戦前……。
▼二村忠臣『健康増進 競歩研究 歩行と体育』大14-6
 江戸時代、速く遠く歩くには、菅笠の被り方にすら気をつける必要があった。「ナンバ」は嘘だということを確信できる。
▼『文部省推薦認定レコード目録 第六輯』S14-8
 爆笑モンの「童謡」タイトル集。今日では政治的に正しくなさすぎて絶対にリリース不可。
▼山県昌夫『戦争と造船』S18-5
▼三島海雲『日本の水』S9-10
 西洋では水は不潔なものに決まっていたから宗教儀式で香油を使う……というが、だいたいバプティズムというのがインド宗教の西漸だったんじゃないの?
▼水の江瀧子『白銀のダリア』S11-6
 芸名の由来が人麻呂。
▼安積幸二『火薬』S17-12
▼前田一『サラリーマン物語』S3-3
 帝大と慶大卒ではいかに待遇に格差があったか。当時の小学校教師は国家公務員と互角の初任給。などなど。
▼南條初五郎ed.『航空発動機』S12repr.、初版S10-10
 航空用ディーゼルの情報多し。
▼A.W.Judge著『高速ヂーゼル機関』S20-3、原1933
 タイトルが、二十数年前、渋谷のヂーゼル機器さんから就職内定をもらったことを思い出させる。それをすっぽかして神保町の戦車マガジン社へ……。嗚呼、人生は分からんぜよ!
 ◆   ◆   ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は200円です。
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ロストブラッド氏の貧血報告

 わたしの著述の長年の愛読者であるらしい金○○氏が最後の頑張りを見せているようだ。
 地面に深い穴を斜めに掘り、そこに水を満たし、底部で原爆を炸裂させると、水鉄砲の力により、重い物体を軌道上に打ち上げることができるという。これは Thunder Well 理論といい、1991年の小説『臨界のパラドックス』に紹介されている(なお、この小説じたいは、とてつもなくつまらない)。
 この方法なら、日本軍の巡航ミサイル(その誘導はどうする気だよ? 準天頂衛星で日本独自のGPSを構成しなきゃ、満鮮国境山地の低空飛行中に精密な座標が取れないじゃない。詳しくは『正論』7月号でも見てくれ)が事前に策源地(あのさー、これってがんらいBaseの和訳でしょ。明治初期に策源と訳していたのに昭和の軍人は国語力がないから余計な地を加えんと意味がとれんようになった。だったら「基地」でいいじゃんという話だがあえて策源なんて古語を持ち出してるのは“テリトリー”と英訳させたい底意? もう姑息なダブル・ワーディングはやめようよ。ますます外国から信用されなくなるだけだからさ)を攻撃しようとしたところで屁でもなかろうしエアボンレーザーで邀撃される畏れもない。サイロ式固体ロケットのように無兆候で奇襲的な発射も可能だね。
 重さ4.5トンくらいある初歩的原爆モドキを、飛行機によらずに日本列島まで投射することができる手段としては、今の北鮮にはこれ以外にないだろ。逆にいうと、この方式を採用したことが立証されないうちは、北鮮は「核投射能力」のある核武装国ではない。「核地雷」の実験国にすぎません。


同憂具眼の士はすくなくない。

 本日、防衛省の防衛政策局から、09-5-15付の「北朝鮮によるミサイル発射について」という資料が、送付されてきました。
 以下、同資料の中で、確認されている推定概算の数値。
 ミサイルが秋田県海岸にさしかかったとき(2009年4月5日午前11時37分)の高度は、370kmで、さらに上昇中であった。
 ミサイルが岩手県海岸から太平洋へ抜けた時刻は不明。しかし、その時点での高度は、400kmであり、さらに上昇中であった。
 ミサイルの最高弾道点が、どこであったかは不明。いつであったかも不明。その高度も不明。
 ミサイルが最終的に落下着水した時刻は、11時46分。しかし、その位置は不明。しかし、北朝鮮が3月12日にICAOなどに提供した資料の中で設定されていた、太平洋上の危険区域の西端付近と推定される。〔ところが送付資料には、そのICAOに伝えた設定区域とやらの座標について、ハッキリした数字が書かれていない。しかし添付のイメージ図を見ると、東経165度よりもほんの少し西側から、その「設定区域」が始まっているように見える。〕
 朝鮮中央テレビの映像等にみえる燃焼の火炎状態等から、1段目の推進剤は液体燃料だと防衛省は結論。
 そのブースターは秋田県海岸から計って320km沖、北鮮の発射点から計って540kmのところに落ちている、という。
 以上が、このペーパーを拝読して兵頭が関心を喚起された情報要素です。
 以下、私見。
 1万mまで余裕で潜れる有索式無人機(Remotely Operated Vehcle)の「かいこう」と、3000m級無人探査機の「ドルフィン-3K」と、6000m級無人機の「ディープ・トウ」は、1999年に打ち上げ失敗したH-IIロケット8号機の第1段筒体を、3次にわたって海中で捜索して、残骸の一部を引揚げていはずだ。
 残念ながら「かいこう」は、2003年5月29日に台風の中で「亡失」してしまった(浮力があるはずなのでどこかの外国にコソーリ分捕られてるんじゃね?)けれども、日本にはまだ「しんかい6500」とか「かいれい」などもあるはずで、秋田沖320kmの水深は4000mもないはずから、試料回収は確実にできるだろう。
 テポドン2がそんなに「脅威」なら、なんでやらないのかな~? すでに「NR-1」が回収しちゃっているからですかぁ?
 あと、Joseph S. Nye,Jr. 氏が、駐日大使の売り込み失敗ですって? 朗報ですね。彼のシナ無知は、度し難かった。彼の著『ソフト・パワー』は、彼がシナの間接侵略文化について何ひとつ分かっていないことを天下に披露していました。「読書余論」のバックナンバーでご確認ください。


AHO-DOM アホーダム

 くだらない戌ロボットにうつつをぬかしている間に、これまた日本が周回遅れで米国メーカーに大差をつけられてしまった「掃除ロボット」について検索をしていたら、またも怒りがこみあげてきた。
 なぜ「ルンバ」の後追いをしようとするのか?
 80年代のイギリスで「英国病」という話があったが、今の日本は「東大病」だ。そのココロは、先行者の後追いの役人的発想しかできない。だから、会社内評価では「それは無難だ」と肯定されるのだろうが、外部の市場・消費者から見ると甚だつまらない。
 日本の家庭に必要な家政ロボットは、ヴァキューム・ロボットではない。「舐め取りロボット(Multipurpose Licking Robot)」である。
 長短の舌を使い分けることで、多角形の室内の隅々までも清掃が行き届くであろう。しかも埃は立たない。
 ただしこれを床掃除・絨毯掃除の用途だけに限る発想は、かなぐり捨てよ。
 「ナメろぼ」は、少子高齢化する日本社会に、究極のモノグサ生活を約束してくれるはずである。それは、皿も舐めるし、人体も舐める。道路だって、ビル外壁だって舐める。のみならず、舐めたものを自己の燃料にもできる(DARPAが新案の超高効率の外燃蒸気機関をEATERという自給自足ロボットの心臓にするつもりだという英文記事を先日読んだが、その要素技術としても、なめとり sipping 機構は必須だろう。蝿の吸唇=Fly mouth や、砂を洗浄しているナマコの仕組みも、参考にできるのではないか)。
 ここまで言えば、あとはもう語る必要はないだろう。標題の意味を反芻して貰い度い。まさに Man Eater の実現……。


ロボヒトくんの戦死叢書

 ロボットアームを介在させる内視鏡手術について英文サイトで調べているうち、〈内視鏡手術の発想そのものが「ボトルシップ」に由来するのではないか?〉と、唐突に思いついた。
 毛唐の手先がぶきっちょだ、なーんていうのは、〈日本人とロボットの相性は先天的に良い〉とフカしている阿呆共と同じ、大嘘に違いないんだ。
 そこでボトルシップはいつから作られたかを英文サイトで調べてみたら、1850年代に7本檣の大型高速クリッパーが大西洋を定期的に走るようになってからであろう、と書いてある。
 さらにアッと驚かされた示唆。ガラス瓶に入れておく意義として、せっかく苦労して作った精密帆船模型を、埃や衝撃から半永久的に保護してくれる機能がある――ってこと。そうなんだよ。この作品保護についての考慮がないことが、日本文化の欠点だ。
 アートボックスの浪江大先生。おひさしぶりです。まだ旧軍戦車の写真集が売れるんですか? だったら1920年代のドイツのトラック用ディーゼルに詳しい新人の解説者を発掘すべきですよ。「ハ号機」とBT-7Mの「V-2エンジン」は、同じ根をもつライバルに違いないんで……。